佐賀の吉野ヶ里遺跡で邪馬台国の卑弥呼の墓か!?なんてニュースをやっていたので、久しぶりに福岡市博物館の金印でも見ようとやってきたら、『鈴木敏夫とジブリ展』が開催していたのでちょっと寄ってみた。



名古屋で生まれ育った鈴木敏夫さんが、どんな本を読んでたかや当時の名古屋(大曽根)の様子が展示されていた。

名古屋一の進学校である東海高校から慶應義塾大学へ進み、徳間書店に入社し、『アニメージュ』という画期的な雑誌の編集に携わった。

そのことが縁で、宮崎駿さんや高畑勲さんと知り合いジブリの設立となった。


直筆の映画の企画ノートなどが展示されていて、自分の仕事の参考にもなった。


写真撮影が許されてたコーナーでの写真。





ジブリ展のあとは、しっかり金印も見てきた。









さて、時を戻そう。ん?誰のギャグだっけ?(汗)


佐賀からの帰りに博多で打合せ、この日も『天神ホルモン』に行くのをグッと堪えて(笑)、鉄鍋餃子を食べに行った。



餃子のアップ。(笑)



アツアツの鉄鍋で提供されてるので、熱いのは分かっていたが、小さめの餃子を口に放り込んでひと噛みすると、地獄のような熱さの肉汁が飛び出し、口の中をヤケドしてしまった。


打合せがなければ、冷たいビールが合うんだけど、ビールもグッと我慢。







下肢静脈瘤の疑いかもと血管外科を受診して、月曜日にエコー検査をした。


新しいクリニックで患者さんが多くないせいか、30分ほど両足をじっくりとエコー検査を行った。

結果は、まったく問題なかった。


『クモの巣状静脈瘤』のごく初期の状態で浮腫くらいしか自覚症状がないので、弾性ストッキングで治療したとしても、症状が改善されることはないらしい。



上の写真は、『下肢静脈瘤.net』に掲載されてる『クモの巣状静脈瘤』の写真。


『クモの巣状静脈瘤』を放っておいても、下肢静脈瘤の典型的な『伏在型静脈瘤』(下の写真)にはならないんだって。



静脈瘤っていうと、エコノミー症候群(深部静脈血栓症による肺塞栓症)のように命に危険のある病気を類推してしまうが、下肢静脈瘤は浅いところの静脈だから、深部血栓症とは関係はないらしい。


じゃあ、左下肢の浮腫は、何が原因なんだろうか?










佐賀に来たら、やっぱり『呼子のいか』だよね。

博多でも食べられるけど、やっぱり本場だと気分が違う。

去年とは別のお店にしようとしたが、イカがないと言われたので、去年と同じお店に入った。


水槽には元気なイカが泳いでた。



もちろん、いかの活造り(超特大)。



透明で肉厚の身は、コリコリとして甘みがある。

九州の甘みのある醤油がベストマッチ。


後造りは、天ぷらを願いした。



帰りに水槽を覗いてみると、数えるほどしか残っていなかった。



ま、どのテーブルでも活造りを頼んでたからね。







木曜日は佐賀県庁で打合せだったので、打合せ後に隣の佐賀城跡に復元された佐賀城本丸御殿歴史館に立ち寄った。



佐賀藩は、外様藩の中で8番目の石高35万7千石を誇り、260年もの長きにわたり鍋島家が治めていた。

この本丸歴史館は、十代藩主鍋島直正が天保9年(1838年)に再建した本丸御殿の一部を復元したものとなってる。


一之間、ニ之間、三之間、四之間および南廊下(右側の廊下)を合わせると320畳となる。



名古屋城の本丸御殿と比べると何となく質素な感じがすると思ったら、襖絵が描かれてなかった。

8番目の石高なのに、なぜ?

当時、外国との貿易の窓口になってた長崎にある出島(幕府直轄領)の警備を福岡藩と佐賀藩が交代で勤めていたため、藩の財政を圧迫してた。

だから、倹約できるところは切り詰めたようだ。

そのため、通常は板張りである廊下を畳敷きにして広間として使えるようにしたようだ。

お城とかにある釘隠しもなかった。


甲冑を借りてコスプレしてみた。

凛々しい姿でしょ。(笑)



そんなわけはなく、CGによる合成でした。(汗)