格言とその意味 -3ページ目
古来聖人の教訓に、何人《なんぴと》も「その初めはあれど、その終わりを全うするものはない」というてあります。
たとえば事業に失敗する人のごときはもち
ろんでありますが、事業に成功せる人々にても、その前半生は道徳的に努力すれど、後半生に至ってはその精神懈怠《けたい》して、放縦且つ無慈悲となり、つ
いに不道徳となって亡《ほろ》ぶるものが多いのであります。
いま、最高道徳は終始一貫、至誠をもって努力するを原則といたします。
広池千九郎WEBSITE格言の間より
最高道徳にては、旧来の占星術その他におけるがごとく、日・時もしくは方角のこと等を論ぜず、その他種々の迷信を採用することをばなさぬのであります。
しかしながら、すべて事物の盛衰・成敗《せいはい》は一朝にしてここに至るものではないのです。
必ず大事の前には小事があるのです。
これ宗教もしくは愚人
の迷信にあらずして、聖人の教訓にも見え、歴史その他われわれの経験上にも動かざる事実であります。
故にいかなる事にても、平素に常例なき出来事があった
ならば、大いに注意して禍《わざわい》を未然に防がねばなりませぬ〈しかるに日本にては近時(昭和三年)天災はもちろん、国家及び社会の統制上容易ならざ
る事変続々起こりても政治家・実業家はもちろん、教育家のごときも何ら自ら反省するごとき態度なきは惜しむべきことであります〉。 広池千九郎WEBSITE格言の間より
既述のごとく、道徳に動機と目的とを尊ぶことは従来すでに決定しておる問題であれど道徳実行の方法に重きを置かなかったために、道徳実行の結果が好良で
ないことが多かったのであります。
ことに従来の道徳説にては、目的のために手段を択《えら》ばずというようなことを申しておりましたので、甚だ誤っておる
ことが多かったのであります。
いま、最高道徳は動機及び目的が至誠であるのみならず、その平素の精神作用も方法もまた至誠を尽くし且つ完全を期して道徳実
行の結果を好良ならしむるのであります。 広池千九郎WEBSITE格言の間より
現代の文明人は、既記のごとく、学力・知力・金力・権力及び腕力を尚ぶのであります。
故に、この有形的もしくは物質的なる力の獲得に対して、激烈なる競争
が起こってきて、政治上・経済上はもちろん、あらゆる方面において、陰に陽に極めて悲惨なる競争が行われておるのであります。
いま、モラロジーは道徳を
もってかかる物質的なる人間の力より優秀なるものであることを合理的に確かめ得たのであります。
それ故に、最高道徳においては、道徳の実行をもって、あら
ゆる人間の力を獲得するより以上に権威あるものと認むるのであります。 広池千九郎WEBSITE格言の間より
最高道徳は国家及び社会の慣習及び歴史を重んずることは既記のごとくなるが故に、一方には、因襲的道徳を尊重すれど、しかしながら、一方には、今日まで発
達し来たれるところの四海兄弟主義《コスモポリタニズム》及び人道主義《ヒューマニズム》〈第一巻第十一章参照〉に対して、これに新たに聖人の精神を注入
してその実質を改善し、しこうしてこの新たなるところの四海兄弟主義及び人道主義を普及せしめ、もって世界の平和を建設せんとするのであります。
広池千九郎WEBSITE格言の間より

