「AIと資本市場」なる文章を書いてみました。小論文というか、コラムというか。私にしては随分しっかりと時間を掛けて、良く考えて書きました。4000字ほどの文章で、いつものつぶやきは平均800字くらいだと思うので、一週間分くらいの分量になります。5回に分けてお届けしようかとも思ったのですが、全体でひとつコンセプトなので、長いですが一気にお送りすることにしました。正式な表題は、「AIと資本市場 -評価から創造へ-」、はじめにとおわりにを入れて、全部で7つのパートから成っています。

 

今の時点に於ける、私の資本市場の解釈を表しています。そして同時に、私の人生観も、どこかに表れていると思います。それではどうぞ!

目次
1.はじめに〜AIは資本市場の役割を変えてしまうのだろうか〜
2.評価と創造
3.AIは評価のコストを変えた
4.想像するということはどういうことか
5.MoneyとCapital
6.AI時代の資本市場
7.おわりに

1.はじめに〜AIは資本市場の役割を変えてしまうのだろうか〜

AIの急速な進歩は、社会生活のあらゆる場面を変化させている。投資や経営、さらには資本市場もその例外ではなく、大きく変わることが予想されている。確かにAIは、企業分析、市場分析、投資判断のための情報の整理や比較など、多くの分野で、既に人間を上回る能力を発揮している。しかし、私はAIが変えた本質は、分析能力そのものではないと考えている。

AIが変えたのは、社会における希少性である。AIは、社会における希少性の構造を変えた。これまで希少だったものが希少でなくなり、逆に、これまであまり意識されなかったものの価値が相対的に高まったのである。そして、この希少性の変化は、資本市場が本来果たすべき役割を、これまで以上に重要なものにしている。

本稿では、この希少性の変化を手がかりに、資本市場は本来何のために存在するのかを考えてみたい。

2.評価と創造

社会には二つの営みがある。一つは、既に存在する価値を理解し、比較し、評価することである。もう一つは、まだ存在しない価値を創造することである。評価とは、既に存在する価値を理解し、比較し、その価値を見出す営みであり、創造とは、未来に評価される価値を生み出す営みである。言い換えれば、評価は「既にあるもの」を対象とし、創造は「まだないもの」を対象とする。例えば、既に存在する企業を分析することと、まだ存在しない企業を創ることは、同じ能力ではない。

そして、この二つは対立するものではない。むしろ、互いに補完し合うものである。評価があるから創造は磨かれる。創造があるから評価は意味を持つ。評価は創造を選び、創造は評価をアップデートする。社会は、この二つの営みを繰り返すことで発展してきた。新しい価値が創造され、それが評価され、その評価が次の創造を促してきた。

資本市場もまた、この二つの機能を持っている。市場は企業を評価し、価格を形成し、資源配分のためのシグナルを発する。しかし、それだけではない。新しい企業、新しい技術、新しい価値が社会に生まれるよう資本を供給する。つまり、資本市場はEvaluation Marketであると同時に、Creation Marketでもある。資本市場とは、この評価と創造を結び付ける社会の仕組みなのである。

しかし、AIはこの二つの営みにおける希少性の構造を変え始めた。評価の希少性を低下させ、評価のコストを劇的に下げることで、創造の重要性を相対的に高めたのである。この変化は、資本市場の役割そのものを問い直すことになる。そして、私はAI時代だからこそ、この「創造」の営みが社会にとってますます重要になると考えている。

3.AIは評価のコストを変えた

AIは、Informationだけでなく、Intelligenceの領域にも大きな変化をもたらした。
ここでInformationとIntelligenceを区別しておきたい。アメリカのCIAは、日本語では「中央情報局」と訳される。しかし、正式名称はCentral Intelligence Agencyである。Informationではない。Intelligenceなのである。この違いは、本稿において重要である。

Informationとは、個々の情報や事実の集合である。一方、Intelligenceとは、それらのInformationを関連付け、構造化し、意味のある洞察へと昇華したものである。AIは、公開情報を収集し、分析し、比較し、要約し、評価することの希少性を大きく低下させた。言い換えれば、AIは既に存在する価値を理解し、比較し、評価するためのコストを劇的に引き下げたのである。

