「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」ーこれは紀貫之が「春立ちける日よめる」とあり、即ち立春に詠んだ、古今集巻頭(春歌)二首目の歌です。(夏に)袖を濡らして掬った水が今は凍っていたのを、立春の風が溶かしていくだろう。という意味です。

 

 春が来ていることを、冬の透明感を持ちながら、キラキラと表現している、まさに立春に合った素晴らしい歌です。この歌のことは何度もこのつぶやきで書いていますが、恐らく和歌の中で私が一番好きな歌なので、書かずにいられなくなります。

 

 今日は節分。これから社内で豆撒きをして、この歌のように明日からの新しい春に向かって、前へ上へ進んでいきたいと思います。

 ChatGPTが、インターネット上の個人向けのサービスとして、史上最速でユーザー数を増やしているとのこと。私も出た直後から使ってみてますが、驚きの性能です。「性能」と呼ぶのが憚れるくらいで、「遂に未来が来た!」という感じです。

 

 先日、アンドロイド風の人に続けて遭遇したと書きましたが、それはそういうニーズ(アンドロイド風の人と一緒にご飯を食べたい)があるからだと思うのですが、世界中の色んなことについてお喋りしたり議論したいというニーズも必ずあるでしょうから、近いうちにSiriとChatGPTを実装した「話し相手ロボット」も出来て、またレストランで遭遇するかも知れません。

 

 学校の先生もChatGPTに変わるかなぁ。部分的にはありそうだなぁ。ChatGPTが社会に与える影響。目が離せませんね!

 

 今日は特別な日。48年前、私の最初の年男の年のこの日に、私の人生は変わったのでした。そんな特別な日に、朝の5時50分から行われる朝課に読み込みをしていただき、私も朝課に参加しました。

 

 2月1日の朝課参加は、もう何回もしていることですが、今日はなんか明るく、そして暖かく感じました。何故だろう?毎年同じ日なので、夜明けの時間は同じ筈。朝課の時間も同じ筈。今朝はこの冬の中で特に暖かった訳ではないし。何故か。毎朝早くにジョギングしているので、寒さを含めた夜明けの様子に慣れてきたのでしょうね。人間は相対的な感覚が強いので、平時とあまり変わらなかったと云うことか。

 

 天気も良くて、今日は朝から清々しい気持ちで一杯でした。早起きは三文の得とも云いますしね!

 最近、食べ物屋さんで、アンドロイド風の人に何回か会いました。同じ人ではなく、違う人です。アニメやSF映画に出てくるような、アンドロイド風なのです。コロナの影響等あり、実世界ではなくて、デジタル空間で過ごす人も多いので、審美の性向が、アンドロイド型に向かったのでしょうか?いずれ、話す機能も、ChatGPTが実装されて、見た目はアンドロイド、中身はAIなんて日が、案外もうすぐ来るかも知れません。いや、きっと来るでしょう。

 

 そういう時代になっても、生身の人間にしか出来ないこと、それは食べて、飲んで、美味しいと感動することです。食べるもの、飲むものにはこだわって、そしていつまでも美味しく感動できるように、ちゃんとメンテナンスしていきたいと思うのでした。

 THE LAST ROCKSTARSのコンサートに行きました。YOSHIKI、HYDE、SUGIZO、MIYAVIによるスーパーバンドです。私は必ずしも X JAPAN やラルクのファンということではないのですが、とっても良かったです。カッコ良くて、スーパー上手で、超絶テクニックと、めっちゃ熱くて、本当に楽しめました。感動しちゃいました!

 

 レジェンド4人組のスーパーバンドが、世界にチャレンジする。MIYAVIさん以外はもう50代だし、しかも凄い実績があるのに、今一度世界にチャレンジする。観衆とのコラボも含めて、エンターテインメントとして、ミュージックとして、十二分に堪能したのですが、その「チャレンジ」の意志が、その晩の体験にひとつ強く太い芯を入れてくれて、思い出が特別なものになりました。

 

 挑戦を続ける。カッコ良く生きる。ロック!

 政府は新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけを、5月8日に現在の2類相当から5類に移行するとのこと。遅かったなぁと思いますが、これは人によって意見は違うでしょう。

 マスク着用については、屋内・屋外を問わず、個人の判断に委ねる、とのこと。今までもマスクを着用する法律があった訳ではなく、個人に「お願い」していたところ、今度は個人に「委ねる」とのこと。

 簡単に国民の様々な権利や行動について制限が出来ない日本の仕組みは、とても民主的で、多くの他国より優れていると私は思っています。だから立法しないでお願いしてきたところ、5類移行に伴って、「お願いを止める」なら判るのですが、「個人に委ねる」とは、なんか今までの状態を命令してきたみたいにすり替えているようで、或いは今後の感染状況の行方の責任をなんとなく個人に転嫁しているみたいで、私はこの言葉遣いが嫌いです。

