5月度営業活動表彰

 くなりましたが、(一部では)お待ちかねの「5月度営業活動報告」の表彰のご報告が遅くなりました。  

6月初旬の営業会議にて、めでたく天満屋店主任・ 土井健嗣さんが表彰されました。  

ご覧の通り、土井主任の目はずっとうつろでした。  

彼はずっと哀しそうな目をしていました。  

今回は本当はルール(ブービー)で行けば土井主任ではなかったのですが、無理を曲げて大いなる激励を込めて土井主任の表彰とさせていただきました。  

井主任は、ミムラの中でもダントツにわかりやすい人間です。  

自分の本意を隠そうとしません。いえ、最近は隠そうとすることを覚えつつあるのですが、彼の目は嘘をつけません。  土井主任は、ミムラでもトップクラスの正直じいさんかもしれません。

5月度営業活動表彰

今回の課題図書は「成長する店長の秘密」という、いささか彼にしてみれば嫌なジャンルの、猛烈におせっかいな本だと思いますが敢えてそれを課題図書にしました。  

30歳手前の若き実力者、土井健嗣。  

彼がどんな35歳、40歳を迎えるのかと云うことが、私にとっての大きな興味と期待です。  

ぜひとも後輩を身をもって引っ張っていくリーダーになってほしい。そのためにはまず「在るべきリーダー像」というものをはっきりと意識をしてもらいたい。けっして、いま現在のミムラにそのイメージがあるわけではないけども、あえてそこを目がけてチャレンジして欲しい。  

そうでなくて、どうしてあなたはミムラにいる甲斐があるのだろうか。  

そうでなくて、どうしてあなたはミムラの先輩となっていくことができるのだろうか。  

そして、そうでなくてはならないのだ、絶対に。  

のブログでは営業活動報告表彰を面白楽しく取り上げるのが主旨であって、個人のことをクローズアップするのが本来の目的ではないのだ。しかし、ドイケンシよ、あなたのファンは周りにけっこういるし、あなたの力に舌を巻く関係者も多い。  

5月度表彰おめでとう。  

5月度営業活動表彰

これからもどうかよろしくお願いいたします。

表彰式前の  この本当に心底、嫌そうな顔つき。  

実に絵になる男である。










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原発のウソ

 この小出先生は40年もの間、原子力発電の危険性をずっと訴え続けてきている。だからずっと組織の底辺で研究を続けざるを得なかったのだと本人が述べていた。  

原発電力会社と国とマスコミ。  

3者が同じ推進的存在であったことに、まずは国民がわからなければいつまでたってもこの問題は誤魔化されていくのだと、いろんな本を読むたびに思うことだ。  

いま注目しておくべきは、(本書によると)福島原発の3号機だそうだ。状態が良くない上に、もし3号機に何かあるとその被害は他の設備に比べてはるかに凄惨なものになる(プルサーマル運転による)。  

子どもに対する放射能への安全数値もひどい話らしい。人間は50歳を超えると放射能に対する発ガン率が著しく低下するが、子どもは大変に影響を受けやすい。  

「だから、大人や高齢者がやむを得ないときは、積極的に引き受けることです」と心を鬼にして書いておられる。  

「私だって放射能に汚染された食品は、食べたくなんかない。   

でも、もう汚れてしまったのです」(小出)  

原発廃止論争になると、かならず「では今の日本で原発なしに生活できるのか」という反論や消極的賛成論を耳にすることがあるが、この点においても小出先生はまったく問題がないというのだ。  

原発の稼働率を70%にまで上げて、火力や水力の稼働率を下げてきた。日本のピークの需要は火力や水力等で十分にまかなえる事は(実は)誰でも知っていることらしい。今までも原子力抜きで電力がまかなえなかったことは、基本的にはなかった。  

電力料金が上がる、と言う。ではなぜ日本の電力料金は上がり続け今や世界一なのだろうか。それでもまだカラクリを国民には説明していないので、莫大な「関連コスト」は発電コストとは別のところに存在している。  原発は、電気が足りようが足りなかろうが、即刻全部止めるべきものなのです。  

