那覇のショッピングセンター メインプレイスで たまに ミニライブをさせてもらう。

 

 買い物途中の 色んな年齢の人たちが 足を止めて聞いてくれる。


  とっても大好きな空間だ。  

  

  私はどちらかと言うと 人見知りで うちとけにくい 臆病な人間だ。 でも そういった場所で 歌っているとき

 

 初めて会う人 通りすがりに来てくれた人     一瞬 心が通じあえたような 握手をしてるような

 

  不思議な連帯感を 感じてしまう。

  

  私のへたくそなMCに うなづいている人 笑っている人。手拍子をしてるひと。

  

 

 

    音楽をやってて本当に よかったなあ、と思う。 

 

   生きていくことって みんな大変だ。 予想のつかないこと、 どうしてと、思うようなことが たくさんある。


 

   でも 私たちは 同じときを 生きている。  何十年たてば みんな、みんな 消えて なくなる。

 

  だから   ほんの一瞬  みんなで  ここでこうして揺れていよう。

 

    みんなで わたれば こわくないよね音符


 

  


  私の 曲に 夾竹桃をテーマにした歌がある。

 

米軍基地の周りを囲むように 植えられたたくさんの花が 昔から不思議だった。

 

それに、この花の樹液は  毒で 牛が食べて食中毒をおこしたたという話を 聞いたことがある。


花言葉は、「近寄るな、危険」、 広島の原爆の跡地に 真っ先に花をつけたのも 夾竹桃らしい。


  私はこの花を、 歌にしたいとずっと思っていた。

 

   

   幼い頃 私の家の近くに アメリカ人の家族がすんでいた。

 

軍人だったのか 一般人だったのか わからない。 白い家に 広い青々とした芝生。

 

 男の子と女の子の兄弟が 庭の隅に植えられた白い夾竹桃の下で 遊んでいるのが

 

フェンスごしに見えた。 幼い私には まるで 映画のような光景のようにみえた。

 

 声をかけたい、 友達になれたら。何度思った事だろう。   一度も話すこともなく 

 

視線をあわすこともなく 気がついたらもういなくなっていた。

  


あの頃 私の父や、周りの大人たちは 祖国復帰運動に あけくれていた。

 

 そのことを 誇らしく思うと同時に あの兄弟のことを おもいだす。今だったら声を 

   かけることができるかもしれない。


  マザーテレサの言葉に

 戦争ががなくなるためには どうしたらいいか。

 

「まず、家に帰って 家族にやさしくしなさい。」

 

 暖かな思い出と 心さえあれば戦争なんて 誰もおこさないと思う。


今年は夾竹桃の花が満開だ。 

 

沖縄の青い空、まぶしい日ざしにはこの花が よく似合う。



 私が 子供の頃通っていた ピアノ教室は 町の診療所だった。

 

お医者さんの奥さんが ピアノの先生で  診察室と 壁1枚 隔てた部屋が レッスン室になっていた。


ピアノを弾きながら ちょっと右に体を傾けると入り口が見えて 風邪をひいたような人、けがをした人

  

 たまには、クラスのいじめっ子の男の子が注射をうたれて 泣き叫んでいる声なんか聞こえたりした。


薬の匂いがする教室。    バイエル、チェルニー、ハノン、ソナチネ、ブルグミュラー、バッハ、

 

 まっすぐの線路のように単調 で  小さな白アリが カリカリと壁をかじるように はてしない

 

そんな教則本が 大きらいだった。   練習してこないと 

 

 あきれたようにのぞきこむ 鼻メガネの奥の先生の目が 私は苦手だった。

 

でも 最近あの頃のことを よく思い出す。

 

  

 足もとをながれる 静かな川のように、 からだの奥に深く刻みこまれたその日々を

 

つらいとき くじけそうになるとき 自分を見失いそうになる時 

 

 私は 何度も何度も  指でなでている。


  6月19日 木曜日 那覇市立寄宮中学で 私の 音楽講演会があった。

 

私の歌や 話を通して 平和について考える.    

  

私のライブには 中学生も 聴きに来てくれる。  しかも 私は中学で 音楽を教えていた経験もある。

  

 多少なりとも 自信はあった。 

 

 しかし、事は そううまくはいかない。

 

体育館 に集まった600人の生徒たち。 う、受けるのかな汗

 ちょっと だけひるんでしまった。

 言葉が 通じないわけではない。外国人 それに 音楽に年齢差なんてないぞ。

 

暑い体育館 彼らはお行儀よく 聴いてくれた。 花束まで頂いた。

  すばらしかったなんて 思ってくれなくて いい。

 ただ少し 参考なってくれるだけで・・・・・




ああ でもやっぱりもう少し 風が欲しかったな。



 暑い体育館にも 私の講演会にも、生徒たちと私の間に流れる

 さわやかな風が。 気になって 気になって あれから・・・・・・・・・大丈夫だったかなはてなマーク

   

    でも、本当にありがとう。最後まで聞いてくれて。

   そしてまた、がんばります。おんぷ


 





朝 最近、熱すぎて何もやる気にならない。  今日こそはと思って、カーテンを開けてみるのだけれど

びくとも動かない木の枝や ぎらついた道路を見ていると、外に出る気がなんだか失せてしまう。ガーン夏ばてはてなマーク

  

