木琴歩徒氏のブログ

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木琴歩徒氏の独り言ブログと、出かけたクラシック音楽のコンサートのレポートです。

 仁淀川の上流の山中にある、母方の祖父の故郷を訪ねた後は、

来た道を高知市へと引返しました。この日の宿は景勝地桂浜の

民宿。市の中心部から10kmほど南にある、太平洋に面した人

気の観光地です。路線バスで行くと本数は少なく(それでも1

時間に1~2本はあります)時間も結構かかるのですが、レン

タカーだとその心配は要りません。観光道路の終点・県営駐車

場から民宿まで、生活道路を50mほど海沿いに行きました。

 漁師さんの家を改造した、家族経営の民宿でした。チャイム

を鳴らすとお出迎えは、お孫さんでしょうか中学生(いや小学

生か?)と思しきお嬢さん。しっかりとした対応です。主屋は

ご家族がお使いのようで、通されたのは奥に増築された宿泊棟。

部屋からは先ほど通った、浦戸大橋がキレイに見えます。この

日の泊り客は私達だけでした。近くのコンビニで買った缶ビー

ルで、運転の疲れを癒すと直ぐにお風呂が沸きました。

 夕食は階下の食堂で6時から。女将が作るメインディッシュ

は名物カツオのタタキ。ニンニクのスライスを乗せ、タレをか

けて頂きました。土佐のご馳走家庭料理の定番といったところ

です。魚だけでなく新鮮な野菜の蒸し焼きも美味でした。

 朝食はごく普通の和定食。珍しい豆アジの干物や、柚子の

果汁で頂く冷奴が土佐ならではでした。朝食後は観光客が未

だ来ていない早朝の桂浜を散策。坂本龍馬像とも7年振りに

再会です。晴れた南国の朝とはいえ、流石に冷え込みました。

 桂浜の入口にある龍馬記念館には、9時の開館と同時に

入場しました。1時間ほど見学した後、次の目的地である

室戸岬に向けて出発しました。

 思い立って家内と2泊3日で、高知に旅行しました。土佐は

方の祖父の出身地。現役時代に出張で5回訪れています。しかし

中村(四万十市)に行った1回を除けば、泊ったのは全て高知市

内。観光といっても中心部にあ高知城・はりまや橋などを、通

りがかりに見物した位でした。祖父の故郷は仁淀川の上流、四国

山地にある大崎という山村。訪れたことがないので、私のーツ

探訪に行って見ることしました。

 祖父は明治時代末期の生まれで、高等小学校を卒業すると故郷

を後に、大阪の繊維会社に住み込みで就職しました。昔の丁稚奉

公みたいなものだったのでしょう。そこで認められて東京の出先

を任され、その後独立したと聞いています。老母(私の曾祖母)

を東京に呼び寄せると、土佐に戻ることはなかったそうです。

の母「高知には行ったことがない」と言っていました。土佐を

限って脱藩した同郷の志士、坂本龍馬と相通じる心境だったの

でしょう。1968(S43)年の大河ドラマ「竜馬が行く」を観ながら、

堪え切れず涙を流していたのを鮮明に覚えています。

 高知空港でレンタカーを借りて高知市内を抜け、西に1時間

ほど走ると佐川という古い城下町。ここから山道を30分ほど上

ると祖父の故郷大崎(仁淀川町の中心)に着きました。人通

りが殆どない過疎の町。林業や炭焼が盛んだった祖父の少年時

代には、物資の集散地として賑わっていたと聞き及びます。

 そこから10分ほど山奥に走ると、仁淀川の渓谷美が連なる中

津渓谷の遊歩道入口。しかし快晴の空が急に暗くなり俄雨に。

高知県下は終日晴れの予報は、積雪の跡が残る標高1,000mの

山中では例外です。傘を持っていなかったので、強行すれば濡

れネズミとなるのは必至。渓谷の散策は念せざるを得ません

でした。「仁淀ブルー」と呼ばれる清流美を見のは、残念な

がら幻に終ってしまいました。

(雨の中津渓谷入口にて)