そして、全部の原発を止めてみた時、「実は原発がなくても電力は足りていた」ということに気づくでしょう。原発を止めても私たちは何も困らないのです。  

いちばんの代替案は「まず原発を止めること」です。  

「代替案がなければ止められない」というのは、沈没しかけた船に乗っているのに「代替案がなければ逃げられない」と云っているようなものです。(本書より)  

実は、核と安全に暮らしていける最終着地の原理は、専門家でもわからないのだそうだ。残念ながら人間と言う欲深い生き物が豊かさや便利さを追い求めながら、生命環境を破壊し続けている。  

私たちが人類の叡智を手に入れるべき時が、遅かりしながら来たのではないかとこの科学者は言うのである。  

原発のウソ










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昭和の名人

6月14日の産経新聞コラム「産経抄」に昭和の名人・八代目桂文楽のことが書いてあった。  

ちょうど、桂文楽の落語を何度か聴き返していた最中だったので興味深く読ませてもらったのだ。  

文楽と言えばその引き際の潔さが彼の落語人生と相まってその真実が伝説とまでなっている。  

昭和46年8月31日。  

国立小劇場で「大仏餅」というネタを口演中、神谷幸右衛門という人物の名前に一瞬つまり、出てこなくなった。  

文楽はとっさに、「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」と頭を下げて高座を降りてしまった。昭和の名人がである。そして、それ以後は一切寄席に上がることなく、三ヵ月後に79歳の生涯を終えた。  

「その日がくる」かも知れないと、文楽はその「もう一度勉強・・・」という詫び口上さえ前もってきちんと稽古をしていたというから、それもまた文楽を語る伝説となったのだ。  

文楽の持ちネタは30数席と言われていたが、実は300にものぼるネタを何度も稽古していていつでも出来るようにしていたという。弟子がネタ帳を盗み見たときにはその膨大なネタの口上がびっしりと書いてあり、赤〇で息継ぎのところまでしっかりと書いてあったと言うが、それらを高座で披露することはなかったらしい。それゆえ文楽の噺(はなし)は「どれをとっても十八番」と絶賛される由縁なのである。  

「富士山も裾野があってこそ高いんですよ」  

と当時の文楽はさらっと言ってのけたと云う。  

戦前に所属していた落語組織が崩壊した時には、すでにスターであった文楽であるが、仲間や後輩全員の行く末が決まるまで自らの身の振り方を決めなかった。不遇な人間をも大事に見守って気にしていたのだ。「わたしは最後」を貫く。  

なにごとにつけきっぱりとした文楽の人間らしさを、その「産経抄」に見る。  

(私の祖父も南方で戦死を遂げたのだが)文楽の長男も若くして軍務により大陸で消息が途絶えてしまった。20年7月というから終戦のわずか前だったのである。留守家族の多くは時が立つにつれて身内の戦死を認めざるを得ず、遺族年金などを受け取るようにする。  

しかし、文楽はかたくなに手続きを拒んだという。  

「生きていると信じることが、親の生きがい」と語っていたらしい。  

このたびの震災で、三ヶ月を経過すると保険が下りるのだが、その申請を取り下げた主人を待つ奥さんの様子が伝えられたのを見た。不明者のリストを毎日見に行くその奥さんは「あってほしいような、あってほしくないような」複雑な気持ちで毎日その体育館を訪れるらしい。  

なんとも云いいようのない哀しみと怒りが、だらしない国家に向かうのは必然である。

 【参考】20011年6月14日産経抄

昭和の名人










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 「ハブテトル」とは、備後弁ですねている、むくれていると云う意味であり、「ハブテトラン」とはその否定語だ。  

