これは、スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」(1980)について、解釈と解説を試みる記事です。従って最後までネタバレしています。ご注意ください。

 

この記事は、

「シャイニング」その1 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング オープニングからホテルまで

「シャイニング」その2 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング 双子から237号室の女まで

「シャイニング」その3 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング グレイディからジャックの監禁まで

の続きです。

4 p.m./午後4時

倉庫の中で眠っていたジャックは、グレイディのノックで目を覚まします。

デルバート・グレイディは「あなたには無理なようですな。ご相談した例のビジネスは」と嫌味を言い、ジャックは慌ててやり遂げることを誓います。

 

これは原作にもあるシーンなんですが、原作ではジャックはグレイディから、邪魔をするウェンディを殺し、ダニーを引き渡すかわりに、ホテルの要職に引き上げてもらうという約束をしています。

これは、ホテルがダニーの「かがやき」を霊的なエネルギー源として欲していて、ジャックを利用しているという構図です。

映画では、グレイディはただ「妻と子をよくしつける」ということをジャックに勧めただけですね。特にダニーを欲しがっているという様子もなく、ジャックがホテルのビジネスに関わるという話もありません。

 

映画と原作で、起こっていることはほぼ同じなのですが、そこに込められている意味はまったく違うものになっています。

原作の骨子となっていた、自らの意思を持つホテルの悪霊がダニーのかがやきを欲しがって、ジャックを騙すというプロットは、映画にはまったくない。外部の意思というものは存在せず、グレイディとの対話も、どこまでもジャック自身の内面の対話と受け取れるものになっています。

 

だから、ここで倉庫の鍵が外から開けられるところだけが、映画で唯一の例外的な描写になっていますね。外部の何者かの意思が存在することを示唆する、唯一のシーンになっています。

ここだけが、ジャック一人だけではどうにもならない。誰かが物理的に鍵を開けなければならない。倉庫の鍵を開けたのは誰でしょうか?

 

原作では、グレイディが開けたことになっています。シンプル極まる話です。キングの解釈では、幽霊は意思を持ち、より大きな力であるホテルの悪霊に操られ、誰かを傷つけたり殺したりする力も持っています。

映画での幽霊たちは基本的には、過去の強い感情の「残響」です。237号室の女や、双子がそうですね。ある種の出来事が刻印のように、その場所に染み付いてしまっている。しかし、それらは基本的にはあくまでも「映像」です。

「残響」はそれを見る人の心の中に現れるものです。だから、見るものの心の影響を受けて変化したり、その人の分身としてセリフを喋ったり行動したりします。それがロイドや、グレイディですね。

だから、ジャックの意思が幽霊の行動を決めることもできる。それにしても、閉まっている鍵を開けることができるとは思いにくいですが…。

 

幽霊が犯人でないなら、あとはウェンディかダニーしかいません。ウェンディはジャックを閉じ込めた張本人ですから、彼女がわざわざ鍵を開けに行くとは思えません。

となると、残るはダニーということになりますね。

というか、この時点でのダニーはトニー。鍵を開けたのはトニーなのではないでしょうか?

 

この時間、ダニーはトニーの人格に移行していて、理性を完全に喪失しています。

この直後のシーンで、ダニーは夢中歩行状態で包丁を手に歩いていて、「レドラム」と繰り返しながらドアに「REDRUM」の文字を書いています。

その間、ウェンディは眠っています。ということは、ウェンディに気づかれないまま部屋を出て、夢中歩行状態でキッチンまで行って、食糧倉庫の鍵を開け、また戻ってくることも可能です。

あえて直後のシーンにダニーの夢中歩行が描かれているのも、そのヒントかもしれません。

 

トニーがドアに「REDRUM」と書いたのは、その後に起こる惨劇の下準備をしたと言えます。ジャックはそのドアを斧でぶち破ることになるわけですから。

ホテルに来る前から、トニーは惨劇を予知していました。ダニーの理性が眠ってしまうと、トニーは自分に見えている予言に従って行動し、予言を成就させるように振る舞ってしまったのだと思われます。

 

「レドラム」を連呼するトニー/ダニーが枕元に立ち、ウェンディは目覚めます。鏡に映った「REDRUM」の文字を見て、ウェンディはそれが「MURDER/殺人」であることを知ります。

トニーの声がダニーの声に戻り、それと同時に廊下に面したドアに斧が叩き込まれます。ジャックがやってきたのです。

HERE'S JOHNNY!