 還暦を祝った直後に祖父が急逝したのは、私が未だ中学3年

生の時。もう少し長生きしてくれたら、土佐のいろいろな話が

聞けたにと悔やまれます。

 大学時代の友人が丁度4年前の1月下旬、ガンで亡くなりま

した。横浜港に停泊中のクルーズ船で、コロナのクラスターが

発生。日本でもコロナ禍が始まった将にその時期でした。コロ

ナの予防対策で「三密」を避ける必要があり、多人数での外食

が自粛となったのは、それから暫く経ってからの話。お通夜に

は大勢の人が集まり、帰りがけには当然のように友人数名と、

近くの居酒屋でお清めをしました。

 大学時代の別の友人が、やはりガンで亡くなったのは、それ

から2年半後。ご遺族も苦慮されたのでしょう。ご家族だけで

密葬された後に、事後連絡を頂きました。個別の弔問もお受け

しかねるとの添え書きが、確かご挨拶状にありました。仲間内

での訃報連絡メールに返信した後は、結局集まることも出来ず

それ切りに。当時の状況を考えると止むを得なかったのですが、

モヤモヤがずっと残りました。

(新宿の和食店のコース料理)

 

 昨年5月に漸くコロナが5類に移行。各種規制は季節性イン

ルエンザ並に、ダウンとなりました。久し振りに集まろうと

う話が出たのは11月のこと。故人を偲ぶ会と名目をつけたの

で、福岡在住の1人も上京することになりました。最初だけ改

て献杯をしましたが、それ以降は普通の宴会。故人の話か

ら始まって昔話に花が咲きました。大学に入ったのはもう50年

以上前の話。皆それぞれに歳を取りました。

○2024.1.27(土)14:00~ サントリーホール 2階P2-○
 カーチュン・ウォン:日本フィル(#757定期)、Pf)児玉 麻里、児玉 桃
  チナリー・ウン:「グランド・スパイラル:砂漠の花々が咲く」
  プーランク:2台のピアノのための協奏曲二短調
  コリン・マクフィー:タブー・タブーアン
   ~オーケストラと2台のピアノのためのトッカータ~
  ドビュッシー:「海」~オーケストラのための3つの交響的素描~
(会場入口のポスター)
 日フィル1月定期を振るのは首席指揮者カーチュン。アジアの音楽が
西洋音楽に与えた、様々な形の影響をテーマとして4曲を取り上げる。
私のような保守的クラシック・ファンには、マニアックで少々取っつき
にくい内容。「海」以外は初めて名前を聞く曲ばかりで、音楽学の講義
のような雰囲気である。そのためか客席の入りは6~7割と普段より少
なめ。オケは弦16型のフル編成で、コンマスは田野倉雅秋。Pブロック
下手前方の年間定期会員席で聴く。
 最初に聴くチナリー・ウンは、1942年カンボジア生まれで米国籍。本
日演奏される中では、唯一ご健在の作曲家である。科学技術の目覚まし
い発達により、急速に進展した文化のボーダーレス化。アジアが西洋に
影響を与えたというレベルを越え、アジア人が開花させた現代の音楽と
言うべき曲なのであろう。打楽器8人、ピアノ、ハープが大活躍する、
物凄い音圧の大規模管弦楽。インターナショナルというか無国籍という
か、アジアの神秘などというエキゾチシズムは感じられない。最後はど
こか懐かしさを感じさせる、優しいメロディで収束。しかし私の琴線に
触れる音楽では、残念ながらなかったようだ。
(カーテンコール)
 続いては2台のピアノのための協奏曲が2曲。1,300回近くコンサート
に通ったが、協奏曲が休憩を挟んで演奏されるのは初めてである。ソロ
を弾くのは、定期的に共演を重ねている児玉姉妹。2曲とも第2次大戦
