個人的に『哲学探究』は『論理哲学論考』よりさらに難解であった。
ただ言語学とも関連があり興味深い内容である。
まだまだ理解不十分だが、簡単なまとめを作っておく。
・言語ゲーム
非常に大雑把に言うと、言語を習得する際に、会話の流れの中で一つ一つの単語の意味を理解していくということ。
日本語教育学的に表現すると、明示的に学習するのではなく、暗示的に学習しているのである。
特に言語学でいうところの意味論・語用論に相当する考え方で、語用論を参考にするとわかりやすい。日本語だと、例えば「すみません」は「申し訳ありません」だったり、「ありがとうございます」だったり、「失礼します」だったり状況によって様々な意味を持つ。
日本人は状況に従って「すみません」の意味を正しく解釈し、コミュニケーションをとることができる。
また、ほとんどの単語はいちいち意味を調べずに習得する。会話の中や、本、ニュースの記事、動画などで実例にあたることで、おおよそこういう意味だろう、と考えて習得している。
単語の持つ意味そのものよりも、どういう状況で使われる言葉かが重要なのだ。
これは辞書の作成方針にも表れる。
多くの辞書では「水」の語釈として「酸素の水素の結合した物質」と説明している。これは「水」という物質の厳密な定義であるが、三省堂国語辞書では「自然界に多くあり、われわれの生活になくてはならない、すき通ったつめたい液体」としている。
多くの場合、三省堂国語辞書の語釈のようなイメージで使う場合が多いだろう。こちらの方が、言語ゲームの考え方とよく適合するように思える。
・私的言語
自分だけが理解できる言語のこと。特に「痛み」など内的感覚に関わるものが問題となる。
「痛み」の例だと、痛みを感じている本人にしか理解できない。ある人にとっては耐え難い痛みでも、他の人には大したことのないものかもしれない。なので、「痛み」というものは完全に共有することは不可能である。
実際には、表現の仕方や表情を見ておおよそどのような痛みなのか推測しながらコミュニケーションを取っている。
ただこのような感覚的なものは、自分がどのように感じるかが重要だと思う。
安っぽい結論になるが、自分にとって「楽しい」と思ったことは他人が別にそうでもないと言ったとしても、堂々と「楽しい」と言えば良い。
自分なりの捉え方を大切にすれば良いのである。
参考文献:
哲学探究 ウィトゲンシュタイン著, 鬼界彰夫訳, 講談社
三省堂国語辞典 第八版, 見坊 豪紀ら編, 三省堂
倫理用語集, 濱井 修監修, 山川出版社


