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聖書の誤謬・結論(暫定)1

マルチン・ルターの主張

プロテスタントのきっかけとなったマルチン・ルターの

理解はどんなものだったのだろう?

一部転載:

1506年には司祭の叙階を受けたが、ルターはどれだけ熱心に修道生活を送り、祈りを捧げても心の平安が得られないと感じていた。また、ヴィッテンベルク大学で哲学と神学の講座を受け持っていたが、神を理性で捉えることは困難であるという理解に達することになる。

ルターは、いくら禁欲的な生活をして罪を犯さないよう努力し、できうる限りの善業を行ったとしても、神の前で自分は義(正しいもの)であると確実に言うことはできないという現実に苦しみ続けた。しかし、人間は善行でなく、「信仰によってのみ義とされる」(すべて神の恵みである)という理解に達し、ようやく心の平安を得ることができた。

 

本当にそうだろうか?

イエス・キリストへの信仰があってもなおかつ自分のこころは罪から

のがれれねない。ルターは善行には欺瞞から抜け出せないことを見抜いていたので

救済の完成に疑問を抱いていた。

それゆえ、結果と無関係な信仰によって救われるが救われたいとなり

願望となったものが主張になってしまったのはないか?

 

新約聖書によれば本当は善行は信仰のあらわれとなるはずが

そうなっていない。

 

その原因を追求しなければいけない。

聖霊が望んだという例1

イエス・キリストは天国にいったあとイエスを信ずるものに

聖霊を助け主として残すと約束された。

そのような例はなかなか見つけることはできないが

以下はその一例だ

2011-06-28

あなたの神に会う準備をしなさい   スペイン語からの翻訳が困難で遅くなりました。Add Star

 

           死

アンジェリカ:

彼らが私に油を塗っている間、私は何かが私を覆っている感じがしました。ガラスのようなものが私を取り囲んでいるような感じでした。とても説明できませんが、なにか鎧(よろい)のようなもので覆われるような感じでした。でも私がどのようにして覆われたのか私には説明できません。その後で、彼らが私に触ろうとしても、もう触る事ができませんでした。

マキシマ:

 私たちがアンジェリカの事を祈っていた時、娘の上に乗せようとしましたが、娘に触れる事ができませんでした!彼女の周りにはある種の覆いがあったのです。これは奇妙な事でした。誰も彼女に触れる事ができなかったのです!この覆いは彼女の頭から足の先までありました。およそ30cm(12インチ)ありました。これには私もびっくりしてしまいました。以前、主の奉仕で人々に手を置く事はありましたが、こんな事は一度もありませんでした!私は言いました。「まあ、これは何かが起きてるわ。」 私は祈り始めました。主に感謝を捧げました。すると突然、大きな喜びを感じました。私の心にあった悲しみはどこかに行ってしまい、苦痛もなくなってしまいました。今や、私は喜びと幸福感を味わったのでした!私たちは祈り続けていましたが、午後4時になると、娘が床の上に落ちたのです。

アンジェリカ:

祈りの間、私は息切れを感じました。呼吸ができませんでした。腹と心臓に痛みを感じました。血液の流れがにぶくなるような感じがして、体全体が痛くなりました。私はただ「主よ、私を強くして下さい、強くして下さい!」と言っていました。私はもう駄目だと思いました。力がだんだん抜けていきました!私は霊の領域の天を見上げました。肉体の目によってではありません。天が開かれていました。天使が見えました。二人や十人ではありません。何百万もの天使たちが集まっているのが見えました。光が見えました。太陽よりも1万倍も明るい光です。そして、私は言いました。「主よ、来ようとしておられるお方はあなたです!」

マキシマ:

