医療事故で子どもを亡くした親にとって、そのカルテは子どもの最期までの様子を知ることのできる大切な記録のひとつだと思う。どこまで見たいと思うかは、人それぞれだろう。

入院期間が長くなれば記録は膨大になる。家族にとっては意味を見出しにくい投薬指示や事務的な記録もたくさんある。

それでも、その中に僅かながら、交わした会話や、その日の様子を見た看護師さんの言葉が残されていることがある。そういう記録には、日記のようなところもある。

だから私は、そうちゃんと過ごした日々について残っているものなら、できることなら全部手元に置いておいても良いと思う。

 

数か月前、病院から、死亡時に行われたAiの記録を開示できると案内をいただき、あらためてカルテ開示を申し立てた。

死亡時のAiだけでなく、以前の開示以降に撮影されたCT画像や、2025年12月半ばから亡くなるまでの診療経過記録なども申請した。

病院からすれば、最終的な死亡原因についても何か疑っているのではないかと思われたかもしれない。

死亡後にカンファレンスが行われているのであれば、その記録を見てみたいという気持ちもあったが、その申立てについては、それ以上に、そうちゃんの記録をひとつでも多く手元に残しておきたいという思いが大きかった。本当は、誕生日の頃なども欲しかったのだが、ほかにも開示をお願いしたい資料があり、事務局の方々の作業も増えると思って、今回はそこまでは求めなかった。

そうちゃんが最も長くお世話になったHCUでの最後の時期の記録を、今回初めて手にした。

長い間お世話になっていたのに、看護師さんのお名前の漢字を初めて知った方もいた。

看護記録を読んでいると、同じ形式の記録でも、言葉の選び方や本人の様子の捉え方に、それぞれの看護師さんの個性が感じられる。

そうちゃんを長く見守ってくださったHCUの皆様に、あらためて感謝する思いになった。

 

この日、開示された資料のうち、画像データだけはまだきちんと見ていなかったことを思い出した。

死亡時に撮影された画像が入っていることを考えると、なかなか気持ちの整理がつかず、CD-Rを開くところまでたどり着けずにいたものだが、勇気を出して確認してみることにした。

 

死亡時AiはCTの膨大な連続画像で、医学の知識のない私が見ても、ほとんど分からなかった。

結局、手術から二年以上が経過した死亡時の画像より、もっと以前に撮影されたCTのほうが重要なのではないか。

CD-Rには、2024年4月、同年6月、2025年5月、そして2026年1月の画像が入っていた。

順番に見比べていく中、そこで気づいた。

そうちゃんのおでこの骨の欠損部分が、少しずつ変わっている。

 

2024年4月。

この頃は、副鼻腔炎による膿がおでこの中央から少し左側に抜け、骨と皮膚を突き破り、髄液漏まで起きていた時期だった。

画像上で私なりにおおよその大きさを測ってみると、大きな穴が縦2cm×横1.9cm。

その少し右側にも、縦0.9cm、横1.3cmほどの穴があるように見えた。

二つの間に残っている骨は、僅か3mm程度しかない。

当時この画像を見て、このまま二つの穴がつながって、おでこの中央から骨がなくなってしまうのではないか。そんな恐怖を感じたことを覚えている。

 

ところが、2024年6月の画像では、右側の小さい方の穴が明らかに小さくなっているように見えた。画面上で概算すると、縦0.5cm、横1.2cmほどだった。

この頃、病状説明の際に病院のPC画面でCTを見せてもらい、「少し小さくなったのかな」と感じた記憶があったが、今回、時期の違う画像を並べてみると、その変化がはっきり分かった。

 

さらに2025年5月。

右側の穴は、中央にかなり凹みが残っているものの、画像上ではほぼ塞がっているように見える。左側の大きな穴も、約1.6cm×1.2cm程度まで小さくなっていた。

 

そして2026年1月。

残っている穴は、約1.2cm×1cmほどに見えた。

 

もちろん、これは私がCD-R上の画像を見比べ、おおよそで計測したものにすぎないが、おでこの骨の欠損部分は、時間とともに確実に小さくなっていることが見て取れた。

そうちゃんは、いろいろな病状が少しずつ悪くなっていく中で、それでも長い間頑張り続けていた。その中で、おでこの骨だけは最後までずっと少しずつ良い方向へ向かっていた。

