当社グループのアート・イン・ザ・オフィス今年で15年目です。私は毎年応募作家の審査に加わってきましたし、受賞作家とお話したりしてきましたが、ワークショップには一回も参加したことがありませんでした。受賞したアーチストが、オフィスの中でワークショップを開いて社員と関わり合う。そしてそこで生まれたものが、オフィス内で仕上げられていくアートの中に何かしらの形で反映される。それらも含めてアート・イン・ザ・オフィスな訳ですが、この作成部分には私は参加したことがありませんでした。

 

 が!今日初めて、ちょっと顔を出したらひょひょいとエプロンを着せられたりして、ちょっと手を動かすことになりました。手はちょっとですが、心は大きく戸惑っておりました。私、見る専なんです。描くのは完全に全くダメで。でも、なんか、ちょっと、変に、気持ち良かったです。一瞬のカタルシスでしょうか。またやってみようかなw。アートはあと数日で完成するようです。期待MAXです!

 出版の仕事をしている或る友人に、若い頃に読んで生き方の指針になった本を紹介して欲しい、と頼まれたのですが、どうも思い当たる本がなくて断ってしまいました。経営の本も読まないし、啓発本も読まないし、昔から読むのは雑誌、小説、詩集くらいなので、話になりません。

 

 私が読んで何かしらのタメになった本というと、高校生か大学生の頃に一番良く読んだ坂口安吾の自伝小説か、若い社会人の頃に時たま読んだモンテーニュのエセーぐらいでしょうか。どちらも或る意味で似ています。

 

 安吾は、思春期の真っ只中に読みました。自分の「こうありたい」「こうなりたい」気持ちと実際の自分との差分に、悶々として苦しみ、だからと云ってそれを是正するための行動も取らず努力もろくにしない自分を軽蔑し、しかしどこかでそんな自分を甘やかさずには居られない、そんな矛盾に苦しむ思春期の私が、安吾の自伝小説の中に自分と同じ存在を見い出し、そしてそれを云い訳として或る意味安心する。

 

 とても背伸びして云うと、そうして自分を肯定出来たから前を向けた、となるのですが、それはちょっと眉唾もので、安吾のような偉大な精神でも酒をいっぱい飲んで自堕落な生活をするのだと自らを安心させ、或いは飲んだくれて自堕落な生活を書いている安吾を「偉大な精神」などと崇め立てることで、自分の弱さを正当化していたのでした。そんな話じゃ次世代のビジネスパーソンのために参考となるエピソードにならんですよね。なのでお断りしました。

 

 でも、こんなことを書いていたら、また安吾が読みたくなってきました。弱い人間の、そして呑み助のヒーロー安吾。何年かに一度戻って来る、故郷みたいなもんですね。

 昨日ふらっと寄った書店で、雑誌「ユリイカ」を本当に久し振りに探してみました。何かお目当てがあった訳ではなく、ふと、数十年ぶり?に、探してみたくなったのです。ありそうな場所に見つからず、やはり廃刊になったかなぁ、と思ったのですが、店内データベース検索するとちゃんとあるので、指定の本棚を探すと、果たしてありました。

 

 高校生の頃、たまに(以上か)読んでいましたが、物理的な本の雰囲気は当時とあまり変わっていないのですが、中身は随分違う気がしました。「詩」がないのです。あれれ?表紙を見ると、ちゃんと「詩と批評」と書いてありましたが、手に取った号には詩はありませんでした。詩はもう絶えてしまったか。詩って、生産に向かないですよね。しかもあの言葉少なさだと、組み合わせに限りがあって、もう既にいい詩は書き尽くされてしまったか。そんな筈もないでしょう。

 

 この号だけがそうだったのでしょう。が、いまサイトでバックナンバーを調べてみると、5月号は「菌類の世界」でした。え?でも面白そう。ポチッと押してしまいました。詩の研究も菌類の研究も、ま、似てるっちゃあ似てるか?昔から詩の愛好家はマイナーな存在なのです。ウシシ。

1998年9月の終わり頃、私はニューヨークのホテルの自室でひとりで飲んでいました。当時私がパートナーとしていたゴールドマンサックスを辞めてオンライン証券を創業すべきか、上場が半年後に控えていたゴールドマンに残るべきか、悩んでひとりで飲んでいたのです。酔う中で辿り着いた結論。STAYかGOの二択ならGOだ。そして翌日当時のゴールドマン会長に辞意を伝え、私は帰国し、身辺整理を始めました。

そんな10月の或る日、私にインターネットのいろはを教えてくれたIIJの鈴木さんから携帯に電話がありました。夜の9時過ぎでした。「今、出井さんと飲んでるんだけど、来る?」私はもちろん一目散に飛んでいきました。インターネットという新しいテクノロジーを使って個人の投資体験を変える。そのようなオンライン証券を創ることを考えていた私には大きな課題がありました。プロの金融マンや機関投資家の間では私のことを信じてもらえても、社会の中では無名の私が創る金融機関を、どうやって広く個人に知ってもらえるか?信じてもらえるか?それには、テクノロジーで個人の生活を変えたイメージの強い、かつクリーンなイメージの会社に、私と私のプランを理解してもらって、株主として知名度と信頼を補完してもらうに限ると、そう考え、それならばソニーしかないとそう考えていたのでした。

