おはようございます
昨夜は人生初の一人焼肉でした。
↓前回のお話 2:田島弥平旧宅
前回は田島弥平旧宅をお話しました。
今回は3番目の登録遺産である、高山社跡です。
ここは2017/9/30と4つある登録遺産でダントツで一番最初に訪問しました。
なぜ最初に訪問したかというと、国家資格の国内旅行業務取扱管理者試験というもので地理の問題が出題されるのですが、いつだか「世界遺産明治日本の産業革命遺産の登録遺産でないものを選べ」という問題が出て、その選択肢に高山社跡があったのです。もちろんこれが正解肢なのですが富岡製糸場絡みの遺産なのはわかるものの、どんなところなのかと気になったからです 富岡製糸場は混んでいるだろうがここはそうでもないかなと思って訪問しました。
ちなみに国内旅行業務取扱管理者試験はわたしも10年前に受験し一発合格でした。特に地理は満点でした (そのかわり実務が7割もとれなかった)
高山社跡は群馬県藤岡市の南西部にあります。上信越道藤岡インターからも結構走ったところにあります。
高山社跡がどんなところかを説明していなかった。
高山社跡は字の如く、高山さん(高山長五郎)が興した会社の跡です。
前回お話しした田島弥平は蚕室(蚕を飼う部屋)の換気を良くし夏でも育てられる清涼育を編み出しましたが、蚕は冬も育てるために火気を使用し蚕室を温める必要がありました。その手法は温暖育と言って以前からありましたが、高山社を創設した高山長五郎は温暖育と田島弥平の清涼育の良いところどりをした清温育を確立させたのです。
高山長五郎は高山社を興したあとまもなく亡くなってしまいますが、後任を任された門下の町田菊次郎によって、高山社蚕業学校という教育機関を設立しました。営利より蚕業発展のためという高山長五郎の遺言に基づいてです。そういう意味で蚕業の発展に尽くしたことも世界遺産登録のポイントになったのでしょうね。
前置きが長くなりましたが、訪問時のお話です。
高山社跡ののぼり。
門は当時工事中でした。現在はもちろん出来上がっています。
当時は入場料無料でしたが、現在は大人500円かかるそうです(藤岡市民は無料)
高山社跡の主屋。屋根に通気口みたなものがあるのが特徴です。
※現在(2024/7時点)は復元工事のために主屋は存在しません。耐震等基礎部分の工事を行うなどし、2027年度に再建が完成する予定です。そのため高山社跡の説明は受けることはできますが、復元工事が完了するのを待って訪問した方がいいかもしれません。お金とって建物がないはダメ
田島弥平旧宅と違い建物内部を見ることができます。
蚕が置かれていた場所のようですね。
換気に加えて熱効率も考えているんでしょうね。
ここはトイレだったところ。
かまどの跡。
ずいぶん小さい五衛門風呂だこと
あとは建物がほぼ残っていません。
ここにもなんかあったようです。
マムシ危険だと
この時はレヴォーグでなくプリウスに乗っていました。
駐車場の近くに無料の資料館もあるので、そちらも見ていくといいでしょう。
高山社跡はこれでおしまいです。
次は最後の荒船風穴です。