手土産は、如何なるモノも、贈る人の気持ち次第で手土産になると思います。私は食事の時のお土産は基本的に持参しない人間ですが、時折手土産を調達して持って行くことがあります。或いは他の人に持って行ってもらって届けることがあります。ほぼ全てのケースは相手が外国人です。言葉で伝えきれない思いやニュアンスがあるから、ストーリーを背負わせたモノに、思いを託すのでしょう。

 

 最近では、暫く会えそうにない海外の友人に、扇子を渡したことがあります。扇子の図柄は、季節に合わせた月と桜。While we are far away, we see the same moon together. 山川異域 風月同天 という言葉も書いて添えました。遠く離れていても、見上げる月は一緒だね。

 

 この手土産を、世間がどう見るかには興味がありません。相手がどう思うかだけです。それ以上に自分の気持ちですね。

 何が大切であるかを知ることは、とっても大切です。あまりにも当たり前すぎる話のようですが、人は時たま自分にとって何が大切かを間違える時があります。若い時は特に、「時たま」よりも頻繁に間違えるかも知れません。歳取ってもそうかも知れません。

 

 前にも書いた大きい石、小さい石、砂、を壺に入れる童話の話のように、人生のプライオリティの順番を間違えないことは極めて重要です。私もようやく間違えないようになったつもりですが、概ね間違えないのではなくて、決して間違えないようにしたいと思います。

 日々目まぐるしいですね。岸田首相のウクライナ電撃訪問。これは日本外交や世界政治のダイナミクスを変化させるきっかけになるでしょうか?そして昨日はWBC日本チームの逆転サヨナラ勝利。今日は、接戦の末の最終回、大谷がトラウトを三振に取っての勝利、優勝。

 7回以降は社内のコラボレーティング・スペース(通称コラボ)のモニターをテレビチューナー接続にして中継を流し、ミーティングも敢えてコラボの中でして、更に9回はミーティングを中断して、社員と一緒にかぶりつきで応援しました。そして勝った瞬間、思わず皆が万歳を。私は案外涙腺が弱くて、特に右目の涙腺が弱くて、右目がかなり濡れたのでした。最高ですね。頑張れ、日本!

 昨日はちょうどお彼岸の中日・春分でした。様々なことが切り替えられる日です。我々にとって、色んなことが、今後いい方向に流れていくことを信じて、願いたいと思います。

 スイスの金融大手・クレディ・スイスが経営危機に陥り、ライバルのUBSが買収することになりました。これでスイスの大手銀行はひとつになります。かつてスイスには、UBS、クレディ・スイスの他にもSBCという大手銀行がありました。3つあった金融大手が、ひとつになってしまったということです。

 SBCはかつて、シカゴにあったオコーナー(O'Connor)という優れたトレーディング・ハウスを買収しました。オコーナーは、多くのトレーダーを抱えていた会社なのですが、マーケットの引け後に全てのトレーダーのポジションを会社ポジションというひとつのアカウントに移し、他のトレーダーのポジションと相殺されなかったポジションは翌日以降淡々とマーケットで反対売買をし、一方トレーダーは翌日会社に来ると、全てのポジションは白紙になっていて、自らの過去の(昨日の)判断に囚われずに、自由に新しくトレーディングする、という仕組みを考えた会社です。

 ノーベル経済学賞を取ったプロスペクト理論によって明らかにされたトレーダーの弱点を取り除く工夫を、ノーベル賞で認められる数十年前から実行していた、リスク管理にとても長けていた会社です。オコーナーはSBCに買収されましたが、新SBCのリスク管理部門はオコーナーの残党が牛耳ったと云われています。そしてSBCはいずれUBSに買収されることになるのですが、その後もリスク管理部門はオコーナーの残党、もしくはその系列の人が担当したとまことしやかに云われています。そして今回、UBSがクレディ・スイスを買収。やや感傷的な、或いはこじつけ的な話の構成ではありますが、リスク管理の大切さを思い知らされるエピソードだと思います。

 このことは片や「国」という単位でも同じことが云えると思いますし、片や「個人」の人生でも同様です。リスク管理とは、リスクを取らないという意味ではありません。リスクを常に認識して、時と場合に依っては迅速にリスクを減らし、或いはなくす決意と姿勢を持つことで、リスクを取ることを可能にする、という意味です。肝に銘じておきたいですね。

