星野洋品店(仮名)

星野洋品店(仮名)

とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

第13回は天正10年6月下旬、いわゆる清須会議回です。父 織田信忠の城である岐阜城にいた三法師(織田信長の嫡孫)ですが、本能寺の変以降、危険を避けて清須に移っていました。明智光秀が滅びた後、宙に浮いた領地の分配と、幼すぎる織田家当主 三法師の後見をどうするかが清須会議の議題です。

 

会議を前に、柴田勝家は清須にいたお市を訪ねました。食が進まないというお市のために、北陸の海産物を持って。おお、へしこだ。サバなどの青魚を米ぬかで漬けた発酵食品です。

 

へしこ

 

勝家はお市に合わせる顔がないと言って帰っていきましたが、続いて尋ねてきた秀吉には、お市はすぐに襖を開けさせました。兄 信長からの手紙を周りに敷き詰めて、憔悴したお市は座っていました。夫も娘たちも、お市の一番にはなれなかったんだな。

 

織田家のために、柴田勝家に嫁いでほしい。そう頼んだ秀吉に、すっかり大きくなっていた茶々は憤りましたが、お市は淡々と勝家の同意を取るように告げました。

 

 

 

本能寺の変の時点で方面軍として組織されていたのは4軍。

  • 中国方面:羽柴秀吉
  • 北陸方面:柴田勝家
  • 四国方面:織田信孝・丹羽長秀
  • 関東方面:滝川一益

京から一番遠かったのが滝川一益で、上野国 厩橋城(群馬県 前橋市)にいたのが不運でした。大勢力の後北条氏と接し、武田家が滅亡して2カ月余の旧武田領はまだ落ち着かない。6月27日に結論が出された清須会議には間に合いませんでした。というか、この状況でよく無事に帰ってこられたね?

 

いままで信長さまLOVEで頭がいっぱいで、政治的思考なんてピコグラムほどもなかった羽柴兄弟ですが、秀吉はすっかり黒くなっちゃって、滝川一益がいないうちに会議を終わらせようとします。小一郎、止めないのか? 武士歴20年に及んでも中学生みたいな理想論しか言わなかったお前が、これを黙って見逃すのか? 

 

それほど嫡男 与一郎の死の影響が大きかった、ということなんでしょうけどね。羽柴秀吉が勝ち続けて出世したってことは、身内の死を嘆く敵軍の家族を何万人も生み出したってことなんだがな? 自分の身内が死んで、いまさら傷つくんだね。さるコラムニストが「小一郎はおのれの加害性に無自覚だ」と書いたのは、こういうところが癇に障ってたんだろうなぁ。

 

 

小一郎は丹羽長秀におべんちゃらを言って、事前に意向を聞き出そうとします。ゲーム『太閤立志伝』で、丹羽長秀を茶会に呼びまくって好感度を上げていたことを思い出した。長秀は結局なにも決めてなかったけど。つか、軍師官兵衛を連れて来てないの? だったら、小一郎が竹中半兵衛から魂の伝授を受けた、という設定のほうがよかったのでは?

 

柴田勝家は、山崎の戦いで功績がある織田信孝を三法師の後見に推しました。池田恒興は信孝より格が高い信雄推し。摂津をもらう約束をしたらしい。信雄が勝手に決められることじゃないと思うけど。

 

 

会議前に織田家以外の者だけで集まった柴田勝家・丹羽長秀・池田恒興は、秀吉からの提案に驚きました。天下人どころかただの大名すら務まりそうにない信孝・信雄ではなく、4重臣の合議で三法師を支えてはどうか。

 

丹羽・羽柴・池田はそれぞれ織田家との血縁や乳兄弟の絆があるけど、柴田にはない。勝家がお市さまを娶れば、ほかの3家同様に織田一門衆に準じる家として三法師さまをお支えできる。えーと、いつか織田家を滅ぼすつもりだから、柴田勝家とお市さまをまとめて葬る算段ですか?

