優しさがいちばん -11ページ目

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インチキ牧師リスト(動画)

わたしたちはほとんど知ることがないが

インチキ牧師の数は多い。

ここにアメリカでのインチキ牧師のリスト(動画)がある:

 

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聖霊の解説例と責められない教会の怠慢

聖霊の意味を買いせうしているひとがいる。

ここペンギンくらぶ

 

聖霊は人格

聖霊はキリストにひとしい

聖霊は助け舟

 

このような解説は典型的な観念論のように見える。

いうだけで実証がない。

 

しりあいに熱心なナイジェリアからのクリスチャンがおおい。

かれらは聖書を暗記するほどよんでいる。

自分たちには予言もできるといっている。

癒やしのちからもあたえられているという。

また予言も行う。

現実は子供の病気には病院にもいくし、

予言は予言しっぱなし、いいっぱなしでいったことが実現しなくても

全く意に介さない。

イギリスの才能

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聖書の権威・ルターの場合

聖書の権威についてはなんどもいろいろな主張を聞いてきた。

そのひとつに聖書は霊感に導かれたから権威があるというものだ。

霊感は批判をだまらせる力はあるが論理的な説得力にはかける。

 

宗教改革のマルチン・ルターはこういっているという。

「すべての霊は、教会の面前において、聖書を基準として、吟味されなければならない。なぜなら、聖書が太陽よりも明るい霊的な光であって、特に救いや、(クリスチャンにとっての)生活の基準を知るための光であるということは、クリスチャンにとっては、何よりもまず必要とされ、無条件の真理として保持されなければならないからである。」

 

これも頭ごなしの身勝手な主張だ。

”必要だからこれに決めなさい”とはこんな身勝手な言い方で宗教改革が成立したとは。

チョーヨンギの罪と言い訳

以下は世界一のメガ教会をつくったチョー・ヨンギの最近の記事だ。

出典はchristian today.

聖霊にみたされることを主張してきたチョー・ヨンギの現実は

こうだ:一部転載(2014年3月)。

自身の指示により教会に対して131億ウォン(約12億4200万円)の損害を与えなどとして、50億ウォン(約4億7500万円)の罰金命令が下された、世界最大のペンテコステ派教会の牧師、趙鏞基(チョー・ヨンギ)氏(78)は2月23日、教会の信徒を前に「この苦難を通じて1つ悟ったことは、一個人が何も所有してはならないこと」などと語った。

趙氏はこの日、韓国・汝矣島(ヨイド)純福音教会で行われた主日礼拝の説教で、第2コリント人への手紙4章16〜18節を引用し、「苦難を克服する3つの道」と題して説教。この中で、最近の裁判で出された判決についても言及した。

趙氏は「(判決後の)2日間、50年の牧会生活の中で最も困難な苦難を経験した。試練と苦痛の中にあったが、今まで信仰してきた中で一番神様が有益な日をくれた。心を痛めたし、弁明したくもなったし、また人であるから抗議、あるいは復讐したい、そういった色々な複雑な誤った考えが胸の中に浮かんできた」と告白。「その中で、悔い改めることができ、聖霊の変化を受けることができ、真珠貝から真珠が出るのだと思いながら、よいことも多かった」と語った。

趙氏はまた「私が苦難を受けている間、聖徒の皆さんが私のためにたくさん祈ってくださったことをよく知っています。皆さんの祈りが私を人として作り、主の僕(しもべ)として作ってくださったことを感謝します」と、同教会の信徒らに感謝を伝えた。

その上で、今回の事件から得た教訓として、「私はこの苦難を通じて、1つ悟ったことは、一個人が何も所有してはならないということだ。私は、今日でも神様がお召しになれば、いつでも主の国に行くつもりだが、地位や名誉、権威、お金も、健康以外にはこれ以上望むものはない。そして、私たちが生きているすべての道で、小さなことでも神様が全てをよくしてくださるのだから、この試練と患難も、私をより大きく、よりよく作ってくれることを信じているので、(今回の事件も)肯定的に受け取れるはずだ」と語った。

趙氏は、2002年に息子の趙希竣(チョー・ヒジュン)氏が所有していた、教会や関連機関の清掃、警備、セキュリティ業務などを行っているサービス会社の株式25万株を、適正価格の2倍以上の価格で購入するよう同教会関係者に指示し、同教会に巨額の損害を与えたとして、特定経済犯罪加重処罰法違反(背任)などの罪で昨年6月、在宅起訴されていた。

この裁判の判決が今年2月20日に言い渡され、同教会に131億ウォン(約12億4200万円)の損害を与えたとして、趙氏は懲役3年、執行猶予5年、罰金50億ウォン(約4億7500万円)の判決を受けた。また、元国民日報会長である希竣氏も、共犯したとして懲役3年の実刑判決を受けた。

一方、趙氏が在宅起訴された際、同教会側は、牧会に専念していた趙氏は、一般企業で行われるような株式売買や株式の価値評価など詳細な業務を指示するだけの専門知識はなかったとして、不当な起訴だという立場を表明。同教会の教職や信徒ら16万人の署名を集め、請願書を提出していた。

また、同教会の長老会も、教会と営利を追求する民間企業では、意思決定の構造が違うと指摘。同教会は長老らを中心とした役員会が最高意思決定機関としてあり、その下にある各委員会や各実務部門のすべての業務を検討し決定しているとし、当時同教会の会長であった趙氏の決裁は形式的意味が強いと主張した。「すべての書類を一つひとつ確認して決裁することは事実上不可能」「実務部門と委員会の判断と決定を信じて尊重し、重大事案の場合は外部の会計事務所など専門機関のコンサルティングを受けるようにしていた」などとする立場を示していた。