 「サンプラザ中野くんの株式ロックンロール」、マネックスメール・マネクリでずっと連載をいただいてきたサンプラザ中野くんさんのコラムが、昨日最終回を迎えました。2002年1月17日からずっと続いてきたので、なんと21年と2ヶ月の連載になります。中野さん、本当に本当にありがとうございました。

 

 中野さんとのお付き合いは、マネックス証券を創業した当初に、某誌の「スーパートレーダーへの道」という連載に起用された中野さんがオンライントレーディングを実際にご自身のお金で始められて、対談でトレーディングや投資に関するご質問に私がお答えすることから始まりました。「スーパートレーダーへの道」が1999年10月(マネックス証券のサービス開始月。日本の株式委託売買手数料が完全自由化された時です)開始ですから、マネックスの歴史と共に、中野さんとは歩んできたことになります。

 

 一緒に「株本」という本も出版させていただきました。中野さんと一緒に日経新聞の拡販営業に駆り出されて、各地を回って対談講演をしたこともあります。当社のお客さま感謝デーにパッパラー河合さんと来ていただいて、爆風スランプ時代の名曲を歌っていただいたこともあります。株式ロックンロールにも書かれているとおり、庶民のものでなかった音楽がロックと共にみんなのものとなったように、「株」をあまり知らなかった中野さんと私(!)が、オンライン証券の夜明けと共に、一緒に株のことを勉強して、延いては資本市場の民主化について、それぞれの形で関わって来た感があります。

 

 恥ずかしながら一緒にカラオケに行かせていただいたこともあります。思い起こすと、キリがないほどの思い出があります。サンプラザ中野くんさん、21年以上にわたる連載、本当にありがとうございました!中野さん大好きです。

 皆さん、キセルって覚えてますか?電車に乗る時に、乗る駅からの少額切符と降りる駅までの少額切符を組み合わせて、正規運賃を払わないで安く済ませる詐欺犯罪です。かつて煙草を吸う道具だったキセルが、煙草の葉を乗せるがん首と吸い口だけが金(カネ)で出来ていたので、こう呼ばれるようになりました。今はもうスマホやICカードなどの電子決済が主流ですから、キセルなどないかも知れません。

 

 しかし今晩は、久し振りにキセルが出るかなぁと、ふと思いました。と云うのも、最近朝5時頃からの会議が多くて寝不足なところに加えて、今晩は夜10時から明朝5時までの会議があり、これは流石に無理だと思い、冒頭だけ出て、寝て、朝の3時半頃から最後までに重要な議題があるので、またそこだけ出ようかと考えているのです。会議のキセルですね。リモート会議だから出来る技でもあります。

 

 キセルは良くないけど、このような事情での会議のキセルは容赦願えたらと思っております。ごめんなさい!

 

 朝ジョギングしながらポッドキャストを聞きます。全てニュースもので、日本語がふたつ、英語がひとつ。「ながら」で情報を得られるので便利です。しかし、気になることがあります。

 

 日本語のふたつの番組、どちらもパーソナリティは複数の人が曜日によって交代で務めています。そういうお仕事ですから男性も女性も美声です。しかし、単語のイントネーションが間違っていることがしばしばあるのです。今朝も二番組とも少なくともひとつずつ間違っていました。

 

 耳への当りが良くないこと以上に、これを聞いて間違ったイントネーションが広がるのではないか、という不安を感じます。最近私がつぶやきで書く、SNSの普及による非社会化の問題と同根かも知れません。ライブでも対面でもなく、閉ざされた1対1の関係の中で、かつ一方向に発信されるので、「間違ってるよ」というフィードバックを得にくく、直りにくいのではないかと。これもデジタル社会のひとつの弊害かも知れません。

 

 翻って考えるに、現代に於いては、フィードバックを正しく多く、かつなるべくリアルタイムに得ることが肝要ですね。気を付けたいと思います。

 

 昨日からマスク着用が自由になりました。正確に云うと、我が国に於いては政府は立法なくして個人の活動を制限することは出来ず、マスク着用は常に自由であり、単にマスク着用の推奨をしてきた訳ですが、昨日からはマスク着用の推奨内容も「個人に委ねる」とした訳です。この辺りの微妙な云い回しが、如何にも日本らしいと思います。いずれにしろマスク無着用が(或る意味で)解禁となった訳ですが、未だにマスクを着用している人が街には多いようです。

 