そのことが嬉しくて、そうちゃん自身の頑張りに、あらためて感謝した。

そして、そうちゃんのために祈り、ヒーリングを続けてくださった方々のことも思い出し、改めてありがたく感じた。

 

その画像を見つけたとき、最近感じていたもう一つのことを思い出した。

以前、3年半ぶりに帰省した記事で、姉にタロット占いをしてもらったことを少し書いた。

実は、あの話には続きがある。

「そうちゃんは、ちゃんと向こうへ行けているのかな」

そんなことも占ってもらった。

 

出たカードは「ソードの2」。

姉が使っているカードでは、目隠しをした鳥が二本の剣を持っている絵柄になっている。

絵柄が鳥を使ったカードのため鳥そのものに意味があるわけではないが、姉の読み方では、そのカードは均衡を意味し、「まだ向こうへ行っていない」と解釈できるという。

 

もちろんタロットなので、1回やってみた、たまたま出た1枚の意味を全て正しいとみることも私にはできないのだが、その結果が頭から離れない。

そうちゃんが亡くなって、もう半年近くになる。(この日記の日付で)

ミディアムシップのデモンストレーションでも、今のところ、そうちゃんは出てきてくれたことはない。

 

私は、そうちゃんはきっと高貴な魂だし、亡くなるまでに長い時間があったのだから、祖父母やご先祖様に導かれて、早くにちゃんと天国に行ったのだろうと思っていた。

そう思うことで安心していたところもある。

 

でも、もしまだこちらを気にして自宅などを彷徨っているのだとしたら。

彼なりに、やり残したと思っていることがあるのだろうか。

私たち両親が、なかなか立ち直れずにいることを心配しているのだろうか。

二人とも、以前より気持ちが大きく落ち込むことが増えたのは確かだった。

あるいは、自分が残してしまった大きな課題の行方が、気になっているのかもしれない。


最近、耳鳴りがしたり、ここには詳しく書けないような不思議な感覚を覚えたりすることがある。

以前にも書いたことがあったが、これまで全く気づいていなかったことに突然気づくことがある。

「あの時のこれは、こういうことだったんだよ」

そうちゃんにそう教えられたように感じる瞬間がある。

何かを見つけるために必要なボタンを、そうちゃんがそっと押してくれて正解に導いてくれている。

私には、そんなふうに感じられることがある。


今回、しばらく見ることができなかったCD-Rを開いて、2年弱の期間のCT画像を並べて、おでこの骨の変化に気づいたことも、その一つなのかもしれない。

 

もちろん、早く安心して天国へ行ってほしい。

それが一番の願いだ。

でも、そうちゃんとは、生きている頃からずっと、「一緒に頑張ろう」と言って励まし合ってきた。

だから時々、こう話しかけてみる。

 

好奇心旺盛で、やさしい君だから。

まだ気になることがあるのなら、気の済むまで見ていってもいいよ。

 

この日は、以前ヒーリングの講座を受講させていただいた先生が、月に2回オンラインで開催しているトランス練習会とサンデーサービスに参加した。

 

そうちゃんが亡くなってから、一時はヒーリングを続ける目的を見失いそうになった。

毎週ほかの曜日に行われているヒーリングサービスについては、今の自分がヒーラーとして参加するのは遠慮したほうがよいように思い、参加しなくなった。

それでも、「一家に一人はヒーラーがいたほうがよい」という話には今も同感していて、霊的な世界とのつながりと自分が感じている感覚を維持し、できればもう少し深めたいという興味も残っている。

そのため、この月2回の機会だけは貴重なものとして、できる限り参加したいと思っている。

 

スピリチュアルヒーリングについては、このブログでも概要を書いたことがある。しかし、実際の講座や練習会でどのようなことをしているのかは、結局ほとんど書いてこなかった。

どれほど興味のある方がいるかは分からないが、今回は参考までに書いてみようと思う。

 

そうちゃんに約2年間、日々寄り添いながらヒーリングを続けてきた経験もあり、スピリチュアルヒーリングそのものは、今ではそれほど困難なく行えるようになったと自分では思っている。

もちろん、これはあくまで私自身の感覚である。科学的な根拠は全くなく、実際にどれほどの効果があるのかは分からない。

 

