ジャパンギャザリング
最近 ジャパンギャザリングとかいうのが流行しているらしい。
新手のビリー・グラハムのクルセード集会のようにみえる。
ピーター・ワーグナーもからんでいるのは人寄せが目的か?
第一目標が集める人の数になっているのがおかしい。
チョー・ヨンギの一千万人救霊運動とかの類も同類にみえる。
どれもイエスの教えをビジネスに転化している。
それというのもイエスが約束した助け手が不在だからではないか?
助け手の不在を口実にかってにいいかげんな主張をしている輩ばかりだ。
ペンテコステ派
ペンテコステ派は異言を話すことを強調する。
聖霊をうけた証拠のひとつが異言であるとされるからだ。
異言をはなすことは一種のプレステージと考えれ自尊心をくすぐるからだ。
それがピットフォールになっていることはすぐにわかるが内部の人間には
気がつかない。
その結果か牧師の不祥事があとをたたない。
ネットでしらべれば不祥事の枚挙をあげるのにいとまがない。
たとえばチョーヨンギ。
チョー・ヨンギの経歴書をみると:
- 1958年3月 純福音神学校(現在の韓世(ハンセ)大学校)卒業
- 1958年5月18日 デゾ洞純福音教会創立、汝矣島純福音教会堂会長
- 1966年-1978年 大韓アッセンブリーズ・オブ・ゴッド総会長
- 1978年 カリフォルニア神学大学名誉文学博士
- 1989年 オーラル・ロバーツ大学 名誉牧会学博士
- 1986年 純福音学院韓世大学校理事長
- 1992年9月- 2000年8月、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド世界総裁
ドクター中松ほどの名誉欲ではないが似たもの同士だという印象をあたえる。
肩書が大好きなようだ。
聖霊に恵まれることはありがたい恵みのはずなのだが
末端の現象である異言を話すことが目的になってしまいがちだ。
聖霊・正論
このひとは正論をいっている。
少数派というかイエスは天国にいってわたしたちにのこしたのは
教会やほぼすべてのクリスチャンがいうように聖書ではなく
聖霊だということ。
問題はその実証なのだがこのひとはそこまで踏み込んではいない。
(追記:証があった)
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聖霊派 その3
聖霊の働きが顕著にみえるのは訳の分からない言葉(異言という)をはなそはじめることだ。ペンテコステのときに一斉に人々が異言しかもそれぞれがことなる言葉を話し始める。異言は外国語のばあいもあるが、既知の言語でないばあいもある。わたしがいったこともある千葉県の穴川駅のそばにあった純福音派(ほかにも同盟の派があるが別物らしい)では異言をはなせるようにラ行の音を出す練習をさせるものであった。この宗派は聖霊の洗礼から火の洗礼までレベルアップさせるように理論講義を異言の練習を並行にすすめるものであった。わたしは異言を話せるところまでいかないうちにやめてしまったというか教会がどこかに移ってしまった。この集団の特徴は高度な理論と高いプライドであった。多の宗派の動向にも気をつかっていて東牧師についても情報をもっていた。いまどこでどのような活動をしているかはわからない。
聖霊派にはまた数々の宗派があるが大標的なものはペンテコステ派である。
これについては次回。
聖霊派2 聖霊をほおむったのは ‥
聖霊派はその発展に山あり谷ありがある。
宗教改革のルターやカルバンはこれに消極的な立場をとった。
その理由というのが2つ。
1)ローマンカトリックが奇跡をもちだしたこと。
つまり聖霊は超自然現象で奇跡と分離できない。別の表現をすれば宗教改革者たちは
理性的(科学を優先?)であった。
とすれば聖霊=イエスの約束した助け主
をほおむって、聖書偏重主義を打ち出したのは宗教改革者たちだろうか?
どうやら、シナリオが垣間見えてきた。
聖霊派1
新約聖書に忠実であれば聖霊を重視する一派があってしかるべきだ。
その名の通り聖霊派というのがある:
聖霊派(せいれいは)とは、キリスト教の教派のうち、三位一体の位格のひとつである聖霊の働きを強調する教派ないし集団の総称ないし俗称。 主にプロテスタントのホーリネス教会から1900年頃にペンテコステ運動として始まって結果的に分岐した教派であるペンテコステ派が最初の教派として挙げられるが、ペンテコステ派に限らず1960年代からはじまったカリスマ運動や1980年代からの動きである聖霊の第三の波に属する教団、教派、教会、個人も含めて呼称するのに都合がよい呼称であるため総称ないし俗称として使われる。カリスマ運動はカトリックまでも含めた教派を超えた運動であって、特定の教団、教派という区分がしがたいため、カリスマ派と呼ぶよりも、カリスマ運動と呼ばれる傾向が現在でもあるが、それらと一緒にペンテコステ派を含めた概念として用いられる。
現在でこそ、ペンテコステ派、聖霊の第三の波派及びカリスマ運動の一部は、福音派の有力な潮流として受容されているが、四重の福音を提唱し、福音派に影響力があったA・B・シンプソンがペンテコステ派に対して否定的な声明を出したこともあって、当初は、ペンテコステ派、カリスマ派の働きについて福音派は否定的な態度を示していた。第三の波派があらわれてから聖霊派を受容するようになった。
イエスが約束した聖霊の英訳は?
