源兵衛川沿いに三石神社があります。パワースポットらしいので、よく拝むことに。手前には、江戸時代に建てられた時の鐘があります。戦時中には、釣鐘が供出されたようです。
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三島広小路駅前の朝の風景です。改札口の隣に立飲み屋が発見しました。
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奥の軒下の間から、僅かに千貫樋が見えます。戦国時代につくられた水道設備です。
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国道1号線沿いにある柿田川湧水公園に寄り道しました。 
柿田川展望台で地元の方が写真を使って、柿田川の云われを説明されていました。「以前は、河川沿いに工場が建てられ、排水で汚染の川となってしまった。私たち地元の者が立ち上がり、運動して綺麗な川を取り戻したのです。」素晴らしい活動ですね。頭が下がります。
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湧水公園は、かつて中世の頃、北条氏の城でした。豊臣勢7万が攻め込む前に、北条氏は城を自ら壊し、最後の砦にした山中城に軍を動かしたのです。
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伏見、宝池寺の一里塚。両塚とも美しく復元されています。
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玉井寺の一里塚。こちらは、当時の一里塚が残されています。
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白隠禅師の揮毫した碑が玉井寺の門前に建っています。県の指定文化財です。
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八幡神社の境内にある対面石。頼朝の挙兵で奥州から駆けつけた義経と頼朝が会った際に腰掛けた対面石。神社には、家康奉納の太刀や北条家の朱印状があります。
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沼津領を示す境界石。
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歌舞伎で有名な日本三大仇討ちに因む平作地蔵。
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狩野川の川面で涼風を仰ぎます。
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休憩した狩野川に面した路上に沼津城の外堀の石垣が遺されています。この辺りは、三島宿の中央で本陣が建ち並んでいたところです。
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若山牧水と夫人が眠るお寺、乗運寺です。殿様の庭園と見間違うような美しい御庭。
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六代松の道標石。イケメンのお巡りさんにお辞儀されたので、お辞儀を返したところ。そういえばさっき、通りすがりのお年寄りにもご挨拶をいただいた。気持ちの良い街ですね、沼津。
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旧東海道に沿って千本松原が続きます。強い西風と山間から時折響く雷に気を留めながら歩き続けます。すると、西北方向に黒く厚い雲が立ち込めてきました。止むを得ず、今回は目標の原宿を断念し、最寄りの片浜駅に向かうことにしました。今日も青春18切符を利用しています。
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片浜駅のホームに着くと、大粒の雨が降ってきました。
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三島宿~片浜駅   2013年8月23日
20.45km     25569歩    207分
14時17分熱海行きで帰路。
箱根から三島宿に向かう途中にある山中城址は、北条氏が小田原城の防御のために築いた城で、見晴台からは、駿河湾や富士山の裾野が一望でき、流石に要所に適した位置にあります。写真は、山中城祉犬走堀。
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山中城は、永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城されました。北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるのですが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎えることになり、 1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、半日で落城しました。
1930年(昭和5年)に国の史跡に指定され、1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、合わせて学術的な調査もなされています。2006年(平成18年)日本100名城(40番)に選定され、全国規模の日本100名城となっています。
山中城祉障子堀の芝の緑が美しいですね。北条氏の独特な堀や土塁などの遺構が残されているのです。
毎年5月に山中城址祭りが行われており、ツツジが美しいですよ。
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山中新田は、東海道の制定の際に、立場として整備されたところで、茶店が立ち並んでいました。当時の様子がしのばれる建物。当時は、旅籠だった竹屋。今は鰻屋になっていますが
面影があります。
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山中城の一角、三の丸に設けられた宗閑寺。山中城の戦いで戦死した両軍の武士が眠っています。また、徳川家康の側室、お久の方の墓があります。亡くなった北条氏の武士、間宮康俊の娘であったお久の方が父を弔うために建てたと伝えられています。お久の方が両軍の武士を弔ったところに心を揺さぶられますね。また、幕末に苦難の末、間宮海峡を発見した間宮林蔵は、間宮康俊のDNAを受け継いでいます。
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この地で亡くなった巡礼者の遺言に従って建てられた芝切地蔵尊。
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司馬遼太郎が詠んだ詩が八里記念碑として建てられています。
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富士見平ドライブインの一角に芭蕉の句碑が建てられています。一部旧道が通行止めのため、県道を迂回した先に位置しています。迂回している間、アスファルトからの照り返しと降り注ぐ灼熱の陽射しが何とも眩しい限りです。
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笹原の一里塚南塚が現存しています。
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松雲寺は、寺本陣でもありました。境内を入ると明治天皇が座って富士山を眺めた御腰掛石があります。生麦事件の後、島津久光もこの寺で昼食をとった場所でもあります。同様に徳川家茂も休息をとられた場所。しばらく日影がなく、休める場所もないことや、この場所からの富士山の眺めが良いことから、多くの旅人は足を止める場所になっていたに違いないと思います。この日は、残念ながら富士山の姿は見えませんでした。
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臼が転がる程の坂と言われた臼転坂。実際はそれほどの急坂ではありません。
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箱根を下り切ったところに箱根路の碑が建っています。
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景観重要道路として美しく整備されている初音ケ原の松並み木。
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錦田の一里塚は、両側に榎塚が残っている。国の史跡にも指定されています。
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嘉永7年(1854)11月4日の東海地震で罹災し、その後再建された三島大社の社殿。時の神主、矢田部盛治の指揮のもと、全国にて再建のための勧進を行い、慶応2年(1866)9月9日、本殿・幣殿・拝殿の落成をみました。境内の主要建造物はこの時全て再建され、明治元年(1868)にかけて随時落成したそうです。
社殿彫刻は、当代の名工、小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らによるもの。社殿彫刻としては高い完成度と美術的価値をもっていて国の重要文化財。

