社員

くらの時代は、「仕事ででっかくなれ」と教わってきた。 仕事ができなくてなんの人生か、と。  

しかし、最近聞いた話だと現代人は、  

仕事はさっさと上がってあっさりしているが、ボランティアなどには熱心に取り組んでいるという。  

お金ではないのだ。    

れから平成生まれの社会人が増えてくると、ますますその傾向は助長されるだろう。それが実は「昭和おじさん」の秘かな不安であった。  

かし、その「不安」はもしかしたら「平安」に変わる可能性があるかもしれない。  

それが3・11の東日本大震災だ。  

あの日を境に、確実に日本を包み込むエネルギーが変わった。  

「絆」というエネルギーが日本を変えていくだろう。  

わたしの会社がそうだ。  

明らかに「絆力」が会社を強く支えている。  

日も、年に一度の「年度経営計画発表会」という、それは経営者としては大事な大事な一日がある。  

新年度の経営方針を発表し、目標達成者を讃え、新年度の目標達成を誓う「聖なる」会議なのだ。   

正直、社員はそれに一日拘束されて座ることを嫌がっていた。   

退屈すぎてたまらないのだ。しかし、我慢しなさいと言うことだった。  

れが、だんだん変わりだした。  

昨年は目標達成者の表彰で号泣する人間が続出し、あんなに感動した会社の一日は98年の歴史でもなかったことだろう。  

絆」が会社を強くしていっている。  

会社のことを自分のこととして考えられるようになった社員が、増えてきた。  

先の準備でも、時間外の作業にもかかわらず、自主的に集まって遅くまで懸命にやっている。  

それも、すごく楽しそうに。いや自らが社長のちょいアホを理解して「楽しみたい」と動き出したのだ。  

「文化祭みたいで、楽しい!!」とはしゃぎながら。  

お金ではない仕事と称する「絆」がある。  

経営者の私が彼女たちから学ぶことが、最近はあまりにも多すぎるようだ。

では、いざバンコクへ。
こちらは表彰担当の部会。別室では資料作りで殺気立っていたが・・・。

社員










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7つの法則

知出版の藤尾秀昭社長は、卓越した人物や人生の達人を毎月紹介するだけあって、彼のエッセイも文章が瑞々しく素晴らしい。  

ある時、藤尾社長は乞われて大学の授業でしゃべる機会があったそうだ。  

教室に入ってみると、生徒はだらだらとやる気が感じられず、飲食や私語をしている始末。これはとんでもないと懸命に講義を終えた後にレポートを提出させると、それぞれに真剣な受け止め方をしており、感受性の高さも一応にあることに驚いたという。  

ただ、残念なことに彼らの心にコップが立っていない。  

しっかりとしたコップを20歳前後まで立てることができない、立てることをさせてやれなかったという社会の大人としての慙愧(ざんき)たる思いもあったろう。  

命をひらくためには、まず心のコップが立っていなければならない。  

そこで、藤尾社長は「運命をひらくため」の条件を考えていった。  

まず一つには、  

心のコップを立てること。  

第二の条件は、決意をすること。  
小さなことでもいい。ちいさなよきことを決意しなさいと云う。  
そこから運命の歯車が回転していく。  
ただし、すぐに花は咲かない。辛抱強くあれ。  

第三に、「敬する」ものをもて。  
敬するもの、とは人が心の中にもった太陽だと。  
すべての生命は太陽に向かって成長する。心もまた、敬するものを持つ時、それに向かって成長するというのだ。  

最後に、「縁」を大事にする。  
縁を大事にすることなく大成した人は、ひとりもいない。  
その反対に、「不幸の三定義」というものも紹介されている。  
西田文郎先生の言葉だ。  

一、決して素直に「ありがとう」といわない人。  

一、「ありがとう」といっても、恩返しをしない人。  

一、「ありがとう」と唱えただけで、恩返しができたと思っている人。  

これここに「七つの宇宙の法則」として紹介しよう。    

ミムラの仲間よ。心して読みなさい。  

仕事もこれとまったく同じ要諦ではないか。

7つの法則










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「心の中のふるさと」—天草島— 荒木忠夫    

のふるさとは、熊本県の天草島である。島原の子守歌に「おんのいけ(鬼池)の忠助どんの連れにこらるばい」と歌われている天草下島の最北東にあたる、五和町鬼池という港のある半農半漁の小さな町である。  私の家は、いわゆる五反百姓の農家で、八人の子供を養うのは楽ではなかった。米飯を食べるのは、盆と正月と村祭りに限られており、日常はさつまいもか麦飯であった。

 

