繁栄の神学か清貧の神学か | 優しさがいちばん

繁栄の神学か清貧の神学か

キリスト教にはいりいろな教えがある。

繁栄の神学とよばれクリスチャンは生きている間にも

健康にも経済にもめぐまれることを神が望んでいる主張。

そして逆に清貧のなかにも現状に満足して経済的にまずしくとも

病に臥せっていても神の試練だとすべてに感謝していきるようにという

主張。

この相異なる疑問を自分で考え答えをみいたしたという人がいた。

ブログ 十字架の愛

だ。

 

一部転載:

いったい、どっちなんだろう?



神さまから祝福されて豊かになることか、

それとも富を否定して慎ましい生活をすることか、

どちらが聖書の御教えなのだろう?




そのように思って、私は聖書を読み、神さまに祈り求めました。



そのときに示されたのが、次の御ことばです。



「彼らはみな、神様を信じました。 
その信仰によって、戦いに勝ち、国々を征服し、正義の政治を行ない、
神様が約束されたものを受け取ることができました。 

ライオンの穴に投げ込まれても危害を受けず、燃えさかる炉に投げ込まれても、やけど一つしませんでした。 

ある人は、危うく刀で切り殺されるところを救われました。
ある人は病弱の身であったのに、健康な体に変えられました。
ある人は、戦いでめざましい力を与えられ、攻め寄せる敵の軍隊をことごとく退散させ、大勝利を収めました。

また中には、信仰によって、愛する者を死人の中から生き返らせて
いただいた女たちもいました。 」


                    (聖書・ヘブル11:33~35 リビングバイブル)




ここまでは、神さまの力によって大成功し、
豊かに祝福された信仰者のことが書かれています。


神さまの力によって戦いに勝利し、社会を平和に治めることができ、
また病気も癒されて健康な体にされました。


まさに、繁栄している状態です。




しかし、このすぐ後に、次のような御ことばが続いています。



「また、さらにすぐれたいのちに復活するために、釈放など願わず、
むち打ちや、死刑に甘んじた人たちもいました。 
彼らは、神様を捨てて自由の身となるよりも、むしろ死を望んだのです。

またある人たちは、あざけられ、むち打たれ、さらに鎖につながれ、
投獄されました。
また石を投げつけられたり、のこぎりで真っ二つにされたりして死ぬ人も
いました。

また、信仰を捨てて自由になるより、刀で切り殺されることを選んだ人、
羊や、やぎの皮を着て荒野や山をさまよい、穴や洞窟に隠れた人もいます。

彼らは飢えと病気に悩まされ、苦しめられ、ひどい仕打ちを受けました。
――彼らが正しい生き方を追求したからです。

神様を信じた彼らのすばらしい信仰は、神様から賞賛されるほどでした。」


                    (聖書・ヘブル11:35~39 リビングバイブル)





なんと、神さまの力によって大成功した信仰者を書き連ねたすぐ後で、

神さまに従うことによって迫害され、貧しくなり、病気になって苦しんだ信仰者の

ことが列挙されています。



そして、どちらも 「すばらしい信仰」 だと、神さまに賞賛されています。




つまり聖書には、

神さまに従って祝福され豊かになることも、

神さまに従うことによって苦しみながら貧しい生活をすることも、

どちらも「すばらしい」と書かれています。




決して、どちらか一方が正しくて、

他方が間違っているわけでないことを教えられました。




ですから私たちは、神さまを信仰することによって豊かになろうとも、

あるいは苦難が続くようなことが起ころうとも、



私たち一人ひとりに与えられている、

神さまの導きと祝福に感謝して、喜んでいきましょう!