その考えを知っている鈴木さんが私を呼んでくれた。小料理屋に入っていくと、二人用の小さな正方形の座敷に通されました。そこに鈴木さんと、初対面の出井さんがいました。出井さんは確か、お友達の塩野七生さんが書かれた「マキアヴェッリ語録」を座布団の横に置かれていたと思います。マキアヴェッリを読まれるんだ。ただでさえ、当時世界中で話題の経営者だった出井さんを前に緊張するところ、更に逃げ場がない感じがしました。しかしその小料理屋に向かう車の中で、「出井さんは恐ろしく忙しい方に違いなく、その時間を少しでも無駄にしてはいけない。自分も自分のアイデアも、大きくも小さくもなく、そのままの大きさと形で、分かりやすく正直に簡潔に説明することだけが、最低限自分に出来る礼儀だ」と考えていたので、私のやることは変わりませんでした。

あくまでも淡々と、お世辞も謙遜も修飾もなく、オンライン証券とは何か、何故それが今後大きくなる可能性があるのか、そしてそのビジネスにソニーが関わる意義を、口頭で説明しました。出井さんはじっと聞いていました。いくつか質問されました。その内容は覚えていないのですが、なんで資本市場ビジネスに携わっている訳ではないのに、こんなに速く勘所を掴まえてこんなに要所をついた質問をされるのだろうと驚いたことを覚えています。もう夜の10時過ぎでした。そのあとに出井さんが、ところであなた誰?と聞かれました。それが初めて、私が出井さんに自己紹介をした時でした。その日は、出井さんとお話した時間は全部含めて20分程度だったように思います。

すると数日後、この間は酔っていたし夜だったので夜目遠目笠の内と云うこともある。もう一回聞かせてくれないか、と連絡がありました。早速指定の場所に行くと、それは午前10時頃だったと思いますが、出井さんの目は赤く充血していて(それはその後ソニーのトップをされている間はいつもそうだったのですが)、恐い迫力に満ちていました。そこでもう一回、先日話したのと同じことを簡潔に説明しました。出井さんは目を閉じてじっと聞かれていました。目を開けると当時の社長室長だった吉田さん(現ソニーグループCEO)に携帯で電話をされ、今すぐ松本さんに会いなさいと仰いました。

出井さんは、どこの馬の骨とも分からない若造の話を聞いて、そしてわざわざ確認のためにもう一度聞いて、そして中期計画を策定中で忙しい幹部社員にその若造の話を今聞けと仰ったのです。なんでそんなことが出来るのだろう?出井さんには一切偏見とか先入観がないのだと思います。しかも世界中の賞賛の声の真ん中にいる時でも、それは変わらないのでした。こんな人に私もなりたいです。これが出井さんとの長いお付き合いの始まりでした。

 今日は夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)の日ですね。そんな季節か。夏越しの大祓と云えば、例えば新橋烏森神社にも茅の輪が立てられて、新橋で飲む前にくぐったりした記憶が強くあります。直に朝顔市ほおずき市と繋がっていくイメージも強く、浴衣を着て下駄を履いて飲みに行くのがピッタリのイメージです。もう正真正銘夏ですね。

 

 浴衣を着てうちわで汗を乾かし、水分を多く摂って、スイカを食べる。そんな感じです。逆に云うとそんな感じに水分・糖分・塩分・ミネラルを摂らないと熱中症になっちゃうでしょう。エアコンが効いてスマホばかり見ていると季節感が薄れて、本来この季節にしているべきことをしなくて、具合が悪くなったりします。季節感を意識的に大切にしていきたいと思います。

 一昨日の大井競馬で、一旦20馬身差を付けられた2歳新馬が、最後に怒濤の走りを見せて先を行く馬をゴボウ抜きし、なんと大逆転で勝ったとのこと。

 馬の名前は「シテイタイケツ」。海外メディアにも取り上げられ、ちょっとした話題になっています。私もビデオを見てみましたが、最後の直線の追い込みが、文字通りの「怒濤」で、凄い迫力で全ての馬を抜き去っていき、正直ビックリしました。なんかマンガみたいです。

 ところで外国人のアナウンサーが、「シテイタイケツ」と叫んだりしてるのですが、意味は分かっているのか気になりました。そして海外の競走馬の名前も、あれやこれやと変わった名前が多いのか気になりました。どちらも検証する時間がありませんが、どうなんでしょうね?

 大井競馬場でデビューして、いずれ中央競馬の大スターになったハイセイコーのような躍進をシテイタイケツはするでしょうか?名前も面白いし、注目したいと思います!

