地獄にいた牧師たち信者たち
カルメロ・ブレーンズ牧師の体験(スペイン系アメリカ人)
以下は神により地獄をみてきた牧師の体験談だ。
正しい生き方をしないとこのような地獄に落ちるという
警告だ。
問題はイエス・キリストの説くただしい生き方が可能な人間はほとんど
だれもいないという点で、
このことはほぼすべての人間が地獄におちるという主張だ。
しかし、それは神が愛であるというイエスの教えと反している:
以下一部転載。
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1982年、私は事故に遭い、その瞬間、私の命は取り去られました。その同じ瞬間、すべてが暗くなるのを感じ、私は暗いトンネルの中を歩き始めました。私を連れて行こうとしている、ある存在者が見えました。そして、悲鳴やうめき声が聞こえてきました。私は、私の命が自分から取り去られたことを理解していました。私は地上で生きることを終えていたのです。しかし、最も恐ろしかったのは、私たちがそのトンネルを通っている時、私の内側の恐れがますますつのってきたことでした。私の体はすでに死んでいても、自分はどこかで生きているのだとわかりました。
私たちがそのトンネルの中をしばらく歩くと、突然、今まで一度も聞いたことのない、苦しみあえぐ声やうめき声が聞こえました。その寒くて暗いトンネルの中を私たちが歩き続けると、何匹もの巨大な蛇があちこち動いているのが見えてきました。また、別のうめき声や苦しみあえぐ声も聞こえてきました。
その場所には、とても奇妙なことがありました。その場所のほとんどすべての人に共通していることがあったのです。彼らはみな、その瞬間、水のことを考え、泣いてそれを求めていたのです。
私たちが進み続けると、高原のような開かれた場所に着きました。そこには多くの小部屋や区切られた場所があり、さまざまな人々が入っていました。
私はおびえて叫び出し、神にあわれみを求めました。
「主よ、私の命を忘れないでください! あわれんでください!」
その時、私のたましいは恐怖感に襲われました。まるで私の全生涯がもう一度私の目の前で展開しているかのように感じました。私は、私を連れて行ったその存在者といっしょに歩いていました。私たちがあるドアに近づいた時、私は叫び声を上げました。
「私をあわれんでください、我が主よ、私をあわれんでください! お願いです、私を助けてください! 私を助けてください、主よ!!」
突然、沈黙が生じました。そして、「止まりなさい!」と言う声が聞こえました。その声のために、地獄のすべてが揺れ動きました。私の手を取って連れて行ったその存在者は私を放しましたが、私は地面に倒れませんでした。私は一つの場所で浮揚したままでした。
そして、もう一度、その声が聞こえました。
● 神は自慢する者たちの神ではない!
「私は姦淫する者たちの神ではありません、
私は淫行する者たちの神ではありません、
私は偽りを言う者たちの神ではありません。
私は自慢する者たちの神ではないのに、なぜあなたは私を主と呼ぶのですか?」
私は一瞬、私の全存在が滅ぼされようとしているのを感じましたが、次第にその存在者の声は穏やかになっていき、彼は私にこう言われました。
「来なさい、この場所で起きていることをあなたに見せましょう。それは、私の道に従おうとせず、自分の心の想像のままに歩んできたすべての者を待っていることです」
私はその場所で歩き始めました。そうする間、あのすべてのうめき声が聞こえていました。それは、私のたましいをも押しつぶしてしまうほどでした。
突然、私たちはある小部屋の上部で止まりました。そこには、一人の女性がロッキングチェアに座っていました。初めは、何も彼女に起きていないように見えましたが、突然、彼女の体が変貌しました。というのも、彼女は魔女だったからです。彼女は激しい苦しみあえぐ声やうめき声で悲鳴を上げ、助けを求めました。なぜなら、彼女の全存在が炎の中で焼かれていたからです。彼女は恐ろしい悲鳴を上げ始め、自分を助けてくださいとだれかに懇願しました。
主が私に語りかけられ、こう言われました。
「罪の報酬は死です。そして、この場所に行き着く者たちは、ふたたび出ることは決してありません」
彼はまた、地球の下方の数々の場所も私に見させられました。それは、地球の割れ目に似ており、そこには煮えたぎる油のようなものがあって、炎の中で焼かれている者たちもいました。彼らは、その苦しみの場所にいる人間たちでした。彼らが外に出ようとした時、すぐに一匹の悪霊が来て、彼らをふたたびその場所の内部に戻しました。
主は私に次のことも示されました。かつては福音派のキリスト教会に属していた大ぜいのクリスチャンが、彼らの不従順のために、今やあの場所にいて、自分の命のために泣いてあわれみを懇願していることです。あわれみは、もはや見出すことはできませんでした。なぜなら、あわれみが見出され得るのは、私たちが地上でまだ生きている時だけだからです。
そういう人々がいったん死んでしまうと、もうあわれみには手が届かなくなるのです。主がみことばで言っておられる通りです(ヘブル9・27)。
私たちは歩き続けて行き、ある非常に特別な場所に着きました。そこには、かつて神のことばを聞いたことがあったのに一度も悔い改めようとしなかった人々がいました。ある女性が二人の子どもといっしょにいるのに、私は気付きました。子どもたちは母親にせがんで、こう尋ねていました。
「なぜ? なぜ私たちを日曜学校に連れて行ってくれなかったの? どうして私たちが教会に行くのを許してくれなかったの?」
そして子どもたちは彼女を呪いました。なぜなら、彼らはかつて、神のことばを聞きに教会に行きたかったのに、彼らの母親は彼らが福音を聞きに教会に行くのを決して許さなかったからです。
● 地獄にいた牧師・伝道者・宣教師たち!
