これは、スタンリー・キューブリック監督の映画「シャイニング」(1980)について、解釈と解説を試みる記事です。従って最後までネタバレしています。ご注意ください。
この記事は、
「シャイニング」その1 ネタバレ解説、謎の解釈とメイキング オープニングからホテルまでの続きです。
1 MONTH LATER/1ヶ月後
10月末のホテル閉鎖から1ヶ月なので、12月に入った頃でしょうか。
がらんとしたホテルの中を、朝食のワゴンを押して歩いていくウェンディを追いかけるステディカム・ショットです。
あまりにも巨大なホテルの空間と、その中でポツンと寄るべない人間たちの小ささ。
こういう魅力的なショットを見るとこの映画の主役が人間というよりむしろ「ホテル」であることがよく分かるし、キングの「エンジンの積まれていないキャデラック」という悪口も、「だからこそ素晴らしいんじゃないか!」というそれへの反論もよく分かります。
ウェンディがワゴンを押して行くんですが、キッチンから寝室までどんなルートを通って行ったのか、注意深く見ていてもよく分かりません。
ここも、ホテルを大きく、迷路らしく見せるための幻惑であると言えます。
ウェンディがワゴンを押すシーンは国際版ではカットされています。
ウェンディは寝室のジャックに朝食を届けます。
ジャックはストーヴィントン校のTシャツを着てますね。これは原作に登場する、ジャックが以前勤めていた(そしてクビになった)学校です。ストーヴィントンはヴァーモント州の架空の町で、「ザ・スタンド」にも登場しています。
原作では、ジャックは弁論部の顧問を務めていました。部員である生徒のジョージ・ハットフィールドとトラブルになり、ビートルのタイヤに穴を開けたジョージを殴ったことで、ジャックは学校をクビになります。癇癪を起こすことで人生をダメにしてしまうジャックの性格を描いた伏線ですが、映画では一切切り捨てられています。
ジャックはウェンディに、ホテルへの奇妙な愛着について語ります。
「面接の時、来たことがある気がした」
「すべての曲がり角で、次に何があるかを知っている気がした」
ジャックの感じているデジャヴは彼が前世でホテルにいたことがあることを示していて、ラストへの重要な伏線ですが、国際版ではこのシーンも削除されています。
壁にボールを投げて遊んでいるジャック。タイプライターは沈黙しています。
ジャックはイライラしていて、執筆が思うように進んでいないことを伺わせます。
ジャックは生け垣迷路のジオラマ模型を覗き込みます。
模型の迷路の中を、ウェンディとダニーが歩き回っているビジョンにつながります。
このシーン、迷路のジオラマ模型と、ウェンディとダニーが歩く迷路は形が一致していません。更に、実際のセットはもっと小規模なものになっています。
ホテルの間取りもそうですが、迷路も意図的に全容が把握しにくくされているようです。
TUESDAY/火曜日
キッチンでウェンディが缶詰を開けながら、ポータブルテレビでニュースを観ているシーン。
ニュースは吹雪がコロラドに近づいていることを伝えています。
このシーンは国際版ではカットされています。
ダニーは廊下で三輪車を漕いで遊んでいます。
ふと気づいて見上げると、そこは237号室の前。
ダニーはドアノブをひねってみますが、鍵がかかっていて開きません。
ダニーが三輪車に乗って進むのを、超ローアングルでどこまでも追いかけていく。
この印象的なシーンでは、カメラを逆さに吊るして、超ローアングルでの移動撮影を実現しています。
237号室は、原作では217号室です。
外観のモデルになったティンバーレイク・ロッジが、217号室に泊まる客がいなくなることを恐れて、存在しない号室に変更するよう要請し、キューブリックはそれに従って237号室に変えました。
ジャックはコロラド・ラウンジでタイプライターを打っています。
書き物の仕事をするにはだだっ広すぎる場所のようですが、ジャックにとっては落ち着く場所なんでしょうか。
ウェンディが吹雪が近づいていることを伝えますが、ジャックは仕事を邪魔されたことを激しく憤り、「タイプの音がしたら絶対に入るな」とウェンディに誓わせます。
THURSDAY/木曜日
天気予報通り雪になって、ホテルの周りも深い雪に覆われました。
雪の中で遊ぶウェンディとダニー。
コロラドラウンジの窓から、ジャックが惚けた表情でじっと見下ろしています。
ジャックがいつ狂気に陥ったのかは、しばしば話題になります。
徐々に狂っていく原作に対して、映画はなんだったら最初から狂ってるようにも見えます。ジャック・ニコルソンの怖い顔も相まって。
でも、「1ヶ月後」でウェンディにデジャヴについて語ったあたりまでは、まだ正気だったのは確かだと思われます。
このシーンでのジャックの表情はだいぶ「いっちゃってる」感じです。
ここに境界があるとしたら、環境で変化しているのは「雪」ですね。
雪が降り積もることで、ホテルはいよいよ外界から隔絶され、孤立することになりました。
それは正気の日常世界からの隔絶でもあるし、また周囲から孤立することで、ホテルの蓄えた過去の残響がより強く、濃く感じられ、心身に与える影響が大きくなってくるのでしょう。
SATURDAY/土曜日
ホテルはすっかり吹雪に包まれます。
ウェンディは電話が通じないことに気づき、無線で警備隊に連絡しますが、電話線が切れて春まで不通といわれます。
三輪車を走らせるダニーは、廊下で双子に出会います。
有名な「ハロー、ダニー」のシーンです。
“Come play with us, Danny. Forever.. and ever... and ever.”