 文部科学省は学校の卒業式に於いて、マスクを着用しないことを推奨しましたが、実際にはマスクを付けている生徒が多いようです。先日テレビを見ていたら、中学生が卒業式の日にインタビューを受けていて、「初めて見せる顔が卒業式なのは恥ずかしいから、マスクは外しません」と答えていました。切ないですね。

 

 同様の理由で、自宅から参加するオンライン授業でも、マスクを外さない生徒は多いようで、SNSの発展と相俟って、子供たちの社会化が遅れないか心配です。でもきっと杞憂なのでしょう。そう信じたいです。

 

 私は笑顔を見るのが好きです。今日は東京で桜の開花宣言がされました。花見をして、暖かい季節に外で遊んで、マスクを外した多くの笑顔が見られることを、楽しみにしたいと思います。

 銀行は潰さない。少なくとも預金者の預金は全額保護する。いわゆるペイオフ(正しい英語かどうかは不明ですが、日本では、銀行が破綻する時に、その預金保険額を超えた部分の預金額は保護されず、破綻の程度に応じて部分しか預金者に戻ってこないような破綻処理方法を指します)は行わない。これらは、日本が銀行の不良債権問題に直面した今から20年ちょっと前に導入した、一連の手法・考え方です。

 

 このやり方は当時、世界から多くの批判を受けました。日本のやり方は too big, too fail、即ち大きすぎると潰せないだけだ。モラル・ハザードが起きる。最終的にコストが高く付く、云々。後にノーベル経済学賞を取ったクルーグマン教授などは、その批判の急先鋒でした。しかし時は巡り、その10年後くらいに起きたGFC(世界金融危機。日本ではリーマン・ショックと呼ばれる)では、正に日本が取った手法をアメリカも取らざるを得ず、クルーグマン教授も日本に対して謝罪することになったのでした。

 

 時はまた巡り、今回、アメリカでシリコンバレーバンクの経営破綻が突然に起きました。預金はいつでも引き出せますが、それの見合いで投資していた債券が、満期の長いものだったり、或いはモーゲージ債券で(これもデュレーションと云われる満期に近い概念のものが長いです)あり、預金の引き出しに応じて運用債券を取り崩したら、昨今の急速な金利引き上げの影響を受けて、満期まで持っていたら元本が返ってきたものの、途中売却なので実現損が出て、その情報が更に預金者の引き出しを招き、あっという間に破綻してしまいました。

 

 パウエル連銀議長は、かつて政府の違う所にいた時には、ペイオフはすべきである、即ち預金者の全額保護はしないべきだと主張していたという情報もこの週末に流れたので、かなりの不安が漂いましたが、結局今回もアメリカ政府は、20年前に日本が取った手法を、同様に取ることになりました。預金は全て守る。銀行破綻は、預金を保護しないと実体経済に与える影響が甚大なので、最終的にこのような形になるのは、止むを得ないと思います。しかし常に預金を全額保護するのであれば、米連邦預金保険公社や日本の預金保険機構のような仕組みは、意味がないとは云いませんが、意味合いや定義を変えるべきだと思います。

 

 いずれにしても、素早く資金移動を出来るようなサービスの充実が、極めて短い時間での大量の預金の移動を可能にし、あっという間に銀行破綻を招いた訳で、様々な資本充実や開示ルールの改善をする必要があると思われると同時に、エコシステムを維持するのに適切なサービス水準とは如何なるものか?という考えも、今後慎重に吟味していく必要がありそうですね。

 

 日銀黒田総裁は、歴代最長の10年間総裁を務められ、今日の政策決定会合が任期中最後の決定会合となりました。毀誉褒貶が混じり合う評価となるでしょうが、これだけ大きい国で、これだけ多くの問題を抱えている国の中央銀行総裁の職務を務めるのは、本当に大変なことだと思いますので、先ずはお疲れさまでしたと、私のような者から云われたくないとは思いますが、心の中で申し上げたいと思います。

 しかし黒田総裁の10年を見て思うのは、作戦は初手よりも二手、三手、更には作戦をどのように展開するかよりも、どのように収束させていくかが、とても難しく、そしてとても重要だと云うことです。そのことは植田新総裁にも当て嵌まることでしょう。更に、中央銀行総裁に限らず、様々な政治や行政、更には経営、延いてはあらゆる人間活動にも云えることかも知れないと感じます。

 なにはともあれ、新日銀の新しい展開を期待したいと思います。