 

 

そこに小一郎が駆けこんできました。三法師が信雄の息がかかった侍女にさらわれた! Why? さらってどうするの? 「信雄叔父上の世話になりたい」という言葉でも仕込むの? サクッと暗殺したほうが後腐れがなくてよくない?

 

じつはセキュリティ意識ゼロの信雄の部屋で、小一郎は三法師付きの侍女の姿を見かけていたのに、泳がせていたのです。いや、紀行で三法師が26歳まで存命だったと明かされてるけど、それを知っているのは後世の人だけ。とりあえず拘束しようぜ?

 

 

4重臣+小一郎はリアル脱出ゲームのように清須城内を探し回り、ついに倉庫に隠されていた三法師を見つけ出しました。一度も泣かないとは、大人しい子だな。三法師付きの侍女が斬りかかってきたために棚が倒れ、秀吉は三法師をかばって覆いかぶさりました。

 

思いのほか被害が少なかったのは、秀吉の背後で柴田勝家が倒れてくる棚を食い止めていたからでした。お、お前をかばったわけじゃないんだからねッ! 勝家がやけに袖幅の狭い変な小袖を着ているなと思っていたけど、ケガしたところを見せる演出のためでしたか。三法師は福島正則が抱えて連れて行きました。あんたら、関ヶ原の前哨戦で戦うんやで?

 

22年前、信長に従って桶狭間へ出陣した清須城で、4重臣+小一郎は三法師行方不明事件を解決して絆を深めました。絶体絶命だと思っていた織田家がいまあるのは、信長さまの果敢な決断のおかげ。信長さまの夢を託すに足りない息子どもは放っておいて、三法師さまの成長に期待しよう。4重臣で三法師を後見することが決まりましたが、柴田勝家はお市さまとの結婚は断りました。あの方を娶れるような男ではない。

 

 

 

京、妙覚寺。本能寺の変の際に織田信忠が宿泊していた寺で、織田家新当主 三法師へのお目見えが行われました。このあたりは『太閤記』準拠でしたね。秀吉は腹痛と称して家臣の座には加わらず、三法師に小袖を着せていました。羽柴家の女性たちに気晴らしを与える意味もあって、秀吉の馬印である瓢箪柄の小袖を縫わせていたのです。

 

三法師を抱えて上段の間に現れた秀吉は、おのれが筆頭家老として三法師を支えると宣言しました。

「うむ、頼りにしておるぞ、秀吉」

あらかじめ仕込んでおいたセリフを三法師に言わせ、満面の笑みを浮かべる秀吉でしたが、残る3家老の視線が突き刺さるようでした。だよね。4家老の合議制のはずが、秀吉が筆頭ってことになっちゃってる。そもそも合議制なんてすぐ破綻するものだけどね。どこかの豊臣家に五大老ってのがあったけど、うまくいかなかった。秀頼/三法師のもとに重臣が常駐するのは現実的じゃないから。

 

 

妙覚寺での一件を知ったのか、お市は勝家を呼び出しました。

「わたくしを娶れ」

逆プロポーズ! まあ、こうでもしなきゃ、あの勝家がお市さまと結婚するわけないよな。

 

でもさ、お市さまは単にサル兄弟をどやしつけてやればいいんじゃない? べつに柴田勝家と連合して羽柴家に対抗する、なんて大げさなことにしなくてもさ。史実でそうなってるから仕方ないんだけど。

8月2日は働き方改革の影響でお休みだったので、2月13日付で書いた原稿をアップします。墨俣一夜城の顛末を描いた第7回「決死の築城作戦」のころです。あのころはまだ初恋相手の直も生きていて、まさに青春って感じでしたね。織田信長役の小栗旬さんは、

「第15回『姉川大合戦』までは『少年ジャンプ』だ」

とおっしゃっていました。

 

濃尾平野

地理院地図を一部改変

 

織田信長という男を育んだ濃尾平野の地形を改めて見てみると、信長を突き動かしていたものがわかる気がします。ここまで真っ平らだと、「山に逃げこめば安全」という感覚を持ちようがない。どこへ逃げても敵に追いつかれてしまうなら、やられる前にやるしかない。

 

