東方不死死 第47章 「妖怪の山」


 白玉楼。

 桜の季節になれば春色に染まった万華の回廊となった階段が来訪者を迎え、極楽浄土に例えられる美しい庭園が回廊を越えて来た者の足を止める。最近知られるようになった桜の名所である。
 その美しい光景は、生ある者には明日への活力を与え、死者達には輪廻の旅立ちを思わず躊躇させるほどである。しかし、そんな死者達は、散りゆく桜に命の儚さを知り、美しく咲き美しく散る桜の如き人生が迎えられる事を願い、そして互いに生者として桜の下で酒を酌み交わそうと約束し皆万感の思いで来世に旅立って行く。
 冥界の僻地にある白玉楼は、いつしか輪廻に発つ魂達の旅立ち場となっており、そして今日、一人の少女が白玉楼から旅立とうとしていた。

 白玉楼に続く長い階段を見上げる少女が一人いる。
 空まで続くかのように思えるその階段の薄もやの向こうに大きな山門が小さく幽かに見える。
 昨日、あそこで全てが終わり、そして全てが始まった場所だ。
 桜の季節は終わり花は全て散った。今は新緑を称える、夢から覚めた魂達の旅立ちの季節。
 微風に揺れる木々のざわめきが、発とうとする少女を励ましているかのように見える。
 ゆっくりと階段を登り始める魂魄妖夢は、一歩一歩噛みしめるように石段を登っていき交錯する様々な思いと正面から向き合っていた。
 何かを考えながらふと立ち止まって周囲を何気なく見渡し、何ごとも無かったかのようにまた階段を登っていく。そんなことを繰り返すうちにやがて山門まであと少しのところまで来る。
 先程まで霞んで見えた山門が今は眼前に圧倒的な存在感を示し、変わりに自分の居た場所は霧に隠れて何も見えない。何気なく振り返って霞んで見える階段の下を見ようとしたその時、妖夢は祖父魂魄妖気の声を聞いたような気がして、はっとなって頭を上げた。

「そこな小娘!ここはお前のような半人前が来るところではないぞ!」

「あ・・・。」
 視線の先、山門の前にいたのは懐かしい祖父の姿ではなく、藤原妹紅に刃を向ける昨日の自分の姿だった。
 それが幻だということはすぐに理解出来たが、妖夢はその幻である昨日の自分自身に心静かに向き合った。
 生意気で躾の悪い子犬がほざいている。妖夢はそう思った。藤原妹紅はこれと同じ光景を昨日ここで見ていたのだ。彼女がどんな思いで昨日の自分を見ていたのか、何となくわかった気がした。
「恥ずかしい・・・」。
 妖夢はそれしか出なかった。
 唇を噛みしめると同時に両目をぎゅっとつむり顔をしかめてその場で立ち尽くす。
 そのまましばし時が過ぎる。
 次に目を開けた時、そこには昨日の自分の姿はなかったが、変わりに見慣れた顔が山門から不意に飛び出してきた。
「幽々子・・・様」
「よ、妖夢?」
 お互いに視線が合ったそのままの態勢で暫く硬直し時間だけがただ静かに流れる。
 何かを感じた白玉楼の狂い姫は、履き物も忘れ慌てて外に飛び出してきたのだろう。聞き慣れた履き物の音が聞こえなかった。
 やがて居住まいを正した西行寺幽々子が声を掛ける。
「おかえりなさい。」
 妖夢は主人のその言葉に『ただいま』とは返さなかった。代わりに決意の表情で主人を見上げた。幽々子はその顔を見て、最愛の者が家に戻ったのではなく、これから旅立とうとしていることを知った。
 幽々子も決意した。
「妖夢。」
「はい、幽々子様。」
「そこで少し待っていなさい。あなたに渡す物があります。」
「はい。」
 幽々子は妖夢をそこに待たせると山門に消え、しばらくすると妖夢の2本の剣を大事そうに抱えた幽々子が山門から再び顔を出す。
 山門に歩み登る妖夢は幽々子から自分の剣を受け取り慣れた手付きでそれを身に纏う。何も身につけていない妖夢はただの一人の少女にしか見えなかった。しかし、2本の剣を互い違いに腰に差す独特のシルエットに戻ると、ピリッとした緊張感を帯びた表情に変わる。
 元の鞘に収まるとはこういうことを言うのだろうと改めて実感する幽々子。
「あなたは沢山の人達に愛され守られています。その事をどうか忘れないでね。」
「私はそれを昨日まで知りませんでした。でも・・・。」
 何か言いかけた妖夢を頷いて制する幽々子。
「昨日までの自分が見えているなら大丈夫。修業、がんばってね。」
 妖夢は堪えきれず幽々子の腰に抱きついた。幽々子はそんな妖夢の頭を優しくなでる。
 ずっとずっとこのままでいたかった。しかし、それは幽々子のわがままであり、妖夢の為にはならないのだとようやく気付いた。
「身体に気を付けて・・・。」
「幽々子様も。」
 口に出して暇を乞う必要はなかった。自分の気持ちを一瞬で理解し汲んでくれた。有り難く、感謝の気持ちで一杯の妖夢。それだけに自分はもう後戻り出来ない事を知り覚悟を決める。
 名残惜しそうにいつまでも山門に立つ幽々子の姿を背にして、妖夢は白玉楼には入らず登ってきた階段をそのまま下りた。

 期待と不安、夢と希望、そして少しの後悔。様々な思いが交錯する。
 一人白玉楼を飛び出しそのまま野に下っても良かったが、四季映姫の助言に従い主と会って話せて本当に良かったと思っている。
 昨日までは会うのが怖くて仕方がなかった。四季映姫に言われて気持ちが変わってからは会いたくて仕方がなくなった。気持ちの在りようで見え方が全然変わる。不思議なものである。
 先程自分の幻を見たが、その昨日の自分を顧みてそれが小物に見えた。強大な主人の威を借りて相手を見下す情けない存在に見えた。ただ、ただ、情けなく、そして哀れだった・・・。
 自分の言葉で語り、自分で物事の善悪を判断したい。その上で自分の道を選びたい。妖夢は自立を強く思うようになっていた。

 妖夢は一宿一飯の恩があった死神小野塚小町に昼食をご馳走し、その後彼女に冥界の白玉楼付近まで送ってもらった。今後は小町に頼る予定は無く、そのまま幽明結界から幻想郷に向かうつもりでいた。何れは彼女とその上司にもお礼をしなければならないだろう。
 妖夢の旅立ちは前途洋々に見えた。しかし、幻想郷は今激流の直中にあって妖怪達は殺気立っており、妖夢は牙をむいた幻想郷の洗礼をすぐに受ける事になる。


 幻想郷の土地は国外のも含めて様々な場所から様々な曰く付きの土地を取り込み、パズルのように組み合わせて構築されている。そうした複数の土地を狭い幻想郷の更に狭いエリアに押し込んで出来た代表的な土地が、魔法の森と妖怪の山である。
 妖怪の山は外界に存在する名前のある大きな山をそのまま丸ごと幻想郷に移設したものではなく、幾つかの広い土地を無理矢理一箇所に詰め込みその圧力で隆起させて出来た幻想郷で新しく生まれた山である。
 山というのは造山運動、つまり地殻変動や火山活動によって形成されるわけだが、妖怪の山は人工的に地殻変動を作って隆起させ山の形を作っている。火山ではないのだが、非常に大きな圧力が山全体にかかっているため、山の内部は非常に高温で、至る所で噴煙や温泉が湧き出ている。
 人工的な造山運動によって複数の大地の板が山頂に向かってせり出し、その内の最も堅い2枚の岩盤が他の岩盤を抑えて大きな剣が峰となって天に突きだしている。その姿から鬼の角に例え当初は鬼山と名付けられた。しかし、当時幻想郷に鬼はおらず、また妖怪にとっても鬼は脅威の存在であることから、鬼山というのは評判が悪く、妖怪の山と言う何の変哲もない呼び名に収まったのである。

 この山頂部の2本の峰は、内部に溜まった圧力を外に逃がす導線の役割を果たし、高温のガスや水蒸気を外に出す煙突の役割も果たしている。この峰の頂上は常に高温で陽炎がかかっており、遠くからははっきりと捉える事が出来ない。水蒸気を大量に吐き出しているため、山頂付近は霧や雨雲がかかり雨量が一年を通して安定して多い。
 幻想郷を冷夏にし作物に冷害をもたらす初夏から夏にかけて東から吹くヤマセと呼ばれる風が時折吹くが、このヤマセが吹く年は、妖怪の山にかかる靄が西に流れるので、東部から全体像がよく見えるようになる。その為、春先に山がよく見える年は冷害になる報せとなり、里の農家は常に山のご機嫌を伺っている。

 そんな妖怪の山は天狗によって支配されており、現在7名中6名の大天狗が天狗の里を形成して山間修業の拠点としている。
 山中で厳しい修業を行う為、意図的に険しい場所に居住区となる里を形成し、妖怪の山を取り囲むように大天狗毎に領地を分散させている。
 山の中央の湖がある台地状の比較的なだらか土地は天狗が支配していない中立地帯となっている。そうした事から山の妖怪達が多く集まり東部の妖怪とは違った独自の妖怪文化が形成されている。此処に住む妖怪のほとんどは争いを好まない弱い妖怪達ばかりである。強い妖怪はと言うと天狗に警戒され、揉め事が多くなるので妖怪の山そのものにあまり近付かないのである。

 そんな妖怪の山に変化が起こったのは昨年の西暦2004年の秋で、外から新しい神様が来たと話題になり、天狗ですら博麗大結界は突破できないのにそれを越えて来た事から山は一時騒然となった。
 この一件は具体的に何かが起こったという事はないため異変という扱いにはなっていない。東から来た博麗神社の巫女が一応調査に出向いたが、これは巫女が囮になってその間、八雲紫や大天狗達が新しい神様について調べ、ここに来た意図や博麗大結界を突破したその実力を計っていたのである。

 実は山の神様は博麗大結界を正面から突き破って中に入ったわけではなく、ある結界の隙間を突いて侵入してきたのである。
 博麗大結界は1の強度にもう1を足して2の強度を得るという仕組みのものはない。あとから継ぎ足しが出来るような簡単な結界ではそもそもないのである。では、どのようにして結界を強固にしたかというと、元々強度を必要としない地中部分の結界を地上部分に移動させるという比重を変える仕組みで強化したのである。
 そして、弱くなった地中の結界を補う為に、結界の代替えとなる別の空間を地下に移設させたわけであるが、この作業で紫は力を消耗し肉体を失い、回復までの間地上の人間に魂を天下りさせていたというわけである。
 ちなみに、幻想郷の地下に移設させた空間というのが地霊殿のある旧灼熱地獄である。

 幻想郷に自ら望んで入って来ることは、昔は比較的簡単であったが博麗大結界が施行された今現在では簡単には出来ない作業である。しかし、結界施行後それを強引に突破して幻想郷入りしてきたのが守矢神社なのである。
 守矢神社は旧地獄を経由して薄い地中の結界を突破して幻想郷入りし、八雲紫らよりも早く旧地獄で活動をし、様々な布石を打っていた。
 八雲紫としては幻想郷の数少ない侵入路を発見突破された事を楽しく思わないだろうし、これはある意味挑戦、挑発、更に敵対的な行為であると認識せざるを得ないのだ。
 旧地獄異変の黒幕であるなど幻想郷のルールを遵守しようと積極的ではない山の神様を警戒するのは当然である。
 今現在は妖怪の山で信仰を集めるような行為をしない限り干渉はしないという事で天狗側と折り合いを付けている状態であり、山では今のところ大人しくしているようだ。
 里に来て信仰を集める作業をする気配も今のところなく、天狗の支配下にある妖怪の山に引き籠もっている間は八雲紫も手が出せない状態だった。

 この守矢神社は何かを企んでいると八雲紫は予測し、常に警戒の目を光らせている。
 建前は新たな信仰を得る為に来たと言うが、やっている事は信仰を集める作業ではなく、外の技術を幻想郷に持ち込もうとする、もしくは幻想郷で新しいエネルギーの獲得するために動いている様にしか見えない。
 急速な文明の発展は同時に自然環境を破壊すると、地上で起こった環境汚染の教訓を知っている紫としては、そうならない様にわざわざ博麗大結界を施行して外との関わりを極限まで断ち切ったわけである。にも関わらず山の神様はそれを台無しにしようとしているわけである。
 紫としては守矢神社は何とも目障りな存在で、実力で排除することも考えないわけではない。しかし、諏訪の神様と敵対してそれが新たな大戦に発展する危険性もあるので迂闊に手が出せない膠着状況なのである。

 今現在守矢神社について分かっている事は、神社を牛耳っているのが八坂神奈子という神様で、彼女は不明な点が多い。
 八雲紫は諏訪地方に赴いて現地調査をしたが、八坂神奈子は諏訪の神様と直接関係がない事が最近分かり始めており、彼女は諏訪の地のどこにも存在しない、少なくとも諏訪地方の神様ではない事が分かってきている。
 洩矢諏訪子と個人的に交友がある別の土地の神様かもしれないが、そうなれば諏訪と無関係になるので討つ事も出来る。
 わざわざ諏訪の地に赴いて現地調査までして八坂神奈子の正体を暴こうとしている紫である。今回の異変はそれを確かめる上で決定的なチャンスとなるだろう。
 今回の異変で2柱の力を是非ともお借りしたいという申し出に対して守矢神社はどのような回答をしてくるのか興味があるところである。洩矢諏訪子は本物とかわっているので問題ないだろうが、神奈子がこちらの申し出に即答を避けるか、何か条件を付けての駆け引きがあるだろうと思われる。その駆け引きの内容次第で守矢神社の本質が見えてくるだろう。
 守矢神社へは紫ではなく藍を派遣するのは、この時点で直談判させないためである。紫が直接赴けば、恐らくなんらかの取引が行われ神奈子の出番を無しにされる可能性がある。その時点で神奈子が怪しいと公言しているようなものだが、紫自身も神奈子が怪しい事は重々承知している。紫が欲しいのは確信で、彼らを追い込む事で彼女の神としての資質の無さを白日の下に晒す事である。

 この時八雲紫は、人間の里と守矢神社との間に密約があり、それが締結されていることを知らなかった。
 八雲紫は八意永琳らとの会合の後、自身は大天狗比良山次郎坊の元へ赴き異変の段取りを伝え、守矢神社には八雲藍を紫の代理として派遣する事にしが、こちらの申し出に対して守矢神社はそれを全面的に受け入れる返答がなされることは予想の外だった。


 妖怪の山東部の境界線付近を巡回する一匹の駒天狗がいる。
 鞍馬山領、鞍馬山僧正坊配下の鴉天狗筆頭、射命丸家に属する駒天狗、白狼・犬走椛である。
 彼女は幻想郷東部によく顔を見せる射命丸文の持ち駒である。
 駒天狗というのは、鴉天狗が自分の手足として使役するために、動物等を妖怪化させて獣人化した天狗の眷属で、鴉天狗はこうした駒天狗を一人ないし複数名所持している。

 天狗というのは本来、仏法の教えに従い解脱の道を歩む修行僧であるが、鴉天狗はその修業半ばで脱落した者を言う。鴉天狗には、修行僧である高位の天狗に従い身辺の世話をする者から、野に下って孤独に暮らす者、或いは人里に現れて修業で身につけた神通力を披露して鼻を高くする者など様々である。
 大天狗は修業を納め天魔の直下に位置する最高位の僧侶である。天魔を如来とするなら、大天狗は菩薩に当たる位になる。
 天狗は仏法の中で知識や能力を身に付ける事を優先させ過ぎ実践を疎かにした結果、六道から外れて独自の閉鎖空間である天狗道に堕ちた者を言う。このままでは天狗道という無感地獄を彷徨うだけになってしまうために、身につけた力を常に他者に与え俗世と関わりを保ちつつ、六道と天狗道の狭間でバランスと取っているのが天狗の置かれている現状というわけである。
 天狗独自に里を設営する理由も、集団で暮らす共同体、つまり俗世を意図的に形成するためで、ここで指導者として里と関わる事で天狗道に堕ちる事を防いでいるのである。
 大天狗の下には、里を設営する上で必要な部局の長を努める弟子の僧侶がおり、天狗とは本来、修業するこのレベルの天狗を言い、修業を諦めた鴉天狗は厳密にいうと天狗ではない。

 今現在幻想郷に存在する鴉天狗は、基本的に大天狗など修業する天狗の護衛と身の回りの世話をする事を仕事としている。平安末期から戦国時代まで存在した僧兵といえば分かりやすいだろう。僧兵は、僧とつくが、実際は軍閥化した寺院の兵隊である。

 この鴉天狗の中にも二種類おり、一つは実際に修業をして途中で止めた修行経験者で、もう一つが前述の者の子孫で、修業経験がなくとも親の血を引いて能力が遺伝された者達である。
 これらの鴉天狗の子弟の中には能力が遺伝されず普通の人間に戻ってしまう者も大勢おり、それらが里を構成する主な人員になっている。
 修業経験のある鴉天狗は大鴉天狗(おおがらすてんぐ)などと呼ばれ、他の鴉天狗に比べて位が高い。これらの大鴉天狗は、本家となって子弟が分家となって広がり、本家を継いだ者だけが未修業の身であっても大鴉天狗と名乗る事が出来る。
 能力が遺伝されずほぼ人間になってしまった者は烏天狗と呼び人間とは呼ばれない。これは人間とは明確に区別して天狗の里の者はあくまで天狗と呼ぶ伝統があるからである。
 ランクでみると、大天狗とその下で修業する天狗。ここまでを本当の意味で『天狗』と呼び、ここに大きな壁がある。その下に大鴉天狗、鴉天狗、駒天狗、烏天狗となり、これらを全てひっくるめて人種として天狗と呼んでいるのだ。

 天狗の里には、普通の人間や妖怪も少数ながら居るが、これは男性社会である天狗の里では子孫を残すにはどうしても人間や妖怪の女性の腹が必要になるからである。その為、天狗の社会では女性の地位は低く子供を産むための道具としか見られない。

 例えば東部によく現れる射命丸文は女天狗(めてんぐ)で、それだけで格下の扱いで、名門の射命丸家の家名が無ければ文は文屋になることは到底叶わなかった。
 射命丸家は天狗の社会でも一種特殊な位置付けで、当主が修業を止めた理由が、自らのスピードを生かして全国各地の天狗との連絡役を買って出た為で、優秀な僧侶で将来を嘱望されたにもかかわらず、世相に敏感で人間に支配される社会情勢の中で天狗が生き残るには情報共有が必須であると謳い、鞍馬山僧正坊の下で七人の大天狗の幻想郷入りに大きく貢献したとして特別な扱いを受けているのである。
 その為鴉天狗でありながら、準僧正の位を持ち家は分家まで全て大鴉天狗の位が約束されているのである。
 身分による差別が少ない里も基本的に男性社会であるが、天狗の身分に対する意識は非常に強く下位の者がどんなに強くても上の者に逆らう事は出来ない。逆らえば極刑になる。
 文はそんな名家の出身でありながら、女ということで身分は微妙な位置にあった。一族が重職に就く中、文は情報職の末端である文屋を希望したが、末端とは言え下層の者がなれるような職業ではなく、重要な職務であることから基本的に女性が就ける仕事ではなかった。
 文は名門の出として身分不相応の仕事に就けたが、これは彼女を不幸にした。周囲の羨望や僻みを受け業界初の女性記者として新聞の発刊権を得た文は精力的に新聞の発刊に努めるものの、新聞業界では女性に対して排他的で文を歓迎する者は誰も居らず、彼女は業界の中で孤立した。
 女性記者やカメラマンは全く居ないと言うわけではないが、新聞の発刊権限を持つ女性はこれまでになく、文の存在は男のやっかみを生んだものの、一部では女性の権利向上に一筋の光を射してもいた。
 その後、文は女性記者クラブや各種女性組合の理事の席を用意されたものの、それらを全て断って独立して組織に交わらず単独で行動する。文は実力で勝ち取った職ではない事を知っており、しかし、実力が在る事を知らしめたかった。その為にはそうした組織の後ろ盾や支援は邪魔だったのである。
 地位の低い女性達の権利向上に非協力的な文は、男性社会だけではなく女性社会からも目下孤立中である。

 射命丸文が幻想郷の東部に来る理由は西側でまともな活動が事実上出来なくなっている為である。
 独自の社会体系持つ閉鎖的で排他的な天狗社会は、人間の里や博麗神社など外の出来事に関心が無く、天狗の社会で認められるには天狗の社会の事象を記事にしなければならない。しかし、天狗の社会からつまはじきにされた文の情報源は幻想郷東部しかなく、彼女が東部によく顔を見せるのはそのせいなのである。
 東側の人間や妖怪は天狗の社会を知らないので、文の置かれている状況を知らず、文は普段の偉そうな口調からそれなりにすごい天狗と見られる傾向があり、西側での不遇が翻って文を文字通り天狗にさせているといえる。

 新聞報道業界から睨まれている文は、度々記事の信憑性を疑われ査問に呼び出される。
 今回の異変に関連して東部を嗅ぎ回られたくない八雲紫は比良山次郎坊に職権乱用気味に文の動きを封じる工作をしたわけだが、査問会の常連だった文だったので、自然な形で動きを封じる事が出来たと言うわけである。


「おや?あれは・・・!」
 犬走椛の千里眼がある大物妖怪の姿を捉え急行する。
「そこの妖怪よ!止まれ!検問されよ!」
 妖力消費の燃費が良い巡行速度で飛ぶ八雲藍に対して物凄いスピードで接近し、近接後は併行して飛ぶ椛。
「ふむ、いつも一番に来るのはお前だな。」
 守矢神社へ向かう途中の八雲藍は、天狗の領域に入ると必ず犬走椛という白狼天狗が現れる事を覚えていた。そして、大人しく一旦停止して検問を受け入れる。
「八雲藍様とお見受けしますが、どちらに向かわれるのですか?」
「守矢神社だ。」
 椛は発見場所と時間、検問場所とその時間、相手の名前と行き先などを巡回日報に書き記し警戒任務の職務を果たす。
「了解しました!呼び止めて申し訳ありません。」
「いやいや、仕事熱心で感心する。」
 人間やただの妖怪ならこのように簡単に解放しないが、八雲藍などは流石に特別扱いである。彼女クラスの妖怪なら呼び止めず無視しても罰にはならないのだが、クソがつくほど真面目な椛の性格上、妖怪の山領域を飛ぶ者に対しては検問するのは自らに課せられた義務として相手関係なく職務を全うしようとするのだ。
「犬走椛、どうだ、私の式にならんか?」
「その事は何度もお断りしております。」
 藍の申し出に困った顔で対応する椛。式への勧誘はこれが最初ではないらしい。藍としては、真面目な椛に対する賞賛の意味を込めて言った台詞ではなく、本当に椛を式にしたいと思っていた。
「そうか、お前の働き振りを見ていると惜しくてな・・・。」
 惜しいというのは、文の部下であることに対してである。藍は別に無能な上司に椛はもったいないと、文をけなしているわけではない。ただ文は独立心が強く組織の中では出世しないタイプである。そしてその部下は得てしてそのとばっちりを食ってしまうのだ。椛に出世願望があればまた違う結果になるだろうが、彼女には出世願望の代わりに上司に対する敬愛と揺るぎない忠誠心しかない。

 そうした会話をしているうちに周囲に他の駒天狗が集まってくる。しかし、すでに検問済みと知ると直ぐにどこかで飛び去っていく。
 天狗の領空を警備巡回しているのは椛だけではない。たくさんの駒天狗が上司の成績を上げる為、検問の成果を上げようと必死なのである。しかし、椛が優秀すぎて他の駒の成績が上がらない状態で、飛び去る駒天狗の中には明らかに悪態をつくものも居り、それがかえって椛の優秀さを証明していた。
 妖怪の山と東部の境界線は、愛宕山領、鞍馬山領、比良山領がある。藍の飛行経路は、比良山領をかすめて鞍馬山領と愛宕山領の境界である川沿いに守矢神社に向かうものとなってた。藍は最初に比良山領に接近したが、隣接する鞍馬山領所属の犬走椛が誰よりも早く藍を視界に入れ一番に検問したのである。この広域探知能力は藍としては喉から手が出るほど欲しい人材といえる。紫のスキマ能力は場所を選ばないがその代わりピンポイントにしか働かないので、広域探査は藍自ら巡回して汗を流さなければならない作業なのだ。
 駒天狗の基となる動物は鼠から熊、雀から大鷹など様々で、その基礎となる動物の能力が駒天狗になってからも反映される。狼は駒の中でも最上級とされ、白狼天狗である椛の能力がずばぬけているのは別におかしな話ではなく藍が式に欲しがるのもうなずける。
 その後藍は、椛に先導され守矢神社のある山中央の中立地帯まで案内された。


