明日はマネックスグループの株主総会です。私にとっては25回目の上場企業株主総会の議長を務めることになります(24回の定時総会と1回の臨時総会)。その意味では、慣れているかと聞かれれば慣れていますが、株主総会が上場企業グループにとって一年で一番大切な行事であることは間違いなく、そして年と共に時代の要請や株主の方の興味も違いますので、株主総会はいつでも初舞台のようなものです(梅沢富美男の夢芝居みたいだ)。そういう気持ちで臨まなければいけないと考えています。

 

 ところで私は今週の前半にニューヨークでマスターカード社の株主総会に社外取締役として出席してきたのですが、彼の国の株主総会は、日本とは随分様相が違います。コロナ以降、アメリカのナスダック上場企業株主総会の平均所要時間は15分程度です。え?!どうゆうこと?アメリカは株主の意見を良く聞くのではなかったでしたっけ?はい、アメリカの企業は、株主の声にめちゃくちゃ耳を傾けます。一年中ちゃんと耳を傾けて、一年中様々な形で対話をしているので、株主総会の時に敢えて説明・質問・回答をする必要があまりないのです(一部の、バークシャーハサウェイなどのお祭り的イベントとしての株主総会を除きます)。

 

 翻って日本に於いては、そのような通年での株主との対話が少ないので、アメリカと違って、株主総会の重要度が飛躍的に高いのです。マネックスグループに於いては、機関投資家向けのIR活動も通年行っていますし、様々な形で個人株主の皆さまとの対話も持っておりますが、やはり株主総会は格別に重要ですので、明日は心して臨みたいと思います。因みにマネックスの株主総会は、過去24回、天気予報に限らず、一回も雨が降ったことがありません。明日もなんとか雨は降らなそうですね!

 今、ニューヨークに出張で来ています。ニューヨークは知り合いも多く、色々なことが肌に合うというか、私にとってはこの上なく心地良い土地であり、今回も私なりに楽しんでいます。

 ミーティングで会う人に、大統領選=トランプとバイデンどちらが勝つか?についてもおまけ質問的に聞いています。今のところ全員がトランプとの答え。トランプと答える人の方が多いと思っていたのですが、全員がトランプと云うとは想像していなかったので、ちょっと驚きです。少なくとも私が会うような人たちは、その人たちがしているビジネスに関して、バイデン政権に対して多くの不満を持っているのですね。しかし同時に一方で、トランプが大統領になると秩序が壊れるのではないかとの心配も多いようではあります。

 バイデンが現政権内のいくつかの重要なポストの人事を変えれば、バイデンが一気に有利になるだろう、という仮説にも全員が同意するのですが、それが出来ないところが、バイデンが弱い正に理由なのかも知れません。たかが人事、されど人事。人事がいかに大切であるかを思い知らされます。さて実際に大統領選はどうなることやら。

 8年前の今頃のニューヨークでも、私は会う人会う人に大統領選について聞きましたが、その時はほぼ全員ヒラリー・クリントンがなる、トランプはあり得ない、と云ってましたが、私はトランプが勝つだろうと思っていました。果たしてトランプが大統領になりました。一部地域や一部業界での事前の下馬評はアテにならないものです。今回はどうでしょうか?でもなぁ、今のままではバイデン駄目だろうなぁと、私も思います。もっと色々な人に意見を聞こうと思います。

 他に街を観察してて思うのは、ちょっと観光客が減ったかな?という感覚です。ドルも強いし物価も上がっているから、旅行の目的地として敬遠されているのかも知れません。その関係で云うと、ドルに対する円安はそろそろ終わる、今のレベル辺りがボトム(ドルで云うと天井)ではないかとの考えが、これまた色々な人と話をしてて、私の中でかなり強くなって来ました。多くの発見がある街です、ニューヨークは。まだ暫く居るので、大いに楽しみたいと思います。

