京都に家族を呼んだ今年、わずか2日でしたが、久しぶりにGWに帰省しました。

故郷鯖江・・・実は生まれたのは隣の武生なのですが、なにせ6歳までしか住んでいませんでしたので、思春期を過ごした鯖江を私は生まれ故郷と呼んでおります。

その、鯖江にはこの時期「つつじまつり」があります。

鯖江の旧市街の北西部に位置する丘、西山公園にたくさんのつつじが植えられており、この時期に一斉に開花しますので、これが実に見事なのです。

西山公園も、私が子供の頃はまだまだ整備されておらず、雑然としたところもかなりありましたが、今はかなり整備されてきれいになりました。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-つつじまつり

やっぱり故郷はいいですね。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-芝桜

つつじだけでなく芝桜もきれいでした。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-西山より

こちらの写真は西山から望む旧市街です。
奥に見えるこんもりした森は王山です。
西山同様古墳群があり、私の母校惜陰小学校もここにあります。

つつじをたくさん見て帰って、ふと実家の小さな庭を見てみると、忘れな草が咲いておりました。
亡き母はこの忘れな草を愛しておりました。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-忘れな草

咲き誇るつつじもよいですが、ひっそり咲く忘れな草も素敵です。


1ヵ月半ぶりの観劇は、あの演劇祭で大賞を受賞した西一風OB田中次郎君の作品です。

今回の田中作品は、あるレストランの厨房を舞台に、レストランの裏側に人間の裏側を重ね合わせるシュールかつコミカルな作品でした。

まだ、公演中なので詳しくは書きませんが、いやぁ面白かったです。

次郎君の作品の面白さは、「人間関係」だと思います。

登場人物それぞれにキャラがしっかり立っていて、その登場人物間の微妙な人間関係が少しずつ紐解かれてゆき、それぞれの内側が明かされてゆく。

人間ってどうしようもない・・そんなシュールな内側を描く次郎君っの脳みそはどうなっているんだろうか。
そんなことを考えながら観ておりました。

彼は決して社交的ではないタイプなのですが、その分、しっかり普段から人を良く見ているのでしょう。

さて今回、唯一文句をつけるとすれば、「話の終わらせ方」
正直ちょっとだけ物足りなさを感じました。
「違和感」と言った方がいいでしょうか。
それは途中で挟んでいる映像も同じことを感じたのですが、芝居全体の中でこなれていない感がしました。
でも、それは贅沢な要求なのかもしれません。

思いだせば、京都に帰ってきた3年前、最初に観たのが西一風の「タウン」でした。
実はこれが次郎君の作品でした。
そして、そこに築地さん、飯坂さん、佐々木君も永井さんも稲葉君も「デ」の市川君も出演していました。

あれから3年、着実に次郎君も他の皆さんも進化していますね。
彼らの若さと柔軟性に嫉妬するばかり。
おっさんもがんばらんといかんですね。

写真は夕闇せまる劇研です。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-サワガレ「EATER」

久しくブログを更新出来ておらず、失礼いたしました。
京都に越してきて1カ月。
何かとバタバタとしております。

さて、「住む街」京都の良さのひとつに、コンパクト感があると私は考えております。

確かに、お店や商品、アミューズメントの多様性は圧倒的に東京近郊です。
ですが、東京近郊はさすがに広い。

その点、京都はコンパクトな街の中にいろいろなものがちょっとずつ詰まっていて、なおかつ、街自身に趣がある。
そこがこの街の良い点だと考えております。

そして、この街には美味しいものがたくさんあるのですが、そのひとつがラーメンだと考えております。

もちろん、東京には美味しいラーメン屋さんが京都の何倍もあるのですが、何と言いますが、京都には家族でいけるラーメン屋さんが結構あります。

ということで、家族が一番好きなラーメン屋さん探しを只今継続中なのです。
先々週が天下一品。先週が横綱。
で、今週が魁力屋でした。

この魁力屋さん、実は南行徳にも支店があったんですが、行ったことなかったんですよね。

今のところ、この魁力屋さんが家族の一番のお気に入りです。
さて、まだまだ探しましょうかね。
この過程も「またたのし」です。

写真は魁力屋河原町店です。
食べ散らかしていてすいません。

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-魁力屋河原町店で

さて、引っ越しをすると、あると思っていたものがなく、

とっくに処分したと思ったものが出てきたりします。

今回の引っ越しも、ちゃんとそんなものがありました。

それはこれ↓

mokichi4516こと齋藤秀雄の再び京都へ戻ってきました。-初期西一風全ポスター

劇団西一風が創立した1985年から1987年までの主に舞台公演の全ポスターです。

学生劇場(現在はありません。立命館最古の学生劇団)との合同公演や、新演研(現・月光斜)と学生劇場と3劇団合同で作ったポスターも持っていました。

いやあ、あるもんですね。

一応、全公演出演してるんですよ。私。

詳しくはFacebookの西一風OBOG板で一枚ずつ写真を上げようと思います。
先日家族が京都に引っ越してきましたが、そう言えば、南行徳が人生で一番長く住んだ場所だったかと思い、ちょっと引っ越し歴をたどってみました。

もちろん転勤族の皆さんに比べると圧倒的に少ないのですが、私もちょこっと引っ越し歴があります。

まず、
生まれたのは1964年9月でこの時は武生市(現越前市)本多町
(鯖江市出身と公言しておりますが、ホントは越前市出身なんです)
1971年小学1年の5月に福井市乾徳町に転居
1974年小学4年の12月に鯖江市住吉町に転居
1983年3月、高校卒業、浪人決定とともに、関西文理学院北山寮へ入寮。
京都市左京区下鴨前萩町に転居
1984年3月、大学合格とともに京都市北区北天神森町に転居
1988年9月、東京転勤とともに大田区西蒲田7丁目に転居
1991年4月、会社の借り上げ寮の関係で大田区西蒲田5丁目に転居
1992年3月くらい、会社の寮移転のため墨田区向島3丁目に転居
1996年10月、結婚のため、千葉県市川市富浜2丁目に転居
2002年5月、マンション購入のため市川市南行徳2丁目に転居
(2009年4月京都単身赴任のため京都市中京区西ノ京鹿垣町に転居)
(2011年2月入居先家主帰還のため、中京区西ノ京中御門東町に転居)
2012年3月家族が京都にくるため中京区西ノ京上平町に転居

こうみると、鯖江出身といいつつ、鯖江に住んでいたのは8年9カ月しかないんですね。
南行徳が約10年ですが、3年単身赴任してましたから、でも、やっぱり一番長いのは鯖江ですね。

でも47年の人生で引っ越しが12回。
これって決して多くはないと思います。
この先、さらに引っ越すことがあるかどうかは、神様でもわからないと思います。