小牧山の山頂に立って北西を臨めば、20㎞先の稲葉山城(岐阜城)がおぼろに見える。もちろん、あいだには木曾川が流れ、低湿地が敵の進軍を阻んでくれる。小牧山を要塞化すれば、長期の籠城にも耐えられる。それでも、「敵からもこちらが見えている」という圧迫感からは逃れられない。

 

 

 

ある学者が信長を「戦争マシーン」と評していました。倒せそうな敵勢力を見つけたら、脊髄反射で攻撃命令を出してしまう、というほどの意味です。信長は常に敵を探し、倒し、奪った地に本拠を移し、そしてまた敵を探す。

 

一説には、毛利攻めが終結すれば、大坂に築城して本拠を移すつもりだったとか。あちこちでさんざん手こずらせてくれた一向宗の本拠 石山本願寺を奪い、その跡地に安土城を上回る豪壮な城郭を建設すれば、あるいは信長の焦燥感も落ちついたのかもしれません。今までの「前の本拠地よりはマシ」という程度のものではない、ほんとうの本拠地。ここに逃げこみさえすれば大丈夫だと、心の底から信じられる安全基地。

 

 

もちろんぼくらは信長が大坂城を建てなかったことを知っています。建てる前に無防備都市 京都で命を落としました。身の安全を明智光秀に委ねてしまうなんて、油断が過ぎる。天下一統の夢を引き継いだ豊臣秀吉は、遷都このかた防壁が作られたことのない京を御土居で囲み、大坂城を愛息 秀頼に与えました。

 

濃尾平野に生を受けたのは、秀吉も同じ。ずっと信長の背を追い、その失敗も限界もすべて見てきた。そしてこのふたりを見ていたのが徳川家康。今は同じ愛知県にまとめられているけど、尾張とは気質が違うと言われる三河の出身でした。祖父の代で平地の岡崎に落ち着いたものの、山間の谷あいにある松平郷が本貫の地です。信長と秀吉が駆りたてられていた無意識下の焦燥感を持たなかったがゆえに、戦のない世をつくれたのかもしれません。

第29回の紀行では、今年3月に公表されて「秀吉が山崎の戦に遅刻?」と話題になった書簡が紹介されました。羽柴秀吉が姫路城の家臣宛てに送ったものです。当時の秀吉は養嗣子の於次秀勝に長浜城を任せ、姫路を本拠にしていました。家臣宛てなので、嘘をつく理由はないと思われます。日付は天正10年(1582年)6月13日、山崎の戦いの当日。「現在滞在中の摂津富田(せっつとんだ)を翌6月14日に出発し、西岡へ本陣を押し出す予定だ」という内容です。

 

西岡は、明智光秀が占拠している勝龍寺城(京都府長岡京市。細川藤孝の城だった)を含む地域です。秀吉は明智光秀が籠城戦を選ぶと思っていたようです。援軍の見込みなく籠城してもしゃーないけどね。細川藤孝は来てくれないだろうし。ほんとは本拠地の坂本城まで下がりたかったけど、朝廷から都の治安維持を任されてしまい、大和の筒井順慶の動向も気になるので、この位置になってしまったのだと思います。

 

 

キリシタン資料等を突き合わせると、6月12日に山城-摂津国境の大山崎で先鋒同士の小競り合いがあり、13日の午後4時という非常識な時間(ふつうは午前中)に明智方が打って出て、勝龍寺城から約1.4km南西の小泉川を挟んで本格的な合戦になりました。しかし、午後7時の日没時には明智光秀が勝龍寺城に逃げこみ、さらに北東の都方面へ逃走して決着がついたようです。

 

摂津富田から大山崎までは約12km。14日朝に出れば当日昼前に着く距離です。秀吉・織田信孝の軍勢(2万ほどか)が参戦してからでは明智方に勝ち目がないので、その前日に摂津勢を倒して大山崎まで進出しようとして惨敗した、ということなのでしょう。信長の乳兄弟である池田恒興の戦意を甘く見ていたか。