娘が落ちたので、私たちは立たせようとしましたが、彼女は一人で立つ事ができませんでした。その時には、彼女に触れる事ができました。娘が言いました。「お母さん、祈って。私、力がないの。そして、痛いのよ。」 最初、彼女は心臓が痛みました。それから、痛みが下の方、お腹の辺りに移りました。私たちは主に祈り嘆願し続けました。主が彼女の命を取り去られました! 私の人生で人が死ぬのを見た事はありませんでした。私は自分の娘が苦しむのを見なければなりませんでした!これは容易な事ではありませんでした!娘が最後に言った言葉は何だったのか分かりませんでした。遂にそれも途絶えました。私は娘の顔を手で触り、口のところに鏡をあてて息をしているかどうか確かめました。息はありませんでした。ただ、じっと立っているだけでした。私は彼女を支えていました。その時はまだ普通に体温がありました。少しの間上と少しの間で私がシートを取って、彼女を覆いました。その間に彼女は冷たくなって行きました。彼女の髪を、死んだ人にするように、セットバックにしました。彼女は氷のように冷たくなっていました。

アンジェリカ:

イエスは下って来ておられました。私は自分の体が死んで行くのを感じました。イエス様と御使いたち近くなった時に、私はこれまでの自分ではなかったので、私は去って行くんだなと感じました。私はもう生きてはいませんでした。私は死につつあったのです。そして、それは苦しい事でした!私の体が床に落ちた時には、彼らは既にここにいました。私の家は天使たちでいっぱいになっていました。そして、天使たちの間からは太陽よりも強い光が差していました!それは非常に難し事でした。私の魂と霊が引き離される時、私は激しい痛みを感じました。

私の体が床に横たわっているのを見て、私は泣き叫んでいました。「主よ、何が起きているのですか?どうしたのですか?」と私は尋ねました。私が自分の体に触れてもう一度中に入ろうと思ったのですが、やろうとしても、空気を掴むようでした。私の手は素通りするだけでした。そこで祈っている人たちは誰も私の声を聞く事はできませんでした!そして、私は叫びました。「主よ、助けてください!」

マキシマ:

私たちが祈っている間に私の夫が到着しました。そして、娘がそこにいるのを見ました。私はどうしたらよいかを分かりませんでしたが、主は私を強めて下さいました。娘は昏睡しているようでしたが、これは主の御業ですから、彼女は大丈夫である事が分かっていました。それで、私は言いました。「主よ、あなたの御旨を成し遂げて下さい。」

 

。。。

 

地獄にいた牧師たち信者たち

地獄にいた牧師たち信者たち

カルメロ・ブレーンズ牧師の体験(スペイン系アメリカ人)

以下は神により地獄をみてきた牧師の体験談だ。

正しい生き方をしないとこのような地獄に落ちるという

警告だ。

問題はイエス・キリストの説くただしい生き方が可能な人間はほとんど

だれもいないという点で、

このことはほぼすべての人間が地獄におちるという主張だ。

しかし、それは神が愛であるというイエスの教えと反している:

 

以下一部転載。

★ この表示付であればインターネット上への転載・コピー・無料配布が自由にできます。  《 利用規約  
Copyright c. エターナル・ライフ・ミニストリーズ
http://www.eternal-lm.com
《天国と地獄の情報》 http://www.tengokujigoku.info

1982年、私は事故に遭い、その瞬間、私の命は取り去られました。その同じ瞬間、すべてが暗くなるのを感じ、私は暗いトンネルの中を歩き始めました。私を連れて行こうとしている、ある存在者が見えました。そして、悲鳴やうめき声が聞こえてきました。私は、私の命が自分から取り去られたことを理解していました。私は地上で生きることを終えていたのです。しかし、最も恐ろしかったのは、私たちがそのトンネルを通っている時、私の内側の恐れがますますつのってきたことでした。私の体はすでに死んでいても、自分はどこかで生きているのだとわかりました。
 私たちがそのトンネルの中をしばらく歩くと、突然、今まで一度も聞いたことのない、苦しみあえぐ声うめき声が聞こえました。その寒くて暗いトンネルの中を私たちが歩き続けると、何匹もの巨大な蛇があちこち動いているのが見えてきました。また、別のうめき声や苦しみあえぐ声も聞こえてきました。
 その場所には、とても奇妙なことがありました。その場所のほとんどすべての人に共通していることがあったのです。彼らはみな、その瞬間、水のことを考え、泣いてそれを求めていたのです。
 私たちが進み続けると、高原のような開かれた場所に着きました。そこには多くの小部屋や区切られた場所があり、さまざまな人々が入っていました。
 私はおびえて叫び出し、神にあわれみを求めました。
 「主よ、私の命を忘れないでください! あわれんでください!」
 その時、私のたましいは恐怖感に襲われました。まるで私の全生涯がもう一度私の目の前で展開しているかのように感じました。私は、私を連れて行ったその存在者といっしょに歩いていました。私たちがあるドアに近づいた時、私は叫び声を上げました。
 「私をあわれんでください、我が主よ、私をあわれんでください! お願いです、私を助けてください! 私を助けてください、主よ!!」
 突然、沈黙が生じました。そして、「止まりなさい!」と言う声が聞こえました。その声のために、地獄のすべてが揺れ動きました。私の手を取って連れて行ったその存在者は私を放しましたが、私は地面に倒れませんでした。私は一つの場所で浮揚したままでした。
 そして、もう一度、その声が聞こえました。 

