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衆院選かわ近付いて参りました。
各党からの政策もボチボチ、世の中に出回り始めているようですが…
焦点に当てられるのは【物価高】に対する対策。
昨日ね、病院の近くにショッピングモールがあったのでバス待ちがてら、ちょっと楽器屋さんへ寄ったのですがね。
まぁ今使用しているステージピアノ【ROLAND RD300】はキーボードという部類では本当に扱いやすくて、音も満足はしているんですがね。
やっぱり何だかんだで憧れるわけですよ…
生ピアノというものに。
普段はなるべく耳を労りたいし、かと言って自宅レベルのスピーカーでは音が電子なんですね。
というわけで、アップライトピアノやら、最新の電子ピアノやらを見てきたのですが…
僕が知ってる時代の値段の倍以上でした。
ROLANDの木製ハンマー採用の電子ピアノはずっと前から気になっていたのですが、音云々の前に値段…ね。
50万って…
これならいっそのこと中古のアップライトピアノでも…と思ったら、趣味として割り切った買い物というような範囲ではなくて、それはそれで手が出せない…。
考えてみれば車もそうだし、身近なところではカップ麺すら倍くらいに跳ね上がってるんですよね。
さて。各党の政策をみてみましょう。
主要な政党の主張。
『収入アップと低所得者への給付金』
その他の少数派政党。
『減税と給付金』
まずは減税だったり給付だったり。
確かに、一時的な目先の対策が効果としては一番分かりやすい。けどさ。
出来るなら既にやってるでしょう。
あるいは、困るんですよね。ばら撒かれて後々首絞められても。
そもそも、僕らが言いたいのはただ金くれ、とか、税金下げろ…ではないんですよ。
一時的にまとまった収入があったとしても、おそらくその後は悲鳴しかありません。
税金取るな…じゃないんですよ。
取るなら見えるようにしてくれよ…ってところですね。
まぁ、いずれにしてもそれがあったから何が変わる?というと、おそらくですが今後の生活に充てるか、今を生きるために補充する程度。
それで経済変わりますか?
方や。
【最低賃金底上げ】
とは言いますけどね。
その人件費を何処から出す?パートタイムは収録時間が短くなるけど、そのしわ寄せは?
まぁ頻繁に職を転々としている人やフリーターには良いかもしれないけどね。
終身雇用までは言わないけど…
しわ寄せを受けることが今から不安で仕方ないのです。
そしてさ。
結局のところ、じゃぁ元々の高所得でも低所得でもない世帯はどうなるの?と。
正直、この層が一番日本には多いはずなんですよ。
一番経済に影響を与えるはずの世帯を突き放す訳ですから、こりゃ変わらないだろう。と。
その反面…
今、僕らは税金を免除していただいてますが…
何気にこれ、結構助かってます。
手当とか減っても収入自体は変わらなかったし…
特に入院期間ね。
まぁ、これをずっと…ってのは当然無理でしょう。
けど、一番全域に及ぶ方法でもあるので。
まずはそのメリットデメリットをしっかりと話している政党を支持したいな…と思ってます。
いずれにせよ、最低賃金の底上げは世の中的には悲鳴しかないですよ。
そして、根本的に何故それが必要?というところですね。
要は物価高。円相場の値動きだったり世界情勢だったり。原油高も大きいでしょう。
この点に対するなにか、明確なものがないんですね。
という、少し真面目なはなしでした。
今日も頑張ろう!
ここのところ、入院&手術関連の記事ばかりでしたが、元々はこういうことをしています。
なんか、これからもピアノを弾ける喜びと…
あと何年ピアノを弾けるのかなって怖さと
色々ですが、今日ピアノに向かってみましたが、30分も座ってられませんでした。
大した手術ではなかったはずなのに、衝撃です。
体にはほんと、みなさん気をつけましょうね。
チャンネル登録おねがいします!