ところで、山崎に先着したはずの明智方は、なぜ先に天王山を確保しておかなかったんでしょうね? 天王山と淀川沿いの湿地に挟まれて、行軍できる平地が300m幅しかない山城-摂津国境(京都-大阪府境)を押さえる要地なのですが。明智光秀が精神的に不調だったとしか思えません。

 

山崎の戦い

地理院地図を一部改変。後世の河川改修で、淀川の流路は大きく違う。

 

ちなみに、京都-大阪府境からすぐ北にある離宮八幡宮は山城国衙跡と見られており、『光る君へ』にも出てきた紫式部の夫 藤原宣孝がここで亡くなっています。また、府境から南西800mの水無瀬神宮は後鳥羽上皇の宮殿で、上皇はここを拠点に琵琶湖-淀川水系の交易を押さえて日本全土を支配しようとしていました。承久の乱で小栗旬……じゃなくて、北条義時に敗れて実現しませんでしたが。

 

 

 

 

本作では旧説、というか、羽柴秀吉がおのれを有利にするためにおこなった宣伝工作に従った展開になり、秀吉・信孝ともに6月13日朝の時点で山崎に着陣しています。摂津衆の高山右近・中川清秀が先鋒。荒木村重の謀反をそそのかしたのに、しれっと織田方に復帰していますね。こういう信用ならない連中を後方に置いて反旗を翻されては困るので、先鋒として使い倒すのが定石です。そして織田信長の乳兄弟 池田恒興が淀川沿いを進軍、西の天王山には羽柴小一郎と黒田官兵衛、後陣に秀吉・信孝が控えます。

 

小一郎は摂津勢苦戦の知らせを嫡男 与一郎に持たせて織田信孝のもとに送り、そのまま信孝を守るように命じました。総大将である信孝の本陣なら、最前線に出るより安全と考えたのでしょう。しかし、信孝は狙われていました。

 

信長を失って頭に血がのぼっているところにつけこまれないよう、じっくり責めるのが秀吉の策です。しかし、信孝は味方が盛り返したと知ると、異母兄 信雄への対抗意識から本陣を押し出そうとします。兵を鼓舞するために戦後の恩賞を約束する信孝でしたが、そこに矢が放たれました。明智方の刺客の仕業でした。敵を鼓舞してどうする。

 

信孝さまを守れと小一郎から言われた通り、与一郎は信孝をかばって敵の矢を背に受けました。どんな鎧も前面の防御力がもっとも高いものです。戦場で敵に背を向けてはいかん。

 

 

負傷した与一郎は長浜へ運ばれ、養生することになりました。羽柴一家の心づくしの食べ物、薬草、八幡さまのお札。なかでも与一郎を喜ばせたのは干し柿でした。夏だというのに、残っていたんですね。

 

与一郎は小一郎に出会い、弓は人を殺めるためではなく、柿を射落として家族を喜ばせるために使えと教わっていました。なのに人を殺めるための矢で命を落としました。総大将の暗殺は、戦闘の終結を早め、戦死者を減らす効果のあるものではありますが。

 

 

武家に生まれた寧々とお慶なら、内心でどう感じていようとも、与一郎の死を立派な戦功と喜ぶべきでしょう。しかし羽柴家の百姓マインドに染まったのか、羽柴一家はひたすらその死を嘆きました。小一郎は「信孝のもとに行かせなければよかった」と、お慶は「小一郎の言いつけを守れと言わなければよかった」と。

 

 

 

一方、秀吉はひそかに生け捕りにした明智光秀を茶室に招いていました。やると思ったよ。秀吉はどうしても知りたかったのです。上様による天下一統、境目のない、争いのない新しき世を作ろうとしていたのに、光秀はなぜそれを実現寸前で台無しにしたのか。

 

光秀も天下一統を望んでいました。しかし、それはただ一人の主、足利義昭のもとで行われるべき。実際、史実の明智光秀は近畿の諸将を味方につけるために送った書簡で、足利義昭を担いで室町幕府を再興する計画を明かしています。でも光秀にもわかっているよね。あの親切だけど、身内への親切を大義より優先させがちな義昭では無理ってことを。

