■有名建築家でめぐる県庁・市役所②

 

(その①はこちら↓)

 

 

県庁・市役所。物見遊山にはお勧めのスポットです。

 

有名建築家が気合を入れて作った物件も少なくないうえ、周囲には商店街やら都市公園やらがもれなく配置され、つまり、お散歩にはもってこいのエリアってこと。

 

というわけでそんなお勧め市役所・県庁を、建築家ごとに分類してご紹介です。

 

今回は、モダニズム主流派の建築家の系譜ということで、5人分をまとめてご紹介です。

 

で、モダニズム建築というのは、要するに無印良品。

 

「ごてごてとした飾り付け」は排除して、「シンプルな機能美、それゆえにコスパ抜群」を目指す考えです。

 

それ以前は「古き良き欧州」のデザインが主流で、建築を学ぶことは、「ローマ・ギリシャの歴史的な美意識を身につけること」を意味していました。

 

しかし20世紀に入ると、古臭いのはNO!という「モダニズム」が出てきたわけです。

 

で、このモダニズム、伝統的な日本の美的感覚と相性がいい。

 

いわゆる「禅」とか「茶道」とか、虚飾を排してシンプルさの中に本質を見いだそうという、あれです。

 

そんなトレンドの移り変わりが追い風となって、世界に通用する日本人建築家が続々と誕生するようになったのでした。

 

では一人目。

 

①佐野利器(1880~1956)

 

モダニズム建築家じゃないよ、というお叱りの声が聞こえてきそうですが、この人がいたからこそ、という見方も出来るのではないでしょうか。

 

この人は大正・昭和初期に、日本の建築学界にドン(首領)として君臨した東京帝大教授です。

 

建築家と言えば「欧州かぶれの芸術家気取り」だった時代において、建築は科学であり技術であり実用性と効率であり、役に立たなきゃダメなんだ、と若いころから主張してきました。

 

さらに、「日本は地震国だから、石造や木造はNG。これからは鉄筋コンクリートの時代だ」とも訴えました。

 

そして、学界のドンとして権力を握ると、さっそく反対派を弾圧しました。

 

ちなみにモダニズムには2系統あって、鉄骨派(ミース派)とコンクリート派(コルビュジエ派)があるのですが、日本ではコルビュジエ派が圧倒的。

 

歴史にIFはありませんが、ドンが「鉄骨で耐震だ」と考えていたら、上野の西洋美術館は、イリノイ工科大学のホールみたいなデザインになっていたかも。

 

そんなビッグボスの建物は、ほぼほぼ残っていません。

 

っていうか、構造理論の専門家であって、個別の建物のデザイン設計を引き受ける建築家ではありませんから。

 

一応、旧山梨県庁・県会議事堂には構造設計で大きく関わったそうです。

 

鉄筋コンクリート一部鉄骨造。外からでは見えませんが、鉄筋コンクリートの力強いボディを味わって下さい。

 

 

 

②前川国男(1905~1986)

 

モダニズム建築の世界的ビッグボスであるフランスの巨匠ル・コルビュジエに、日本人としてはじめて弟子入りし、日本のモダニズム陣営を引っ張ったとされる人。

 

母が青森県弘前市出身だった縁で、弘前市内にたくさん、手がけた建物が残っています。

 

初期の建物はかなり配色がビビッドで、さすがフランス帰り!といいたくなりますが、果たしてそれだけなのか?

 

例えば処女作の木村産業研究所(弘前)は、壁は白、天井面は朱色っぽいオレンジ、窓枠はミントグリーン。

 

さぞかし弘前の人はびっくりしたであろう!と思ったのですが、市内をぶらついてみると、旧青森銀行本店はミントグリーンの木造洋館だし、弘前学院大学は白壁に朱色系オレンジ屋根の木造洋館。

 

こういうのに比べれば、全然普通なカラーリングだぜ!(弘前的には)。

 

そういえば、とある北陸人が言っていました。「郷土玩具はだいたい派手な原色塗り。冬は外が白一色になるから、かえって派手な色彩感覚になるのかなあ」と。

 

でもまあ、前川氏、年年地味な色彩になっていくんですけどね。

 

 

 

③丹下健三(1913-2005)

 

はじめて世界的に超有名になった日本人建築家。

 

この人の建物はざっくり言うと、構造表現主義+「和モダン」のエッセンス。

 

構造表現主義って言うのは要するに、機能美を突き詰めたスタイル。

 

「もっとも合理的な柱とか天井の形を追求したら、あれれ、すごく個性的で格好良くなっちゃった」と言うことです。

 

晩年はポストモダンに飛んでいって、東京都庁なんかはその方面に。

 

 

 

④黒川紀章(1934~2007)

 

はじめて都知事選に出た日本人建築家。

 

モダニズムの発展形として、メタボリズム(新陳代謝)建築を提唱したグループの一人。

 

用途に合わせた増改築がしやすい建物を目指す考えで、その代表例が、黒川作の中銀カプセルタワーです。

 

柱をでーんと立てて、周りにカプセル型の部屋を付けたり外したりすることで、用途に合わせた増改築が簡単にできる、というコンセプトです。

 

初期の寒河江市役所は、まだメタボ前。

 

 

見るからにメタボなのが佐倉市役所。

 

 

やがてポストモダンに。

 

 

⑤槇文彦(1928~)

 

「無印良品って地味で、ちょっとね・・・」的な好みに応じて生まれたのが、デザインに遊びを取り入れたポストモダンです。

 

その代表格の一人です。

 

竹中工務店の創業家出身ですが、2020新国立競技場問題では、ザハ・ハディド=竹中工務店連合の案に激しい反対運動を展開しました。

 

ザハ・ハディドのデザインは「カブトガニみたい」と揶揄されましたが、槇氏が設計した某体育館も「カブトムシそっくり」という理由で、シンボルキャラクターがカブトムシになっていることは内緒ですよ?

 

 

 

 

  その③はこちら