かし当時は鰯(いわし)が豊富で、地引き網でいくらでもとれたため、食べきれずに田畑の肥料(いわしごえ)にするほどであった。私たち兄弟は、厳しい父に、この鰯を魚のまま食べさせられており、父の目を盗んでは、そっと、骨をおぜんのしたに隠して、捨てたのを覚えている。芋と鰯が当時の私たちの常食であり、お菓子や飴など甘いものなどめったに食べず、鰯を骨のまま食べて腹を満たしていたから、歯医者などいらないのである。私の家では、零細農家のうえに、八人兄弟という子沢山で私が中学に行くようになっても、あまり生活水準の向上は見られず、相変わらず同じような状態であった。  

当時のように、姉や兄は中学卒業と同時に口減らしの為、ちょっとしたコネでも頼って島から出ていったのである。  
私は、姉や兄が小さな連絡船で港から出ていくたびに、突堤の先端の赤い灯台の下で、
いつまでも立ち続けていた母の姿を、今でもはっきりと思い出すことができる。    

中学一年生に入学した年の春の遠足は、私にとって、一生忘れられない遠足であった。遠足の楽しみは弁当であり、私の家でも、遠足の時だけは母がいつも、米飯の大きなにぎりめしに、卵焼きを添えてくれるのであった。  

 

の遠足の朝、母は、私に弁当を手渡しながら、悲しそうな目で、中身が芋であることを、告げたのであった。

そして、私の手を強く握って、しばらく離そうとはしなかったのである。私は大声で母をののしり、その手を振りほどいて、泣きながら走ったのだった。

弁当の時間、天神山のつわぶきの、芽吹いた藪の中で、私を探す友達の声を遠くで聞きながら、私は空腹に勝てず、私はその芋を、泣きながらかじったのであった。中学生の私には、そのときの母のつらさがどんなものであったのか理解できるはずもなく、帰ってからも、母をせめ続けたのであった。   

天草の正月もまた、母を通じて、私の心の中に一つの風景を残している。

 

れは、私が中学3年生で、高校受験を間近に控えた頃のことであった。私は先生のすすめもあって、他の二人の友人と共に、天草島を離れ、熊本市内の高校を受験することを目標に頑張っていた。市内の高校に行くことになれば、下宿が必要で、そのために要する費用は大変なものであった。八人の子供を抱えた五反農家の父母には、とうてい、そのような余裕などなかったのである。それでも父母は何とかして、私を希望通りの高校に進学させようと、いろいろ努力したようであるが、やはり、無理だったのである。  

 

12月のある寒い夜、父は私を囲炉裏の端に座らせ、市内の高校をあきらめて、地元の高校に進学して欲しいと私に言った。私は、泣きながら父のかいしょうの無さを、大声でののしった。日頃、厳しい父も、その時は無言で何かをかみしめているようであった。母は、何かを頼むような目で私をじっと見つめ、その目には涙が光っていた。しかし、私は、消えかけた囲炉裏の火を見つめながら、父母をののしり続けたのであった。  

 

それから、私は勉強もせず、家族にも口を聞かない日が続いていた。その為、家の中は、毎日、何となく重苦しい日が続いていた。そして、年が明け、元旦となった。私は、家族全員で毎年行う初詣に参加せず、一人でふとんをかぶって寝ていたのであった。  

 

目を覚ますと、枕元に五・六枚の年賀状がおいてあった。私は床の中で何気なくそれを手にし、たいした感情もなく、一枚づつそれをめくっていった。それは、ほとんどが同じクラスの友人達からのもので、今年も頑張ろう、今年もよろしく、という内容のものであった。しかし、最後の一枚を読みながら、私は驚いた。それは、およそ、年賀状らしくない長々しいものであり、鉛筆書きで、ところどころ、なめたらしい濃い部分が残り、カタカナ混じりで書かれていた。差出人の名前はなかったが、私には、それが同じ家に住む母からのものであることは、すぐにわかった。  

「おまえに、明けましておめでとうと言うのはつらい。でも、母さんは、お前が元旦に、みんなの前で笑いながら、おめでとうと言ってくれる夢を何回も見ました。母さんは、小さい頃、お前が泣き出すと、子守歌を唄って、泣きやませましたが、今はもうお前に、唄ってやる子守歌もないので、本当に困っています。今度は、お前が母さんに、親守歌を唄って欲しい」  

 

14歳の私は、元旦の床の中で声をあげて泣いた。それは、中学3年生の反抗期の私に対する、母の心からの子守歌だったのである。  

 

この母の子守歌のおかげで、私は立ち直り地元の高校に進学し、その後、高校卒業と同時に、大学へも進学した。父は、私の大学入学の時、大切に残してあった、山の種松を売って、3万円の入学費用を作ってくれたのであった。しかし、その後は、私は父母の援助をほとんど受けず、アルバイトと奨学金で大学も卒業することが出来たのであった。  

そして、現在の会社に就職して、もう16年の年月が経ち、長男はやがて中学生になろうという年齢になってしまった。そして、昔の私と同じように、もう、親に反抗し始めているのである。  

 