● 神は自慢する者たちの神ではない!

 「私は姦淫する者たちの神ではありません、
 私は淫行する者たちの神ではありません、
 私は偽りを言う者たちの神ではありません。
 私は自慢する者たちの神ではないのに、なぜあなたは私を主と呼ぶのですか?」

 私は一瞬、私の全存在が滅ぼされようとしているのを感じましたが、次第にその存在者の声は穏やかになっていき、彼は私にこう言われました。
 「来なさい、この場所で起きていることをあなたに見せましょう。それは、私の道に従おうとせず、自分の心の想像のままに歩んできたすべての者を待っていることです」
 私はその場所で歩き始めました。そうする間、あのすべてのうめき声が聞こえていました。それは、私のたましいをも押しつぶしてしまうほどでした。
 突然、私たちはある小部屋の上部で止まりました。そこには、一人の女性がロッキングチェアに座っていました。初めは、何も彼女に起きていないように見えましたが、突然、彼女の体が変貌しました。というのも、彼女は魔女だったからです。彼女は激しい苦しみあえぐ声やうめき声で悲鳴を上げ、助けを求めました。なぜなら、彼女の全存在が炎の中で焼かれていたからです。彼女は恐ろしい悲鳴を上げ始め、自分を助けてくださいとだれかに懇願しました。
 主が私に語りかけられ、こう言われました。
 「罪の報酬は死です。そして、この場所に行き着く者たちは、ふたたび出ることは決してありません」
 彼はまた、地球の下方の数々の場所も私に見させられました。それは、地球の割れ目に似ており、そこには煮えたぎる油のようなものがあって、炎の中で焼かれている者たちもいました。彼らは、その苦しみの場所にいる人間たちでした。彼らが外に出ようとした時、すぐに一匹の悪霊が来て、彼らをふたたびその場所の内部に戻しました。
 主は私に次のことも示されました。かつては福音派のキリスト教会に属していた大ぜいのクリスチャンが、彼らの不従順のために、今やあの場所にいて、自分の命のために泣いてあわれみを懇願していることです。あわれみは、もはや見出すことはできませんでした。なぜなら、あわれみが見出され得るのは、私たちが地上でまだ生きている時だけだからです。
 そういう人々がいったん死んでしまうと、もうあわれみには手が届かなくなるのです。主がみことばで言っておられる通りです(ヘブル9・27)。
 私たちは歩き続けて行き、ある非常に特別な場所に着きました。そこには、かつて神のことばを聞いたことがあったのに一度も悔い改めようとしなかった人々がいました。ある女性が二人の子どもといっしょにいるのに、私は気付きました。子どもたちは母親にせがんで、こう尋ねていました。
 「なぜ? なぜ私たちを日曜学校に連れて行ってくれなかったの? どうして私たちが教会に行くのを許してくれなかったの?」
 そして子どもたちは彼女を呪いました。なぜなら、彼らはかつて、神のことばを聞きに教会に行きたかったのに、彼らの母親は彼らが福音を聞きに教会に行くのを決して許さなかったからです。 

● 地獄にいた牧師・伝道者・宣教師たち!