 今日、母が都内の或るデパートに行くのを見守りました。「はじめてのおつかい」のように、私は手を出さず、ひとりでデパートに行って買い物をして帰宅するのを、見守りました。つい一年ちょっと前までは、ひとりでどこでも行っていたのですが、怪我というか病気をして、この一年はほとんど行動が制約されていたのでした。数回私が連れ出したことはあるのですが、やはり自分で出掛けたい。その夢を叶えるために、ちょっと前から計画を立てました。

 

 母は計画実行に向けて歩く量を増やし、そして今日遂に、出掛けました。私は付いていきましたが、一切手は出さない。タクシーに乗り、歩行器を畳んで車内に入れてもらい、Suicaで払い、デパートの車寄せに入り、デパートの人に手伝っていただいて降りる。ちょこちょこと歩いて、好きなように買いたいものを探し、クレジットカードで払う。そしてまたタクシーで帰る。デパートでの滞在時間は30分ほどでした。母は超ゴキゲンで、疲れた?と聞いても、とっても元気になりました!とガッツポーズ。デパートでは店員さんに質問したり説明したりせねばならないので、必然的に声も大きくなり、滑舌もたった30分の間でも良くなりました。自宅の部屋に戻っても、いつもより力強く様々なことをしていました。

 

 やはり活力って自立から来るのですね。今日は私もとてもハッピーな気持ちで、元気をもらいました。ありがとう!

 今日は4月9日に書いた<縁とは>の続編です。家族の先祖が190年前に或る強い思いを持って或るお寺でしたこと。その事実の記録がお寺で発見されて、お寺さんも家族もかなりの驚きだったこと、縁は原因ではなく結果ではないか、と感じたこと、を前回は書きましたが、そのお寺さんが家族の実家やお墓まで来て下さいました。そして私は自分の役割をじっくりと考えることになりました。

 家族とお寺さんが190年前に思いを馳せる。その場に私もずっと一緒に居たのですが、ここで家族とは姻族なのです。今回のことのきっかけを作ったのは私なのですが、なぜ私がこのような役割を担っているのだろう?ということに思いが巡りました。

 私は小さい頃から、自分を「器」のように考える傾向があります。私の人生の目標は、「あの人のようになりたい」「あそこまで行きたい」ではなくて、自分として出来るキャパシティの何%増しで自分を回しているか?自分の効用をどれだけ使い切っているか?社会の中の「器」としての自分がどれだけ社会の中で使われているか?というようなことなのです。4年半前に始めたマネックス・アクティビスト・ファンドの運用助言をする投資顧問会社も、私が会長を務めて中心となって活動していますが、「カタリスト投資顧問」と名付けました。カタリストとは触媒、もしくはきっかけ・触媒の働きをする人を意味する英語です。自分は触媒でありたい。カタリストでありたい。そういう気質が、私にはあります。

 化学反応を起こす主役は、きっかけが欲しくて触媒を呼ぶのか?或いはきっかけが主役を呼び寄せるのか?そして何よりも、触媒である私の次の役割は何なのか?答えはすぐには見つかりそうにありません。でも、どの辺りにあるのかは、ちょっと分かる気もするのです。探したいと思います。

 昨日、外国の方たちとのディナーで、パッション(情熱)について話し合いました。自身の仕事・職業に関係のないことで何にパッションを持っているか?色々な答えが出て来た中で、ひとつ最初に聞いた時はえっ!?と思ったのですが、良く聞くうちにじわじわと染み込んできたのが、「Passion to relax」でした。

 

 リラックスする情熱。情熱を持ってリラックスすることに専念する。なるほどー。何ごとも中途半端ではいけません。リラックスする時は真剣にリラックスする。真剣どころか情熱を持ってリラックスをする。これはそれまで様々な自身の情熱を熱く語っていた人たちも、はたと気が付いて立ち止まるように、うんうんと聞き入っていたのでした。私も実践しようと思います。

 