自分が行っていることをあえて言葉にするならば、まずグレートスピリットや霊界に向けて感謝を捧げる。呼吸を深くし、思考の位置を意識的に頭上へ動かすようなイメージを持ち、何かとつながる感覚を待つ。

その感覚が得られたら、誰に、どのくらいの時間、ヒーリングを送るのかという意図を上げて開始する。

練習会では、ハリー・エドワーズ霊に支援を求めるよう教えられている。ただ、私は少し欲張って、ほかの数名の霊にも支援をお願いする意図を上げている。

 

今回の練習会で行う「トランス」は、通常のヒーリングよりさらに深い状態に入り、より効果的なヒーリングを行おうとするものだ。

その過程では、スピリットガイド(ドクター)に、自分のオーラの中へ入ることを許可する。そして、自分自身の意識をできるだけ小さくし、深いところへ沈めていくようにイメージする。

より直接的に霊界の癒しのエネルギーを取り入れることで、ヒーリングの効果を高めるということなのだと思う。

ちなみに、深く入っている時に大きな音がすると、ものすごく驚く。

 

私個人の感覚で説明すると、通常のスピリチュアルヒーリングは繊細で軽い印象があるのに対し、トランスヒーリングでは、もっと重く、力強い波動のようなものを感じることがある。

それが感じられない時に、そもそもトランスに入れていないのかどうかは分からない。ただ、自分の中では、その重さや力強さを、うまくできているかどうかの一つの目安にしている。

正直なところ、最近はその感覚を得られないことのほうが多い。

毎日ヒーリングをしていた頃に比べれば、感覚が鈍くなってしまうのも、ある程度は仕方がないのかもしれない。

 

練習会は1時間ほどで行われる。

最初の20分から30分ほどは、アチューンメントを行い、トランス状態に入って、その状態を維持する。

その後、先生がその日の参加人数などに応じてブレイクアウトルームを作り、ペアやチームに分かれて、お互いにトランスヒーリングをしあって感想をフィードバックし合う。

 

最近は私のような初心者が増えたためか、トランスヒーリングが中心となることが多い。これは私にとってはありがたい。

少し前までは、トランス状態でのスピーキングやアドレス、ライティングなどができる人は、それを行ってよいとの指示が出ることがあった。本人がほとんど覚えていないような状態で霊の言葉を代弁したり、書き取ったりするものらしいが、私には全くできない。

スピーキングをするよう指示された時には、できるだけ直観を優先し、頭に浮かんだ言葉を話すようにしている。

しかし、まともな言葉になるように、自分の思考もかなり働かせてしまっている。

そういう意味では、私が入っているトランス状態は、まだまだ浅いのだろうと思う。

 

この日も、アチューンメントではすぐにつながる感覚が得られた。

この会でのつながりやすさは、一人で行う時とは比べものにならない。

ただつながっているだけではもったいないと思い、途中からセルフヒーリングを始めたのだが、なかなか終了の合図がない。

そのまま良い気持ちで瞑想を続けていたが、さすがに長すぎないかと思って画面を見ると、接続が切れていて、40分経過していた。

慌てて接続し直すと、先生から、一人の病気の方にヒーリングを送りながら、悪いところを感じてみるようにとの指示があった。

 

悪いところを当てる練習は、これまでも時々あった。

他の方はヒーリングのエネルギーがどこに入っていくかで分かると言っていたりするが、私はそこまでの感覚はないので、このような時、二択を繰り返して正解を絞っていく方法を使っている。

便宜的に、これを「蝉丸方式」と呼びたい。

 

私には一つ、昔から気になっている体験がある。

中学生の頃、百人一首大会の時期に、友人たちと「蝉丸ゲーム」と勝手に名付けた遊びをしていた。これは、百人一首の人物札をすべて裏返し、その中から蝉丸の札を引かないようにして最後まで残したら勝ちというゲームである。今で言えば、いわゆる超能力遊びなのかもしれない。

 

このゲームに友人たちと夢中になり、やがて私たちは、蝉丸を引かないようにするために、左右に1枚ずつカードを並べ、それぞれのカードから感じる熱のようなものを、右手と左手で比べ、より怪しさを感じなかったほうを開いて除外していく。