ちょっとだけ、仙台のお気に入りのお店を紹介。
青葉区の花京院にあるラーメン屋さん。
『しずく』
まぁ、一昔前はラーメンなんてワンコインちょっとで楽しめるサラリーマンの昼の娯楽みたいなものでしたが…
最近じゃ千円札1枚でも心許無いくらいでして、いつからラーメンが、こんなに高級品になったの?と驚きます。
そんな中で生き残っているラーメン屋さんは流石だなぁと思いました。そのくらい個性が強くて、『ここだからこれが食べられる!』というしっかりとしたウリを抱えているのでしょうね。
ただ。
正直、やっぱりコスパは求めちゃいます(笑)
さて。このしずくの台湾まぜそば。
大盛り、追い飯無料…と。
そして、全部乗せとかでもないけどこの具沢山。
千円札で、お釣りが出ます。その分駐車場は近隣が高いんだけど…何かの用があってついでに…という時はぜひオススメ。
そうね。
このブログ、何か足りない…って思ってたけど。
グルメだね!
せっかく定期的に見てくださる方も居るので、お昼にこんなの見つけました!
というのもあげていこうと思います。
ちなみに。
先日、用事があって秋田へお出かけしてました…
3週間以上前にホテルを予約しようと思ったら、本当に空室がなくて…。
驚きました。結局、唯一ギリギリセーフで予約を取れたのが、『ホテルこまち』。
昔の言い方だと、健康センターみたいな感じ?仙台で言えば、極楽湯とか竜泉寺の湯とかに宿泊がついて、更にジムがついて…というような。
まぁ、お値段もそれなりに祝日料金にはなってしまったんだけど、下手な温泉旅館とか行くくらいなら、全然ここの方が良い!
意外に食べ物が良いんですよ。
まぁ、御膳とか、そういうのではないんだけどね。
なんだろ。普通に居酒屋さんで食べたりとか?そういうイメージだと、質はかなり、上等でした。
術後最初の受診。病理検査結果が出ました。
膀胱癌でした。
幸いなことに浸潤、転移なし。
悪性度もLow Gradeということで。
先日の手術で取り切れているそうです。
ですが、ネットでの情報通り、再発率は高く…
3ヶ月に1回膀胱鏡検査。
再発を繰り返す時はBCG注入を検討と。
家庭学習についてのちょっと真面目なお話。
小学校低学年まではさ、学校で完結するくらいの指導内容だから、まぁ子供によって大きな差が出るということはないんだけどね。
3年生ともなると、少し差が出始めます。
理由は次の通り。
①科目数が増える
社会、理科は意味合いとしては世の中に触れましょうというのがメインだけど、地図記号だったり生き物の種類だったり、『覚える』ということが増えます。
この、『覚える』数がゆくゆくネックになるわけですが…
②考える計算
算数ですね。
足す、かける内容も楽しく暗記がメインだった2年生と比べると、繰り上げ繰り下げ、文章の理解、見たことから情報を整理するという作業が一気に増えます。
③文章から推測する
主に国語ですね。基本的には国語の面白さというのは、必ず文章の何処かに答えがある、というところなのですが…
言い回しを変えたり、主題や結論が何なのかを考える事が必要になってきます。語彙力が伴わないと理解できなくなるのもここらへんからではないでしょうか。
④覚える数
漢字、作者名、作品名、計算式、そして理科、社会は完璧に暗記なのですね。
まぁその他にも色々あるとは思うのですが…基本的に学校の仕組みというのは、授業で5割は知識として頭に入る仕組みになっています。
僕らの時代は8割だったけど、今はグループワークとか、個々で考えるとかそういうスタンスになったのと、学校側もある程度学校外で学ぶ事が前提に変わってきています。中には宿題も一切ない学校もあるくらいですからね。
ということで、残りの5割は下校したあとの過ごし方が課題になるわけです。
親のアルアルですが…
テストにしてもプリントにしても、間違いだけを指摘すること。
確かに心配ですよね。通信簿にも響いたり…
けど、この『指摘』は、学期末や学年末のまとめだけで十分です。
勉強の出来る、出来ないの差は何か?
勉強の質の良し悪しです。
何もしなくても出来る…とまでは言いません。
繰り返しですが、今の学習は下校後の学習が前提です。
だからといって、我武者羅に塾だ、公文だ、教材だ…とやったところで覚える楽しみが苦痛になっている限りは変わりません。
学習の根底。
間違う事を恐れる指導方法は間違いです!
