避難所からの帰り道。

ほとんど交通量がなく、快適に運転していた。


すると突然、ハンドルがとられそうになるほど、

右に左に車が揺れた。

 「道路が地震でガタガタになったんだなぁ」。

 「あれ?なんで隣の車は急に止まったんだろ?」

のんきにそう思いながら少し走った。

すると変電所のそばにきた時に、電線がバチバチっとして

空がものすごく明るい青水色に閃光!

ビビッた。

一瞬で街灯も信号機も家の明かりも消えた。

車のライト以外は真っ暗闇になった。

ようやく地震だと気がついた。

あわててラジオをAMにすると、緊急地震速報の警告音。

 「うわっ、ヤバイ!大きかったみたいだ。津波警報がでてる!し!!!」

避難所にいる弟に急いでメール。

避難所は山の上だし大丈夫、と聞きひと安心。

あとは自宅だ! 

眠気も吹っ飛び、大慌ててで帰宅。



わんこ達の無事を確認し、

急いでブレーカーを落としてコンセントを全部引っこ抜いた。

ガスの元栓を閉め、水が出るか確認。

そしてラジオに耳を傾けた。

・・・が、疲れていたため朝まで眠ってしまった。

目覚めると、他県まで大停電。

3・11でなんともなかったところで被害が出たみたいだし、

余震なんて言えない規模。

あの日以来、

夜の7時8時になるとその日1番の大きめの余震が必ず来ていたが

最近はそれがなかったので油断していた。


会社やスタンドから「本日営業中止」のお知らせがくるし、

せっかく稼動し始めたところなのに、

またガスが止まったところや

水漏れが起きている。

またもや大変な事態である。



もう1発、本番が来るのではないか・・・・恐怖。

昨日、避難所へ行ってきた。


たくさんの善意をいただき、

財産を失った人たちが救われている。

でも避難所の自分のスペースが、

配給品で物だらけになっている。

何をもらったのか聞いてみた。

風呂が無いのに、ボトルシャンプーが8本。

固形石鹸が15個ぐらい。

使いきれない歯ブラシに歯磨き粉。

消費期限が短いお菓子。

1月2月の真冬に着るような衣類。

今、必要としていない物であふれているような状態。


今、何が欲しいか聞いてみた。

プライバシーがないから世帯ごとに囲いを作ってほしい、

カレーとか肉料理、揚げ物は老人にはきつい。

仮設風呂を作って欲しい。

薄手の衣料品やサイズの合った靴、

貴重品を持ち歩けるかばん。

このようなものが欲しいそうだ。


本人でなければ気がつかない要望。

NHKで桜開花の映像をみた。

花がきれい、桜がきれい、

などと思うことがなかった。

心が乾いているんだね


被災地の弟に欲しい物がないか聞いた。

「安らぎがほしい」とひと言。


もうすぐ地震から1ヶ月です。

爺さん用に、

布団の下に敷く防水シートを買ってくるように依頼された。

大人オムツは、このところどこでも買えるようになったが、

おねしょシートっぽいものは売っていない。

介護用品の入荷はまだまだといった状況だ。

ネットで注文して届くのを待っている時間がない。

今週、避難所に持って行くのだから。

母は、こっちでも手に入らないものを要求してくる。

私が住むこの地も被災地、という認識があまりないようだ。

都市だから売っているだろう、

どこかでそう思う部分があるのかも。

水のいらないシャンプーも必要といわれた。

だけど、売っているのを何週間も見たことが無い。

薬局の棚は、

医薬品や髪染めやシャンプーばかりが豊富で、

日用品はいつも物がほとんど無いのだ。

トイレットペーパーなんて、

1巻き30円で売るひどい店もあったり。

母はここの状況を知らないし、

見ていないのだからしょうがないのだけど。


肉親内でも、多少の認識格差がある。

それが被災者、被災地と平常生活者の間では

もっと認識格差が出る。

本当に今、必要としている物。

これからの支援物資は見極めが必要。


交通機関だって、

食料だって、

ガソリンだって、

ライフラインだって、

まともに機能していない、私が住むこの地。

まだまだ大変な環境下。

でも、会社は稼動することになり、

数日前より勤務開始となった。


私の勤務先は、手厚いことをしてくれている。

日常生活がストップした混乱期に

必要物資を調達し支給してもらった。

3月のお給料は満額出してくれる。

今月の勤務日数を配慮してくれた。

稼働率より働く人間のことを考え、

バックアップしてくれる姿勢。

それが口先ではないのが、働いていて感じる。



たいそうな額の義捐金を集めたところで、

社員に対して冷遇している会社だってあるだろう。

そんな名ばかり企業は

この先、ネットで知れることになるのだろうか?