 彼はまた、私をある場所のそばに連れて行きました。そこには、牧師たちや伝道者たちや宣教師たちや、大ぜいの信者たちがいました。彼らはさまざまな理由で、そこにいました。
 私の注意を特に引いた一人の牧師が見えました。この人は聖霊の力も、異言で話すことも、聖霊のバプテスマも、決して信じてはいませんでした。彼はまた、主のいやしも決して信じていませんでした。
 ところが、今や彼はあわれみを求めて懇願しており、そこから出て、「異言で話すのは本当のことであり、聖霊は現実のお方であられること、そして主の福音の内に本当の自由があること」を世界に告げるためにもう一度チャンスを求めて懇願していました。
 しかし、彼には遅すぎました。彼はその場所を離れることはできませんでした。なぜなら、彼が自分の悪を悔い改めるための彼の時間は、彼が地上にいる間だったからです。ただし、彼は福音派のキリスト教会に属していて牧師であった時でも、あわれみを求めたことはありませんでした。
 そこには一人の宣教師もいました。彼はアフリカである宣教団体を開設するためにお金を募りましたが、そのお金を半分しか使いませんでした。彼は残りのお金を自分のために取りました。そして今や彼はその場所であわれみを求めて懇願し、自分のお金ではないそのお金を返すためにもう一度チャンスを求めて懇願しているのです。彼は、自分のお金ではないそのお金を奪うために偽りを言ったことを覚えており、あわれみと赦しを懇願しているのです。
 ところが、自分にあわれみが与えられることはあり得ないとわかると、イエス・キリストを呪うのです。
 みなさんにお話ししたいと思います。あなたがこの地上で生きているのと、あの拷問の場所にいるのとでは、全くちがうのです。かつて教会の中でイエス様の御名をほめたたえていた人々の口から、地獄であなたは彼らの恐怖や苦痛の叫び声やうめき声を聞くのです。今や彼らはその場所で自分の罪のためにあわれみを求めて叫んだり懇願したりしているのです。
 しかし、かつてこの地上で彼らにはそのチャンスがあったのです。今や彼らは、あの永遠で最後の裁きをただ待っているのです。
 そこには牧師たちもいました。なぜなら、彼らは自分の教会から十分の一献金や献金を盗んだからです。今や彼らはただ一度のチャンスでも望んでいますが、もはやそれが与えられることはあり得ません。そのもう一度のチャンスは、この地上でのみ見出され得るものなのです。彼らは自分のすべての悪行を取り消そうと、昼も夜も絶えることなく叫びながら過ごしているのです。悔い改める機会は、あなたが地上で生きている間です。なぜなら、この人生の後、もはやチャンスは全くないからです。イエス・キリストなしに死ぬ人々は、地獄に行きます。そして、イエス・キリストとともに死ぬ人々は、永遠の命へと進みます。
 あなたは永遠を地獄で過ごしたいでしょうか、それとも、栄光の中で過ごしたいでしょうか? 今この時間、あなたはまだ選択することが可能です。 

● 恐ろしい拷問・地獄にいた少年少女たち!