ニタニタ笑いながら、斧で管理人室の扉を破ろうとするジャック。ここでのジャックは、名セリフのオンパレードです。

 

"Wendy,I'm home!"「ウェンディ、ただいま!」

 

"Little pigs,little pigs,ler me come in. Not by the hair of your chiny-chin-chin? Well then I'll huff and I'll puff, and I'll blow your house in."

「子ブタくん、子ブタくん、中に入れとくれ。お前のあごひげにかけて嫌だって? それなら俺はぷーぷー息を吹きかけて、お前の家を吹き飛ばしてやる」

 

後者は「三匹の子豚」の一節ですね。ジャックは狼になりきってる。

 

「REDRUM」の扉を抜けて、ウェンディとダニーはバスルームへ逃げ込みます。トイレの向こうの小さな窓からダニーを外へ逃がしますが、ウェンディはそこを通ることができません。

入ってきたジャックは、続けてバスルームの扉を叩き壊しにかかります。

 

"Here's Johnny!"「ジョニーが来たぞ!」

 

「IT/イット THE END」でも引用されていて、そこでも説明しましたが、これは「The Tonight Show」での司会者ジョニー・カーソンの決め台詞。1963年から1992年まで、30年間司会者を務めたそうです。タモリさんと双璧。

劇中でジャックは一度もジョニーなんて呼ばれないので戸惑いますが、ジャックはもともとジョンの愛称なので、ジョニーでもいいわけですね。

 

このシーンでもテイクが繰り返され、撮影は3日間に及び、ジャックは60枚の扉を破壊しました。

ジャック・ニコルソンも追い込まれ、疲れさせられ、苛立たされることになりました。狂気に満ちた鬼気迫る表情は、精神的に追い詰められることでもたらされたものです。

ハローランの到着

ハローランの乗った雪上車がホテルへ近づいていくシーンは、数少ないティンライン・ロッジを使ったロケ撮影シーンの一つです。

ここでもキューブリックは細かいこだわりを見せ、雪上車が進んでいく雪の道から、周囲の木の並び方、ホテルの窓の明かりの位置まで、詳細な指示書を作っています。

 

ウェンディをあと少しのところまで追い詰めたジャックですが、雪上車の音を聞いて矛先を変え、管理人室から立ち去ります。

ジャックは足を引きずりながらハローランの元へ向かいます。ウェンディにバットで打たれて階段から落ちた時に、怪我をしたのでしょう。

 

ロビーの柱の陰に隠れていたジャックは、ハローランの胸に斧を突き立て、殺してしまいます。

ちょっと意外ですが、これがこの映画で唯一の殺人です。ジャックが実際に行った唯一の暴力行為でもあります。(ジャックは斧でドアを攻撃しましたが、結局ウェンディには一回も暴力を振るって至っていません。)

 

原作では、ハローランはジャックの攻撃を受けて昏倒しますが、死にはせず最後まで生き残り、ウェンディとダニーを連れてホテルを脱出することになります。

映画では、あっさりと死んでしまいますが、ハローランが持ち込んだ雪上車によって、ウェンディとダニーは命拾いすることになります。

 

ハローランの死を感じて絶叫したダニーは、隠れていた廊下の棚から出て、玄関から外へ逃げていきます。

後を追うジャックは前庭の電気をつけ、ダニーは生け垣迷路に逃げ込みます。

ジャックは足を引きずりながら、その後を追いかけていきます。

ウェンディの見たもの

ダニーを探してホテルをさまようウェンディは、次々と異様な怪奇現象に遭遇していくことになります。

これは、ウェンディがホテルに来て初めて出会う怪奇現象です。それまでは、ジャックへの不安やダニーへの心配はあれど、ウェンディが幽霊を見たり、怪奇現象を体験することは一切ありませんでした。

ここでは、ホテルの「残響」が最高潮に活性化して、感受性を持たないウェンディにまで見えるようになっている…という状況なのだと思います。ジャックの狂気や実際に行われた殺人、ダニーの恐怖などもその「活性化」に寄与しているのでしょう。

 

ウェンディはホテルのあちこちからパーティーのざわめきが聞こえてくるのを聞きます。

このパーティーは、原作的にはホレス・ダーウェント1945年8月に開いた開業記念の仮面舞踏会です。映画では、出席者が仮面を被っている様子はないですが。

ジャックの前世である、1921年7月4日のパーティーも混じっているかもしれません。しかし、流れている音楽は前述したように1930年代の音楽です。

 