 鬱蒼とした原始のような深い森から明らかに人の手が入った森へと変化する場所に、まるでその境界を示す目印であるかの様に大きな南蛮鉄の大鳥居があった。
 ここから先は神の領域とはっきりと分かり、そしてここにあるのは守矢神社である。
 駒天狗の先導を受けて、八雲藍は先程その森を抜けて守矢神社に入り、八雲紫の代理として異変の協力を打診する書状を届けたところだった。意外な事に快諾され面食らったが、それは表には出さず異変に関して協力を約束する契約書にサインを貰い、余計な事は言わずそのまま暇を乞うた。

 神社の領域から出る前にふと振り向いた藍は、博麗神社よりも立派なつい最近出来たばかりのような守矢神社とその奥の湖に目をやる。この湖は大量の雨水を貯えた妖怪の山の地下水源から直接湧き上がる水を湛えており、溢れる水が川となって山を下り滝を落ちて幻想郷東部の平野に恵をもたらしている。幻想郷にとって重要な水源である。この湖の汚染は幻想郷全土に大きな影響を与えるだろう。
 藍は背筋に少し冷たいものを感じた。ことごとく幻想郷の弱点の様なところを突いてくる守矢神社。一体何を目的にここにきたのだろうか。
 藍に応待した八坂神奈子は、力強い圧倒的な威圧感を持っており、どこから見ても力のある神様に見えた。しかし、霊夢は彼女に神威を感じないという。強いのと神であるということは別の了見らしい。
 藍は鳥居をくぐり神の領域から出る前にもう一度境内を見渡す。
 守矢神社は鬼の角と呼ばれる2本の峰を除けば妖怪の山でも一番高い位置に存在する。人間の気配は全くなく、神社付近は妖怪も近寄らない。
 博麗神社と同様に神社独特の神秘的な雰囲気は守矢にも確かにあるが、歴史を感じない真新しさが境内全体を覆って圧倒される重苦しい気配はない。
 神社の本殿から離れたところに幻想郷にはない外の世界にあるような2階建ての母屋があるが、その裏に数本の風車が特に風がないにもかかわらず、そこだけ強風が吹いているように勢いよく回転して、風を斬る耳障りな音を発している。風車の音は魔除けなどにもよく用いられるが、この音からはそうした呪術的な力は感じられない。そもそもこの風車は、幻想郷で作られたものではなく、明らかに外の世界のものだ。
 母屋の陰に明らかに外界から持ち込んだ大きな発電機か蓄電器と思しき装置が見えたので、単に電気を起こすための風車なのだろうと容易に想像できた。それにしても風車の周囲だけ風を吹かせているのだろうか?何とも風情がないやりかたである。
 神社の本殿にはそうやって起こした電気の光はなかったが、母屋の窓からは人工的な白く冷たい光が漏れており彼らの生活が外のそれとあまり変わらないことを教えている。
「郷に入っても郷に従う気はさらさらないか・・・。」
 幻想郷に合わせて地に足を着けて暮らしていくという意志がない事をそれは示していた。
 霊夢の言う神威とやらはよくわからないが、文明に染まった神の末路はかくも下品なものかと思い至り残念に思う藍。あれを見てしまうとどんなに威厳を備えた神といっても歴史の重み、積み重ねた年輪を感じなくなり安っぽく見える。今なら霊夢の言っていた事も納得ができそうである。

 藍は博麗神社の元社務所を母屋兼事務所として三角山に構えているが、そこに紫が便利だからと外から持ち込んだ幾つかの道具が保管されている。その中には電気の力で動くものや、電気を起こすものなど、守矢神社で行われているであろう生活もやろうと思えばそのまま再現も出来る。しかし、藍はそうした外の物が好きではなかった。
 外で暮らすと言うのであれば、外の生活に合わせて馴染もうとも思うが、幻想郷に住む限りはそこにあった生活の仕方をするのが美しい在り方だと思うのである。
「ここは・・・美しくないな・・・。」
 会見、と言っても書状を渡して契約書を貰ってきただけだが、その時傍らに東風谷早苗という霊夢と同年代くらいの少女がいた。貧しい生活をしている風には見えず、丸々と肥えているわけではないが、充分な栄養を与えられた恵まれた生活をしている事はわかる。
 彼女からは神に仕える巫女の風格も緊張感もなく、ただ巫女の格好をしているだけで、神社に使える本物巫女には見えなかった。
 洩矢諏訪子の姿は見えなかったが、彼女が唯一素性が分かっている存在で、かつてはミシャクジ様と呼ばれていた諏訪の土着神である。守矢神社内においては八坂神奈子が表向きトップのようだが、能力的には諏訪子が実質のトップだろう。
 八坂神奈子は洩矢諏訪子の傀儡として動いているだけかもしれないが、彼女にそれをさせる動機が見当たらない。あるとするなら建御名方神に反旗を翻す為の戦力を養う下地作りか・・・。
 しかし、その事は紫にも上申したが、地上の様子から諏訪子が反逆する理由は見当たらないそうである。何とも謎が多い。
 この時点でその意外な黒幕の正体が誰か、藍も紫も知る由もなかった。


「帰りましたね。」
 神社の窓からスキマに消えた九尾を確認する東風谷早苗。そして消えた八雲藍の気配と入れ違いになるように、守矢神社本殿に洩矢諏訪子がどこからともなく現れる。
「首尾はどうだ?」
 大きな帽子を被ったどこから見ても少女の姿をしている諏訪子だが、大人のような口調で声に独特の威風がある。姿は幼いが中身は日本の神話より古い土着神である。
「ほら。」
 本殿中央であぐらをかいて座っている神奈子は近寄ってきた諏訪子に、九尾が持ってきた八雲紫の書状を渡す。
「八雲紫本人が来ぬとは、神奈子も下に見られたものだな。」
 書状を読みながら神奈子を笑う子供の様な姿の諏訪子。一方大柄な神奈子は大きな注連縄の輪を背に纏っていた。この格好は一応の正装である。
 諏訪子が10歳位の年端に見えるのに対し、人間で言えば丁度その10歳位の子供の母親程に見える神奈子。だいたい30代前半から半ばというあたりだろうか。
「まぁいいさね。連中、人間達のやろうとしている事に気づいていないみたいだし、こっちとしても好都合さ。」
 八雲紫が来ると予想していた神奈子だが、人間の計画を知りそれに荷担すると決めた以上、今は紫に会わないほうが良いと判断している。下に見られるのは癪だが下手に駆け引きをしてこちらの企みを勘付かれるより良いと思う、内面が顔に出てしまいがちな神奈子。
「霊夢に力を与えればいいのか・・・なるほど、私の力を搾り取って神奈子を引きずり出す気だな。」
 異変の全容と守矢神社の依頼内容を見て紫の策を見抜く諏訪子。八雲紫がこちらを疑っている事は重々承知しているので直ぐに思い至る。
「紫は恐らく我々に赤っ恥をかかせる気だ。」
「私の次は、神奈子しかいない。その神奈子が霊夢に卸りない、卸せないという既成事実を作りたいというわけか。」
「まぁ、確かに私は霊夢には卸れないね・・・でも、それが何故かを常識で考えちゃーいけない。常識に囚われる八雲紫も案外たいしたことないね。」
 くつくつと笑う神奈子。
「幻想郷がこのまま新しいものを受け入れないという態度を続けるなら、我々もいずれ対決しなければならんな・・・。」
 状況を楽しそうに笑い八雲紫の吠え面を想像する神奈子に対して、やりすぎればいずれ抗争に発展すると予想する諏訪子。神奈子には神奈子の目的があるが、それは必ずしも諏訪子のそれと同じではない。諏訪子には諏訪子の目的があって早苗と神奈子について幻想郷に来たのだ。
「人間の計画が成功すれば、実質我々が勝利したも同じ。天狗もたらしこめば我々の発言権は大きく上がる。そうなれば荒事にならなくても話し合いでなんとかなるだろう?」
「ふむ、それは確かに・・・。」
「この地域だけ特例区であっても良いだろう?私は別に幻想郷全体に電気を通せとは言ってないしな。」
「ついでに外の電波を受信できるようにか・・・。」
「外の常識がいらない幻想郷で、外と同じ生活が出来る。お前だって最初は何だかんだと言っていたくせに、外の世界にすっかり馴染んでしまっただろう?」
「別に馴染んどりゃせん。郷に入って郷に従っているだけじゃ。」
「古き良きと言って新しき物を排除するのは伝統とはいわん。」
「そんなことは分かっておるさ。ただ、ここはその古き良きを保存するような場所だ。わざわざ押し掛けて波風立てる必要はあるまい。」
「だから、私はあくまで自分達だけの事を言っている。幻想郷の片隅で彼らと違う生活をしても問題ないだろう?」
 2人の口論は次第に熱を帯びてくる。2人の主張から分かるように八坂神奈子は幻想郷で外と同じ生活を出来る基盤を作ろうとしている一方で、洩矢諏訪子は幻想郷に馴染んで生活スタイルを妥協すべきと考えている。
「二人とも喧嘩はやめてください。」
 角を突き合わせて今にも取っ組み合いになりそうな二柱の間に割ってはいる早苗。
「誰の為に喧嘩していると思っておるのじゃ。」
 早苗を叱り付ける諏訪子。
「おっと、早苗に八つ当たりはやめるんだな。」
 早苗を庇う神奈子。
「ふん!勝手にしろ!」
 まるで自分が悪者にされた気分になって憤って外に出てしまう諏訪子。
「ああ、諏訪子様!」
 慌てて追いかける早苗。
「全く、面倒くさいやつだな。おい、早苗!ここはもういいから諏訪子を見てろ。」
「あ、はい。分かりました神奈子様。」
 諏訪子を追いかけようと外に向かいながら後ろから声かけられた早苗は身体は前を向いたまま神奈子を向いて返答し、そのまま本殿を出ていった。
 神の血脈といえば天皇が最も有名だが、東風谷早苗は洩矢諏訪子、つまり諏訪の土着神の血を引いており、日本でも有数の古い神様を先祖に持っている。
 神の血を引いているからといっても特別な事が出来るわけではなく、ほとんどの場合は普通の人間と何も変わらない。しかし、東風谷早苗は特別な力を持って生まれ、現人神として幼い頃から特別に育てられていたのである。洩矢諏訪子にしてみると早苗は可愛い孫であるため、幻想郷に移住する際に心配でついて来てしまったのである。
 八坂神奈子が早苗の守護神的立場にいて何においても早苗を庇うが、諏訪子の場合身内として老婆心をこじらせて何かと躾を施そうとして二人の関係に水を差す事多々で、その度に追い出されてヘソを曲げてしまうのだ。
 早苗は幼少から蝶よ花よと育てられ、幻想郷に来る直前まで生活をする上で何の苦労もしていなかった。その為、家事全般何も出来ないまま育ってしまい今現在ようやく家事をさわりはじめたのである。
 神奈子も家事全般まるで出来ず、それらはもっぱら諏訪子の仕事で、実生活の上で事実上守矢神社を牛耳っているのが諏訪子であり、彼女を怒らせる事はまともな生活が出来ない事を意味する。
 諏訪子もそんな時はしばらくストライキを起こせばよいものの、可愛い孫にちやほやとされれば機嫌を直さずにはいられず、いつもの喧嘩もいつもどおりに終息するのである。

「やれやれ・・・。」
 外から諏訪子と早苗のやりとりがかすかに聞こえてくる。神奈子はそれを耳の端に入れながらもう一度八雲紫の書状に目を通し改めて考える。
 かなり大掛かりな異変になるだろう。ここで面白いのは、紫の計画と人間の計画が見事に重なると言う点である。
 霊夢に卸りて力を与える作業と、天を封印する儀式は博麗神社で執り行われる。そして、それを予測したのか人間達は博麗神社に神頼みに向かうという事である。
 霊夢の儀式が別所で行われる事になると、人間達の神頼みの儀式は肩すかしになる。まぁ何かをするとなれば博麗神社以外に適当な場所はないだろうし、これは当然の結果だろう。
 そしてさらに面白いのはこの人間の計画を八雲紫らが知らないということである。知っているならそれなりの対応をするようにこちらに打診してくるはずだが、そのような文面はこの書状に何も書かれていない。
 外から神様を呼び寄せる事に関しては、自分らの存在ですら煙たいと思っている紫である。それは絶対に許されない事だろうと容易に想像出来る。
 恐らく人間、いや、この計画を立案した責任者は八雲紫から咎めを受ける事は間違いない。それすら承知で神に頼ろうという健気な人間達に協力してやらないわけにはいかないだろう。
 八雲紫の書状には霊夢に力を与える事以外特に制限制約はない。人間達に協力するなとも書いていないし、そんな計画を知ったら報せろとも書かれていない。
「ふふふ。」
 神奈子はニヤリとする。
 八雲紫と人間側の要請は、どちらか一方を立てる為にどちらか一方を捨てる必要はない。場所も時間も同じで、双方の要請に応える事が出来るではないか。
 仮に人間側のやろうとしていることで、彼らが八雲紫の咎を負う事になっても自分達に責任は及ばない。
 八坂神奈子はこれまで行ってきた謀に対して何れも妨害を受け思い通りにいかなかった。しかし、これまで逆風となっていた風向きが変わったと感じ始めていた。
「神奈子・・・おい、神奈子!飯だぞ!」
 気付くと神社本殿は暗闇に包まれ、既に夕刻となっていた。呼びに来た帽子をとっておたまを持ったエプロン姿の諏訪子に声を掛けられて、あれからだいぶ時間が経っている事に気付く。
「諏訪子・・・。」
「ん、何だ?」
 神奈子の様子がやけに神妙だったので、立っていた入り口から本殿に上がってくる諏訪子。
「何か不要なものはあったか?」
「不要なもの?」
「いらない物を破棄する大きな焼却炉が出来るらしい。」
 八雲紫の書状に不死鳥の転生の際に発生する熱で何でも処分出来ると書いてあった。それは単にゴミの処分ということではなく何かの因縁を消し去りたいなら、それにまつわる物をこの火で焼けば因縁も消えるそうであるとの事。この異変に裏で加担する者達は何れもこの浄化の炎を個人的な事に利用しようとしているので、協力へのささやかな対価として遠慮無く利用するようにとの有り難い八雲紫の申し出である。
「ああ、藤原妹紅とやらが不死鳥を転生させるというやつか・・・。わしは特にそんなものはないがな。」
「・・・なぁ、あれを処分するか?」
「あれ?」
「旧地獄の出来損ないの馬鹿烏だよ。」
「ああ、あれか・・・別に捨て置いてもかまわんのでは?」
「あれは失敗だった。あまりにも知能が低すぎた。」
「知能が低いからこその身体能力ではないか?あれに変わる器はそうないだろう。それにあれは使う方に問題があったのではないか?」
「私の所為かい?」
「他に誰の所為だと言うんだ?」
 旧地獄で見つけたおもしろい烏を利用して、自家発電する生命体を生み出そうとした神奈子。自制心のない下等な生き物に大きな力を与えすぎ、暴走させてしまい計画は失敗に終わる。
「残して置いてもしょうがない。あれは処分した方がいい。」
「慈悲はないのか?」
「自分の不始末は自分でつけるさ。それが罪だというのなら罰は受けるさ。」
「お前への罰は早苗への罰と同じぞ?」
「そうならない為に、不死鳥の火で焼くのさ・・・。」
「そうきたか。まぁ、早苗を不幸にすることだけは許さんぞ?」
「肝に銘じるさ。」
 神奈子はそう言うと立ち上がって諏訪子の横を通り過ぎ、すれ違う際に小さな肩にポンと手を置いて本殿を去って行った。

 諏訪子は神奈子が消えた本殿の入り口をしばらく眺めていた。
 早苗を守る事に関しては神奈子も自分も同じである。しかし、その方向性ややり方には違いがあり、神奈子が早苗を意を汲む方向にあるのに対し、諏訪子は必ずしも早苗を尊重するのではなく、早苗に今の在り方を変えて欲しいと思っている。このまま誰の言う事も聞かずに早苗の自我が膨らんでいけば神奈子を悪神に変えてしまうかもしれない。奇跡の力で早苗の心より生まれた早苗だけの神様は早苗を守り早苗の思うがままに世界を変えようと目論んでいく。
 向こうの世界に居場所を失い、幻想郷という新天地を求めてやってきたものの、外の世界と同じ生活水準を望む早苗の無意識な思いが、生活基盤となるエネルギーの供給源を作らせようと神奈子を動かしている。
 一見すると幻想郷で新しい生活を営もうと健気に頑張ろうとしている早苗だが、内面のどこかにこの幻想郷の原始的な生活に対してストレスを感じており、それから救おうと自らの奇跡の力で生み出した神奈子が躍起になっているのだ。
 早苗は自分の潜在意識が神奈子を動かしている事に気付いておらず、神奈子のやっていることを表向き関心がなさそうに装いつつも、内心は応援していたりする。
 とりあえず発電機で家の明かりや家電製品は動かせる。外から持ち込んだテレビやビデオといったもので暇はつぶせる。その恩恵に自分もあずかっているし、これくらいならいいだろうと諏訪子も思う。ただ、その要求がだんだんと大きくなり、神社の外にそれらを求めるようになったらどうなるか?早苗の潜在意識に作用される神奈子は、その思いを敏感に察知して動き出すのは間違いない。早苗が満足するの為の様々な道具、お店、娯楽施設など、考え出したらきりがなく、幻想郷はその度に異変が起こるだろう。どこかで歯止めを効かさなければならない。
 早苗は神奈子とは阿吽の呼吸で心が通じていると思っている。しかし、それは正しくもあり間違いでもある。早苗は無意識に神奈子に命令して神奈子はそれをただ請け負っているだけの関係なのだ。
 優しさが欲しいならそう望めば神奈子は優しい母親となり、元気が欲しいなら神奈子はよき師となって叱咤激励をしてくれる。

 神奈子が自分の意志でコントロールされていると知ったら早苗はどうなってしまうのだろうか?早苗の心の向きで大きな変化が訪れるだろう。魔が差せば幻想郷は悪しき方向に向かうだろう。
 このことを早苗に告げるのは時期尚早だと諏訪子は思う。早苗が心身共に成長し、強い自制心を持ってからではないと危険である。
 幻想郷の住人は皆早苗を過小評価している。博麗の巫女や人間の魔法使いに痛めつけられ、降参すれば神奈子が良き調停役として早苗にとってプラスとなる方向で話を取りまとめてくれた。これこそが早苗の力が作用している奇跡の力なのだ。神社をまるめこんだことで紫の警戒心を弱めている。
 早苗が悪しき方向に傾けば、神奈子も悪になる。しかし、良き方向に傾けば神奈子も良き立派な神となれる。全ては早苗次第なのだ。
 諏訪子にとって早苗は子孫であり可愛い娘同然である。頭では色々な事を考え早苗の為に心を鬼にしようと思っていても、いざとなるとつい甘くなってしまう。
「誰か・・・早苗と神奈子を叱りとばしてくれる強い者はおらんものか・・・。」
 遠くから自分を呼ぶ可愛い娘の声が聞こえる。
「今いくー!」
 気を取り直して愛嬌良く返事をする諏訪子だった。

東方不死死 第46章 「陰謀」


 とっぷりと陽も暮れ人間から妖怪の時間へと移り替わる幻想郷。
 幻想郷の未来を占う上で重要な一日が過ぎようとしており、その運命の一端を握る重要人物らが博麗神社に参集していた。

 博麗神社の母屋から数名の女性の談笑の音が聞こえてくる。
 重要な会合の場として設けた席だが、酒が入ってのことなのか緊張感があまり見られない雰囲気である。
 冬にはコタツとして利用するあまり大きくはない正方形のテーブルを八雲紫、八雲藍、八意永琳そしてこの家の主である博麗霊夢が包囲し、目前の山盛りの料理と酒を攻略していた。
 天才と名高く、医師であり科学者でもある八意永琳を味方に付けた八雲紫はこれ以上はないという協力者を得たと、気が大きくなっていつもより饒舌になっているようだ。紫の忠実な僕九尾の八雲藍は、そんな主が口を滑らせて余計な事を言わないか内心ハラハラしながら事の成り行きを見守る。
 八意永琳はこの異変に関しては力強い協力者であっても、心置けない危険な存在であることに変わりはない。何を考えているのか九尾の藍であっても心の内を見透かせない永琳。永夜異変の時から何度か会ってはいるもののその存在の異質さは生理的な嫌悪感すら覚えた。
 しかし、今目の前にいる永琳は以前とはどことなく、いやかなり違っている様に見える。霊夢の作った料理について興味を示し、材料や作り方など質問しメモもとっている。それ以外でも幻想郷について興味深く質問しているのだ。
 以前は素っ気なく無表情だった永琳だが、一体どうしてしまったのだろうか?この永琳の変化は、より一層の警戒心を煽る要因として藍の気苦労を増大させていた。
 変わったと言えば主人である八雲紫も同様で、妹の魂と合ししてから力が単純に2倍に膨れあがり、強くなった分小さな事に気を留めなくなり、大らかになったのは良いものの若干慎重さが欠けているように見える。
 力が2倍というとそれほどでもないように思うが、1の2倍で2になるという小さな掛け算ではなく、この場合1京が2京になるような桁違いの掛け算なのである。その力の大きさの変化量は計り知れないものがあり、これは幻想郷の広さを単純に4倍に出来る力を得ていることになるのだ。
 巨大な存在は得てして足元に蠢く小さな存在を無視しがちだ。藍は、自分の役目は大きな視野を持つ紫の死角をカバーすることだと思い、通常よりも慎重に行動する事を心掛けるつもりでいた。だが、藍は気付いていない。自分自身もまた足元が見えない程の巨大な存在だと言うことを。
 そして、小さき者達が既に足元で動き始めている事に気が付いていなかったのである。

「運命について霊夢はどう思う?」
 その問いかけに箸が止まることなくまるで聞き飽きたという素振りを見せる霊夢。それは突然振られた質問ではなく、先程から八雲紫と八意永琳との間でずっと続いている話題だからだ。
 霊夢は興味が無かったので黙々と食べることに集中していた。話を振られてもすぐに返す為の言葉を予め用意していなかった。無視するのもどうかと思い質問に対しては漠然と思っている事を率直に口にする。
「運命は確かに存在すると思うけど、だからといってそれを具体的にこうだと説明するとなると困るわねー。」
 幻想郷の住人は、運命の存在を漠然と信じている。誰かと誰かの出合いは偶然ではなく運命だと無意識に考える者もいる。例えば紫と幽々子、霊夢と魔理沙、霊夢が巫女として生まれた事も含めて、それは全て運命ということである。
 それに対して永琳は、それらはあくまで結果論で、過去の積み重ねによる必然で、無数に起こっている必然の中で特に印象に残る事を特別に意識することで起こる一種の感傷に過ぎないと、頭の固い学者らしい返答をする。
 個人を基準に置くか、世界を基準に置くかで見方も変わってくるが、先程からその堂々巡りで話が進まず、最初は藍に、そしてついに話が霊夢に及んだというわけである。
 藍は紫ほどロマンチストではないので、ただの確率の問題だと思う一方、上位妖怪である自分が当時格下だった八雲紫の式神になった劇的な経緯を考えると、単なる確率論で済ませるのは釈然としないというか勿体ないという思いもある。運命のいたずらなどと言われるが、何者かにそう仕向けられたように錯覚する事は過去に何度か経験している藍。
「霊夢はどちらかというと紫様に近いか・・・。」
「何て言うかさ、もうすでにあるものとして生活しているっていうか・・・。」
 たらふく食った今日のこの日も劇的な運命のいたずらと思う霊夢。つまり霊夢にとっては全ての事象が運命なのだ。運命とは特別な事ではなく当たり前に存在しているというのが霊夢の持論である。
 八意永琳は、例えば幻想郷という存在は運命によって八雲紫に作られたのではなく、紫がいなくてもいずれ誰かが作るもので、たまたまそれが紫だったという発想の仕方をする。霊夢もたまたま巫女になっただけで、別の巫女、例えば博麗霊子が生まれても紫と会って今のこの席について話しあっていると考えるのだ。それは確かに一理あるように思える。