「私たちと遊びましょう、ダニー…いつまでも…いつまでも…永遠に」
迷路のような廊下が素晴らしく活かされているシーンですね。角を曲がると、いるはずのないものが立っている。その怖さ。
彼女たちは「1970年の冬の悲劇」で父親に斧で惨殺された、グレイディの娘たちです。
ダニーは彼女たちが殺されて廊下に倒れている血まみれの映像も幻視します。
双子の亡霊を「天国に行けない呪われた魂」とシンプルに捉えることも可能ですが、これもまたキューブリック流に神秘主義を排して、強い感情の「残響」と受け取ることもできると思います。
ハローランが言った、「出来事によっては特別な跡を残す」って奴ですね。強烈な苦痛と恐怖、絶望の感情が、この場所に染みついてしまっている。
ホテル内の空間が過去の出来事のレコードであり、雪に閉ざされたホテルはアンプのような増幅装置。そして「かがやき」はそれを再生するスピーカーである…というような解釈です。
だからそれを「本の中の絵と同じ。本物じゃない」と捉え、目を閉じることで目の前から消し去るというダニーの対処は、とりあえずは正しいのだろうと思います。
だんだん、それでは済まなくなってくるのですが。
双子を演じたのはリサ&ルイーズ・バーンズ。イギリス出身の双子の姉妹です。
原作ではグレイディの娘は姉妹であっても双子ではなく、キューブリックも当初はただ姉妹のキャストをオーディションしたようです。双子の方がより幽霊じみているというキューブリックの判断で、バーンズ姉妹が選ばれることになりました。
MONDAY/月曜日
テレビを見ているウェンディとダニー。
テレビで流れているのは映画「おもいでの夏(Summer of ‘42)」(1971)。ロバート・マリガン監督、ジェニファー・オニール出演。ミシェル・ルグランが第44回アカデミー賞で作曲賞を受賞しています。
ダニーが寝室に「消防車を取りに行く」と言い、ウェンディは俄然緊張して絶対に音を立てないよう言い含めます。お父さんが寝ているから、と。
ジャックが昼夜逆転に近い生活をしていること、ウェンディが既に何回かジャックの眠りを邪魔してキレられたことが伺えます。
このシーンは国際版ではカットされています。
寝室に来たダニーが見たのは、ベッドに座って虚空を見つめる父親の姿でした。
心ここに在らずのジャックはダニーを抱き寄せ、「ホテルを好きになって欲しい」「やることが多すぎて眠れない」などと語ります。
ダニーは父に「僕やママに痛くしないで」と伝えますが、ダニーの予知はジャックに妻への不信感を植え付けるばかりです。
ここでジャックは「いつまでもここにいたい。永遠に、ずっと(I wish we could stay here forever... and ever... and ever)」と言っていて、この言葉はダニーが聞いた双子の言葉に似ていますね。
ここから、ダニーが見た双子のビジョンは実は「ジャックの中から出てきたもの」であるという類推もできます。
考えてみれば、「グレイディの双子の娘が父親に斧で惨殺された」ということを知っているのは、アルマンからそれを聞いたジャックだけです。ダニーもウェンディも知りません。
そして、ジャックは作家です。作家はインスピレーションをもとに出来事を想像し、現実のように思い描くことがその特性です。グレイディの娘たちがただ殺されたたという事実だけでなく、幽霊としてこのホテルを彷徨っているというストーリーを思い描くのもありそうなことです。
他人の心が読めるダニーは、父親の心の中を覗き込んだのかもしれません。
後で詳述しますが、「シャイニング」での怪奇現象というのは、ホテルに染み付いた「残響」とジャックの心の中にあるものが結びつくことで、現れているものなのだと思います。
ダニーは残響である双子を見ているのですが、同時に父であるジャックの心の中を覗いてもいるというわけです。それは互いに影響し合い、単なる心象風景であることを超えて、周囲への影響も強くなっていきます
