歯医者に行った。
 
道中、寂れたビルを通り抜けるのだが
見上げると棟と棟を繋ぐ渡り廊下がある。
テナントスペース以外の通路は屋根がないので空が見える。
そして上の階は心療内科しか残っておらず
それがまたもの寂しい雰囲気に拍車をかけている。
 
ふと、この景色に見覚えがあるなと思った。
勿論長く住んでいる街なので何度も通っている。
ただ、誰もいなくて無機質な渡り廊下とその先に見える
地上の事情は知らん顔の青空、流れの速い雲
というコントラストに覚えがあった。
 
高校生の頃に見た空だ。
同じ渡り廊下ではなくとも、似たような構図だったと思う。
人生で一番精神状態が落ちていた頃なので
冷たい建造物と、それに容赦なく影を落とす
明るい空を見ると心が慰められた。
 
社会人になった今は心身ともに割と元気に過ごしているが、
今もそんな景色に出会うと心が落ち着く。
 
たとえば、
駅のホームから見上げる向かいの建物の角部屋、ベランダの柵越しの秋空。
 
茹だる暑さ、真っ青な夏空と汲み上げ音の響く真っ白で巨大な給水塔。
 
都会の濁った海、防波堤から見上げる
狭い空を圧迫するジャンクションと車の通る音。
(高速道路の下を歩くと、車の風切音がよく聞こえて楽しい)
 
変電所付近の大きな鉄塔と、電線で切り刻まれた銀色に眩しい薄曇りの空。
 
朽ちてはいないし暗くもないけどそれらに「退廃」を感じる。
静かで、明るくて美しい。
 
空が青いほど、建造物の輪郭が映える。
また、こういった場所は何故か都市部でも静寂を感じる。
 
これからもたくさんそんな景色に出会えるといいな。
誰かと見るのではなく、一人大きな建物の陰から空を見上げることが
楽しむコツだ。
 
 
おまけ▼
 
青空を見上げる時によく頭に浮かぶ曲。
 
 

 

 
僕の手に聖書はないから
公園で希望を空に祈る
衛生的な青すぎる空 そして遠すぎる僕
ロケット / Plastic Tree 
 
 
 
私は「言葉」というもの、特に日本語が好きなんだけど
上手に扱えていない自覚はある。
 
大好きな「言葉」というツールを使って
自分の考えを的確に表現する練習がしたくて
このブログを始めた。
 
何事もまずはインプットが大事だと思い、
最近は心に残った言葉をノートに書き留めている。
単純に素敵だと思った言葉から、知らなかったけど今後使いたい言葉まで
特になんの縛りもなく自由に書いている。
 
学生時代から歌詞写経に励んでいたので、9割方趣味といった具合で楽しい。
 
読み返した時に自分の好きな言葉の傾向がわかるのもいい。
生涯に渡る趣味にしたいので、愛着の湧くタイトルでもつけるかと思い
「pool」とノートの表紙に書いてある。
言葉をプール(貯蔵)するイメージだけど、相応しい単語かどうかは知らない。
まあ誰に見せるでもないので…
 
余談な上に、コクヨに怒られそうだけど
キャンパスノートを下敷きにして、キャンパスノートに言葉を書いている。
下敷きにされてる側のノートが気の毒である。
でも一番しっくりくる書き心地なんだよな〜
 
    *******************
 
″言葉ってのは、欲しい人のところにだけ降ってくる。
 だからそれはお前が貰った言葉なんだよ。″
 
ビジネスライクプレイという演劇で印象に残ってメモしておいた台詞だ。
(演出・脚本は川尻恵太さんという方)
配信を購入して観たので、気になる台詞を何度も見返すことができた。
 
言葉は受け取り手によってその価値が変わる。
降ってきた素敵な言葉はしっかり大事に握りしめていたいね。
 
ノートを見返しながら飲む紅茶は
とても美味しい。
メンタルにもいい気がするのでおすすめしたい。
 
 

唐突ではあるが、私は恋をしない。

感情的な方ではあるので、恋愛の部分だけすっぽり

「穴」があいている感覚だ。

思い返すと、学生時代から人を好きになる気持ちがわからなかった。

 

当時は自覚がなかったので、青い春の雰囲気に任せて

仲良くなった男性と花火大会へ行ったりした。

字面を見ると素敵な青春の一ページ感があるが

実際はそうでもなかった。(贅沢な話である)

 

友達と恋人の境界を踏み越えられそうになった瞬間

相手のすべてを受け入れられなくなり、嫌悪感を抱いてしまう。

三十年ほど生きてきてそこまで多くのデート経験はないが、

毎回結果は同じだった。

 

「本当に好きな人」に出会っていないだけだと思ったし

周りからもそうアドバイスをされた。

大学時代にデートをしてくれた男性から

「好きな人には何でもしてあげたくなるに決まってるでしょう」

と言われたことを強烈に覚えている。

人生で誰かのためにそこまでしてあげたいと

思ったことが一度もなかったし、未だにない。

 

学生時代を終えて、社会人になってからも変わらなかった。

 