階段を上がったウェンディは、奥の客室のベッドの上に、タキシードの男と犬の着ぐるみを着た男がいるのを見ます。犬男の着ぐるみは尻が露出していて、男たちはホモ行為に励んでいるようです。

原作では犬男なんですが、英語の文献では、「クマのスーツを着た男」という表記も目立ちます。クマなのかも。

原作では、ホテルのオーナーのホレス・ダーウェントが、ロジャーという男に犬の格好をさせて、慰み者にするシーンが出てきます。

 

ウェンディはハローランの死体を見つけます。

顔が真っ二つに割れている男がグラスを掲げ、"Great patty, isn't it?"「盛会じゃね!」と微笑みます。

映画のクレジットでは、この男はただ「Injured guest(傷を負った客)」と呼ばれています。

原作ではホレス・ダーウェントがこのセリフを言っているので、この男をダーウェントとする場合もあるようです。「ドクター・スリープ」がその解釈みたいですね。

でも、上記のように、犬男と一緒にいるタキシードの男もダーウェントである可能性があります。どちらとも言えないですね。

演じているのはノーマン・ゲイ。キューブリックの映画では、「時計じかけのオレンジ」(1971)と「バリー・リンドン」(1975)に出ています。

 

ウェンディはロビーを覗き込み、そこが廃墟のようになっているのを見て驚きます。

明かりが消えて真っ暗で、あちこちに蜘蛛の巣が張っていて、テーブルには骸骨と化した客たちが座っています。電話ボックスにも骸骨が立っていますね。

非常に典型的なホラー映画的なシーンです。キューブリックも陳腐と思ったのか、国際版ではカットしています。

「レディ・プレイヤー1」では特にクローズアップされて再現されていました。スピルバーグは気に入ってるのかもしれない。

 

ウェンディは、エレベーターから大量の血が流れ出し、廊下を川のように流れるのを見ます。

これはダニーが最初から繰り返し見ていたビジョンです。

上述のように、実際の殺人や血なまぐさいシーン自体はほとんどない映画なんですが、しかし流れる血の量はホラー映画の中でもかなり上位に来るのではないでしょうか。何しろ血の洪水ですからね。

 

このシーンは、何週間もの入念な準備の上に撮影されました。

原作では、「誰も乗っていないのに動くエレベーター」が登場しますが、キューブリックはそれを視覚的にエスカレートさせました。

白い壁と赤い扉のコントラスト。左右対称、シンメトリーな構図。人間味のない、冷たい印象。映画「シャイニング」を象徴する要素に満ちていて、映画を代表するホラーシーンと言えると思います。

生け垣の迷路

生け垣迷路はセットです。「雪」の迷路は、900トンの塩と砕いた発泡スチロールで構成されていました。

 

「ダニー!」と叫びながら追いかけるジャックと、逃げるダニー。

原作には生け垣迷路は出てこないので、これも映画ならではの発明と言えます。ホテルも迷路、映画全体の構造も迷路のようで、クライマックスも迷路で迷わせる…。

ホテルをさまようウェンディの様子がインサートされることで、そちらも迷路の中であることが強調されています。

 

また、ここでは現実と幻想が逆転しているんですよね。これまで現実の側にいたウェンディが次々と幽霊に遭遇し、これまでさんざん幽霊を見てきたジャックとダニーには実は怪奇現象は起こっていない。むしろ狂った人間が怖い…という。

これによって、映画の主題である本当の恐怖が人間の心理にあることが強調されています。

また、物語の出口が現実に着地していることで、リアル感のある後味をもたらしているとも言えます。

 

原作ではジャックとダニーは最後に向かい合って会話を交わし、ジャックは悪霊の支配に抵抗して父親としての顔を垣間見せます。本当はダニーを愛していることをはっきりと示す。

それに対して映画では、ジャックは最後まで狂ったまま。親子の情愛など微塵もなく、ダニーの側も父への愛情などは見せません(見せる余裕もないんだけど)。

ここ、キングがこの映画を嫌う最大のポイントじゃないかな。ジャックはキングの実人生を投影したキャラクターだから、愛情の消え失せたモンスターになってしまうのは、やり切れなかったことでしょう。

 

