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格言とその意味

廣池千九郎先生の格言とその意味をUPしていきます。



 従来の哲学的教説〈ここにいわゆる哲学は純粋の学問でなくして政治的意味を含むもの〉もしくは宗教の教理は往々《まま》その時代の慣習もしくは制度に対し て急激の改革を唱え、破壊的性質を帯ぶることがあります。
しかるに、最高道徳はすべて人類の経験・知識・慣例・慣習及び法律を尊重するのであります。
それ 故に、すべて人類の過去の歴史を尊重して、人間の精神的及び物質的推移の法則に適従しつつ、漸次に聖人の教説及び教訓を実行させようとするのであります。


               広池千九郎WEBSITE格言の間より




 従来の教訓では「言うは易く、行うは難し」となっておりましたが、今日知識ある人は相当に善いことも行うのであります。
しかしながら、その善事に伴う精神 上の動機と目的とが、真に神に通ずる至誠から出ておるものは少ないのであります。
いま、最高道徳は善事に対する精神作用を重大視するのであります。
しこう して道徳の実行上に精神作用の重大なることは第一巻第四章・第十二章第八項・第十四章第二十六項及び第二十七項ならびに第十五章第一項を参照せられんこと を乞《こ》う。

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 従来、既成宗教の間には更生の意味を誤解して、学者は学を棄《す》て、財産家は財を棄て、すべて従来自己のなし来たった職業及び所有物はみなこれを棄てて しまわねば、神の守護は受けられぬと説いておるものが多々あるのであります。
しかるに最高道徳は、そういうことを説くことはないのであります。
すなわち何 人《なんぴと》もその家業・職務もしくはその所有物は大体従来のままにしておいて、主としてその精神だけを最高道徳的に改むるのであります。
その精神が改 まった上にて、その最高道徳の精神をもって家業もしくは職務を執行し、その所有物を多少にてもその分に応じて善事に使用して徳を積むということであるので す。
しこうして学問あるものは学問の方面より、商業の知識あるものは商業の方面より、工業に精《くわ》しきものは工業の方面より国のためもしくは社会のた めに尽くさせ、すべて適材を適所に用いて、何人をも幸福になるように指導するのであります。


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 真理は人間の道徳及び道徳を伴う知識の淵源《えんげん》でありますから、道徳及び信仰の対象であります。
しこうしてその真理を実現せしものは聖人・準聖人 及びその他の道徳家であって、その人格の力が一般人間の道徳及び信仰を支配するのであります。
かくてそのいわゆる人格は、単に知識をもって認識するところ の真理の範囲を超越して、知のほかに情・意を具備するものであります。
故に人間の道徳及び信仰を実現さする動力は、真理のみにては不十分であって、必ず人 格の力を要するのであります。
しこうしてその聖人もしくは準聖人の事跡には、いずれも一貫せる人格の象徴があって、吾人《ごじん》の精神的及び物質的生活 に対して一定の標準を示しておるのであります。
故に最高道徳は、真理を尊ぶと同時に、その生きたる精神的伝統の人格を尊び、理解と感激と、正当なる判断と によって、その慈悲心を涵養《かんよう》し、且つこれを発揮するのであります。


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 物欲は人間の品性の最も下劣なることを現すものなれば、従来普通道徳においてもこれを排斥しております。
しかるに高慢・我慢もしくは剛情等はこれを許して あります。
しかしながら、最高道徳ではこれをも許さぬのであります。
何となれば、物欲は人類の平和を害し且つ幸福を害するはもちろんなれど、この高慢・我 慢・剛情もまた同様の結果を生ずるからであります。



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