舞台の広島県というのは、広島市を中心とする安芸広島エリアと、福山などがある東の備後エリアでは文化圏が違うのだ。だから広島と云っても福山とでは方言もずいぶん違う。  

ぼくはてっきり地元の名も無き文筆家が福山のことを取り上げた小説かと思っていたら、この中島京子という人は、2010年に「小さいおうち」で直木賞を取った、東京の人だった。  

東京で登校拒否であった少年が、母の故郷である広島県福山市にある小学校に「一学期だけの転校」ということでやってくるのだった。  

可愛がってくれる祖父に祖母。  

もちろん、クラスでもすぐに友だちができてしまい、福山の田舎の生活を満喫しながら少年は登校拒否だったこと忘れてしまったかのようにイキイキと溶け込んでいくのだ。  

この登場人物の中でかなりのアクセントになっているのが、ハセガワさんという祖父の友だちの老人だ。口数の少ない独居老人だが過去に「いろいろ」あったらしく、男らしさとはつべこべ言わぬことを少年に教えていく。  

ダイスケ少年が東京時代にどうしても気になっていた少女が、海を渡った四国は今治市にいることが分かり、どうして行って逢ってみたいとハセガワ老人に懇願する。子細を聞かずとも老人はポンコツ自動車を駆って少年と今治を目指して走っていくのだ。  

その時の尾道と四国を結ぶ「しまなみ街道」の情景がぼくにはたまらなく、爽快だった。  

読みながら橋の上で風を切って自分でドライブをしている気持ちになってしまい、いますぐにでも「しまなみ街道」をドライブしたくなったものだ。しかし、その途中でアクシデントが発生して少年は今治行きを断念しなくてはならなくなったのだ。  その時に、ハセガワ老人はダイスケ少年に言うのだ。  

「わしゃー、こっから先は連れて行ってやれんようじゃ。何時に行くとも時間は約束しとらんのか。相手は女じゃったのぅ。」  

「男と女だったら違うの?」  

「当たり前じゃ、ぜんぜん違うとる。  

でゃーすけ、いますぐ行ったほうがええ。  

今日行きゃぁ逢える。トラブルがあったけぇ来週にする、いうたら、女じゃったら来週は会えん。それが女いうもんじゃ」    

このハセガワ老人、小学校5年生のダイスケ少年にかなりハイブロウな教育をするのである。そんなこんなでのほほんとストーリーは展開していき、最後はちょっと思わぬ結末を迎えていくのである。  

もともとは、児童文学の畑からの出身と聞いている著者が、ぼくの住んでいる地域のなにげない生活と子ども心の温かさをうまく表現してくれている。  

ああ、また「しまなみ街道」に行ってみたくなった。  

ぼくは40代になってとてつもなく瀬戸内海というところが好きになった。  

こんなに素晴らしい景観は、日本の間違いのない財産なのだ。  

しまなみ街道とは、他所から来た人には想像できない瀬戸内海の天国を垣間見るところなのだ。そこを描くこの本は、著者が帯に書いているとおり、「平成版、瀬戸内少年物語」にふさわしい一冊だ。     

瀬戸内海としまなみ街道。










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会社を元気づける

くは今まで山と本を読んで経営の役に立てばと、それなりの意識を本に傾けたつもりだ。  

それはそれで、自分では気づかないうちに「血」となり「肉」となり経営者としての部分を作ってきたに違いないのだ。  

しかし、経営者としてのターニングポイントになった一冊を上げなさいと言われたら、たぶんこの一冊を上げるだろうと思う。  

ある日、神戸の「ちょいアホ・マナブ」社長が「みむらさ~ん、これね、面白いんですよ~」って、ゆるい関西弁でぼくの目の前に差し出したのがきっかけだった。  

一瞬、ぼくは「嫌気」がさした。  

なんじゃい、この著者は会社経営をなめとんのか、と。ぼくらが毎日毎年苦しみながら経営というものをつかめないでいるのに、なんじゃいこのアフロは・・・、と。  

それだったら、どんなに阿呆らしいか読んでみようと。マナブちゃんに勧められた手前もある。まぁ、読んで笑ってやろうと。  

も、ぼくには目からウロコの感動があったなぁ。マナブちゃんに感謝した。  

読み進めるうちに、「楽しく、厳しく」を風土にできる会社にならなければと燃えに燃えていったのだ。しかし、同時に不安も大きくなる。  

「本当にちょっとアホで会社は良くなるのか!」  

そのためには、一番の問題は社長の考え方を変えて、ある意味実践もしなければならない。そうそう、周りからは馬鹿な真ちゃんと言われ続けた僕だけど、ある意味それを武器にしなければならないのだ。  