 私たちは歩き続け、ある恐ろしい場所に着きました。そこには、あらゆるタイプ・形・姿の悪霊どもがいました。腕が一つで、目も一つ、足も一本の悪霊どもがいました。その足の先は、子馬の爪に似ていました。彼らの顔は、半分は人間の顔のようで、残りの半分は何もありませんでした。
 私は主に、「主よ、これは何でしょうか?」と尋ねました。
 すると彼はこう言われました。
 「これらは、滅んだすべての者たちの住まいにいる、滅びの悪霊どもです。これは、毎日休むことなく滅ぼし、また滅ぼし続ける悪霊です」
 その場所での拷問恐ろしいものです。人々が地上にいる間に行なったすべてのことをじっくり思い起こすこともできないくらい、恐ろしいものです。ルカ16章19節以下に書かれているのと同様です。
 その場所には、十二歳から十四歳の少年少女たちもいます。私はそれを思い出す時、私のたましいにその苦痛と恐怖を今でも感じます。彼らもこの地上で行なった多くのことを後悔しています。
 「私の子どもはまだとても若いから、滅んで地獄に行くことはない」と信じている人が大ぜいいます。しかし、あなたに言わせてください、もしあなたの子どもたちが主の道にいないなら、そして、善と悪をすでに区別できるのなら、彼らもその拷問の場所にたどり着くことになります(黙示録20・12参照)。
 善と悪を理解し区別することのできるすべての人は、いずれ主の御前に立たなければならなくなります。主の目から隠されているものは何もありません。
 私たちはさらに歩いて行き、サッカー場のような場所に来ました。悪霊どもがあざ笑っていた対象は、人間たちでした。悪霊どもの喜びは、人間を拷問で苦しめることでした。悪霊どもは人々の肉片を引きはがし、それを人々から隠し、人々に探させました。それが悪霊どもをとても楽しい気分にさせていました。なぜなら、それが人々に激痛と拷問の苦しみをもたらしたからです。その場所では、人々は自分が生まれた日をも後悔しています。人々は自分がイエス様と出会わなかったことを残念に思っています。また、イエス様と出会った多くの人が、主の道から離れて歩んだことを後悔しています。しかし、すでに遅すぎます。
 私たちはその悪霊どもが人々にどんな拷問をしているのか見ていました。彼らは一つの目を取り出し、それを隠しました。人間たちが苦しみながらやっとの思い出それを探しているのが見えました。悪霊どもにとって、その人を見るのが大きな喜びでした。別の悪霊どもは人間の片足を取り去り、その人がジャンプして足をひきずりながら、なくなった自分の体の一部を探すのを見ていました。彼らは別の人の片腕を取り去り、その人が感じる苦痛のことであざ笑いました。
 その場所にいた時、私は大きな恐怖感を覚えました。私は自分が見ているすべての拷問で、激しい恐怖を感じました。私は、あわれみを求めて泣いて懇願しているすべてのたましいのために、大きな痛みと同情を覚えました。私は自分の全存在が弱くなっていくのを感じました。しかし、主はそこで私に力を与えてくださり、私にこう言われました。
 「多くのことが今なおすべての人を待ち受けているようすを、あなたに見せましょう」
 私たちはさらに歩いて行き、別の小部屋のところに来ました。そこは、端々が燃えていました。泣いて苦しんでいるたましいたちがいました。そして、彼らに何が起きているのか、私に見えてきました。ガスのような炎で拷問を受けていた人々は、かつて神の祭壇に立ったことのある人たちでした。彼らはカルトを指導し、神のことばを宣べ伝えていましたが、今や拷問を受けていました。なぜなら、ある日、彼らは神の聖なる道から離れて歩む決断をしたからです。
 私たちはそこに立ち、炎の中で焼かれて苦しんでいるすべての人々を見ていました。私たちに見えるのは濃い灰色のばかりでしたが、彼らはそれでも苦痛を感じることができたのです。彼らは話すこともできました。主がその瞬間彼らのそばを歩いて行かれるのを彼らが感じ取った時、彼らはあわれみを求めて懇願することもできたのです。彼らは大きな悲鳴を上げて叫びました。
 「イエス様、どうか私たちをあわれんでください!」
 しかし、あわれみのための時間は、きょうなのです。 

● 二重生活者・35年間牧会した女性!

 私たちはさらに歩いて行き、ある場所に着きました。そして主は私にこう言われました。
 「この広い道を見なさい」
 私が立ってその道を見つめると、大ぜいの信者たちが手に聖書を持っているのが見えました。彼らは手を上げていました。祈っている者たちもいれば、叫んでいる者たちもいました。主の道は右の方へと続いていましたが、彼らは地獄へまっすぐに歩き続けていました。
 私は主に、なぜ彼らはあの道を進んでいるのですかと尋ねました。彼は私にこう言われました。  「彼らには二重の生活があります。彼らは二つの生活を生きているのです。一つは、私の祈りの家の中で、そしてもう一つは、彼ら自身の家の中でです」
 私は主に言いました。「しかし、主よ、この人たちは、あなたの御名を賛美しているところから来ています!」
 すると彼はこう言われました。
 「そうです、そして彼らが私のことで、あるいは私に対し、泣いたり、叫んだり、立派なことを言う時でも、彼らの心は姦淫に満ちており、邪悪に満ちており、偽りに満ちており、欺きに満ちており、憎しみに満ちており、苦々しい思いの根に満ちており、悪い考えに満ちています」
 その時、私はマタイ7・21のみことばに書かれていることが理解できました。
 「私に『主よ、主よ』と言っている者がみな天の御国に入るようになるのではありません。天におられる私の父のみこころを行っている者が、入るようになるのです」

