今日は大雨ですね。我が社にとって、そして私にとって、様々な意味で恩人である出井さんが、私たちの前からいなくなってから、今日でちょうど1年になりました。早いなぁ、というのが率直な感想です。

 出井さんは、過去より未来、日本より世界、先輩より後輩、テイクよりギヴ、の人でした。徹底してます。今一度よく思い返して、私の人生のお手本にしたいと思います。

 生成AIによって作られたグラビアアイドルの写真集が出版されたらしいです。なるほど。AIグラビア。これは当り前に出てくるものだったと思われますが、なかなかザワザワさせるものがあります。実際見てみると、生身の人間の写真との区別は付きません。

 

 誰だか分かりませんが、そもそもグラビアアイドルで誰だか分からない人なんていくらでもいます。ブッキング、スタイリスト、照明、何も要らない。スキャンダルもなし。画期的かも知れないけれども、何かどこかポカッと存在してない虚無感を感じるのですが、思い込みかも知れません。

 

 今後、AIグラビアに留まらず、様々な生成AIによる擬人によるサービスが出てくるでしょう。擬人と見抜くための見識が必要になるかも知れません。いや、そんなの必要ないのかも知れません。ただAI擬人の問題は、傷付いたり、後悔したり、反省したりしないことでしょうか。

 

 非擬人(って人じゃん!)保証のサービスとかも出てくるのでしょうか。SF映画みたいですが、人と人のハイコンテキストなコミュニケーションが、より重要になって来る気がします。いずれにしろ、しっかりと考えないといけないことが多そうですね!

 我が国を取り巻く環境には日々大きな変動があり、今日もマーケットに様々な作用がありました。こうした短期的に変化するものとは別に、長期にわたって変動しない価値観とかミッションというものもあると思います。そのひとつが、私にとっては”人権”です。

 何度かこのつぶやきでも書いてきましたが、私はヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)という国際的な人権擁護NGOに、仕事外の課外活動として、16年前から関わっています。HRWの国際理事会の副議長もしています。

 水道水が自然と存在した訳ではなく、先人達が作ったから私たちは当たり前のように使えるように、人権もやはり先人達が為政者や社会から勝ち取ったものを、私たちは享受しているのです。そして今でも世界中で(或いは日本の中でも)、人権が今の人々に与えられていない状況はいくらでもあります。独裁国家、戦時下、宗教、様々な理由で、そのような状況は作られます。

 それらを知り、日本にいる私たちに何が出来るのか?何をすべきなのか?そんなことを考える年に一回のディナーが今晩開催されます。今晩は、マーケットにいる時とは違う視点を、しっかりと育みたいと思います。

 私は「自然な前傾姿勢」が好きです。これは物理的な姿勢ではなく、精神の姿勢のことです。このつぶやきは、今日で5834号、概算で350万字の文章を書き綴ってきたのですが、検索をすると昨日までに前傾姿勢という熟語は23回使っています。350万字でたったの23回じゃないかと思われるかも知れませんが、衝突を検索すると9回、恋愛を検索すると7回しか使ってないので、実は23回はかなりの頻度で前傾姿勢について書いているということなのです。

 前傾姿勢でないと在るものも見えない、チャンスもリスクも見逃す、先へ進むのが遅くなる。私にとってはいいことがありません。そして前傾姿勢になるためには、適度にバランスを崩さないといけないのです。ちょっと落ち着いて物事を俯瞰しようとすると、勢い姿勢が良くなり過ぎて、後傾気味、少なくとも前傾でなくなることがあります。それはイケません。私なりの姿勢を意識して、これからも進みたいと思います。

 金曜日のつぶやきに対して、何人もの方から、その「ツァラトゥストラ」はデオダートのものではないか?との連絡や投稿をいただきました。読んでいただき、そして反応していただき、誠にありがとうございます。私はCTIレーベルはかなり聴き込んでいたので、デオダートも、デオダートの「ツァラトゥストラ」も知っているのですが、40Hzっぽい音は、デオダートのアルバムではないのです。

