本日は私には全く無縁のお札についてお話いたしましょう。

旧お札は、太平洋戦争後、1.000円札の肖像としていた聖徳太子から伊藤博文に代わったのは昭和39年(1964年)。
現在では旧お札の100円札(板垣退助)や500円札(板倉友視)は全く消えてしまいましたが、現在では、10,000円札(今は福沢諭吉)や5,000円札(今は樋口一葉)、1.000札は野口英世が登場した。
紙幣の肖像を変更する理由としては...。
①紙幣が長く流通すると偽造の恐れもある。
②生産コストの引き下げ。

本日は現行のお札の②生産コスト(原価)について記述しましょう。
紙幣の原価は...。
原紙代(原板代含む)+ 印刷費 + 人件費がコストだろうと思います。
昔は10,000円札の場合のコストは約19円。1,000円札の場合のコストは16円ほどだといわれています。
原価(コスト)を上げずに効率よく紙幣を製造するため紙幣は新しくなり、ひとまわり小さくなって行く。
昔の10,000円札(肖像が聖徳太子)は、1枚の原紙から16枚しか製造できませんでしたが今のお札では20枚もの新(福沢諭吉)ができ、生産性は旧札より25%も上がったらしい...。

最新のお札の変更は、最新の発表において2024年7月3日に...。また、発行が開始されることが公表されている。 

新札はまず日本銀行から各金融機関へ配布され、その後窓口やATMを通じて私たちの手元に届けられる仕組みになっています。今回の新札発行では、10.000円札、5.000円札、1.000円札のすべての券種のデザインが変更される。

ここからは、新札に描かれる人物やデザインについて、券種別に紹介していきましょう。

①10,000円札は渋沢栄一。

現在福沢諭吉の肖像が記載されている一万円札は、新たに渋沢栄一の肖像へと図柄が変更されます。
渋沢栄一は「日本近代社会の創造者」呼ばれ、実業界で活躍した人物です。

27歳のときに徳川幕府15代将軍である徳川慶喜の弟・徳川昭武に随行して欧州諸国を訪問し、近代的な社会制度を学びました。
官僚を退任したあとは、第一国立銀行や東京証券取引所、東京商法会議所などの設立に尽力し、生涯で約500社の企業に関わったとされています。新一万円札の券面に記載される肖像は、70歳のときの写真を参考に描かれたものですが、実業界の各方面で活躍したエネルギッシュさを表現するために、60代前半をイメージして描かれているようです。

また、新一万円札の裏面は、重要文化財でもある東京駅の丸の内駅舎が描かれています

②5,000円札は津田梅子。

五千円札は、現在の樋口一葉から、津田梅子の肖像へと変更されます。
津田梅子は、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者として知られる人物です。
6歳のときに「日本初の女子留学生」として岩倉使節団とともに渡米し、米国で初等中等教育を受けて17歳のときに日本へ帰国します。

その後、再度渡米を経たあとの1900年に女子英学塾を設立し、女性の地位向上と女子高等教育の普及に大きく貢献しました。なお、新五千円札の券面に記載される肖像画は、30代の頃の写真を参考に描かれたものです。

また、新五千円札の裏面は、古事記や万葉集などに登場して古くから日本で親しまれているフジ(藤)の花が描かれます。

③1.000札は北里柴三郎。

千円札は、現在の野口英世の肖像から、北里柴三郎へと変更されます。
北里柴三郎は、「近代日本医学の父」と称される微生物学者です。

18歳のときに古城医学所兼病院(現・熊本大学医学部)にて医学の道に進み、その後、東京医学校(現・東京大学医学部)やドイツのベルリン大学で医学を学びます。

ドイツへの留学中には破傷風菌培養の成功や破傷風菌抗毒素の発見を行い、血清療法へと発展させました。日本へ帰国したあとは、伝染病研究所や慶応大学医学部の創設、日本医師会などの医学団体・病院の設立などを行い、伝染病予防や細菌学の研究に生涯を通じて従事しました。

新千円札に記載される肖像画は、学者としての地位が確立した50代の頃の写真を参考に描かれています。

また、新千円札の裏面は、浮世絵師の葛飾北斎の代表作である「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」へ変更されます。

私の、場合はどんなお札でも、ロケットエンジン(アルコールエンジンと煙草の煙エンジン)がついていて宇宙の彼方へと飛んで行き、直ぐになくなってしまいます。

本日は日曜日。本日も「明るく」「元気に」「笑顔で」過ごしていきましょう。

本日も皆様にの少しの幸せが訪れることを心よりお祈りしています。

鉄太郎。

 
本日もブロ友さんの写真をお借り致しております。