今日は、小田原宿から箱根宿を目指します。直線距離は16キロ程度ですが、標高800メートルを越える山登りです。小田原の旧街道にある19代に続く老舗旅館の小伊勢屋。

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建物が圧巻なので記念写真。小田原城ではありません。薬種と菓子を扱う「ういろう」の建物で八ッ棟づくり。

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蒲鉾の鈴廣は創業 慶応元年。隣りには、お土産やさんがあります。

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旧東海道は風祭駅の裏手を通ります。ここは、古刹の宝泉寺。北条時長が1558年に創建しました。1590年に秀吉の小田原合戦の兵火で焼失し、その後、安政元年 1854年に再建されています。

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紹太寺は、稲葉家二代目が徳川家光の乳母で、祖母の春日の局を弔うために建立したました。稲葉家は、後に小田原城主となり、この寺が菩提寺となっています。

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小田原駅から約7キロ程で箱根湯元の手前の三枚橋に差し掛かります。前方には、小田急線の箱根湯元駅が見えます。ここから、左に折れ、道は狭い上り坂となります。暫く歩くと、バームクーヘンのおしゃれなお店が見えます。その店前のセブンイレブンで本日のエネルギーとなるおむすびと飲み物を調達し、準備万端です。

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早雲寺は、1521年、北条二代目氏綱が創建。北条氏五代の墓があります。
その後、小田原合戦の折り、豊臣秀吉の本営が置かれますが、石垣城が築かれると、焼き払われたため、荒廃しました。1648年に徳川家光から朱印状を授かり復興しました。
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北条氏五代の墓が並んでいます。

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この辺りから旧東海道の石畳に入ります。

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ここまで、石畳やアスファルトの上を歩いてきましたが、ここから暫し、須雲川に沿って須雲川自然探勝路の遊歩道を歩きます。前を歩いていた同年代らしき二人連れの方にご挨拶。ここで、腰をかけ、昼食タイム。

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遊歩道らしく、木立に囲まれ、整備された道を気持ち良く歩きます。

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少し歩くと、須雲川を渡るための浮橋に着きます。ハンカチを川に浸し、汗を拭います。やはり真夏の箱根路は身体に堪えます。

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県道を串ざすようにして石畳が続きます。割石坂は曽我兄弟が仇討ちに際し、路傍の石を試し切りしたという謂われから付けられています。

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箱根路の石畳は、1680年に敷設され、1863年、14代徳川家茂の上洛に際し、全面補修されました。それまでは、毎年、ハコネダケを敷いていたそうで、この作業は、地元農民の苦役であったと伝えられています。

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寄木細工で有名な畑宿に着きます。間の宿として賑わい、茶屋本陣が置かれていました。この建物は、本陣の隣りに建てられていたものです。隣には、明治天皇聖蹟の碑があります。

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畑宿の一里塚。見事に道の両脇に塚が並んでいます。戸塚宿の品濃坂の一里塚以来です。
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ここから西海子坂、橿木坂、猿滑り坂と東海道切っての急坂が続きます。石畳の先は、坂が崩れたため、今は、心臓破りの長い石段となっています。
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甘酒茶屋に着き、冷やした甘酒(400円)といそべの力餅(500円)をいただきました。甘酒はとても美味しく、疲れを忘れさせてくれます。
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甘酒茶屋の全景。赤穂浪士の逸話も残されています。
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甘酒茶屋から箱根の関所まで暫らく杉木立ちの中、石畳を歩きます。
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漸く、開けた先に芦ノ湖が見えました。
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樹齢400年の杉並木を歩きます。
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箱根神社が見えます。晴れた日は、バックに富士山が見えます。
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賽の河原には当時、湖岸に石仏が置かれ、旅人の信仰を集めていましたが、明治になり、廃仏毀釈が進められました。幾つもの石造物が立ち並んでいます。
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杉木立ちに囲まれた街道を歩き、関所に向かいます。
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関所と資料館の見学で500円。資料館では、お玉ちゃんがマスコットキャラクターとなり説明をしています。お玉ちゃんのキャラクターのお玉さん自身は、奉公先から逃げ、やむを得なく関所破りをし、悲しくも獄門になった経緯があるので、マスコットキャラクターのお玉ちゃんに対する気持ちがどうも複雑になります。
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見張り番からは、関所、芦ノ湖が一望できる。見通しがよければ逆さ富士も見られます。
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江戸側の箱根関所。
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小田原宿~箱根宿2013年7月14日
総歩数32.18km、歩行時間341分
歩数40229歩   7:04~21:15