 子どもの頃 、夏は大好きだった。太陽も大好きだった。一日中 真っ黒になるまで外で遊んでいた。

     まぶしほど白い 夏の道には 色んなものが 落ちていた。  

麦わら帽子 干からびた蛙 片方だけのゴムぞうり  貝殻 せみの抜け殻 使い捨てた花火。

     みんな 陽に照らされて暑く焼けていた。

 


 道はいつまでも白く輝いて 太陽はずっと真上にあった。


  今 、私の目の前の 夏の道には 何が落ちているのだろう。

   まだまだ にぎやかに色んなものが落ちているだろうか。太陽

     

     ぷぷよーし 今夜 飲みに行こっと tuki☆☆

   


お久しぶりです。入院をしたり、仕事が忙しかったりで、夜は疲れてしまい、すっかり長い間ブログ更新がご無沙汰になってしまいました。

またブログを再開したいなぁと思っています。読者になっていただいた方ありがとうございますうさなみだ2!!

実は、私の「キラキラほしくずキラキラ」という曲が、ラジオ沖縄の毎週土曜日朝9:50からの『医療ほっとライン』という番組内で4月から流れています。

捨てる神あれば拾う神ありですねオバケ

それで、調子に乗って、ミニライブカラオケをやることにしました!

すぐに再生するのが私の良い所なのですが…得意げチョキ。すぐに落ち込みもしますにひひ

来週の日曜日に、那覇メインプレイスと西原シティでミニライブをします。もしよろしければ、お越しくださいニコニコ




いま、君が心から笑うことができるように

いま、君がこの一瞬愛する人と生きているように

おそれないで隠れないで

君の優しさ伝わるようにそばにいるから

                        『ほしくず』



-----*宮良沢子 ミニライブ情報*---------------

2008年4月20日(日)

サンエー西原シティ11:00より

那覇メインプレイス17:00より

各回30分。



私が、生まれた宮古島のことわざに、『おとなし馬程、噛み付く』と、言うのがある。おとなしそうに見える物ほど、悪さをしたり

いたずらをしたりする、という意味だ。

 次女も幼いころ、そういうタイプだった。冷蔵庫の風邪薬シロップを全部飲んでみたり、保育園から脱走したり、

遊園地の電車の線路の上に、飛び降りて走っているのを、係員に追いかけられたり。 

 静かにおっとりして、そういったことをしでかす。


 

 数々の、いたずらの中で一番びっくりしたのは、パジャマのボタンを鼻の中につっこんだことだ。

お風呂からあがって、ふと見たら、パジャマの胸についている蟹さんの目玉がない。もしやはてなマークと、思って

見ると,、鼻の中にピンクのボタンがきらきら光っている。一つは指で取れた。でも、もう一つは奥にある。

 私は冷静を装って、

 『もう、おねえちゃんだから鼻ちーん出来るよね。』

娘は、にたっと笑って、得意げにおもいっきり鼻をかんだ。

 出てきたボタンを確認して、

 母は、おもいっきりおしりをたたいてやった。あつを 


ドライブ

 私は病的な程の方向音痴だ。右に曲がってと言いながら左側を指す。帰り道が分からない。家の近所でも、迷うことがある。

私にとって世の中は、複雑で、困難に満ちみちている。

不器用な自分の人生と、重ね合わせたりして、ますます悲劇的な気分になってくる。

 今日も、ハンドルを握りながら、なかなかたどり着けない目的地に

『えー!!なんでえはてなマークあっしゃ、まじはてなマークどおいうことDASH!


見えない誰かに、怒り続けている。

  私は、子供達に今までいろんな嘘を、たくさんついてきた。これは、一番の成功例ビックリマーク 


 落ち込みやすい次女に、狐が付いているとだまして祈祷のまねをしたことがある。

いい加減な呪文を叫んで、はたきを振り回したら、『なんだか心が軽くなった。』と、涙目でうなずいて、

 『もう、大丈夫だよね。』と、笑顔になっていた。

 


それが嘘だと、だんだん分かりかけた頃には、すっかり父親似のずぼらな娘になっていた。


少しは、繊細であってほしいと思っても、もう嘘の呪文は効かない。男の子の様なしゃべり方を聞くたびに、

 幼い頃の、おっとりした娘を思い出して、自分のついた嘘を、少し後悔している。ぽろ




 私の娘は、小さい。それは年齢のことではなく、体型のことだ。小学生の頃から運動会ではいつも先頭だった。

娘が,身長に関するそういったことをいうたびに、私の母は

 『それはお母さんのせい、あんたがお腹の中にいる時、ろくな食事をしなかったから。』

責めるような目で私を見る。

何でも親の性にするんじゃないと思いながら 心あたりがある。


娘がお腹の中にいるとき、自分の体の中に一つの生命体が宿っている実感が、どうしてももてなかった。

好きな物を食べて、好きな所に出かけて、生まれた娘を見てもそれは変わらなかった。

 ある日、いつものように食事の仕度をしながら音楽を聴いると、ふと、後ろに目をやると、

音楽に合わせて娘が腰を上下に振っている。

私を見上げて、真剣なまなざしで、ヨチヨチ歩きの足をふんばって。

 思えば娘は、生まれる前から、ずっと、この子供のような母親に必死にしがみついてきた。

それは、川面に浮かぶ木の葉に、つかまるようなものだったろう。

 今でも、その光景を思い出す。そのたびに、

子供は、親を選べないビックリマークだから、堪忍な音譜と、心のなかでつぶやく。