直前の作品で、東南アジアの民族楽器ガムランが関係しているという。
ピアノの搬入・搬出に休憩時間が使えず、弦楽器奏者の一時退出も必要。
その間マエストロが英語(片言の日本語入り)で曲目解説を行った。
 最初はプーランク。オケは弦8・8・4・4・4という指定通りの変
則編成。ピアノは横向き・向かい合わせの配置で、ピアノの直ぐ後ろに
はドラムセット。マエストロはピアノの前(客席寄り)で指揮する。プ
ーランクはモダンでエスプリ溢れる作風が特徴だが、確かにこの曲には
ガムランの響きを思わせる部分がある。しかし瀟洒なフランス音楽に顔
を出す、アジア風の味付けと言う趣に止まるようだ。
 15分の休憩後はコリン・マクフィーの作品。ガムランの神秘的な音色
に魅せられ、バリ島に移り住んで研究したこともある、カナダの作曲家
ということである。バリ島の儀礼音楽を再現したものとされる曲だが、
小気味よいジャズ風のノリは西洋の音楽そのもの。アジアの民族芸能と
してのガムラン演奏の中からは、恐らく生まれなかった作品であろう。
オケは弦12型で、ピアノは縦向きに2台並んだ配置。マエストロはこの
曲でも客席寄りの、ピアノの前での指揮。打楽器8人が大活躍だった。
 本日のトリは4年振りに聴く、4曲の中では一番古い「海」。1905年
に出版されているが初版の楽譜には、北斎の浮世絵(神奈川沖浪裏)が
描かれていたのは有名な話。しかしドビュッシーが1889年のパリ万博で、
ガムランの演奏を聴いていたとは初耳だった。初めて接する異郷の音楽
は、インスピレーションを相当刺激したのであろう。尤もアジアの旋律
等が曲自体に、直接現れている訳ではないのだが・・・・。
(航空公園の蝋梅)
 オケは弦フル編成に戻り、2台のハープがヴァイオリンとチェロのト
ップの間に位置する。そのためかPAを使っていないのに、冒頭の美し
い響きが明瞭に聴こえる。2楽章の流れるようなテンポは秀逸。3楽章
のフィナーレは、これまで聴いた最強音でオケを鳴らし切った。カーチ
ュンの演奏は響きのニュアンスを、充分に描き出した絶妙なもの。聴き
慣れない現代曲の後に、口直しとして丁度良い印象派の名曲であった。
楽員が退出しても鳴り止まぬ拍手にマエストロは1人で再登場。熱烈な
ファンが増えているようだ。

 12月に恒例の人間ドックに行きました。現役時代は健保組合

補助があり、指定検診施設での受診。リタイア後の国民健康

保険では補助は一切なし。安くて良い検診施設を、自分で探さ

なくてはなりません。今年も新宿御苑駅近くの個人クリニック

で、5年連続の受診となりました。

 このクリニックを選んだ理由は2つあります。1つは「腫瘍

マーカー」検査が基本料金に組込まれ、安く受診できること。

の家系なので必須の検査ですが、普通は値段が張るオプショ

ンなのです。もう1つは胃の検診が内視鏡であること。4年前

学生時代の友人が、末期の食道癌で亡くなりました。バリウム

済まさず胃カメラで診て貰ったら、初期段階で見つけられた

で残念です。これも普通はオプションとなり、高くつきます。

 受診して気がついたメリット。医師が自ら内視鏡を操作して、

肉眼で鼻~十二指腸を直接診ます。内臓のエコー検査も同

す。普通のドックなら検査技師が撮影した、何枚かの静止画像

を診るだけなので、これならば的確な診断ができますまた眼

底・眼圧の検査がありませんが、これは2年に1度受診できる

市の眼科検診で、ドックではやらない白内障・緑内を含めて、

近所の専門医が検査してくれます(受診料は1,000円)。

(SOMPO美術館のゴッホ展)