 しかしそんな連絡を下さった方のためにも、正解を思い出さねばと思索を巡らしていたら、土曜日、朝ご飯を食べている時に答えが突然私の頭の中に降ってきました。冨田勲の宇宙幻想。1978年リリースのアルバムです。現代に於いては簡単に音源もネット上のサービスで入手出来るので聴きました。冒頭の曲が「スペース・ファンタジー」という組曲なのですが、その最初と最後が「ツァラトゥストラはかく語りき」です。そしてあの重低音で始まり、重低音で終わります。レコードで聴かないと、本当のダイナミックレンジを感じないのですが、やはり40Hzのような音でした。

 私が中3の時にリリースされて、恐らくその時に買ったのだと思います。好奇心に充ちて、貪欲に様々な音楽を聴き、或いは音楽に限らず様々なことに鼻や首や、時には体を突っ込んでいた頃ですね。でも今もそうか。しかし記憶とは面白いもので、あの急に思い出す瞬間、或いはそれまでの脳の中の準備作業って、一体どうなってるのでしょうね?

 土曜の朝に思い出してスッキリして、全国投資セミナー in 札幌を行い、それから八戸に移動して日曜日は八戸の大勢の社員と家族とBBQ大会をして、ようやく昨晩帰りました。八戸BBQではくじ引きでプレイステーション5が一人の社員に当たったのですが、めちゃくちゃ楽しそうで、私も今更やってみようかと思ったりしました。そして東京への帰り道、中学からの同級生とLINEでやり取りをしていると、とにかくその前向きな「欲」に感心しました。

 うん、これは何かのお告げかも知れない。新しいことにもっともっと、首を突っ込んでいきたいと思います、宇宙幻想を見つけて聴いていた中学の頃のように!

 私は見落としていたのですが、40Hzの音を繰り返し聞かせることで、アルツハイマー病が大きく改善する論文が2016年に出されていたとのこと。更に2019年に、40Hzの光を同時に見させると、その刺激が相乗効果を生むことも報告されていました。そして更に最近、40Hzの振動で体をぶるぶる震わせても、同じように効果があることがマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究で示されたとのこと。

 

 驚きですね。これらは全てマウスを使った実験であり、このまま人間に効くかは分かりませんが可能性はあり、しかも単純な器具で治療が出来るので、実用化すると極めて画期的です。ネット上にも、頭が良くなる音として、40Hz音が多くありました。重低音ウーハーの音みたいな感じです。

 

 昔好きだったジャズ(というかフュージョンか)アルバムで、最初の曲が「ツァラトゥストラはかく語りき」のものがありました。冒頭部分がとびっきりの重低音で、なんか宇宙感があるのです。レコードを見ると、その部分の”溝”がめっぽう広くて深くて、深い渓谷の間をレコード針が通って行くようでした。あのアルバム、誰のだったろう?ネット環境が良ければ検索出来ると思うのですが、出張のため移動する機中なので思うように調べられません。うぅぅぅぅ。40Hz音を聞いたら思い出せるか?

 

 さて、明日は札幌で全国投資セミナーです。お客さまにお会いできるのを楽しみにしています!良い週末をお迎え下さい!

 アイルランドでは、全ての酒類について、そのアルコール量や健康被害の警告を記したラベルを貼るルールを法律として制定したとのこと。但し発効するのは2026年。これは国内生産品に限らず、輸入品にも適用されます。

 

 アイルランドと云うと、如何にもお酒が大好きなイメージがありますが、行き過ぎてこんな動きになったのでしょうか。しかし早速いくつかの国から、貿易を阻害するとしてWTOに対して提訴の動きがあるとのこと。ハードリカーなら格別、ワインのボトルにそんなラベルを貼ることに対して、程度のバランスを逸していて馬鹿げている、との批判もあるようです。

 

 さて、どれだけ効果があるでしょうか?既にお酒を飲んでいる人は、二日酔いになると分かっていても飲んじゃう人ですから、こんなラベルは効かないでしょうね、きっと。新しく飲み始める人には、一度考えさせるきっかけになるかも知れません。しかし国として販売を認めながら一方でこのようなことをするのは、どこかチグハグのような感じがします。健康被害警告ラベルが貼ってあると、認識する味が落ちそうな気がしますし。

 

 それよりも、全ての酒類に、販売価格のうちいくらは税金です、とのラベルを貼ったらどうでしょう?なんだ本当はもっと安いのか、となって、もっと味が落ちてしまうか!

