今朝、ジョギングをしていて、公園の池の脇を通ったら、水面がうねっていました。水面下から葦のような(恐らく菖蒲と思われます)葉っぱが伸びて小さな叢(くさむら)になっているところで、多くの鯉がバシャバシャと音を立てていたのです。その様子は、悶えているというか、戯れているというか、喧嘩してるというか。恐らく鯉が交尾して、産卵していたのですね。そういう季節なのでしょう。

 

 朝の公園は季節感に溢れています。冬に山茶花が咲き花びらを散らし、それから椿が咲いて花首ごと落ちて、白梅が咲き、紅梅が咲き、桜が咲き誇り、藤の花が咲き、菖蒲が咲く。そして鯉の産卵。早起きは三文の德と云いますが、正にそんな感じで、朝のジョギングのおかげで季節感を満喫しています。ジョギングの最後はお寺に寄って簡単にお詣り。清々しい気持ちになります。

 

 1年ほど前に始めた習慣ですが、今朝の鯉の動きは、特に自然の営みを感じるものでした。この習慣は続けていきたいと思います。

 週末に、京都で、アメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアから様々な人が集まった会議で、AIその他我々を取り巻く重要な事柄を議論したのですが、その中のひとつが「日本」でした。京都で話したせいもあって、日本はいいところ一杯あるよね、でもなんで日本のイノベーションや成長は止まっているのだろう、みたいなことも議論されました。私は、いや日本は遂に変化を始めているのだ、そしてその理由は、と説明したのですが、どこか噛み合わない部分もあるように思われました。何故でしょう?

 

 それはやはり言葉の違いではないかと、私は感じるのです。今はAIを使えば翻訳はほぼ完璧に出来ます。GPT5、GPT6の時代になったら、同時通訳も実現するでしょう。そうすると言葉の壁は大きく崩れ、誰でも侃々諤々と議論できるようになるかも知れません。しかしそれでも尚、どこか噛み合わない部分が残るのではないかと思います。何故なら人は言葉で考えるからです。

 

 日本語で考える時の論理の帰結と、英語で考える時の帰結は違ったりします。分析も然りで、英語で日本を分析するのと、日本語で分析する場合の理解とでは、どうしても違いが出ます。これは世界中のどんな国・言葉でも同じことが云えると思うのですが、特に日本の場合は、テキストや数字に表せられない膨大な背景や雰囲気と共に文化・文明・社会が成り立っているので、言葉に頼ったコミュニケーションをすると、どうしても伝達ロスがあるように思います。

 

 でもだからこそ、言葉だけは完全に操れないといけないのかな。京都の国際会議はとても楽しくて充実したものだったのですが、それが故に、もっともっとコミュニケートしたいと思うに至り、本当に久し振りに(何十年ぶりかも知れない!)、英語なるものをちゃんと訓練しようかなぁ、などと思ったのでした。まだ決意してませんが!

 

 今日は大雨ですね。我が社にとって、そして私にとって、様々な意味で恩人である出井さんが、私たちの前からいなくなってから、今日でちょうど1年になりました。早いなぁ、というのが率直な感想です。

 出井さんは、過去より未来、日本より世界、先輩より後輩、テイクよりギヴ、の人でした。徹底してます。今一度よく思い返して、私の人生のお手本にしたいと思います。

 生成AIによって作られたグラビアアイドルの写真集が出版されたらしいです。なるほど。AIグラビア。これは当り前に出てくるものだったと思われますが、なかなかザワザワさせるものがあります。実際見てみると、生身の人間の写真との区別は付きません。

 

 誰だか分かりませんが、そもそもグラビアアイドルで誰だか分からない人なんていくらでもいます。ブッキング、スタイリスト、照明、何も要らない。スキャンダルもなし。画期的かも知れないけれども、何かどこかポカッと存在してない虚無感を感じるのですが、思い込みかも知れません。

 

 今後、AIグラビアに留まらず、様々な生成AIによる擬人によるサービスが出てくるでしょう。擬人と見抜くための見識が必要になるかも知れません。いや、そんなの必要ないのかも知れません。ただAI擬人の問題は、傷付いたり、後悔したり、反省したりしないことでしょうか。

 

 非擬人(って人じゃん!)保証のサービスとかも出てくるのでしょうか。SF映画みたいですが、人と人のハイコンテキストなコミュニケーションが、より重要になって来る気がします。いずれにしろ、しっかりと考えないといけないことが多そうですね!