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富士山からの伏流水は、湧き水となって三島のいたるところに流れをつくり、まち全体を潤しています。
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箱根関所から三島宿 2013年8月4日
28.73km     291分    32170歩
小田原駅に9時32分着、駅のコンビニでおにぎりとペットボトルを多めに買い込み、箱根関所跡行きの小田急箱根バスに乗り込みました。1時間程揺られ、漸く終点の箱根関所跡に。標高が800m程あるのでさすがに気温も低く、快調に歩けそうです。
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赤い鳥居が目立つ駒形神社は、かつて、箱根宿を設置する際、村人は狼に悩まされていましたが、唐犬2匹を投入し、退治することができたのですが、犬は、傷だらけとなり、死んでしまったため、神社に祀ったと伝えられています。
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芦川の石仏群。箱根で最も古い石仏がおかれています。
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向坂の入口。ここから箱根峠まで石畳みを歩きます。
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石畳は苔むしているため、滑りやすい状態です。箱根湯元からの東坂と違い、三島宿に向う箱根路に遭遇する人は少ないことから、苔が張り付き、道も荒れているのでしょう。
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国道に出る狭石坂の最後は、狭く、ほとんど直角の朽ちた階段になっています。頭を下げ、中腰にならないと、抜けられぬほど荒れています。国道に出ると、箱根峠のサービスエリアがあり、芦ノ湖を眼下に眺められ、右手奥に関所跡が見えます。
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箱根峠からは芦ノ湖の豊富な水をたたえた勇姿が見られます。残念ながら、富士山は隠れています。ここで、神奈川県から静岡県となります。
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昼なお暗き箱根旧街道に再び入ります。両側から箱根竹が街道を覆い被せるようにしなっていて、竹のトンネルのような風情を見せてくれます。
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甲石坂(兜石坂)。この竹は煙管の菅に用いられていました。豊臣秀吉は、小田原攻めに向う際にこの兜石に兜を置き、休んだと伝えられています。
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箱根竹が上手く日影を作ってくれています。右手には杉の木立ち。石畳は当時の面影をよく残してくれています。
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西坂は国道を串ざすように旧道が延びています。真夏日は日影が嬉しいので助かります。急な階段の小枯木坂。
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雲助徳利の墓。この墓の主は、久助という人で、どのような理由からか一生を雲助として生きた方なのです。往来の悪者に難くせをつけられて、弱りきっている者を身をもってかばうことから、仲間の者からも、また、街道沿いの百姓も厚い信頼を受けていたそうです。終生酒を愛し、酒を楽しみ、酒の中で一生を終わったことから墓石には徳利が彫られているのだそうです。
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今回、一番の見所の山中城址に入ります。本丸跡の駒形諏訪神社には、推定600年のカシの大樹があります。
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                             (続く)
今日は、小田原宿から箱根宿を目指します。直線距離は16キロ程度ですが、標高800メートルを越える山登りです。小田原の旧街道にある19代に続く老舗旅館の小伊勢屋。

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建物が圧巻なので記念写真。小田原城ではありません。薬種と菓子を扱う「ういろう」の建物で八ッ棟づくり。

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蒲鉾の鈴廣は創業 慶応元年。隣りには、お土産やさんがあります。

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旧東海道は風祭駅の裏手を通ります。ここは、古刹の宝泉寺。北条時長が1558年に創建しました。1590年に秀吉の小田原合戦の兵火で焼失し、その後、安政元年 1854年に再建されています。

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紹太寺は、稲葉家二代目が徳川家光の乳母で、祖母の春日の局を弔うために建立したました。稲葉家は、後に小田原城主となり、この寺が菩提寺となっています。