 世界が生まれるとする。誕生と成長、そして終焉はどんな世界であっても等しく与えられるものである。必然すら超越した運命論を信じると、行き着く先は星の寿命ですら運命ならどうとでもなるようなそんな究極的な話しになってしまうが、実際問題としては、この幻想郷とて世界を構築する基礎が無くなれば消滅するのだ。誰と誰が会って何とかというすごいものを発明して素晴らしい業績を残したとして、そんなものは世界という枠組みで捉えれば大した意味にならないのだ。何故なら科学で証明出来る事は既に自然の摂理として存在し機能している常識で、人間はその現象に勝手に名前を与えているだけだからだ。
 永琳も運命を信じないわけではない。例えば創主の存在はこの世界の唯一の運命によるものだろう。逆に言えばそれ以外のものを運命とは呼びたくないのだ。
 八雲紫が創主の別の姿である事を知らない永琳。それを知れば運命を感じずにはいられないだろうが、彼女がそれを知るのはもっと後のことである。

 運命に話が及ぶ事になったきっかけは、もちろん吸血鬼レミリア・スカーレットをこの異変でどう料理するかという話しなったからで、彼女の運命を操る力が無意識に異変に影響を与えているという紫の持論に対して、永琳が意を唱えた事に起因する。
 そんな議論をしているうちに、もしレミリアがその能力を使いこなせているなら、世界はどうにでもなってしまう。無から突然有が発生するなどという、物理の法則を完全に無視した事が出来てしまうではないかという永琳の反論が話を膨らませてしまったのだ。
 ここに藤原妹紅がいたなら、それは運命を紐解く力とセットの力で単品ではあまり役に立たない能力だと知らされて、数時間に及んだこの議論を一瞬で終わらせていたことだろう。
 この話を永琳が知っていれば、中途半端にレミリアの力が現状を動かしているという説に歩み寄る努力が出来たかもしれない。

 この宴会兼重要会議の会場は、霊夢にとって正に戦場だった。それも一兵残さず平らげる大殲滅戦だ。
 油揚げを使った藍好みの料理を数品必ずつけることを条件に大量の食材をもらった霊夢は、惜しげもなく今夜の晩餐に戦力の7割以上を注ぎ込んだ。
 皿が足りなくなるので、銘々皿ではなく大皿に豪快にどんと料理を並べ各自取り皿に必要な分だけ取るという方式をとった。この方式にすれば遊兵を極力抑えられ、正面突破が非常に有効で、突撃戦法が得意な霊夢と非常に相性が良い。
 霊夢が作ったテーブルの上の料理の半分は主に作った霊夢一人で攻略し、他の3人で残り半数を攻略した。ほぼ戦場を制圧した霊夢らは後は勝利の祝杯を上げるだけだが、祝杯は既に開戦前から既にあげられてた。
 ようするに最初からクライマックスだったというわけである。

 そんな霊夢を尻目に進めていた運命論もここまでくると具体的に目に見える形で再現できないと互いに納得できないという結論に至る。当たり前と言えば当たり前の成り行きだが、というより最初からそこに行くべきだった。
「絶対起こらない事をレミリアにやらせてみるってのはどう?」
 霊夢が半分酔っぱらいながら得意げに人指し指を立てて提案する。
「例えば?」
「そうね・・・例えば、そう!不死身の蓬莱人が死ぬ。なんてのはどう?」
 蓬莱人の目の前でとんでもない事を言う霊夢のえげつなさは相変わらずだが、確かにこれ以上の検証方法は思いつかない。
 そんなことを言われて不快になるのではと一瞬心配した紫らだが、永琳は何故かその霊夢の提案に耳を傾け何かを考え始める。どうやら自らの命も省みず霊夢の案を基に何か策を考えているようだ。
「一つ名案があります。この異変にも合わせて・・・。」
 その言葉に一同興味を示し、それぞれテーブルに肘をついて乗り出して、酔って熱くなった息づかいを互いにが感じ取れるくらいに前屈みで聞く態勢に入る。
「蓬莱人である我々も、世界を構築する基礎を失えば死にます。厳密にいえば命が失われるのではなく、存在が消滅するといえばよいでしょうか?幻想郷風にいえば歴史から消える・・・ということになりますか。幻想郷という隔離された世界が何らかの理由で崩壊し消滅すれば我々も当然消失すると思います。」
 断言出来ないのは、試した事がないからである。
「ふむ・・・蓬莱人を殺すには幻想郷を消すしかない・・・ということか。」
 藍が顎に手を当てて考え込む。まぁ、当たり前と言えば当たり前だが、これでは運命の検証にならない。
「レミリアに幻想郷を消せと頼めばいいの?でもそれじゃ私達も死んじゃうでしょ?」
 霊夢も藍と同じように検証にならないし、しては駄目だという認識を持つ。
「なるほどあなたの言いたい事が分かったわ。」
 そんな2人を尻目に言葉通りの意味ではない事を直ぐに理解した紫が得心して理解を示す。
「蓬莱人を殺すには、幻想郷を滅ぼせばいい。そしてレミリアが蓬莱人に死の運命を与えれば、レミリアの意図には関係なく幻想郷が道連れになって滅んでしまう。」
「はい。彼女がもし私達を殺そうとすれば、幻想郷に多大な悪影響を及ぼす『何か』が生じるはずです。」
 表情を変えず御猪口の酒をくいっと喉に流し込む永琳。
「そうか・・・その『何か』はもうすでにありますね。」
 藍もニヤリとして頷く。
 幻想郷を滅ぼすであろう永琳の要塞は、滅亡因子として既に存在している。
 この要塞は地上の危機を察知して、危険因子が最悪の事態になる前に予防行動をとると考えられており、その予防行動が幻想郷に出現する事である。
 出現した要塞は危険の発生源である幻想郷上空で、危険因子の妹紅や紫を監視して、危険と判断した時幻想郷に対する破壊活動が始まると予測される。

 永琳はレミリアの運命を操る力の検証も兼ね、蓬莱人の死という世界崩壊と同義状況を先に作り出し、逆算するように滅亡因子である防御要塞を引きずり込もうと企むのである。
 幻想郷を滅亡させる因子は他にもあるだろう。例えば、守矢神社で画策している核融合などの地上の技術の持ち込みによる環境汚染。月の軍勢が攻めてくるというのもありない話ではない。
 守矢神社については、これまで何度か試みられているが全て失敗に終わっており、現在お空と呼ばれるさとりのペットが要注意人物として八雲藍はマークしているが、彼女を倒す事は容易で正直なところ幻想郷の脅威とは程遠い。
 月の軍勢が攻めてくるという事については、永琳の防御要塞がその侵攻をくい止める役割りをしているわけで順番としては、今回の異変の後の話しといえる。

「そう都合良く永琳の要塞が落ちてくるものなの?」
 霊夢は永琳らが当たり前の様に言うその巨大な物体の存在がどうしても眉唾にしか聞こえない。
「その点は大丈夫です。姫が実際に幻想郷が滅んだところを見てきましたから。」
 あっさりととんでもない事を言う永琳。実際に見たのだからこれ以上の証拠はない。
「だから、それが信じられないっての!」
 もっともである。
 予測が正しければレミリアが蓬莱人に死の運命を与えた瞬間、防御要塞が幻想郷に引き込まれてくるはずだ。そうなればレミリアの運命を操る力は確かに存在するという裏付けになり、仮にそうならないなら、レミリアの力は眉唾と結論付け、当初のやり方で異変を進めればいいだけである。

「まず、紅魔館と永遠亭の間に確執を生じさせ深刻な事態を作る。その抗争の過程でレミリアがキレるなりして、永琳か月のお姫様を滅ぼす運命を与える。それは即ち幻想郷の滅びのフラグ。ふふ、なかなか楽しみな状況ね。」
 紫が順を追って説明し、その事態を想像して楽しそうにほくそ笑む。それを見て霊夢は眉を八の字にしてもどかしげな表情を浮かべる。
「ええ、こうすれば我々が黒幕とばれず、レミリア・スカーレットが起こした異変として処理できます。」
「ちょっと待って!それだとレミリアが悪者じゃん?」
 永琳が言った後、それを聞いた霊夢が抗議する。霊夢としてはレミリアが悪者になろうと関係ないと思う一方で、この事態を引き起こした事になればその罪は当然責められてしまうかもしれず、吸血鬼といえども子どものレミリアには少し酷だと擁護する霊夢。
「レミリアが例え悪者になるとしてもだ。その前にあれを何とかする方が先だろう?」
 あれとは防御要塞のこと。レミリアの問題はどっちにしろ後にあると藍が問題の優先順位を霊夢に諭す。実際問題として幻想郷の上空に巨大な物体が現れれば紅魔館と永遠亭の確執などどうでもよくなるだろう。むしろ災い転じて呉越同舟もありえる。
「・・・。」
 紫が扇子を顎に宛て何やら考え始める。雰囲気が変わり長考の気配を感じた3人はしばし沈黙する。
 10分以上そうしていただろうか?目を開いた紫の様子に先程までの緩さはなかった。
「決まったわ。この異変の全てが。」
 異変をどう納めるかは粗方段取りはついていたが、いつどのタイミングでどのように始まるかはまだ複数の案があり決まらなかった紫。そして今その異変の全容がついに決まる。
「永琳。先程言った紅魔館と永遠亭の確執の件、それ本当にやってもらえないかしら?」
 冗談ぽく話していた永遠亭と紅魔館の確執を紫は本当にやれないかと提案する。
「ふふ、我々には情報操作に長けた優秀なエージェントがいますから・・・お引き受けします。」
 クスクス笑いながら永琳が紫の提案を了承する。そして、そのエージェントと聞いてその場にいる全員がピンとくる。あの性悪兎だ。奴の巧みな話術と交渉術に掛かれば子供のレミリア・スカーレットに対抗できる術はないだろう。永遠亭はともかく紅魔館側は壮絶にぶち切れるのは必至だと、ここにいる全員が容易に想像できた。
「それなら、事の経過を幻想郷の住人が把握出来た方がいいですね。」
 紅魔館と永遠亭との確執は、人知れず水面下で進行してある日突然要塞が現れるという周囲から脈絡が見えない状況よりも、永遠亭と紅魔館の争いが発生し、エスカレートする状況を幻想郷の住人が具に見聞きした上で、幻想郷終焉のシナリオをレミリア自らスタートさせるという状況を演出した方が劇的であるし、何よりこちらが黒幕である事がばれずに済む。もし、突然要塞が降って湧く状況に接した時、幻想郷の住人が真っ先に疑うのが八雲紫であり、これでは最初から茶番とバレてしまう可能性が高い。
「明日、比良山様の所に行く時、ついでに情報操作に使える文屋を貸して貰う事にするわ。」
 異変については比良山次郎坊も一枚噛んでおり、幻想郷の東側で起こる大規模な異変に対して、天狗側が独自に治安維持行動を行わない様に予め根回ししておく必要があり、具体的な日取りが組めそうなので、一報を入れるつもりでいたのだ。
 しかし、文屋と聞いて霊夢が誰かを思い出す。
「文じゃだめなの?あ、そういえば最近文見かけないわね・・・。」
 幻想郷に紅魔館と永遠亭の確執を広く報じる為に新聞報道が欠かせない。ここで霊夢らの言う幻想郷とは妖怪の山より東の地区の平野部を指し、ここには鴉天狗の射命丸文が頻繁に現れて、あることなすこと報じて回る。大天狗の比良山次郎坊から新たに文屋の調達しなくても良いのではないかと思う霊夢。それと同時に、文の名前が出た時、彼女が最近姿を見せていない事に気付いた。
「文は、捏造は得意だけど、誰かの為にねつ造記事を書くようなタイプではないわ。そもそも本人は自分の記事を捏造とは思っていないし、捏造は悪だとすら思っているでしょうから。」
 文について考察しながら捏造をしている事に無自覚で真面目に不正を働く様に思わず吹き出す紫は、すぐに真顔に戻って、でもと付け加える。
「文の記事自体に見るべきところはなくても、彼女の行動力と確信に迫る勘の良さ、事件の匂いを探り当てる嗅覚は大したものよ。」
「だったら、なおさら文でいいじゃん?」
 友達でも何でもないと普段思っている人間や妖怪達も、いざとなると庇ってしまう霊夢。
「この場合文の探る能力が高過ぎて、裏で異変の糸を引いている者の正体を見抜いてしまうかもしれない。これが一番の問題というわけだ。紫様はそれを案じている。文の鼻が我々を嗅ぎ付けでもしたらどうなる?異変は頓挫してしまうかもしれない。」
「スクープとして幻想郷中に異変の存在が知れ渡る可能性がありますね。」
 永琳がふむとうつむいて考え込む仕草をする。
「治安維持活動が発動されるとこっちは身動きできんしな。それに、こっちよりも妹紅を嗅ぎ当てでもしたら文が無事でいられるかどうか、そっちの方が心配でもあるな。」
 秘密保持の為に妹紅なら文を始末してしまうかもしれない。妹紅の実力を知らない時なら文が遅れを取るとは思わなかったが、今となってはここにいる化け物連中でも命の保証がないほど妹紅が強い事を知っている霊夢。
「文が姿を見せないのは、紫がそうさせているの?」
 紫らの話から文が姿を見せない理由がある程度は見えてきた霊夢。
「ええ、射命丸家は鞍馬山の一門。鞍馬と親交のある比良山様を通じて文の越境を抑えてもらっているの。」
 文は新聞の内容に関して度々注意や譴責処分を受けており、今回は比良山次郎坊を通じて妖怪の山新聞報道倫理委員会の査問会を特別召集してもらい、しばらくの間身動きがとれない状況を作ってもらっている。
「なるほど・・。」
 人間を端っから下に見る文と妖怪の狩人である妹紅は相性が最悪だと思われる。ぶつかったら必ず闘争に発展するだろう。どうやらそうならないようで少し安心する霊夢。
「後の問題は・・・。」
「吸血鬼の小娘をどう料理するか?どうやって責任を負い被せて罪人に仕立てるか?」
 藍がわざと意地悪く言って霊夢を煽る。むっとした霊夢をなだめる様に紫は藍を制した。いかにも何か策があるという表情をしている。
「この異変を仕切る者が必要になるわ。」
「妹紅を利用して要塞を破壊するという案を、レミリアから出させ、彼女に指揮を執らせるのですね?」
 永琳はすぐに紫の考えを理解する。
「ええ。この異変はレミリアが引き起こした異変であり、レミリアがその責任を取って収める彼女の異変にするのよ。」
「なるほど!」
 藍がひゅーと口笛を鳴らし感嘆の意を示す。
 レミリアが起こした異変をレミリア自身が治めようとした場合、解決屋である巫女の霊夢を頼り、更にこの危機的状況を何とかしようと立ち上がってある程度の人材が紅魔館に集結し、異変を終わらせようとする組織的な動きが必ず起きるはずである。
 霊夢がレミリアに味方をするなら、協力者は霊夢の交友関係にも波及し八雲紫にも協力の打診が行える。レミリアの陣営に紫をつけることも出来、誰に疑われる事無く異変の真の首謀者が傀儡として操る偽物の首謀者に参謀として付くことも可能であう。
「完璧ですね。」
 永琳もこの作戦に好印象である。
「(レミリアが異変を起こし、それを治めて英雄になれば、自然とその事は妖怪の山に伝わるでしょう。私が手を下さなくても天狗に目を付けられた吸血鬼は無事では済まないでしょうね。ふふふ、霊夢には悪いけど吸血鬼はいずれ退場してもらう事になるのよ。)」
 一瞬紫の表情が変わり、人目をはばからず邪悪な笑み浮かべた。藍はそれを見てギョッとし、咄嗟にこの表情を霊夢に見せまいと声を上げる。
「それから!」
 藍は少し語気を強めて注意を引くように発言をする。霊夢の意識がそちらに向く。
 紫が吸血鬼に対して強い敵意を持っている事は承知している。自分も同じである。一方霊夢はレミリアに対して少なからず好意的に思っている節があり、霊夢を挟んだ妖怪と吸血鬼との三角関係が見て取れた。
 勘の良い霊夢があの邪悪な紫の表情に接した時、霊夢が紫の本性を知って幻滅、最悪の場合敵対する可能性が頭を過ぎったので、そうならないように咄嗟に動いたのだ。普段ならやらない軽率な行動を最近するようになった主から目が離せない藍だった。
「少し気になったのですが、妹紅の自爆、霊夢に止められるのですか?」
 藍の発言は紫から霊夢の気をそらすためだけのものではなく、とても重要な課題だった。
「ギク!」
 霊夢がギクリとした事で、上手く話が逸れたと安心する藍。永琳はその様子を黙って観察する。なかなか面白い見せ物が見られたと内心ニヤリとする。

「私の事も問題だけどさ、それよりもあの要塞はちゃんと壊せるものなの?」
 霊夢は藍に言われかなり焦ったが、自分の事よりも根本的な問題が残っている事に苦情を言う。
 正直なところあんな大きなものを封じる結界など絶対無理だと思う霊夢。そしてあの防御に特化した要塞は、妹紅に壊す事が出来るのかも疑問である。
 異変が始まるまでの段取りは完璧に出来たが、その後、特に最後どう締めるかはまだ分からない霊夢。
 自分が結界で封じるというのは結構前から決まっていたので一応その準備をしていた霊夢だが、この永琳の超巨大な防御要塞は正に寝耳に水である。いくらなんでもアレを封じる結界は自力では不可能だ。
「恐らくあの要塞は妹紅の自爆にも耐える事が出来ます。」
 永琳が澄ました顔で無常な事を言う。
「駄目じゃん!」
「一応壊す段取りがついているわ。」
 テーブルを叩いて抗議する霊夢をなだめる紫。
 妹紅の自爆で恐らく外壁装甲と内部流体層は消滅する。しかし中枢部の核は恐らく残る可能性があり、これが残ったままだと装甲を再生してまた新しい要塞を形成してしまう。
 妹紅の自爆のエネルギーはスキマを使って向こうの世界に送るので長時間結界を維持する必要はない。しかし、要塞の核を残してそれをスキマに送ってしまうと向こうの世界で防御要塞が復活しとんでもない事態になる可能性がある。
「それじゃ、その中心核はどう処分するの?」
「スキマ砲を使う。」
「すきまほう?」
 藍の口から聞き慣れない単語が出る。スキマ砲とは何か?名称の第一印象から隙間だからけの穴ぼこ大砲をイメージする霊夢はとても弱そうに感じて複雑な表情をする。
 妹紅が自爆した結界の中は灼熱地獄になるのは間違いなく、要塞の中枢部を破壊するためにはその灼熱地獄に侵入して直接核を叩くしかない。しかしそんな事が出来る者はいないし、いたとしても犠牲を伴う危険な賭けになるだろう。
 そこで考えたのが、スキマを使って結界の中と外を繋ぎ、外から撃った大砲を中の核に当てて破壊しようという作戦である。これは一見すると仕組みが単純で簡単そうだが実際はそんな簡単な作業ではない。
 結界の中と外をスキマという一本のパイプで繋ぐというイメージを想像すればいい。灼熱の結界の中と外を繋ぐわけなので当然中の熱が外に逃げる。普通に繋いだだけでは、幻想郷に炎が吹き出して焼け野原にするだけである。
 スキマ砲は、結界の中の熱を別の空間に逃がす冷却用のスキマと、外から大砲を中に撃ち込む砲身の役目を果たす、それぞれ別々のスキマを繋いで攻撃する方法である。
 イメージとしては2本の道の両端を繋げた一本の道だが、冷却用のスキマは、実に数千キロメートルに及ぶ長大な空間で、スキマでループさせる事で物理的な距離を短くし、砲身側のスキマも長大な距離を可能な限り高速で飛行し、運動エネルギーを加えて前方に放出する。当然この砲身部もスキマでループさせる。
 弾丸として想定していたのは風見幽香の高出力レーザーだったが、彼女が怪我の治療で戦線をリタイアしているため、急遽同等の高出力エネルギー砲、マスタースパークを撃てる霧雨魔理沙に変更した。
 マスタースパークという名称で広く知られる様になったこの技は、魅魔、幽香、魔理沙の3名、一人が他界しているので現2名が使用出来る。
 この技は魔界の門を開いてそこからエネルギーを放出させる技なので、術者の魔力に依存せず、無尽蔵に取り出すことが出来る究極の無属性攻撃である。
 通常の高出力エネルギー砲は主に火が主属性であるため、妹紅の圧倒的な炎の中では威力は一気に減衰して攻撃力を失う事が予想される。療養中の風見幽香に変わって霧雨魔理沙が選ばれたのは、妹紅の炎に影響されない幽香と同じ無属性の高エネルギーレーザーを撃てるからである。
「2本の道を繋げるというより、攻撃する時に2本の道を交差させるといった方がいいかしらね。」
「なるほどねー。しかし、よくこんなこと考えるわよねー。」
「スキマでコンパクトに収めているとはいえ、長大な砲身を操作して命中させるのは至難の技ですね。」
 永琳が測量を担当する藍を一別して、一応の尊敬の念を向ける。
 常識に囚われない自在な発想力と、常識にからはみ出ない整然とした思考を同時に兼ね備えなければ、例えスキマの能力を先天的に身に着けていても、幻想郷という世界を構築することは出来ない。
 幻想郷計画は紫の独自の計画ではなく元々は博麗神社の発想であるが、実務的な作業は八雲紫と藍にしかできず、特に藍の精密な高速演算能力によって基準のない概念世界にゼロという概念を与えているのだ。
 藍が紫の式になり、この2人の間に完全な能力共有がなされたことで、紫の自由な創造力と藍の精密な理論が完全に融合し、幻の中に幻想郷という世界を構築出来たわけである。

「でもさー向こうにも都合があるわけでしょ?都合良くこっちの思惑通りに行くのかしら?」
 霊夢はあくまで冷静だった。
 防御要塞が幻想郷を滅ぼす為に現れる存在であるなら、迎撃の機会を与えないのではないかと思う霊夢。
 他の3人がそれを聞いて思わず顔を見合わせる。持って生まれた天分なのか、勝ち負けの重要な部分を適格についてくるのは流石というべきか。この霊夢の疑問にはこの要塞の制作者の永琳が答える。
「反撃の機会を与えず自由落下か若しくは加速して落ちる場合、質量の関係で幻想郷の大地に大穴を開けて食い込む可能性があります。これだけでも夥しい被害が発生しますが幻想郷の全てが消失するまでにはいかないでしょう。」
「じゃーどするの?」
「作った私が言うのもなんですが、もっとも確実に幻想郷を滅ぼす手段は、低速で落ちて一度幻想郷の地面にバウンドさせて、要塞の外壁と内部構造の形状維持が保てない状態に潰して破壊し、むき出しになったコアが地表から数キロメートル上空で爆発するのが最も大きな被害が出せるものと思います。」
 この要塞は内部の大半が液状化してそれそのものが緩衝剤としての役割を果たしている。コアを自爆させるにしてもその硬い外壁構造によって爆発が著しく弱められてしまうので、一度外壁をパージさせなければならない。その最も効果的なパージ方法は、地面に緩く激突して潰れて流体層を破裂させることである。
 拡散した外壁のパーツと内部の流体層が周辺に飛散し、その後露出したコアが爆発すれば完全に幻想郷を消す事が出来るというわけである。
「つまり、幻想郷を滅ぼすために呼び出された永琳の要塞は、ゆっくり時間をかけて落ちてくるってことで間違いないのね?」
「運命召喚式なら、間違いなく。」
「そうでなければ?」
「妹紅を危険因子として要塞は幻想郷の上空に現れて暫く妹紅の監視に入ると思います。こちらのほうが、安全と言えば安全ですけど・・・。」
「後者だと明らかにこちらの茶番がばれますね。」
 永琳の後に藍が続ける。
「出来れば運命召喚式がいいわね。」
「ふーむ。やっぱ問題は私か・・・。」
 自分以外に関しては完璧に準備が調っている事を知る霊夢は流石に落胆する。作戦の中で自分がリスクになっていることは、やはり面白くない。やるからにはちゃんとやりたい、不真面目なようで律儀な霊夢である。
「霊夢、困った時は誰にお願いする?」
「そりゃー困った時の神頼み・・・神様かな?」
「ふふ、なら神様にお願いしてみましょうか?」
「・・・それってまさか。」
 幻想郷に神様は沢山いることはいるが、基本的にここにいる神様は向こうで忘れ去られた落ちぶれた柱達が主で、霊夢に力を与えられる強い信仰に下支えされた強神はほとんどいない。
「幻想郷が滅ぶとなれば、山の神様達も協力してくれるでしょう。神様だって背に腹は替えられないわ。」
「守矢神社・・・ね?」
 守矢神社と聞いて霊夢の表情が曇る。
「気に入らない?」
「私さー・・・早苗と神奈子ってなんか胡散臭くて嫌なのよね。諏訪子はそうでもないんだけど。」
 テーブルに肩肘をついて不良が悪態を付くような態度で吐き捨てる様に守矢神社の2人を悪く言う霊夢。
「!」
 霊夢の反応に紫は驚いた。紫は約1500年前から博麗神社で様々な事を学んでいるので神社に関しては霊夢よりも沢山の知識がある。東風谷早苗は神事に携わる上での資質や緊張感はないし、八坂神奈子に相当する万能な神様を紫は知らない。もしそんな力を持った神様が居るとするなら建御名方神になると思われるが、諏訪大社は複数の神様が糾合されて一つにまとめられた信仰の元締めのような存在である。様々な力を司っているが、それらは各々の神様を纏めているためで、建御名方神個人の能力ではない。
 諏訪地方の土着神である洩矢諏訪子のミシャクジ信仰や、侵略戦争の果てに土着神を従え信仰を融合させた建御名方神の国津神信仰。そしてそれを現在の天皇の祖先である天津神の一人建御雷神が建御名方神を追って降伏させ諏訪の地に封じ込めたのである。
 新旧様々な神様がこの地で融合し独自の信仰体系を生んだ事で、主神である建御名方神は恐るべき力を持つ神へと成長し、それを監視するために建御雷神は鹿島神社に入って目を光らせている状態である。
 八坂神奈子は建御名方神の分身、或いは本人の変装のようなものかとも思われたが、彼の神は現在も諏訪の地に健在で神奈子は別神であることは確かである。
 では彼女は一体誰か?建御名方神の妻、八坂刀売神か?いや、彼の神も諏訪に居る。
 洩矢諏訪子に関しては諏訪には不在であることが確認され、これは幻想郷に来ている事を証明するものである。