もちろん、カードには見た目で分かる違いなどないのだが(少なくとも自分にはわからなかった)、私だけでなくM君やC君も、何度も残り数枚程度まで絞り込むことができ、そして数回は成功もあった。

 

カード固有のエネルギーのようなものがあるのか、それとも全く別の仕組みなのかは分からない。

ただ、なぜか最後のほうまでよく残るカードがあり、不思議に思っていた記憶がある。

 

この日も、その蝉丸方式で感じてみることにした。

まず、上半身のほうだと感じた。

すると、すぐに「メンタル」という言葉が浮かんだ。

しかし、メンタルかフィジカルかというのでは、あまりにも大ざっぱすぎるし、最初に浮かんだ言葉をそのまま信用することもできなかった。

そこで、改めて身体のどのあたりかを丁寧に感じていくと、胸より上という印象があった。

さらに探ると、やはり精神面に関わるような感じがする。

加えて、首から上、特に頭部にも、少し疲労のようなものがあるように感じられた。

 

ヒーリングが終わると、参加者が順番に、自分の感じたことを話していく。

最後に先生が答えを伝えるという流れだった。

自分の番が回ってくるまでに、5人ほどが発言しただろうか、皆がおおむね悪いところを言い当てられていた。

 

以前、同じようにヒーリングを送り、最後に感覚を共有した際、先に話した人の言葉に引きずられてしまったことがある。その時は、自分が最初に感じたことをそのまま言ったほうが、むしろ当たっていた。

その反省があったので、この日は、他の人の発言なども気にせず、自分が感じたままを伝えることにした。

 

胸より上に問題を感じたこと。

特に、メンタル面の問題を強く感じたこと。

頭部にも疲れのようなものを感じたこと。

そう話すと、先生から、「この方は、まさにメンタル疾患の方です」との説明があった。

 

インスピレーションを受け取る力が自分にもあること。あるいは、そもそもインスピレーションと呼べるものが存在すること。それらを、また少し前向きに考えられる体験となった。

しかし同時に、感覚でしか測れず、言葉でも十分に説明できないことへの、もどかしさや疑念は消えない。

 

あの時、最初に「メンタル」と浮かんだ、あの感じは何だったのだろうか。

自分自身の思考と、外から来たインスピレーションを、どのように見分ければよいのだろう。

次に同じことをしても、今度は全くうまくいかないのではないかとも思う。

中学生の頃の蝉丸ゲームでも、霊界から何らかのインスピレーションが届いていたのだろうか。

 

魂や霊界の存在について、私はこれまでの経験から肯定する方向に天秤を傾けている。

しかし、それは100%の傾きにはならないまま変わらずにいる。

 

練習会を終えた後は、そのまま引き続き行われたサンデーサービスに参加した。

参加者や、ヒーリングを希望するリストに掲載された方々、そして家族に向けて。

皆でヒーリングに奉仕し、この日の会は終了した。

 

本格的なGW初日、私の両親が住む山口に帰省することとなった。

そうちゃんのことがあって以来、遠方への移動はできなくなっていた。また、それ以前も、長期休みに手術が入ることを希望していて、いつ病院から「手術ができます」と連絡が来るかわからなかったため、なかなか旅行の予定を立てられずにいた。

そのため、家族にとっては実に3年半ぶり、長女にとっては初めてとなる泊まりがけの旅行である。

 

久しぶりすぎて、まず新幹線のチケットの取り方から戸惑った。

行きの新幹線を予約する際、最初は特急券のみで予約したのだが、往復割引がなくなっていること、回数券もなくなって金券ショップで格安の乗車券を買うという昔ながらの方法が使えなくなっていることを知り、かなり混乱した。

もはや、乗車券と特急券を分けて買う意味はほとんどないのではないかと思う。

行きは「えきねっと」で予約したが、パスワードを入力してもログインできず、パスワードを変更してもダメだったので何度も繰り返す状況となり、今は「スマートEX」というチケットレスの予約システムもあることを知り、復路はそちらを使って乗車券と特急券を同時に購入した。それをきっかけに、なかなか作れずにいた次男用のSuicaも作ることができた。

 

GW初日ということもあり、予約を取るのも一苦労だった。希望の時間は取れず、行きはお昼近い時間の新幹線を選ぶしかなかった。

 

ただ、結果的には余裕のある時間設定でよかったのかもしれない。子連れ移動では、余裕がそのまま安心につながる。

実際、出発直前から予定どおりにはいかなかった。

 