AIは、Informationを収集するだけでなく、それらを関連付け、構造化し、Intelligenceへと昇華するコストまでも劇的に引き下げている。しかし、重要なのは評価そのものが不要になったことではない。評価の希少性が低下したことである。

私は2020年のエンゲージメント・ファンドの立ち上げに際して、「公開情報を速く正確に分析することによる競争優位は縮小し、企業とのエンゲージメントの重要性が高まる」と書いた。当時は投資手法について考えていた。しかし、今振り返ると、この変化は単なる投資手法の問題ではなかった。資本市場そのものの役割を考え直す出発点だったのである。

AIは評価を不要にしたのではない。評価による競争優位を縮小させ、さらには消失させつつある。
では、評価の希少性が低下した時代に、本当に希少になるものは何だろうか。

4.創造するとはどういうことか

未来は分析だけでは創れない。創造とは、未来を予測することではない。未来に新しい価値を生み出そうとする営みである。

創造には、起業もあれば、研究もある。芸術もある。経営もある。投資もある。形は様々である。しかし、その本質は共通している。創造は、まだ存在しない価値を、この社会に生み出そうとすることである。そのためには、既に存在するものを評価する能力だけでは十分ではない。創造の対象は、まだ存在していない。答えもない。正解もない。だから分析だけでは足りない。

そこで初めて、人はJudgmentを求められる。
ここでいうJudgmentは、日本語の「判断」や「決断」という言葉だけでは十分には表せない。不確実な未来へ向かって一歩を踏み出し、行動し、学び、修正し続ける連続的・動的な営みである。

創造は、一度の正解によって実現されるものではない。行動し、修正し、その結果として未来に新しい価値が生まれる可能性を高め続けることである。だから、創造において本当に重要なのは、最初から正しい答えを持っていることではない。創造は、成功確率を計算することではなく、行動を通じて成功確率そのものを高め続ける営みなのである。

創造は、知識だけから生まれるものではない。創造は、好奇心から生まれる。今まで存在しなかったものを創り、今まで存在しなかった方法を試してみたいという好奇心が、人を不確実な未来へ踏み出させる。そこには、新しいものに惹かれ、自然に未来へ前傾する姿勢がある。そして、失敗を恐れず、修正を繰り返しながら前へ進む力が求められる。

Judgmentとは、好奇心と意志を行動に変え、結果を引き受けながら修正を続ける力である。

5.MoneyとCapital

創造には、人が必要である。しかし、それだけでは足りない。創造には資本も必要である。資本とは何だろうか。私たちはMoneyとCapitalを同じ意味で使うことが多い。しかし、この二つは本質的に異なる。

Moneyは価値の交換や消費に使われる。消費とは、他者が創った価値を享受する行為である。一方、Capitalは価値創造を支える。Capitalは、未来に新しい価値を生み出そうとする営みを支えるリソースである

その違いは、MoneyがJudgmentを伴うかどうかにある。Moneyは、創造しようという意志とJudgmentを伴って初めてCapitalとなる。つまり、Capitalとは、未来に新しい価値を生み出そうとするMoneyなのである。

世界にはMoneyが溢れている。しかし、AI、半導体、データセンター、電力、ロボティクスなど、新しい価値を創造しようとする場所では、Capitalが不足している。ここでいうCapitalの不足とは、単なる資金量の不足ではない。不確実性を引き受け、時間をかけて新しい価値の創造を支える資金が不足しているということである。現代は、Moneyは有り余っているが、Capitalは取り合いになっており、Capitalの価値が高まっている。

もしCapitalが希少なのであれば、そのCapitalをどこへ配分するかは、社会にとって極めて重要になる。ここにこそ、資本市場の本質がある。資本市場とは、MoneyをCapitalへ変え、そのCapitalを価値創造へと配分する社会の仕組みなのである。

6.AI時代の資本市場

AIは、InformationとIntelligenceの希少性を大きく低下させ、評価のコストを劇的に引き下げた。しかし、そのことは資本市場を不要にすることを意味しない。むしろ逆である。

