この記事は前編の方「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」について、映画の時系列に沿って、細かい枝葉の部分をあれこれ検証する記事です。したがって、結末までネタバレしています。未見の方はくれぐれもご注意ください。

 

「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」レビュー記事はこちら。

「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」原作との違いについての記事はこちら。

「IT/イット THE END "それ"が見えたら、終わり。」レビュー記事はこちら。

「IT/イット THE END "それ"が見えたら、終わり。」ネタバレ解説その1はこちら。

 

この記事は「IT/イット ”それ”が見えたら、終わり。」ネタバレ解説その1

「IT/イット"それ”が見えたら、終わり。」ネタバレ解説その2

「IT/イット”それ”が見えたら、終わり。」ネタバレ解説その3の続きです。

 

独立記念日

独立記念日のパレードが行われる中、ルーザーズ・クラブはイットについて話し合っています。

この日のベンは大きなワシの絵のTシャツで、相変わらず個性的です。

 

エドワード・コーコランの行方不明のビラがベティ・リプサムの上に貼られて、「ベティは忘れられた」とビルは言います。

「潰れた腕が給水塔のそばにあった」と子供たちは噂を話しています。

原作では、エドワード・コーコランを殺したのは、映画に出てくる「大アマゾンの半魚人」でした。

 

ベンは、デリーで起こる27年ごとの災厄について話します。

1908年、鉄工所のイースター爆発事故。

1935年、ブラッドレー・ギャングの虐殺。

1962年、ブラック・スポットの火災。

そして1989年。

 

ポール・バニヤン像がそびえるバッシー公園で、子供たちは話の続きをしています。

スタンは、17年ごとに大発生する周期ゼミを例に出します。

マイクは、「じいちゃんは呪いだって言っていた」と言います。

子供たちは自分たちの恐怖体験が、現実か、それとも実在しない幻かを議論します。「現実かどうかの区別はつく」とスタン。彼は現実主義者なんですね。

 

マイクは自身のトラウマであるハリス通りの火事について話します。その時幼いマイクは家の中にいて、鍵のかかったドアの向こうで両親が焼け死ぬ声を聞いていました。

彼が助け出された後、消防士が両親の遺体を発見しましたが、それは焼き尽くされて皮膚が落ち、骨まで見えていました。

マイクの両親の焼死は、麻薬中毒者の過失によるものと見なされ、その偏見もマイクを苦しめることになりました。

 

リッチーは怖いものを尋ねられ「ピエロが怖い」と答えます。

彼はその時ちょうどステージにいたピエロを見てそう答えているのですが、いかにも間に合わせの答えっぽいですね。

 

前編では、リッチーだけは個人的にイットに襲われる体験をしていないことになっているのですが、それは後編で描かれることになります。

キャピトル・シアターでヘンリーのいとことゲームをして、その少年にゲイっぽい反応を示してしまい、ヘンリーにオカマ呼ばわりされて逃げ出し、バッシー公園で落ち込んでいたところ、ポール・バニヤンの像に襲われる…という一連のシーンですね。

このシーンがいつに挿入されるのかは、やや不可解です。ビルとのケンカ別れの後…かなと思いますが、そうなると石合戦の後でもあるので、ヘンリーと会ってただでは済まないだろうと思えます。

ヘンリーの様子からも、これはもっと前の話ではないかと思えます。であれば、皆が不思議な体験について話してもなお、リッチーだけは自分の体験について皆に黙っている…ということになります。

 

子供たち一人一人がイットに遭遇するシーンは、それぞれの子のトラウマを描いているわけですが、前編でリッチーだけイットに襲われるシーンがないのは、それこそがまさにリッチーのトラウマを描くことになっているというわけなんですね。

皆に黙っている、秘密にしている。自分の中に隠したものを、皆に知られたくないということ。それこそが、リッチーのトラウマである、ということです。

 