 人間ドックは朝食抜きで9時開始が普通ですが、朝一番だと

尿酸値が高く出る体質なので、私は午後のコースを選びます。

朝9時に具のない素うどんを食べて以降は絶食。電車が混ま

いのもメリットの1つです。SOMPO美術館でゴッホ見た

り、新宿歴史博物館に行ったりして時間を潰しました。

  → ゴッホと静物画展 | 木琴歩徒氏のブログ (ameblo.jp)

  → 新宿歴史博物館 | 木琴歩徒氏のブログ (ameblo.jp)

(新宿歴史博物館のパンフ)

 午後2時45分の開始で、検査が終わったのは1時間後。血液

検査の結果が分かったのは1週間後でしたが、それ以外は昨年

から大き変化はなし。4時に医師の説明が終わり、めでたく

無罪となりました。

○2024.1.21(日)14:00~ サントリーホール 2階P2-○
 カーチュン・ウォン:日本フィル(#403名曲)、Pf)上原 彩子
  伊福部 昭:舞踏曲「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」
  ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
  (アンコール)ラフマニノフ:前奏曲ト長調op32-5
  ベルリオーズ:幻想交響曲op14
(会場入口のポスター)
 1月の日フィルには昨秋に続き首席指揮者カーチュンが登場。本日は
幻想交響曲をメインとした名曲コンサートだが、前半は少々渋い2曲を
並べている。しかし客席は8割方の入りと盛況。カーチュン人気による
ものなのであろう。オケは弦16型フル編成でコンマスは木野雅之。Pブ
ロック下手寄りの前列で聴く。
 1曲目はマエストロが得意とする伊福部昭。預言者ヨハネの首を王に
所望する、サロメの妖艶な舞踏はR.シュトラウスのオペラで知られる。
1948年作のバレエ音楽の演奏会版とのことだが、聴くのは無論初めてで
ある。冒頭のフルートとハープ独奏は、闇夜で怪しく輝く炎のような趣。
そして直ぐにゴジラを連想させる、独特の行進曲風リズムが出現する。
中盤はゆったりとした展開となるが、再度激しいリズムの繰返しに。艶
めかしさは余り感じられず、良くも悪くも迫力に満ちた特撮映画の世界
である。そして一瞬燦然と燃え上がる劇的な幕切れ。マエストロはスコ
アを高々と掲げて、作曲家を称えていた。
 続いては昨年生誕150周年を迎えた、ラフマニノフの実質的なピアノ
協奏曲。ピアノが搬入されオケは弦14型+Cb1に縮小される。2002年の
チャイコフスキーコンクールで、日本人初(女性では世界初)の優勝に
輝いた上原彩子が濃紺のドレスで登場。随分小柄でオクターブを越える
運指ができるのかと、余計な心配をしてしまう。深々としたお辞儀の後
にスタート。ピアノの音色は実に透明で、オケの響きは分厚い。淡々と
演奏する超絶技巧は、入念なガラス細工の職人技を思わせる。一番の聴
かせどころ第18変奏は、遅めのテンポで歌わせるが入込みは程よいもの。
映画音楽のようなベタベタ感はない。オケの伴奏が実に美しく、いい年
をしてまさかの落涙。ここから一気に加速して、難所が連続するフィナ
ーレを駆け抜けた。鳴り止まぬ大拍手にアンコールは、ゆったりと静か
な前奏曲。場内の興奮を適度に静めてお開きとなった。
(カーテンコール)
 休憩後はカーチュンでは初めて聴く幻想交響曲。先月聴いたルイージ
の演奏は、NHKホールの音響がネックだった。本日はサントリーホー
ルなので、その心配はない。マエストロは暗譜で、上体を大きく使った
独特の棒捌き。硬質ながら色彩感溢れる演奏は、期待した通りであった。
 1楽章はグイグイと押すような趣。弦のカチッと揃ったアンサンブル
が実に見事である。2楽章の舞踏会も流れるようなテンポで、ハープ2
台が素晴しい音色で大活躍する。3楽章でコールアングレと掛け合うオ
ーボエは、上手の楽屋での演奏。4人で奏でるティンパニーの遠雷は、
何度聴いてもこの作曲家の天才性を実感させられる。4楽章では眼下1
mで乱打される打楽器の迫力が物凄い。百鬼夜行するグロテスクな5楽
章には、一休みしてから突入。「怒りの日」では分厚い金管の響きの中
で、本物の鐘が下手楽屋で乱打される。フィナーレは一糸乱れず鳴らし
切ったが、マエストロが直れをするまで数秒間、深い静寂を味わえたの
は望外の幸せだった。オーソドックスだが、オケを完全に掌握した名演。
カーチュン独自のフレージングも随所で楽しむことができた。楽員が皆
退出しても拍手は鳴り止まず、マエストロは1人コールに応えていた。
(ハクモクレン)