しかし、私の心の中にふるさとの母の心の匂いのする鬼池の赤い灯台と、天神山のやさしい風景がある限り、私は、大丈夫だと考えている。  

 

母も、70歳となった。この母が、これからはどんな子守歌を唄ってくれるのだろうかと考えながら、同じふるさと出身の妻と、反抗期の子供達を連れて、私は母の住む天草島に、今年もまた、帰りたいと考えている。










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後輩

大学の後輩が逝ってしまった。  

仲良くしていた。よくヤツの家に転がり込んでいた。プロレスが大好きでよく話し込んだ。  

頭のいいヤツだった。勉強はともかくも、人への分析とセンスの良さだけは抜群だった。  

素頭のいいヤツだった。  

ぼくの話す話題に必ず笑いながら、「みむらさんのセンスがぼくは大好きだ」と云ってくれた。いい年の大学生がそうやって手放しで好きだといってくれる人の良さがあった。  

カープが好きだった。  

猪木が好きだった。  

奥さんも同じサークルで、気のいい娘だった。いつもぼくらはいっしょになってよく笑った。相方が死んだのだ。計り知れない涙を流しているだろう。嫁さんが死んだのとは訳が違うのだろうか。 なにしろ働き盛りの旦那なのだ。身内の死に区別はあるのだろうか。  

一緒に授業をさぼった。  

酒を飲んだ。タバコを吸った。将来を語り合った。  

お互いが未成年の時に、絶対に入れてくれる成人映画の映画館があるから一緒に行こう、と云ってそいつは大人びた変装をして、切符売り場で一発で追い返された。  

いろんな悪戯をしてまわった。  

その悪戯のセンスをお互いが競うように、子どもじみた真似をした。  

大学祭でサークルの部長に一気飲みをさせて、秋の夜の寒空の下に放り出しておいたら、部長は吐血して救急車を呼んだ。  

その時、一緒に酒を酌み交わしてた後輩の一人が、ぼくを探した。  

そして、この馬鹿なブログを発見して連絡をしてきてくれた。  

少しだけ待ってくれ。  

また二人で野球をしようじゃないか。  

後輩が死んだ。  

ぼくのことを好きだった後輩が死んだ。  










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官僚の責任

はっきり言う。  

日本の官僚は、優秀でも公平でも中立でもない。(本文より) 

うなんだな。  

この本を読むと、なんだか気分が悪くなるような気がするぐらいに辛くなる。ぼくらのニッポンが自分たちの利益しか考えてないような人間に動かされているというのだから。  

「日本の官僚は最高の頭脳集団」  

そんなものはたんなる幻想にすぎなかったのだ。-古賀茂明-   

者の古賀茂明氏は、自ら国家公務員改革制度の実施や、官僚の姿勢についていかにも自身が人格者であり潔白な人間かと錯覚されているようだが、そんなことは決してないと云うのだ。  

日本という国がうまくまわるためにごく自然なことを言っているに過ぎないのに、人格者のように言われるということは、それだけ現在の日本という国を動かしている官僚が「いかに普通でない状態」(古賀氏)であるかという証左だという。  

くよく分かったのは、政治家が国を動かしているのではない、ということ。  

そして、実質的に国を動かしているのは官僚であり、官僚は国の為に働くのではなく「省」のために働いてこそ出世する。それが何よりもの勲章なのである。  

そうは聞いていたが、官僚自身が「影響力のある人間は例外なくそうだ」というのだから間違いがない。   

賀氏の内部告発となるこの手の本は2冊目だけども、冒頭に書いたように読めば読むほど日本の中枢への嫌悪感と気持ちの悪さが募ってくる。知りたくないのだけども、知らなければ哀しい。  

2年前に国民の圧倒的な支持を得て民主党が政権をつかんだ。  

そして、民主党はこう言った。  

「霞ヶ関の幹部職員には全員、辞表を書いてもらう」  

かし、公務員には身分保障があるのでそれも叶わず、結局のところ官僚に実権を握られてしまった。中には長妻のような改革派の大臣もいるのはいたが、身内の民主党から脚をひっぱられて抵抗勢力はすべて消え去ったようだ。身分や人権にうるさい民主党が公務員の身分保障をかんたんに突き返されたのは、お笑いでもなんでもない。    

者は国家公務員改革制度を「身内」でありながら、強く提唱したことで仙石官房長官(当時)から国会で恫喝を受け、その後に閉職である経済産業省大臣官房付に追いやられる。  退職勧奨の通告を受け、2011年7月15日をもって役人生活を本人もやむなく終えるつもりであった。その日は彼が「正直に生きていこう」というきっかけになった大腸がんの5年目の定期健診を休暇で終える覚悟だった。  

しかし、  

どうやら、まだまだ彼の使命は続くようだ。   

ワシが衆議院予算委員会の答弁に立ったなら、許さんかんね。覚悟せよ、おとっつぁん&おかっつぁん。

官僚の責任










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