もころぐ

もころぐ

のんびり勉強しています_(:3 」∠ )_ 

いつも当ブログのご愛読をありがとうございます。

ネタが尽きたので休止いたします。

暫くの休みの後に再開します。

  中性子星同士
の衝突
ブラックホール同士
の衝突
超新星爆発
ニュートリノ r過程 観測なし (検出されない) 中性子化反応
SN1987A
重力波 チャープ波形
LIGO
チャープ波形
GW150914
低周波振動
LISA?
ガンマ線 ショートバースト
チャンドラ衛星
ショートバースト Ni56の崩壊
ロングバースト

ラジアンは弧を半径で割った値であることから、ステラジアンは球面上の面積を半径^2で割る

steradian = stereos + radian
stereos「立体」 「ステレオ」も同源。
radian「ラジアン」 radian < radius「半径」

stella「星」+radian「ラジアン」かと思ってたら違った。

自由に動くことのできる電子が正電荷のある物体付近を通過するときに減速か加速をして電磁波を出す。

これを「自由-自由遷移」と言う。電子が自由に動き回れる状態なので、水素で言うと電離した状態、つまりプラズマになっている。

水素プラズマが見られるのはHⅡ領域である。


電子は熱によって運動した状態であり、連続的なスペクトルを示す。そして正電荷により「制動」を受ける。よって「熱制動放射」とも言う。制動は車の制動距離の「制動」(ブレーキ)をイメージするとわかりやすい。

対して「束縛-束縛遷移」は原子スペクトルで見られ、放出されるエネルギーは離散的なので線スペクトルを示す。


ちなみにbremsstrahlung「熱制動放射」はbremsen「減速」Strahlung「放射」からなるドイツ語に由来している。bremsenはbrake「ブレーキ」と共に共通のゲルマン祖語(*brako)に由来する。

bremsstrahlungに「熱」という意味合いは含まれていないようである。

ミニヤッチョ詰め合わせを作りました。

こうしてみると結構個体差がある。

 

 

やや崩れているが可愛い。

 

 

無難。

 

 

かなり崩れている。

 

 

これ可愛くて好き。

 

 

これも可愛い。

 

 

元祖。どうしてこうなった。

 

 

「星降る海」の1:18ごろで確認できます↓

 

超かぐや姫の感想です。

 

元々竹取物語は仏教的であり、『超かぐや姫!』はそれに真っ向から対立しているように思えます。

 

現在の古典研究では、竹取物語の背景に仏教思想があり、それによるとかぐや姫が月に帰ることを「現世への執着を断ち切る」と解釈することになります。

竹取物語の成立はおよそ西暦900年代と言われます。仏教伝来は538年頃とされ、貴族を中心にではあるものの仏教が広く親しまれている頃でした。作者不詳ではありますが、竹取物語を書く上で仏教的世界観を背景とした可能性は十分にあります。

 

『超かぐや姫!』において、花火大会のシーンでかぐやは「運命に向かって走ってく!」「これが私のエンディング!」と言います。これはまさに現世(地球での出来事)への執着を断ち切る覚悟を示しています。

彩葉と離れたくない、一緒に作った思い出を忘れたくないという気持ちがありますが、月に帰らなければならないという厳然たる事実の前では、この思いは寧ろ苦しみの元となります。

 

よって「諦める」という形にはなりますが、これは良い意味での「諦め」と言えます。諦めるは語源的に「明らめる」、つまり物事を明らかにすることに由来しており(広辞苑より)、仏教においても「諦念」を前向きな意味で捉えます。

かぐやは2か月ほどの間に精神的にも成熟し、「諦念」の境地に至ったのです。

 

個人的な感想になりますが、自分は若いころであれば彩葉側に立ったと思いますが、歳を重ねた今、かぐやに強い共感を覚えます。つまり竹取物語のエンドのほうがしっくり来ます。

 

