​奥州街道を歩く

5年ぶりに街道歩き旅をはじめることにしました。

街道は奥州街道です。5年前に日光街道を歩いたので、宇都宮からのスタートです。

自宅が川崎なので、日帰りで2回、泊まりを入れて4日間ののんびり旅歩きです。



川崎から宇都宮まで、新幹線を使わずに2時間半ほどかかります。宇都宮では、街道から少し離れている城跡を巡り、追分に向かいます。



日光街道では、戊辰戦争をテーマに歩きました。中でも小山戦争や宇都宮戦争は激しい戦いの跡があって、興味深い旅でした。

この宇都宮城では官軍に組みしたことで、旧幕府軍との激烈な戦いがあり、土方歳三により、落城炎上しています。



旧篠原家住宅は、街道歩きされた方は皆、ご覧になっているかと思いますが、住居の隅々まで豪商ならではのつくりになっていますね。

特に火災対策は徹底されています。


蔵を初め、全ての壁は火災対策として漆喰が施され、蒲鉾塀につくられています。


この屋根もわざとUの字に仕立てられていて、防災の技術が使われています。


今回は日帰りなものですから、身軽にボディバッグを下げて歩きます。



途中で美味しそうなパン屋さんがあったので立ち寄ります。


なんと、ヨーグルトパンが有名でジャパンカップで準優勝されたそうです。すでに売れ切れていたので、あんぱんとメロンパンを購入。


これは白沢宿の小川の写真です。長閑な当時の様子が伝わって来るようです。


街道歩きの難所はどこに行っても、この歩道のない道路を歩くことでしょう。


これは白沢の一里塚跡です。


この踏切には旧奥州街道踏切と書かれています。踏み入れた感じがしてきました。この日は氏家宿で終了でした。


YouTubeにも掲載します。よろしければご覧ください。



こんにちは。久しぶりの投稿です。最近はVLOGが多くなりました。

先日、吉祥寺界隈、井の頭公園の桜を見ながら、吉村昭さんのゆかりの地を巡って、動画を作りました。

作家の谷口桂子さんがブログにあげていただいたので、リブログさせてもらいました。


​北国街道の宿場巡り

先日、家族で軽井沢に行った際、北国街道の追分宿と海野宿を歩きました。

初めは街道歩きをしようと思ったのですが、この暑さでは、ムリ!と思い、車で宿場まで行き、宿場だけ見学してきました。


北国街道は中山道と北陸道をつなぐ道で、日本海まで繋がっています。

この写真は中山道と北国街道の追分の場所です。

国道18号線の騒音が耳に残っています。


中山道の追分宿を歩きました。


その後、海野宿に行きました。日影もなく、炎天下の中の宿場歩きはキツイの一言。


まだ、こうした街道の面影を見ることができるのは素晴らしいことだとつくづく感じました。


写真はこの程度なんです。blogにするほどでもないのですが、残暑お見舞いのご挨拶がてら投稿させていただきました。


最近は動画の方に力が入っていることもあり、blogの投稿は少なくなっています。

皆様のblogは楽しく拝見しておりますが、コメントの方はできたり、できなかったりとなっていて申し訳ない次第です。


よろしければご覧ください。

https://youtu.be/TeiPdKTrh_E


​「三陸の海」を巡る旅

久しぶりの投稿です。

今回は、先週行った岩手県三陸の旅を報告することにします。

主な目的は、私が愛読している作家吉村昭さんの作品の舞台を巡ること、また度々、吉村昭さんがご家族で訪れていた田野畑村に行きたいという思いからでした。

「三陸の海」のネーミングは吉村昭さんの奥様、津村節子さんの小説のタイトルからお借りしました。この「三陸の海」という著書は、もちろん夫である吉村昭さんの思い出に触れる内容です。



三陸には、東日本大震災の半年前に一度訪れて以来となります。震災復興がどのように進んでいるのかも関心を寄せるところです。

東京から新幹線で盛岡まで来て、そこからレンタカーで宮古に向かいました。


ちょうど、東北地方に豪雨災害があった時期だったので、どうなるかと思いながらの出発でした。



宮古の浄土ヶ浜に着いた途端、それまで降っていた雨も一時止み、傘をたたんで記念撮影しましたが、やはり浄土ヶ浜は晴が似合います。でも、とても綺麗でしたよ。


宮古に行った理由の一つは、吉村昭の小説「幕府軍艦回天始末」の舞台だからです。

宮古湾に新政府軍が軍艦を集結させていたので、巻き返しを図るため、旧幕府軍の土方歳三らが新政府軍の新鋭艦「甲鉄」を分捕る作戦に出るのです。しかし、作戦は失敗し、函館に戻ることに。その記念の石碑がこの浄土ヶ浜にあるのです。