 

 

明智光秀の末路については、明確に描かれませんでした。山城から近江へ抜けるどこかで落ち武者狩りに遭い、秀吉のもとに光秀の首が届けられたことにする、とだけ。別人の首を晒し、光秀を逃がしたのかもしれないけど、本作の光秀が逃げるかな。もはや主君 足利義昭のもとへも行けないだろうし。

 

 

 

形見の干し柿をかじりながら悲嘆にくれる小一郎のもとに、秀吉は帰ってきました。武士になったのは、無駄な死をなくす、せめて減らすためではなかったのか。20年以上経っても、武士の都合に振り回されて身内を失う点は何も変わっていない。織田信長のもとでなら新しき世が実現したかもしれないけれど、あの軽率な織田信孝に跡を継げるのか。


秀吉は小一郎を抱きしめて囁きました。自分が継ぐ。秀吉が織田信澄をかばったせいで、明智光秀は謀反を起こした。光秀は秀吉の影響を否定したけど、それは本心だったのだろうか。長く戦陣を共にした秀吉への情けでそう言ってくれただけなのでは。

 

与一郎の死を嘆く資格はもはやない。新しき世の到来を遅らせ、無駄な死を増やした責任は秀吉にあるのだから。秀吉の着物の衿には三角つなぎの鱗文。ヘビの鱗を文様化したもので、能衣装では人外の存在を表します。長姉 ともを怯えさせたほど、秀吉の表情は硬く、冷たく変わっていました。

今回、感動で泣いてしまった人はブラウザをそっと閉じてね。 ここはキミがいていい場所じゃない。

 

 

 

 

ぼくはね、織田信長が本能寺からロケットで脱出してもいいと思っている人間です。今年の信長は『宇宙兄弟』だったんだから、むしろロケットで飛ぶほうが正しいくらいだ。

 

ぼくが観ているのは「登場人物の心の動きが正常か否か」だけ。なんの前振りもなくロケットに乗りこむのはアウト。3話くらい前から宇宙人と信長の交流を描いていればセーフ。そういう判定でしかない。心の動きが不自然でないなら、SFでもファンタジーでも史実改変でも、なんでもやればいい。

 

このブログで朝ドラ『おむすび』と大河『どうする家康』をボロクソに書いているのは、まさにこの点がなってないからです。ドラマの中に心の動きがおかしい人がいてもいいけど、おかしい人がなぜか大絶賛される世界を作ってしまっている。

 

半年とか1年とかの長い物語を書く中で、おかしなシーンができてしまうのは容認しますよ? でも月に1回が限度です。月に3回も4回もおかしなシーンがあっては、その物語世界自体が信用できなくなる。第17回「小谷落城」以降、『豊臣兄弟!』もその領域に入りつつある気がします。あの兄弟は綺麗事を大声で叫ぶ以外のコマンドがないのかい? 川並衆はなんでこんな奴らに黙って従ってるんだい?

 

 

 

 

第28回は、わかってない人が書いて、わかってない人が演出したので、全編意味不明でした。俳優陣はみなさん名演でしたが。前田利家の口上がとくに素晴らしかった。だけど、ホモ・サピエンスとして心の動きがおかしい登場人物が多すぎる。脚本に変なことが書いてあっても、演出で訂正しろよ。前野長康は三木城主ぞ? 庭にひざまずく身分じゃねーし。

 

 

 

炎上する本能寺の前で呆然としていた小一郎は、なぜか鎧下まで明智兵のフル装備に換装していた森乱と偶然出会い、信長の死を知らされました。明智勢はちゃんと本能寺を包囲しろ。

 

小一郎は秀吉とともにどんちゃん騒ぎをしたことがある女郎屋の2階を借りて秀吉に書状を送り、近畿の大名たちが明智方につかないように手配しました。さらには明智光秀の同僚であり縁戚である丹後宮津城主 細川藤孝と連絡を取りました。

 