社長は社員のエネルギーを最大限に引き出してあげるのが使命なのだ。  

そのために、「何をすべきか」というスタンスが必ず必要だと思う。  

甘えず、しかし、自分の殻をやぶりエネルギーを上げてやる。

 社員を締め付けるだけで(放っておきぱなしも)彼らのエネルギーが高まるわけではないのに、ほとんどの経営者はその点について、どうしたらいいのか分からないのだ。  

そして、ミムラ軍団は変革を遂げつつあるのだ・・・・。  この本については驚くような「真面目そうな」方も絶賛されている。  

以前にぼくもこの本の紹介をしているので、今回はあの天外伺朗氏の解説を引用させていだくことにした。是非とも「元気だけが取り柄」の社長さん方には、一読を強くおすすめしたいものだ。  

「アホが世界をひっぱっているのだ」  

この言葉がまぎれもなく世界の歴史を証明しているではないか。

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出路は、パンクロックのミュージシャンだった。その業界では、かなり名が知られ、

カリスマ的な存在だったらしい。

1993年、一念発起してワゴン車1台で古着屋を開業。仲間に恵まれ急成長し、

2001年には年商35億円、利益率14%に達した。

ところが、その成功とは裏腹に、本人は不安と不満にさいなまれるようになり、

燃え尽き症候群を体験し、社業にまったく身が入らなくなってしまった。

涙ながらに仲間に謝り、気を取り直して猛勉強し、ありとあらゆる本を読み、

またセミナーに出まくり、経営の改善に取り組む。

世の中で提唱されているさまざまな経営手法、マーケティング手法を、

コンサルタントの指導のもとに、片っ端から導入し始めた。

(中略)

ところが、そういうすさまじい努力をあざ笑うかのように売り上げが落ちていった。

コンセプト・ショップを開けば、業界誌などでは絶賛され、いい気になったが、売り上げはさっぱりだった。

2004年には、3億円の損失を出し、20億円の借金を抱え、打つ手がすべて失敗したことを 認めざるを得ない状況になった。  

 

目の前に倒産の2文字がせまってきたのだ。

さらに出路は、家族の病気や本人の胃潰瘍など、同時多発的危機に見舞われた。

・・・・・・もう、あかんな・・・・・・。

そう思うと、出路は逆に気が楽になった。

開き直ったのだ。

そして、どうせダメなら、せめて楽しくやろう、と決心した。

(中略)

それから出路は、すべての経営学、マーケティング手法に背を向けた。

精密な経営情報システムを反故にして、経理を昔ながらの「どんぶり勘定」に戻した。

判断基準を、自分と大切な仲間が「楽しいか?楽しくないか?」という一点に絞った。

このフィロソフィーを、出路は「ちょっとアホ!」と名づけた。

― 「正しいか? 正しくないか?」「良いか? 悪いか?」「~するべきか?~しないべきか?」 などの“

常識”的な判断基準は、「ちょっとアホ!」の天敵 ―  

もがき苦しんだ2年間は、まさにその天敵に振り回されていたのだ。

この日から出路は、医者に禁じられていた大好きな酒を飲み始めた。

医者は激怒したが、2ヶ月後に胃潰瘍は完治。

お店も、自分たちの好きなものを仕入れて、客を巻き込んでお祭り騒ぎで売ることを徹底。

すると業績はV字回復をしていった。

(引用終わり)    










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