人類や中国や東アジアの歴史では、(宗教は別にして)最初に起こったのはやはり「部族の首長や部族國の王」だったんでしょうね。そして東アジアでは、周もまだ「多部族の王の併存競争状態」であって全体の統一状態ではなく、中国での最初の統一國の皇帝としては秦の始皇帝が最初であり、皇帝に対して、地上と宇宙の天の両方を支配する抽象的なトップとしての「天帝」の「直接的な子」という事での「天子」という思想的宗教的文言が作られたんでしょうね。そして「天皇」という文言は、「天の皇帝」ではなく「天の白い帝」ですから、天帝の直接的子や子孫ではなくて「天帝とは傍系関係の諸侯や各地の支配王者」として作られた文言であったんでしょう。そして東アジアや半島や列島では、(中国の皇帝や天子ではなく)ずっと「地方地域の王権」として成立した諸国であったのであるから当初は単に「王=諸侯」であったのであり、列島でも、旧石器末の南方系褐色人類の渡来が最初であったようで、氷河期に北方シベリアからの中近東部族や白人系の鮮卑やユダヤ系らが、寒冷気候に耐え切れずに太陽や温帯気候を目指してバイカ湖から黒竜江(アムール川)沿いから列島日本海側や房総半島や済州島などに移動渡海して移住して来ており、更に中国の周の周辺部族であった倭人が半島経由で海峡付近から北部九州に渡来して来ており、また周代の周王朝の姫氏になる呉王夫差の遺民の「姫氏」が肥前肥後の「火の国山門」に渡来して来ており、また、更にまだ南方褐色人種系の人々が、南九州や足摺付近に住み着いて、当初は「王」を名乗っていたようですね。