小一郎を無理やり絡ませるためなんだろうけど、細川家が令和まで生き残っていることから逆算した脚本でした。80kmも離れた宮津城から細川藤孝がわざわざ都に来るとか、意味がわからん。電話で呼んだ? タクシーで駆けつけた? つか、細川藤孝は幕府奉公衆だったときは下品な秀吉を嫌っているようだったし、信貴山攻めでしれっと織田家臣になって以降は明智光秀の与力で、羽柴家とは交流がないんだが。


今年の細川家は滅びますね。この藤孝が危ういギャンブルに勝ち続けて家を保つとは到底思えない。京都の町には明智兵が徘徊しているのに、親しくもない小一郎に呼ばれてホイホイ来ちゃうし。ブッ倒れた小一郎が目覚めるのを丸一日待ってるし。あと、狭い室内で闘うなら太刀より脇差で突くのがいいって、新撰組の人が言ってたよ。

 

 

小一郎が藤孝を呼び出した理由は、

「明智殿を助ける策を考えてくだされー!」

だってさ。言うと思った。小一郎、あんたは女郎屋に潜伏中のお尋ね者なのよ? 窓を開けたまま大声で叫んじゃダメ。

 

藤孝が言うとおり、明智光秀が生きのびられるのは明智政権が樹立されたときだけ。クーデターとはそういう覚悟でやるものです。稲葉山城を乗っ取った竹中半兵衛が追放で済んだのは、被害者 斎藤龍興が生きていて、穏便に済ませてくれたからです。今回は信長と信忠が死んじゃってるんで、光秀を赦免する主体が存在しない。天皇が武家同士の争いに介入するとは思えないし。
 

 

 

備中高松城を水攻めにしていた秀吉は、小一郎からの急報で信長の「行方不明」を知ると、急いで毛利との和睦をまとめました。3国割譲が譲歩の限界だと最初に明かしていた暗黒JKが馬鹿すぎる。まず高い条件を出して、じりじりと下げていくのが常識だろ。JKだから馬鹿なの? 大学で国際政治を勉強したらどうかな。

 

高松城主 清水宗治の切腹(あの角度で介錯しても首は落とせないと思う)を見届けると、秀吉は信長を救助すべく東へ向かいました。世に言う中国大返しです。途中の宿場には小一郎の手配で替え馬や食事が用意され、秀吉はわずか2日で姫路にたどりつきました。馬の速度に歩兵がついて来られたとは思えんけど、兵が少なかろうが疲れ果てていようが、「いま秀吉が姫路にいる」と言う事実が巨大な宣伝効果を生むのです。

 

 

大返しを成功させた小一郎の手腕に感服し、細川藤孝は明智光秀に味方しないと決めました。「御運が開けましたぞ」とは言わなかったけど、機転を利かせた黒田官兵衛が毛利勢の旗印を借り受けたことも、動揺していた畿内諸将の背中を押す効果がありました。明智光秀が加勢を期待していた諸将も日和見か秀吉への加勢を決め、光秀に協力するのはわずかでした。

 

あ、信澄がいた。てか、生きてたの!? 半月ほど前に信長が「切腹させろ」って言ってたよ? 丹羽長秀がその命令を受けたよね? いくら信長が許すと決めたからって、謀反人に兵権を持たせたまま野放しにしていた??? ぼくらの知ってる信長は、そんなことをしない! 案の定、大坂城で挙兵してるし。秒で鎮圧されたけど。信長はあの世で反省するべきだよ。むやみに温情を掛けたから、兵が無駄死にしたんだし。

 

 

 

畿内のほとんどの勢力の旗幟が明らかになり、来週はいよいよ文字通りの天王山、山崎の合戦ですね。あ、その前に徳川家康が「神君伊賀越え」をキャンセルしてましたね? あはははは。今年の家康ならやりかねない。『徳川実記』の家康公なら「上様の後を追って切腹する」と騒いでからの伊賀越えだけどね。

 

安土城での饗応を受けた後、徳川家康は堺見物に出かけ、6月2日にいったん京へ戻ることになっていました。本能寺に滞在中の信長に挨拶してから三河へ帰る予定だったのです。ところがその当日に本能寺の変が起きてしまったわけです。びっくり。