原作ではそこに「ホテルの悪霊」が絡んでくるのですが、キューブリックはこの神秘的要素を完全に排除しています。そしてその代わりとして、1921年にこのホテルにいたというジャックの前世、生まれ変わりという要素を加えているのです。
WEDNESDAY/水曜日
廊下でミニカーで遊んでいるダニーのもとに、ボールが転がってきます。顔を上げると、誰もいない。
このシーンにはたくさんの象徴が散りばめられています。
非常に印象的な、廊下の絨毯の模様。
インディアンの意匠…なんだけど、六角形の連なりは蜂の巣のようでもあります。
「スズメバチの巣」は原作に出てきて、ホテルの凶暴さの象徴となるモチーフですね。ホテルにいるということは、獰猛なスズメバチの巣の中で暮らすような危険なものなのだ…というメタファーです。
この模様は、「IT/イット THE END」で少年のスケートボードの柄としてオマージュされてます。
ボールは、初公開版からカットされたシーンで重要なモチーフとなっています。
ジャックが、どこからともなく現れたボールを受け取るシーン。
ウェンディとダニーを見舞ったスチュアート・アルマンが、ダニーに「忘れ物だよ」と言ってボールを投げ渡すラストシーン。
ボールは「向こう側」からの通信の象徴でしょうか。キューブリック的には、「霊界からの」というよりは、ジャックの深層意識から届くものの象徴であるように感じます。
ダニーは「アポロ11号」の絵柄のセーターを着ています。すごく可愛いんですけど。
「アポロ11号」は、アメリカの文明の象徴と言えますね。
別の場面では、ダニーは「ミッキーマウス」のセーターも着ています。これまたアメリカの象徴。
ここでは、ダニーはインディアンの意匠の中にポツンと一人放り込まれた、アメリカ白人の子供という印象になります。
ボールに誘われて進んで行ったダニーは、237号室のドアが開いているのを見ます。ドアノブにはルームキーが刺さったままになっています。
この鍵を開けたのは誰でしょうか。解釈は2通りあります。
1つは、オーバールック・ホテルに棲む幽霊が開けたとするもの。
後に、ウェンディによって食糧倉庫に閉じ込められたジャックは、グレイディとの会話の後、鍵を開けてもらって脱出します。ここでは、明示されてはいませんが、幽霊であるグレイディが鍵を開けたように受け取れる描写になっています。
グレイディはこの時点では未登場ですが、幽霊に倉庫の鍵を開けることができるなら、237号室の鍵を開けることもできるはずだということが言えます。
ただ、ここで気になるのはドアノブにキーが刺さっているというところ。
幽霊が超自然的な力で鍵を開けるなら、キーを使わずとも開けられそうな気がします。わざわざ置き場へキーを取りに行く幽霊というのも、ちょっと間抜けな感じです。
基本的に、ホテルの幽霊は物理的な行動を自由に行えるわけではありません。例えば、幽霊が直接無線を壊したり、雪上車を壊したりすることはできない。
あくまでもそれらの仕事は、ジャックが行うことになります。
ということは、キーを持ってきて部屋の鍵を開けておくという仕事も、行ったのはジャックであるはずだ…という解釈もできます。
鍵を開けたのがジャックだとしても、ジャックはそれを自覚してはいません。この後のシーンでジャックは悪夢にうなされています。
ということは、鍵を開けたのは無意識の行動。ジャックの中のもう一つの人格である、ということになります。
ダニーがトニーという別人格を持つことを考えれば、その父親であるジャックが別人格を持っていても不思議ではありません。
その別人格というのは、永遠にホテルにとどまることを望み、邪魔者を排除してそれを実現しようとする人格。そのために亡霊を解放しようとする人格。ジャックの中の「ホテルに属する人格」ということになります。
それは、前世におけるジャック。ラストシーンの1921年の写真に写っていた、もう一人のジャックということが言えるんじゃないでしょうか。
ロイド
ボイラー室にいるウェンディ。ボイラーに関わる仕事なんかも、ジャックは一切やらなくなってるんでしょうね。
ジャックの悲鳴が聞こえ、ウェンディはコロラド・ラウンジに駆けつけます。