 40年以上会社員生活を送りましたが、うち勤務地は21年間

が新宿でした。とはいえ知っているのは会社の周辺と、駅の周

りの繁華街だけ。新宿の歴史などを、勉強したことは殆どあり

ません。江戸時代には内藤新宿という、甲州街道最初の宿場町

だったことや、1970年代後半に高層ビル群がでるまで、西口

は淀橋浄水場だったことを、辛うじて知っている程度です。

(パンフレット)

 

 15時開始の人間ドックまでの暇潰しに、新宿歴史博物館に

行ってみることにしました。新宿の歴史を後世に伝えるため

に、1989年に開館した区立の施設です。最寄駅は丸ノ内線の

四谷三丁目か都営新宿線の曙橋。どちらから歩いても10分は

かかりません。

(四谷見附橋の高欄)

 

 常設展示場は地下1階。はじめは石器時代や縄文時代の土

器や銅鐸など、続いては中世の板碑などが展示されています

が、あまりパッとしません。江戸は家康が入城するまでは、

武蔵国の辺境にある寒漁村だったのです。

(内藤新宿模型と店蔵)

 

 大きなスペースを占めるのは、「江戸の暮らしと新宿」

「近代文学に見る新宿」「昭和初期の新宿」のコーナー。

宿場町だった内藤新宿の街並模型や、実物大の店蔵が目

を引きます。新宿が西の終点だった、戦前の市電も展示

されています。

(市電5000型)

 