聖書で使われている言葉のこまかい訳を詮索するのはこのまないがしかたがないこともある。ギリシア語の辞書をいくらしらべても母国語でないわれわれにニュアンスがわかるはずがないからだ。それでも聖書の翻訳者たちは無駄とも思える努力をしている。
イエスが約束した”聖霊”はさまざまな聖書によって
Advocate
Helper,
Conforter,
Counselor,
Redeemer,
Paraclete,
などが使われている。
しかし英語にしたところで私達にはそのニュアンスの違いはわからない。
しかしこのような多様な言葉をさがしているところをみると
Holy Sirit(聖霊)とはことなるところがあるのだろうか?
注意すべきことはイエスが弟子たち、そしてイエスを信じるクリスチャン
に残した遺産は此の助け主だということである。
そうイエス本人がいっている。
イエスは新約聖書を残すとはいっていないのだ。
歴史上、イエスが天にひきあげたあと、
ローマンカトリックと類似の教会、
そして後のプロテスタントは聖書
が頼るべき権威だと教えられているがイエスご本人はそんなことはいっていない。
加藤一二三伝説2
- ママチャリで買い物、ネギを購入。ミネラルウォーター売り場の前でやっぱり長考
- 羽生にらみもびっくり、天井のテレビカメラを睨み付ける
- 自戦記、「私は・・と指した。すると、・・と受けた。私は・・とした。(以下繰り返し)」
- 感想戦で二歩
- 三浦七段との“冷房スイッチ、オン・オフ合戦”
- 相手の後ろにたって盤面を覗き込む、先後同型のときも反対側からのぞき込む
- ↑の時に、ネクタイが相手の頭にぶつかった事もある
- ネクタイが異常に長い、「人から見て長く見えるのはわかっています。でも自分ではまだ短いように思うのです。」戦いに挑む闘志の現れ
- エアコンの音が気になるので消そうとしたら、間違えて部屋の照明を消した
- 名人戦で詰みを発見して「ウヒョー!」
- 夕休のある順位戦だけは成績がいい
- 新聞記事、一二三九段ってぱっと見何段だか分かりにくい
- ズズーーーー、ズズズズーーーーー
- 対局中に、将棋盤や記録机の位置を直す
- 対局中、自駒も相手の駒もかまわずベタベタ触るため、対局相手が怒ったことがある
- 対局へは和服にスリッパで望む
- マイストーブを対局室へ持ち込み、対局者に向けて対局開始
- NHK杯の紹介「ちょっと行動がアレですが、いえかなりアレですが、なんとまぁ元名人です」
- 盤が畳の目に沿ってないと気になるこだわりがある
- 地震で新幹線が止まる、文明の利器により連絡を取り、止まった段階で食糧を確保、得意の持久戦も覚悟
- 対局中対戦相手と「熱い」「寒い」論争
- なんと師匠を逆破門
- 原田と地方巡業中、体調の悪くなった原田を家まで送る。
- テレビ中継のある銀河戦で待ったをして相手と言い争いの喧嘩、銀河戦出場停止となる。
- 詰め将棋のヒントを求められ 「まず王手をします」
- 加藤一二三氏からの手紙には、30枚くらい切手が貼ってある。
- バザーでは、詰め将棋コーナーを常時開設
- 達人戦、準優勝賞金を手渡すために、米長会長とひふみんが向き合っただけで場内爆笑
- 全ての昇級の最年少記録を持っている
- 立会人の時は、対局者に気を使う、蛍光灯の明りの量まで調整
- 米長会長に「対局者じゃないんだから落ち着け」と注意される。
- 立会人になったときは、座布団の色にもダメ出しをする。座り心地よりも色が大切
- モスグリーンの座布団はダメ、この色を前にしていると闘志が沸かない
- 自然にしか存在しなさそうな色は落ちつきすぎて、カッカしないからダメ。闘いの場では若干カッカしていたい。
- ブルーの座布団を使う時も向きが重要、右前に無地が来るとくつろげる。柄が来ちゃうと息が詰まりそう
- 森内名人と達人戦での対局の時に負けた理由はモスグリーンの色が目に入ってしまったから
- 近代将棋で「イタリア旅行記」を連載
- 「青蛙負けるな一二三ここにあり」
- 竜王戦前夜際で乾杯の音頭を担当。「乾杯!」の合図と共になぜかマイクの方を高々と掲げる。
- テレビの対局で投了するような形成になったが、解説が面倒くさいのでそのまま粘って戦っていたら、逆転して勝ってしまった。
- 関西の天才児加藤くん、対局係を勤めたときは対局者が長考してる時は似顔を描いてた
- 長男が生まれたとき、順位戦が一位だったので「順一」と名付けた
- A級なのに勝率三割台
- 佐藤(康)棋聖が一手も指さずに退室。解説のひふみん「私も1年に1回くらい、このような振る舞いをすることがあります。」
- 対局の部屋に入って、部屋の片隅、床の間辺りをジーッと見ている。ストーブのコンセントを挿す穴を探していた
- エレファントカシマシのボーカル宮本浩次は彼のファンで近年、彼のしゃべり方を手本にしているという
- 盤は部屋の中央に置く。安定していて気持ちいい・・・それに対して動かしてくる相手はいない
- しかし、意見の合わない相手が!その相手に「私と貴方は全く平行線、いくら話し合っても解決しない。くじ引きにしましょう」
- 無人島に持って行きたいもの「羽生さん」
- 森内名人とは、車で1時間一緒に移動しても会話はゼロ。
- 羽生さんとは、同じ電車で移動する時に、2時間もっぱら、しゃべりっぱなしです
- 森下卓九段との対局前に眠れない→ワイン飲む→眠れない→快勝!