この辺が、キングとキューブリックの根本的な人間観の違いでしょうね。

怪異を描いても、基本的に人間の愛情や友愛を信じているキングに対して、キューブリックはあくまでも冷徹に、愛情では救われない人間を突き放して描く。

人間性は「壊れる」ことがあって、一旦壊れてしまったら、それは取り返しがつかない。「時計じかけのオレンジ」のアレックスや、「フルメタル・ジャケット」の微笑みデブのように。

取り返しがつかないから、人間性を失ってはならない…という逆説にもとれるわけですが。

1921年7月4日

ダニーが迷路を脱出し、ウェンディとともに雪上車で去り、ジャックは迷路で寂しく凍死を遂げます。

そして、映像はホテルの廊下の壁に飾られた写真へ。

1921年7月4日、独立記念日のダンスパーティーで撮影された集合写真。

その中央には、ジャック・トランスが写っています。

 

この写真についてはキューブリック自身が、インタビューで「ジャックの生まれ変わり(reincarnation)を示している」と明言しています。

 

これはジャックが1921年にホテルにいた人物の生まれ変わりであり、彼の感じていたデジャヴやホテルへの帰属意識が、そこに起因するものであったという種明かしです。

この写真により、キングの意図した物語構造……ホテルの悪霊が善良な男を悪意でそそのかし、妻子に危害を加えさせ、最後に愛を取り戻してホテルに打ち勝つ……は完全に否定され、別のものに置き換えられることになります。

ジャックがオーバールック・ホテルにやって来たのは、輪廻によって導かれた運命的な必然だった。

ジャックを狂気に誘い、妻子に危害を加えさせたのは悪霊などではなく、彼自身の前世の記憶であり、彼自身の過去だった。

ホテルの中で前世の人格を取り戻し、ホテルの中で死ぬことで、ジャックの輪廻の円環は閉じ、永遠の時間の中に閉じ込められた

 

生まれ変わりを前提とするなら、天国も地獄も「死後の世界」もなく、従って幽霊も実在しないということが導かれます。

人智を超える超越的な力……神や悪魔も存在せず、人間はただ決定論的に運命を決められた存在として、過去から現在・未来まで永劫に生まれ変わりを続けていく存在である、ということになります。

人間が狂おしく何かに惹かれるのは、それは前世の記憶に惹かれているのかもしれない…。

ジャックはオーバールック・ホテルに帰ってくることで、自分自身の運命の中に帰るという最大の安息を得ることができた。その意味で、ジャックの死は究極のハッピーエンドとも言える…。

 

でも、ジャックの死は無残で滑稽なものに描かれていました。人間が運命に縛られた存在であっても、それに屈してしまうのはやはり敗北であるし、悲惨なことなんだというのがキューブリックの言いたいことではないでしょうか。

人生を、運命論的な悲観的なものだとペシミスティックに捉えながら、それに対して懸命に足掻く人間を描く。

そこが、キューブリックの映画が我々を惹きつけるところじゃないでしょうかね。

 

この写真は新たに撮影されたものではなく、本物の1921年の古い写真です。キューブリックは写真のライティングに合わせてニコルソンの写真を撮り、古い写真に合成させました。

カットされたエンディングシーン

シャイニングには、カットされたエンディングシーンが存在します。迷路でのジャックの死と、上記の写真のカットの間に挟まれていたシーンです。

それは、プレミア公開版のみに存在していましたが、その後すぐにキューブリック自身の判断で削除され、それ以降はまったく観ることができなくなっています。フィルムも破棄されたものと思われ、撮影中に取られたポラロイド写真と脚本で類推できるだけになっています。

 

カットされたシーンでは、ホテルの支配人スチュアート・アルマンが病院を訪れ、事件の後で入院しているウェンディとダニーを見舞います。

アルマンはダニーをねぎらい、ウェンディに警察の捜査で何も怪しいものが見つからなかったことを伝えます。

アルマンはダニーとウェンディに、ロサンゼルスの自宅に来るよう誘います。

立ち去り際に、アルマンは振り返り、「これを忘れていた」と言ってダニーに黄色いボールを投げます。ダニーはボールをキャッチします。

 

この後、写真のシーンにつながり、そしてフェイドアウトします。

テロップが表示されます。「これまで何度もそうしてきたように、オーバールック・ホテルはこの悲劇を乗り越えるだろう。今も変わらず、5月20日から9月20日までオープンする。冬の間は閉鎖される」

 

