そう言えば「死を想うこと」って、40歳を過ぎてようやくできるようになったかなと思います。
もちろん、若い頃も「死」は理解していました。
でも、「想う」となると、とても至っておりませんでした。
母を喪い、何人かの肉親を喪い、自分も年齢を重ね、ようやく「死を想うこと」が出来るようになったかと思います。

とても、優しくて、深いお芝居でした。

阪神淡路大震災のあの日をモチーフにして、夢か現実かわからないぼんやりした中、主人公である『私』はかつて生きていた人たちや物たちに出会いながらしゃべる猫を従え、歩いてゆきます。

描かれる風景は、芝居を観る人たちにとってもどこか懐かしい風景であり、言葉であり、忘れがたい思い出。
そして、その風景に身を置くことで観る人も「死を想う」のでしょう。

全編を通して優しい語り口で演じてゆくその様は、実に巧妙で、役者さん同志の息がぴったりあっていないと出来ないものでした。

いつも思いますが、遊劇体の役者さんは本当にお芝居が巧いです。巧いからこそ、変な技巧や演出や装置にこだわる必要がないのですね。
舞台もとてもシンプルながら、しっかりと考えて作られていて、役者さんの動きも激しくないにも関わらず大きくて力強くて優しいお芝居。

「すばらしいお芝居でした」という言葉が何の気負いもなく口から出ました。

そして、その観終わった後の感覚は、時間を経るにつけ少しずつ深くなってゆきます。
精神の奥底に深く刻み込まれるようなそんなお芝居。
温かく優しく深く哀しいお芝居でした。


mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-遊劇体あやかし
今週末は授業参観ラッシュでした。
まあ、とはいえ娘二人ですので、二日だけですが・・・

土曜日は下の娘。
娘が通う京都市立待賢幼稚園は、創立120年を超える公立の幼稚園なんです。
ですので、建物も、まあ歴史があります。

教育方針も公立幼稚園ですから、ひたすら遊びます。
しかも京都の街中の幼稚園ですので、一学年17名ととっても小さい幼稚園。

子供って遊びの天才です。
一見無秩序に遊んでいるようで、それでいて時としていっしょに遊び、自然にコミュニティを作ってゆきます。
座学は一切しません。

野菜や花を植えたり、ウサギと遊んだり、近くの二条城へいったりします。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-待賢幼稚園
素敵でしょ。
上の娘も南行徳で公立幼稚園でしたが、やっぱりいいです。
小さいうちは思いっきり遊ぶのが一番子供らしいと私は思います。

さて、日曜日は上の娘。
京都市立西ノ京中学です。

正直、上の娘は入学前一番心配でした。
なにせ、関西は全く知りませんし、もちろん友達は一人もいません。
「中学でうまくやれるかな~」とちょっと心配していましたが、どうやらここにきて部活とかで友達ができたみたいで、一安心。

ところで、最近の中学の英語の授業ってすごいんですね。
パソコンで動画などの教材を駆使してやるんですね。
先生も質問から英語だったりとか・・・いやはや。

ちなみに、授業の参観だけでなく、今日は部活の参観もありました。

娘は美術部ですので、観るものも特になさそうでしたが、ひとまず、元美術部(中学時代)として行ってきました。
なんだかステンドグラス風の文化祭の展示物を作るとかで、デザインの打ち合わせを楽しそうにしておりました。

普通の教科はさっぱりですが、美術は大好きのようで、部活もほんとに楽しそうでした。
まあ、楽しければすべてよしです。

二人ともとにかくのびのび育って欲しいと心から願います。

写真は壁新聞に書かれていた上の娘の4コマ漫画です。
デッサンももっとやらないとだめですね。(笑)

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-娘の四コマ

Facebookの方では写真をあげたり、お客さんがあげてくれた動画をシェアしたりしておりましたが、先日、実に27年ぶりに人前で歌いました。

行きつけの円町のカフェバー「RueRibera」オープン7周年の日の前夜祭に、同じく常連とふたりでギターとカホンという編成でライブもどきをやりました。

大学1回生の時、ゼミの仲間で組んだバンドで学内の喫茶店でライブもどきをやって以来ですから、実に27年ぶりです。

お客さんは10人ほどで、知った顔ばかりですから気楽に出来たのですが、それでも練習の6割くらいのパフォーマンスしか出せませんでした。

実は、カホンを買ったのが1か月前、3週間ほどの自己練習でボーカルしながら叩こうと言うのが大間違いだったのですが・・・・
小なりとはいえ、知り合いが多いとはいえ、人前で演奏することの怖さを再認識しました。

まあ、それでも、お客さんには楽しんで頂けたようでちょっとだけ一安心。
でも、真剣に練習してライブやっている人から見れば「ふざけるな!」って言われるようなレベルなんでしょうが・・・