 でもこの人の場合は、情熱を持ってリラックスするのではなくて、リラックスすることが自分の情熱だと云っていたので、本当はどういうことなのかなぁ。うーむ、悩ましい。しかし、こんなことに悩むようではリラックス出来ません。楽に考えようと思います~

 先週末は富山で日本株のセミナー、週央には京都に用事がありビジネスディナー後の新幹線で赴き、今日は長野県に用事がいくつかあり日帰りで移動中。忙しくしていますが、5月は天候が概ね気持ち良くて、苦になりません。そうだ明日土曜日は東大五月祭で講演するのだった。移動も活動も多いです。

 さて今日は着物の話。最近、着物にやや嵌まってます。おじ臭!と云うなかれ。日本の在り方が、良く着物には現れていると思うのです。

 例えばお箸とフォーク。お箸は作るのは(フォークに比べれば)簡単ですが、使いこなすにはノウハウが必要です。フォークを作るのは大変ですが、使うのは幼児でも出来ます。浴衣とパジャマも同様。日本は、使う・活用するためのノウハウというか(ソフトウェア、ハードウェアなどの)ウェアが、モノではなく人間にあるのが特徴だと思います。

 着物を着るために帯を結んだり、袴を締めたりする。この帯類の結び方や締め方は、複雑・不思議なようで、ずれず、緩まず、同じモノで違う表現も出来て、収納時にはかさばらずと、とても良く考えられた合理的なもので、興味深く、そして楽しいです。折り紙然り、懐紙を折って様々なものを作ること然り、手先と頭、特に想像力を使い、こんな所のどこかに日本の真髄がちょっとだけ隠れている気もするのです。

 ということで、茶道や着物や、和なモノの見直しに傾倒がちの近頃の私でした。

 一昨日5月8日に、東京大学本郷キャンパスの小柴ホールにて、東京大学応用資本市場研究センターが初めての政策提言を記者発表しました。東京大学応用資本市場研究センターは、昨年私が個人的に(正確には株式会社松本という私の資産管理会社が)寄付を行い、それを基に設立されたエンダウメント型のリサーチセンターで、英語名は UTokyo Center for Applied Capital Markets Research、その頭文字を取って略称をUTCMRといいます。

 

 政策提言の詳細は、以下のリンクから見ていただきたいのですが、簡単に云うと、上場企業の配当金の損金算入を認めよ、というものです。そうすれば配当が増え、株価が上がり、国民年金資産が増え、企業の買収能力も人材採用能力も高まり、日本株に対する投資から円安を止める効果も期待でき、また資産効果から国内消費も増え、日本経済の大いなる活性化に繋がる。

 

 一方企業側に着目すると、経営者は利益を内部留保する理由が減り、なぜなら配当を払えばその部分に減税を受ける訳ですから、少なくとも内部留保をする場合にはその説明を求められ、基本は増配することによってお金が社会に環流して活用(消費や違う投資)されるか、或いは増配の替わりに成長投資にお金が振り向けられるように促され、即ち企業経営者のマインドセットに前向きになるプレッシャーを与え、日本の企業部門が新しい時代に向けて変革していくことを後押しする。そのような提言です。

 

 私は常々思っているのですが、三大経営資源であるヒト・モノ・カネについて、日本ではどれも最適配置されていないにも関わらず、GDP世界第3位もしくは4位であるのは、あたかも鉄ゲタを履いてマラソンをして銅メダルを取っているようなものです。ですからその経営資源をより良く再配置するだけで、日本はまだまだイケると思うのです。

 

 配当の損金算入によって、「カネ」を最適配置に向かわせることを動機付けることは、日本再生に大きく貢献出来る筈です。何よりも即効力で株高を演出し、風景を一変させるでしょう。私はUTCMRではあくまでもアドバイザーに過ぎませんが、その活動を支援していきます!