 我が国を取り巻く環境には日々大きな変動があり、今日もマーケットに様々な作用がありました。こうした短期的に変化するものとは別に、長期にわたって変動しない価値観とかミッションというものもあると思います。そのひとつが、私にとっては”人権”です。

 何度かこのつぶやきでも書いてきましたが、私はヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)という国際的な人権擁護NGOに、仕事外の課外活動として、16年前から関わっています。HRWの国際理事会の副議長もしています。

 水道水が自然と存在した訳ではなく、先人達が作ったから私たちは当たり前のように使えるように、人権もやはり先人達が為政者や社会から勝ち取ったものを、私たちは享受しているのです。そして今でも世界中で(或いは日本の中でも)、人権が今の人々に与えられていない状況はいくらでもあります。独裁国家、戦時下、宗教、様々な理由で、そのような状況は作られます。

 それらを知り、日本にいる私たちに何が出来るのか?何をすべきなのか?そんなことを考える年に一回のディナーが今晩開催されます。今晩は、マーケットにいる時とは違う視点を、しっかりと育みたいと思います。

 私は「自然な前傾姿勢」が好きです。これは物理的な姿勢ではなく、精神の姿勢のことです。このつぶやきは、今日で5834号、概算で350万字の文章を書き綴ってきたのですが、検索をすると昨日までに前傾姿勢という熟語は23回使っています。350万字でたったの23回じゃないかと思われるかも知れませんが、衝突を検索すると9回、恋愛を検索すると7回しか使ってないので、実は23回はかなりの頻度で前傾姿勢について書いているということなのです。

 前傾姿勢でないと在るものも見えない、チャンスもリスクも見逃す、先へ進むのが遅くなる。私にとってはいいことがありません。そして前傾姿勢になるためには、適度にバランスを崩さないといけないのです。ちょっと落ち着いて物事を俯瞰しようとすると、勢い姿勢が良くなり過ぎて、後傾気味、少なくとも前傾でなくなることがあります。それはイケません。私なりの姿勢を意識して、これからも進みたいと思います。

 金曜日のつぶやきに対して、何人もの方から、その「ツァラトゥストラ」はデオダートのものではないか?との連絡や投稿をいただきました。読んでいただき、そして反応していただき、誠にありがとうございます。私はCTIレーベルはかなり聴き込んでいたので、デオダートも、デオダートの「ツァラトゥストラ」も知っているのですが、40Hzっぽい音は、デオダートのアルバムではないのです。

 しかしそんな連絡を下さった方のためにも、正解を思い出さねばと思索を巡らしていたら、土曜日、朝ご飯を食べている時に答えが突然私の頭の中に降ってきました。冨田勲の宇宙幻想。1978年リリースのアルバムです。現代に於いては簡単に音源もネット上のサービスで入手出来るので聴きました。冒頭の曲が「スペース・ファンタジー」という組曲なのですが、その最初と最後が「ツァラトゥストラはかく語りき」です。そしてあの重低音で始まり、重低音で終わります。レコードで聴かないと、本当のダイナミックレンジを感じないのですが、やはり40Hzのような音でした。

 私が中3の時にリリースされて、恐らくその時に買ったのだと思います。好奇心に充ちて、貪欲に様々な音楽を聴き、或いは音楽に限らず様々なことに鼻や首や、時には体を突っ込んでいた頃ですね。でも今もそうか。しかし記憶とは面白いもので、あの急に思い出す瞬間、或いはそれまでの脳の中の準備作業って、一体どうなってるのでしょうね?