 私が新入社員だった40数年前、超高層ビルが新宿西口に

次々と建ちました。でも一般のビルは5階建てがせいぜい。

木造2階建の店舗兼用住宅も、まだまだ残っていました。

そろそろ「戦後の高度成長期」「バブル崩壊後の氷河時代」

を、本格的に展示に追加する必要がありそうです。

○2024.1.14(日)14:00~ NHKホール 3階L8-○
 トゥガン・ソヒエフ:NHK響(#2001定期)
  ビゼー(シチェドリン編):バレエ音楽「カルメン組曲」
  ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」
   〃  :バレエ音楽「ラ・ヴァルス」
(会場入口のポスター)
 昨秋のウィーンフィル来日公演を、病気キャンセルとなったウェルザ
ー=メストの代役で、急遽指揮したロシアの俊英ソヒエフ。1月のN響
定期に登場してAプロではオール・フレンチ、Bプロではモーツァルト
とベートーヴェン、Cプロではオール・ロシアンと、得意とするレパー
トリーを並べた。この中から1つ選ぶとなると、日頃は進んで聴かない
フランス物に食指が動く。客足は良く天井桟敷も8割方と満員に近い。
オケは弦フル編成(第2Vnは1少ない13)。コンマスは伊藤亮太郎で、
マエストロは素手での指揮。3階下手最安席の前方で聴く。
 本日の3曲は何れもバレエで上演されるのが共通点。前半はカルメン
組曲のバレエ上演版で、旧ソ連の世界的プリマ・プリセツカヤのために、
夫君シチェドリンが編曲したものとのこと。初めて聴くが弦楽合奏と打
楽器のみで演奏される。弦の直ぐ後ろに奏者5名の打楽器群が居並び、
13曲40数分に及ぶスペイン情緒溢れる名旋律のオンパレード。「カルメ
ン」を材料としているが、通常演奏される組曲とは別の曲と言った方が
良い(冒頭・終曲ともに静かな弦楽合奏をバックに、チャイムが優しく
メロディを刻むなど)。管楽器が入らないため華やかな感じではないが、
打楽器が活躍するので非常にダイナミックな印象。弦のアンサンブルは
分厚く響きは豊かである。あまり期待していなかったが、フランス物の
エスプリを充分に堪能した佳演。N響では珍しくブラボーが飛び交った。
(カーテンコール)
 20分の休憩中に前半使われた打楽器は片づけられ、後方のヒナ段に置
かれていた管楽器用の椅子がセットされた。2曲目のマ・メール・ロワ
は、マザーグースの昔話によるピアノ連弾が原曲。今回はバレエ上演版
ではなく通常の組曲版によるとのことだが、素人に違いは分からない。
子供に添い寝しながらのお伽噺という、夢見心地の優しい演奏は趣通り
のもの。コンマスのソロが美しい。10数分の小ぶりな作品だが美女と野
獣の対話など、微妙なニュアンスの変化が際立つ名演だった。
 トリは4年振りに聴くラ・ヴァルス。これは編曲物ではなく、当初よ
りバレエ音楽として作曲されたものである。混沌とした巨大な渦の中か
ら濃厚なワルツが誕生し成長して行く。それが極限まで達すると、一瞬
輝かしい閃光を放って昇華する。そんなイメージを華麗に描き出した演
奏で、巨大なNHKホール(しかも天井桟敷)で聴いているのを忘れさ
せてくれた。前2曲に続き音の魔術師の本領が、存分に発揮された色彩
感に溢れる名演。マエストロは満足そうに笑みを湛えていた。
(大分の赤レンガ館)
○2024.1.11(木)19:00~ サントリーホール 2階P6-○
 小林 研一郎:プラハ交響楽団
  スメタナ:連作交響詩「わが祖国」全6曲
(会場入口のポスター)
 若き首席ブラウネルと5年振りに来日し、各地で8公演を行うチェコ
の名門プラハ響。このうち東京、いわきの2公演はコバケンが、生誕200
年を迎えるスメタナの代表作「わが祖国」を振る。オケは弦14・12・10
・7・7という変則編成。ヨーロッパのオケだけあって楽員の体格が、
一回り大きいのには改めて驚かされる。マエストロは暗譜でのタクト。
発売日に辛うじて確保した、Pブロック上手の最安席で聴く。
 この曲はチェコの人々にとって、民族の独立を象徴する特別な曲。し
かし歴史的背景を知らずに聴くと、長くてくどいローカルな交響詩集で
しかない(特に第3・5・6曲)。そのためか人気のほどは今一つで、
正面席両サイドにはまとまった空席が見られるのは残念である。プラハ
の春音楽祭のオープニングでは、欧米人以外で初めてこの曲を振ったマ
エストロの十八番。直近では4年前の日フィル定期で聴いているが、チ
ェコのオケでは1999年のチェコフィル来日公演以来となる。
(カーテンコール)
 第1曲「高い城」の出だしでは、マエストロは棒を振らない。2台の
ハープの美しいソロは、民族の歴史を語る吟遊詩人の竪琴を模したもの。
これぞチェコと言うべき、愁いを帯びた音色である。この主題がオケに
引継がれると、分厚く響く色彩鮮やかな音の奔流に。柔らかなホルン6
本のアンサンブルが実に素晴しい。続けて入った「モルダウ」は速めの
テンポ。川辺の情景が走馬灯のように、次々と描き出されて行く。月夜
の静けさは弦のピアニッシモが実に見事で、渦巻く急流はオケが全開で
凄まじい迫力。そして輝かしい凱歌のフィナーレとなる。3曲目は恋人
に裏切られた女性「シャルカ」が、男達を酔わせて皆殺しにする伝説曲。
速めのテンポで金管の迫力が物凄く、クラリネットのソロが上手い。前
半終了で20分の休憩となるが、ここでマエストロは本格的なコールを行
い、楽員を次々と立たせて行った。
 第4曲「ボヘミアの森と草原から」は緩急自在で、チェコの自然を思
わせる明るい響き。農民の踊りのようなコーダは、物凄い迫力である。
最後の2曲はカトリック教会の堕落に反旗を翻した、中世のフス教徒の
物語。チェコの歴史の原点と言うべきものなのだろう。繰り返し出現す
る旋律はフスの賛美歌とのこと。第5曲「ターボル」は反乱の中心とな
った町の名。金管の咆吼と打楽器の強奏が印象的である。終曲「ブラニ
ーク」は、闘いに敗れた騎士達が眠る山。冒頭は1音1音噛みしめるよ
うな曲想だが、徐々にテンポを上げて行く。そしてフスの讃美歌が回想
されると、オケを鳴らし切っての高らかなフィナーレ。民族の歴史の明
るい未来を、希求するかのような演奏だった。余韻を味わいたかったの
だが、知ったかぶりのフライング拍手が残念至極。
(多摩湖より望む富士)
 コールではマエストロは、顔をクシャクシャにしながら次々楽員を立
たせる。最後はマイクを取って、聴衆への謝辞と楽員への賞賛。「これ
だけの演奏の後、アンコールは勘弁して頂きたい。皆さまの大きな拍手
で、お開きにしたいと思います」。チェコの自然や歴史に疎い我々に、
この曲の素晴らしさを体感させてくれた名演。楽員一同四方の聴衆に向
かい、慣れない礼をして散会となった。