帰ってからyahooニュースで偶然見たのですが、翌日この付近で熊が観光客を襲ったのを知りました。


この写真は、田老村にある震災遺跡の元観光ホテルです。2階まで骨組みを残して全て流されてしまいました。



この写真は、沿岸にある物凄い防潮堤からホテル周辺を撮ったものです。あの日が蘇りました。


田老村の名所の一つ三王岩です。この高台に先ほど被災したホテルが移転し、再出発をしています。


この写真は、龍泉洞の出口のところです。幻想的な雰囲気が伝わる一枚です。肝心の龍泉洞の景色は写真で残せませんでした。動画はバッチリです。


この場所も吉村昭さんが復活を遂げる契機となる小説「星への旅」の舞台となった鵜の巣断崖です。

三陸特有のリアス式の海岸線に感動しました。


鵜の巣断崖に吉村昭さんの記念の石碑があります。

小説では青年達がこの地で集団自殺をするという設定で使われているので、村としても複雑な思いだったのではと思ったりします。


田野畑村の羅賀というところにある明治、昭和、平成と3回にわたる大津波の被災の鎮魂碑や詩碑があります。


ホテル羅賀荘の部屋から翌日の早朝に撮った写真です。


ホテル羅賀荘は吉村昭さんご家族が毎年訪れた場所で、一度来てみたいと思っていたところです。


3日目は好天に恵まれました。田野畑村の一番の名所、北山崎からの断崖の景色です。本当はこの下にある第二展望台に行って迫力ある写真を撮りたかったのですが、「熊出没危険」の文字に足が前に出ず、退散となりました。

これも吉村昭さんの代表作「羆嵐」を読んだことによる心因が原因なので止むを得ません。


ということで、島越から出ている北山崎クルーズに乗って、海上から200メートルの断崖美を楽しむことにしました。


盛岡から東京へは秋田新幹線を予約していたので、心配でJR東日本に問い合わせたところ、盛岡から秋田間は引き続き不通でしたが、盛岡から東京へは問題ないことが分かり、無事帰りの新幹線でお弁当を食べながら余韻に浸って帰ることができました。

今回も動画をYouTubeにアップしましたので、よろしければご覧ください。今回は12分程度です。

北山崎クルーズの雄大な景色がとても印象的な作品となっています。

https://youtu.be/pWBhF0R52UM



 

TOKYO CRIUSE 浅草・浜離宮・築地

 こんにちは。このところ、蒸し暑く、梅雨本番といった天候が続いていますね。
先週の日曜日、浅草から浜離宮に行く「水上バス」に乗って、半日の東京観光に行ってきました。最近は、写真用のカメラではなく、GOPROという録画用の機材を持ち歩くようになってきました。後で、YouTubeにしましたので、良かったらご覧下さい。
 

 

 浅草に10時に着きましたが、こんな感じです。外国観光客で一杯ですね。

円安で、外国に比べて物価も安いとくれば、日本に来るメリットはありますものね。

既にコロナ前に戻ってきたという感じです。

 

 

 今日の目的は、水上バスに乗って、浅草から浜離宮に行って、築地でランチを食べるというものです。水上バスの乗り場は吾妻橋のところにあって、駅近で便利です。

 

 私も初めて体験するコースなものですから、結構、楽しみにしていました。

幾つも観光船はあるようですが、屋上デッキのある船かどうかが鍵でした。運良く開放感あふれる屋上デッキで楽しむことができる船だったので、良い画像が撮れました。

 この隅田公園も紫陽花が有名と聞いていましたが、それほどでもありませんでした。一箇所、気に入った紫陽花と東京スカイツリーを入れた写真を撮ることができました。

 

 

 下の写真をご覧いただければお分かりのとおり、ほぼ90%が外国人観光客で占められています。

 ゴールの浜離宮まで、隅田川に架かる13の橋の下を通るのですが、その瞬間はなかなか感動ものです。

 

 

 前方に見えるのは、佃島です。今やタワーマンションが建ち並ぶお洒落な街になっていますが、江戸時代は人足寄場という歴史もありましたね。

 

 

 船は、浜離宮に入ってきました。東京で唯一、海水を取り入れた池のある庭園です。池には、ボラやハゼが泳いでいます。

 

 幕末のことですが、この場所は、最後の将軍、慶喜公が鳥羽伏見の戦いに敗れ、大阪から江戸に逃げ帰えってきますが、この艀から江戸に入ったという記念すべきところなんです。

 

 

 この後、庭園の「中島の御茶屋」で抹茶をいただき、庭園を巡り、築地でランチをしましたが、この先は、写真がうまく取り込めませんでした。

よろしければ、動画を見ていただけるとありがたいです。

 自分で言うのも何なんですが、動画もどんどん進化を遂げていまして、それなりに見れるようになってきています。まだまだ、粗いところがあるのですが、ご容赦いただければありがたいです。約5分くらいです。