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Mostly KOICHIRO チームのブログ

「原田幸一郎先生のコンサート、生徒たちで集まってやりたくない?」という、
NYの道端での立ち話から始まったこの企画、沢山の方のお力添えを得て、
ついに2014年1月31日に紀尾井ホールにて第一回を開催できることになりました。
皆さんのお越しをお待ちしております!

新年明けましておめでとうございます。南紫音です。

この度Mostly Koichiroにて演奏させていただくこととなり、大変嬉しく思っております!

実行委員の高橋君からもうずいぶん前からブログに載せる記事を頼まれていたのですが、何か面白い内容を、というのがずっとネックになっていまして…(笑)先輩方の爆笑記事を読んでいるとますます書きづらくなり…結局今となってしまいました。。

私は11歳の時から原田先生にご指導いただいておりまして、エピソードやいただいたお言葉は数知れず、中にはこんなこと書いても良いのかしら…?と思ってしまうものもあり、懐かしく先生にお世話になった十数年間の事を思い返しておりました。

私が初めて原田門下のおさらい会で弾かせていただいた時、門下生の演奏のレヴェルの高さにももちろん驚きましたが、前の記事をお読みになったらお分かりになるように個性的で面白い方がたくさんいて、なんといっても懇親会の面白さは本当に衝撃的でした!

来月の演奏会も、皆さん舞台の上で演奏している真剣な表情からは想像できない舞台裏になりそうで、そちらもちょっと楽しみです 。


今回演奏させていただくピアソラはまだまだ弾かれる機会は少ない曲ですが、初めて聞いた時からいつか絶対に弾いてみたい!と思っていましたので今回このような素晴らしいメンバーの皆様と演奏させていただくこと、本当に嬉しく思っております。ピアソラのカラーの中にヴィヴァルディの四季のメロディが時々顔をのぞかせる、ユーモア溢れる曲です。
そして何よりも楽しみなのが先生方のクァルテット!先生の演奏の素晴らしいことといったら!!

このような豪華な演奏会、是非たくさんのお客さまに楽しんでいただきたいと思っております

本年皆様にとって素晴らしい一年となりますようお祈り申し上げます。

そして今月紀尾井ホールでお会いできますことを楽しみにしております。


南紫音



ロン・ティボーコンクールの後先生と 2005年

残すところ今年もあと一日、コンサートもあと一月後に迫ってまいりました。たくさんの皆様のご協力を得て、この企画がここまで進んで来たことを感謝いたします。困難を極めたピアソラの楽譜入手でしたが、アスペン安本翔さんの尽力で解決し、楽譜のメンバーへの送付は青木調さんをはじめN響の方々に手配して頂きました。どんな響きがするのか、目前に迫ったコンサートに出演者一同盛り上がってきております。

一月に入ると、新聞、雑誌への掲載、代官山蔦屋にて出演メンバーによるコンサートなど様々なイベントが目白押しです。このブログでも順次ご紹介していきます。

残席がまだまだ多数ございます。ブログ読者の皆様もぜひご来場ください。大勢のお客様の前で精一杯の演奏をしたいと思います。ぜひ皆様お誘い合わせの上、
131()紀尾井ホールにいらして下さい。お会いできるのを楽しみにしております。


チケットの購入ご希望の方は、こちらにお問い合わせください。

株式会社アスペン 03-5467-0081 www.aspen.jp
チケットぴあ 0570-02-9999
紀尾井ホールチケットセンター 03-3237-0061
イープラス http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010163P0108P002108840P0050001P006001P0030001

こんにちは、ヴィオラの杉田恵理です。

今回Mostly Koichiroに出させていただけることになり、本当に嬉しく、とても楽しみにしています。

むねくんから、面白めの記事をお願いと言われました。
ブログを書くのが始めてなので、どうなるかわかりませんが、書いてみます。


私は原田先生に高校2年から大学卒業までお世話になりました。
先生のクラスにはすごく才能があり、本当に上手な人がたくさん集結していたので、ものすごく刺激的でした。
そして、そんなすごい状況の中でも少しでも上手くなれるように、先生は常に私に刺激やチャンス、言うならばニンジンを与えてくださいました。
常に目の前にぶら下がってるニンジンを必死に追いかけるような日々だったと思います。
"ひぇ~"と冷や汗をかくこともあるジェットコースターのような刺激的な日々でした。

颯爽とした雰囲気で常に前向きでチャーミングな先生のレッスンは本当に楽しかったです。「うん、いいよ!とってもいい!!」と言ってもらえた時は本当にハッピーになれました。
また、先生が早いボウスピードでポルタメントを入れて弾いて見せてくださる時はミーハー的に「うわーかっこいい!!」となっていました。
常に広い視野で物事を考える先生にこっちも刺激を受け、視野を広げて頂いたと思います。

また、富山の室内楽講座は最高に楽しかったです。
先生には、室内楽の楽しさを教えていただきました。また、早いうちから東京クヮルテットやその他の一流の先生たちにも教えていただけたのは、本当に財産だなと思っています。
富山でのカルテットで毎回ワハハと大笑いしながら(富山では笑いの神様が降臨したように毎回面白いことが続出していました)、リハーサルをして、充実したレッスンが何回もあり、というその期間は本当に特別なものでした。
時には、先生はお茶目に休憩時間私たちのテーブルにきて、「ooちゃんとxx君は付き合ってるんだって?!(先生ワクワク)」と誰よりも早く先生は富山ならではの恋愛劇の最新情報をゲットしていて、「えーそうなんですか!?」と噂話にみんなですごく盛り上がったこともあります。


