道兼が花山天皇の側近として信頼を得ていたことは、歴史の謎のひとつです。花山天皇の退位でいちばん得をするのは右大臣 兼家パパであり、道兼は兼家パパの息子である。どう考えても花山天皇が道兼を近づけるはずがないんですよね。『光る君へ』では、ここをうまく処理したなぁと思います。
世継ぎをめぐって花山天皇と外叔父 藤原義懐の関係が悪くなったところに、兼家パパに虐待されている(という設定の)道兼が入りこむ。しかもその時、花山天皇が信頼するダメ時パパは妾の看病にかかりきりで花山天皇のそばにいられず、道兼の動きに気づかないという巡りあわせ。フィクションの力で歴史の謎がひとつ解けています。これぞ歴史ドラマの醍醐味です。
『光る君へ』では『大鏡』の記述に添いつつ、さらに道兼がヤな野郎になっていました。史書によれば、花山天皇の落飾を見届けた道兼は、
「出家前の姿を父に見せたら、かならず戻って剃髪いたします」
と大ウソをついて、花山天皇を置き去りにしました。しかし、本作では、
「お仕えできて楽しゅうございました」
と花山天皇を煽ってから立ち去る鬼畜っぷり。花山天皇がコロッと騙されてくれたのがよほど嬉しかったんだな。あんた、俳優の才能があるよ。
すっかり騙されて傷ついた花山天皇ですが、紀行のコーナーでも取り上げられた通り、西国三十三所霊場を整備するなど、仏道修行に励まれました。……数年で飽きたらしいけどね。花山天皇の暴走人生は、まだ始まったばかりだぜ!
一方、道長はまひろに恋文を贈り続けていました。女手(おんなで。平仮名)で『古今和歌集』から引いた恋歌を贈る道長。それに対して男手(おとこで。漢字)で返すまひろ。意図を測りかねた道長は、まだ中学生の藤原行成に相談しました。斉信や公任に相談したら、絶対からかわれるもんね。
「和歌は心を表し、漢詩は志を表す」という行成の解説をもらい、道長は漢文でまひろを呼び出しました。でも、まひろに会うなりやったことは、バックハグからのチューだよ! なんも伝わってねーな!
まひろが引用した漢詩は、東晋の詩人 陶淵明の『帰去来辞(ききょらいのじ)』で、「帰去来」は「帰りなん、いざ」と訓じます。『文選(もんぜん。中国 六朝時代の詩文集)』に採られているので、平安貴族ならみんな知っています。
〈がんばって官吏になったけど、もう辞職したい〉という内容は中国詩文のテンプレートなんですが、免税特権や不逮捕特権を投げ捨ててまで辞職する人なんかいませんよ、普通。でも、陶淵明はほんとに辞職しちゃったので、中国では言行一致の漢として尊敬されています。東晋はロクな国じゃなかったので、辞めて正解だけど。
『帰去来辞』の前半部分の大意はこんな感じ。
国と民のために尽くすという志で官吏になったのに、やっていることは上司のご機嫌取りばかり。なんで官吏になりたいなんて思ったんだろう?
行くべきではない道を来てしまったけど、いまなら引き返せる。昨日までの自分は間違っていたと今日わかった。(この部分が、まひろの3通目に引用されている)
さあ、故郷に帰ろう! 故郷に残してきた家が朽ち果ててしまう前に。
まひろは「道長のあるべき場所、東三条殿に帰れ」と言っている。でも、道長は「官を辞す」と受けとったのかな。官を辞してどうするんだい?
海の見える遠い国で、民間人として暮らしていくことなんてできるんだろうか。苦労した挙句、一時の激情に身を任せたことを悔やみ、止めてくれなかったまひろを恨むようになるかもしれない。
直秀を失った空白をほかのもので埋めようとしていることが、まひろにはわかっているのでしょう。まひろも自分のせいで母を失ったとき、道兼と為時パパへの恨みに縋りついた記憶があるから。でも7年の時を経て、心より志を、感情より理性を、現在より未来を優先させられるようになった。
まひろは道長を東三条殿に帰してやらなきゃいけない。道長は陶淵明のようなただの官吏ではなく、国と民に尽くす天下人になりうるのだから。