評価の希少性が低下するほど、創造の重要性は相対的に高まる。少なくとも現時点では、AIが自ら好奇心や意志を持ち、結果を引き受けながら創造へ向かっているわけではないから、創造とJudgmentの希少性は、評価と同じように直ちに低下するものではない。

社会の発展には、創造が不可欠である。AI時代になっても、創造の希少性は低下しない。そして創造を支えるものはCapitalである。資本市場は、MoneyをCapitalへ変え、そのCapitalを価値創造へと配分する社会の仕組みである。だからこそAI時代には、資本市場が果たす役割が一層重要になる。

AIは資本市場を不要にするのではない。AIは、資本市場の本質を、これまで以上に浮き彫りにしたのである。

7.おわりに

AIが人間社会を大きく変えている。この時代に、資本市場はどう変わっていくべきか。

AI時代に問われるのは、評価をさらに効率化することだけではない。社会にどのような創造が必要かを考え、そこへCapitalを託し、創造が生まれ育つ環境を整えることである。

資本市場は、評価の市場としての機能を保ちながら、創造を支える市場としての役割に、これまで以上にその重心を移していかなければならない。

 

・・・・以上です。いかがでしたか?こちらは、UTCMR(東京大学応用資本市場研究センター)のコラムとしても発表させていただきました。

 一月前、6月30日に、東京大学応用資本市場研究センター(UTCMR)主催、東京証券取引所後援で、「資本市場フォーラム~国際競争力を高めるグランドデザインとは~」なるものを開催しました。UTCMRは、私の個人的な寄付を元に東京大学に作られた、革新的な資本市場研究を通じて日本経済の活性化と国際競争力の強化に取り組むことを目的としたリサーチセンターです。

 

 東大の藤井総長の挨拶に始まり、JPXの山道CEOによる基調講演、そして経産省、金融庁、東証のキーパーソンとの制度セッション、日立製作所の東原会長、SWCCの長谷川会長などの方々との投資家・発行体セッションなどを行いました。この度、UTCMRのホームページに議事録を掲載しましたので、ご興味のある方には是非読んでいただけたらと思います。

 冒頭にサマリーがあるのですが、その最後に「本フォーラムを通じて、行政・市場関係者・企業・投資家の立場を超えて共有された認識は、制度改革は日本企業の平均点を引き上げることに大きく貢献した一方、今後は制度改革の成果を後退させるのではなく、その成果を企業改革の実質化と日本経済の国際競争力向上へ結び付けていくことが重要であるということである。日本市場や日本企業への世界的な注目が高まりつつある中、確実に進化し続ける姿勢をグローバルに示し続けることが重要である。」とまとめました。

 

 日本の資本市場改革はまだ道半ばです。喉元過ぎて熱さを忘れないように、これからもいい方向に進むように、私のライフワークとして取り組んでまいります。

 経済産業省宛てにパブリックコメントを出しました。

 

 企業は多種多様で、個性があります。だから企業は本来、自由に経営すればいいと思います。しかし、自ら「上場企業」であることを選択している場合は、一つだけ絶対に忘れてはならないことがあると信じています。それは、上場企業は無数の少数株主の資本によって支えられているという事実です。一人ひとりの投資額は小さいかもしれません。投資期間も、それぞれ違います。しかし、その小さな資本と時間が無数に集まることで、企業は大きな資本を得て、新しい事業に挑戦し、成長することができます。上場企業とは、その仕組みを利用している存在です。

 

 だからこそ、少数株主の利益を守ることは、単なる「配慮」ではありません。上場資本市場を設計する上で、最も大切にしなければならない原則であり、生命線です。

 

 今回の経済産業省の企業買収ルールに関する見直し案を読みました。全体としてはよく整理されています。しかし、私には一つだけ、大きな違和感がありました。それは、この最も根本的な原則が十分に貫かれていないことです。企業買収の制度は、経営の自由や大株主の権利にも十分配慮して設計されるべきです。しかし同時に、市場を信頼して資本を託している無数の少数株主の権利と利益も守る制度であるべきです。この一点を曖昧にしてしまえば、日本の資本市場が長い時間をかけて築いてきた信頼の土台が揺らぎます。そんな思いから、今回、経済産業省にパブリックコメント(※1)を提出しました。全文はカタリスト投資顧問のホームページ(※2)に掲載していますので、良かったら読んでみて下さい。