- 自分はあまり考えず、ぶっつけ本番の方が上手く行くタイプ。準備の段階で疲れちゃう好奇心が失せる
- 準備段階で時間をかけ過ぎちゃうとトキメキがなくなっちゃう
- 孫がおなかが空いたときにおにぎりを作ったら大好評だった
- 自転車に乗ったまま指揮者のようなしぐさをする
- 感想戦では、勝ったときは機嫌よく笑顔でしゃべり続ける。
- ひふみんには皮肉は通用しない
- 封じ手開封の一コマだけで5分間しゃべり続ける
- 娘からは「パパ様」と呼ばれている
- 東急将棋祭りではギリシア旅行や勝った将棋の自慢話をする
- 対局中には自分の駒はおろか、相手の駒までチョンチョンする
- あまりにチョンチョンしすぎで、相手が怒ったことがある。
- 対局が終わった後もチョンチョンしてる。
- 感想戦でもチョンチョンしてる。
- 対局前には研究しすぎて、就寝が未明になってしまうのが今の課題
- ひふみんが抱っこした子供はなぜか泣かない
- ネット対局ではマウスを両手持ちする。
- ネットの指導対局でもマウスポインタで相手の駒をチョンチョンする。
- 指導対局はクリックミスで負ける。
- ネット指導対局の感想戦では「ニルスの不思議な旅」の話を始める
- 東京ラブストーリーを熱心に見ていた。
- 将棋が好きになった理由は、必然性があるから
- 指していて楽しい相手は、自分の構想通りに指してきてくれて、勝たせてくれる相手
- 本番でも勝って、1週間後の感想戦でも勝つ
- フランスの将棋掲示板でも人気がある。
- 将棋祭りのトークショーでもキリスト教の話が大半を占める。
- 自分の将棋が一番研究されていると、自慢話をする。
- トークショーで30分以上喋った後、控え室では更に絶好調だった。
- ネットでひふみんと呼ばれているのは知っている。お気に入りで喜んでいた。
- 節電の夏なんて関係ない、エアコンの温度設定を22℃に設定、対局者に24℃まで上げられるが、19℃まで下げ直して対局。
- 子供の宿題を率先してやる(算数以外)
- 子供の宿題の絵日記のために旅行に行った(堺市の仁徳天皇陵など)
- 神武以来の天才の異名は勝手に独り歩きしているらしい。あまり興味がないらしい。
- 野球をやらせればなかなかのもの、サードの守備が得意でファーストへの送球のフォームが美しい。バッティングはダメ
- 娘を幼稚園に送ってから対局へ通っていた
- アイドルとのイベント対局でベートーベンについて力説する
もうひとりの助け主
イエスが約束した助け主ということばなにを意味しているのだろうか?
イエスは”もうひとりの助け主”と接頭語をつけている。ということは最初の助け主は
イエス自身のことか?
英語版では
John 14:16New International Version (NIV)
16 And I will ask the Father, and he will give you another advocate to help you and be with you forever—
助け主にAdvocate(援護)をあてている。
16節の前後を追加してみよう。
Jesus Promises the Holy Spirit
15 “If you love me, you will keep my commandments. 16 And I will ask the Father, and he will give you another Helper,[f] to be with you forever, 17 even the Spirit of truth, whom the world cannot receive, because it neither sees him nor knows him. You know him, for he dwells with you and will be[g] in you.
18 “I will not leave you as orphans; I will come to you. 19 Yet a little while and the world will see me no more, but you will see me. Because I live, you also will live.20 In that day you will know that I am in my Father, and you in me, and I in you.21 Whoever has my commandments and keeps them, he it is who loves me. And he who loves me will be loved by my Father, and I will love him and manifest myself to him.
わたしは助け主は聖霊を意味しているのかとおもったら
聖霊は救い主という概念に含まれているようだ。
”even the Spirit of truth"とあるからだ。
イエスは助け主を送るのに条件をつけている。
ということは条件である
”イエスを愛し、命令をまもる”ことをしなければ助け主をおくれないのか?