出発の前に、長女が私の枕に入っていたビーズをリビングにぶちまけてしまい、家族全員で片づけることになった。その時点で少し出発が遅れた。

 

ようやく家を出ると、今日に限って引っ越し業者が大きな荷物をエレベーターに入れている(無人であることに戸惑う。そんなやり方普通してましたっけ)。妻と次男は階段で下りることにした。

 

さらに階段を下りたところで、最後に玄関の扉を閉めた妻が「鍵を閉めたか不安」と言い出し、妻は確認のために戻ることになった。戻ったら戻ったで、またエレベーターが使えず、別のエレベーターから下りてくることとなり、さらに少し遅れた。

 

駅に着くと、パン屋も行列だった。それでも子どもたち用のパンは必要なので並んで買ったが、その分時間がなくなり、大人の弁当は東京駅で買うことにして電車に乗った。

 

カレンダーどおりで5連休となるGW初日だったためか、10時半頃の上り電車は混んでいた。

乗り込む時は何とか入れたので長女をバギーに乗せたまま乗り込んだものの、途中駅でも乗客は増える一方で、押しつぶされるような状態になってしまった。奥に入り込んだ妻は途中で座れたようだが、電車で酔ってしまったほどだった。次男も電車酔いが心配だったが、片足で立つような状態になりながら、よく頑張っていた。

 

そして東京駅で、押し出されるように降りようとしたところで、思わぬ事件が起きた。

長女の右足の靴が、ホームと電車のわずかな隙間から線路に落ちてしまったのである。

本当に、吸い込まれるように消えた。

 

電車が行った後に覗き込むと、靴はすぐに確認できる場所に落ちていた。しかし、GW初日の交通に迷惑をかけるわけにはいかないため、自分で線路に降りて拾うわけにはいかない。すぐ近くにいた駅員さんに声をかけると、駅員さんは了解して、ホームの反対側へ行ってしまった。

 

東京駅での乗り換え時間は35分。余裕を見ていたはずだった。

しかし、駅員さんはなかなか戻ってこない。

しびれを切らしてホームの反対側まで行き、改めてお願いすると、次に電車間隔が空くタイミングで対応するとのことだった。結局、靴の回収だけで15分ほどロスしてしまった。

 

そこから大人用の弁当を買って、新幹線に乗るだけのはずだったが、新幹線口までの通路も大混雑で、ゆっくりしか進めない。

東海道新幹線の改札を通過した時点で、すでに発車4分前になってしまった。

 

弁当は買えなかった。

 

何とかギリギリで新幹線に駆け込むことができたが、GW初日を少し甘く見ていたのかもしれない。それにしても、なぜこんなところで靴を落とすのか。しかも、あのわずかな隙間に入るタイミングで、と思うが仕方がない。

東京駅で買う弁当は毎回の帰省時に概ね決めたものがあり、楽しみにしていた分、ショックは大きかった。

 

新幹線に乗ると、長女がすぐにパンを食べたがり、子どもたち用に買っておいたパンを出して、大人は手元にあったお菓子を食べることになったが、出発して間もなく、ほぼ食べ尽くしてしまった。繁忙期には全席指定になった状況でも、昔のような車内販売は行われていない。こんな時こそ、あってほしいサービスだった。

 

次男は最初に少し寝たこともあり、岡山までは塗り絵をしたり、アニメを見たりして、比較的順調に過ごしていたが、もう大丈夫だと油断をしてSwitchのゲームをしたところ、酔ってしまった。新山口のホームに降りても気持ち悪さはやまず、しばらく休むことになった。

そこからバス停まで移動し、バスに乗った。バスでは、最後の10分ほどでようやく長女が寝た。私も次男も、30分くらいは眠れただろうか。

バス停には私の父が待っていてくれて、そこからはスムーズに実家へ到着した。

到着して甘味をいただき、ようやく落ち着くことができた。

 

先に送っていたお土産を仏壇に供えると、そこにはそうちゃんの戒名が書かれていた。そうちゃんも一緒に祀ってくれていることをありがたく思いつつ、おりんを鳴らして手を合わせた。

 