彼はまた、私をある場所のそばに連れて行きました。そこには、牧師たちや伝道者たちや宣教師たちや、大ぜいの信者たちがいました。彼らはさまざまな理由で、そこにいました。
私の注意を特に引いた一人の牧師が見えました。この人は聖霊の力も、異言で話すことも、聖霊のバプテスマも、決して信じてはいませんでした。彼はまた、主のいやしも決して信じていませんでした。
ところが、今や彼はあわれみを求めて懇願しており、そこから出て、「異言で話すのは本当のことであり、聖霊は現実のお方であられること、そして主の福音の内に本当の自由があること」を世界に告げるためにもう一度チャンスを求めて懇願していました。
しかし、彼には遅すぎました。彼はその場所を離れることはできませんでした。なぜなら、彼が自分の悪を悔い改めるための彼の時間は、彼が地上にいる間だったからです。ただし、彼は福音派のキリスト教会に属していて牧師であった時でも、あわれみを求めたことはありませんでした。
そこには一人の宣教師もいました。彼はアフリカである宣教団体を開設するためにお金を募りましたが、そのお金を半分しか使いませんでした。彼は残りのお金を自分のために取りました。そして今や彼はその場所であわれみを求めて懇願し、自分のお金ではないそのお金を返すためにもう一度チャンスを求めて懇願しているのです。彼は、自分のお金ではないそのお金を奪うために偽りを言ったことを覚えており、あわれみと赦しを懇願しているのです。
ところが、自分にあわれみが与えられることはあり得ないとわかると、イエス・キリストを呪うのです。
みなさんにお話ししたいと思います。あなたがこの地上で生きているのと、あの拷問の場所にいるのとでは、全くちがうのです。かつて教会の中でイエス様の御名をほめたたえていた人々の口から、地獄であなたは彼らの恐怖や苦痛の叫び声やうめき声を聞くのです。今や彼らはその場所で自分の罪のためにあわれみを求めて叫んだり懇願したりしているのです。
しかし、かつてこの地上で彼らにはそのチャンスがあったのです。今や彼らは、あの永遠で最後の裁きをただ待っているのです。
そこには牧師たちもいました。なぜなら、彼らは自分の教会から十分の一献金や献金を盗んだからです。今や彼らはただ一度のチャンスでも望んでいますが、もはやそれが与えられることはあり得ません。そのもう一度のチャンスは、この地上でのみ見出され得るものなのです。彼らは自分のすべての悪行を取り消そうと、昼も夜も絶えることなく叫びながら過ごしているのです。悔い改める機会は、あなたが地上で生きている間です。なぜなら、この人生の後、もはやチャンスは全くないからです。イエス・キリストなしに死ぬ人々は、地獄に行きます。そして、イエス・キリストとともに死ぬ人々は、永遠の命へと進みます。
あなたは永遠を地獄で過ごしたいでしょうか、それとも、栄光の中で過ごしたいでしょうか? 今この時間、あなたはまだ選択することが可能です。
● 恐ろしい拷問・地獄にいた少年少女たち!