『こんなのもわからなかったの?』
『先生になんて教わったの?』
『全然できてないじゃない!』
これが苦痛の原因です。
この事により、子供は分からないことを隠す。
かつての自分がそうでした。
もう一度言います。
学校で完結するのは5割。
要は、学校の勉強だけで5割を学んでいる子はむしろ勉強の出来る子です。
これが3年生、4年生までの前提です。
これが高学年、中学高校となることで、分からない事を隠してしまった残りの5割が膨らみ、学校で完結する部分が4割、3割と減少していきます。
まず親として出来ること。
分からない部分を指摘するのではなく、分からない事をちゃんと出せた事を褒めます。
ぶっちゃけ、当てずっぽうで書いた答えが偶然正解した…というのが一番厄介で、ドリルやテキストなどの追加教材は敢えて間違ってもらうことを前提にします。
ここから先が、塾や家庭教師、赤ペン先生の出番です。
さて。
人間の脳というのは反復に対する適応能力が非常に優れています。例えば読書や映画、それからゲーム。
良い話は何回でも見返したくなるものです。けど、1回目からすべてを頭の中に叩き込むなんて人はいないよね?
例えば毎年放送されるジブリ映画。
ストーリー的にはラピュタが僕は好きですが…
今では、モールス信号からムスカの『キミはここで待っていたまえ!』
『親方!空から女の子が!』
なんてセリフや効果音まで頭にインプットされてて、だからこそSNSの『バルス祭り』なんてのも、今か今かと大勢の人が、その瞬間を待つのでしょうけど…
大体、1回目は全体像の把握から始まります。
翌年に、シーンごとのイメージや、確かこの先こうなって…という推測をして…
更に翌年の放送では、感動や衝撃以外の他愛もないキャラクターのやり取りが入ってきて…と。
あくまで一般論ですが…
3回目で内容の8割は頭に残るそうです。
そのウェイトは、やはり興味関心ですね。
好きなところはすぐに入るけど、苦手意識があると集中力が途切れます。特に、説明や言い回しが長かったりややこしかったり…
そういう時に初めて先生という立ち位置が生きるわけです。
その、興味関心を持ちにくいところが把握できないと、無駄に時間だけが消費されてしまう。
肝心なところに行き着く前に集中力が途絶えてしまう。
大体勉強が出来ないと言われる子は、この負の連鎖によるものでしょう。
分かるところだけに集中力を費やしてしまうから、わからないところに行き着く前に、達成感が得られてしまうのです。
この点が、現在個別指導が主体となっている所以ですね。
さて。
教材の話に戻ります。
進研ゼミ。あれだけ大々的にCMされると、素晴らしい教材に思えてしまいます。
確かに、赤ペンで丁寧なコメントがついて、わからないポイントを、やさしく傷つけずにやんわりと指摘してくれますね。
けど…
これで完結することはありません。
この教材は、上手な親の介入があって初めて成り立ちます。
最近は、チャレンジタッチという電子ツールがありますが…
お父さん、お母さん。
『◯問理解できました』というメールで満足していませんか?
必ず必要なこと。
本当に理解できたかを反復すること。
まとめの問題も時期ごとにありますが…
大事なのは、習った近辺で反復することです。
それじゃ、他にも何か買ったり習ったりが必要??
これはあくまで小学生の話です。
教科書で十分です!
教科書には必ず単元のまとめと理解のポイントが書いてあります。
教科によって違うのですが…
算数は、効率よく…というのが重要です。
その効率よく…という問題が教科書には必ず付属しているじゃないですか。
あれってちゃんと確認してますか??
2回、3回と繰り返して、理解度が足りない時はもう一度、チャレンジタッチの解説に戻りましょう。
次に国語。
小学生は文章に触れる事自体がハードルが高いことです。今はまして、授業が結構遅くまでかかるので、そこから習い事だ、宿題だ…と。忙しいですよね。
更に読書…。
いや、無駄です。
まずは、教科書の物語や説明文、これを読みましょう。
漢字は繰り返して書くことが大事ですが、書ける漢字まで繰り返す必要はありません。
教科書の下に、新しい漢字があります。
ちょっと手間かもしれませんが…
ノートに平仮名で書いておくのよ。
これ、今週中に漢字で書いてみ?