山口に帰ってきたのは約4年ぶりで、その時はそうちゃんもいた。長女が生まれる少し前のことだ。そうちゃんは次男の出産時に一時預かってもらったこともあって、私の両親も初孫であったそうちゃんとは思い出が多く、残念だろう。

リビングには幼い頃のそうちゃんの写真が拡大印刷されて飾ってあったものだが、気を遣って片付けてくれていた。

 

そんな感じで、ここでもそうちゃんがいなくなったことを様々なものから感じた。これは、帰省先での特別なことではなく、日常生活の中で延々と繰り返されてるお約束のようなものだが、その度に心が傷ついたり、穴が開いてしまうかのようだ。

そうちゃんは魂の存在となって、一緒に旅行して、一緒に帰省したと思っていたはずなのだが…。

 

その後、一足先に到着していた姉と一緒に、祖父の家の敷地内でさくらんぼ狩りをした。

それから、お隣の叔母家族の家にお土産を持っていくと、家に入れてくれて、久しぶりにゆっくり話をすることができた。

 

夕食後。母がそうちゃん用に昔買ってくれたシャンプーハットを、長女用に用意してくれていた。そうちゃんが使っていたものを今度は長女が使う。そうちゃんはもう使う年ではなかったから、それには喪失感はなく、嬉しい気持ちになる。

長女にシャンプーハットを被せると、長い髪が見えなくなるからか、そうちゃんに似すぎていて笑ってしまった。

 

夜になると、長女の足や手に発疹が出てきた。ワームやキンカンを塗って対処しようとしたが、夜中も何度もかゆみを訴えて泣き出し、私も妻もよく眠れなかった。

そういえば、新幹線に乗っている時から、かゆみを訴えることがあった。もしかすると、電車の中で一度靴を脱いでしまい、脱げやすい状態になっていたのも、そのかゆみのせいだったのかもしれない。

隣の部屋を寝室にしていた姉は、長女の泣き声でほとんど眠れなかったという。申し訳ない。

 

翌日は午前中に、長女の塗り薬を買いに最寄りのドラッグストアへ行ったが、雨天だったため、基本的には家の中で過ごした。

風が強く、表に植えてある紅葉の木の枝が折れてしまった。

 

家では、私が小さかった頃のアルバムを見ながら昔話をした。

2階の書斎に小学校の文集があったのでそれも読んでみると、ランドセルを忘れて登校した失敗談をユーモラスに展開させる親友の文集を読んで改めて頭の良さに気付かされたり、自分の文集には、今となっては完全に忘れていたことが書かれていて驚きの発見があった。文章はひどいもので、読書感想文を書かせてコメントやアドバイスをしている次男に対してちょっと言い過ぎていたかなと申し訳なく思ったが、その時にしか書けない素直さがあって、大人になってから読むとそれはそれで価値のあるものだと感じた。

 

それから、姉にタロット占いをしてもらった。姉は少し前からタロット占いができるようになっていて、機会があれば気分転換と好奇心で占ってもらっている。

この日は、一番気になっていることの今後の展望について聞いてみると、

現在の状況として「ペンタクルスの8」

結果として「ソードの7(逆位置)」

助言として「ワンドのナイト」

が出た。

 

姉によるカードの解釈を聞くと、今の状況や自分が感じていることに重なる部分が多く、納得できる内容で、偶然とは思えないようなカードの並びに、不思議なものを感じた。

 

3年半ぶりの家族旅行は、楽しいだけの旅行ではなかった。

移動は大変で、靴は落ちるし、弁当は買えないし、子どもは酔うし、長女は夜中にかゆみで泣いた。

しかし、そうちゃんを喪った家族が歩みを進める一歩になったのではないかと思う。

 

そうちゃんが旅立ってから42日ほど経った、3月上旬の夕方。

 

この日、そうちゃんが通っていた小学校から、校長先生、教頭先生お二人、そして2年生から5年生までの担任の先生方、計6名が弔問に来てくださった。 祭壇には前日に友人から届いた黄色や紫色を中心とした生花を飾っていたが、この日は学校からもピンクと白の花を中心にした大きなアレンジメントをいただいた。

祭壇の周りがさらに華やかになり、部屋の空気まで少し柔らかくなった気がした。

事故当時、3年生の担任をされていた先生は、焼香の前から涙をこらえきれない様子だった。校長先生も目を潤ませておられた。 そうちゃんのことを今もそれだけ大切に思ってくださっていることが伝わってきて、胸に響いた。

