■有名建築家でめぐる県庁・市役所③

 

【その②↓からの続き】

 

 

今回は、早稲田大学建築学科の名物教授3人衆+1(勝手に名付けました)による、県庁・市役所をご紹介します。

 

日本で最初に建築専攻を作った大学は東大。では二番目はというと、早稲田です(違ったらごめん)。

 

歴史が長いだけでなく、質量共に東大の対抗馬として目されてきた超実力派。

 

他の分野では「東大・京大」「早慶」というくくりになりがちですが。建物の世界では「東大対早稲田」です。たぶん。

 

①佐藤功一(1878~1941) 

 

早稲田建築の生みの親。初代主任教授です。

 

出身は東大(帝大)なんですが、同期の佐野利器が東大のドンとなったので、佐藤功一は早稲田に迎えられて(追い出されて)、というわけです。

 

佐野利器が「デザインより耐震設計重視」路線で、アーティストと言うより工学・都市計画専門のエンジニア色が極めて強かったのに対し、佐藤はアーティスト寄り。

 

様式建築(古き良き伝統の欧州風デザイン)をベースにしつつも、モダンな感覚でくずしやはずしを入れる、フリースタイルな人でした。

 

代表作は早稲田・大隈講堂や日比谷公会堂。武蔵大学講堂なんていうのもあります。

 

県庁もたくさん手がけていて、群馬県庁も栃木県庁も岩手県庁も。

 

 

 

 

  ②佐藤武夫(1899~1972)

 

組織設計事務所・佐藤総合計画の創業者としても知られる。

 

佐藤功一の教え子で、卒業後にそのまま生え抜きの早稲田助教授、そして教授に昇進。

 

専門はホール設計などの音響工学で、功一とペアを組んで大隈講堂を設計した。

 

というと、エンジニア色の強い人に思えるが、演劇に傾倒したりスケッチが超うまかったりしていて、市役所も多数、建てている。

 

ネタの引き出しが多く、作風は幅広い。コンクリの現代建築から、錦帯橋や日光の鳴竜の復元まで何でもこいだ。

 

中央区役所、葛飾区役所、矢板市役所、熊谷市役所。いっぱいありますねえ。

 

 

 

 

 

  ③今井兼次(1895~1975)

 

この人も早稲田の名物教授。

 

東大、つまり建築界の主流派がモダニズム建築(無印良品っぽいデザイン感覚)をばく進する中、独自路線を追求。

 

「日本にガウディを紹介した人」というと、どんな人か何となく分かるのでは。

 

早稲田のキャンパス内では会津八一博物館や坪内逍遙記念館などを建てましたが、そんなに今井っぽさはない感じ。

 

都内だと、東宮御苑の桃華楽堂や成城カトリック教会でしょうか。

 

そんな今井教授が建てた市役所、というか町役場が、千葉県大多喜町役場。

 

小湊鉄道とかいすみ鉄道など、鉄道好き御用達のローカル線に乗っていると、のどかな山間の町に降り立つことになる。

 

本多忠勝の城下町でもあり、なかなかに風情ある町だ。

 

 

④村野藤吾(1891~1984)

 

早稲田教授3人衆+1の「1」として取り上げさせていただきます。

 

早稲田の教授にはなっていないけれど、早稲田出身の建築家としてはもっとも有名な人でしょう。

 

東大閥がゴリゴリの「モダニズム建築」で押しまくっていた時代に、流麗な「装飾付きデザイン」で対抗していた人です。

 

傷みとともに加速度的にみすぼらしくなるモダニズム建築、そして、年月とともに時代遅れ感も指摘されるようになったモダニズム建築に対し、この人の建物は年々味が出てきて、年々評価が高まっていく。そんな面もあります。

 

有名なのは旧千代田生命本社が転用された、目黒区役所。

 

あとは関西。尼崎市役所や、最晩年の宝塚市役所、といったところでしょうか。

 

 

 

 
 

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