① からの続きです。

 

 

さて、大正・昭和に入ると、世界的に建築のトレンドが変化してきます。

 

これまでは「昔ながらのヨーロッパ」風のデザイン、いわゆる「様式建築」というやつが主流でした。

 

ところがアールデコとかウィーン分離派とかバウハウスとか、新しい「モダン」な感じのデザインが現れてきます。

 

最終的にはモダニズム建築、つまり無印良品みたいなシンプルイズベスト、機能的なものが美しい、そして、だからこそコスパも最高、みたいなところになっていくわけです。

 

この時代、フランク・ロイド・ライトとか、ル・コルビュジェとか、「モダニズム建築の巨匠」とよばれる人が登場します。

 

まあ、古臭いスタイルから、ガラスとコンクリートと鉄の今風デザインに移っていく、橋渡しの期間なわけです。

 

そういう時代の若手はパンクスとかロッカーのように、「年寄りどもはぶっ殺す。俺たち、新しいビートを刻むぜ」的に、威勢がよろしいわけでして。

 

① 堀口捨己(1895-1984)

 

そんな荒ぶる若者の代表格がこの人。東大を出て、(古くさい人たちからの)分離派建築会という団体を立ち上げ、やがて明治大学に建築学科を作ります。

 

なので、明大に行けばどんな建物かわかります。

 

と言いたいところだが、順次取り壊し中なので、早めにどうぞ。

 

 

 

 

②山田守(1894-1966)

 

堀口捨己の仲間の一人。

 

東海大の創設チームの一人で、東海大、特に湘南キャンパス(神奈川県平塚市)に行けば、作品は山ほど残っています。

 

静岡市・清水の東海大自然史博物館でもいい。

 

作風としてはウルトラ警備隊の基地。それ以外表現しようがない。

 

でも、普通におしゃれなものだってある。

 

 

 

 

 

③ 村野藤吾(1891-1984)

 

一方でこの時期、東大出身者以外からも、「巨匠」と呼ばれるようになる建築家が現れてくる時代でもありました。

 

これまで東大以外に建築学科がなかったので、巨匠はみんな東大卒。

 

先ほどの堀口・山田チームも東大卒です。

 

ところが早稲田や京大にも建築学科が出来ましたし、経済発展著しい日本市場に、海外から仕事を求めてやってくる建築家も出てきたわけです。

 

村野藤吾は九州出身の早稲田卒で、関西を地盤に活躍。東大・東京ラインに対抗するアンチ東大・西日本代表という立ち位置でアピールします。

 

作風については色々な見方があるのですが、たとえて言うならば、ファッションデザイナーのラルフ・ローレンみたいなスタンスの人ってところでしょうか。

 

過去の傑作から最先端のトレンドまで咀嚼しきったうえで、そこにとらわれることなく、一歩引いて、自由自在に洒脱なアレンジ。

 

しかも自己本位のアーティストではなく、ビジネスというフレームを忘れることがなく、マーケットの需要を外すことがない。そんな感じ。

 

大学キャンパスでは関西大が有名ですが、横浜市大(横浜市金沢区)もあります。

 

 

 

 

 

④吉田五十八(1894-1974)

 

この人も非・東大。

 

東京美術学校(現・東京芸大)卒です。伝統的な数寄屋建築を、モダンテイストにアレンジした人です。

 

スーパーざっくりいうと、昔の古民家風和室を、イマドキ風のマンションの中にある、明るい感じの和室に進化させた人。

 

大学キャンパスで建物が見られるのは、駒沢大深沢キャンパス(世田谷区)。

 

元々は三越の接待施設として作ったものでしたが、駒沢大が買い取りました。

 

たまに庭園開放があるので、ぜひ。

 

 

 

 

ちなみに名前の由来は、「父親が58歳の時に生まれた」から。

 

そういえば、真珠湾空襲で有名な山本五十六大将は「父親が56歳だったから」。そんなンばっかだな。

 

 

⑤アントニン・レーモンド(1888-1976)

 

現代への橋渡し、という意味では、この人は欠かせません。

 

チェコ出身の米国人。

 

帝国ホテルの設計を頼まれた米国の巨匠フランク・ロイド・ライトの助手として来日し、そのまま居残って開業します。

 

しかしながら作風はライト風というより、コルビュジエ派のモダニスト。

 

日本の建築家への影響も大きく、前川国男とか吉村順三といったモダニズム建築の有名どころがレーモンド事務所の出身者です。

 

この人経由で、海外の最先端トレンドが日本に流れ込んだ、ともいえるわけです。

 

いろんなところに作品は残っていますが、代表作は南山大学(名古屋市)かな。

 

東京だったら聖路加とか星薬科とか。

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)