だから、リッチーが「ピエロが怖い」というのは、実はピエロそのものへの恐怖ではない。自分自身がかぶっている「道化の仮面」をはがされて、本当の自分を皆に知られてしまうことへの恐怖であることが、後編で明かされることになります。

本当の自分、ゲイである自分が、白日のもとにさらされること。それこそがリッチーの最大の恐怖であって、それはいちばんの友達であっても絶対に口にできない。だから、リッチーは「ピエロが怖い」としか言えなかったのだと思います。

スライドの上映

みんなはビルの家のガレージに集まります。このシーンは前のシーンの続きのようだけど、皆の服装が変わっているのでまた別の日ですね。

ベンは宇宙がプリントされたTシャツ。いつものように派手なTシャツを着てます。

エディは、「超音速攻撃ヘリ エアーウルフ」のキャラクターがプリントされたTシャツ。これは、1984年から1986年までアメリカでテレビ放送されたアクション・ドラマです。

リッチーは「Freese's」のロゴが入ったTシャツ。これはメイン州バンゴアに実在するデパートの名前です。バンゴアはスティーヴン・キングの故郷であり、デリーのモデルとなった街です。

 

ビルは壁にデリーの地図を張り出し、それにベンが集めていたデリーの下水道網のスライドを重ねて映し出します。

その結果見えてくるのは、ブラックスポット、鉄工所などの災厄の場所が下水道でつながっていること。

ジョージーが消えた排水溝も。デリーの街の地下に蜘蛛の巣のように入り組んでいる下水道は、「井戸の家」の地点で一点に集まり、そこから荒れ地へと向かっています。

「井戸の家」が今位置するのは、ニーボルト・ストリート29番地の家です。

 

デリーの地図。下の左右の大きな川がペノブスコット川、そこから分岐して上方へ流れていくのが荒れ地を流れるケンダスキーグ川です。赤いラインが下水道、それが集約している地点が「井戸の家」です。

 

やがてスライドが勝手に暴走を始め、ビルの家族の旅行写真が映ります。

これは、家族でアカディアに行った旅行の記録。アカディアへの旅行はデンブロウ家の恒例のようで、ビルが両親に旅行の話を持ちかけ、冷たく拒絶されるシーンが「カットされたシーン」にあります。

アカディアはメイン州東部にある自然豊かな国立公園です。メイン州の住人にとって馴染みの深い保養地と言えるでしょう。

 

ビルとジョージー、ザックとシャロンの家族写真。

母親の風で乱れた髪の下から、ペニーワイズの顔が徐々に現れて…。

べバリーがスライドを叩き落としてもなおも映写は続き、やがて巨大なペニーワイズがスライドを飛び出して襲いかかってきます。

間一髪、ガレージの扉を開いて光を入れると、ペニーワイズは消えます。

 

この辺り、ペニーワイズは子供たちを怖がらせるばかりで、ちっとも殺しに来ない印象がありますが、これはイットが子供の「恐怖を食らう」怪物だからですね。

十分に怖がらせて、恐怖を味わうことがイットの目的。だから、たっぷり怖がらせた後でないと喰らえない。

ルーザーズ・クラブは7人いるので、どうしても1人を相手にするようには怖がらせられない。だから、グループでいることが強みになるということでしょう。

そういう特性をとらえても、イットは「見えたら終わり」の怪物じゃないんですよね…とまた愚痴が出る。

 

スライド上映は原作にはありませんが、原作にはビルとリッチーがジョージーのアルバムを見るシーンがあります。

そこでは写真から血が流れ、写真の中にペニーワイズが現れて、近づけた手が切られそうになります。

 

ビルは井戸の家に行こうと皆に言います。あそこにジョージーがいる、と。

でも、たった今怖い思いをしたばかりのみんなは、ビルについていくことができません。

映画版の「イット」前編を引っ張る動機は、ビルのジョージーへの思いに絞られていて、これは原作との目立つ違いになっています。この改変で、ルーザーズ・クラブの結束はやや緩く見えるんだけど、映画を前へ進めていく推進力はより明確になり、仲間の絆が(後編まで含めて)変化していく過程も、より丁寧になっていると言えます。