ジャックは悪夢を見て怯えています。ウェンディとダニーを殺して切り刻む夢を見たと、ジャックは語ります。
この時点で、ジャックは自分が妻子を殺す夢に恐れ慄いています。普通であれば、当たり前のことですが。
しかし後になると、ジャックは妻子を殺すことに一切の迷いを見せなくなります。
これはやはり、人格が入れ替わってしまっていると考えるのがいちばん納得できると思います。
妻子を殺す夢は、その人格の内面を覗き込んでしまったということなんでしょう。
親指をくわえたダニーがやって来ますが、茫然自失してウェンディの呼びかけにも応えません。ダニーの首に絞められたようなアザがあることに気づいたウェンディは、ジャックがやったのだと思い込み、ジャックを罵倒して部屋へと逃げていきます。
ウェンディはジャックが犯人だと思い込んだわけですが、ホテルに3人しかいない以上、そうなるのが当たり前ではあります。
ダニーはこの後はトニーの人格になってしまい、ダニーに戻ってからはもうジャックから逃げまどう状態だったので、本当に誰にやられたのかダニーが証言する機会は映画の中ではありませんでした。(237号室の女がやったと言ったのはトニーの人格)
だから、本当にジャックが犯人だった可能性も残っていることになります。
ウェンディに疑われて傷つき、激昂したジャックはゴールド・ボール・ルームのバーカウンターに向かいます。
かつてのジャックはこんなふうにムシャクシャするたびに、バーに向かうのが習慣だったのでしょう。
ジャックの前に現れるバーテン、ロイド。彼は幽霊というよりは、まさしくジャックの作家的想像力が生み出した想像上の人物ですね。イマジナリー・フレンドとも言える。
ジャックは「ハイ、ロイド」と呼びかけ、「ティンブクトゥからメイン州ポートランドまででいちばんのバーテン」と呼んでいます。「いや、オレゴン州ポートランドか」
ティンブクトゥはアフリカの古都の名前で、遙か遠い外国の例えですね。メイン州ポートランドは原作者スティーヴン・キングの故郷です。オレゴン州にも同名の町があります。
ロイドはジャックの架空の人物か、あるいは過去にどこかの街でバーに通い詰めだった頃に、顔馴染みだったバーテンかもしれませんね。
ジャックがロイドに求めるのは「バーボン1本とグラスと氷」。ジャックのお気に入りはジャック・ダニエルです。
これ、まさにジャックとダニーの親子の名前ですね! ジャックのフルネーム(ジャック・ダニエル・エドワルド・トランス)でもあります。
ジャックはもうその出生の段階から、酒と切っても切れない運命にあるようです。
「酒は白人の呪いだ。インディアンは知らん」とジャックは言っています。
インディアンは伝統的に酒を作らず、アルコールへの耐性がなかったので、白人が持ち込んだ酒に触れるといとも簡単にアル中になってしまいました。白人たちはインディアンから土地を奪うのに酒を利用しました。
優れた戦士たちだったインディアンが白人に駆逐されてしまったのは、アルコールのせいだったと言われています。いまだに、アルコール中毒はインディアン社会の最大の問題になっています。
ウェンディがやって来て、「ここには私たち以外に人がいる」とジャックに告げます。
「お風呂に女がいて、ダニーの首を絞めた」
ウェンディが来ると同時に、ロイドもカウンターの上の酒も消えています。ジャックの想像だから当たり前ですが。
原作でも、ここでのロイドはジャックの想像上の存在として描かれています。後に再会した際には、それはホテルの悪霊が操る存在に成り代わっています。
映画では、ホテルの過去の残響がロイドに更なる存在感を与え、ジャックの想像力を逆に侵食していくことになります。
ロイドを演じているのはジョー・ターケル。1949年からキャリアをスタートさせたベテランで、キューブリック作品には「現金に体を張れ」(1956)、「突撃」(1957)に続き3度目の出演になります。
「ブレードランナー」(1982)でタイレル博士を演じているのが印象的です。
237号室の女