わからなかったら自分で辞書調べてみ?
10回書こう。
またテスト。
金かける必要はありません。
自分で調べることに意味があって、自分で書くことに意味があります。
物語読み終わったら、感想聞いてみりゃ良いんじゃない?
どういう話だった?
どうしてそれを思った?
言いたいことは何だった?
印象に残ったことは?
段落に分けてこれを確認してあげたらそれでよくない?
無理に印象付けるのではなく…
印象に残す作業を手伝ってあげるのです。
社会、理科も今の段階では公式とかないので…。
どこに行きたいね、どこに何があった?
教科書をもとに身近な例えを考える。
ここまで来て、初めてドリルやテキストの意味が出てきます。
まぁ、イメージとしては週末とか夏休み冬休みなどの長期的な時間よね。
なんなら、親が問題作って繰り返し解かせてもいいわけですし。
何があっても戻る先は教科書ですよ。必ず重要なことは教科書に書いてあります。
これでtestの8割は完結です。
模試とか全国レベルの何かを目指すとか…
私立入試とかなってくると応用が必要になります。
残りの2割や、応用、そのための塾、家庭教師と捉えるのが理想的と思います。
いずれにしても、教科書理解すら至ってない段階で私立だとか考えるのがまずは大きな間違いです。
これは家庭環境とかもあるでしょう。
今日のお話は、僕のようなあくまで一般的な家庭でのお勉強のお話ということをご理解ください。
それ以上を求めるならば、親が教育のプロ、あるいはプロの教育者に任せる、その前段階のお話でした。
何か新しいことを初めるっていうことは、多分だけど…
何かを終わらせるということなんだろうな。
欲張りで我が儘かもしれないけど…
最初に思った感動や愛情って必ず形を変えてしまうじゃない?
それでも根底にあるものって、そんなに容易く変わるものではないはずなんだけど…
何故か日常の中に溶け込んでしまうんだよね。
日常の中の小さな非日常。
それだけでいいから、積み上げて行くことが出来たら素敵なのにね。
そんな10月9日。
皆さんは、SNSってLINE以外にどんなのを使ってますか?
春あたりかな。Twitter、というかXの不調が続いて他のSNSがここぞとばかりに名乗りを上げた時期がりましたね。
そもそも、『X』という名称も未だに馴染まない僕にとっては、ドラえもんやサザエさんの声優交代よりも衝撃が大きくて、未だにTwitterと呼んでいるくらいなのだけど…
Xの機能性やサービス内容云々よりも、名称がどうもピンと来なくて好きになれないまま、その時期に名乗りを上げた新しいSNSに一通り登録したけど、同じタイミングで自分のスマホが調子悪くなり機種変。
そのまま、色んなSNSのアカウントを作成した事自体忘れていた…
先日、それこそX内で、SNSツールの信頼度ランキングみたいなのが出ていて、『あぁ、そう言えば…』と思い出したのがこちら。
https://bsky.app/profile/mittyonote.bsky.social
ブルースカイ…ですね。これ、覚えてますか?
あの時はプロフィールとか作る時点でスマホがホントに調子悪くて、プラスで動画アップできなかったので挫折したんだけど…
昨日改めてアカウントを整備して、無事利用開始しました!
いやぁ、元TwitterのCEOの方が作ったんでしたっけ?
一言で言えば…
さすがです。
ちょっと傲慢なイーロン・マスクさんはさておき…
最近のXの、卑猥な広告やらインプレゾンビやら、ゲンナリする上にちょっと商売的な方向性に走り出してますよね。
という中で、様子見といったところだったわけですが…
ThreadsはまぁFacebookやインスタ自体がうまくいってないところもあり…
検索機能というところも僕が求めるものではなかったのでそのままフェードアウト。
タイッツーなんてのもでてたけど、まぁそれはネタでしょう。
で、このブルースカイ。
まだまだユーザー数は少ないのだと思う。現に、ベガルタの検索なんかも、Twitterでは1時間毎に何十件もの記事を見かけるけど、ブルースカイは1日に2〜3件ペース。
ただね。
仕様は正直、良いんですよ、これ。
すごく。
まぁほぼほぼTwitterで使えていた機能はそのまま引き継ぎ。当然ですよね。
そして、文字数も300文字かな。
最近のSNSは動画や写真がベースなので、僕にはあまりしっくり来なかったんだけどね。
これなら良い感じじゃないか?って思ってます。
もうちょっと知名度頑張って上げてくれたら、これはかなりイケるのではないかな?