ニーボルト・ストリートの家の冒険

ビルは一人でニーボルト・ストリートの家に乗り込もうとして、追いかけてきたみんながビルを止めます。

ビルは子供たちがジョージーのように行方不明になるのを、これ以上見て見ぬふりはできないと言います。「僕は自分の家に帰る方が怖い」と。

ジョージーの死によって家が安らぎの場所ではなくなったビルにとっては、イットを倒すことが自分の陥った状況を切り開く唯一の突破口になっている。

そういう個人的な動機ですからね。仲間たちがそれを完全に共有することは、できない。

でも、それでも寄り添うことができるのが、友達ということになるんでしょうね…。

 

ビルとリッチーとエディが家に入っていき、他のメンバーは外で待つことになります。

リッチーがまず見つけるのは、自分自身の行方不明の張り紙

2階から呼びかけるのは、学校から行方不明になったベティ・リプサムです。ドアの向こうに、うつ伏せになった上半身だけが見える。

前編と後編を通じて、ベティは上半身と下半身をちょん切られて殺されたことが、ほのめかされ続けています。

 

ビルとリッチーとはぐれて、エディは一人で1階へ落とされます。

エディは腕を骨折。原作では、エディはヘンリー・バワーズに腕を折られています。だから、「みんなといれば折られなかった」というエディの母親への抗議につながるんだけど、映画では強引なビルについて行った結果の骨折になってるので、やや説得力が弱くなっちゃってますね。

 

リッチーはピエロの人形がいっぱいの部屋へ。リッチーが怖いと言ったのはピエロでした。

ただ、リッチーが本当に怖がっていたのはピエロそのものではなく、自分自身がかぶっている道化の仮面をはがされて、隠している本当の自分を知られてしまうことでした。だから、ピエロが人形とわかるとリッチーはすぐに安心した表情を見せます。

そして、ピエロに囲まれた棺桶が開き、そこに「FOUND(見つけた)」の文字が現れる。

これこそが、ペニーワイズからリッチーの恐怖に向けたメッセージですね。ピエロの仮面の下の、本当のお前を見つけたぞ…という。

 

エディは、冷蔵庫から出てくるペニーワイズに襲われる。

ニーボルト・ストリートの冷蔵庫は、後編でまた怖いものが出てくることになります。

原作では、パトリック・ホックステッターがゴミ捨て場の冷蔵庫の中から出てきた「空飛ぶヒル」に殺されてますね。

メイキングを見ると、このシーンが、エディはじめ子供たちを演じた役者が、ビル・スカルスガルド演じるペニーワイズと初めて出会うシーンだったそうです。

だから、ペニーワイズの怖さにビビるエディの表情は結構演技じゃない。マジの反応なんですね。

 

ビルとリッチーが次に出会うのは3つのドア

「VERY SCARY/めちゃ怖い」「SCARY/怖い」「NOT SCARY AT ALL/怖くない」の3つ。

ビルとリッチーはもちろん「怖くない」を開けるんだけど、そこで待っていたのは「私の靴は?」と靴を探す上半身だけのベティ・リプサムでした。

ベティは靴と一緒に下半身をなくしてるんだけど、靴は荒れ地の下水道でビルが先に見つけています。

下半身は、後編の同じドアのシーンでリッチーとエディが見つけることになります。

 

ビルとリッチーがエディのもとに駆けつけ、ペニーワイズは「私は現実じゃないと?」「ジョージーには現実だった」と言います。

外で待っていたみんなが加勢してエディを守りますが、ペニーワイズは鋭い爪をむき出しにして子供たちに迫ります。

ここでのペニーワイズの鋭い爪の伸びた手は、狼男を思わせるものになっています。原作では、ニーボルト・ストリートに出現するのはリッチーたちが映画館で見たばかりの狼男です。