私たちは歩き続け、ある恐ろしい場所に着きました。そこには、あらゆるタイプ・形・姿の悪霊どもがいました。腕が一つで、目も一つ、足も一本の悪霊どもがいました。その足の先は、子馬の爪に似ていました。彼らの顔は、半分は人間の顔のようで、残りの半分は何もありませんでした。
私は主に、「主よ、これは何でしょうか?」と尋ねました。
すると彼はこう言われました。
「これらは、滅んだすべての者たちの住まいにいる、滅びの悪霊どもです。これは、毎日休むことなく滅ぼし、また滅ぼし続ける悪霊です」
その場所での拷問は恐ろしいものです。人々が地上にいる間に行なったすべてのことをじっくり思い起こすこともできないくらい、恐ろしいものです。ルカ16章19節以下に書かれているのと同様です。
その場所には、十二歳から十四歳の少年少女たちもいます。私はそれを思い出す時、私のたましいにその苦痛と恐怖を今でも感じます。彼らもこの地上で行なった多くのことを後悔しています。
「私の子どもはまだとても若いから、滅んで地獄に行くことはない」と信じている人が大ぜいいます。しかし、あなたに言わせてください、もしあなたの子どもたちが主の道にいないなら、そして、善と悪をすでに区別できるのなら、彼らもその拷問の場所にたどり着くことになります(黙示録20・12参照)。
善と悪を理解し区別することのできるすべての人は、いずれ主の御前に立たなければならなくなります。主の目から隠されているものは何もありません。
私たちはさらに歩いて行き、サッカー場のような場所に来ました。悪霊どもがあざ笑っていた対象は、人間たちでした。悪霊どもの喜びは、人間を拷問で苦しめることでした。悪霊どもは人々の肉片を引きはがし、それを人々から隠し、人々に探させました。それが悪霊どもをとても楽しい気分にさせていました。なぜなら、それが人々に激痛と拷問の苦しみをもたらしたからです。その場所では、人々は自分が生まれた日をも後悔しています。人々は自分がイエス様と出会わなかったことを残念に思っています。また、イエス様と出会った多くの人が、主の道から離れて歩んだことを後悔しています。しかし、すでに遅すぎます。
私たちはその悪霊どもが人々にどんな拷問をしているのか見ていました。彼らは一つの目を取り出し、それを隠しました。人間たちが苦しみながらやっとの思い出それを探しているのが見えました。悪霊どもにとって、その人を見るのが大きな喜びでした。別の悪霊どもは人間の片足を取り去り、その人がジャンプして足をひきずりながら、なくなった自分の体の一部を探すのを見ていました。彼らは別の人の片腕を取り去り、その人が感じる苦痛のことであざ笑いました。
その場所にいた時、私は大きな恐怖感を覚えました。私は自分が見ているすべての拷問で、激しい恐怖を感じました。私は、あわれみを求めて泣いて懇願しているすべてのたましいのために、大きな痛みと同情を覚えました。私は自分の全存在が弱くなっていくのを感じました。しかし、主はそこで私に力を与えてくださり、私にこう言われました。
「多くのことが今なおすべての人を待ち受けているようすを、あなたに見せましょう」
私たちはさらに歩いて行き、別の小部屋のところに来ました。そこは、端々が燃えていました。泣いて苦しんでいるたましいたちがいました。そして、彼らに何が起きているのか、私に見えてきました。ガスのような炎で拷問を受けていた人々は、かつて神の祭壇に立ったことのある人たちでした。彼らはカルトを指導し、神のことばを宣べ伝えていましたが、今や拷問を受けていました。なぜなら、ある日、彼らは神の聖なる道から離れて歩む決断をしたからです。
私たちはそこに立ち、炎の中で焼かれて苦しんでいるすべての人々を見ていました。私たちに見えるのは濃い灰色の骨ばかりでしたが、彼らはそれでも苦痛を感じることができたのです。彼らは話すこともできました。主がその瞬間彼らのそばを歩いて行かれるのを彼らが感じ取った時、彼らはあわれみを求めて懇願することもできたのです。彼らは大きな悲鳴を上げて叫びました。
「イエス様、どうか私たちをあわれんでください!」
しかし、あわれみのための時間は、きょうなのです。
● 二重生活者・35年間牧会した女性!