仮設住宅にとりあえず入居できれば、今はそれでいい。

とはいえ、

大量の被災者が

その地にとどまるであろうこともわかっている。

入居の優先条件で、

高齢の爺さんがいるとはいえ、

優遇される保障はどこにもない。

だって高齢者が多い町だから。

だから、実家では家探しを他県まで探しに行ったそうだ。

一軒家を探し、仮申し込みをしてきたそう。

でも同時に仮設入居の申し込みもするそうだ。


実家は7部屋ある大きい家だった。

まだ10年足らずだったのに。

頑張って建てた父が、一番悔しいだろう。

津波の威力はすごかった。

家屋は土台から数メートル動き、

1階は潰れ2階部分だけが残った。

お隣なんて、建てて1年ほどの真新しい家。

だが跡形もないそうだ。

お隣だけでなく、周りの家々が消えた中、

実家だけが敷地にポツンと残っている。

そんな光景らしい。


幸い、地震保険に加入していたので、

火災保険しか加入していない方々に比べれは、

それでもまだよい方なのかもしれない。

泣くしかない人、

死ぬ道しか考えられない人、

そんな人はいっぱいいる。


生半可な復興策、

微々たる支援、

せかせるような勇気付け、

最終的には 「後は自身で再建を」

そんなこと言われたって、

精神的回復も経済的回復も到底ムリ。

行き止まりの道しか見えないようなこの状況。

どうなるのか・・・

どうにもならないのか・・・

壊滅的になった町の復興も大事だが、

お願いだから、

そこに残ってくれる人の生活基盤復興も大事にしてくれ。


仮設の入居は2年までだよ、

地震保険でローンはチャラにならないよ、

家屋補修や新たに家を買ったりしたら2重ローンだよ、

そんなわかりりきった事を、親切顔して言わなれたくない。

ネットやニュースや新聞から拾ってきた情報なら

私じゃなくたって知っている。

被災者の誰もがそんなことを聞きたいわけではない。

今、

番組開始後一番の

被災地映像をはなまるで見た。

あれは何?

頑張ろう!頑張っている風な演出でしかない。

何度も言うが、

現実にそこにある被災者感情は違う。


避難所に行った時、

テレビ取材がうろちょろしていた。

うちの両親は、

どこから映ってもわからないよう

背を向けマスクに帽子で顔をかくしていた。

取材だからって何でも許されるわけではない。

同じ状況の人たちが隣り合わせで眠る避難所。

一人、または一世帯、

ポツリポツリと、

部屋を借りることができ退去していく人がいる。

または、しかたなく遠くの身内のもとへと

身を寄せることになり退去する人。


自分たちはどうしよう・・・

どうしたらいい・・・

仮設に入れるかな・・・


同じ境遇で「みんな同じ」という安心感もあるが、

自分だけが取り残されたような不安になる。


うちには90歳代のじいちゃんがいる。

足がおぼつかないので、

避難所のトイレまで付き添いが必要。

弟がじいちゃんをトイレに連れて行ったとき、

「殺してくれ」

ポツリと言ったそうだ。


福島の農家の方が自殺したニュースを見た。

死んだほうがまし、と思ってしまうこの絶望感。

現実問題に直面して無い人には到底わからぬ現実。

それが被災地にはある。


うちだけではなく、各世帯の悩みはさまざまで深刻。
心のケア、

相談員、

いのちの電話、

法律相談、

そんなもんでどうにかなる世界じゃないよ。

「何とかしたい」

「できることはある?」

根拠もない思いと言葉、

ありきたりのアドバイス。

そんなことで救われる人はいない。


国はどうするつもり?

被災地入りして、

道路が作ってある場所に行って見た。


そこは、

港に立つ大きいオイルタンクがすべて流れてきて、

広範囲に引火した悲惨な地域。

ガレキも車も鉄骨も真っ黒。

爆弾を落とされたように、

ボンボン爆発してすごかったそうだ。


自衛隊員のそばに

毛布にくるまれた小さいものが3つ。

きっと、ちぎれた遺体。

まだガレキの下には、たくさんいるだろう。

粉々になったガレキの中で

人だとわかるような姿で発見されることは

この先、ないのかもしれない。



いとこが安否不明、

友達の父が焼死、

連絡が取れない友


あとからあとから、

自分に近い人たちの、

言葉にならない実情を知ることになった被災地入りだった。

実家の家族がいる避難所。

そこはおそらく、他の場所よりも恵まれていると思った。


私が行った日の避難所の夕ご飯は、

牛丼に温泉玉がのっかっていた。

あとは味噌汁、ペットボトルの水。


「ご飯は温かいものがちゃんと出るんだ」

そう聞いてはいたが半信半疑。

で、おにぎりをいっぱい作って持っていたのだが、

やはり言っていたとうりだった。

被災地にはちゃんと物資が集まっているんだなぁ、

と実感した。



私が住む場所では地震以降の2週間、

お肉なんて売ってなかったし、

レトルト牛丼だって品切れ状態。

卵だってもちろん売っていない。

というか食品に限らず、あらゆる店が閉まっていて、

物が買えなかったのだ。

開いていても、一人10点までの購入が多かった。

カップ麺は一人1個までだったり、

空腹を満たせないお菓子しか買えなかったりで。

何時間も並んだけど、

結局は3個しか購入したいものがなかったり。

お財布にある紙幣は、ただの紙切れでしかなかった。


私は大半をカップ麺やジャガイモだけのカレーですごした。

家があり恵まれているわけだから、ヒモジイなんて言ってられない。

少ない食料でどうやって食いつなぐか、サバイバル

期限が切れたものも躊躇なく食べた。

冷凍庫で解けたものも数日後に食べた。

こんな毎日でした。



買いだめはしない、

無くなるギリギリまで補充しない性格、

今回はそれがあだとなってしまった。

地震から数日で、

「冷蔵庫にも冷凍食品も保存食も生活用品も何もかも無くなりそう!

「売ってないしどうしよう・・・」

というおそろしい事態になってしまったのだ。

これからは、1品1つの予備を持とうと思った。




なにより一番痛感したことは、

昨日までの当たり前は贅沢でしかなかった、ということ。