「胡散臭いという根拠は?」
 藍が霊夢に聞く。
「威厳はあっても神威がない。」
「神威?」
「妖怪でも神様でも強い奴は他を圧倒する威圧感があるでしょ?それを威厳とすると、神威ってのは強くなくても持っている、何て言うかな・・・あんまし好きな言葉じゃないんだけど、家系の持っている威勢というのかな・・・。」
「なるほど・・・。」
「藍や紫には威厳はあっても、当然神威はない。たまにみる豊穣の神様の下っ端とかは、威厳はまるでないけど神威は多少はあるの。でも・・・。」
「でも?」
「永琳ってさ・・・神様の血筋なの?貴女にも神威があるけど・・・。」
「私は思兼神の天下りなので当然です。」
「へー・・・。」
 皆、驚くというよりなるほどという雰囲気で感心の意を示す。
「今の日本の神様の一族は月の世界に移住し、月の民とはあまり交わらずに独自文化体系で子孫を増やしていきました。月では穢れ事が禁止されているので繁殖は地上で行います。日本という島国は神様の繁殖地なのです。私はそこで生まれた一人で、思考だけで肉体が衰えた思兼神がたまたまこの体を選んで天下りしたのです。」
「面白いお話ね。」
「神様というとこちらの世界では何か仰々しく思われますが、神は信仰がなければ人妖とかわりません。既に信仰がある神様と、その子弟には明確な境界線がありますが、私のように天下りされれば他とは明らかに違う存在になれます。私は、思兼神の知識欲を受け継ぎ、神様達と離れて月の民と融和しそこで学び、知識の探究に努めたのです。」
 永琳は自分の出生を明かす。神様の子孫で、彼女本人が信仰される存在ではないが、思兼神が天下った事で他の神様の凡庸な子孫達とは違う人生を歩んだことを知る。
「どんな弱い存在でも、神様の体系に組みするものに備わる神威。逆に魔に組みすればそれに相応しい威勢が備わると言う事か・・・。」
 藍はそう呟きながら、霊夢が自分達とは違う感性が備わっている事を知る。八雲紫は八坂神奈子を警戒していた。それは、恐るべき存在に対する脅威としてではなく、未知の存在に対する不気味さに対してである。そして紫にとっては未知であっても、霊夢にははっきりとそれが見えていたのだ。

 八坂神奈子の一件から永琳の意外な昔話に発展し話の流れが脱線する。一時、互いの酒器に心の栄養を注ぎ回しながら話の流れを戻すための誰かの一言を待つ。
「今回の件、守矢神社の神様達にお願いするのは、単に困った時の神頼みというわけだけじゃないの。」
 霊夢の横やりで話が変わったわけだが、紫は何故守矢神社に助けを求めるか、その理由を話しだす。
「というと?」
「あなたが守矢神社に良い印象がないのと同じように、私も彼らを全く信用していない。」
「じゃー何で彼らを頼るの?」
「化けの皮をはがすためよ。」
「!」
 ニヤリとして霊夢に妖しい視線を向ける紫の言葉に反応して考え込む霊夢。
 守矢神社では信仰を獲得しようと盛んに動いている事は知っている。そうした神様達にとって頼られるということは願ってもないことであり、普通なら引き受けるだろう。
 風を吹かせるとか雨を降らせるとかなら簡単な作業で、強い妖怪が神と偽って人間をたぶらかせるなど珍しい事ではない。しかし、巫女に力を卸すというのは能力とは関係なく本物の神様でなければ無理な事である。
 彼女が本物の神様なら紫の思惑通り、霊夢に力を貸して結界を大きく広くすることが出来るはず。出来ないなら断るかもしれない。諏訪子が本物である以上、諏訪子一人だけが協力してくれるかもしれない。しかし、そうなると八坂神奈子は偽物と公言しているようなものである。
 危機的状況を利用して守矢神社に選択肢を多く与えず、その中から守矢神社の真の状況を見出そうという魂胆だろうと紫の腹の内を理解する霊夢。
「諏訪子だけでなんとかなったら?」
「何とかさせなければいいでしょ?」
 ニヤリとしてお気に入りのぐい飲みを小気味よく傾ける。
「なるほど、諏訪子に力を使い切らせるのですね。」
 永琳は紫の真意を理解するが、彼女にとっての問題は失敗作の始末だけなので守矢神社に関する駆け引きは正直関係はない。しかし、関心がないわけではない。彼らが何を考え、何に価値を見出しているのか。何を基準に行動し、何によって心を悩ませるのか。興味は尽きない。
「要塞にトドメを刺した後も異変をギリギリまで継続させるの。そういれば、神奈子の真偽が確かめられるわ。」
 この時の紫達は、人間の里の画策を知らない。この宴会が行われている正にその時、人間の里と守矢神社が手を結んでいた事を全く知らないのである。
 八雲紫が今までどおりの力しか持っていなければ、いつものようにコソコソと周辺を嗅ぎ回って他者の陰謀をいち早く把握していたことだろうが、彼女は今能力が爆発的に上昇してしまったせいで、気が大きくなり小さな事を無視してしまっていたのだ。


 博麗神社の母屋の南向きの縁側に立った博麗霊夢は、右手の木々の間から遠くに見える里の明かりに目をやりながら、夜風に吹かれて酔って火照った体を冷ますしながらぼんやりと何かを考えていた。
「どうしたの?」
 少し大人びた雰囲気を醸し出していた霊夢の後ろ姿が気になり、八雲紫は寄りそうように隣に立った。
 八雲藍は八意永琳を見送りに出ていないため、今は霊夢と紫の二人きりである。
「別に、守矢神社が目障りだからってわけじゃないのよ。」
 先程、東風谷早苗と八坂神奈子を胡散臭いと言った事を少し気にしているようである。
 霊夢は他人にはあまり関心が無く、それは良い面も悪い面も、好きも嫌いも等しく平等で、特定の誰かを褒める事もしなければ、逆にけなすこともない。そんな霊夢はその当人が居ないところで陰口のように胡散臭いとつい口にしてしまった事に困惑しているようである。
 皮肉程度のものなら日常茶飯事だが、先程の霊夢の発言は本心からくる明確な陰口であり、それは紫にとっても霊夢の意外な一面を見て驚いたところでもある。しかし、それは歴とした根拠があり、洩矢諏訪子に関しては特に問題にしておらず、東風谷早苗と八坂神奈子2人に限定されたものだった。
「私は向こうの世界も少し知っているのだけれど、洩矢諏訪子、つまりミシャクジ様は幻想郷に移住し向こうでは不在が確認されている。東風谷早苗と言う人物は失踪届け、つまり行方不明者として扱われているの。」
「神奈子は?」
「彼女に相当する人間も神様も確認されていないわ。」
「やっぱり偽物なのかしら?」
「偽物にしてはとても強く、威厳もあり存在感は計り知れないわね。」
「でも、あいつ神様には見えない・・・。」
「私もそのへんが気になるところで、今回の異変で探りをいれてみようと思ったわけよ。」
「色んな事に利用しているのね。今回の異変は・・・。」
「不死鳥の転生を間近で見るなんて滅多な事ではないわ。破壊し、再生する力。利用する手はないでしょ?」
「楽しそうでいいわねー。」
「ふふ、霊夢、貴女は博麗の巫女なんだからこっち側に来る権利があるのよ?」
 2人は正面を向いたまま会話を続けていたが、ここで霊夢が始めて紫を向く。
「こっち側?」
「幻想郷を管理運営する側って事。」
「何だかめんどくさそうで勘弁願いたいわね。」
「そう言うと思ったわ。でも、博麗神社は代々幻想郷を管理する側の一翼を担っていた。」
「今は違うの?」
「今もそうだけど、今は事情が少し違うから・・・。」
「事情?」
「良い機会だから少し詳しく話しておきましょうか。」
「・・・。」
「大丈夫よ、貴女がこっち側に来る来ないの話ではないから。」
 八雲紫はそう言って母屋の縁側から幻想郷を見ながら話し始めた。

 幻想郷という世界は八雲紫と八雲藍の2人によって形成維持されているといって間違いない。しかし、実はこの2人だけの力では、幻想郷の土地を形成し安定した状態に留める事しかできない。これは季節のない永遠に同じ状態が保たれるという意味である。
 幻想郷という隔離世界の構想そのものは博麗神社によるもので、八雲紫が神社に同調し、時代の流れがそれを後押しするように幻想郷事業が現実のものとなっていくが、彼らがこの事業に持ち込んだのが『制約の法則』である。これは魅魔の呪いの魔法を応用したもので、強い力に制限を与える事で生じる強い反発する力のはけ口を意図的に作る事で、必要な分だけの力を突出させるというものである。
 八雲紫は幻想郷に対してそれを自在に操れる創造主としての大きな権限がある。そこに強い制限、幻想郷の構造に自由に触れる事が出来ない制約をかけたのである。
 幻想郷を創ったにもかかわらず、それに一切触れられない紫だが、幻想郷の運営を司る博麗神社の許可があった時のみ、その命令に従う事が出来るという、ある種の呪いのような力が課せられる事になったのである。
 これによって紫は創造主としての実質的な権限は無くなったが、神社と紫が険悪な状態ならともかく一蓮托生であるため、紫に課せられた制限は十分な話し合いが行われる親密な状態なら必ずしも制約にはならない。
 呪いとは本来敵対する関係の中で行われるが、これを親密な関係の者同士で行い、本来は制約となるはずの仕組みを逆手にとって八雲紫の力を引き出す仕組みに利用したというわけである。この制約によって八雲紫は博麗神社の依頼に対して通常の力よりも数倍の力を発揮出来、100年を目処に造り替える予定だった幻想郷を恒久的に運営維持が出来る様になったのである。

 博麗神社が健在だった西暦1885年博麗大結界施行前、幻想郷に平和は無く当時の社会情勢の進歩によって古い物が次々に不要になって幻想郷になだれ込む事態が発生する。
 八雲紫は博麗神社の依頼もあって大結界の施行を決意し、自分の肉体と引き替えに強力な結界を施したのである。
 西暦2000年に封魔事件が発生して魅魔が隠れているが、その翌年2001年に八雲紫が幻想郷に復帰する。魅魔の吸血鬼との和睦政策の為に争いのない平和的状況が推奨され、すっかり変わり果ててしまった幻想郷に紫は愕然とした。
 博麗神社には、現代入りした神主と本陣山に移設した神社に巫女が一人だけ。紫が最後に見た当時博麗の里にあった博麗神社の人員は下働きも含めれば100名を越えており、神主や巫女など所謂幻想郷の管理者側の者も30名以上いたはずである。
 神社を失った里は結界が弱まって妖気が強く入り込み、人体に良い影響を与え人間の体質を強く変えた。これによって個人レベルでは健康で長生きする様になったものの出生率が大幅に下がり、博麗の血を強く引いた者が生まれにくくなり、現在の巫女博麗霊夢が誕生する数年前から一人も子供が産まれなくなってしまっていたのである。
 本陣山には分社を置くべきだったと後悔するが、神社が移設されたことであの山は静かになったが当時の本陣山は人食い妖怪の巣窟でとてもそこに建物を建てられる状態ではなかった。他に手は無かったのだ。
 妖怪は基本的に歳を取らず殺されなければ生き飽きるまで生きる事が出来る。しかし、平和になった幻想郷で錆び付いた妖怪達の心は肉体を蝕んで弱体化させ老衰してしまう妖怪も出ており、急遽紫は魅魔の平和政策を改めてる政策転換をする。
 数の減った妖怪を互いに競わせて死滅させる事は出来ないので、魅魔が吸血鬼戦争後に導入を提案していたスペルカードルールによる疑似戦闘システムを導入し闘争を推奨した。
 西暦2002年の夏に起こった紅魔異変を機にスペルカードは幻想郷東部に爆発的に広がり、翌2003年の春の春雪異変、同年秋の永夜異変が発生し、そこでの抗争もスペルカードで決着が決められた。
 昨年2004年春の60年に一度の幽霊大発生、同年夏に守矢神社が幻想郷入りし、同年晩秋に旧地獄異変が発生したが、ここでもスペルカードが使われた。
 スペルカードルールは順調に広まって定着し、闘争も常態化して少しずつ幻想郷に活気が生まれつつあった。しかし、抜本的な問題である博麗神社の復興は全く目処が立っていない。
 そこに来て藤原妹紅の台頭。不死鳥が幻想郷にいるわけだがこれを利用する手はない。
 幻想郷は何も神社や里がある東側の平野部だけではない。西に妖怪の山がり、この山は麓まで入れれば幻想郷の7割近い面積を占める。そしてそこを支配する天狗もまた長い平和で行き詰まったきらいがあり大天狗の一人比良山次郎坊から異変の注文があったばかりである。
 幻想郷という世界が間違いなく新しい時代を望んでいるのだ。

 八雲紫の話を聞き終えた霊夢は、幻想郷の仕組みと八雲紫と博麗神社の深い関係を知る。彼女が自分に何かとちょっかいだしてくるのは、スキマ妖怪の単なる気まぐれではない事は理解出来た。
 今回の異変は当初妹紅と自分とで少し派手に演出する程度だと思っていた。ここに来て八意永琳が現れ、それを紫はとても喜んでいる。何故この危険極まりない状況を喜んでいるのか少し不思議だった霊夢だが、ある程度納得が出来た。
 この異変には自分が知る以上に大勢の人妖の思いが重なっており、より多くの目に留まる状況になればなるほどに、博麗神社、強いては自分の力が大きく世間にアピール出来るということである。小さな異変をチマチマこなして、嘘八百新聞(文々。新聞の俗称)で活躍が全て眉唾に扱われるより遙かに事態は好転するだろう。
「上手くいくといいわね。」
「是非成功させましょうね、霊夢。」
 幻想郷の夜は深ける。
東方不死死 第45章 「伏兵」


 死神小野塚小町の家で一夜を明かした魂魄妖夢は、朝が苦手で朝寝坊が得意な家主を親切心で叩き起こして、一宿一飯の恩を仇で返す。
「お早うございます小町さん。」
「ふわぁああああぁぁぁーーー・・・何だよまだ朝じゃないないか・・・。」
「まだ朝って、もう朝ですよ!早く起きましょうよ。」
 小町は失敗した。妖夢が主人より早く起き、主人よりも遅く寝る筋金入りの従者である事をすっかり忘れていた。
 三賢者会議は普通休日前にやるので、今日は非番になるはず。惰眠を貪り夕方まで寝て、夜また寝るのが休日の楽しい過ごし方なのに・・・。
「やれやれ・・・。」
 不機嫌そうな顔で完璧に身支度が調った爽やかな笑顔の妖夢を恨めしそうに見る小町。
 妖夢は朝は苦も無く起きる事が出来、普段から早起きをして早朝訓練をしていた。実は今朝も既にその日課を済ませた後で、家主の小町にそれなりに気を遣ってこれでも遅めに起こしたつもりなのである。
「台所使ってもいいですか?」
 朝ご飯の支度をしようと既に小町の割烹着を身につけている妖夢。
「いいよー・・・ふぁあああああああぁぁ・・・おやすみー。」
「ご飯出来たら起こしますねー。」
 もう何百年も家事をしているせいか、逆にそうしていないと気が落ち着かないのだろう。テキパキと朝食の準備を始める妖夢。
「よろしくー・・・。」
 小町はそんなやりとりをしながら、朝早く起こされるのはご免だが、起きると朝食が準備されている生活は何とも甘味なものだと思ってしまう。一家に一人妖夢生活。この上ない幸福と言えよう。
 しかし、そんな小町のささやかな至福の時は、ぼろい家の戸をどんどんと叩く音で無常にも破壊される。
「あ、お客さん・・・。」
 咄嗟に出ようとして思いとどまり、自分が出て良いものだろうかと家主の小町にお伺いを立てるように振り向く妖夢。
「ったく!誰だよこんな朝早くに家に来る馬鹿は・・・。」
 悪態を付く小町だが、外から聞こえてくる聞き覚えのある毅然とした少女の声に驚いて慌てて口をつぐむ。
「お早うございます。朝早くからすみません。」
「げげ!四季様!」
 上司の四季映姫の声に反応して布団から飛び起きた小町は両手両足を大きく広げ、どんな状況にも対処出来るようにやや中腰で身構え、足を小刻みに動かして上下左右に何故か小さくステップを始める。妖夢は何か意味があってそうやっているのか不思議そうな顔で小町を見るが、小町自身何故こんな行動をしているのか自分でも分からない。
 端から見るととてもおかしな動きで、妖夢は客を笑わせるためのパフォーマンスかと思ってしまうが、小町その顔は真剣そのもの。借金取りの取立てや立ち退きを迫られて右往左往しているとも取れる。どちらかというと切羽詰ったその様子からパフォーマンス云々ではなく後者ではないかと思う。
 恐らく上司に説教されると思っているに違いないが、わざわざ休日の早朝に来てまで叱りには来ないだろうと思う妖夢。よっぽどの悪さでもしない限り休日に説教しにくることはないが、小町の狼狽え方からするとそれを自覚しているようにも見え、本当に何かとんでもないことしてしまったのではないかと心配になってくる。
 妖夢は気づかなかった、と言うより覚えていなかったが、小町は八意永琳の首を切り落とした事を問題にしていた。実際には永琳の首は落ちてはいないし死んでもいないのだが、現在の死神は殺傷力のある武器の携帯を許されていないので、その斬った事以前に所持している段階で違反行為をしている事になる。
 小町のやった事は妖夢の命を守ろうとした行為で賞賛に値するものである。しかし、律は律。閻魔の部下である死神であればなおさら律を重んじ守らなければならない立場にあるのだ。

「妖夢、頼む!私はいないって言って!」
 布団を被って部屋の隅で震える小町。しかし、そうこうしているうちに四季映姫が家の戸を開けようとし始める。妖夢は小町と映姫が向こうにいるであろう戸を交互に見ながらどう誤魔化すか考えると同時に閻魔に嘘をついていいのか迷う。
「小町いるのでしょう?入りますよ?」
 戸に手を掛けた様子を感じとって、わーと大声を出して慌てて戸を開けさせまいと駆け寄る小町。しかし小町よりも先に戸を開く四季映姫。
 戸口でばったりと鉢合わせ状態になって動きを止め青ざめた表情の小町は、すぐにその場で土下座をして、さぼりが見つかった後の様にひたすら平謝りに謝りだす。
「ご、ごめんなさい!もうしません!」
 怒るつもりで来たわけではない四季映姫は、そんな小町を尻目に妖夢と目が合い一度苦笑する。映姫としては妖夢と話がしたかったのと、小町に関してはむしろ褒めようと思って足を運んで来たのである。しかし、土下座して入り口を塞ぐ小町をどうにしかしないと先に話が進まない。
「小町、しばらく外に立っていなさい。」
 小町に聞く耳がなさそうなので申し訳ないと思いつつも、いつもの口調で命令し一旦家から追い出す。
「はい!」
 ネチネチグチグチと説教をされるよりも立たされる方がマシと、キビキビと威勢良く外に出て、ごゆっくりと言って戸を閉める家主の小町。
 そんな家主の小町を追い出してしまった映姫は、土間に下りている妖夢のところに歩み寄って、座敷の一団高いところ腰を下ろし、戸惑う妖夢に隣に座るように促した。
 割烹着と三角巾を取って大人しく映姫の隣に腰を下ろす妖夢は、小町は何も悪い事をしていない、むしろ励まされて助かったと恩人を弁護する。
「貴女とお話ししたかったのと、小町を褒めようと思って来ただけなのですが・・・。小町は怒られると思って狼狽えていますし、面倒だったので外に追い出してしまいました。この事は後で謝ります。」
「良かった・・・。」
 事情が理解できた妖夢は安心にして顔がほころぶが、四季映姫の表情は冴えず溜め息をもらす。
「妖夢・・・私はそんなに怖いでしょうか?」
 恐らく小町の態度を見ての事だろう。ため息をついて少し落ち込んだような素振りを見せる映姫。背格好はほとんど妖夢と同じくらい。帽子をとった若い閻魔は普通の女の子に見える。
「そ、それは・・・やっぱりいつも怒られるから・・・条件反射で・・・。」
「幻想郷の皆もきっと私が小町を虐めているように見えるのでしょうね・・・。」
「私は実際に見たことはないのですが・・・。」
「さぼるにしてももっと見えないところで隠れてさぼるのなら見逃しても良いと思うのですが、勤務時間に道端で、しかも私がよく通る道を選んでいるかのように堂々とさぼられていたら上司としては叱らないわけにはいかないでしょう?」
 四季映姫は何も間違っていないのに何故か妖夢に言い訳するように悩みを聞いてもらう。
「そ、そうですね。あはは・・・。」
 駄目だこりゃと苦笑するサボる時は隠れてやる妖夢。そして、その妖夢の苦笑いを見て目尻が下がる四季映姫。
「・・・どうやら大丈夫なようですね。昨日の様子から少し心配していました。」
 幽々子に叱られ、その後小町から妹紅の事を聞かされた後の妖夢は、立ち直るのが不可能なほど打ちのめされたように見えた。しかし今は、さほど落ち込んだ様子がないと見て安心する映姫。これも小町のお陰なのだろう。
「すみません。みっともないところをお見せしてしまって・・・。」
 妹紅を追い払い、その後幽々子に叩かれるまで、すべてが恥ずかしい行為だったと後悔し反省する妖夢。
「幽々子の行動には私も驚きましたよ。ところで、家を出たのは幽々子に許可を得ての事ですか?」
「・・・いえ。幽々子様の事ですから外に出た事は分かっていると思いますが、許可は得ていません。黙って白玉楼を出てきました。」
 うつむく妖夢。いつも携帯している2本の剣も見当たらない。本当に家出してきたようだと映姫は確信する。
「妖夢、貴女は今何をやりたいですか?」
「決して今の仕事に不満があるわけではありません。でも・・・白玉楼を出て、見識を深めたいです。」
 妖夢はきっぱりと四季映姫の目を見て言う。四季映姫もその妖夢の決意の目を見て昨日の妖夢ではない事を悟る。
「そこまで心が決まっているのなら幽々子に黙って出る必要はないでしょう。その決意を語って、正式にお暇をもらったらどうです?」
「そ、それは・・・。」
 映姫の言は正に正論であるが、妖夢としては幽々子に会わせる顔がないと思っている。
「幽々子は許してくれないと思いますか?」
「・・・たぶん、許してくれるとは思います。」
 頼めば許してくれる。何故かそう確信出来る。ただ、それは成り行き上しょうがないという事であり、真にそれが必要だからという理由で許可されるのはないと思うのだ。
「会うのが怖いですか?」
「・・・はい。正直会うのが怖いです。」
「これもまた修行の内と・・・そうは思いませんか?」
「あ・・・。」
 見識を深めたいと今決意を表明した。しかし、その一方で嫌な事、困難な事を避けようとしているいつも通りの卑小な自分がそこにいる事に気付く。こんな事ではいつまでたっても成長できないのではないか?
 妖夢はすっと立ち上がって四季映姫の前に立つとそのまま深々とお辞儀をする。
「ありがとうございました。決心が付きました。」
 答えはもっと遠くにあるもののように想えた。しかし、答えはすぐ目の前にあった。ただ、自分の不徳が生み出した心の霧の白い闇が、手の届く距離にある答えを覆い隠していただけだったのだ。
 妖夢はもう一度四季映姫にお辞儀をした。
「礼にはおよびません。さて、それではそろそろ帰らなければ・・・家主が可哀相ですからね。」
 腰を上げた映姫は見送ろうとする妖夢を制する。小町と外で2人だけで話をするつもりなのだろう。
 妖夢は邪魔にならないよう家の中で待つ事にした。