 あなたがこの地上でクリスチャンとして生きたはずなのに、死んだら天国に行かず、あなたのたましいが救いを受けないとしたら、どんなに悲しいことでしょう。
 「あなたは自分が神のみこころを行っているかどうかを、きょう、思い巡らしてじっくり考えなければならない」と私は思います。もしキリストがきょう来られるとしたら、あなたは彼といっしょに行けるでしょうか?
 私はあなたにこう呼びかけたいと思います。次のことを、きょう、よく考えてください!
 「私は天国に入りたいと思っているのだろうか? 私が行なっているクリスチャン生活は、神様を喜ばせているだろうか?」と。
 きょうは、自分のあやまちを認識して主に心を向けることがまだできる時です。
 きょう、あなたがこのことを読んでいるなら、きょうが主に立ち返るべき日なのです!
 きょうが、あなたがイエス・キリストをあなたの個人的救い主として受け入れ、地獄の束縛から逃れることのできる日なのです。
 私たちはその場所の内部へさらに歩いて行きました。すると驚いたことに、「自分は地上で確かに聖い者だった」と信じていた人々が、あわれみを求め、もう一度のチャンスを求めて懇願していました。彼らはそこで、こう言っていました。
 「主よ、どうか私をあわれんでください!」
 私は彼らといっしょに主に懇願していました。私は、私をあわれんでくださいと主に懇願していました! 私のたましいが痛みを覚えている間、私はそれらのたましいたちのためにも激しい痛みを感じました。私がとても激しい痛みを覚えていた時、人々がその場所で自分の体を引きずるようにしながら、あわれみを懇願し、赦しを求めるようすが見えました。
 私たちは、ある女性がいる場所に着きました。彼女は、自分が神のことばを読み、ヨハネ3・16について説教しているかのような仕草をしていました。彼女はこう言いました。
 「神は、生まれたひとり子であられるご自分の御子をお与えになったほどに世を愛されたからである。それは、彼を信じる者がみな、滅びることなく、永遠の命を持つようになるためである」
 私は主に尋ねました。「この女性は自分が説教したことや自分が福音メッセージを語ったことを思い出すこともできるのに、なぜここにいるのですか? なぜ彼女はこの場所にいるのですか?」
 彼は答えて言われました。「なぜなら、彼女は彼女の夫を決して赦すことができなかったからです。彼女は、彼女の夫を決して赦そうとはしませんでした」
 マタイ6・14、15にこう書かれています。
 「もしあなたがたが人々に対して彼らのあやまちを赦すなら、あなたがたの天の父はあなたがたに対しても赦してくださいますが、もしあなたがたが人々に対して彼らのあやまちを赦さなければ、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをお赦しにならないからです」
 私は尋ねました。「主よ、救いを失うのは、こんなに簡単なことなのですか?」
 その女性は、ある福音派の教会を35年間牧会してきた人でした。その瞬間、彼女の人生が彼女の目の前で映し出され、彼女は自分が夫を決して赦すことができなかったのを見ました。今や彼女は、彼女の夫を赦すためにもう一度チャンスを求めて懇願しているのです。
 しかし、私はみなさんに言いたいと思います、あなたが夫か妻とのことで問題を持っているなら、きょう、赦してください!
 あの女性は35年間教会を牧会してきたのに、彼女の人生の中のたった一秒で何もかも失ってしまったのです! きょう、よく考えてください!
 きょう、反応を起こしてください! あなたはどういう生活をおくっていますか? あなたは永遠をどのように過ごしたいと思っているでしょうか? 
 