 

 資本市場は、単に企業がお金を集める場所ではありません。社会全体の資本を、未来を創る企業へと配分するための重要なインフラです。その信頼は、少数株主の利益を守るという原則の上に成り立っています。だからこそ、その原則は決して揺るがせてはならないと考えます。

 

※1「「企業買収における行動指針」の解釈について(案)」、「「企業買収における行動指針」のポイント(案)」及び「「企業買収における行動指針」Q&A(案)」に対する意見(PDF)

 

※2カタリスト投資顧問株式会社(外部サイト)

 今日、私が管理している小さい庭に、半夏生を見つけました。窓の先に、ぽっと静かな佇まいで、しかし圧倒的な存在感で、半夏生はいました。その庭の管理は最近始めたので、半夏生がいることを知りませんでした。半夏生は、なんか「ある」と書くよりも「いる」と書く方が、わたし的にはしっくりくる、不思議な植物です。

 

 そして半夏生って、本当に素敵な名前ですよね。背伸びしたドクダミのようですが、もしセイタカドクダミなんて名前だと、全然風情が出ません。いや、風情があるからこんな素敵な名前を与えられたのかも知れません。

 

 季節を表す雑節としての半夏生は明日。11年前の今日も、私は半夏生を見つけました。半夏生は何かを私に伝えに来たのかも知れません。なんだろうな。今晩ゆっくり考えてみたいと思います。

 一昨日土曜日に、マネックスグループの株主総会を開催しました。当社はマネックス証券として初の上場企業としての株主総会を2001年に開催して以来、ずっと土曜日に開いてきています。これは、なるべく多くの株主の皆さまに総会に来ていただきたい、そういう気持ちで始めたことです。一昨日はいくつかの他の会社も株主総会を開いていましたが、2001年当時は、週末開催は私が知るところでは当社だけでした。皆、総会集中日の平日に合わせて、なるべく人が来られないようにしていたのです。当時当社は、ホームページに株主提案の条件とやり方まで案内する徹底ぶりで、とにかく開かれた総会を目指してきました。

 

 今年の総会では、ヴァーチャルオンリーでも開催できるようにする定款変更と、総会議決権行使の基準日を3月末から6月末に変更し、総会の9月開催を可能とする定款変更の2議案を、他の2議案と併せて総会に上程しました。私たちの想いは、マネックスグループの総会を更に開かれたものにしたいという、その一点です。物理開催を基本とすると、どうしても議決権行使と質疑応答などの議論は会場に限定されてしまう。完全ヴァーチャル開催をすれば、日本中、世界中どこからでも議論に参加出来る。都内の方でも、移動の難しい方だっていらっしゃる。そして9月開催にすれば、有価証券報告書もゆっくり見られる。統合報告書だってきっと間に合う。他の総会と全く被らないから余裕で質問や議決方針も考えられて、時間的にも参加の障害が少ない。

 

 創業以来の開かれた総会への想いを、更に進化させたものですが、議場での株主の皆さまのご発言は、ヴァーチャルオンリー反対のご意見が大多数でした。或る意味当たり前と云えば当たり前で、2つの台風が通過する中で土曜日にわざわざ会場まで来て下さった株主の皆さまなので、物理開催にバイアスがあることは自然です。それでも株主の皆さまの声は重く、私は、私たちは、丁寧にその声を聞かせていただきました。今回の総会の決議自体は、オンライン等で事前に議決権行使されたものを含むと、超圧倒的な大多数の賛成で、ヴァーチャルオンリー開催を可能とする定款変更案は可決されたのですが、今後、皆さまの声をしっかり聞き、対話をしながら、具体的にいつどのように変えていくのか、決めていきたいと存じます。

 

 今回の総会は、株主の皆さまの意見がクリアで強く、そして厳しさの中にも多くの優しさがあり、本当に、本当に、ありがたい、感謝の気持ちでいっぱいになる、温かい総会でした。株主の皆さま、本当にありがとうございます。皆さまの声を大切に胸に抱いて、これからも進んで参ります。何卒よろしくお願い申し上げます。