(東大からの発表)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z1701_00003.html
(実際の政策提言レポート)
https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400239903.pdf

 私は元来マニュアル車乗りですが、最近は様々な理由からオートマ車、しかも直近では前輪駆動オートマ車を乗っていました。うー、しかし我慢できない!ということで先週末に中古のマニュアル車を買いまして、ウキウキと乗っています。しかもミッドシップだし。

 

 暫く通常運転はオートマばかりだったので、ブリッピング(シフトダウン時にエンジンの回転数を合わせるべく、クラッチを切った時にアクセルを踏んでコントロールすること)を何度もやったりして、楽しんでいます。ダブルクラッチのメカニカルな仕組みや理由もおさらいして、運転中に、頭の中にエンジンとタイヤの間のトランスミッションが今どう動いているかをイメージし、頭と、両手と、両足を、色々動かしています。

 

 まだ完全に勘を取り戻しておらず、さらにダブルクラッチは元々やっておらず、今回新たにちゃんとやろうと考えているので、前よりもやることが増え、考えることも増え、しかし歳は取っている、ということで、そんなにいとも簡単という訳にはいかないのですが、とてもいい刺激になっています。

 

 明らかに、普段なかった、そして実は過去にも経験していなかったことをしているので、心身共にいい作用が働いているように感じます。運転を目的にしているのではなく、用事があって運転する時に、このように違う時間の過ごし方をしているだけなのですが、かなり最高です。慣れないことはいいですね!

 さて、最後にお知らせです。この私の「つぶやき」ですが、去年から毎週火曜日に書いているところ、来月からは毎週金曜日に書いていくことになりました。ですから次回は5月10日ですね。よろしくお願いします!

 今私は、色々な新しいことを実現させようとしているのですが、それはとにかく私を忙しくします。同時に、「産みの苦しみ」とよく云いますが、思った通りに行かなくて、ストレスが上がることも多くあります。このストレスは、やろうとしていること自体が上手く進まないというよりも、新しいことを実現するために集まった初めての人々との間での調整が足りなくて、何かが上手く行かないストレス、即ち前から一緒にやっていることやメンバーであれば、あうんの呼吸とかある訳ですが、それがないのですれ違ったりしてしまうのでしょう。

 

 それをなくすには、とにかくコミュニケーションしかありません。しかしコミュニケーションには時間が掛かります。私の経験では、コミュニケーションは費やした時間に比例するので、どうしても時間が足りなくなって忙しくなり、更にはすれ違いが起きてストレスとなるのでしょう。うーん、なんとアナログなことか。この時間の問題だけは、デジタルに魔法のように解決することは出来ません。ま、ひたすら長く、そして丁寧に、コミュニケーションを取るだけですね。ということで、いつまで経っても進歩のないつぶやきでした。申し訳ありません!でもそうやって、新しいものを産みたいと思います!

 今、シンガポールに居ます。マスターカードの取締役会で来ています。全部で丸三日くらい、会議・議論・ビジネスディナーが続いていますが、もちろん全て英語です。英語、英語、英語、何もかもずっと英語で。私にとって、いつまで経ってもこれは大きな苦難なのです。

 

 何が問題かというと、英語が分からないとか英語で話せないのではなくて、英語で議論されている内容をきちんと理解することに脳が集中し過ぎて、その先、即ち私からそれらに対して意見を持ってそれを伝えるところに、中々脳の活動が行かないのです。面白いことに、ひとたび自分が話し始めると、頭の中で次々に考えがひらめいたり繋がったりして、ちゃんと意見になるのですが、話を聞いてる間はそのような作用が中々進まないのです。

 

 恐らく、要は脳の作用でのインプットとアウトプットが、日本語で行うように並行してスムーズには中々進まなくて、意識的にそのバランスを変えないといけないように感じるのです。もう何十年も英語を使ってるのに情けないなぁ。でも仕方ない。私の置かれた立場もあるし、このバランスを意識的に変えながら英語の中でも仕事をしていこうと思います。