私たちはさらに歩いて行き、ある場所に着きました。そして主は私にこう言われました。
「この広い道を見なさい」
私が立ってその道を見つめると、大ぜいの信者たちが手に聖書を持っているのが見えました。彼らは手を上げていました。祈っている者たちもいれば、叫んでいる者たちもいました。主の道は右の方へと続いていましたが、彼らは地獄へまっすぐに歩き続けていました。
私は主に、なぜ彼らはあの道を進んでいるのですかと尋ねました。彼は私にこう言われました。 「彼らには二重の生活があります。彼らは二つの生活を生きているのです。一つは、私の祈りの家の中で、そしてもう一つは、彼ら自身の家の中でです」
私は主に言いました。「しかし、主よ、この人たちは、あなたの御名を賛美しているところから来ています!」
すると彼はこう言われました。
「そうです、そして彼らが私のことで、あるいは私に対し、泣いたり、叫んだり、立派なことを言う時でも、彼らの心は姦淫に満ちており、邪悪に満ちており、偽りに満ちており、欺きに満ちており、憎しみに満ちており、苦々しい思いの根に満ちており、悪い考えに満ちています」
その時、私はマタイ7・21のみことばに書かれていることが理解できました。
「私に『主よ、主よ』と言っている者がみな天の御国に入るようになるのではありません。天におられる私の父のみこころを行っている者が、入るようになるのです」
あなたがこの地上でクリスチャンとして生きたはずなのに、死んだら天国に行かず、あなたのたましいが救いを受けないとしたら、どんなに悲しいことでしょう。
「あなたは自分が神のみこころを行っているかどうかを、きょう、思い巡らしてじっくり考えなければならない」と私は思います。もしキリストがきょう来られるとしたら、あなたは彼といっしょに行けるでしょうか?
私はあなたにこう呼びかけたいと思います。次のことを、きょう、よく考えてください!
「私は天国に入りたいと思っているのだろうか? 私が行なっているクリスチャン生活は、神様を喜ばせているだろうか?」と。
きょうは、自分のあやまちを認識して主に心を向けることがまだできる時です。
きょう、あなたがこのことを読んでいるなら、きょうが主に立ち返るべき日なのです!
きょうが、あなたがイエス・キリストをあなたの個人的救い主として受け入れ、地獄の束縛から逃れることのできる日なのです。
私たちはその場所の内部へさらに歩いて行きました。すると驚いたことに、「自分は地上で確かに聖い者だった」と信じていた人々が、あわれみを求め、もう一度のチャンスを求めて懇願していました。彼らはそこで、こう言っていました。
「主よ、どうか私をあわれんでください!」
私は彼らといっしょに主に懇願していました。私は、私をあわれんでくださいと主に懇願していました! 私のたましいが痛みを覚えている間、私はそれらのたましいたちのためにも激しい痛みを感じました。私がとても激しい痛みを覚えていた時、人々がその場所で自分の体を引きずるようにしながら、あわれみを懇願し、赦しを求めるようすが見えました。
私たちは、ある女性がいる場所に着きました。彼女は、自分が神のことばを読み、ヨハネ3・16について説教しているかのような仕草をしていました。彼女はこう言いました。
「神は、生まれたひとり子であられるご自分の御子をお与えになったほどに世を愛されたからである。それは、彼を信じる者がみな、滅びることなく、永遠の命を持つようになるためである」
私は主に尋ねました。「この女性は自分が説教したことや自分が福音メッセージを語ったことを思い出すこともできるのに、なぜここにいるのですか? なぜ彼女はこの場所にいるのですか?」
彼は答えて言われました。「なぜなら、彼女は彼女の夫を決して赦すことができなかったからです。彼女は、彼女の夫を決して赦そうとはしませんでした」
マタイ6・14、15にこう書かれています。
「もしあなたがたが人々に対して彼らのあやまちを赦すなら、あなたがたの天の父はあなたがたに対しても赦してくださいますが、もしあなたがたが人々に対して彼らのあやまちを赦さなければ、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをお赦しにならないからです」
私は尋ねました。「主よ、救いを失うのは、こんなに簡単なことなのですか?」
その女性は、ある福音派の教会を35年間牧会してきた人でした。その瞬間、彼女の人生が彼女の目の前で映し出され、彼女は自分が夫を決して赦すことができなかったのを見ました。今や彼女は、彼女の夫を赦すためにもう一度チャンスを求めて懇願しているのです。
しかし、私はみなさんに言いたいと思います、あなたが夫か妻とのことで問題を持っているなら、きょう、赦してください!
あの女性は35年間教会を牧会してきたのに、彼女の人生の中のたった一秒で何もかも失ってしまったのです! きょう、よく考えてください!
きょう、反応を起こしてください! あなたはどういう生活をおくっていますか? あなたは永遠をどのように過ごしたいと思っているでしょうか?
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