原作では、銀貨を溶かして銀の弾丸を作り、べバリーがパチンコでそれを撃ち出して、イットの狼男に対抗することになります。

 

べバリーが鉄棒を突き刺して、ペニーワイズは地下の井戸へと逃れます。ビルだけがそれを追おうとしますが、みんなはエディを連れて外へ。

エディの母ソニアがエディを迎えにきて、ルーザーズ・クラブの面々にきつい言葉を投げかけます。特にべバリーには、「ふしだら女は息子に近づくな」とひどい扱いです。

ビルは必死で次こそは…と皆に訴えますが、みんなはもう付いていけません。

「次なんかない」とスタン。

27年後は40歳だ、街だって出てる」とベン。

リッチーが「ジョージーは死んだ、現実を見ろ」と言って、ビルはリッチーを殴ってしまいます。その結果、決定的な仲違いに。

最後までビルの肩を持つのはべバリーだけ。「仲違いはイットの思う壺だ」とべバリーは訴えますが、もう決裂は避けられない。ルーザーズ・クラブは、ここで分解することになります。

 

この仲違いは原作にはなく、映画だけの要素です。

クライマックスへ向けてのアクセントとして、うまいアレンジになっていると思います。

7月から8月へ

喧嘩別れの後、それぞれのルーザーズ・クラブが夏を過ごす様子がモンタージュで流れます。

そのBGMが、XTC"Dear God"

XTCは1976年、アンディ・パートリッジを中心にイングランドで結成されたニューウェーブ・バンド。

"Dear God"は1986年リリースのシングル曲で、神に宛てた手紙という形式で、世の中の理不尽を嘆き、神への不信を訴える歌詞になっています。宗教を否定する内容だったため、シングル発売時にはラジオ局が脅迫を受けるという事件もありました。

世界の理不尽、ままならなさを、この時期のルーザーズ・クラブの心情に重ねた選曲のようです。

 

べバリーは自分の部屋で一人で、オルガンを弾いています。

 

ビルの家のピアノは閉じられ、埃をかぶっています。ピアノを弾いている間にジョージーが殺されてしまったあの日以来、母親はピアノを弾くことをやめてしまったのですね。

ビルは食卓で一人きり、孤独に座っています。

 

スタンは、ユダヤ教の成人の儀式「バルミツバ」に臨んでいます。見学席には、リッチーの姿が見えます。

完成した映画版ではスタンが何を言っているかはわからないのですが、カットされたシーンでは「子供が一人でいると怪物に見つかる」「僕が考える無関心は、大人になること」といったスタンのスピーチ内容を聞くことができます。

また、後編ではリッチーの回想という形で、このバルミツバの「完全版」を見ることができます。

スタンは「僕はずっと<負け犬>だ」と父親の意に沿わないスピーチを行い、リッチーだけが拍手をします。つまり、後編でこのスタンの真意と、リッチーがそれに拍手するのが見えることで、彼らがビルと仲違いしてもずっと心の中では絆は断ち切らずにいたことが、ようやくわかる仕掛けになっています。

 

マイクは農場で、送り込まれる羊の頭を屠殺銃で撃っています。

マイクは、嫌がっていた羊の屠殺ができるようになっています。スタンとマイクの表面的な姿は、大人たちが思う「大人になること」を体現しているのだと言えます。

 

ベンは図書館にいます。友達と離れたら、ベンの居場所はやはり図書館ということになるんですね。

ベンは、図書館の壁に飾られた絵に目を奪われます。井戸のそばに赤ん坊を抱いて立つ母親の絵。背景には粗末な家が並び、開拓時代を思わせます。

この絵は、ベン自身が語っていたデリーの創成期のエピソードを思い出させますね。昔、デリーの地下に棲むイットに赤ん坊が奪われた…もしくは生贄に捧げた…ことを暗に語っている絵かもしれません。

 

バスタブでくつろぐべバリーは、床に一滴落ちた血に目をとめます…。

 

 

その4に続きます。

 

 

 

 

"Dear God"収録。