Firestarter(2022 アメリカ)
監督:キース・トーマス
脚本:スコット・ティームズ
原作:スティーヴン・キング
製作:ジェイソン・ブラム、アキヴァ・ゴールズマン
製作総指揮:マーサ・デ・ラウレンティス
撮影:カリム・ハッセン
音楽:ジョン・カーペンター、コーディー・カーペンター、ダニエル・デイヴィス
出演:ザック・エフロン、ライアン・キエラ・アームストロング、シドニー・レモン、マイケル・グレイアイズ、カートウッド・スミス、グロリア・ルーベン
①イヤボーンの法則
アンディ(ザック・エフロン)とヴィッキー(シドニー・レモン)・マッギー夫妻は若い頃に政府の投薬実験を受け、アンディは「押す」ことで人を操る能力、ヴィッキーは念力を身につけていました。2人の間の娘チャーリー(ライアン・キエラ・アームストロング)は強力な炎を起こす力を持っていましたがまだ制御できません。思春期を迎えたチャーリーは学校で能力を使ってしまい、一家の存在に気づいた組織は殺し屋レインバード(マイケル・グレイアイズ)を差し向けます…。
原作はスティーブン・キングの1980年の長編「ファイアスターター」。
長編6作目で、日本でも非常に早い時期に翻訳が出ている、キング最初期のイメージが強い作品です。
テーマは超能力。政府の秘密実験によって超能力を持ってしまった親子が、組織に追われて必死の逃避行を繰り広げる。
今にして思えば、漫画や映画など、無数のエピゴーネンを生んだプロットですね。
また、自分でも制御し切れない超能力を持った主人公が、我慢して我慢して、あまりの仕打ちに遂にプツンと切れてしまって、超能力が大爆発!という、これも鉄板のパターン。
「スキャナーズ」とか「AKIRA」とか…。
「サルまん」で「イヤボーンの法則」って言ってましたね。エスパー漫画のパターンとして、美少女がひどい目に遭って、「イヤー!」→能力発動→敵キャラの頭がボーン!という…
まあそういう、ある種のパターンとしての古さは否めない原作ではあります。
その原作の、これは1984年版に続いて2度目の映画化。
決して評価が高いとは言えない1984年版のリベンジとも言えるリメイクなので、期待してしまうのですが。
さて、どうでしょう…?
②原作「ファイアスターター」の話
原作小説「ファイアスターター」の魅力は、主人公たちがとことん逆境に置かれ、過酷な運命を強いられ、追い詰められていく。
追い詰められるのが「父と幼い娘」であることが、また悲痛さを倍増させるのですが。
そうして物語の大半の時間、ストレスに耐えるしんどい展開を続けた上で、最後の最後にプッツン切れて、炎の大暴走で逆襲する。そのカタルシス。
そういう溜めて溜めて…の爆発に絞った作品になってますね。
なので、カタルシスは強いけど、読んでる間はかなりストレスが溜まる。
本作では、敵が強大な権力を持つ組織なので、主人公親子の無力感が更に高まる仕掛けになってます。
警察とか軍とかが味方にならず、むしろそこからも逃げなくちゃならない。
国家という権力を抑圧者として描くのは、70年代という時代が強く感じられます。
小説版で、疲れ切ったチャーリーが最後に駆け込むのは警察でも政府でもなく、プレス。
当時は反権力を売りにしていた雑誌ローリング・ストーンです。
つまり、本作はキングのカウンターカルチャーの経験、リベラルな政治的素養が強く前に出た作品と言える。
ロードムービー的であることも含めて、キング版アメリカン・ニューシネマとでも言えるような独自性のある作品だと思います。
③1984年版「炎の少女チャーリー」の話
「コマンドー」のマーク・L・レスター監督による1984年版「炎の少女チャーリー」。
「E.T.」で一躍注目されたドリュー・バリモアの、子役時代の代表作でしょう。
子役時代に過剰にチヤホヤされた結果、いろいろと悪癖に染まってしまったドリューはその後、二十代になって再ブレイクすることになります。何より。
父アンディにデヴィッド・キース、レインバードにジョージ・C・スコット、黒幕キャップ・ホリスターにマーティン・シーン。
人気のドリューを支える実力ある俳優が揃ってて、ストーリーは元々非常に映画的だし、面白くなるはずだと思えるんだけど。
どうもなあ…演出にキレがなくて、どうにもスリルがない。
凡庸な…というか、いまいちパッとしない映画という印象があります。記憶はあやふやですが。
特に世間的に評判悪かったのは、クライマックスであるはずの火炎大暴走シーンの特撮のしょぼさ。
CGのない時代なので、実際に火の玉を吊って飛ばしたりしてるわけですが、いかにも作り物臭くて萎える。
カタルシス命の映画であるだけに、クライマックスでずっこけたのは大いに評判悪かったですね。
また、本作は原作にある政治性や権力への反骨心をほとんど感じさせない映画化になっています。
ラストでチャーリーが駆け込むのはローリング・ストーン誌ではなく、無難にニューヨーク・タイムズに。
原作が持つニューシネマ的悲壮感は薄く、あくまでも80年代的B級SFの域を出ないものになっていました。
1984年版の予告編
④ようやく今回の話
というわけでようやく!今回の2022年版「炎の少女チャーリー」の話です。
まあ、ここまで引っ張ったことからもお分かりかと思いますが。
正直、しょーもない映画でした。
なんか本当に、いいところが別段見出せない…なぜ作った?としか言いようのない感じでしたね。
前作を挽回するという意味では、現代の技術でどうにでもなるはずのクライマックス。チャーリーの能力暴走シーン。
これがショボかったのが、何よりがっかりでしたね。
ただ、チャーリーの近くがぶおーっと燃えるだけ。なんか、むしろスケールダウンしてないか…?
敵が防火服を着てきたら、もう勝てなくなるくらいの強さ。
敵施設の炎上もほとんどフレームアウトして見えない、安上がりなクライマックス。
低予算なのは分かるけど、この作品をリメイクするなら、せめてここだけは迫力をアップしてくれないと本当に意味がない。
途中、「本当の力が発動したら核爆発レベルかも」みたいな発言があったので、「AKIRA」みたいなスケールのでかいカタストロフを見せてくれるのかと思ったんですけどね。
なかったですね。原作よりも、前作よりもこじんまりした印象でした。
敵組織は「数人」しかいないように見えてまるでスケール感がないし、それなので主人公たちが選ぶ行動がことごとく、なんでそんなアホなことを…というふうに見えてしまう。
敵が来るから早く逃げなきゃ…と言ってた端から「アイスクリーム食べにいく」とかね。猫とか。
おかしな選択ばかりしてるように見えるので、最後の方の「敵ボスをお父さんごと焼き殺す」とか「レインバードと手を繋ぐ」とかの、今回のオリジナル要素である選択が、意外…というよりことごとく残念な感じに見えてしまいます。
うーん。本当に、何がやりたくて作ったのかよく分からない。
邦題を原作に寄せて「ファイアスターター」とせずに、あえて当時から既にダサイと悪評高かった「炎の少女チャーリー」にしたのは、配給側の良心なのかもしれない…なんてことも思いましたよ。
これまで書いたスティーブン・キング映画を並べてみました。本作が近いのは「ペット・セメタリー」リメイク版かな…。