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Mind Shift

「すべては心(Mind)の持ち方によって変わる(Shift)」

をモットーに、

働くこと、生きること、楽しむこと について

日々の気付きを書いています。


「日々の振り返り、気付きの言語化から

 自分の行動の"バグ"を修正することの大切さ」

は、平成進化論の鮒谷さんから学びました。



"バグ修正"のやり方として、いざやろうとしてみると

「○○をやってしまった(or やらないままにしてしまった)なあ。

 自分は△△だ( ex. ねばりがない)。

 今後は、□□さんのように●●(ex. 根気よく)しよう!」

といった振り返りに陥ってしまいがちではないでしょうか?

(私だけ・・・かもしれませんが)



上記の例のように考えて、「根気よくしよう」と思って、

いくらそのときは気合いを入れても、

悲しいかな、人の意思というのはもろく、

ほぼ100%、次回もねばれないでしょう

(特に私の場合、苦笑)



ではどうすればよいか?

一つの案として、

「一連の出来事の因果関係を事実に基づいて考え、
 
 自分が真に望んでいた結果につながっているかどうかを見る」

という方法が効果的です。


ポイントは「事実に基づいて」と、

「自分が真に望んでいた結果につながっているか」

というところです。


感情や心の変化を振り返るよりも、

「何をしたからこれが起きたのか」という事実をおっていった方が

変に自分をさげすんだり、逆におごったりすることがありません。


また、すべてのことを品行方正・完璧にしようとしても

無理があるので、

「もっと●●できればよかった」と思っても、

それは間違いなく「自分が真に望んでいた結果」かどうかを

見極めて、大切なことがらについての行動のバグ修正に集中した方が得策です。


「まあ、たしかに●●できた方が社会的にもいいけど、
 
 自分としては実はそこまで望んでいるわけではない」

といったことが意外と沢山あるのではないでしょうか。

見栄や世間体はだれでも多少はあるもの。

それはそれで大切ですが、

行動の"バグ修正"をやる際には、劣後順位をつけることも

必要だと思うのです。




こうしたバグ修正の方法を身につけることは

自分の成長にとって欠かせない重要事項。

日記の中で取り組んでいきたいと思います。



先日、


3週間の一時停止は7週間分の後退。」と書きました。

「進歩」と「後退」のバランスについてのお話でしたが、

同じように、

「インプット」と「アウトプット」のバランスも考える価値が

あるのではないかと思います。



新聞や雑誌、WEBサイト、書籍からはじまり

友人や知人、取引先の人といった人からの情報に渡り、

あらゆる情報を「インプット」している私たちは

つい、「インプットをしていると何となく自分が成長した気」

になってしまいがちです。

(少なくとも私はそうです・汗)


確かに知識を得ている、という意味では成長かもしれませんが、

「新しいことを理解し、新しい知識を得たことに満足する一瞬」

が過ぎ去ったら、次の瞬間には、インプットしたことが何だったのか

十分に説明もできないくらい忘れてしまっている、

という有様に陥っていることはないでしょうか。



「新しいことを理解し、新しい知識を得たことに満足する一瞬」に

快楽を覚える「インプット中毒状態」かもしれません。




結果に結びつくのは行動のみであることを考えると、

「沢山の崇高な情報をインプットすること」よりも

「どんなにしょぼいアウトプットでもすること」の方が

狙う成果かどうかはともかく、なにがしかの結果をもたらすと言えます。



結果が一朝一夕に出るものではなく、

日々の蓄積の上に成り立つものであるとするなら、

毎日毎日、インプットよりも1ミリでも多くのアウトプットを

し続けることが不可欠ではないでしょうか。



ここでは「毎日」ということがポイントだと思います。

なぜならば、インプットの方がアウトプットよりも多い状態だと、

インプットによる快楽から、インプット中毒サイクルが

すぐに回りはじめ、加速度がついてしまうからです。



インプットの快楽へ溺れるのを防いでくれる唯一の道である

アウトプットについて、

明日も引き続き考えてみたいと思います。



本日は、夏バテか体がだるくなってしまい

1日中家にこもっていました。


長時間寝て、食事をし、少し読書をしてまた寝て、食事をし、

お風呂に入って、睡眠へ・・・

と生活しているとあっという間の1日でした。


こんなにも24時間は早くすぎるのか、

と改めて感じ、


何も意図していなければ、

1週間も、

1ヶ月も、

1年間も、

10年間も、

「こんなにも早く過ぎるのか」

という感想で終わってしまうのではないかと感じました。


1日も、10年も同じで、

何も意図せず時を過ごす、というのは

恐ろしいことです。。


最近、深い睡眠を十分に取れていなかったことを

言い訳にするのも悲しいので、

わずかな時間でも読んだ本をもとに考えたことを

ノートに記して、明日の早起きに備えたいと思います。




いつも、何かと体か頭を動かしていないと

心もとなく、心配になってしまう自分としては、

何もしなくてもそこにただいるだけで

安心・幸せ、と思える時間は結構貴重な時間です。


「人生は長くて短い」というのは直接・関節的に

知っている先輩方からよく聞く言葉です。


「焦燥感」が生きる原動力になることも多々あり、

今の不安から生まれる努力が未来の安心につながると

思うので、特に普段の自分を否定はしませんが、

一方で無条件に安心できる時間があることも

大切なことです。



そういう時間をもたらしてくれる人に

きちんと感謝ができているか。


戦争のストーリーをよく読んでいるこの夏は

そんな反省もさせてくれました。

感謝を伝えて生きていきたいと思います。






先日、行ったお台場の景色を見て、

「どこかで見た景色とよく似ているなあ」

と思っていたら、

よく似ていたのは先月訪れたシンガポールでした。


高層ビルと、海、そしてよく整備された商業施設に、

常夏の格好をした観光客。

中国語の表示も沢山あって、話されている言語が

日本語中心か、英語中心か、くらいの違いに感じました。


もちろん、そこで行われている経済活動など、

よく見れば違いはあるとは思うのですが、

「都市の金太郎飴化」を感じました。


綺麗で、便利で、食欲・購買欲を掻き立て、

人とお金を集める、

ということを狙いとして、似たような街づくりをするならば

時代の流れから考えると、お台場はどうがんばっても

シンガポールには勝てなさそうな気がしてしまいました。




「世界中どんな都市に行っても同じ」という「金太郎飴状態」から

抜け出せないと、都市として生き残れないのではと思ってしまいました。




私でもそんな風に思うのならば、他の人もそう考えているのでは、

と思いを巡らせて、はたと気づきました。


「もしかしたら、既に脱・金太郎飴都市を目指して取り組んでいるのかもしれない。

単にそれが見えていないだけなのかもしれない」


ということは、

自分の目の節穴度合いを豪快に脇に放り出すと、、

「相当分かりやすく差別化しないと、差別化したことにならない」

のではないかと。




「脱・金太郎飴サラリーマン」を目指すなら、

「相当分かりやすく、差別化しないといけない」

ということも同じなのでしょう。



のんびり歩いていたはずのお台場ですが、

お台場の心配をしている場合ではないことに気づいた休日でした!