平安時代の建物は、身舎/母屋(もや。建物の本体部分)の四方を廂/庇(ひさし)の間が取りかこみ、さらにその外側に簀の子縁(すのこえん。外廊下)を作ってあります。身舎と廂が屋内、簀の子が屋外です。
身舎→廂→簀の子の順に床が低くなり、格式も下がります。どの高さの床に座っているか、畳を敷いているか、畳は1枚か2枚か、といったことで身分の差がわかります。たとえば、道長の従者 百舌彦が簀の子に上がっていたということは、意外とエライんですね。ただの平民なら庭にひざまずきますから。
天皇の日常生活と政治の場である清涼殿の南廂にあるのが殿上の間(てんじょうのま)。『光る君へ』では、花山天皇がグデグデしたり、道兼の衣を脱がせて筋肉を観賞……もとい、傷跡を確認したりしていたのがこの部屋です。昼の御座(ひのおまし。天皇の御座所)とは壁一枚を挟んだだけの部屋なので、許可なく入ることはできません。
殿上の間に入る資格を持つ者を殿上人(てんじょうびと)と呼びます。そもそも公卿の控室なので、公卿は当然入る資格があります。蔵人たちは天皇の行くところにはどこでもついていくので、入れないと仕事にならない。ただ、蔵人は殿上の間の南に一段低く張り出した小板敷(こいたじき)というところに座ります。
さらに、四位・五位の人でも昇殿を許されることがあります。家格が高かったり、天皇の近い血縁だったりすると許可が出る。昇殿できない人たちを地下(じげ)と言います。
第9回で安倍晴明が花山天皇と面会していましたが、地下人の晴明は昇殿できないので、清涼殿の東庭に立って天皇と話していたのです。
話していた内容がエグかったね。弘徽殿女御が成仏するには、花山天皇が出家するしかない、なんてね。なんとも言えない胡散臭さで、
「主上、そんな奴を信じちゃダメです!」
と教えてさしあげたくなりました。弘徽殿女御を呪詛したのはソイツですよ……。