 一昨日、或る所に家族と行ったら、カラスアゲハが来ました。昔は良く見たような気がします。近年でも時折見掛けたような記憶はあるのですが、それはあくまでも記憶で、都心で見るのは本当は珍しいようなので、実際に見るのは恐らく久し振りだったでしょう。

 とても形も色も良い個体でした。今はスマホですぐに写真もビデオも撮れるので、しっかりと収めることも出来ました。都心のマジックですね。なんか気の利いた詩か短歌でも書きたいものですが、文才も時間もありません。

「百年(ももとせ)の花に宿りてすぐしてき この世は蝶の夢にぞありける」(大江匡房)ー胡蝶の夢はあかないものですね。

 暑いですね。まさに猛暑。まだ6月ですから先が思いやられますが、こういう時に限って真夏は冷夏になったりもするので、先のことは分かりません。しかしとにかく今が暑いです。

 

 原発があまり動いていないため、電気供給も覚束なくて、特に午後3時から6時の間などが危ないようです。オフィスで冷房などにまだ一杯電気を使う時間帯で、かつ日が斜めになって太陽光発電量が下がる時間帯なので、この継ぎ目というか隙間が危ないのでしょう。こんな時こそサマータイムを考えてみたらいいと思うのですが、どうでしょう?

 

 東京の日の出は4時半、日の入りは19時。働くコアタイムを9時ー17時から例えば7時ー15時に変えると、15時ー18時の電力逼迫時間帯は回避出来そうです。証券会社は東証の市場が開く時間を変えてくれないと、勤務時間を変えるのは難しいですが、個社対応で勤務コア時間帯を変えることが出来る場合は、色々と工夫のしようがあるかも知れません。

 

 個人的には、日の出と共に起きて、涼しいうちに仕事を始め、一番暑い頃には勤務コア時間帯が終わって、まだ明るいうちからビールとか飲みに行って、暗くなって暫くしたら寝る、というのは憧れる生活パターンではあります。色々工夫しながら乗り切りましょう!

 明日はマネックスグループの株主総会です。上場企業にとっての一年で最大の行事、けじめの日であり、盆暮れ正月年度末が全てまとめて来るような感じです。私にとっては23回目の上場企業株主総会の議長を務めることになりますが、何度やっても特別な緊張感があります。マネックスグループは、日本における証券ビジネス、資産運用ビジネス、暗号資産関連ビジネス、米国における証券ビジネス、香港における証券ビジネス、などを中心にグローバルに展開する企業体です。株主総会では株主の皆さまに事業活動の説明をして、取締役の選任議案などをお諮りすると共に、株価、戦略、ガバナンスなど、様々なご質問にお答えします。厳しいご指摘も受けることでしょう。会社のオーナーである株主の皆さまに、真摯に、正しく、丁寧に、ご説明し、お答えしたいと思います。では、良い週末をお迎え下さい!

 1999年8月25日、東京のアーバンネット大手町最上階のスタールームで、マネックス証券開業の記者会見が行われました。会場には200人くらいの記者が集まり、テレビカメラも20台くらい並び、まるで聖子ちゃんの結婚発表会見のような騒ぎでした。お目当ては当時世界中で注目されていたソニー社長の出井伸之氏。出井さんが会場に入ってくると、無数のフラッシュが光り、記者が慌てて少しでも近くで撮ろうと押し寄せ、まさに異常な熱気と雰囲気でした。会見の本当の主催者は無名のオンライン証券社長の無名の若者、35歳の私でした。しかし私が決められた席に着こうとしても、出井さんを近くで撮ろうとするカメラマンが席を占領していて、私には目もくれませんでした。その会見で出井さんが、「今日は象徴的な日です。銀座のソニービルに大きなマネックスの幕が掛かっていて、まるでソニーがマネックスに乗っ取られたみたいだ。そのようにこれからもソニーというプラットフォームを活用して、大きく羽ばたいていって欲しい」というボーナストークをスピーチの最後にされました。そして初めてカメラマンは私のことを振り返って見たのでした。

 出井さんなくしてマネックスは生まれませんでした。そしてマネックスという今までの金融機関・証券会社とは全然違う匂いのする会社が生まれたことは、我が国に於いてオンライン証券が市民権を得ていったことに少なからず貢献していると思います。そしてインターネット上の様々なお金の移動を伴うネット銀行を始めとしたビジネスも、出井さんがマネックスの誕生を支えてくれたからこそ、社会に受け入れられていったのではないかとさえ思えます。ソロモンブラザーズ、ゴールドマンサックスという大企業を離れてからの私の人生は、まさに出井さんに導かれてきた人生である気がします。出井さんは、日本に於けるインターネット上の様々なビジネスや多くの起業家の総元締め的な生みの親だと思うのです。出井さんと様々なやり取りをし、多くのことを学ばせてもらえた私は本当に幸せ者です。その思い出を紡いで書き残すことは、私自身と、そしてそれを読まれる方にとっての、大切な教えとなるのではないかと思うに至りました。これから何回にもわたって、時間を掛けて、出井さんを再現していきたいと思います。