。。。。

 

 

聖霊の訪れ・ケネス ヘーゲンのばあい

故ケネスヘーゲンはカリスマ派を代表する牧師だったらしい。

昔故東泰男牧師をとおしていちどだけこの派の集会に出席した記憶がある。

ケネスヘーゲンについてはThe word-faith movement

にその解説があり、非好意的に解説している。

日本語での説明は村上密氏がありこれも非好意的というか偽預言者として分類している。村上氏は同系の宗派や牧師を芋づる式にあげて糾弾している。

このように村上氏は評論家で告発者であるようだが、牧師であろうが

自分の考えはどうなのであろう。

 

一部転載:

村上 密(murakami hisoka)

1955年熊本生まれ 
1981年中央聖書神学校卒

20才の時、数ヶ月間の統一協会の入信歴を持つ。脱会以来悩める親達の依頼に応えて、異端・カルトに入信した人々のカウンセリング・救出を行ってきた。
最近では聖神中央教会の問題にも積極的に取り組み、社会問題化したカルトに詳しいカウンセラーとして、新聞・TV等でも度々取り上げられ、又脱会者の心のケアにも当たっている。セミナー・講演依頼も精力的にこなし、終末に出現する偽キリスト、偽預言者、偽教師に対する備えを研究し、ライフワークとしている。
現在アッセンブリー京都教会 牧師。
アッセンブリー京都教会 
宗教トラブル相談センター 
〒 600-8896 
京都府京都市
下京区西七条西石ヶ坪町38

神はなぜ地獄の苦しみを許すのか

神はなぜ地獄の苦しみを許すのか

神によって地獄の苦しみを証言している人がいる。

なぜそのようなことになったのかと問うと

地獄の存在を証言してもらうことによって

ひとりでも多くの人が罪におちないようにするためだという。

一部転載:

地獄から天国へ~イエスとの出会い

突然彼は引き上げられ、トンネルを抜けて光輝く場所へ上昇していき、そこで栄光のイエスに迎えられた。彼が心の中で、「主よ、なぜ私をあんな場所へ送ったのですか?」と考えると、主はビルに、このように答えられた。

「多くの人が、地獄が実在すると信じていないからだ。私の民でさえ、地獄を信じていない者がたくさんいる。」

主イエスが、ビル氏に実在する地獄を体験させたのは、彼の警告を通して、多くの人々が地獄の存在に気付き、地獄への道を選択しないように導くためだった。

 

この説明は一見もっともらしくみえるが

現実は70億人の人類のほとんどが地獄に送られるようになって

いるので、そんな説明はなりたたない。

こんな子供だましの手が宣教につかわれているのだ。

ザビエルの悩み

ザビエルが日本でカトリックの神を普及したときに

なぜキリストをしるまえの先祖が地獄におちるのかという質問にあい

答えに窮したという。

この問題は先祖の問題だけでなく

70億人の人類のなかでプロテスタントが最大4億人、

つまり64億人以上が地獄におちるという主張に深刻な

疑問を投げかける。

イエスの説くように

愛をとく神が64億人以上の人類を地獄におくりこむはずがないからだ。

 

おなじパターンがソドムとゴモラの町への

神の裁きがある。

 

聖書の記述に根本的な誤謬があるのではないか?

warningthepeopleの問題点

warningthepeopleの問題点はアンデイ牧師が聖霊から啓示をうけたと

される内容だ。啓示によれば既存のどの教会もイエスを中心としていない

偽善教会で天国にはいるのは極めて狭いもんだという。

どの革新的な宗派でもそうだが

自分のところだけが救いにいたるとおしえている。

まるでキリスト教とイスラム教の対立のようだ。

キリスト教は20億人、イスラム教は16億人、無宗教が10億人、ヒンズー教が9億人、仏教が4億人。

さらにキリスト教

Catholic 968,000,000 カトリックの信者数 
Protestant 395,867,000 プロテスタントの信者数
Orthodox 217,948,000 正教の信者数
Anglicans 70,530,000 聖公会の信者数

歴史的に言えば

救われる可能性のあるのは

プロテスタントの4億人。

プロテスタントはさらに無数の宗派に分かれている。

しかし

そのいずれも聖書中心主義で

アンデイ牧師のいう聖霊中心主義(聖霊派となことなる)

はYoutubeの視聴者の数万アクセスのせいぜい百分の一程度だろう。

すると数百人。

世界の総人口は70億人。

救済される割合は 350/7x10^9=50x10^(-9)=5x10^(-8)

神の本質が愛であるのにほぼ全員が地獄におちることになる。

そんなことはありえないだろう。

 

 

ほとんど皆地獄か?

この人が言っていることが正しければほとんど全ての人間が地獄行き。
それが神が望むことか?

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人生の虚しさから抜けられるか

人生の虚しさから抜けられるか
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