母の日創設推進した女性が反対派に転じた理由 | 猫とバラ、演劇、美術、ガーデン、動物園のブログ

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5月12日 16:49  · 

「母の日」の想像を超えた起源とその後!!

畏友小原美由紀さんの2日前の投稿で、今日5月12日の「母の日」の起源と、その後の思いがけない歴史を知った。

「母の日が近づいて来ました。今年は5月12日。

アメリカでは母の日に反戦行動をするといいます。びっくりマーク

154年前、1870年に書かれた 母の日宣言。

母の日の もともとの意味は反戦と、女性の連帯。」びっくりマーク

https://www.facebook.com/miyuki.kohara.7/posts/8359876167359939

小原さんも紹介している、その「母の日宣言」がすごい!

★(ジュリア・ウォード・ハウ)「母の日宣言」(Mother’s Day Proclamation) 

立ち上がれ、母親達よ

立ち上がれ、愛情深き女達よ

立ち上がれ、信仰の違いを越えてきっぱりと言おうびっくりマーク

 

大事な問題を、お門ちがいの当局まかせにはしないびっくりマーク

 

殺戮を重ねた夫を、愛撫や喝采で迎えたりはしないびっくりマーク

 

息子達を連れ去って、

慈愛と寛容について母親達が教えてきたすべてのことを忘れさせることは許さない

女達の友愛は国境を越える

だから許しはしない

他国の女の息子を殺すための訓練を、自分の息子に受けさせることは

 

荒れ果てた大地の底から声が湧きあがり、私達女の声と一つになる

 

「武器を捨てよ!殺人のための刃は正義のものさしにはならない」びっくりマーク

血は不名誉を清めはしない

 

暴力では何ものも獲得できないびっくりマーク

 

男達が鋤や金どこを捨てて戦場に赴くように

女達よ、家事を捨てて偉大な集会に結集せよびっくりマーク

 

集まったらまず、女として、死者を追悼しよう

 

人類という大きな家族が平和のうちに生きることができるように語り合おう

 

それぞれの時代に、為政者ではなく神の刻印が残されるように

 

女の友愛と人道の名において、心から呼びかける

 

国境を越えて女の総会を招集しようびっくりマーク

 

 

適当な場所を選び、なるべく早い時期に

諸国の協調と

国家間の諸問題の友好的解決と

平和という偉大で普遍的な利益の実現をすすめるという目的のために

(向井真澄訳)

https://wan.or.jp/article/show/2793

さらに、今に至る「母の日」の想像を超えた歴史を調べてみた。

★「母の日」、その起源と反対運動

(NATIONAL GEOGRAPHIC 2012.05.14)

 

「母の日」といえば、今では食事やプレゼント、グリーティングカードを贈る日だが、かつては戦死した兵士を悼み、平和のために活動する母親たちの日だった。この祝日が商業利用されるようになると、ガーン

 

「母の日」誕生の立役者となった人物は反対運動に身を捧げ、ついには財産を使い果たし、衰弱して療養所で亡くなった悲しい

 

しかし、彼女の死後もむろん「母の日」は消えることなく、現在もなお世界中で、さまざまな形で祝われている。

 

 米ウェストバージニア・ウェズリアン大学の歴史学者キャサリン・アントリーニ氏によると、早くも1850年代には、ウェストバージニア州で女性による社会活動を展開していたアン・リーブス・ジャービスという人物が、「母の日ワーク・クラブ」(Mother's Day Work Club)を組織していた。衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、乳児死亡率を低減することを目的とした活動だ。1861~1865年の南北戦争中には、南北双方の負傷兵を看護する活動も行っていたという。びっくりマーク

 

 

 南北戦争後、ジャービスら女性たちが中心となり、「母の友情の日」(Mother's Friendship Day)と題したピクニックやその他の催しを開いて、かつての敵同士を結びつける平和活動を行うようになった。

 

米国の愛国歌『リパブリック讃歌』(The Battle Hymn of the Republic)の作詞者として知られるジュリア・ウォード・ハウは、1870年に有名な「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発表して、女性たちに政治に参加し、平和を推進するよう呼びかけたびっくりマーク

 

 

 同じ頃、ジャービスは南北に分かれて戦った人々のために、ウェストバージニア州全土で「母の友情の日」を開催していた。

 

しかし、現在われわれが知る「母の日」の誕生に最も貢献したのは、彼女の娘であるアンナ・ジャービスだ。

 

ただし、アンナはその後の人生の大半を、現在のような母の日を撲滅する活動に費やすことになる。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/6039/