 先日、久し振りに歌舞伎町に行きました。え?なんで?或る会食の場所が、歌舞伎町のど真ん中にセットされていたのです。少し早く着いたので、そしてまだ明るかったので、ちょっと周囲を散歩してみました。高校生・大学生の頃には、まぁまぁ馴染みのあった地域です。

 

 コロナ期にクリーン化が図られたのか、コロナ期前に比べると、秩序が少々戻った感じがしました。かなりの数の構造物が立て直されていますが、それでもやはり街の雰囲気は変わらないもので、多くの所に昔の面影がありました。

 

 そして何よりも感じたのは、その雑多感とエネルギーです。欲望の渦巻く街。昭和を感じると云ってもいいかも知れません。やはり街って”密度”が重要なんだなと思いました。マーケットも同様でしょう。密度を感じるマーケット関連サービスを提供したいな、などとも思ったのでした。

 

 新宿は高校生の頃は一番行った街だと思われ、多くの記憶もあります。やはり色々なところに行った方が気付きもあっていいですね!

 今日は、或るコンフェランスで前方演台に立って、英語でスピーチをしました。マイクの性能も良く、スピーカーのフィードバックも綺麗で、気持ち良く話せました。

 

 話した内容は、日本の株式市場の変化、アクティビズムが日本でどのように受け入れられ始めているか、などについて、かなり複雑な話を紹介し、説明したのですが、自分的にはまぁ問題なく、云いたいことをきちんと話せました。一方、会議によっては、英語で自分の云いたいことを上手く話せなくて、とてもフラストレーションを感じ、或いは自己嫌悪になることすらあります。

 

 同じ英語で話しているのに、どうしてこんなに違うのでしょう?テーマの違いではなく、恐らく自分の言葉が伝わっているかどうかに対する確信度の自己認識の違いが、パフォーマンスに影響を与えるのだと思います、私の場合。何とかしてこれを乗り越えられないかなぁ、と思うのです。恥ずかしい気持ちとか、自信のなさが力を削ぐのですね、きっと。情けない。

 

 しかしそれは、まだ若い心があるのかな。そういうことにしておきましょう。英語は、私にとっては永遠のテーマです。


(「5/16のつぶやき「97%」で一部記載が誤っておりました。(誤)「2の365分の1乗根」(正)「2の365分の1乗」訂正してお詫び申し上げます。読者の方が指摘して下さいました。ご指摘、ありがとうございます!)

 

 広島でのG7サミットが終了しました。当然、色々な評価があるだろうと思います。しかし私は、岸田首相は本当に大きなことをやり遂げたと感じています。

 G7のリーダー全員を原爆資料館に連れて行き、G7のリーダー全員で慰霊碑に献花し、原爆資料館の中では全員が直筆で記帳し、その内容は人によって差はありますが、原爆の恐ろしさを見て、そして核兵器をなくすことを目指すことに言及するものでした。

 この全てが政治ショーであり、建前なのかも知れません。然しながら、建前ですら、核兵器の恐ろしさに向かい合い、核兵器をなくさねばならないと、各国のリーダーが云わなくなってしまったように思える現代に於いて、G7のリーダー全員が、このようなセレモニーをすることに同意し、テレビカメラに撮られ、世界に放映され、そして記帳の内容も公開されたことに、私は一筋の希望を見た気がしました。

 いやそれは楽観的すぎるかも知れません。しかしそのような方向を議論しようとする「意志」が、少なくとも日本国政府の中にあり、それにG7のリーダー達全員が或る程度呼応する意志があることを見た気がしました。

 G7広島サミットが、いい意味で歴史に残るサミットになることを、心から願います。