ところが超かぐやでは、執着により彩葉は望みの薄いかぐや帰還を願い、かぐやは8000年もの間、彩葉との再会を待ち続けました。

これは非常に苦難の道のりであり、ほんの僅かな運命のズレによっても再会は叶いません。しかし、二人の執念により最良のエンドを迎えることが出来ました。

「執着・諦めないことは時として幸福な結果をもたらす」ということを『超かぐや姫!』は切々と伝えています。

これは仏教的世界観、日本人の中で培われた精神性と正面から対立しますが、非常に人間的であるとも言えます。この点で現代の我々に強い感動を与えるのかもしれません。

 

↑ray MVに登場したタケノコ

 

4月末に新情報が出て、「タケノコは掘り返している」の可能性が高まったので、かなり動揺しましたが解釈しなおしました。

 

なぜタケノコが埋められているのか?

まず、「彩葉&かぐやが埋めて、また掘り返しに来た」という可能性がまず思い浮かびます。しかし、rayMVでかぐやが「やっと、ここまで来れたね」と初めて来たような言い方をしており、あまりしっくりきません。「やっぱりあれが必要だね」みたいな言い方をする気がします。

 

そこで、MVに登場したタケノコは、竹取物語に出てくる「平安時代のかぐや姫が使用したタケノコ」という可能性が浮上します。

現かぐやが使用したタケノコは損傷していますが、平安かぐや姫のタケノコは1000年経過しているものの、状態が良く使用可能だったのでしょう。

 

埋められた場所がなぜわかったのか?

竹取物語では「富士山山頂」にタケノコを埋めたと記述があるので、埋没場所の捜索は困難ではないと思います。

「富士山のどこか」であれば捜索は困難を極めますが、山頂であれば相当絞り込むことが出来ます。

(ただ、実際富士山に登った時の記憶をたどると、山頂は意外と広いので探すのは大変だと思う)

 

なぜ掘り返したのか?

彩葉が懸命な努力によりかぐや義体を制作したが、どうしても月世界の技術には及ばなかった。

なので平安タケノコを使ってかぐやを完全体にすることとした、という流れが思い浮かびます。

 

ただ、「それなら義体を作らずに最初から富士山に行けばよかったのでは」という疑問が残ります。

この点について、2030年~2040年の間に古典研究が進み、架空の作品と思われていた竹取物語が実は史実であったことが判明し、それなら当時のタケノコが富士山に埋まっているのではないか、という話になったのかもしれません。

 

また、彩葉の10年に及ぶ努力が半ば否定されることになり、受け入れ難い気がします。

「掘り返したタケノコを研究し、解明された月世界の技術を参考として、かぐやを完全体にした」というのが一番腑に落ちるところかと思います。

 

「彩葉にタケノコを適用して不老不死を獲得し、ロボかぐやと共に永遠の時間を過ごす」という説もありますが、作品がテーマとしている「人間の美しさ」に今一つかみ合っていないようにも思えます。

分子雲 水素が分子(H2)として存在する。暗黒星雲を作る。フィラメント構造が特徴。
HⅠ雲 水素原子が単独(H)、つまり中性水素として存在する。
HⅡ領域 水素が電離した状態、つまりプラズマとして存在する。輝線星雲を作る。
 

4月21日発売の鬼茶を早速飲んでみました。

 

後味に苦みが残ります。どちらかというと重厚な味わいです。

コーヒーをよく飲む人は好きな味かもしれません。

値段は150円くらいで、割高感は否めません。

 

ラベルはシンプルなデザインで結構好きです。子供がつい手に取りたくなるようなかわいらしい感じです。

 

「退屈な飲み物という印象を覆したかった」というヒカキンの発言には批判が集まりましたが、強ち否定できないところではあります。

自分自身、緑茶は色々なメーカーのものを飲み比べたりしましたが、麦茶はそこまでこだわりがありませんでした。

他メーカーの麦茶も買ってみて、意外と味に違いがあることにも気づきました。

 

鬼茶が他メーカーと比べて突出して美味しいとは感じませんでしたが、

麦茶そのものについて見つめ直す良い機会となりました。

その点で鬼茶には価値があるのかと思います。