結婚適齢期を迎え、友人も続々と結婚・出産を経験している。

前述の通り毎度失敗に終わっているにも関わらず、

懲りずに婚活をしていた時期がある。

 

なぜなら一人っ子で、将来親の介護の時に相談相手がいないと不安だから。

金銭面はとにかく仕事を頑張って蓄えておこうと思っているが

信頼できる脳みそがもう一つほしいと思った。

そんな身勝手な理由を胸に抱きながら、思い立ったその勢いで婚活をはじめた。

 

結論、相手のお金と時間を無駄に奪ってしまっただけだった。

週末にデートの予定がある週は、月曜日から憂鬱な気持ちだった。

どんなに優しい相手でも、好意を向けられた瞬間に逃げ出したくなるのだ。

慣れかと思い、我慢して複数回デートをしてもだめだった。

 

世間の反応を見る限り、恋愛は基本的に楽しいものという印象なのに

こんなに憂鬱で我慢をして続ける意味はあるのかとn回目のデート中に

気付いてしまった。

何よりも、そんな気持ちで相手と接することが失礼だなと思い

その日のうちに私は短い婚活を終わらせた。

これ以上、恋愛感情の有無を確認する行為に

人を巻き込みたくないという理由もあった。

 

介護についてはまあ、何かしら相談できる場所があるはずだ。

それを調べて備えよう。

 

長々と書いたが、私はアロマンティック・アセクシャルなのだろう。

恋愛も性愛もない世界に生きる。

このセクシュアリティを知ったとき、すべて腑に落ちた。

名前をつけてラベルを貼ることは悪いことばかりでなく、

仲間を探すときにはハッシュタグになるから便利だなと思う。

 

自認してからは、とにかく気が楽になった。

無い袖は振れないし、無い感情は湧かない。

でも”持っている”多数の人々のこともちゃんと理解して

穏やかに生きていければいい。

 

周囲にも伝えているが、正直手応えはない。

まあそんなものだろう。

無理矢理お見合いとかさせられない限りは無問題かな。

 

またこんな話をする日もあると思う。

将来はわからないが、今のところ楽しい日々を過ごしているので

今同じように悩んでいる人が少しでも肩の力を抜けるといい。

 

 

 

小学生の頃、校庭で飛行船を見た。
ゆったりと青空を進む様子は鯨のようだった。
記憶の中では美化されて真っ白い機体だが
実際はカラフルな広告であまり風情が
なかったのかもしれない。

小さな体で広い校庭から見上げた飛行船は
少し不気味で美しかった。

二度目の記憶は、高速道路上で見たものだ。
学生時代、家族で臨海地域に向かっていた。
その日も快晴で、やはり記憶の中では
白い機体だ。
暑い季節だった気がする。

もはや本当に見たのか不安になる程
その光景が脳裏に焼き付いている。

大人になった今、もう一度見たいのだけれど
どうやらもう飛んでいないらしい。
まぁ綺麗な記憶で残っているので
それはそれでいいのかも?

アドバルーンもあまり見なくなったので
たまに見かけると嬉しいよね。
遠くに大きな風船が見えた時、
いつもの街なのに少し〝おかしく″見える。
異質で、取ってつけたようなメルヘンって感じ。
そんなとこが好き!

ネオンもいいけどまだもう少しこの
アナログ広告を味わってたいな。
最近、砂漠を舞台にした小説を読んでいる。
渇いた砂の描写が多いが、
ふとしたときに海を感じる。

昔、鳥取砂丘で風紋を見た。
波立つ砂はやはり海のようだった。

きっと強い風で砂漠の砂は舞うのだろう。
嵐の日みたいに、風が″視える″のかな。

西日を浴びて黄金色に光る砂漠も
さぞ綺麗だろう。
過酷な気候は置いておいてね。

海や空は好きだという自覚があったが
砂もなかなかロマンがある。
振り返ると砂漠をテーマにした作品を
意外と読んでいた。
好きのひとつに加えておこう。

ところで、冒頭の本を読んでいる時に
ある曲の歌詞が頭に浮かんだ。↓

「星の数ほど夢はあるんだってさ
 この世界はその夢の一つで
 そう、僕らはその夢のエキストラさ
 やがては消えてく運命さ…運命だ」

曲名が思い出せなくて一日中考えた。
Kraというヴィジュアル系バンドの
「エキストラキングダム」という曲だ。
学生時代、ヴィジュアル系が好きで
手広く聴いていた時に出逢った。
この曲の歌詞も砂漠の情景が描かれている。

久しぶりに聴いたらやっぱりいい曲だった。
思い出せてよかったな。

子供の想像力では砂場も、容易く砂の王国に
なっちゃうね。
…いくつになってもその心で居たいけど!

砂のお城、砂の王国、砂漠を走る船。
今も空想が尽きない。
高校時代、胃腸が弱かったので
昼食後は大体お腹を壊していた。
どうにも調子が良くならない時は
よく保健室で寝ていた。

保健室には、寝心地の悪い簡易ベッドが
窓際と廊下側に一つずつあった。
窓際のベッドは、寝転ぶと高い位置にある
窓から青空が見えて少し心が凪いだ。
(ちなみに廊下側のベッドは
 高確率で金縛りにあう)

昼下がり、窓の外から体育の授業の声が
遠くに聞こえる中見る空が大好きだった。

可もなく不可もない無難な高校生活だったけれど
こういうちょっとした日常の記憶は
色濃く残っている。
また思い出したら書くつもり!