 日経平均が7万円を超えたのでコメントを、と社員に頼まれました。ん?また1万円上がったの?それだけじゃん?それじゃ済みませんね。日経平均5万円到達が10月、6万円到達が4月、そして今はまだ6月。明らかに伸びが速くなっています。

 

 日経平均は「平均」と銘打ってますが、指数の作り方に大きな偏りがあり、「日本株、だけど主に半導体関連指数」みたいになっています。アメリカのNASDAQ指数、通称ナスも、テクノロジー銘柄に大きく偏っていますから、そういうもんだと割り切ってしまえばそれでいいし、何よりもこの時代に良く上がる指数があることは、資本市場的にも経済的にも良いことだ、と考える方がベターです。

 

 一昨日の日曜日は、トランプ大統領の80歳の誕生日でした。彼の自作自演の誕生日プレゼントのおこぼれを、日経平均ももらったかな。今日は日経平均、いわば古稀x1000になった日。人生古稀の次は喜寿。次は7万7千円を祝う日を待ちましょう。必ず来るでしょう。Stay invested. 持ち続けることが重要です。ではまた喜寿x1000の日に!

 今ニューヨークにいるのですが、ニックスとサッカー各国のユニフォームを着た人たちでごった返しています。ニューヨークは相変わらず元気で、AIによって世界が変わりつつある、そしてお金・資本の流れも変わってきている中で、やはりその中心に居続ける、本当に強い街だと実感します。資本市場というか、世界の資本の交錯するど真ん中が、ここニューヨークなのでしょう。

 

 そんなニューヨークの街中で見掛ける「日本」は、鮨は前から当たり前なのですが、今回目に付いたのは、音楽とMATCHA(抹茶)でした。カーネギーホールの前を通ると、Final Fantasy、Mitsuko Uchida、Joe Hisaishiのポスターがそれぞれ貼られていました。ゲーム音楽、クラシック、そして現代音楽。日本の音楽が、実に幅広い存在感を示しています。そしてスーパーに行くと、抹茶が紅茶やハーブティーの横に並んでいます。極め付けは蕎麦屋さんに行ったら、カウンターの上に抹茶と茶筅が売り物として並べられていました。凄いな。これじゃ日本で抹茶も茶筅も超品薄になるのが良く分かります。

 

 日本は今でも世界の産業を支える重要なプレーヤーです。しかしニューヨークで目に付くのは、そうした産業的な存在感とは少し異なる、日本独自の文化的な存在感です。つまり、長い伝統と文脈(コンテクスト)を持っている日本独自の「抹茶」と、ゲーム音楽や現代音楽など、現代に作られているやはり独自性のある音楽が、ここニューヨークで注目を集めているということです。

 

 インターネット、SNS、そしてAIによって、全てのことが同時に共有される時代、そんな時代に、やはり「独自性」が重要になって来ているのでしょう。情報や知識は、AIによって誰でも手に入れられるようになる。しかし、歴史や文脈に裏打ちされた独自性は、そう簡単には真似できない。そしてその価値が上がる。

 

 五番街に源吉兆庵があるのですが、そこで抹茶も売っていたので、それと個包装のお茶菓子を買って来て、日本独特のスイーツを食べ、薄茶を点てていただきました。あぁ。いい感じ。やや密かな優越感も意識しようとすれば出来る、でもそんなことより本当に幸せな気持ち。

 

 私自身は、資本市場主義の申し子だと自認しています。しかし同時に日本の伝統文化を愛する人間でありたい。その二刀流で、これからも参りたい。そう強く思うニューヨークでした。

 マーケットは荒れていますが、需要が供給を超えている状況と、我が国上場企業経営者が以前よりもずっと様々な経営リソース(ヒト・モノ・カネ)を最適配置しようという姿勢が強い、という二つの長期的な流れに変わりがあるとは思えませんから、売られたところには良い買い場もあると、私は考えています。

 