 

皆さんに焼香していただいたあと、リビングに用意した席へ案内した。

これまでの経緯や、闘病中のそうちゃんの頑張り、自宅への一時外泊ができたこと、その限られた時間が家族にとってどれほど大切だったかなどを簡潔にお話しした。

校長先生からは、ご家族にとても愛されていたことが伝わってくることや、学校でもたくさんの子どもたちに愛されていたこと、できることなら今の5年生のみんなと一緒に卒業し、中学校へ進んでほしかったといった温かい言葉をいただいた。

また、担任の先生からは、これまで学校で預かってくださっていたそうちゃんの資料一式を受け取った。

 

その後、リビングで流していたそうちゃんを撮影した写真のスライドショーを一緒に見ながら、少しだけ思い出話をした。

以前、一時外泊の際に先生方が来てくださった時には、スマホ写真のHEIC形式を古い機械が読み込めず、最近の写真を映すことができなかったのだが、今回はあらかじめJPG形式に変換しておいたので、入院中の様子や、自宅で過ごした最近の写真も見ていただくことができた。

バギーに乗ったそうちゃんの姿を見て、背が伸びましたね、という声があがる。

また、いつも一緒だったシャチとクジラのぬいぐるみ(チッチとクロ)を見た校長先生からお魚が好きだったのかと聞かれ、水族館によく遊びに行っていたことや、海の生き物が好きだったことを話した。

そして、リビングに飾っていたそうちゃんの絵も見ていただいた。教頭先生がその絵をすごく上手ですねと褒めてくださると、3年生の担任の先生がすぐに、「学年代表です。総合展にも行きました。」と誇らしげに補足してくださった。そうちゃんが学校で過ごしてきた時間が、先生方の中にもちゃんと残っていることを感じた。

 

話の終盤には、教頭先生からクラスメイトたちへの伝え方についてのお話もあった。 学校では、生徒への心理的影響やご家庭ごとの受け止め方にも配慮しながら、ケースごとに慎重に対応しているとのことで、場合によっては亡くなったことを伝えない選択をすることもあるという。

確かに、小学生にとって死は重く、受け止め方もそれぞれだ。学校として慎重になるのは自然なことなのだろう。

 

ただ、我が家の場合は、次男が同じ小学校に通っており、そうちゃんの同級生たちとも小さい頃から交流があった。事故後には、次男が友達からそうちゃんのことを聞かれることもあったという。

年度末も近づいていたこともあり、友達やこれまで関わってくれた子どもたちには、きちんと伝えたいという思いがあった。何より、そうちゃん自身の立場で考えた時、ただ何となく忘れられていくよりも、これまで寄せ書きやビデオメッセージ、千羽鶴などで支えてくれた同級生たちへ、家族として感謝を伝えることには意味があるように思えた。

 

そのため、両親からの手紙を学校で代読していただく方向でお願いすることになった。ただ、年度末の時期に伝えるとそのまま春休みに入ってしまい、生徒たちへの心のケアが十分にできない可能性があるとのことで、そのため、新年度が始まり、学校生活が少し落ち着いた頃に伝えていただくこととなった。

私たちは、新年度最初のクラス分けの時点でそうちゃんの名前がないことから、子どもたちに伝わってしまうのではないかと思っていたのだが、学校側から、伝達の日まではこれまで通りの形を保てるよう、クラス分け名簿にもそうちゃんの名前を載せ、クラスでもこれまでと同じ対応をしてくださるという。形だけだったとしても、その配慮は本当にありがたかった。

 

先生方は30分ほど滞在されただろうか。最後は校長先生が長居してしまってすみませんと声をかけられ、この日は散会となった。

 

その後も、先生方は新年度の異動(校長と教頭1名はご異動された)を挟みながら、さらに何度も足を運んでくださった。メールでも丁寧に連絡をくださり、学年全体への伝達についても最後まで真摯に対応していただいた。

今回の出来事に、学校側が関係しているわけではない。それでも、ここまで心を寄せ、丁寧に向き合っていただけたことに、驚きと深い感謝を感じている。

 

後ほど、担任の先生から受け取った資料を改めて確認した。

そこには、そうちゃん自身が名前や絵を書いたファイル、作品バッグ、健康カードなどが入っていた。

 