ということで。
まだフォローもフォロワーも、誰一人居ない状態です。
もし、ここをご覧の方でアカウント持ってるよ?とか。
作っただけで使ってなかった…という方いたら、一緒にこれ広げませんか?
というお誘いでした。
さて。
ユーチューブももちろん、チャンネル登録お願いします!
もう数年前の夏の日のこと。
仙台市から国道4号線を北へ。三本木町のひまわりの丘での出来事。
真夏の太陽の光を浴びて、少しだけまぶしそうに微笑む向日葵。
その微笑みを、自分だけのものにしたくて、小さな足を力いっぱい伸ばし覗き込む、小さな女の子。
『お父さん?向日葵さんはなんで、みんなおんなじ方向を向いているの??』
優しい声で、微笑みながら言葉を返す父親。
『みんなお日様の光を沢山浴びたいんだよ。向日葵はね??お日様の光を沢山浴びないと、大きくならないんだよ??』
『じゃ、あたしも沢山お日様の光を浴びたら大きくなれる??』
『う~ん。そうだねぇ。お日様だけじゃなく、色んな事に向き合う勇気があれば、きっと大きくなれるんじゃないかなぁ。』
愛が溢れる優しい親子の会話。
ここ数年、犯罪の低年齢化が話題にされたり、目を背けたくなるような虐待の実態を報じられたりする中で、久しぶりの心休まる親子の会話で、本当に愛娘の育つ未来が素敵なものであって欲しいという願いを感じられるようなその父親の愛ある返答に僕は、脱帽だった。
僕らが見ていたい未来は、いつだって希望に満ちたもの。
だからこそ、その未来がそうでなかった時、物凄く失望してしまう。
信頼していたものが、いつも信頼できる存在であるとは限らない。
時には事実という名の虚偽がどうしようもなく悲しかったり。
自分の力が及ばない事の不甲斐なさがもどかしかったり。
一つ幸せを知って、一つ絶望を目の当たりにする。
大人になるって、きっとそういう事。
小さな頃に積み上げた夢を1つずつ切り崩していくような単調な毎日。そんな中で、僕はその親子の会話に強い関心を抱いた。
もしかしたらその父親の言葉、本当は僕自身がしっかりと受け止めていかなければならない事なのかもしれない。
『お父さん??向日葵さん、みんな笑ってるね??』
『沢山の人達が見に来てくれるんだもの、悲しい顔なんて見せられないだろ??』
『じゃ、ホントは向日葵さん、悲しいの??』
『それはお父さんも分からないなぁ。きっと、悲しくても笑顔でいられる強い心を…って、教えてくれてるのかもね。』
混沌とした毎日の中で、例えばその毎日が、本当は幸せな物だったとしても、僕らは次から次へと、様々な不満や憤りを探し出す。
そんな悪循環から僕らを脱却させてくれるものって実は、ほんの小さな笑顔だったり、その笑顔に向けられた愛情だったり、日常に溢れているごく身近なものなのかもしれないとその幸せそうな親子に教えられたような気がした。
子育てというほどではないが、日々子どもたちと接する中で、子どもの発想というのは時に、ハッとするほど核心を突いていたりする。
そんな時、僕にもその核心をしっかりと受け止め、愛ある返答を導き出すことが、果たしてできるのだろうか??
夏の終わりがくると、いつも思い出すこのワンシーン。
その当時はまだ子育てとは無縁で、ただひたすら、父親の威厳ではなく包容力というものに感服して帰りの車に乗り込んだ。
今、自分も同じ立場となって、それでは自分も同じように、夢の先を柔らかく示唆する事ができているのだろうか?というと、甚だ疑問である。
単純に年齢とともに、こういう部分って自然に備え付けられるものなのかとも思ったけど…
多分僕には未だに難しいだろうなぁ。