ディック・ハローランはマイアミで休暇を過ごしています。
この、ただハローランが一人で部屋にいるだけのシーンでも、キューブリックは何十回ものテイクを重ねて、スキャットマン・クローザースを参らせています。
テレビでは、マイアミが35度ある一方で、コロラドには寒波が襲来していることが伝えられています。
本来のコロラドがそこまで雪深くない…という事実を踏まえてか、異常気象であることが強調されています。
原作ではダニーは意図的にハローランに念を飛ばして助けを求めますが、映画ではハローランがダニーの悲鳴を偶然聞き取ったような描写になっています。
ジャックは237号室の中に入っていきます。
バスルームから全裸の美女が立ち上がり、ジャックに迫ってきます。ジャックは微笑み、美女と抱き合います。
しかし、鏡を見ると美女は年老いた女の腐乱死体になっています。
年老いた女のゾンビは笑いながらジャックに迫り、ジャックは逃げ出します。
ジャックは一旦は全裸美女を嬉しそうに受け入れようとするのですが、この辺り、ジャックが自分の作家的想像力が生み出したものとそうでないものとの区別がつけられていないことを感じさせます。
ジャックは最初、女をロイドと同じような存在と受け取ったのかもしれません。
しかし、ハローランがダニーに見せていた反応からも、237号室の女はやはりホテルに染み付いた過去の出来事の「残響」なのだと思われます。その部屋のバスタブで女が変死し、腐乱死体となったという過去の強烈な出来事です。
その「残響」を何度も感じていたからこそ、ハローランはダニーに「あの部屋に入ってはならない」と言ったのでしょう。
また、ロイドを生き生きと生み出すジャックの作家的想像力が、ホテルの「残響」を増強しているというのも考えられることです。
寝室に戻ったジャックは、ウェンディに「誰もいなかった」と伝えます。
「じゃあ誰がダニーを…」と戸惑うウェンディに、ジャックはダニーが自分でやったのだと言います。
これはどうなんでしょう。ジャックの詭弁のようでもありますが、一方で真実である部分もあるように感じます。
というのは、ホテルの幽霊は基本的に過去の「残響」であり、物理的な実体は持たない心的存在です。
双子にしても、237号室の女にしても、ゾンビみたいに実体としてそこに存在しているわけではない。ダニーやジャック、それぞれの心の中に出現しているものであると言えます。
突然消えたり現れたりするのがその証拠です。後にウェンディがエレベーターから吹き出す血を見ますが、それでウェンディが血まみれになるわけでもなく、ホテルの廊下が血で汚れるわけでもない。
あくまでも映像です。
だから、基本的にはホテルの幽霊は人に物理的に働きかけることはできないはずなんですね。
…なんだけど、じゃあ無害かと言えばそうも言えない。
幽霊たちは心の中に出現しているわけだから、心に影響を与えることはできてしまう。
女が手を伸ばしてきて、首をグイグイ絞めてくる…ということが心の中で本当にありありと思い描かれるなら、それによって心が首に巻きつく手の感触を感じたり、息ができないと感じたり、強い痛みや苦しみを感じたりすることも起こり得るはずです。
そして、物理的には誰も触れてもいないのに、絞められたかのようなアザが浮かび上がるということも。
強力な自己暗示の作用ですね。そう捉えれば、確かにダニーのアザはダニーが「自分でやった」と言うこともできてしまう。
でも、その暗示の原因となっているのはホテルであり、ホテルに染み付いた残響が見せる幽霊なんだから、「幽霊がやった」と言うこともまた事実なわけです。
山を降りてダニーを医者に見せたいと言うウェンディに対して、ジャックはまたキレます。
ホテルの仕事を放り出すのか、今やめたらひどい暮らしになる、俺の足を引っ張るな…というジャックの言い分は、一般的には正しいんですよね。幽霊という異常事態を除いて考えれば。そして、幽霊という異常事態なんて含めて考えないのが普通なので。
でも、ジャック自身が異常事態に気づいていて、それを見て見ぬ振りしているのでこれはやはり欺瞞なんですが。