『光る君へ』第20回「望みの先に」の話 | 星野洋品店(仮名)

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とある洋品店(廃業済み)を継がなかった三代目のドラマ感想ブログ

日本史上最大のバカ事件、長徳の変は2週で終わりませんでした。発生は長徳2年(996年)1月15日深夜(16日未明)、処分が完全に終了したのは10月に入ってからになります。第20回ラストは5月1日。

 

出家直後は熱心に仏道修行に励んでいた花山院ですが、じきに飽きたらしく、都に戻って暴走族のリーダーみたいなことをしていました。花山院のもとなら思う存分ケンカができるというので、都の不良少年たちが花山院のもとに集まっていたのです。

 

隆家もそういう武者団を抱えていて、花山院派と争っていました。本来、院御所の門前を通るときは馬や牛車から降りて敬意を表すべきです。しかし、隆家は武者団を引き連れて牛車に乗ったまま通過し、怒った花山院派が出てくる前に逃げるという、ピンポンダッシュみたいなイタズラをしました。アホや。

 
この時に何も罰を受けなかったことが成功体験になってしまったようで、史実の隆家は相手が花山院だとわかった上で、従者に矢を放たせました。花山院が通報するわけがないと思っていたんでしょう。上皇で坊さんな人が夜歩き中に遭遇した事件ですからねぇ。
 
しかし、互いに武者団を連れていたことで乱闘になって死者が出てしまい、情報が漏れることになりました。発生当日 1月16日の日中には道長が知り、検非違使別当である実資に情報を伝えています。捜査がんばれ~。
 
ドラマでは花山院が10年ぶりに突然登場したほうが面白いので、隆家本人が相手を知らずに矢を放ったという演出になりました。変なクスリでも飲んでいるかのような笑顔が、すっと曇るお芝居が秀逸。隆家役 竜星涼は、あのシーンがクランクインだったそうです。
 
高階貴子が彼らの母であったのが不幸だったのかと思いますねぇ。しょせん中級貴族の出で、天皇の立場というものを理解できなかったんでしょう。中宮 定子に縋っても、大逆罪をチャラにはできません。出頭を引き延ばすうちに、詮子女院・道長に対する呪詛と、大元帥法(たいげんのほう。帥の字は読まない)を修した罪まで追加されました。
 
大元帥法は国家鎮護のための祈祷で、外敵や反逆者を調伏する目的で行われることがあります。道長を反逆者と見て呪殺しようとしたってことですね。内大臣が勝手にやることじゃないし、院に矢を放った隆家くんのほうがよっぽど反逆者だよ。まあ、呪詛の件も含めてでっち上げなのですが。
 
 
さて、中関白家が没落し、斉信と道綱が火事場泥棒的に昇進する一方で、為時パパは淡路守に任ぜられ、さらには大国 越前に国替えとなりました。おめでとー!
 
無官の六位だった為時パパが大国の国守になったことは歴史上の謎で、平安末の説話集でも取り上げられたほどです。いったん淡路守になった為時が、それを不服として一条天皇に漢詩を提出し、感じ入った一条天皇は食事ものどを通らないほどだった……なんて話が作られています。
 
時代考証 倉本一宏先生の考えでは、漢詩に優れた為時を宋人との交渉役として越前守に任じるのが道長の望みだった。しかし、為時は10年も無官の六位だったので、まずは従五位下に叙し、格の低い淡路守にいったん任じてから越前守に引き上げるという小細工が必要だったということだそうです。例の〈漢詩〉は漢詩ではなく、淡路守任官のための申し文(自己推薦書)に書かれた散文の対句であろうと。漢詩なら5文字 or 7文字だけど、あれは4文字×4句だったし、韻も踏めていない。中国の詩の形式を外れています。
 
となると、史実の道長がなぜ為時の才を知っていたのか、という疑問が生じるのですが、『光る君へ』では〈元カノのパパだから〉という立派な理由がありますよ! すごい、歴史の謎が解けてる!
 
宋国への密航に失敗したという意外な暴れん坊だった為時パパは、神仏のご加護……ではなく、娘のコネとおのれの文才によって越前に赴任することとなりました。予告編で、「粛静(スージン。静かにせよ)!」と中国語で叫んでましたね。
 
平安時代の日本でもたくさん漢詩が作られたのですが、語順が日本語のままだったりして、中国人には通じないことが多かったようです。こういうのを和臭(わしゅう)漢文というのですが、大学寮を優秀な成績で卒業した為時パパなら正しい中国語で書けるはずです。がんば~。あと、娘に変な虫がつかないように気をつけて。その宋人の医師見習いは、現代日本で多くの女性を沼堕ちさせた男だぞ~。