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小田原駅から約7キロ程で箱根湯元の手前の三枚橋に差し掛かります。前方には、小田急線の箱根湯元駅が見えます。ここから、左に折れ、道は狭い上り坂となります。暫く歩くと、バームクーヘンのおしゃれなお店が見えます。その店前のセブンイレブンで本日のエネルギーとなるおむすびと飲み物を調達し、準備万端です。

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早雲寺は、1521年、北条二代目氏綱が創建。北条氏五代の墓があります。
その後、小田原合戦の折り、豊臣秀吉の本営が置かれますが、石垣城が築かれると、焼き払われたため、荒廃しました。1648年に徳川家光から朱印状を授かり復興しました。
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北条氏五代の墓が並んでいます。

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この辺りから旧東海道の石畳に入ります。

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ここまで、石畳やアスファルトの上を歩いてきましたが、ここから暫し、須雲川に沿って須雲川自然探勝路の遊歩道を歩きます。前を歩いていた同年代らしき二人連れの方にご挨拶。ここで、腰をかけ、昼食タイム。

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遊歩道らしく、木立に囲まれ、整備された道を気持ち良く歩きます。

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少し歩くと、須雲川を渡るための浮橋に着きます。ハンカチを川に浸し、汗を拭います。やはり真夏の箱根路は身体に堪えます。

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県道を串ざすようにして石畳が続きます。割石坂は曽我兄弟が仇討ちに際し、路傍の石を試し切りしたという謂われから付けられています。

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箱根路の石畳は、1680年に敷設され、1863年、14代徳川家茂の上洛に際し、全面補修されました。それまでは、毎年、ハコネダケを敷いていたそうで、この作業は、地元農民の苦役であったと伝えられています。

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寄木細工で有名な畑宿に着きます。間の宿として賑わい、茶屋本陣が置かれていました。この建物は、本陣の隣りに建てられていたものです。隣には、明治天皇聖蹟の碑があります。

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畑宿の一里塚。見事に道の両脇に塚が並んでいます。戸塚宿の品濃坂の一里塚以来です。
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ここから西海子坂、橿木坂、猿滑り坂と東海道切っての急坂が続きます。石畳の先は、坂が崩れたため、今は、心臓破りの長い石段となっています。
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甘酒茶屋に着き、冷やした甘酒(400円)といそべの力餅(500円)をいただきました。甘酒はとても美味しく、疲れを忘れさせてくれます。
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甘酒茶屋の全景。赤穂浪士の逸話も残されています。
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甘酒茶屋から箱根の関所まで暫らく杉木立ちの中、石畳を歩きます。
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漸く、開けた先に芦ノ湖が見えました。
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樹齢400年の杉並木を歩きます。
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箱根神社が見えます。晴れた日は、バックに富士山が見えます。
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賽の河原には当時、湖岸に石仏が置かれ、旅人の信仰を集めていましたが、明治になり、廃仏毀釈が進められました。幾つもの石造物が立ち並んでいます。
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杉木立ちに囲まれた街道を歩き、関所に向かいます。
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関所と資料館の見学で500円。資料館では、お玉ちゃんがマスコットキャラクターとなり説明をしています。お玉ちゃんのキャラクターのお玉さん自身は、奉公先から逃げ、やむを得なく関所破りをし、悲しくも獄門になった経緯があるので、マスコットキャラクターのお玉ちゃんに対する気持ちがどうも複雑になります。
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見張り番からは、関所、芦ノ湖が一望できる。見通しがよければ逆さ富士も見られます。
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江戸側の箱根関所。
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小田原宿~箱根宿2013年7月14日
総歩数32.18km、歩行時間341分
歩数40229歩   7:04~21:15
今日は、平塚宿から小田原宿をめざします。平塚駅北口を出てすぐの紅谷町の公園の一角に、怪談番町皿屋敷のお菊の墓標があります。お菊は平塚宿役人、真壁源右衛門の娘で江戸に奉公中、家宝の皿を割った門で手打ちにされたと伝えられていますが、諸説あるそうです。
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平塚宿江戸見附跡は平塚市民センターの隣にあります。

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国道から分かれ、脇道を進みます。旧東海道は、消防所建物の白壁が東海道のモチーフとなっていて、旧街道の目印になっています。

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平塚の地名の起こりとなる塚の碑が建っています。地域のお年寄りが清掃活動をされていました。誠に有難いことです。

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再び国道と合流したところに、上方見附があります。平塚宿はここまでです。

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歌川広重の東海道五十三次にも描かれた高麗山。

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花水川を渡ると、国道に面して茅葺の古民家があります。東海道の雰囲気を一段と感じさせてくれます。