今自分がカルテットをやっているのも、根底に富山でものすごく楽しかったというのがあるからだと思います。
先生には本当に感謝しています。

今回久しぶりに先生、仲間や先輩方にお会い出来るのをとても楽しみにしています。


杉田恵理


写真はハノーファーにて先生にお会いした時









ネタ切れの今日は、植村君に代わり高橋が爆笑シリーズを書きたいとおもいます。シリーズその②で植村君より「優秀な原田門下の中でも異彩を放っていたw」などと過分なお褒めの言葉を頂いたので、植村君の異彩ぶりについてもご紹介いたします。

例年1月に調布市民会館たづくりで催される原田門下生発表会「フェリーチェの会」。(幸一郎の幸 幸せのイタリア語訳のfeliceに由来してます。) 例年桐朋の受験や卒業試験の直前に開かれる門下の優秀な小学生から大卒の研究生まで40人ほどの演奏する、朝10時から夕方6時までのマラソンコンサートです。(今でもやっているはずです。入場無料。若き駿才の演奏を聴きたい方は1月にぜひいらして下さい。) 桐朋に首尾よく入った正月ボケの男子生徒たちは(とりわけ大学生)辛うじて撃沈をまぬがれ、女子生徒はしっかりと演奏するのが常でした。しかも桐朋のある調布市で寮生活や一人住まいをする女子学生たちは、演奏後ひそかにアパートや寮に戻り洗濯物やスーパーで買い物などをすませてから夕方5時40分ごろに再びホールに駆けつけ、記念撮影と打ち上げのパーティーになに食わぬ顔で参加する要領の良さでした。

忘れもしない植村君の初参加した2002年のフェリーチェの会はたまたま会場予約ができなかったせいか、僕の記憶では唯一の府中の森ウィーンホールでの開催となりました。僕は桐朋の大学2年でしたが、彼は菊里高校3年で受験生。その日三重県から単身上京してバルトークの2番の協奏曲の1楽章を演奏してのデビューは存在感十分でしたが、そのときの彼のステージ上でのいでたちが異彩を放っていました。

学ランでバルトーク。真っ黒の詰襟でした。1952年の話ではありませんよ。2002年です。粋がってたんですね。学生服に身を包んだ姿が、当時の彼の最高の自分像だったのでしょう。素朴なようでいて結構ナルシストでしたから。ご両親はネクタイでも締めて行けときっと反対されたのでは。反抗期丸出し。(ちなみにご両親はこのブログでも紹介した中日新聞の記事に登場されてます。)

打ち上げの際に、幹事のご父兄の方がマイクを持ち植村君に近寄りました。(米田理沙ちゃんのお母さんだった気がします。) まず「はじめして。植村太郎です。三重県から来ました。」などと卒なく自己紹介を済ませたところで、「いつも先生からレッスンでどんなお言葉を頂いていますか?」と質問をされると、先生もいる前で何の躊躇もせずに言ったひとことがこちら。

「先生からいつもシンプルなお言葉頂いてます。」

会場が爆笑につつまれたのは言うまでもありません。まだ学校にも入ってない高校生のくせにこいつはなかなかやるなと惚れました。






前回はなんとびっくりの「早く結婚してほしい」オンパレードでしたが、先生は結婚式がきっとお好きなのですね!真由子ちゃんからは結婚の相談がなかったと、言われました!

神尾「東京クヮルテットを離れられた後の違うメンバーでの彼らの活躍は、嬉しく思っていましたか? それとも、もう離れ時点で自分とは関係ない? 」

原田「離れた当初は、なんだか未練もあったし、彼らの活躍に嫉妬もしたよ。でも、彼らはやはり素晴らしいし、今では嬉しく思っています。どのメンバーとも親しく付き合っています。」

神尾「禎夫先生と室内楽を勉強させていただいた時に、禎夫先生が幸一郎先生のファーストはユニークで、代わりがきかない、時々いなくて寂しかった、というお話をされていたのですが、先生も昔のクヮルテットととはとても変わってしまったと思いますか?」

原田「そうだね、特にチェロ(注:禎夫先生)が抜けて、本当に全く違うものになったけど、それは当たり前のことだよね。良いとか悪いとかじゃなくてね。」

神尾「先日、音楽の友のインタビューで、ジュリアード音楽院のドロシー・ディレイ先生は生徒を商品に仕上げるというような方針だったとおっしゃっていましたが、先生はクラシックは商業的であるべきだと思う? 他のジャンルの音楽とは違う? 」

原田「クラシックが閉鎖的になるのは勿論ダメなんだけど、クロスオーバーっていうのも(注: クラシックの教育を受けながら、ポップスやロック等の音楽を演奏したり、ジャンルを越えた活動をすること。 デイヴィッド・ギャレット、ケネディ、葉加瀬太郎等)あんまり興味ないんだよね。」

神尾「最初はクラシックを目指していたんだけど、途中からちょっと柔らかいほうにいくのとか…」

原田「それは、僕全然否定しない。クラシックでやっていけるのなんて本当に少数だしね。」

神尾「じゃあ、クラシックで充分活躍できるような技術、実力があったら、クロスオーバーにはいかずクラシックに留まってほしい?」

原田「うん。それは勿論。」

神尾「先生。一番好きなクヮルテットはなんですか?」

原田「ベートーヴェン作品131!」神尾どれが131かわからず。

神尾「一番好きなシンフォニーは?」

原田「ベートーヴェン全部ひとまとめでかなぁ」

神尾「先生は、どんな教師でいたいと思ってますか?」

原田「昔の日本の先生は皆怖くてね、アメリカに行って初めて人間として尊敬をもって接してもらったというか、それが凄く嬉しかったから、僕もそうありたいよ。パワハラとかしたくないよね。」

まだ続きます!?