 さて今日は、ルビ(ふりがな)の話。不定期つぶやきなのに、敢えて何故今日ルビか?それには理由があるのです。ルビとは、漢字や熟語の横に振られているふりがなのことです。何故ルビと云うか?それはかつて活版印刷時代に、ふりがなを振るための小さいサイズの活字セットが「ルビー」と呼ばれていたからです。活字セットは、サイズによってダイヤモンドとか、すべて宝石の名前が付いていたのでした。

 

 日本語は、古事記から読み方ガイドがビルトインされていて、江戸時代は木版出版されたほとんどの書物、寺子屋で使われた教本にも、ほぼ総ルビが振られていました。日本人は、ルビによって日本語の読み方を覚えていったのです。明治・大正・昭和初期の文豪の作品にも多くのルビが振られました。私の好きな永井荷風の全集の初版本は総ルビです。ところが第二次大戦後、いくつかの不幸な理由が重なって、ルビは極端に減りました。しかし、ルビはとても重要だと思うのです。

 

 大人向けの本と子供向け本に明確な区別がある国は日本だけです。アルファベットで書かれていれば、最新の物理の本でも経済の本でも、子供でも読むことが出来ます。知らない単語は辞書で引けばいい。そして中には、その内容をちゃんと理解する、或いは部分を理解する子供もいるでしょう。もっと多くの本にルビが振ってあれば、子供は勝手に好奇心の赴くままに様々な分野の本を読み、好奇心と知性を発展させていく。或いは今、日本には外国ルーツの人も多く住んでいます。多くの人は必ずしも英語圏からではありません。彼らがもっと日本社会を理解し、共生していくためにも、ルビが振ってあることは良いことです。日本に住む以上、たった50音のひらがなは習得しているでしょうから。或いは、ここでは割愛して説明しますが、認知戦やフェイクニュースの時代に、日本の人が正しく情報を理解し、認知戦などに対して防衛するためにも、ルビが振られて日本人の日本語文章読解能力が担保されることはとても重要です。

 

 これらの理由から、ルビが振られることを推進するために、3年ほど前に私はルビ財団なるものを設立しました。(ルビ財団の活動はこちら→https://rubizaidan.jp/)私は昔から、触媒(カタリスト)となって、社会の仕組みを少しだけ変えて社会を良くしよう、と云うことにとても興味があります。資本市場に興味を持ち、我が国資本市場を改革・改善することを私はライフワークとしていますが、それも触媒的な役割です。マネックス・アクティビスト・ファンドの運用助言のために作った会社の名前を、カタリスト投資顧問としたのも、私のこの思想の表れです。敢えて云うなら、人々の様々なアクセシビリティの向上を、カタリストして推進するのが、私の人生なのかも知れません。

 

 そんなルビ推進活動を、「有隣堂しか知らない世界」、通称:ゆうせか、が約一年前に取り上げてくれました。そしてそれを見たポプラ社さんが、私を著者として、『「振り仮名」があれば、学力は上がるのか』と云う本を出版してくれることになりました。そこでなんと私が、ゆうせかに再度出演することになり、先週6月2日(ルビの日=去年、ルビ財団が申請して、ルビの日と制定されました)から配信されているのです。(https://www.youtube.com/watch?v=aqcWjzPuF2E&t=942s

 

 そして更に更に!明日、6月9日(火)の夜7時から、再々度ゆうせかに私はライブ出演し、このルビの本を、オンライン即売会することになりました。(https://yurindo-store.jp/products/9784591190135

 

 と云うことで、今日の明日なので、こうしてつぶやきを書いているのです。上の方に書いた、戦後ルビが大幅に減った理由、認知戦やフェイクニュースの時代にルビが何故重要か。これらが全て、この本に書かれています。或いは上記のゆうせか(YouTube配信)の中で、説明しています。ルビを増やすことは、日本社会を良くするために、本当に本当に重要なことだと、私は強く信じています。是非、ゆうせかを見てみて下さい。そして明日の即売会にも参加していただけると幸いです!