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高麗山の麓に高来神社があります。この地域は、668年、唐と新羅の連合軍に攻め込まれた高句麗の豪族が日本に逃げ延び、その一族の若光が大磯に着き、開拓した地であると伝えられています。高来神社は元々は高麗(こうらい)神社だったのですが、明治政府が高麗(こうらい)を高来(たかく)と読み替えた由来があります。今は、高来(たかく)神社とされています。

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旧道は、国道をはずれ、緩やかな化粧坂を登ります。しばらくすると、虎御前が化粧のために汲んでいたという化粧井戸跡碑があります。

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かつて別荘地だった面影が残っているように、静けさが漂うたたずまいであります。緩やかな坂が続きます。

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小島家本陣跡は、大磯の商店街の中心に位置しています。残念ながら、建物は残っていません。

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「國よし」は吉田茂が足繁く通った鰻屋さん。隣には老舗旅館の大内館があります。

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大磯は明治18年、日本最初に海水浴場が開かれたところだそうです。

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明治か大正の頃の建物なのでしょうか。矍鑠とした雰囲気が感じられる饅頭屋の「杵新」。虎御前に由来しているのでしょう虎子饅頭がここの名物です。

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新島襄先生終焉の地の碑。新島襄と言えば、NHKの大河ドラマになった新島八重の旦那ですね。新島襄は当時、京都に同志社大学を開設するための資金繰りに東西を奔走していました。ですが、無念にも病に伏せ、療養先の大磯の地で亡くなるのです。知らせを受けた八重も駆けつけています。

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鴫立沢をくだると相模湾の湘南の海に出ます。今日はシロギス釣り大会でした。

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大磯で最も有名な名所のひとつ、喧騒の中にあって静けさが漂う鴫立庵。松尾芭蕉を初め、多くの歌人が句を詠み、碑として残されています。

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門を入ると、沢を流れた清らかな清水が湘南の海に注がれます。そして、茅葺屋根の古民家がひっそりと建っています。

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破戒など名著を世に送り出した明治の文豪、島崎藤村は晩年にあたる昭和17~18年を大磯で過ごしました。

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藤村の建物は無料で公開されています。見学者用にトイレも利用でき、また、向いの空地には、見学者用の公園兼休憩所が整備されています。

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東海道五十三次の代名詞の松並木。樹齢何百年の黒松は目を見張るほど見事です。大磯宿から二宮、国府津、鴨宮を巡って小田原宿へと向かいます。
黒松の並木は、夏の日差しを遮り、また、風や塩害などから沿道を護る役割もあったのでしょう。
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元総理大臣の吉田茂の邸宅。隣には高級マンションの大磯プレイスが建っています。
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初代総理大臣 伊藤博文の別荘跡地。最近まで開いていた高級中華レストランは閉鎖されたようです。石碑の当たりは、雑草が生い茂り、虚しさが漂っています。当時の栄華さが嘘のようですね。
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JR二宮駅前に建つ「ガラスのうさぎ」の碑。空襲で焼け出され亡くなった方々が大勢いたそうです。小説「ガラスのうさぎ」は多くの人の心に残っています。
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見た目にも威厳のある大山道の道標。酒匂川の手前の路地に建てられています。江戸時代に多くの参拝者が訪れた大山へは、この地からも繋がっていたのですね。
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酒匂川です。小田原宿はもうすぐです。
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酒匂川を渡ると山王神社があります。境内に林羅山の歌碑が遺されています。小田原攻めの際、着陣した家康が日毎、通ったと伝えられています。
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山王神社は「新編相模風土記稿」に、1558年頃、村の鎮守として祀られていたと記されています。
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江戸口見附跡が保存されています。これより、小田原宿に入ります。
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小田原宿本陣近くの公園に明治天皇行幸の碑が遺されていました。
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小田原宿の新しいシンボルの「なりわい館」という東海道五十三次の交流館。様々な情報紙が置かれています。中に入ると、畳敷きの休憩スペースもあり、くつろいでいる方も。建物は当時の豪商のものだったようでとても立派です。
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城下町らしさがあちこちに遺されています。大手門もその一つ。小田原城から少し外れた所に遺されています。
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紫陽花と花菖蒲とお城のコントラストが何とも美しい。これは、一見の価値ありです。
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いつ見ても、感動させられる小田原城。
小田原城は、15世紀末、北条早雲が小田原に進出してから北条5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していきました。その拠点の城として威厳を放っています。秀吉の来攻に備え、城下を囲む総がまえは9キロに及んでいました。
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次は小田原宿から、遥かに見える箱根宿を目指します。
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平塚宿~小田原宿2013年6月9日
8時30分に平塚駅を出発し、小田原宿を目指して歩き始めました。総距離35キロ 、32443歩  所用時間349分。小田原駅には14:30に着き、折角なので1時間程、町歩きをして帰宅。