しかし、今回の判決で裁判所は、教会の最高意思決定権を持つ趙氏が関与していなければ不可能な犯罪だとし、趙氏の地位と役割に見合った処罰が必要だとした。また、趙氏が教会名義での各種文書作成、書類変造などを承認、あるいは黙認し、犯行の中心的役割を果たしたなどと指摘した。

同教会の役員会は2月23日、信徒向けに「汝矣島純福音教会の聖徒たちに捧げる文」を発表。「かなり過去に決裁された文書について、今回、司法による判断を受けることになった」「このような状況と、またこれに関連した全てのことについて、教会を愛し、常に祈ってくださる聖徒たちにご心配をお掛けしたことを心からお詫び申し上げます。今後はこのようなことが起らないよう、教会の全ての関係者たちが最前を尽くすつもりです」とし、今回の事件について信徒らに謝罪した。

 

再臨の遅延

主(イエス)の再臨は弟子が存命中にあると考えられる記述が聖書には少なくないのに

2000年にもなる今でも無い。なぜか、そんなことも神学上の問題となりうる。

聖書には書かれていることが検証をしようとすると、どうもまちがっているのではないかと思われるところがたくさんある。読み手に問題があるのではないかという観点をとるとこれが神学上のテーマとなるが、ほんとうは聖書の側に問題があるのではないか?

繁栄の神学か清貧の神学か

キリスト教にはいりいろな教えがある。

繁栄の神学とよばれクリスチャンは生きている間にも

健康にも経済にもめぐまれることを神が望んでいる主張。

そして逆に清貧のなかにも現状に満足して経済的にまずしくとも

病に臥せっていても神の試練だとすべてに感謝していきるようにという

主張。

この相異なる疑問を自分で考え答えをみいたしたという人がいた。

ブログ 十字架の愛

だ。

 

一部転載:

いったい、どっちなんだろう?



神さまから祝福されて豊かになることか、

それとも富を否定して慎ましい生活をすることか、

どちらが聖書の御教えなのだろう?




そのように思って、私は聖書を読み、神さまに祈り求めました。



そのときに示されたのが、次の御ことばです。



「彼らはみな、神様を信じました。 
その信仰によって、戦いに勝ち、国々を征服し、正義の政治を行ない、
神様が約束されたものを受け取ることができました。 

ライオンの穴に投げ込まれても危害を受けず、燃えさかる炉に投げ込まれても、やけど一つしませんでした。 

ある人は、危うく刀で切り殺されるところを救われました。
ある人は病弱の身であったのに、健康な体に変えられました。
ある人は、戦いでめざましい力を与えられ、攻め寄せる敵の軍隊をことごとく退散させ、大勝利を収めました。

また中には、信仰によって、愛する者を死人の中から生き返らせて
いただいた女たちもいました。 」


                    (聖書・ヘブル11:33~35 リビングバイブル)




ここまでは、神さまの力によって大成功し、
豊かに祝福された信仰者のことが書かれています。


神さまの力によって戦いに勝利し、社会を平和に治めることができ、
また病気も癒されて健康な体にされました。


まさに、繁栄している状態です。




しかし、このすぐ後に、次のような御ことばが続いています。



「また、さらにすぐれたいのちに復活するために、釈放など願わず、
むち打ちや、死刑に甘んじた人たちもいました。 
彼らは、神様を捨てて自由の身となるよりも、むしろ死を望んだのです。

またある人たちは、あざけられ、むち打たれ、さらに鎖につながれ、
投獄されました。
また石を投げつけられたり、のこぎりで真っ二つにされたりして死ぬ人も
いました。

また、信仰を捨てて自由になるより、刀で切り殺されることを選んだ人、
羊や、やぎの皮を着て荒野や山をさまよい、穴や洞窟に隠れた人もいます。

彼らは飢えと病気に悩まされ、苦しめられ、ひどい仕打ちを受けました。
――彼らが正しい生き方を追求したからです。

神様を信じた彼らのすばらしい信仰は、神様から賞賛されるほどでした。」


                    (聖書・ヘブル11:35~39 リビングバイブル)





なんと、神さまの力によって大成功した信仰者を書き連ねたすぐ後で、

神さまに従うことによって迫害され、貧しくなり、病気になって苦しんだ信仰者の

ことが列挙されています。



そして、どちらも 「すばらしい信仰」 だと、神さまに賞賛されています。




つまり聖書には、

神さまに従って祝福され豊かになることも、

神さまに従うことによって苦しみながら貧しい生活をすることも、

どちらも「すばらしい」と書かれています。




決して、どちらか一方が正しくて、

他方が間違っているわけでないことを教えられました。




ですから私たちは、神さまを信仰することによって豊かになろうとも、

あるいは苦難が続くようなことが起ころうとも、



私たち一人ひとりに与えられている、

神さまの導きと祝福に感謝して、喜んでいきましょう!



 

ベニー・ヒンのショー

指に金満の指輪をみせつけるこのベニー・ヒンとはなにものだろう?

 

これが聖霊の存在証明だというのか?

こんなこどもだましにみな惑わされている。

 

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ベニー・ヒンのショー

指に金満の指輪をみせつけるこのベニー・ヒンとはなにものだろう?

 

これが聖霊の存在証明だというのか?

こんなこどもだましにみな惑わされている。

 

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