 当社に於いてはもう昨年の9月末から、マスク着用は各部室などの自主判断に任せてきました。自立精神は重要だと思っています。

 今日は特にゆるいテーマを。大体私は何でも早めにやる気性です。”せっかち”と云うのが一番当たっているでしょうか。そんな中でも、特に私が一秒を急いですることがふたつあります。

 

 ひとつは食べ物屋さんの予約。こればっかりは、仮に私がどんなにお得意さんでも、一秒先に電話をした方が予約をゲットするので、思ったら間髪を入れずに電話をすることにしています。もうひとつは人事というか、人に何かの選択を求めること。これも、こればっかりは、人は一度決めてしまうと一気に気持ちがそっちに行ってしまい、その後に声を掛けてももう時既に遅しになってしまうものだと思っています。なのでこれも、一秒を急いでとは云わないまでも、少なくとも一日は急いで話すようにしています。

 

 ま、しかし、どちらもそう思ってしまうこと自体がせっかちかぁ。”せっかち”は、辞書によると、「はたから見て、もう少し落ち着いた方がいいのに、という批評を含んだ表現(新明解国語辞典第七版)」と説明されているので、直した方がいい気もしないではないですが、こればっかりは直らないでしょうね。

 昨晩、美味しいビーガン料理を食べました。私は菜食主義ではないのですが、大変お世話になった方との昨日の会食は、その方がビーガンなので、私も合わせたのです。これがとても美味しかった。

 ごく最近オープンしたレストランなのですが、そこにビーガンコースがあり、いただきました。私は肉大好き人間なので、足りるかなぁ、と実は思っていたのですが、とにかく美味しい。次から次に、どの料理も美味しくて、メインディッシュはキノコのソテーをいただき、全編大満足でした。

 お世話になったその方は、ビーガンになろうとは云いませんが、日本食、イタリアン、中華、ステーキなどと食べる中に、ひとつの選択肢としてビーガン料理も入れてもいいと思います、と仰っていました。蓋し名言。食のダイバーシティですね。

 食の好き嫌いと人付き合いの偏りには相関がある、とは或る友人の言葉なのですが、私もそう感じています。人付き合いのダイバーシティを確保するためにも、時折ビーガン料理も食べて、食のダイバーシティを担保したいと思います。

 先週の土曜日に、母校の中学2年生向けに講義をしました。その内容はさておき、とっても緊張しました。私は母校愛が強く、その思いが余ってしまい、後輩にタメになる話をしようと気持ちを入れ過ぎて、始めのうち空回りしてしまいました。

 ガラにもなく、何を話すかの要点を箇条書きにしたものをスマホに入れて、それを最初のうちは見ながら話したのがいけなかったです。私は講演とかスピーチをすることもそれなりに多くありますが、ほぼ常にほとんど準備もなく、原稿もなく、アドリブで行うのですが、たまに失礼があってはいけないと、大切な人たちの前で話す時に原稿の素みたいのを書くと、空回りして上手くいかなくなります。慣れないことをするのは良くないですね。

 しかし一方、緊張することはそんなに悪いことでもない、とも思うのです。相手をどうでもいいと思っていたら、緊張する由もありません。相手に敬意を持ってるから緊張するのです。それはいいことです。但しそこで、自分をありのままに見せるのであれば緊張しないのですが、やはり大切な人の前で背伸びをしようとするので、その差分に自信がないから緊張するんでしょうね。

 でも背伸びをしようとするのも、思春期みたいで、ま、いっか!

 羽生善治九段が藤井聡太五冠に、王将戦第二局で勝ちました。カッコいい。素晴らしい。感動的です。昨日の夕方速報ニュースを見た時は、思わずガッツポーズをしてしまいました。ちょうど最終盤の熱戦が拡げられている頃、私は対局が行われていた高槻市を通過していたので、なんかありがたい気持ちになりました。

 私はこの仕事をしている役得で21年前に羽生さんと対談をしてから、ありがたいことに羽生さんと少々のお付き合いをいただいており、そして羽生さんの著作もいくつも読んでいて、その考え方にとっても強く感銘を受け、僭越ながら共感する部分も多く、とても尊敬し、いつも応援しています。羽生さんは継続すること、継続出来る情熱を持つこと、そのことこそが才能である、という主旨のことを書かれており、今回の勝利もまさにご自身が書かれていることを実践し証明されたと思います。

 私は将棋は全く詳しくないのですが、藤井聡太さんは天才であり怪物だと思いますが、20歳の新型天才に対して、研究と勇気で挑んで打ち負かすことの出来る52歳の羽生さんは、怪物を超えた怪物であり、情熱と意志の巨大な所有者であり、かつ実行者で、羽生さんの全盛期はもしかしたら未だ到来してないのではないか、とさえまで思ってしまいます。

 羽生さんのような大きな精神、意志、才能を見ると、私は博物館でエジプトの彫像を見る時のような次元の違う畏怖の念を抱くことしか出来ませんが、それでも尚、自分もそんな羽生さんにあやかって、情熱と意志を高く維持したいと、そう思うのでした。