私は、宮崎駿さんの『千と千尋の神隠し』の映画のテーマ曲『いのちの名前』という歌が大好きです。
青空に線を引く
ひこうき雲の白さは
ずっとどこまでも ずっと続いてく
明日を知ってたみたい
胸で浅く息をしてた
熱い頬 さました風も おぼえてる
未来の前にすくむ手足は
静かな声にほどかれて
叫びたいほど なつかしいのは
ひとつのいのち
真夏の光
あなたの肩に 揺れてた木漏れ日
つぶれた白いボール
風が散らした花びら
ふたつを浮かべて 見えない川は
歌いながら流れてく
秘密も嘘も喜びも
宇宙を生んだ神さまの 子供たち
※未来の前にすくむ心が
いつか名前を思い出す
叫びたいほど いとおしいのは
ひとつのいのち
帰りつく場所
わたしの指に 消えない夏の日
これがその時のブログです。
急に、「ありがとう」や「笑顔」の意味が自分の中で腑に落ちて、涙が止まらなくなりました。
世の中には、宝物が溢れているのに、多くの人がそれに気付いていない事に気付いた瞬間でした。
そして、その時に、改めてこの歌詞の素晴らしさに感動しました。
この歌が神様からのメッセージであることを知ったのです。
「未来の前にすくむ手足が、静かな声にほどかれて」
という歌詞で、未来に不安を持つ人の気持ちが手に取るように分かって、
私はその「静かな声」になりたいなぁと思ったのです。
最近、何人かの若い人と接する機会があり、皆さんが、未来に対する不安を心の奥に持っておられるのを感じました。
私はその方達に何度でも言いたいことは、
『全て起こることは最善であること。』
『最善である』ということは、どんなことが起きても、それを『最善』として受け取る覚悟を持つこと。
落ち込むような事が起きても、常にそれを『最善』として受け取ること。
つまり、物事の良し悪しを決めるのは、常に自分であるという事なのです。
例えば、失恋したとしても、結果として自分とは合わない人だったかもしれないし…。
癌になったとしても、それによって多くの気付きやご縁を得たり、新しい人生が始まる人もいます。
勿論、たとえ命を終えたとしても、それも自分が決めてきた寿命であり、それさえも『最善』として受け取っていくということなのです。
どうしても人は、自分の思い通りになる事が、良き事であると思いがちです。
しかし、神様の視点からの良き事には、自分の視点と違う場合が多々あると思うのです。
ですから、いつも起こることは、「神様の視点から見た良きこと」であり、常に、最善の事が起きているのです。
いつも守られていることを信じて、感謝して受け取る覚悟を決める事です。
そうすると、不安はどんどん消えていきます。
不安になっても、「全ては最善のことが起きているのだから大丈夫!」と、声に出して言い聞かせて、その道を有難く受け取って、生きる覚悟を決める事です。
「全ては最善のことが起きている」
と、心の底から思うことで、本当にそのようになっていきます。
そして、いつも言う、「ミラクル」がどんどん起き始めるのです。
最善と信じて受け止め、失敗を恐れずチャレンジしていく事で、驚くような宇宙のサポートが入り始めます。
「不安は疑いである。いつも大丈夫なのよ!」
と、教えてくださったのは、工藤房美さんです。
不安は神様への疑いであり、自分への疑いです。
いつも大丈夫。いつも私達は神様から見守られているのです。