朝8時に両親で病棟に行き、少し面会。お気に入りのシャチのぬいぐるみ(チッチ)を3人で投げて遊ぶ。フェイントをかけたりして、楽しんだ。
あっという間に手術室に向かう時間になった。持っていけるおもちゃは3つまでということだったが、チッチと妻が日曜日に折ったという折り鶴とともに移動した。
手術室前でもそうちゃんは怖がる様子を見せず、いつも通りに手を振り、笑顔で手術に向かっていった。
後で、なかなかバイバイできず泣いてしまう子もいると聞いて、ここで抱っこでもしてあげていれば良かったのではと思いつつも、余計に不安に感じさせてしまう気もする。

手術中は両親とも家族控室に缶詰。飲食禁止のため昼食は交替で行くことになる。電波が届かないので、スマホも使えず、備え付けのテレビを見たり、手術の成功を祈ったりした。
そうちゃんから託されていた家族への手紙があったことを思い出し、妻に共有した。
テレビでは政治関係の問題を報じるニュースが繰り返されうんざりした。

 

18時頃に手術が終わったことを聞き、19時前に面会に通された。
医師からは「出血量は想定内で輸血せずに済み、ここまで順調である」と説明を受け、両親とも大いに安堵。
相当な重圧から解放されたこともあって、荷物を取りに家族控室に戻った時、他にも家族がいる中で思わず「良かった!」と声が出てしまった。

帰路では、これまで病気などによって手術が延期となったことについて、当時に行わないでこのタイミングになって良かった、そうなるべきということだったんだというような話をしたり、我々の両親にも手術が成功したことを連絡した。
最寄駅からの帰り道にコンビニに寄り、疲労回復のために甘いものを食べたくなったのと子どもたちをみてもらった義父へのお礼も兼ね、普段買わないエクレアを買って帰った。

帰宅後、私はすっかり安心していて、そうちゃんからの手紙を義父と次男にも見せ、作り置きの夕食を食べた。
義父との話も落ち着き、義父が帰ろうと玄関に向かった20時39分にスマホが鳴った。病院からの電話である。
当初、面会証を返却し忘れてしまっていたので、そのことかと思いながら電話を受けたが、「急変したのですぐに来てほしい」「何分で来れるか」とのこと。
「急変」という言葉に急転直下の衝撃を受け、うろたえつつも家族にも状況がわかるよう、先方の言葉と返答をしっかり声を出してやり取りするように心がけた。
電話の内容からすると、今にも死んでしまいそうに思われたため、到着するまでに死んでしまうのではないか、まだ死ぬんじゃないぞと祈りながら家族全員で義父の車に乗り病院に向かった。

病院に着くと処置中で、今日長時間滞在していた家族控室で再び待機することとなった。
いつ終わるかわからないため、義父には次男を連れて妻の実家に連れて行ってもらった。幸い、数日もすれば冬休みであり、そのまま長女とともに見てもらうことを考えた。

処置が一段落した23時頃と処置が終了した3時すぎに状況の説明を受けた。
執刀医は深刻な表情で、命は危機に瀕しており、いつ何があってもわからないこと、助かっても重度の障害が残る可能性が高いことを説明されたと思う。
が、あまりにも唐突な展開に現実感がなく、あまり頭に入ってこなかった。
振り返っても、この日の説明に対して何を質問したかは思い出せない。「このようなこととなり申し訳ございません」と謝罪された印象が残っている。
その日は家族控室にそのまま滞在した。

何か悪いことをした報いなのだろうかと原因を考えても、答えは見つからない。
ここまでの道のりでこの状況を回避する方法がなかったかを考えても、回避できる方法はほとんどなかったと思うが、こうなるしかなかったとも思えない。
そうちゃんの魂が体を抜け出していれば、見たり接触できないかと思って感覚を研ぎ澄ませたりした。
また、神のような存在に向かって、「命だけは助けてください」と命乞いをした。
自分の命はもちろん、これまで自分を支えてきた(最近、週末に子どもとの時間を作れなかった原因でもある)趣味など、差し出せるものは躊躇なく差し出して祈った。

そうちゃんがパパっ子で、髪質が自分に似ていることもあって分身のようだと言われてきたことも大きいかもしれないが、子どもの命のためにだったら何でもできると、底無しの愛情が沸き上がってきたことは嬉しい驚きでもあった。

そうちゃんと一緒に歩んでから9年数ヶ月。このような状況に直面して、自分の人生にかけがえのない存在となっていたことを痛感した。

そうちゃんには乗り越えなければならないハードルだと説明したが、事前に死ぬリスクについてしっかりと伝えることはできなかった。死地へ向かわせてしまったのは、我々親ではないか。とはいえ、子の将来を思う親であれば手術を選択するはずだし、子どもに余計な心配をかけるリスクなど説明しないだろう。
ぐるぐると思考が回り続け、一睡もできなかった。