 10分程経って家の主が戻ってくる。
「ど、どうしたんですか?」
 妖夢は戻ってきた小町の様子が気になったので質問する。嬉しいという感情を必死に押し殺そうとして見事に失敗して、幸福感がほんわかしたオーラとなって小町の身体からにじみ出ている。天国から地獄ではなく、地獄から一気に昇天したような感じなのだ。
「いやー四季様にすっげー褒められちゃってさー。『貴女の今回の活躍は非の打ち所がない』だってさぁ~。」
 映姫の言った台詞部分を口調を真似て語って聞かせる完全に浮かれてニヘラーっとした顔の小町。
 呆気にとられる妖夢を尻目に、座敷に上がってあぐらをかきニコニコしながら映姫に言われたその言葉を何度も何度も反芻し、嬉しくて自然と身体が揺れている。
 考えてみれば自分の失態をフォローした功績が認められたわけで、自分がもっとしっかりしていれば、小町に助けられる必要もなく、そうなれば小町は褒められる事もなかったわけである。
「(くやしい・・・。)」
 昨日の自分、昨日までの自分を無しにしてしまいたい。
 今の妖夢はもう無知でいる事に我慢が出来なかった。


 人間の里の北西の区画に繁華街と呼ばれる人間や妖怪が自由に出入りできる様々なお店が建ち並ぶ一画がある。
 里の中心ともいえる大通りがほとんど人間相手の商店なのに対し、繁華街は主に妖怪相手の店が多く軒を並べている。その為当然の様に妖怪が多く訪れ、夜になると酒を目当てにした大勢の妖怪が繁華街の酒場に溢れかえるのだ。
 里の北西部は大戦の名残で柵を張り巡らせた砦状になっており、北に抜ける門を兼ねた3階建ての『妖酔乃瀧』と呼ばれる複数の施設を内包した大きな建物がある。
 妖酔乃瀧は妖怪専門の店で従業員から全て妖怪で、人間臭くないため人間と距離を置きたい妖怪に絶大な人気を誇る。北門そのものが店舗になっているので、里に入る事無く外から酒場に入れるのも良いところと言えよう。
 酒場以外にも力仕事や用心棒、特定の物品の入手といった妖怪向けの仕事の斡旋、賞金首と賞金稼ぎの管理、食材と銭を交換する両替も行っており、妖怪相手の総合商社となっている。
 里に住む妖怪『里妖』に対して普段は里の外にいて里の経済圏に依存する妖怪を『外妖』と区別するが、そうした外妖はほとんどの場合妖酔乃瀧、つまり北口から里に入る。その為、門の前はちょっとした広道になっており周辺によく妖怪がたむろしたり露店が出ていたり、夜には遊女が客引きをしたり里側とは違った景色が見える。

「あれ?キスメと小傘は?」
「さぁ?また人間でも脅かしに行ったんじゃない?」
 人間の里の北西にある妖酔乃瀧を目指して歩く2人の女型妖怪がいる。酒場が目的であろうその妖怪達は、さっさと店に入ろうとするものの、先程まで一緒にいた連れが2人、姿が見えなくなって店の前で立ち往生している。
 女性2人が酒場の前で立ち止まって周囲を見渡すなど、遊女が客を探しているようにも見えるので、女っ気が欲しい者達に何度も声を掛けられてしまう。そのつど追っ払いながら連れが来るのを待っていると、上から突然釣瓶が落ちて来て2人は驚き、腰から下が大きく膨らみ膝のところで小さく萎んだ変わった衣装を着ている方が尻餅を付いてしまう。
「おわ!びびらせんな、このキスメ!」
 急に落ちてきて驚かせた桶の中に入っている小さな少女は、2人が探しているうちの一人のようである。
「ヤマメ、ダッサー。尻が重過ぎるんじゃないの?」
 尻餅を突いた方に尖った耳の女がその無様な姿を見てあざ笑う。
「うるせーぞパル!」
 落ちてきた桶に入っている小さな妖怪は釣瓶落としのキスメ。驚いてみっともなく尻餅をついたのが土蜘蛛の黒谷ヤマメで、ヤマメをダサイとあざ笑ったのが橋姫の水橋パルスィである。
「ああ!キスメっちずるーい!2人で同時に行くって言ったのに!」
 その後にバサバサと羽音の様な音を立てて、傘を持った少女が一人下りてくる。どうやら2人同時に降りて驚かせようとしたのが釣瓶落としのスピードに追いつけなかったらしい。
「ったく、お前ら妖怪脅かしてどうするんだよ!それも身内だぞ?」
「だってさぁー人間驚かないし、脅かすと退治されるしぃ~。」
 からかさお化けの妖怪、多々良小傘は人間を驚かせる事に使命感を持つものの、人間はなかなか思い通りに驚いてくれない。
「小傘も大変よねー。」
 小傘に同情するパルスィである。

 からかさお化けの多々良小傘は少し特殊な妖怪である。
 『化け道具』は100年以上大事に使われ付喪神になった道具が、後にそまつに扱われて妖怪に変化したものを言うが、多々良小傘は、聖白蓮の法界追放、つまり魔界封印の際に寺から唯一携帯を許された『傘一本(からかさいっぽん)』の為に形式的に用意された傘で、厳密に言うと付喪神になっていない化け道具なのである。
 村紗の船の中で放置されていたその傘は、一度も道具として扱われる事なく白蓮の遺品の一つとして村紗水蜜が大切に保管していたが、ある日突然化け傘となってしまったのである。
 傘の役目を一度もしない小傘は、付喪神にもなっていない為に妖力の低い妖怪として生まれてしまったのである。
 聖白蓮を慕って参集したところを白蓮もろとも地底に封印された聖一派の妖怪達の一部には、傘一本(からかさいっぽん)は破戒僧の烙印であり、その傘の存在は不名誉で縁起が悪いと謗られて、脅かすしか能がない役立たずの小傘は聖一派の中に居場所がなくなる。
 地底に封印されてからは聖一派も一枚岩ではなく、白蓮に直接助けられた大恩ある者とそうでない者との間に意識の隔たりが生じ、やがて聖一派は自然分解していく。
 聖白蓮に関係して地底に封印された者は、白蓮に騙されたと憤る大規模な反白蓮派と原理的な白蓮信奉者と最初はこの2つの勢力にわかれていた。
 やがて熱狂的な白蓮信奉者についていけなくなった親白蓮派は彼らから距離を置いて中立勢力となり最終的に白蓮関係の派閥は3つとなったのである。
 白蓮の楽園事業に参加して一網打尽にされた妖怪のほとんどは当然の如く白蓮を嫌っているが、黒谷ヤマメらは白蓮封印よりもだいぶ前に封印されている妖怪なので、白蓮に関係する派閥争いとは無縁だった。
 小傘の居場所が無くなり彼女を心配した村紗は、地底では古参のヤマメらに小傘を預けたわけだが、地底の妖怪らしからぬ底抜けに明るく不思議な魅力がある村紗の性格にヤマメと同じく封印されていた『ぬえ』が興味を示して付き合い始め、小傘を中心に3人のおかしな関係が以後続く事になる。
 1年程前、地底で起こった旧地獄異変で、村紗ら僅かに残った白蓮信奉者は白蓮復活計画を進めるため地底から脱出し、その後を追ってぬえ、さらにそのぬえを追って小傘も外に出たと言うわけである。
 一方ヤマメらは闇に包まれた地底世界を気に入っていたし、何より姿格好が女子供に変えられ恥ずかしくて外を歩けなかったのでそのまま地底に引き篭る選択をしたのである。この当時ヤマメらと同じ境遇の妖怪は幻想郷にも数多くいたのだが、それを知らないヤマメは強面で知られた土蜘蛛時代のギャップから頑なに外に出るのを拒んでいた。
 その後、地霊殿を巻き込んだ地底の異変も治まり、正式に旧地獄と幻想郷の交流が始まり、外の情報が入ってからはヤマメらも気兼ねなく旧友を尋ねて外に出るようになり、今日の集まりもそんな交流の一端だったのである。

「なんか様子が変ね。」
 異変に気付いたのは橋姫の水橋パルスィである。
「んー?そうかい?てかぬえはまだこないのか?」
 警戒心が強く、常に慎重なパルスィは、外から感じる店の雰囲気がいつもと違う事に気付いたが、直情的て喧嘩っ早い粗暴な黒谷ヤマメは特に何も感じていない。それよりもぬえが来ないのが気がかりである。
「ヤマメっち、この前病気撒いて出入り禁止になってなかった?」
「いつの話だよ!そんなのもう時効よ、時効!てか、その名前に、ちって付けるのやめろ。」
「えー!何で?可愛いじゃん!ねーキスメっち。」
 話をふられたキスメも同意して桶の中から小傘に笑顔を向けぴょんぴょんと桶を踊らす。キスメはこの呼ばれ方を気に入っているようだ。
 そんな様子を見てパルスィから不機嫌オーラが沸き立つ。
「ほら、パルにも呼んでやらねーから、機嫌悪くなっただろ?」
「パルっちも呼んであげるよ。」
「・・・ぱ、パルっち?ふ、ふん、気に入らないわ!」
 そう言ってそっぽを向くパルスィ。
「お?偉く気に入ったなようだな。」
「誰が!」
 ヤマメに見抜かれて照れ隠しで怒って必至に否定するパルスィ。気持ちがオーラとなってはっきり現れるパルスィは嘘がすぐばれる。
 性格がまるっきり違うパルスィとヤマメ。昔はとても仲が悪く喧嘩ばかりしていたのだが、いつの間にか一緒に行動する様になっていた。
 ヤマメらはいつも地下にいるため幻想郷の事は良く知らない。小傘はヤマメらよりも前に幻想郷に出て、常に誰かを驚かせようとして里周辺にいるおかげで様々な情報が手に入り、ヤマメらとたまに会うと覚えた事を披露して見せるのである。名前のうしろに『ち』を付けるのも誰かがやってるのを見て真似ているのである。

 店の前でそんなとりとめもない会話をしていると、別の妖怪の集団が後ろから現れて、通りの横に押し退けられる地底組の4人。
「何だありゃ?戦でもおっ始めるつもりか?」
 背格好がバラバラの5人組の完全武装した集団が門に入るのを見て、ヤマメが思わず驚きの声を上げる。
「だから言ったじゃない。変だって。」
 その集団を目で追いつつ、彼らが中に入るの様子を窺うパルスィとヤマメ。その後ろで化け傘にキスメを乗せてコロコロ回して遊んでいる小傘。
 店の者が二階から降りてきてその5人組を迎えて上階を指差して案内するのが見えた。砦門である建物の構造上1階はほぼ通路で2階に店舗があるため、妖酔乃瀧を尋ねる者は上に進む事になる。
 その時、5人組に応対した店員がこちらに気づいてヤマメらと目が合い、客の応対を終えるとこちらに歩いて来る。この店員はヤマメらと面識があるようだ。
「ヤマメ、お前どの面下げてここに来れるんだ?」
「何だよ、ナジ。あれはもう謝っただろ?いつまで根に持ってんだよ。」
 その店の者をナジと呼ぶヤマメ。過去にヤマメは店で何か悪さをしたようで、どうも目を付けられているらしい。
 ナジは人型妖怪で、幻想郷が存在する以前からいる古妖をルーツに持つ、幻想郷では一般的にみるタイプの妖怪である。腕っ節が強い妖怪ではないが、金勘定の才覚がある所謂商妖で妖酔乃瀧のボスも同族であり、彼らのように頭脳派妖怪が多く住むのが人間の里の特徴である。
「ふん、今、別件の仕事で酒場は営業してないんだ。飲みに来たのなら今日は他あたってくれ。」
 そう言ってナジが店の方に歩き出す。里には他の飲み屋もたくさんあるが、北門から来る妖怪の目当ては妖酔乃瀧である。他に行けと言われても困るところだ。
「どうする?他は個室ないけど?」
 他の酒場は大人数用の座敷はあるが、少人数用の個室の座敷がないので躊躇するヤマメ。
 ヤマメら地下に封印されてしまった妖怪は、姿格好から恐怖心を他者に与えない女子どもの外見にされてしまっている。そんな可愛らしい姿になった妖怪は、他の客と相席になると酒の肴代わりにからかわれてしまう。不快になることこの上なく、ヤマメが以前に起こした問題もそれに起因するものだった。
 個室がとれないとなると、せっかくの酒の席も台無しである。日を改めるか、周囲の冷やかしを我慢するかしかない。
「ちょっとナジ!」
 パルスィが珍しく大きな声を上げて店に引き返そうとするナジを呼び止める。そして戻ってきたナジに問う。
「何が始まってるの?」
「・・・。」
 目聡いパルスィに睨まれ誤魔化せないと悟って、4人を順に見ながら指をチョイチョイと曲げて顔を貸せという合図を送るナジ。何となくヤバイ雰囲気を感じた4人はそれぞれの顔を見渡した後計った様に同時にナジに顔を寄せる。
「お前ら、5人揃わないか?揃ったら個室貸してやるから。飲み放題付き、しかもロハで。」
「はぁ?なんだそりゃ?ふざけてるのか?」
 只酒飲める上に個室まで提供するなど真っ当な商売人のやる事ではない。絶対裏があるとヤマメは警戒する。
「何で5人?」
 パルスィが5人でなければならない理由を聞く。
「いいから、揃うか揃わないか言え。」
「見ての通り4人よ。」
「パル、分身しろ。」
「それじゃー駄目だ。」
「5人いるよ?」
 きょとんとした表情で5人いると告げる小傘。
「どこに?そのなすびは人数に数えないぞ?」
「ちょっとなすび言わないでよ!もう!ちょっと待ってて、連れてくるから。」
 自慢の傘をなすび呼ばわりされて怒って頬っぺたをぷくっと膨らせつつ小傘はなすびの様な傘を開いてそのまま闇夜の空に飛んでいってしまった。
「適当なヤツ捕まえてくる気かしら?」
「小傘に捕まるのは妖怪じゃなくて妖精だろ?」
「まーこの際、妖精でもかまわんぜ。」
 冗談っぽくやりとりするパルスィとヤマメに真顔で答えるナジ。
「それなら別に4人でもいいじゃない?」
「そういう決まりなんだ。」
「何をさせる気なの?」
「それは、5人揃ってからだ。」
「・・・。」
 残された3人は交互に顔を見て、小傘が消えた夜空に目を向けるナジの条件を不思議そうにそれぞれ考える。
 そこへ1分もしないうちに小傘が誰かを捕まえて戻ってきた。
「ぬえっちゲット!」
 小傘が連れて来たのはぬえだった。
「ちょっと小傘、わ、私は今忙しいのよ!」
 人前に連れてこられ恥ずかしそうに皆に背を向けて立つぬえ。皆古い友人なので恥ずかしがる事は無いのだが、ぬえはいつもこうである。
「ずっと上から見てたじゃん?」
 ぬえの気配を良く知っている小傘は先程からずっと小傘らのそばにいたことを知っていた。
「な!み、見てなんかいないわよ!」
 天の邪鬼な性格のぬえは、正直な気持ちを表現するのが苦手で、仲間内に対しても素直になることが出来ない。素直な言葉は、それは自分で言うのも他人に言われるのも苦手なので、ならば孤独がいいのかというとそうではなく、癖寂しがり屋で常に誰かのそばに居ようとするのである。非常にめんどくさい性格の持ち主である。
 背丈は人間で言えば12、3歳くらいの少女の姿である。黒く短い髪の毛と同じく黒いワンピーススカート。同じく黒い膝上まで長いニーソックスという黒ずくめの格好である。赤と青のかぎ爪型の6枚の羽を纏い、単純な戦闘力はここにいる4人の妖怪よりも高い。
 正体不明の代名詞とも言えるぬえ。その天の邪鬼な性格からよく誤解され人間から忌み嫌われる存在になってしまったため討伐されて地獄堕ちした。
「居たならすぐ姿みせろっての!ったく、村紗に構ってもらえなくていじけてるのか?」
 一言多い上に毒が入るヤマメの言動。そして図星を当てられカチンときたぬえ。帰ると言い出して必死に止めようと喰らい付く小傘をふりほどこうとするぬえ。しかし、足は前に進まない。
「ヤマメ!」
 ぬえの性格を知っているパルスィはヤマメのその言葉は一番まずいところに刺さったと注意しようとして、同時にげんこつを握ってヤマメの顔面に入れようとする。
 しかし、パルスィの拳より早くキスメの必殺ノーモーション釣瓶落としがヤマメの脳天に炸裂し、スコーンという会心音と共に一撃で口の悪い相方をノックアウトする。
 パルスィはヤマメのたんこぶの上で得意げにしているキスメに親指を立てて良い仕事をしたと褒め、キスメも小さな手で親指を立てて渋い笑顔でそれに応える。
 キスメが入った桶がヤマメの脳天に炸裂した光景を間近に見た小傘とぬえとナジは少し顔が引きつった様子で動きを止める。特にナジは容赦ないキスメの行動と笑顔にちょっとした恐怖を覚える。
「ぬえ、こいつの言うこと一々間に受けないで。私達を助けるつもりでさ、ちょっと一緒に来てくれない?」
 人助けと言えばぬえの面目も保てるだろう。下手に出てぬえのご機嫌を取るこのメンツの中では一番年長者のパルスィ。元々人間から変質した妖怪なので純粋な妖怪より話が出来る相手と言える。ちなみにパルスィは白蓮より年上である。
 ぬえも別に本気で帰るつもりではなく、引き留めて欲しくてそう言ったわけで、キスメにノックアウトされたヤマメに少し同情し、大人しくパルスィに従った。
 このメンツの中で口が早いのはヤマメだが手が早いのはキスメかもしれない。実際釣瓶落としはかなり凶暴で危険な妖怪である。

 ヤマメを引きずりながら残る4人を店内に案内したナジは、地底封印組の5人を商工会館から先程戻ってきたばかりの妖酔乃瀧の主人、妖酔に面通しさせる。
「ヤマメ。ここでまた病気撒いたらどうなるか分かっているな?」
 階段を登るときに後頭部を何度も打ち付けて目を覚まし、不機嫌そうに立っているヤマメに念押しする妖酔。妹紅などと会話していた時の知的で品のある喋りとは打って変わって、荒くれ者を黙らせる凄味を効かせた親分的な口調である。ヤマメのやった事件で妖酔乃瀧は3日間の営業停止になっているのだ。きつくあたられてもそれには文句は言えないヤマメである。
「個室さえもらえりゃー何もしないよ。だいたい、何で私だけが悪者になるのさ。」
「お前をコケにした連中にもそれなりの代償は払って貰った。その上で今度またやったら次は終わりだ。いいな?」
「わ、わかったよ。」
 流石のヤマメも凄む妖酔の前ではしおらしい。
「ナジ、おめーが相手しろ。」
「ええー!何で俺が?」
「そいつらー他の奴じゃ手に負えん。」
 妖酔とナジの会話の意味が見えて来ない5人組だが、分かるのはこのナジという妖怪が酒場の大将からそれなりに信頼されているという事だった。
「へいへい。」
 そう言われては断れないナジ。不満そうに返事をするが内心鼻が高い。

 妖酔乃瀧の1階部分は里の外と中を結ぶ通り道になっているため、1階に主要な施設はなく通路沿いに立ち食い形式の屋台が並んでいるだけである。
 北の門から入るとすぐ横に上に昇る階段があり、2階より上が妖酔乃瀧の店舗になっている。
 上から1階の通りが見える吹き抜けの横に仕事の斡旋や登録等を行うカウンターがあり、ヤマメ達は今そこで妖酔と話をしていた。他にも順番を待っていたり、様子を見ている者が数名カウンター周辺にいる。パルスィは注意深く周囲を伺いながらヤマメと妖酔のやり取りに耳を傾ける。
 妖酔と話をしているのはヤマメとパルスィの2人で、キスメ、小傘、ぬえの3人は吹き抜けの手摺り越しに下を見ながら雑談をする。
「ぬえっち、ここ来るの初めて?」
「え?あ、うん、初めて。」
 キスメが吹き抜けに落ちて、通りすがりを脅かして遊んでいる。驚いて尻餅をついた妖怪に蹴飛ばされるも全く意に返した様子はない。
「私もこっち側初めてなんだー。」
 こっち側というのは仕事の斡旋や両替などをする場所の事で、飲み屋は吹抜を挟んだ反対側にある。飲み屋に来たのは初めてではないが、仕事の斡旋をする場所は初めてで景色が違って見える。
「ここで妖怪達は仕事を探すの?」
 ぬえは不思議そうに周囲の妖怪を見ながら小傘に質問する。
「そうみたいねー。」
「この上は?」
 建物は3階建てで吹抜が上にも続いている。ぬえの質問に反応してキスメが上に昇っていき、3階に消えるとすぐに悲鳴が聞こえて、罵声と共にキスメが吹き抜けに飛ばされて落ちてくる。ぬえがそれをキャッチして手摺に置いて、その手摺に背を持たれて仰け反り吹き抜けの上を見る。
「3階には行った事ないけど、寝泊まり出来るところみたい。」
「ふーん。」
 小傘の説明に気の無い返事をし、ここに村紗がいればもっと楽しいのにと思うぬえ。そこへ話が終わったヤマメ達が来る。
「『ぬ』の間だってさー。ぬえにぴったりだな。」
 個室の名前を言って移動を促すヤマメ。『ぬ』なら、ぬらりひょんだってそうだろうと心の中だけで反論するぬえ。ちなみにぬらりひょんは地上でしぶとく人間にまぎれて生き伸びているという噂だ。
「ほんとに只なの?」
「ああ、一斗樽までは只だ。それ以上飲むなら有料。」
 ナジは平然と言ってのける。実はおかわりも只で有料というのは嘘である。5人で一斗なら一人二升の計算である。妖怪なら決して多い量ではなく、このくらいは普通に飲んでしまう。ただ、個室と酒が只というのはどうも裏があるようにしか見えない。ここまで気前がいいと逆にこっちが怖気づいてしまいそうだ。
「ほんとかよ・・・っち!」
 嘘みたいな本当の話で、素直に喜んでいいものか戸惑うヤマメ。パルスィも何かあると思いつつも妖酔乃瀧は信用出来き、騙すにしても卑怯とは違う別のやりかたをするだろうと何も言わずナジに従う。
「先に行ってな。酒持ってくるから。」
 ナジに言われ飲み屋の入り口をくぐる。会計の前に物々しい警備がおり、中から声は聞こえるが酒場の喧騒はない。明らかに通常営業ではないことがわかる。
 先頭を歩くヤマメが少し不安げに一度振り向いて全員の顔を見てから中に進んだ。何も無い時は威勢がいいわりに、少しのことで怖気づくヤマメである。

「お待たせ。」
 一様にキツネにつままれたような顔で居心地悪そうに座敷に座って、入ってきたナジを睨む5人。
「何だ?しけた面して。只なんだからもっと喜べよ。」
 只だから喜べない5人。
 ナジは一斗樽を個室の入り口横の専用の台に起き、空の一升びんを五本とガラスのコップを六個持ってくる。
 樽は下に蛇口がついていて、そこに一升瓶を宛って小分けする。五人分用意してそれを各自に手際よく渡し、一つ多く持ってきた自分の分のコップには樽から直に取る。
「で、これから何が始まるの?」
 取りあえず乾杯した後に、パルスィがナジに問う。どう考えてもこれはおかしい。
 一人コップ酒を全部飲み干したナジをジトっと見つめるコップに口をつけない五人。ここでこれを飲むと悪魔の契約になりそうだと皆警戒している。
 やれやれといった様子でナジが真顔になって説明をし始める。
「・・・実はな、今傭兵を集めてるんだ。」
「傭兵?うちらに戦でもさせようってのかい?」
「人間達が大勢博麗神社に行くって計画があってな。それで・・・。」
「分かった!皆まで言うな!」
 ナジが説明しかけて、先を読んだヤマメが一人納得してナジを制して替わりに続ける。
「あれだろ?その人間達を襲撃するんだろ?そして、皆ゴロにして里を奪う!」
 ヤマメが立ち上がってビシっとナジを指差す。
 丁度5秒後に全員ため息を同時に漏らす。
「お前は、どうしてそうなるんだよ!なぁ、パルぅーお前なんでこんなバカと一緒につるんでるんだ?」
 ナジが涙を袖で拭う様な仕草をしながらパルスィに苦情を言う。
「そりゃー、ヤマメに嫉妬する要素がないから。」
「・・・なるほど、そういうことか。」
 パルスィの答えに納得するナジ。
「んじゃ、何だってんだよ!」
 ナジは激しい脱力感を覚えながら主にヤマメに対して事情を説明した。