わたしは直接人と関わることが好きではない。
ただ、人が作ったものを味わうことは大好き!

人間というフィルターを通した世界を
たくさん見たい。
本・絵画・音楽・演劇だけでなく、
YouTubeやSNSでもいい。

もちろん人間のアウトプットなら
なんでもいいわけではない。
自分がこの世界をどのように見たいか、
それに近い色合いを持つフィルターを
通ったものを選んでいるつもりだ。

少し青いフィルターをかけた世界が好みだ。
透明感や静けさ、清涼感を感じるものが好き。
キラキラ輝いているとより良い。

音楽や小説を探す際は上記のような点に
重きを置いて探すようにしている。
まぁ真逆のコンテンツを摂取したい日も
あるので一概には言えないけど…

それらを摂取することで
自分のフィルターも強化される。
子供の頃より、世界が青く澄んで見える。
昔見てた景色も鮮やかで綺麗だったけどね。

今までで一番自分の理想の世界観だった小説↓

これからの季節、夏は特に青くてキラキラで
嬉しいね!
熱中症には気をつけながら楽しもうね。
空を泳ぐくじらの絵を探している。

空を海に見立てて魚が泳いでいるという構図は
よくありそうなものだが街では意外と見かけない。

なんとなくこういう色彩がいいな、という希望があるので
ドストライクな絵に出会うまでのんびり探そう。

くじらが空を泳ぐのは、夏のイメージだけどどうだろう?
夏の空は青くて海みたいだからかな。
気になって調べたらくじらは冬の季語だった。
勉強になった。

空を泳ぐくじらといえば、
小学生の頃教科書で読んだ「くじらぐも」を思い出す。

当時窓際の席で、空がよく見えたので
空を泳ぐくじらを想像したんじゃないかな。

わたしの教科書のくじらぐものページは、
確か角が欠けているはずだ。
授業中に千切って食べていたという朧げな記憶がある。
食べた理由は全く覚えていない。
飲み込んでなかったらいいな。

夏の清涼感と空を泳ぐくじら、
ぴったりの曲があるので聴いてね。




最近、突然Vtuberにハマった。
わたしはインターネットヒューマンなので
むしろ今まで響かなかったのが謎である。

YouTubeでは毎日のように、たくさんのVtuberが
ライブ配信を行っている。
おかげさまで、わたしたちは二次元の皮を被った
“生身の人間“のトークを手軽に楽しむことができる。
チャンネルを変えるように自分好みの配信者を選んでね。

こんなにそれぞれ個性=人間らしさを感じるのに
「バーチャル」なんだ。

バーチャルってなんだ?

仮想という日本語訳に引っ張られて
「架空」のようなニュアンスを感じていた。
本来の意味は“実際そうではないが、
本質的にはそうであるのと同じ“って感じらしい。
わかるような、わからんような…

Vtuberは現実世界にその姿で存在しないけど、
確実にわたしたちの生きる世界の中に“居る“んだよな。
そして、年々その存在感は増している気がする。

インターネット観について、Vtuber剣持刀也の
言葉がめちゃくちゃ心に刺さったので自分の為にも
置いておきたい↓


今、SNSでは誹謗中傷の嵐が吹き荒れている。
なんてことない投稿のコメント欄を見ると、攻撃的なリアクションが複数ついていたりする。
この人たちも近い未来には淘汰されていくのかな。

乗り遅れることも、飲み込まれることもなく
いい感じに“バーチャル時代“の恩恵を受けていきたいね。

ちなみに同じ剣持の言葉で凄くしっくりきたのが

この動画の4:43くらいからの話。↓



「僕はね、インターネットが好きなんだ」

から始まってその後の帰属意識の話まで

聞き入ってしまった。

混沌としたインターネットとの付き合い方、

参考になる。


しかし話が上手いな。

言葉選びも遊びが効いてて好き!

わたしは言語化するのが苦手なので尊敬する。


最後に、Vtuberではないけど

天国で地獄、最低で最高のインターネットが

詰まったこの曲を貼っておきます。

古からインターネットで遊んでいる

会社員のオリジナルソングです。



ハマったので今後も時々Vtuberの話するよ〜昇天

ブルーモーメントの空、
グラデーションを縫うようにヒコーキ雲が
一筋光っていた!
自転車に乗ると風が少しひんやりして
とてもいい季節。
薄雲の隙間に星が少し見えた。

運動を終えて帰る頃には真っ暗。
高台にある公園の前で信号を待っていたら
マンションの中庭で素振りをする少年が見えた。
電車の走る音と、涼しい初夏の夜風も
相まって大層エモかった。

誰も居ない公園越しに見える遠い街の明かりが
なんか寂しくて好き。
ゆっくり夜に散歩したいところだけど
物騒な時代だからね。
自転車で颯爽と駆け抜けて帰宅!
おやすみ〜