この意味深なシーンでは、アルマンが何かを知っていることが示唆されています。アルマンがダニーに投げ渡したボールが、ダニーが237号室に誘われる前に転がって来たボールと同じものだったからです。

 

このシーンを踏まえると、ラストの写真カットは全然別の意味を持って見えてきます。

「生まれ変わり」云々を気にせず観ると、ホテルの過去に取り憑かれて死んだジャックは、幽霊になってホテルの過去の世界に入っていった……写真はそのことを示しているように感じられます。

ジャックは、ホテルの過去のパーティーの世界に入っていっていましたからね。自分自身も幽霊になってそこに属するものになり、時空を超えて過去の写真に写る形になったということです。

そして、アルマンはそれを意図していたように見えます。

オーバールック・ホテルが繁栄していくために、定期的に誰かを幽霊として過去の世界に送り込む必要があるのかもしれない。生贄のように。

チャールズ・グレイディも、そんな意図によってアルマンが送り込んだものなのかもしれない。

ホテルのために誰かを犠牲にする。そんな行為の罪滅ぼしとして……また同時に口封じとして、アルマンはウェンディとダニーを家に引き取ろうとしている…。

 

そんな解釈。どちらかというと、キングの原作により近い、「ホテルが生贄によって力を得る」という要素を含んだ解釈になりますね。

プレミア上映を経て、キューブリックはこのままだと映画の意味がそのような一通りに解釈されてしまう…という危惧を抱いたのではないでしょうか。

より広く、生まれ変わりを含む多数の解釈を許すように、アルマンのシーンをカットした…ということではないでしょうか。

 

この、「アルマンがダニーにボールを投げ渡すシーン」も50テイクくらい撮ったそうです。そのあげく全カット!

ダニー・ロイドがその後俳優を続けなかったのも、頷けますね。

「シャイニング」の音楽

キューブリックは、「時計じかけのオレンジ」(1971)で起用したウェンディ・カルロスに再び音楽を依頼しました。

ウェンディ・カルロスはアメリカのシンセサイザー奏者・作曲家で、「時計じかけのオレンジ」を担当した頃は男性で、ウォルターという名前でした。1972年に性転換手術を受け、名前もウェンディにあらためています。

ウェンディはレイチェル・エルカインドとともにテーマ曲を作曲しました。オープニングの湖畔ドライブのシーンで、メインテーマが流れています。

 

キューブリックはウェンディとレイチェルのスコアをテーマ以外結局使わず、既成曲を多数採用しました。これも、「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」と同様のパターンですね。

使ったのは、現代音楽作家の作品たちです。「現代音楽がホラー映画と親和性が極めて高い」ことが、シャイニングを通してあらためて証明されることになりました。

 

ベラ・バルトークは1881年、ハンガリー生まれの作曲家、ピアニスト、民族音楽研究家。

「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」(1937)が使用されています。シャイニングの中で聞くとそのために作られたとしか思えない、極めてホラー的な旋律です。

ちなみに、キングの原作にはバルトークが言及されるシーンがあります。

 

ジェルジュ・リゲティは1923年、ハンガリー生まれ。「2001年宇宙の旅」(1968)で大々的に楽曲が使用されたことで有名です。「2001年」でモノリスのテーマだった「レクイエム」は2014年のギャレス版「GODZILLA  ゴジラ」でも使われてビックリしました。

「2001年」では、キューブリックは作曲家に依頼したスコアを公開直前に削除し、リゲティに差し替えています。差し替える作曲家にも、リゲティにも無断だったというからすごい話です。曲を無断使用されたリゲティはキューブリックを告訴しています。それでも、また「シャイニング」で使っているんだから和解したんでしょうね。

「シャイニング」では「ロンターノ」(1967)が使用されています。

 

クシシュトフ・ペンデレツキは1933年、ポーランド生まれの作曲家。キューブリックはペンデレツキに作曲を依頼しましたが、既成の楽曲を聞いてくれと逆に提案されたそうです。「カノン」(1960)、「ポリモルフィア」(1961)など、映画の中ではもっとも多く、あちこちのシーンで使われています。

ペンデレツキの代表曲とされるのは「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1960)で、これは最近ではデイヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス The Return」で使われています。

 

現代音楽の一方で、1930年代に発表されたクラシックなポピュラー音楽が使われています。

もっとも印象的なのはラストに流れる「Midnight, The Stars and You」。レイ・ノーブル・オーケストラの演奏で、歌はアル・バウリー。1934年の録音です。