不思議なもので、一回限りで終わろうかなとおもっていたこのバンドも「またやらないんですか?」と言われてしまうと、それがたとえ社交辞令であったとしても、その気になってしまいます。
それが人前でパフォーマンスをするという怖さの半面の魅力なんですね。

ということで、いつになるかわかりませんが、またやりたいと思います。
それまでに、カホンの腕も、ボーカルも磨いておきます。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-ライブの写真A

あ、ちなみにバンドの名前は「行徳ゼンザーズ」といいます。
ギター担当のSさんも私も、同じ時期に行徳周辺に住んでいたことと、前座が目的で編成されているところから安易につけました。
当日、「私も入れてほしい」という方が数名出まして、現在5名ほどになっております。

ちなみに動画はこちら。
マイク使ってませんよー。生声です。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-ライブの写真B
先週のこと、いつも大変お世話になっている方からお誘いをうけて、なんばグランド花月で吉本百年物語5月公演「キミとボクから始まった」を観てきました。

ご存知の方も多いかと思いますが、この公演は吉本興業100周年を記念して、1年間月がわりで行われる公演なんです。

いやはや、これは大変な・・・・あ、吉本だからアドリブだらけなんだ・・・と思いきや、いつもの吉本と違い、しっかりストーリーとセリフが立ったお芝居。
でありながら、ちゃんとアドリブの部分があったり、日替わりのゲストが出てきたりで、吉本らしさもちゃんとありました。

ちなみに、私が行った日のゲストはスピードワゴンの二人で、しっかり井戸田潤の元嫁ネタで笑いをとっていました。

さて、お話は元祖しゃべくり漫才、花菱アチャコと横山エンタツコンビの誕生秘話。
昭和4年当時の音源やネタ、画像を交えながらの進行はなかなかでした。

しかし、このコンビ、当時人気絶頂だった花菱アチャコと千歳屋今男のコンビを解散させて、林正之助氏が組ませたものだったのですね。

当時人気第一位のコンビを解散させて、さらに新しいものを作るというのはなかなかできるものではありません。しかも、その漫才と言うのは、当時一般的だった萬歳は、昔ながらの楽器の演奏や唄が入ったものだったのを、いわゆるしゃべくりだけで、しかも市民の日常生活を描いた形にしたというのは、相当な冒険だったのだと思います。

そういう思い、活動があって、今日の漫才があるのだとわかりました。

おそらくは100周年を機に吉本は、また新たな挑戦をするのでしょうね。

しかし、新しいものを創りだすのって、並大抵ではないですね。
「新しいことやらなくっちゃ」なんて会社でも言ってますが、いやはや甘い甘い。
一番人気を切り崩す、これくらいのことをしないとだめなのですね。

なんだか、芝居を観て、いろいろと考えさせられました。

写真はその後飲みに行ったなんばの居酒屋です。
なかなか良かったです。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-丸一屋


ほんと、西一風のみんなには申し訳ないのですが、30分近い大遅刻で入場。

ところが、この30分を観たかったと切に思うほど面白いお芝居でした。

なんだかとっても人気のある女性画家の一家に、養子として「クロコ」という女の子がやってくるのですが、
この一家が働いている人がこの女性画家だけで、子供二人も旦那さんの子でなく、
で、その旦那さんは女装癖があり、
息子はネットで有名なオタク系イラストレーターであり、エロゲーの制作に没頭していて、
娘はすでに5人も人を殺していると言う設定・・・・

なんじゃそりゃとお思いになるかもしれませんが、このむちゃくちゃな設計の中繰り広げられる芝居が、実にドライブ感があって面白い。
役者のキャラクターがしっかり立っていて、そのドライブ感をしっかり支えている。

頭突木大地君が昨年作演出を務めた「無限ドリンク」も面白かったですが、今回の「F計画」はさらにドライブ感が増してよかったですね。

さて、先輩として、指摘する点としては、設定にもうひとひねり欲しかったところですね。
役者の技量で何とかしてましたが、設定の段階でキャラが弱い登場人物があり、そこはもっと設定段階で詰めておくとよかったかなと思います。

また、往々にして若い人たちの作品にはセックスを内容として多用することが多いですが、ここはもう少し抑え目にした方が、作品の中に流れる屈折しながら明るいというギャップがさらに活きたかもしれませんね。

後は演技は多少粗いところがありましたが、ここは次回に期待ですね。
役者陣は確実に巧くなっていますしね。

いずれにしても初期西一風も大事にしていた「ドライブ感」が失われていなかったのは何より良かったと思うのでした。

毎回書きますが、今回もすべての後輩諸君に感謝です。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-西一風F計画