 

本作の家康は、世話になった堺の商人 津田宗及には「伊賀を越える」と言いおいて、船で帰ることにしました。ねーよ。当時の航海技術では、夜はどこかに上陸しなきゃならない。上陸地点に敵がいたら? 船頭が家康一行を敵に売ったら? 大阪湾から外洋に出る和歌山市のあたりって、雑賀衆(さいかしゅう)の根城なんだよ。本願寺に与して信長とさんざん戦った鉄砲傭兵団のことね。あと、単純に航海技術が未熟なので、紀伊半島沖は船の墓場だよ? 外洋航行なめんな。

 

そういうわけで、2017年『おんな城主 直虎』では、外洋航行可能で絶対信用できる船頭の船を堺に向かわせたのです。家康は信長に暗殺されることを恐れていて、安土から脱出して堺へ逃げる想定をしているという設定だったので。行き違いがあって、結局陸路で伊賀越えしたんだけどね。アナ雪がかわいそうなことになってた。

 

堺の事情に疎い家康が短時間のうちに信用できる船を見つけられるとは思えませんねぇ。……いや、今年の家康ならできるかも。いつか信長を打倒するときのことを想定して、信長の知らぬ間に堺の商人を抱きこんでいたんだとしたら? うわー、策士だ。タヌキだ。なにが「タヌキ呼ばわりするでない」だ!

 

……ま、これはぼくの勝手な想像だけど、想像通りであってほしいな。でないと、この先を観るのがシンドイ。どうせあの兄弟は最後まで「信長さまの夢を実現するんじゃー!」と大声で叫ぶだけなんだろうな、と思うとげんなりする。第2回ぐらいまではざくざく人が死んで、「戦国時代の実相を描いた意欲作」という評価だったのになぁ。

天正10年(1582年)1月から6月2日まで。全部羽柴兄弟のせいでした。信長がいまだ兄弟の絆にこだわるのは、羽柴兄弟が仲の良さを見せつけているせい。信長が信澄を赦してしまったのは、羽柴一家が総出で信長をなだめたせい。信長自ら行くつもりのなかった中国戦線に参陣することを決めて本能寺に泊まったのは、小一郎が信長に「憎む気持ちと慕う気持ちは表裏一体」と言ったせい。

 

将軍 足利義昭が「わしを巻きこむな」と明智光秀に伝えたのは、小一郎が「無様でも生きのびてくだされ」と言ったせい。武田信玄を説得に行ったり、御内書をばらまいたりするのはいいけど、最前線に出たら死ぬかもしれんし。謀反が成功しなかったら、信長が怒って殺しに来るかもしれんし。

 

 

このドラマが『豊臣兄弟!』である以上、すべてに秀吉・小一郎兄弟が絡んでいなきゃならない。そのせいで織田信澄(津田信澄と書かれることが多い)が引っ張り出されました。信長に2度も逆らって誅殺された弟 信勝の忘れ形見です。

 

史実では本能寺の変の3日後、6月5日に大坂城で織田信孝と丹羽長秀によって討たれています。明智光秀との共謀を疑われてのことですが、共謀してたらぼさっと大坂なんぞにおらんでしょ。このあと信孝率いる四国遠征軍は、様子見をしているうちに雲散霧消してしまいます。信澄なんかほっといて、上洛すりゃよかったんだよ。

 

本作の信澄は母から恨みを吹きこまれていたのだそうです。ああ、よかった。柴田勝家からじゃなかったんだ。第25回で信澄が勝家に育てられたことを強調していたので、てっきり勝家の陰謀なのかと。あの純情な勝家までもが信長への叛意を隠し持っているとしたら、もう誰も信じられないよ!

 

信澄は復讐の機をうかがっていました。24年の雌伏の末に捉えた機会は、舅 明智光秀の疲弊でした。家臣を奔走させた挙句に使い捨てるばかりの信長に、無意識下の反感を溜めこみつつあった光秀に、信澄は偽造した御内書を渡しました。花押って、真似されないように複雑な書き方をするんですけど、写真記憶(フォトグラフィックメモリー)ってやつで覚えたんですかね?