 上白沢慧音の神社奪還作戦で、大勢の人間を神社に移動させるという計画が水面下で進んでおり、ナジはその意味や理由など詳しい事までは知らされていないまでも、どの程度の戦力を集めるか指示を受け粛々とその計画を進めているという状況だった。
 人間が大人数で里の東の見通しの良い街道を真っ直ぐ神社に進めば、当然東側にいて人間を待ち伏せしている人食い妖怪が襲ってくる。
 傭兵はそれら人食い妖怪から人間を守る護衛である。相手は雑魚でも数は多いので、それに対応できる人員を確保しようとしているのだ。
 そして風見幽香の協力を仰ごうとしているが、彼女の所在が不明で、空っぽの里を守る戦力も確保しようと、今懸命に人を集めているという状況である。
「何で人間なんて守るのさ。」
「別にお前らがそこまで考える必要はないさ。」
「人間を守るってことは倒すのは妖怪だろ?」
「妖怪だ?オレも妖怪だが、お前らに同族意識なんてこれっぽちもないぜ?お前らが人食いに走るなら、ただの間引き対象として狩るだけだ。」
「何だと?」
 ナジの言い方にカチンとくるヤマメ。
「地底には地底のルールがあるだろう。オレはそれに何の意見も文句もない。だが、ここは幻想郷だ。幻想郷には幻想郷のルールってもんがある。」
「傭兵の敵と想定している妖怪ってその間引き対象の屑妖怪ってこと?」
 パルスィの冷静な質問に頷くナジ。
「別に人間の味方をして仲間になれとはいってない。傭兵というビジネスと割り切ってオレらに協力するかしないかってだけだ。」
 ナジの巧みな話術に反論が出来ずイライラするヤマメ。
「で、私達が傭兵に参加しなかったら?」
 ヤマメに代わってパルスィが鋭い視線でナジを見つめる。
「そんときは悪いが、ここにしばらくいてもらう。」
「おいおい、監禁か?穏やかじゃないな。」
「傭兵を集めている事は秘密にしておきたい。」
「何故?」
「神社に奇襲をかけたいからだ。」
「奇襲?」
「一体何を考えてるの?」
「さあね。オレはただ粛々と準備を進めるだけさ。速ければ明日、遅くても1週間以内に事は始まるだろう。傭兵に応じても応じなくても事が終わるまではここにいてもらう。監禁なんてしないさ。毎日たらふく飲ませてもてなしてやるよ。」
「にしても・・・働きもしないでただ酒はなぁ・・・。」
「秘密にするということに意味がある。お前らにただ酒飲ませてもそれに価値があるからやる。それだけだ。」
 パルスィとヤマメはまだコップに口をつけていないが、ナジは既に5杯目を飲み終えたところである。
「何で5人なの?」
 パルスィは少し話題を逸らして考える時間を確保しようとする。
「お前らここに登録してないだろ?そういう素性の知れない奴を一人一人審査してたら仕事になんねーから、徒党が組めるやつらを選別するためにそうしてるのさ。5人くらい集められねーようなのははっきり言って弾避けになんねーしな。」
 仕事を斡旋したり、両替をしてもらうにしても、先に組合に登録する必要がある。既に登録して素性が分かっている連中は、個人でも傭兵として応募出来る。
「なるほど・・・本気で軍隊作るつもりなのね。」
「ああ、これはマジ。本気と書いてマジ。」
「・・・っち!飲むか!」
 ヤマメは何を納得したのか分からないが飲まずにいた酒をこの時初めて喉に流し込む。
「人間は気に入らないけど・・・その人食い妖怪ってのはもっと気に入らないわね。」
 パルスィもヤマメに呼応して酒をあおる。
「だよなー!まったくたらふく人が食えるなんて羨ましい限りだ。チクショー!」
 パルスィとナジがまたため息をつく。

 ヤマメとパルスィが真面目な話をしている一方で、小傘とキスメそしてぬえは既に出来上がっていた。
「ちくしょー、村紗めー!放っておいて!って言ったら本当に放っておきやがったー!」
「分かる!ぬえっちの気持ち!船長は分かってない!妖怪の気持ちが!」
「所詮は元人間なんだよ!来るな!ってのは来て!ってことなのに、何でわからないかなー!」
「いやー分かる!分かるわー。」
 顔を真っ赤にして酔っ払った小傘が、げふーっと熱い息を吐く同じく酔っ払ったぬえの肩を叩いて励ます。
 キスメもしみじみと頷きながら、自分の入っている桶に酒をドボドボと入れ始め、なみなみに浸かるまで酒を桶に満たすと、さあ飲めとばかりにぬえに迫る。
「きたー!キスメ酒!これはもういくしかない!ぬえっち!」
「ぬー!」
 桶に注がれた酒の中から顔を出すキスメとじっと見詰め合うぬえ。
「よし!」
 気合の声と共にキスメを持ち上げて桶の中の酒を飲みだすぬえ。
「キ・ス・メ!キ・ス・メ!」
 手拍子をとりながら何故かぬえではなくキスメコールをする小傘。
 少し時間はかかったものの、キスメの出汁が利いたキスメ酒を見事全て飲み干すぬえは小傘とキスメの拍手喝采を浴び、どうだといわんばかりの顔でわははと笑いだす。酔っぱらったぬえは先程のめんどくさい性格は完全に消え失せていた。
「よし!ここは小傘が一肌脱ぐか!」
「いよ!小傘!」
「今日は特別私が村紗役をやったげる!ぬえっち遠慮なく甘えろ!ほれ甘えろ!」
 一肌脱ぐかと聞いた時は本当に服を脱ぎだすかと思ったパルスィだが、違ったようで安心する。
「むらさー!」
 小傘がそう言った途端ぬえが小傘に抱きついて泣き出す。
「ぬえー!」
 二人は抱き合ってオイオイと泣き出す。
 その様子を見て出遅れたとヤマメも一升瓶をラッパ飲みして、イイ出来栄えになってからキスメ酒を注文する。
 流石にパルスィはこの連中の中に混ざれないと一歩引いて端っこで手酌酒に逃げるが、すぐにキスメに見つかってキスメ酒の洗礼を受ける。
 ナジはその様子に苦笑しながら、一斗樽を追加した。

 2時間が過ぎた頃、一人を残して酔いが覚めた者達で傭兵に参加するかどうか話し合いになっていた。
 酔いつぶれているのは小傘で、普通の妖怪ならあっと言う間にアルコールを分解してしまうところを小傘は人間並みの回復力しかない。妖怪としても非力な彼女は例え傭兵に参加するにしても前線には出せないだろう。それは皆承知していた。
「私、帰りたいんだけど・・・。」
 酔いが程よく冷めていつもの様子に戻ったぬえがコップ酒をチビチビやりながら、盛り上がった場に水を差す。
「村紗が心配するからか?」
 ヤマメがやれやれと肩をすくめる。
「ぬえ、そうやっていつも村紗の周りにいるから、村紗は振り向いてくれないのよ?」
「そんなことないもん。」
「おいおい、色恋沙汰はパルの十八番だぞ?村紗は元人間、パルも元人間。正義はパルにある。」
 珍しくヤマメがいい事を言う。ぬえも元人間という共通点がパルスィにあることに気付き話を聞く体勢になる。
「いい?ぬえの方からいつも近付いてくるって村紗はそう思い込んでるの。だからここは、少しの間つらいけど村紗の前に現れないようにするの。」
「・・・でも。」
 ぬえとしては村紗と会えないのはつらい。
「我慢するのよ。3日過ぎると、あれ?ぬえが最近来ないなーって意識し始めて、5日目には村紗はぬえの身にに何かあったんじゃないかと心配して探し始めるのよ。」
 押して駄目なら引いてみな作戦である。
「流石パル!経験者は語る!」
「うるさい!ヤマメ!」
「ホント?」
 桶を持ちながらほっぺたをつねりあってギャーギャー騒いでいるヤマメとパルスィを尻目に目の前のキスメに問いかけるぬえ。うんうんと真顔で頷くキスメ。
「分かった・・・やってみる。」
 このぬえの決断は、全員が傭兵としてこの作戦に参加するという意思表示でもあった。

「しかし、酔いつぶれる妖怪ってのも珍しいな。」
 ナジは酔いつぶれて寝ている小傘をマジマジと見下ろす。
「手ー出すなよナジ!」
「化け道具に手出すほど落ちぶれちゃいないよ。」
「って言う割にはさっきから小傘ばっか見てるだろ?」
「ああ、なんつーか、似てるんだよなーあの人と・・・。」
「男が女を口説く、陳腐な手よね、それ。」
 パルスィが軽蔑するような目でナジを見る。
「ナジサイテー・・・。」
 コップに口をつけながらぬえもパルスィと同じ目つきでナジを見る。
「ま、待てよおい!」
「んじゃ何でそんな熱い視線で小傘を見てるんだよ?」
 ヤマメが執拗に追求し、パルスィが嫉妬のオーラを出し、キスメがナジの頭の上でスタンバイし、ぬえがゲップをする。
「いやね、この子・・・小傘つったっけ?幽香さんに似てるような気がするんだよ。」
「誰だよそれ。」
「あ、お前ら知らないんだっけ?幻想郷の住人なら知らない者はいない超有名人だよ。」
 自慢気に言うナジは、壁にもたれているぬえの後ろの壁に掛かっている小さな絵をひっくり返す様に言い、手を伸ばすも立たないとその絵に手が届かないぬえは、めんどくさいのでキスメを頭にのせて代わりにひっくりかえしてもらう。
 絵が返るとそこには緑色の髪の女性の胸から上の肖像画が出てきた。
「この女が風見幽香?」
「ああ。」
「というか、何でそいつの絵がここにあるの?」
 もっともな質問である。ナジはさも当たり前の様に言うのだが、地底組にしてみればコレに何の意味があるのかさっぱりわからない。
「何でってそりゃー魔除けに決まってるだろ?神社のお札なんかよりよっぽど効くぜ。」
「何で女の絵が魔除けになるのよ?」
 風見幽香を知らない地底組には何でこれが魔除けになるのかさっぱりわからない。
「例えば盗人が入るだろ?で、絵の裏とかにへそくりがないが調べる。そこにこの絵が出たらどうなる?」
「どうなるの?」
「相手は死ぬ。」
「ええ!」
 一同声を上げる。
「ってのは冗談だとしても、驚いて逃げ出すよ。間違いない。」
「そいつ、そんなに強いの?」
 顔を見ただけで逃げ出すなど鬼くらいなものだろう。鬼並に強いというなら納得も出来るが。
「うちの大将は戦争中、千人隊長してたんだが、風見幽香ってのは千人隊長を千人アゴで使う化け物なのさ。」
 うちの大将というのは妖酔乃瀧の主人、妖酔の事である。
「はー・・・。」
 凄すぎてもう何が凄いのか分からなくなるヤマメ。戦争というのは吸血鬼戦争の事を言っているのだがそれも地底組にはさっぱりわからない。ただ、凄いという事に関してはナジの真顔で理解できた。
「んー確かに髪の色は違うけど、髪型とか顔の形はそっくりね。」
 パルスィも寝ている小傘を上から覗き込んで、絵と交互に見比べて評価する。
「うーむ。」
 アゴに手をあててしばし考え込むナジ。
「これは、使える!」
 小傘を何に使うのか見当も付かず顔を見合わせる地底組。
 全員に注目されていることも知らず、気持ち良さそうに寝ている何かに使われそうな小傘だった。


 それから数時間後、藤原妹紅と別れた風見幽香本人が妖酔乃瀧を訪れ妖酔と面会し、人間の里に協力する事を宣言した。
 この夜は八雲紫と八意永琳そして博麗の巫女が神社で会談し、重要な話し合いが執り行われている。
 そして同夜、守矢神社に送った人間の里の計画に対してそれを正式に了承する密書が慧音の元に届いていた。
 その翌日、八雲藍が守矢神社に八雲紫の親書を届け異変の協力を打診するが、この守矢神社への協力の打診。紫本人が赴いていればあるいは別の結果になっていたかもしれない。その八雲紫は同刻大天狗比良山次郎坊と面会する。
 八雲紫は大局を見据え完璧な異変を演出する算段を整えつつあったが、そこに思いもよらぬ伏兵が潜んでいる事に気付かなかった。

 八雲紫にとって人生最悪の異変が始まろうとしていた。
東方不死死 第44章 「炎の目覚め」


 上白沢慧音と里の重役らの極秘の会合は終わり、参加者は全員外に出てそれぞれの帰路に着いた。
「(どうすればいいんだ・・・。)」
 慧音は幻想郷をあるべき姿に戻す為に、神々と人間との間に大きな絆を作ろうとしている。しかし、それは博麗神社以外の存在に信仰を一時的に譲り渡す危険性があり、これは明らかに幻想郷のルールに反する行為である。一歩間違えば幻想郷を構築する基礎構造が崩壊する。
 幻想郷が崩壊すればそれまでだが、そうならずに済んだとして、事はそれで終わりという話ではなく、この様な行為は大罪であり間違いなく死に値するものである。それは即ち慧音の死は確実という事である。
 一人項垂れて通りに立ち尽くす妹紅。その時視線を感じその方に振り向くと、先程の仮面の妖怪、妖酔乃瀧の主人がこちらを見ている事に気づく。そして妹紅と目が合うと自分の店がある繁華街の方ではなく、すぐに横道に入って路地裏に姿を消した。
「着いてこいということか・・・。」
 慧音の事も重用だが、自分を見逃したあの妖怪の意図も知りたい。それにあの男なら何か慧音を助ける手段を知っているかもしれない。
 妹紅は仮面の妖怪が消えた路地裏に向かった。

 建物と建物の間には隙間がある。こういう場所は人が通る事を想定していない隙間なのでゴミや物が散乱して通れない事が多いのだが、妖怪が入った場所は壁や地面に色々な物が置かれているにもかかわらず、人一人通れる隙間が出来ていた。
 この辺の地理に明るくない妹紅は、ここが妖怪達の縄張りで逃げ道や先回りなど様々な状況に対応出来る様に予め獣道ならぬ妖道(あやかしみち)が形成されている事に気付く。よそ者が迷い込めば無事では済まないだろう。
 向こうはこちらが不死身だと言う事は知っているだろうし、誘い込んだのは戦闘をするためではないだろうと予測出来る。この先危険なのは承知の上で、妹紅は意を決して路地裏の通路に乗り込んでいった。
 長い間人が入った形跡がない埃臭いその狭い通路は、隣接する家同士の形状が違うので奥に進むにつれて曲がったり分岐したりを繰り返す。共同井戸、誰かの家の中庭などを横切る。夜なので人の気配はしないが、人が生活している痕跡が伺える場所も通り過ぎる。人間の里は大きな通りに隣接する家々はそれなりに立派な家が多いが、一本裏道に入るとその様子は一変する。
 里には犬猫といった人に飼われている小動物はとても少ない。その為、吠えられる心配がないので助かる。
 そうした小動物が少ないのは、妖怪に食べられてしまう為である。飼い猫がいないわけではないが、そうしたペットは家の外に出さないのが一般的である。ちなみに大きな犬は天狗に連れ去れて駒天狗として使役される存在になる。
 里以外でも動物が少ないのは天狗が使役するために連れ去る為で、その所為で天敵が少なく兎が大繁殖するのである。兎は人間の糧としても貴重だが、肉食妖怪の餌にもなり、幻想郷の食物連鎖に大きな役割を果たしている。
 妹紅は今まで見たことがない町裏の光景を興味深げに観察しながら戻りのルートも忘れるほど歩き回り、やがて一本の長い路地に出る。そこが袋小路である事に気付いたのはしばらく歩いて三方が壁の路地の終点に着いた時である。
 左右の壁は家などの建物だと分かるが目の前の壁は丸太をそのまま地面に突き刺した砦の柵の様に見える。
 里の北と西は太い丸太の高い柵で囲われ外から見ると砦の様に見える。恐らく目の前の丸太は里の北か西の端の柵の一部だろう。おおよそだが自分の位置が分かった。
 巧みに袋小路に誘い込まれている事は気付いている。躊躇なく罠にはまって見せたのは誘い込んだ相手に会って話をするためだ。
「さて・・・。」
 どうするか思案すると背後に気配を感じ、妹紅は追っていたにもかかわらずいつの間にか背後に回られたその気配の主に声を掛けられる。
「私に何か用ですかな?」
 振り向くと、そこにはあの時の仮面の妖怪、妖酔乃瀧の主人がまるで偶然居合わせたような様子で狭い通路の真ん中に仁王立ちしている。
 服装は森近霖之助のそれに似ていると今ようやくこの妖怪の姿を冷静に捉える事が出来た。裕福層では長着に羽織が一般的だが、平均的な家では半襦袢にステテコである。
 仮面の妖怪は、霖之助などと同じ、地の厚い裾が腰下までの半襦袢で、帯ではなく胸部から下腹にかけて大きめの胴当てを帯で硬く締めている。ちなみに霖之助の胴当ては革の小さな鞄がついている。
 下は上着と同じ厚い生地の袴に似た幅広のズボンで、太もも辺りは大きく膨らみ、脛当をした膝下から細く引き締められている。動きやすそうで、このままいつでも戦闘に入れる状態だ。
「ここに誘ったのはあなたでしょ?」
「話がし易い様に人気のない場所に案内して差し上げた・・・とは思いませんか?」
 妖怪のその言葉から、こちらの内面が見透かされている事に気づく。完全に後手に回ったと表情は変えず悔しがる妹紅。相手が優れているということに異を唱えるつもりはない。それよりも慧音の事で気が動転して、自分から隙を与え過ぎているのが後手に回るそもそもの原因だと猛省する。
「聞きたい事は幾つかあるけど・・・まずは、何故私の存在を誰にも言わなかったの?」
「ふむ・・・それは簡単です。貴女が先生ととても親しい間柄というのを知っていましたから・・・。」
「それは嘘よ、それなら・・・。」
 妹紅はその言葉が嘘だと見破り、間髪いれずに異を挟む。
 親しい間柄なら何も隠れる必要もなく堂々と会合に参加すればよいのだ。しかし、そんな妹紅の反論を予め想定していたかのように、妹紅の言葉を無視して言いかけていた話しの続きを始める仮面の妖怪。
「と、言うのは建前でしてね。」
「うっ!」
 焦りすぎだと心の中で自分自身を罵る妹紅。完全に遊ばれているではないか!
「先生は既に貴女を敵性勢力であることを私に教えておりました。」
「なら!・・・いえ、何でもないわ。」
 また反論しようとして、今度は思い留まる。どしたと言うのだろうか?妹紅は自分でも気づかない程に動揺して平常心を保つのに苦労している。永遠亭と闘った時とまるっきり正反対の状況と言える。あの時の永遠亭の心境は今の自分の様なものなのだろうか?だとするならさぞ気分が悪かったことだろう。
「敵に計画を見られれば、計画は途中で頓挫してしまいます。そうならないように敢えて見て見ぬふりをしたのです。」
「・・・。」
 何も言わずじっと聞く態勢になる妹紅。妖怪はそれを見て一度頷いて話を続けた。
「先生は貴女を敵性勢力とみなしておりますが、貴女は先生を敵性勢力と見なしてはいない。違いますか?」
「違わないけど・・・何でそれが分かるの?」
「何となくです。第六感といいますか。貴女があの時私を見て驚きつつも行動を起こさずその後私に全てを委ねる判断をしました。私もあの時は腹の底から驚きましたよ。でも、貴女があの場で何もしなかったので、私はあなたを信じたのです。」
「・・・。」
 そう言えばあの時何故かこの妖怪を信用していた事を思い出す。この妖怪には独特の魅力があり、大勢を束ねる器量が見える。それとも交渉事が上手い種族的な特性でもあるのだろうか?
「私は先生のやろうとしている事に対し全身全霊を捧げ協力する事を誓いました。私達妖怪の誓いは絶対。しかし・・・。」
「しかし?」
「先生を失うのはやはり辛い。」
 この妖怪は慧音の行う事の意味を十分承知しているようだ。
「慧音は何をしようとしているの?」
「あれを見て貴女は何をすると思います?」
 あれというのは商工会館の奥の部屋に保管された各種書類の山の事である。
「アレは神事の準備、守矢神社に繋がる諏訪の神様を幻想郷に呼び込もうとしている。」
「流石ですね・・・で、それをやるとどうなるか分かりますか?」
「幻想郷の仕組みを根底から覆す行為、それはすなわち幻想郷に対する謀反。知れれば打ち首必至。」
「その通りです。」
 妖酔は拍手をするが、それは馬鹿にした態度ではなく敬意が込められていた。
「貴方は慧音と友達なのでしょ?なら何故止めないの?」
「先生は友達ではありません。命の恩人です。」
「それなら、なおさら!」
「先生に大恩ある私が、それを止めなかったと思いますか?」
「そ、それは・・・。」
 妹紅は唐突に理解した。何故この妖怪が自分の心を見透かす事が出来たのか。簡単な事だ。この男もまた自分と同じ葛藤を心に抱き、苦しみ、泣き、そして諦めたからだ。この妖怪は妹紅に昨日の自分を見出しているのだ。だからこちらが何を考え何を思っているのか手にとるように理解できたのだろう。
「実は迷いました。貴女があそこにいた時、それを報せて騒ぎを起こせば、この計画は露呈し取りやめになる可能性が高く、ただの酒宴で終わったはず・・・ですが、先生はこの計画に文字通り命を賭けていた。」
「・・・。」
「貴女は先生の友人として、先生との信頼を完全に失い、憎まれ、軽蔑される存在になったとしても、落胆し廃人になって口がきけなくなったとしても、心の臓が機械的に動いてさえいれば、それで構いませんか?」
「それは・・・。」
 仮面の妖怪の迫力に圧されて即答出来ない妹紅。肉体的に生きていても心が死んでしまえば同じ事である。だが、それでも、それでも生きていて欲しいと思ってしまうのだ。
「私は・・・先生の計画に協力し成功させる事で恩に報いる道を選びました。貴女はどちらを選びますか?今、先生の命を助けられるのは貴女だけです。」
「う・・・。」
「何故こんな話を貴女にしたのか分かりますね。私は先生の計画を成功させたい。しかし、その一方で先生に死んで欲しくないのです。」
「貴方の変わりに・・・慧音の未来を私に選べというの?」
「卑怯者と罵ってもらって構わない。私は既に先生の野望に与してしまった。もう後戻りは出来ないのです。」
「そ、そんな・・・。」
 この妖怪に問題解決の糸口を見出そうとした妹紅だったが、逆にこの妖怪が妹紅に助けを求めていたのだ。
 慧音の計画を阻止すれば彼女の命と引き替えに裏切り者として扱われる事は必至だろう。仲違いし以後交わる事無くそれぞれ別の人生を歩んだとしよう。事がこれで済むならそれほど悩む事はない。この妖怪か自分か、とにかく誰かが汚れ役を買えばいいだけである。
 しかし、慧音の計画は、博麗神社の奪還であり博麗神社の復活と繁栄である。これが失敗すれば博麗神社は現状維持のままで神主も巫女もやがていなくなり完全に博麗神社の存在意義が消滅してしまうことになる。つまり幻想郷はそこで破綻するのだ。
 幻想郷でしか生きられない妖者はそこで終焉を迎える事になる。一時の感情で先を見誤れば今すぐではないにせよいつかは終わる。慧音一人の命で幻想郷が長く繁栄するなら、上に立つ者ならそちらを選ぶのが正しいといえる。
「しかし!」
 唇を噛みしめ肩を震わせて突然罵るように吐き捨てる妹紅。納得出来ない!到底受け入れられない!何か良い方法は無いのか?
「貴女はこの異変の重要な存在だと聞きました。貴女なら八雲紫に物言いが出来るのではないですか?」
「・・・。」
 妖酔の言う通りではあるが、妹紅は自爆後にどうなるか予想が出来ない。長期間復帰出来なかったら物言いも出来ない。すぐに復帰出来れば命懸けで慧音を守る!しかし、その保証が全くない。
「くそ!」
 妹紅は跪いて地面を両手で思い切り叩いた。
 慧音の計画が実行され、何事も無くただの酒宴で終われば問題ない。しかし、話は既に守矢神社に行っているという。恐らく慧音の作戦は上手くいってしまうだろう。
 慧音を生かせば幻想郷の未来は立たない。その逆も然り。考えても考えても話が同じところをぐるぐる回る。
 どれくらいの時間を考え悩んでいただろうか?気付くと仮面の妖怪は消えていた。
 妹紅は重苦しくよろよろと立ち上がった。その目は虚ろで、何か独り言をぶつぶつと呟いている。心ここにあらず・・・そんな面持ちだった。


