「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」
春が来ていることを、冬の透明感を持ちながら、
今日は節分。これから社内で豆撒きをして、
「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」
春が来ていることを、冬の透明感を持ちながら、
今日は節分。これから社内で豆撒きをして、
ChatGPTが、
先日、アンドロイド風の人に続けて遭遇したと書きましたが、
学校の先生もChatGPTに変わるかなぁ。
今日は特別な日。48年前、私の最初の年男の年のこの日に、
2月1日の朝課参加は、もう何回もしていることですが、
天気も良くて、今日は朝から清々しい気持ちで一杯でした。
最近、食べ物屋さんで、アンドロイド風の人に何回か会いました。
そういう時代になっても、生身の人間にしか出来ないこと、
THE LAST ROCKSTARSのコンサートに行きました。YOSHIKI、
レジェンド4人組のスーパーバンドが、世界にチャレンジする。
挑戦を続ける。カッコ良く生きる。ロック!
政府は新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけを、5月8日に現在の2類相当から5類に移行するとのこと。遅かったなぁと思いますが、これは人によって意見は違うでしょう。
マスク着用については、屋内・屋外を問わず、個人の判断に委ねる、とのこと。今までもマスクを着用する法律があった訳ではなく、個人に「お願い」していたところ、今度は個人に「委ねる」とのこと。
簡単に国民の様々な権利や行動について制限が出来ない日本の仕組みは、とても民主的で、多くの他国より優れていると私は思っています。だから立法しないでお願いしてきたところ、5類移行に伴って、「お願いを止める」なら判るのですが、「個人に委ねる」とは、なんか今までの状態を命令してきたみたいにすり替えているようで、或いは今後の感染状況の行方の責任をなんとなく個人に転嫁しているみたいで、私はこの言葉遣いが嫌いです。
当社に於いてはもう昨年の9月末から、マスク着用は各部室などの自主判断に任せてきました。自立精神は重要だと思っています。
今日は特にゆるいテーマを。大体私は何でも早めにやる気性です。
ひとつは食べ物屋さんの予約。こればっかりは、
ま、しかし、どちらもそう思ってしまうこと自体がせっかちかぁ。
昨晩、美味しいビーガン料理を食べました。私は菜食主義ではないのですが、大変お世話になった方との昨日の会食は、その方がビーガンなので、私も合わせたのです。これがとても美味しかった。
ごく最近オープンしたレストランなのですが、そこにビーガンコースがあり、いただきました。私は肉大好き人間なので、足りるかなぁ、と実は思っていたのですが、とにかく美味しい。次から次に、どの料理も美味しくて、メインディッシュはキノコのソテーをいただき、全編大満足でした。
お世話になったその方は、ビーガンになろうとは云いませんが、日本食、イタリアン、中華、ステーキなどと食べる中に、ひとつの選択肢としてビーガン料理も入れてもいいと思います、と仰っていました。蓋し名言。食のダイバーシティですね。
食の好き嫌いと人付き合いの偏りには相関がある、とは或る友人の言葉なのですが、私もそう感じています。人付き合いのダイバーシティを確保するためにも、時折ビーガン料理も食べて、食のダイバーシティを担保したいと思います。
先週の土曜日に、母校の中学2年生向けに講義をしました。その内容はさておき、とっても緊張しました。私は母校愛が強く、その思いが余ってしまい、後輩にタメになる話をしようと気持ちを入れ過ぎて、始めのうち空回りしてしまいました。
ガラにもなく、何を話すかの要点を箇条書きにしたものをスマホに入れて、それを最初のうちは見ながら話したのがいけなかったです。私は講演とかスピーチをすることもそれなりに多くありますが、ほぼ常にほとんど準備もなく、原稿もなく、アドリブで行うのですが、たまに失礼があってはいけないと、大切な人たちの前で話す時に原稿の素みたいのを書くと、空回りして上手くいかなくなります。慣れないことをするのは良くないですね。
しかし一方、緊張することはそんなに悪いことでもない、とも思うのです。相手をどうでもいいと思っていたら、緊張する由もありません。相手に敬意を持ってるから緊張するのです。それはいいことです。但しそこで、自分をありのままに見せるのであれば緊張しないのですが、やはり大切な人の前で背伸びをしようとするので、その差分に自信がないから緊張するんでしょうね。
でも背伸びをしようとするのも、思春期みたいで、ま、いっか!
羽生善治九段が藤井聡太五冠に、王将戦第二局で勝ちました。カッコいい。素晴らしい。感動的です。昨日の夕方速報ニュースを見た時は、思わずガッツポーズをしてしまいました。ちょうど最終盤の熱戦が拡げられている頃、私は対局が行われていた高槻市を通過していたので、なんかありがたい気持ちになりました。
私はこの仕事をしている役得で21年前に羽生さんと対談をしてから、ありがたいことに羽生さんと少々のお付き合いをいただいており、そして羽生さんの著作もいくつも読んでいて、その考え方にとっても強く感銘を受け、僭越ながら共感する部分も多く、とても尊敬し、いつも応援しています。羽生さんは継続すること、継続出来る情熱を持つこと、そのことこそが才能である、という主旨のことを書かれており、今回の勝利もまさにご自身が書かれていることを実践し証明されたと思います。
私は将棋は全く詳しくないのですが、藤井聡太さんは天才であり怪物だと思いますが、20歳の新型天才に対して、研究と勇気で挑んで打ち負かすことの出来る52歳の羽生さんは、怪物を超えた怪物であり、情熱と意志の巨大な所有者であり、かつ実行者で、羽生さんの全盛期はもしかしたら未だ到来してないのではないか、とさえまで思ってしまいます。
羽生さんのような大きな精神、意志、才能を見ると、私は博物館でエジプトの彫像を見る時のような次元の違う畏怖の念を抱くことしか出来ませんが、それでも尚、自分もそんな羽生さんにあやかって、情熱と意志を高く維持したいと、そう思うのでした。