 土曜の朝に思い出してスッキリして、全国投資セミナー in 札幌を行い、それから八戸に移動して日曜日は八戸の大勢の社員と家族とBBQ大会をして、ようやく昨晩帰りました。八戸BBQではくじ引きでプレイステーション5が一人の社員に当たったのですが、めちゃくちゃ楽しそうで、私も今更やってみようかと思ったりしました。そして東京への帰り道、中学からの同級生とLINEでやり取りをしていると、とにかくその前向きな「欲」に感心しました。

 うん、これは何かのお告げかも知れない。新しいことにもっともっと、首を突っ込んでいきたいと思います、宇宙幻想を見つけて聴いていた中学の頃のように!

 私は見落としていたのですが、40Hzの音を繰り返し聞かせることで、アルツハイマー病が大きく改善する論文が2016年に出されていたとのこと。更に2019年に、40Hzの光を同時に見させると、その刺激が相乗効果を生むことも報告されていました。そして更に最近、40Hzの振動で体をぶるぶる震わせても、同じように効果があることがマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究で示されたとのこと。

 

 驚きですね。これらは全てマウスを使った実験であり、このまま人間に効くかは分かりませんが可能性はあり、しかも単純な器具で治療が出来るので、実用化すると極めて画期的です。ネット上にも、頭が良くなる音として、40Hz音が多くありました。重低音ウーハーの音みたいな感じです。

 

 昔好きだったジャズ(というかフュージョンか)アルバムで、最初の曲が「ツァラトゥストラはかく語りき」のものがありました。冒頭部分がとびっきりの重低音で、なんか宇宙感があるのです。レコードを見ると、その部分の”溝”がめっぽう広くて深くて、深い渓谷の間をレコード針が通って行くようでした。あのアルバム、誰のだったろう?ネット環境が良ければ検索出来ると思うのですが、出張のため移動する機中なので思うように調べられません。うぅぅぅぅ。40Hz音を聞いたら思い出せるか?

 

 さて、明日は札幌で全国投資セミナーです。お客さまにお会いできるのを楽しみにしています!良い週末をお迎え下さい!

 アイルランドでは、全ての酒類について、そのアルコール量や健康被害の警告を記したラベルを貼るルールを法律として制定したとのこと。但し発効するのは2026年。これは国内生産品に限らず、輸入品にも適用されます。

 

 アイルランドと云うと、如何にもお酒が大好きなイメージがありますが、行き過ぎてこんな動きになったのでしょうか。しかし早速いくつかの国から、貿易を阻害するとしてWTOに対して提訴の動きがあるとのこと。ハードリカーなら格別、ワインのボトルにそんなラベルを貼ることに対して、程度のバランスを逸していて馬鹿げている、との批判もあるようです。

 

 さて、どれだけ効果があるでしょうか?既にお酒を飲んでいる人は、二日酔いになると分かっていても飲んじゃう人ですから、こんなラベルは効かないでしょうね、きっと。新しく飲み始める人には、一度考えさせるきっかけになるかも知れません。しかし国として販売を認めながら一方でこのようなことをするのは、どこかチグハグのような感じがします。健康被害警告ラベルが貼ってあると、認識する味が落ちそうな気がしますし。

 

 それよりも、全ての酒類に、販売価格のうちいくらは税金です、とのラベルを貼ったらどうでしょう?なんだ本当はもっと安いのか、となって、もっと味が落ちてしまうか!

 先日、久し振りに歌舞伎町に行きました。え?なんで?或る会食の場所が、歌舞伎町のど真ん中にセットされていたのです。少し早く着いたので、そしてまだ明るかったので、ちょっと周囲を散歩してみました。高校生・大学生の頃には、まぁまぁ馴染みのあった地域です。

 

 コロナ期にクリーン化が図られたのか、コロナ期前に比べると、秩序が少々戻った感じがしました。かなりの数の構造物が立て直されていますが、それでもやはり街の雰囲気は変わらないもので、多くの所に昔の面影がありました。

 

 そして何よりも感じたのは、その雑多感とエネルギーです。欲望の渦巻く街。昭和を感じると云ってもいいかも知れません。やはり街って”密度”が重要なんだなと思いました。マーケットも同様でしょう。密度を感じるマーケット関連サービスを提供したいな、などとも思ったのでした。

 

 新宿は高校生の頃は一番行った街だと思われ、多くの記憶もあります。やはり色々なところに行った方が気付きもあっていいですね!