 陽が沈んで霖之助が帰宅の途に着き、辺りが暗くなると妹紅が酒蔵組合の調査に出かけた。
 風見幽香は一人藤原邸に残され、妹紅の帰りを気長に待ちながら今後の事について考えていた。
 霖之助の言う事が正しければ巨大な物体が幻想郷に落ちてくる。どんなにがんばっても霊夢一人の結界ではどうにか出来るものではないと思う。
 八雲紫と八意永琳が会見した事は妹紅から聞いた。ならばこの物体に対する対策は既に話し合われているだろう。しかし、どうも信用出来ない。紫のやることは結構な確率で失敗する。例えば月面戦争のように・・・。

 結界を張るなら少なくとも直径42kmの球体とそれを巻き込んで自爆する妹紅をすっぽり包み込む非常に大きな結界が必要だ。
 例えば1秒間だけ張るという限定的なものならそれも可能かも知れない。しかし大爆発すると想定されるがその膨張するエネルギーを押さえ込み、尚且つそれが収まるまで結界を維持し続けなければならないとしたらどうだろう。こんな事が可能だろうか?
 幽香は歴代巫女ナンバー1の誉れ高い500年前の吸血鬼戦争で天照大神を卸した現巫女と同名の博麗霊夢という人物を今でもよく覚えている。その力量を今の巫女と比べて見るが、その力の差は歴然である。そしてそのナンバー1巫女でも妹紅の自爆と要塞を封じる結界の施行は無理だと判断せざるを得ない。
 力とは範囲を狭めれば狭める程、硬く強くなるが、逆に範囲を広げれば広げる程威力は分散され薄く弱くなる性質がある。これは当然結界にも同じ事が言える。
 そんな非力な霊夢の力を補うには何か別の存在に頼るしかない。それは例えば強力な神様を卸して、その神様に結界を張らせるか、神様にお願いをして力を授けてもらい、その力で結界を張るかである。或いは力を補う増幅装置や充電池のような道具を使うというアイデアもないわけではない。ただ、幽香は神社や神具に関する知識がないので具体的にそれが出来るのか分からない。
 幻想郷という世界の中に、神様以外で神社の巫女に力を授与出来る存在はいない。神様なら何とか出来るかもしれないが、里周辺にいる落ちぶれた神様では何の助けにもならないだろう。神様の力とは信仰の量に比例するので、大きな信仰を持つ大きな神社にいる神様でなければならない。しかし、博麗を中心とする狭い幻想郷にそんな大きな信仰を持つ神様はいてはならない。いれば信仰のブレが生じ幻想郷そのものが成り立たなくなる。
 諏訪の神様が現在妖怪の山に居座っているが、本格的な人間の里への侵略行為は行っておらず今の所は助かっているが、これもいつまで続くか分からない。少なくとも博麗を消してしまうのはまずいと思って自重しているというところだろう。ただ、何かを企んでいる事は間違いなく、紫も警戒している。
 基本的に神社とか神様が嫌いな幽香は妖怪の山の神様の話だけは聞いたいるものの、それ以上詳しい事は全くわからない。まー分かろうともする気はないが・・・。

 幽香は間近に迫る『その時』を想定して自分なりに霊夢に何かしらの助力が出来ないかと考え始める。
 自分の力なら植物を使って一時的な支えを作る事は可能だと思う。しかし、明らかに強度不足だ。大きくすればするほど密度が薄くなって弱くなる。
「密度か・・・萃香ならあの玉っころを持ち上げる事も出来るかもしれないけど・・・あの相当な質量を支えるにはかなり大きな足が必要でしょうね。玉が落ちる前に萃香に踏み潰されちゃうわね、きっと・・・。」
 萃香を利用するアイデアは良いと思い、そこを基点に構想を膨らませる幽香。楽しそうにむふーっとしながら一人考える。
「あ、そうだわ!」
 ひとつ名案が浮かんで手をポンと叩いた時だった。中庭に誰かが来た事に気づき、夜目が効かない幽香は目を凝らして相手を確かめる。確かめるまでもなくそれは恐らく妹紅だろうと予測出来たが、どうも様子がおかしい。
「ん?妹紅?」
 引きずるような足取りでとぼとぼと力なく縁側に腰を下ろしがっくりと肩を落とす妹紅。そう、確かにこれは藤原妹紅だ。
「どうしたの?」
 目の前にいるのは明らかに妹紅なのだが、数時間前にここで別れた時と全く違う気を放っている。いや、放っているというより覇気が全く感じずむしろ生物として正常な気が失われている様に感じるのだ。
 これが誰か妹紅に化けた別人なら蹴飛ばしてやるところだが、これが妹紅本人ならかなりやばいのではないだろうか?不安になる幽香。
「ねえ!妹紅!どうしたの?」
 座敷に正座をしていた幽香は立ち上がって縁側に移動し靴を履いて一度中庭に下りて、座ってうな垂れる妹紅を正面に捉える。
「妹紅・・・?」
 幽香は妹紅の正面に立ち、膝の上に両手の握り拳を置いて何かを必死に堪えているかの様に小刻みに震えている妹紅の左の手の甲にそっと右手を添え、下を向いている妹紅の顔を覗き込む。
「も・・・はっ!」
 幽香はもう一度妹紅の名を呼ぼうとして絶句する。
 小さな女の子が母親とはぐれてその寂しさ心細さをぐっと堪えている様な、今にも泣き出してしまいそうなか弱い少女の顔がそこにあった。
 幽香は一瞬何者かの術か能力で力を根こそぎ奪われて、何の力も持たない12歳前後の少女になってしまったのではないかと咄嗟に感じる。しかし、それはすぐに自己否定する。そんな術は存在しないし、相手はあの妹紅である。八雲紫にも八意永琳にも不可能だろう。では、この目の前の女の子は誰だ?
「どうしよう・・・。」
 少女の口から消えそうなか細い声がもれる。そして今にも溢れ出しそうだった少女の涙の粒が、瞬きの僅かな力が呼び水となって、ついにとうとうと流れ落ちはじめる。そして頬を伝って幽香の手に零れ落ちて雨粒のように弾ける。
 その涙の小さな重さと熱さを感じた時、幽香の背筋は凍り全身の毛が逆立った。やばい!妹紅の心が完全に折れている!異変の直前に妹紅がこんな状態になっては、幻想郷の未来にも大きな影響を与えるだろう。もちろん悪い方にだ。
「妹紅!」
 幽香は両手で妹紅の肩を掴んで少し強く揺さぶって気を確かに持てと気合を入れる。
「どうしたの妹紅!言いなさい!何があったの?」
 溢れた妹紅の涙は顔を揺らされ上下左右に不規則に弾け飛ぶ。この時ようやく妹紅の焦点の定まらない視線が幽香を捉える。
「幽香・・・どうしよう・・・わたし・・・。」
「だからどうしたの?説明しなさい。」
「慧音が・・・慧音が・・・。」
「慧音がどうしたの?」
「慧音が死んでしまう・・・どうしよう・・・どうしよう・・・。」
 慧音と死と言う2つのキーワードが出る。不吉な予感が過ぎるが、その言葉から慧音はまだ死んでおらず、しかし、このまま放っておくと死んでしまうと言うニュアンスに取れた。
「慧音が病気にでも罹ったの?」
 首を振る妹紅だが、ここで必死に我慢していた感情の箍が外れ、顔面をくしゃくしゃにして大声で泣き出す。
「う、うう、うああああああああああああぁぁぁぁぁー!」
 もはや凄腕の妖術使い藤原妹紅の面影はどこにもなく、そこに居るのは心の支えを失った哀れな少女の姿だけだった。

 両手の拳を強く膝に押し付ける様にして全身を震わせて大声で泣き叫ぶ妹紅。涙と鼻水で顔が濡れても構わず大きな口を上に向けてびーびーと泣いている。こんな風に泣いている3、4歳の幼子を里で見たことがあると不意に思い出す幽香だが、まさかあの妹紅がそんな子供の様になるとは思いもよらなかった。
 何か見てはならないものを見てしまったという背徳感を覚える幽香。どうすることも出来ずオロオロと妹紅の肩に手を置いたまま助けを求める様に周囲を見渡すがもちろん誰もいない。
 端から見たら子供を泣かせているいじめっ子妖怪の図であると、自身を省みて冗談っぽく笑って誤魔化すところであるが、この時ばかりは幽香も冗談を言ったり考えたりする余裕が全くなく必死だった。赤子をあやす様に『居ない居ないバー』でもすれば泣き止むのだろうか?それとも飴玉など甘いもので気を引くとか・・・。いや違う。真剣にくだらない事を考えて首を振る幽香。冗談ではなく真剣に戸惑ってしまう。
 完全に予想外、想定外の妹紅の行動に見っとも無く狼狽えると同時に、異変の事が心配にもなってくる。このままでは妹紅は完全に少女返りして異変どころの騒ぎではなくなるだろう。
 こんな時に誰を頼れば良いのか頼りになりそうな人物を思い浮かべるが、閃めいて浮かぶ顔は数時間前の藤原妹紅の顔だ。何だかキツネにつままれているようで、アホらしくなってこのまま放って逃げ帰りたい心境になる。しかし、当然このままにしておくことは出来ないのでぐっと堪える。
 ここは意表を突いて殴って黙らせるかと言う最も幽香らしい発想が頭を過ぎるが、こんな可愛らしく哀れな少女をどうして殴れよう?と、いつも平気で殴る自分を棚上げする。
「もう!どうしたらいいのよ!」
 幽香は居たたまれず妹紅を強引に立たせるとそのままぎゅっと抱きしめた。普通の女の子なら痛くて悲鳴を上げそうな力であるが、それに応えるように妹紅の腕が幽香の背中に回り強く抱きしめ返す。そして同時に泣き声が悲鳴の様な絶叫に変わる。
 こうなったらもう妹紅の内に篭った何か悪い物を涙と声と一緒に外に吐き出させるしかない。それしか出来ない幽香は何も言わず痛い程強く小さな妹紅の身体を抱きしめ、銀色の美しい髪に頬を寄せた。

 慧音の身に何かがあった、もしくはその身に何か良くない事が起こると判明したのだろう。それにしても妹紅のこの変わりようは何だろうか?それだけ慧音という存在が妹紅に大きな影響を与えていたということだろう。
 幽香は妹紅と会ってまだ十日も経っていないわけだが、まるで何百年も前からの親友の様な感覚になっていた。それなりに強い信頼関係が結ばれたと自負していたが、慧音との絆はもはや別次元であることを見せ付けられた。軽い嫉妬と同時に羨ましいと思う自分がいる事に気づく。自分と慧音の差はどこにあるのだろうか?やはり霊獣と妖怪との間には埋められない溝があるのだろうか。
 そしてそれと同時に、どんなに強くても妹紅は人間なのだと言うことを思い知らされる。一瞬で感情が変わり、それが体調にまで及んでしまう。人間固有の非常に面倒くさい性質である。妖怪は感情に殺される事はないが、人間に感情で容易に死ぬ事が出来る。
 数時間前と全く違うその妹紅の姿に、一時これは演技ではないかとも疑ってしまう。しかし、幽香の目からは明らかに本物に見える。もしこれが演技だというなら、騙された方ではなく騙した方の勝ちだと認めてもいい。

 恐らく30分以上そうしていただろうか?妹紅も既に泣き止み幽香は少しずつ妹紅から事情を聞きだす。
 たどたどしくか細い声で事情を説明する妹紅の声が、まるで別人のようで、しっかりと支えていないと消えてなくなりそうで怖い。薄く淡い桃色の唇口の先だけでぽそぽそとしゃべるのでとても聞きづらく、問題の慧音の死というところにくるとまた涙が溢れ出して振り出しに戻る。先程からこれの繰り返しだ。
 こうなると流石の純白幽香もイライラしてだんだん暗黒幽香になってくる。このままだと埒が開かないし、病気の様にどんどん症状が悪化して取り返しが付かなくなるのではないかという危険性を感じはじめる。
 妖怪ではあっても人間とそれなりに長い付き合いである幽香は、人間の扱い方を知っている。それ故に妹紅に対して柄にも泣く優しく対処していたわけである。しかし、それは間違いではないだろうか?このまま妹紅の気持ちに追従して調子を合わせていたら、完全に別人に変わってしまうのではないか?
 意を決した幽香は、弱弱しい妹紅を突き放して、両手で妹紅の両の頬を大きな音がするほどバシバシと叩いて正気に戻させる。
 最初は驚いて更に泣き出しそうになった妹紅だが、身の危険を感じると隠れていた防衛本能が呼び覚まされ、次第に目に力が戻り始める。それを見て正しい選択をしたと確信した幽香は最後の仕上げとばかりに背中を思い切り叩いて妖力を注ぎ込む。
「痛!」
 地面に膝をついて背中を押さえて痛みに耐える妹紅。その声が普段の妹紅に戻っていると見て一安心する。
「おかえり妹紅・・・やっと正気に戻ったわね。」
 いつもの調子に戻れば報復されるかもしれないと受けて立つ準備をする幽香は、首の骨の一本や二本覚悟する。
 か弱い妹紅もまたそれはそれで中々楽しめたが、ずっとあのままでは流石に気持ちが悪い。というかもう懲り懲りである。
 正気を取り戻して立ち上がった妹紅は、幽香に背を向けてぐちゃぐちゃになった顔を袖で必死にぬぐって元に戻そうとする。それを見て肩をすくめて苦笑しながらハンカチを渡す幽香。それを奪い取るようにして涙を拭き、そのまま鼻をかんでそれをポケットに突っ込む妹紅。
 妹紅は身体を幽香の正面に向けたものの顔は横を向いて鼻の頭をポリポリ掻いて何事も無かったかのように誤魔化す。格好悪いところを見せてしまったが、未だ問題は解決されたわけではなく、心のもやもやが全く晴れない妹紅。
「落ち着いた?」
「ありがと・・・後で洗って返すわ。」
「そんなことはいいから、ちゃんと話して?」
「・・・。」
 押し黙る妹紅。
「あーあ、服が誰かさんの涙でびしょびしょ・・・。」
 この期に及んでまだ話そうとしない妹紅に嫌味を言う幽香。
「・・・慧音のやつ、外から神様を呼び込もうとしている・・・守矢神社を利用して・・・。」
 萎縮した心に気を叩き込んで戻してくれた恩もある。この際だから幽香に全部話して相談に乗ってもらおうと思った妹紅は縁側に腰掛け、それに応じて隣に体をくっつけて座った幽香に全てを話した。


「・・・そりゃー死刑になって当然だわね。」
 全て聞かされた幽香の開口一番がこれだった。今の妹紅には辛い言葉だが、変に慰められるより気持ちは楽かもしれない。
「・・・。」
「泣くほど苦しんだってことは、慧音の作戦を黙認するって事でしょ?」
 慧音の死を受け入れないというのなら今ここで泣いたりはせず、すぐに行動に移っているはずである。
「頭では分かっているつもり・・・でも。」
「あっちを立てればこっちは立たず・・・か。」
 妹紅も何度考えても必ずループする。
「・・・。」
 幽香はうな垂れる妹紅を横目に、自分なりに考えてみるが、そもそも慧音が死と引き換えに直訴のような見っとも無い策をとるだろうか?不思議に思い始める。
 何故不思議に思うのか?根拠としては彼女が霊獣という点である。妖怪の自分が言うのも何だが、自分の命と引き換えに・・・というくだらない発想は人間固有の思考である。いくら半分人間であっても霊獣である慧音はまずそんな発想をしないだろうと思うのだ。
 人間である妹紅には見えず、慧音と同じ人外の存在である妖怪の幽香にしか見えない現実がある。
 少なくとも慧音は妹紅を完全に掌握しているだろう。しかし、妹紅は慧音の全てをしっかり理解しているのだろうか?単なる片思いなら慧音が可愛そうではないだろうか?
 異変の事もあるのであまりキツイ事は言いたくないのだが、しかしこのまま妹紅に迷いを持たせたままにしておくのもまずい。ここはちゃんと言っておいた方が妹紅の為にも異変の為にも良いのだろうと心を決める幽香。
「ねぇ、妹紅?」
「ん?」
「私、妹紅と慧音は一心同体の存在かと思ってたけど・・・あなた、全然慧音の事理解してないみたいね。」
 誰よりも慧音を理解していると自負する妹紅は当然カチンと来て立ち上がり、隣に座っていた幽香の前に立って恐ろしい形相で見下ろした。
「もう一度言ってみろ!」
 喰い付いたと幽香は内心ニヤリとする。妹紅のあの取り乱し様は、偏向した愛情がそうさせたと確信する。いつも一緒だった二人が離別したことで、想いが強く歪んで判断力を低下させたのだ。幽香はやれやれという心境になる。ここは妖者のなんたるかをしっかり教育してやらなければならない。

 妖怪である幽香ではあるが長年人間と隣りあわせで過ごしてきた。人間ではないだけに逆に人間の長所短所を客観的に見る事が出来、どのように言えば説得したり諭せるかを知っている。
「慧音は貴女のことをよく知っているけど、妹紅は慧音の事を何も知らない、理解していない。何だか慧音がか・・・。」
 幽香が可愛そうと言い終える前に妹紅に胸座を掴まれる。想定内。
「黙れ!」
「頭を冷やしなさい。こんなくだらない挑発に簡単に乗ってしまう程、今の貴女は精神的におかしくなっているのよ。」
 ハッとなって幽香から手を離す妹紅。
「私は紫と違って上白沢慧音を見下したりはしないわ。まぁ紫が慧音を見下すのは、それだけ慧音を危険視しているという裏返しでもあるのだけれど・・・。」
 幽香は自分の座っている縁側の横をポンポンと叩いて妹紅に座る様に促す。少し頭が冷えた妹紅は素直にそれに応じた。
「そういえば妹紅、さっき妖酔乃瀧の仮面の妖怪と会ったと言ったわね?」
「ええ。」
「彼の事を少し話しましょう。彼は吸血鬼戦争の時、魅魔の部下で千人隊長を努めた用兵家の猛者よ。」
「吸血鬼戦争?」
 またしてもここで吸血鬼戦争の話が出る。幻想郷に関わる上でこの戦争は切り離せないものらしい。
「でも、戦中吸血鬼に捕らわれて、吸血鬼にさせられたのよ。」
「え?」
 衝撃の事実である。
「吸血鬼も皆が邪悪な存在というわけではないわ。血の乾きの拷問に屈しなかった妖酔は吸血鬼側から賞賛され、捕虜交換時に勇者として帰されたのよ。その後、血の乾きに耐えながら終戦まで一人の妖怪として魅魔の下で戦い抜いたの。でも戦後処理で八雲紫は吸血鬼廃絶を訴えた。あれ以来妖酔は私達の前から姿を消したの・・・。」
 妹紅はあの仮面の妖怪が八雲紫に敵意を持っていた事を思い出す。そういう過去があったのだ。しかし、その吸血鬼がなぜ堂堂と里で商売を・・・。
「100年以上経って、慧音が里で受け入れ始めた頃、傍らに一人の妖怪がいた。」
「それが、妖酔?」
「ええ、妖酔は霊獣の血を飲んで血の乾きから開放され、吸血鬼でありながら血をあまり必要としない体質になって、恩人の慧音と一緒に里を守ったの。だから妖酔は里で妖怪の元締めをしているのよ。」
 霊獣の肝や血は、万病の薬とされている。吸血鬼という一種の感染病の症状が緩和されたという事だろう。それにしてもそんな事実、妹紅は全く知らなかった。幽香ですら知っている事を自分が知らなかった事に軽いショックを受ける。
「知らなかった・・・。」
「上白沢慧音は、里では先生と呼ばれ、あたかも里の法と秩序を司る存在と思ってしまう。でもね、慧音は正しい事であれば法や秩序、固定化したルールを簡単に壊してしまう柔軟な頭を持っている。違う?」
 慧音に対する正しい評価だと妹紅は頷く。
「・・・良いと思った事はすぐに皆に提案してルールを変えてきた。不気味がられた私の友達にもなってくれた。好奇心旺盛でよく失敗もしたけど・・・。」
 妹紅の目から先程とは違う涙がこぼれる。そうだ慧音は自分の命と引き換えに・・・などという選択肢はしないはずだ。ようやく真実に辿り着いた。
「慧音は後世の為に自らの命を礎にするなんて発想は持たないわ。後世にまでずっと関わって永遠に世界を見定めるはずよ?違う?」
「・・・違わない。」
「きっと彼女にはルールを破ってもそれが死に繋がらない、紫に勝つ勝算があっての事なのよ。」
「勝算?」
「ふふ、ほんと貴女は自分の事となると全く見えないのね。そう、勝算は妹紅、貴女よ。」
「私?」
「不死鳥はただ世界を破壊する為に転生するのではないわ。世界の行き詰った秩序やルールを破壊して、新しい発想と仕組みが育める土台を作って、世界そのものを次のステップに持ち上げる存在なのよ。」
「!」
「現状のルールが慧音を殺すというのなら。貴女はすべてをぶっ壊して新しい世界を創ればいい。簡単な事よ。」
「そういうことか・・・。」
 妹紅は得心する。それと同時に、慧音の本当の気持ちを理解出来なかった自分が情けなく思う。
「私は前に、吸血鬼の事にあまりかかわるなと言ったけど、それ撤回するわ。」
「え、なぜ?」
「貴女は全てを引き受けなさい。全てを道連れにして壊し再生して世界を造り替えなさい。」
 幽香の妹紅を見る目が期待に満ちていた。
「ゆ、幽香・・・。」
 妹紅は横にいる幽香を大きいと思った。生き物としてのスケールの大きさを肌で感じた。紫や藍といった強い妖怪は大地に君臨する存在といえる。しかし幽香の強さとは大地そのもののようだ。魅魔が何故幽香を認め大事に思っているのか理解出来た気がした。

「さて、私はそろそろ行くわ。私もやるべき事がみつかったから。」
 何も見えてこなかった異変の一部が霖之助によってもたらされてから、幽香も何か出来ないかと考え、ある名案が浮かんで実行してみたくなっていた。そのやりたい事は妹紅と別れる直接の理由にはならなかったが、しかし、状況が変わった。
 里の連中が神社までの道を強行突破するつもりで、その護衛に大量の妖怪傭兵を雇っている事を知ってしまった。博麗神社とその周辺は確かに安全だが、その南側、太陽の畑に至るエリアは非常に危険な場所で人間の集団が通ろうものなら、空を埋めつくような数の人食い妖怪が襲ってくるはずだ。
 幽香がなぜその周辺に陣取っているのか?それはそうした人食い妖怪が人間の里に行かないように抑止力となるためである。
 異変が起こっている混乱した状況では、自暴自棄になった他の妖怪達が最期の晩餐のつもりで人間達を襲う可能性もある。神社に向かう者達には傭兵がつくので大丈夫だろうが、そうなると里はもぬけの殻になって危険である。そしてその里の守りを自分に頼もうとして捜索されていることも妹紅から聞かされた。
 頼りにされれば応えずにはいられない性分の幽香としてはここは行くしかないだろう。そして里に入ればそれは即ち慧音側に付くという事も意味する。慧音と妹紅が建前上でも敵対している事になっているなら、自分もまた妹紅と敵対する立場になる事を意味する。

「え?」
 妹紅は幽香の言葉を聞いて驚き聞き返した。
「紫は次の段階に進んでいると思うし、私は紫の構想する計画に必要なメンツに入っていないと思うわ。だからもう怪我人のフリは必要ないでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って!」
 突然の別れの宣告。立ち上がりそのまま中庭から去ろうする幽香を引き止める妹紅。
「しっかりなさい、藤原妹紅!まだ、貴女を必要としている者がいるかもしれないわ。そうした連中はきっと貴女を頼ってくる。紫、魔理沙、魅魔、サーヤみたいにね。だからしっかり面倒見るのよ?」
「待って、今すぐじゃなくてもいいでしょ?」
 妹紅は去り行こうとする幽香を惜しく感じた。このまま自分を支えて欲しいと思い始めていた。
「ふふ、私もこの異変で自分の力を試してみたくなったのよ。」
「あなたは最強よ。試す必要なんてないわ。」
 根性悪く食い下がる妹紅。
「勘違いしないで。私は力試しをしたいのではないの。フラワーマスターとしての自分を試したいの。」
「フラワーマスター?」
「ふふふ、まぁ見てなさいって。」
 心底嬉しそうな幽香の笑顔を見て妹紅は諦めた。諦めたと同時に感謝の気持ちで一杯になった。
「幽香・・・あ、ありがとう・・・本当に・・・本当に。」
「それはこっちの台詞よ。私の大切な人たちをたくさん救ってくれた。ありがとね妹紅。また会いましょう。」
 真夜中にもかかわらず何故か日傘を差して背を向ける幽香。彼女の日傘は陽除けとして使っているのではなく、単に可愛いから気に入って使っているだけなのだろう。可愛いものをこよなく愛する心優しい最強の妖怪よ。


 風見幽香は去った。十日にも満たなかった藤原邸での滞在だったが、もう何年も前からそうしていたような印象だ。
 縁側を振り返り、帰宅するといつも座敷に正座をしていた幽香の姿を思い浮かべる。全ての始まりは幽香からだった。あの時彼女の首の骨をねじ折った時から全ての因縁が輪となって循環し始めた。
 八雲紫とその妹藍。魔理沙と魅魔から派生した500年前に遡る吸血鬼との因縁、そして永遠亭との因縁が自分を経由して紫と繋がった。八意永琳は、八雲紫が自ら分離した創主であることを知っているのだろうか?
 西行寺幽々子とは、幻想郷とは別の外の世界で間接的な因縁がある。妹紅の予想が正しければ、魂魄妖夢は水子になり半人半霊、幽々子僕という運命を背負わされて生まれ変わったのだ。そして彼女を殺した集団の末裔が自分なのだ。
 吸血鬼の事も不死人狩りでフランドール・スカーレットをいじってしまったことで因縁が生じてしまった。そしてこの不死人狩りは大勢の妖怪と奇妙な因縁を作ってしまったのだ。
 自分は幻想郷の住人とは何の関係もない他人で、過去を全てリセットして慧音と共に新しい人生が始まると思っていた。
 しかし、そうではなかった。色々な人と繋がりそれが複雑に絡み付いている事を思い知らされた。
 吸血鬼に深く関わるのは危険だと忠告されたが、今は逆に全てを引き受けるように言われた。それは身動きが出来なくなった世界、人、妖を全てまとめて浄化の炎に焼き尽くせと言う事か?