 

 

 加熱式タバコの仕組みを利用して、香木のポータブル空薫(そらだき)器を考えて、使い始めてみました。香木とは、熱を加えることで良い香りを放つ木の総称ですが、その中に沈香(じんこう)なるものがあります。沈香は、東南アジアの特定のジンチョウゲ科の樹木が、何かしらの理由で身に傷が付いた時に、自らを守るために樹液を分泌し、それが木の内部に沈着し、100年程度もしくはそれ以上の年月を経て熟成し、深みのある品の良い香りを持つようになった木のことを云います。水の中にも沈むように比重の大きい木となるので、沈香と呼ばれるようです。正倉院にある、織田信長や明治天皇も削り取った有名な蘭奢待(らんじゃたい)も、沈香の一種です。

 

 沈香は、温めるといい香りがするのですが、熱すぎると焦げて奥深い香りが崩れるので、炭を灰の中に埋めて灰の上に沈香を置いたり、或いは炭の上に銀葉(ぎんよう)と呼ばれる雲母板を置いて温度を下げて、その上に沈香を置いたりします。いい香りを引き出すには、中々手が掛かるのです。この沈香の香りを、どこでも簡単に聞けないか(沈香は嗅ぐではなく、聞く、と云うのです)。そう思った私は、小さい頃からの実験好きな気性が出て来て、新しい方法を考え出してみました。

 

 加熱式タバコのデバイスを上手く使えないか?加熱式タバコのデバイスの仕組みはどうなっているのか?温度はどのくらいなのか?製品によって温度は違うのか?沈香の空薫の温度は?などなど色々調べ、プルームオーラをコンビニで買い、ブルートゥースを繋いでモードをロングに替えて温度を下げ、沈香を小さく割って小さく切ったアルミホイルに半分ほど包んで加熱温度を更に調節し、いざ本来煙草カートリッジを入れる筒状の場所に入れてみました。そしてスイッチオン。

 

 最高です。穏やかな香り。一旦沈香とアルミホイルの大きさなどを確定すれば、完璧なる再現性。完全なポータブル性。日本の煙草製品ですから、安全性・安定性は申し分なし。そしてスッキリとしたデザイン。沈香の空薫に、完全な機能性を実現しました。やっほい!とても嬉しくて、かなり自慢です。車の中や茶室でサッと空薫してみる。或いは胸ポケットにしまったままでも空薫してみる。いいなぁー。最高だなぁー。自画自賛。ご興味の或る方は、あくまでも自己責任でどうぞ。

 

 さて、不定期つぶやきの初回は、恐らくマーケット関連だと思っていたら、自分でも驚きの沈香になりました。一昨日始めたことで、今一番ホットなのです。しかしこのつぶやき、ふりがながないと読めない言葉が多いですね。沈香も読み間違えると大変だ。と云うことで、次回はふりがな=ルビについて書きたいと思います!

 

 このつぶやきは、1999年の夏から2023年の初夏まで約24年間、一営業日も休まずに毎日書きました。そして2023年初夏から今までの3年間は、毎週1回書いてきました。しかし今日を最後に、不定期に移行することとなりました。というのも、毎営業日書くのはもちろん大変だったのですが、週1はとってもやりにくく、何より旬なテーマを書きにくいという問題があり、困っていたのでした。そこでわがままを言わせてもらい、「書きたい時にいつでも書く」という方式に換えさせてもらうことになりました。

 

 例えば最近でも、自民党にアクティビストのあり方を議論する作業部会が立ち上げられた!とか、巨人軍監督の話とか、色々と思うことはあったのですが、一日二日と経つうちに急速に世の中の興味は移っていってしまったり、私の中でも考え方が変わってきたりで、数日経つともう今さら書くのが憚れることが多くあるのです。或いはお茶の話とか、1回では書き切れないのでシリーズもので書こうかなと思っても、週1のペースでシリーズで書くと月をまたぐ形になり、流石にそれって長すぎる感じがあるだろう、季節も変わっちゃうし、などと考えて筆が進まなかったりで、結果、週1はツマラナイ!と思うに至り、今回の変更をお願いすることになりました。

 

 読者の方にあられては、間が空いてしまったり、或いは知らないうちにいくつも私のつぶやきが出てしまっていたり、分かりにくいかと思うのですが、恐縮ですがお付き合い下さい。今後ともよろしくお願いいたします!