 

光秀はニセ御内書を信長に通報せずに隠し持っていました。信澄はそこにつけこんで謀反を起こさせようとしましたが、断られてしまいました。はじめて本音で話せる人を見つけたのにね。

 

 

信澄は目標をクーデターから信長暗殺に縮小し、徳川家康をもてなす信長の膳に毒を盛って失敗しました。不運なことに信長と家康の魚料理が入れ替えられ、前世が薬師だった家康に毒のにおいを見破られてしまったのです。おなじ料理を食べてしまって慌てる石川数正のため、家康がさっと駆け寄って数正の料理を確認したのがカッコよかったですね。さすがは家臣思いの神君家康公。

 

暗殺未遂犯をかばっている様子の光秀に信長は激怒しました。客である家康の前で恥をかかされたからね。ワイヤーアクションまで使った激しい暴行を加え、副音声では「ビビった家康」と説明されていました。賓客を怖がらせてはいけない。

 

しかし実行犯は簡単に黒幕を白状し、信澄は史実より半月ほど早く死を迎えました。光秀は饗応役を解任され、毛利攻めを命じられました。信長もわざわざ安土まで迎えに来た小一郎を通じて秀吉からの出陣要請を受けていましたが、行く気はありませんでした。行ったほうがいいと思うよ。270kmも離れたところから毛利との講和交渉をするなんて非効率だもん。

 

 

 

弟の子に裏切られた兄を慰めようと、お市は信長に「娘たちが安心して暮らせるような世を作ってほしい」と頼みましたが、信長の地雷を踏んでしまいました。弟をはじめ、多くの血で汚れた手で、どんな世を作れと言うのか。信長もまた破壊神であることに疲弊していたのです。

 

「お前が男であればよかったのに」

それはお市が一番言われたくないことでした。そして信長にとっても言うべきではないことでした。弟だったら、きっと裏切るのだから。

 

妹にすら本音を言えなくなってしまった兄のために、お市は小一郎を呼び寄せました。兄のせいで何度も死にかけたけど、兄と殺し合ったわけではない幸運な弟。苛立つ信長に小一郎は言いました。とうてい敵わない兄を持った弟の気持ちはわかる。兄との殺し合いに追いこまれても慕う気持ちに変わりはなく、恨みはないだろう。

 

 

信長は兄猿の尻を叩きに行くことにしました。京で茶会を開くついでに、250km先の備中へ。信長が本能寺に入ったころ、明智光秀のもとに届いたのは、将軍 足利義昭からの返事。わしを巻きこむな。これだから貴人はイヤなんだ。肝心なところで腰が引ける。

 

駱駝の背を折る最後の一本の藁は、まことの主君 足利義昭が書いてくれなかった御内書でした。死んだ信澄が偽造した御内書を握りしめ、光秀は宣言しました。これは公方さまの上意である。敵は、本能寺にあり!

 

大河ドラマ18回目の本能寺は、ここまで『豊臣兄弟!』を引っ張ってきた小栗旬へのご褒美のようでした。大河ドラマファンが見たい本能寺エピソードがてんこ盛り。「必ず信長の首を挙げる!」と意気込む捜査一課長……じゃなくて、斎藤利三まで登場し、今どき珍しい本火で燃やした本能寺は迫力がありました。たったひとりで信長を守り切った森乱に殊勲賞をあげたい。信長はきっと明智光秀ではない誰かにあとを託せると信じて逝くことができたでしょう。

 

 

 

時代の主人公だった織田信長が退場し、タイトルロールの羽柴秀吉&秀長がようやく舞台の中央に躍り出ます。第25回の佐久間信盛追放のくだりから急に強調され始めた「ひとたらし」を武器に、毛利をだまくらかして中国大返しだ! 浅野長吉もわざとらしく「上様をお迎えするために、途中の宿場に銭をたんまり置いてきた」と言ってたぞ。そして山崎の合戦を前に、主演だということをなかば忘れられていた小一郎が、ようやく歴史を動かします。