 松の内に親戚が集まる新年会は核家族化の進展とともに、

廃れて来ているように思われます。我が家でも義母が元気

だった頃は正月の3日に、新宿で義兄夫妻と新年会をやる

のが通例でした。義母が介護施設に入ると場所は施設近く

のファミレスになり、亡くなった後は成人の日の三連休に

繰り下がりました。正月料金の上に混雑する三が日は、避

けた方が賢明だからです。今年も松が取れた成人の日に、

義兄・義甥・義姪夫妻と新宿で和食を頂きました。

 

 ㊧前菜(胡麻豆富・生ハム・お浸し)、蟹つみれのスープ ㊨お造り・二種、お凌ぎ・鮨二種

 

 

 ㊧蓮根饅頭餡かけ、豚黒糖焼・銀鱈西京焼 ㊨しらすの炊込みご飯・香の物・赤出汁

 

 子供の頃を思い出すと元日は、お昼に隣町の母方の祖父

の家で新年会をやりました。叔母や叔父がまだ結婚する前

で、賑やかなお正月でした。祖父がこの時だけ腕を振るっ

故郷・高知の郷土料理、カツオのタタキが美味しかっ

を覚えています。

 翌2日は父の長兄の家で、こちらもお昼からの新年会。

都心を横断して反対側の西郊までの遠出でした。今は環八

の抜け道で混雑するバス通りで、従姉とバドミントンをし

たのを覚えています。義伯母ご自慢のお節は故郷・宇都宮

の「すみつかり」。最後にご馳走になったのは、もう50年

近く前になるでしょうか。

 我が家では長女は関西に嫁ぎ、正月も交代で仕事なので

帰京はできません。長男は仕事が書き入れ時で年末年始は

休みなし。という訳で三が日は、来客もなく老夫婦だけ

新年会。ささやかにノンビリとお祝いしました。