その中に、「夢を育てていこう キャリア・パスポート」と書かれたファイルがあった。

1年生の頃から、自分の似顔絵、好きなこと、できるようになったこと、その年の目標、将来の夢。運動会や学期の終わりごとの振り返りなども含め、少しずつ積み重ねられていた。

6年生まで綴じられるようになっていたそのファイルは、3年生の秋で止まっていた。その先に続くはずだったページの余白を見つめながら、やりきれない気持ちになった。

 

さらに時が過ぎ、GW明け(106旅日)。

学校では6年生全体を集め、校長先生から私たち両親の手紙を代読していただいた。

手紙には、闘病中にいただいた支援への感謝、逝去の報告、学校生活の思い出、同級生たちへの感謝とエールを綴っていた。

約1週間後に届いた教頭先生からのメールには、突然のことで皆驚き、思わず涙を流す児童もいたが、手紙の代読を聞く中で、そうちゃんに思いをはせ、真剣に黙禱する姿があったこと、今のところ変わりなく過ごしている様子であることが書かれていた。

 

無事にステップを踏めて良かった。

また一つ、心残りを減らすことができたのではないかと思う。

 

そうちゃんの祭壇は、自宅に帰って来た日の夜に、使っていなかった小さなテーブルを出して仮位牌、遺影、骨壺、生花を乗せ、暫定的にこしらえていた。

しかし、手を合わせることはできても、お線香もなければチーンと鳴らすこともできず、次第に仏具の必要性を感じ始めた。

 

この日、義父が妻の実家から持ち帰るのを後回しにしていた荷物と会葬御礼品の残りを運んでくれた。そんな話をしたところ、高速道路の出口から自宅までの間の道に仏具店があったとのことで、早速行ってみることになった。

 

とりあえず必要なのは、火立(ローソク立て)、線香差し、香炉(火災予防のため横に寝かせる皿タイプが良いと思った)、そして、おりん(チーンと鳴らすもの)だ。

ローソクやお線香自体は100円ショップにもある。

 

店内に入ってすぐ左手に、お目当ての小物仏具が置かれたスペースがあり、手に取ってみたり鳴らしてみたりしたのだが、展示されている種類は多くなかった。

 

改めて店内を見渡すと、ほとんどのエリアに立派な仏壇が置かれている。

そこに店員がやってきて我々に状況を聞き、「仏壇がないなら、まずは仏壇が必要ですね」と、モダンなものを中心に案内を始めてくれた。

 

仏壇はもちろん、あるに越したことはないのだろう。しかし、それほど広くもない借り家暮らしに仏壇を置くスペースは想像できない。

床置きではなく、箪笥などの上に置けるコンパクトなタイプもあるが、家の中でボール遊びをすることのある子どもたちが落下させるシーンが想像され、地震のリスクもある。そして何より、予算的にも想定外のお値段となっている。

 

「とりあえずどんなものがあるか見に来ただけ」という我々の消極的な態度を受けて、店員も無理に勧めずに戻っていった。

 

お店を回っていると位牌のコーナーもあったが、多くが5万円以上するお値段で、一般的な相場を知り少し驚いた。

 

結局、店内を一周して、最初に見た小物仏具が置かれたスペースに戻ってくる。現代では手元供養やコンパクトな祭壇を望む人も多いはずなので、この小物スペースをもっと充実させて選択肢を増やせば良いのではないかと感じた。

そして、ネットでも販売されているだろうと思ってスマホで検索すると、安価で豊富な品揃えが確認できたので、自宅に戻ってゆっくり検討することとした。

 

なお、おりんについては、個人的にはコロンとした丸いフォルムの『たまゆらりん』の音が好みだった。

しかし、小さな子どもたちが遊んで「りん棒」が紛失してしまうことがないよう、りん棒を本体の穴に立てて置ける、さくらんぼのような形の『チェリン』という商品を選んだ。こちらも綺麗な音がする。

 

何も買わずにお店を出ることにはなったが、仏具店でそれぞれのおりんの実際の音を確認できたのはありがたかったし、一般的な仏壇や本位牌の金額相場を知ることができ、とても勉強になった。

 

後日、ネットで注文した仏具が届き、ようやく、手を合わせるための形が整った。