 幽香はてっきり中立的な立場で傍観者を決め込むつもりと思っていた。だが違った。彼女は紫のすることを息を潜めて観察し、事態の進展を見て動く機会を虎視眈々と狙っていたのだ。
 八雲紫と八意永琳が同盟し、巨大な物体が幻想郷に落ちるという演出が為される事を知った。そして、水面下で慧音に率いられた人間達が博麗神社奪還に動き出している事も知った。これを見て幽香は何かを企みそして動いたのだ。
 妹紅は紫をまるで天皇のように敬い、彼女の言葉を勅旨として受けとめていた。それは自らの力を抑制するための口実として大いに利用出来た。しかし、それは単なる逃げであり、自らの力を恐れその力が世界を破滅させてしまうという事に責任が持てず、紫にその責任の全てをを押しつけていただけだった。
 だから見誤ったのだ。明確に八雲紫と対決しようとする慧音が、密かに自分を頼っていることを。離別は紫を油断させる一種の計略でもあったのだ。

 慧音は死なない。いや死なせない。慧音の害となるものは全て敵だ。
 妹紅の中に慧音と同じ八雲紫に対する明確な敵対心が生まれ、心の奥底に負のマグマが煮えたぎるのを自覚した。
 しかし、そんな妹紅の暗黒に片足を踏み入れた心に一陣の風が吹き抜け、燻った炎が一気に燃え上がるのを感じた。

 全てを引き受けなさい。

 幽香の声が頭の中に木霊する。すると妹紅の中のどす黒い感情が消える。
 ふぅと息を吐き闇夜を見上げる。振り子のように行ったり来たりしていた揺れ動く感情の波が収まり静かに凪ぎはじめる。
 逆風が追い風となり、前進を妨げていた潮目が変わった。妹紅は一人得心する。
 妹紅は気分のもやもやが晴れ気持ちよさそうに夜風を頬に受ける。そして次の瞬間眉間に皺を寄せ不適に笑う。それは永遠亭との対決に赴く時のそれと似ていた。
 紫の妹藍に対する罪の意識から姉の紫に対して贖罪の念に駆られ遠慮していた妹紅。そして、紫の言いなりになるという下僕宣言。
 自らに制限を設けて行動の自由を無くし、そうした制限下の中で最良の選択が出来るように心を研ぎ澄ませていた。そして、手に負えるものだけを選んで他は切り捨てようとしてきた。しかし、その切り捨てるべき対象が慧音になってしまった時、これまで研ぎ澄ましてきた妹紅の精神は音を立てて崩壊した。
 極端に言えば魔理沙も魅魔も吸血鬼も切り捨てようと思えば出来た。しかし慧音を切り捨てる事が出来なかった。

 風見幽香に救われた妹紅は、自らに課した制限を取り払い自由の身となった。
 八雲紫に対しての遠慮が無くなれば事はとても単純だ。自分の都合の良い方に全てを造り替えればいいだけなのだ。
 別にそれで紫を嫌いになったり敵対するという訳ではない。八雲紫は幻想郷の天皇であり、彼女の言葉は勅旨だと今でもそう思っている。ただし、天皇だからと言っても永遠ではない。世が乱れそれが中々治まらない状況になれば、天災であってもそれは天皇の資質に問題ありとして廃位させられる。実際そうして天皇が替わる事は何度かあった。紫がそうならないように監視するのが、魅魔や幽香達なのかもしれないがこれからは自分もそうするべきだと思う。

 罪を犯した慧音に罰を与える事は幻想郷を管理する紫の正当な職務といえる。それはわかる。だが妹紅はそこを何としても曲げたい。それをするには罪を帳消しにする何かを献上しなければならないだろう。
 筋を曲げれば自ずとどこかにしわ寄せがくる。どんな理由があるにせよ罪人を許せばそれは悪しき前例を作る事になる。それにつけ込む輩が現れるかもしれず、現に山の神様が何度か企みを行っている。
 紫に対して慧音を件を譲歩させるなら、それと引き替えに彼女の譲歩を飲めばいい。簡単な事だ。幻想郷の害悪となりうる山の神様を紫の手を汚さずに自分が殺してやればいい。神崩しなど妹紅にとって何の苦にもならない。神だろうが何だろうが幻想郷に仇を為す者は全て灰にする。
 妖酔が言ったように、自分なら紫に物言いが出来る。ただし自分が自爆後にいつ復帰出来るか見当がつかない。紫に物言いをするにも兎に角慧音が罰せられるまで時間が欲しいと思う。

 どうすればいいか?

 妹紅はすぐに名案が浮かぶ。何をしてもいいというなら答えは簡単だ。紫を完膚無きまで叩きのめしショックでしばらくの間立ち直らせないようにすれば良いのだ。もちろん物理的なショックではない。精神的にだ。
 具体的にどうするか?妹紅は思わずニヤリとする。それと同時に一旦静まった黒い感情が再び沸き起こる。
「くっくっくっ・・・スキマが盗まれたらさぞ驚くだろうな。」
 紫に大きなミスを犯させる。そして、それを自分がフォローして立て直す。自分の愚かさと無力さを思い知らせて立ち直らせないようにするのだ。
「魔理沙・・・悪いけどあんたを利用させてもらうわ。」
 邪悪な笑みを浮かべて、まっ黒な自分の心をしばし楽しむ妹紅。しかし・・・。
「ふー・・・危ない危ない。」
 直ぐに幽香の言葉を思い出し、心のバランスをとる妹紅。
「恨みで動くんじゃない。大義の下に動くのよ。そして大義には常に犠牲が付きまとう。ふふふ。」
 今の妹紅には妖怪を退治する妖術使いとしての心と、幻想郷という世界で生かされている事に対する感謝の念が同居し常にせめぎ合っている状態である。幽香と対戦し紫らの企みに乗った時、妹紅の心は幻想郷に大きく傾いた。そして慧音の件が発覚してから左右に大きく揺れ動き、今し方妖術使い側に逆転した。
 それをまた中庸に戻したのである。これから先もこのような精神のブレが起こるだろう。その時は幽香の顔を思い出せばいい。ポケットに手を突っ込んだ妹紅は、先程洗って返すといってしまった幽香のハンカチを握る。
「全て引き受ける・・・か。」
 考えてみれば傲慢な発想だと思う。しかし、それを言った者が誰なのかを知れば納得も出来よう。
「紫・・・悪いけどこの勝負は勝たせて貰う。その代わり・・・今後はこの身を貴女の剣として捧げましょう。それが慧音を生かす代償。」
 自分の身体が慧音の命の代償というのなら安いものである。


 妹紅はしばし夜空を見上げながら今後のスケジュールを煮詰める。始まりの時がいつなのか、自分にあとどれくらい時間が残されているのか、それだけでも知りたい。
「さて、何から始めるか・・・。」
 先ずは、九尾から頂戴したスキマの巻物だ。
 紫が使うスキマのように自在なものではないが、特定の地域に移動できる仕組みを任意に行う事が出来れば、魔理沙の件で切り札として使えるはずだ。魔理沙は優れた両親の遺伝子を受け継いだ素晴らしいポテンシャルを持っている。魅魔の件で成長を妨げられているが、それから解放されれば成長出来るはずだ。
 迂闊に自分に巻物を見せた九尾に後悔させてやる。術師としての格の違いを見せつけてやる。
「二度と舐めた口を聞けないようにしてやる。」
 舌なめずりをして邪悪な笑みを浮かべる妹紅。今は妖怪の天敵、妖術使いとして動く。
 妹紅は縁側に飛び上がって雨戸を閉め始める。術の研究解析は極秘事項で誰にも見せられない。恐らく誰も来ないであろうが念の為に目隠しをする。
 今妹紅は妖術使いとしての血が騒ぎ始めており、それを抑える事が出来ず本能に身を委ねた。


 異変は新たな局面を迎えた。
東方不死死 第43章 「虚虚実実」


 博麗神社本殿の中で眠っている力を呼び覚まそうとするかのように、集中し気を高める少女がいる。博麗神社の巫女、博麗霊夢である。
 自分の中で何かが変わったのは、そう、藤原妹紅が神社を訪れた時からだ。
 これまで特別な事でもない限り修業などしなかった霊夢。そんな彼女の重い腰が上がったのは、これから起こる異変が特別だと予感させるからでもあるが、藤原妹紅と会い、彼女の術師としての能力の高さに触発されたからである。
 神事に関する修業は一通り済ませている。主に作法が中心で時々思い出した様に試してはみるが、こうしたものは一人でひっそりやるようなものではない。虚しいだけである。いつも偶然居合わせる霧雨魔理沙にまじないを披露して見せるが、彼女がその手品に有難味を感じることはない。
 必要とあらば神を卸す事が出来るが、高い地位の神様は様々な契約が必要だ。
 訓練をして高められる部分は結界や退魔など陰陽道の系統になるだろう。異変について解っている限りでは、妹紅の爆発エネルギーを押さえ込む強力な結界が必要で、これは陰陽師の力が主となる。
 何をするにしても集中力と気力の持続力が必要で、それを補うために自分に力を与えてくれる神をその身に卸す事も念頭に入れている。
 現時点で八意永琳の介入を知らない霊夢は、結界の範囲は非常に狭いものとして考えており、それ相応の訓練しかしていなかった。

「今日もいい天気ねー。」
 休憩を兼ねて神社周辺を散歩する霊夢。暇を見つけては外を見回るが、これはどこの誰が持ってくるのか不明だが、境内に時々野菜などの食べ物が置いてある事があり、マメに見回りをしていないとせっかくの贈り物がカラスや妖精に取られてしまうからである。
 お賽銭箱にお金が入っている時は大抵紫の仕業で、縁側に山の幸が積まれている時は萃香の仕業。この2人から良くしてもらっていることは霊夢もわかっており大変有り難い事だと思っているが、それ以外の贈り物については誰が持ってくるのか心当たりがない。
 家内安全、合格祈願などのお札を香霖堂に卸して現金収入を得られるが、最近里ではお札も売れず赤字覚悟で無理に買い取ってくれていることを知って自重している。周囲から気を遣われている事は分かっている。ならば何か恩返しでもしようかとガラにもなく考えるものの、一体何をすればいいのか分からない。自分に出来る事はせいぜい妖怪を退治するくらいだ。しかし、その妖怪に便宜を図って貰っているのだから本末転倒と言うものである。
 博麗神社に良い噂が無い事は重々承知している。しかし、今更どの面下げて里に下りて神社の宣伝など出来るものか?だいたい信仰を無くしてしまった里の人間に、もはや神社など必要ないだろう。

 一通り境内を見回り、何も見つからずがっかりして母屋に向かう霊夢。
 妹紅が来てからというもの幻想郷全体が何か妙な雰囲気になっている。頻繁に訪れる魔理沙は先日兎を持って来たきりで、同じく来る頻度の高い3人組の妖精もここ最近姿を見せていない。姿は見えなくても必ずどこかにいる萃香の気配も今は無い。賽銭箱も空、食料庫も空、そして胃袋も空。
「お腹空いたなー。」
 閑散とした母屋の縁側に座ってぬるいお茶を飲む。若い盛ならこの境遇や心の葛藤、不満を誰かにぶつけて憂さを晴らしたり、友人と連れだって遊び回ってストレスを発散するものだが、今の妙な方向に達観してしまった霊夢にとっては、そんな無常の様も趣があって良いとすら思えるのだから困ったものである。
 座ったままの姿勢から後ろに倒れて仰向けに縁側に寝ころぶ。ぐぐぅーと腹の虫が不満の声を上げる。
 朝食は食べたが昼は食事と呼べるようなまとまった食物を口にしていない。普段から昼は食べない事も多いのだが、ここ最近やっている修業は禅を組んでいるだけなのに肉体と精神の消耗が激しく異様に腹が減って困る。
 修業も重用だが、今は今晩の食事にありつけるための方策を練るのが得策だろう。手っ取り早いのは近所の魔理沙かアリスの家に行けばいい。魔理沙の家なら茸は絶対あるはずだ。アリスは最初は何だかんだと文句を言うだろうが、基本寂しがり屋なので結局ご馳走してくれる。
 そんなことを考えていると、人の気配がして顔を上げる。
「修業も三日坊主か?」
 現れたのは九尾の八雲藍である。三賢者会議後、妖夢の件があったので白玉楼での宴会は取り止め、続きを神社でやろうと、先に藍が段取りをしに来たのである。
「一服してたのよ。」
「まーそういう事にしておこうか。」
「何の用よ?」
 九尾を目の前にして全く物怖じしない霊夢。
「場所を借りたいのだが・・・。」
「場所?本殿?」
「いや、座敷で構わない。」
「何をするの?」
「客人を招きたい。」
「客?何で私の家に?自分の家に招いたら?」
「異変に関する事を話し合いたい。お前も含めてな。」
 露骨に嫌そうな顔をして見せる霊夢。妖怪との会話は「はいはい」と言いなりにならないのが一般的な作法である。要求をそのまま呑むとつけ込まれるので、基本は言葉のキャッチボールではなく、言葉のドッヂボールである。
 何事もそうだが、妖怪との交渉はどちらか一方が損をするようなものは受け入れられない。それが例え苦にならない片手間の簡単なものでもだ。
 妖怪に馴染んでいる霊夢は、その辺の交渉の仕方もすっかり妖怪化しており、里の人間が見れば喧嘩腰で会話しているように見えるだろうが、これは霊夢にとって普通である。
「異変?」
 異変という言葉に反応する霊夢。細目のキツネ顔でコクリと頷く藍。
「何時から?」
「夕餉も兼ねて夕刻から。あとは成り行きで。」
「生憎だけど、今家に何にもないわよ。」
 見事なまでに食料の備蓄がないので完全に開き直る霊夢。
「それは承知している。材料はこちら持ちだ。」
「う、それを先に言ってよ・・・。」
 久しぶりにまともな食事にありつけそうなので急に機嫌が良くなる霊夢。
「で、客って誰?」
「八意永琳だ。」
「へー・・・何時からそんなに親しくなったの?」
 意外な名前を聞いて少し驚く霊夢。永夜異変の後、和解の宴を神社で催しているので彼女とは面識はある。ただ、なんというか住んでいる場所が違うというか相容れない壁を感じ個人的な交流はない。その後は不死人狩りを蓬莱山輝夜と共謀した首謀者として八雲紫らと険悪な関係になり霊夢も疎遠になっていた。
「関係を修復するための宴でもあるかな。」
「宴会!やった!」
 宴と聞いて手をパンと叩いて喜ぶ霊夢。双方の関係修復より宴の方が重要である。
「ふふ、食材は既に台所に運んだ。後は任せていいか?」
「ええいいわよ。任せておいて!」
 現金な奴と苦笑する藍。霊夢が飢えない様に何かと便宜をはかる紫だが、最近忙しくて霊夢の面倒が見れていなかった。八意永琳と協調して異変を進める手筈が出来た今、余裕が出来てようやく霊夢に目をやれるようになったというわけである。
 霊夢の料理の腕前は達人とは行かないまでも一級品である。藍も紫の為に食事を作るが、料理の腕は年季の割りに上達せず15、6年しか生きていない霊夢にも遠く及ばない。紫としてもおいしい料理をご馳走するなら、藍にやらせるより霊夢にやらせたほうが良いと思ったのだろう。
 この小さな宴の席で今回の異変の骨組みが出来る上がるだろう。八雲藍は嬉しそうに台所に霊夢の後ろ姿を見送りながらこれが最後の晩餐にならないことを祈った。


 陽もとっぷりと暮れた博麗の里。
 大通りと北西の繁華街や大通りの大きな店蔵以外、ほとんどの民家に明かりはなく藤原妹紅はそんな闇に包まれた貧困層の農民の家々の隙間を音もなく歩いている。
 暗闇を照らす明かりは裕福な世帯層なら蝋燭やランプ、或いは妖力や魔力を封じた光球(こうきゅう)などがあるが、貧困層では薪や松明に点けた炎くらいである。しかしその薪も有限であるため無計画に明かりを取る  ためだけに使えず、その為暗くなって何も出来なくなれば大人しく寝るしかない。
 燃料となる薪はとても貴重であり、ただ明かりを取る為だけに使われる事は、少なくとも貧困層にはない。
 里における山の恵みは主に西にある『豊穣の森』と呼ばれる比較的大きな森から得られ、その先の『厄神の森』が天狗の領地との境界線になっている。あまり奥に踏みこもうとすると哨戒中の駒天狗に警告を受ける。
 豊穣の森は人間の領域と天狗側も認めており、ここは人間が自由に山の幸を収穫出来る唯一の場所となっている。天狗の警備網に隣接している事もあり、人間を襲うような危険な妖怪はここには近づかないのだ。
 豊穣の森では誰でも自由に薪が調達でき、里の貧困層はここで薪を得る。薪を売って商売をする業者としてみれば、ライバルが多くここは余りおいしい場所ではない。その為、薪業者は多少危険を承知でも奥の厄神の森まで足を運んだり、博麗神社の建つ本陣山まで足を伸ばすのである。
 魔法の森は吸血鬼戦争の名残で妖怪達から不吉な場所とされているので誰も住まず近寄る者もいない。人間側としては人を襲う妖怪が居ないこの森は、比較的安全な場所ということになるが、魔法の森は風向きによって危険地帯が常に変化するので、安定的な長期間作業が出来ず、豊穣の森などと比べ手入れされておらず、人間が糧として得るものは少なく、得られる薪も極僅かだ。神社までのルートが辛うじて人が歩けるところで、それ以外の場所は気軽に足を踏み入れると危険なのだ。
 魔法の森を越えた先にある博麗神社には妖怪が寄りついているものの、人間にあまり関心が無く、むしろ他の弱い妖怪が恐れて近づかない魔除けにもなっているので、本陣山は比較的安全な場所となっている。
 一人で行動すると神隠しに会うとの事で薪を求める業者は複数人で行く。作業の安全を祈願する為、神社の参拝を欠かさない彼らは、霊夢にとってはとても良いお客様で、彼らに神社の本殿を開放している。業者はここで数日かけて大量の薪を確保して戻っていくのだ。
 実際問題として人間が来て神社に参拝するのはこんな時だけである。
 そんな貴重な薪だけに大量の湯に全身つかるような風呂は、少なくとも貧困層には存在せず、里における風呂は金持ちの道楽のようなものとなっている。
 ちなみに藤原邸には薪で沸かす立派な風呂場があるが、妹紅は垢が出ず身体が汚れないので風呂に入る必要がなく、この風呂は使われていない。神社の母屋にも風呂はあるが、薪が貴重なので霊夢も風呂は沸かさないのだ。人間達にとっての風呂は桶に湯を張って手ぬぐいで身体を拭く程度である。

 酒蔵が何軒も連なっている大通りの裏に貧困層の長屋が建ち並ぶ農村部落がある。長屋で数世帯が一緒に生活するのは、貴重な燃料を共有するためでもある。
 妹紅は暗闇の中を歩きながら、時々すれ違う寝ずに徘徊する農民に視線を合わせ、一種の催眠術のような術を掛けていく。
 この術は自分の姿を見た者に自分の存在を意識させなくする術で、術にかかると目の前にいてその姿をしっかり目で捉えているにもかかわらず、その存在を意識しなくなって、無視してしまうようになる。
 物理的に姿を消すのではなく、暗示をかけて術者の存在を感覚的に見えなくするというわけである。
 この術の肝は人に見られる事である。その為、術者は敢えて目立つ格好をする。
 潜入調査というとコソコソと人目をはばかって目立たない格好で行動すると思われがちだが、少なくとも岩老系ではこの術で人の目から意識させないという方法で相対的に姿を消す方法を使う。

 里の南側に広がる農家が主の貧困層の区画から北に向かうと、立ち並ぶ酒蔵とそれを取り囲む塀が見えてくる。そして、森近霖之助から教えて貰った現在の酒蔵組合長の蔵屋敷の裏手に出る妹紅。
「見張りがいるな・・・案山子か?」
 案山子というのは金持ちの屋敷に慣例の様に必ず置いている衛兵で、能力は低くほとんど衛兵としての体を為していない飾り者を言う。重要な機密を守っている施設なら当然案山子ではなくプロの傭兵を雇っているはずだ。
 妹紅は敢えて姿をさらし殺気を向けて屋根の上の影に自分の存在を気づかせる。その影はそれに反応して翼を広げるとすぐに妹紅に向かって飛んでくる。翼ということは鳥系の妖怪だ。
「(傭兵か。)」
 長い両手持ちの棍棒の一撃を避けずわざとまともに頭に喰らった妹紅。衛兵の妖怪はただならぬ気配から侵入者と思ってすぐに攻撃をしたわけだが、避ける気配もなくまともに打たれたので酒を狙う妖怪ではなく民間人を攻撃してしまったと勘違いして激しく動揺する。
 殴られた事など全く意に返さない妹紅はその妖怪の動揺した心の隙を狙って、顔を寄せて視線を合わせる。
 術と同時に催眠術も掛ける。姿を意識から消してもこの妖怪には持ち場からこの場所に移動したという事実が残る。それを疑問に感じて侵入者がいることを報告されてもまずい。先程の見えなくする術と一緒に、ここに来た理由を妖怪に与える。
「お前は小便に来た。」
「あ、あれ・・・あ、そうだション便っと・・・。」
 妹紅の姿が意識から消えた衛兵は見られている事も知らず、妹紅の言葉通りその場で立ち小便をはじめる。
「(たまたま腕の立つ奴を雇ったのか・・・。見られたくないものがあってこんな高度な警戒態勢なのか・・・。)」
 この衛兵の妖怪は殺気に対する反応スピードから手練れだろうと妹紅は判断する。
 妹紅は知らなかったが、酒蔵は酒を目当てに外部から妖怪の侵入をよく受けるので、手練れを多く雇って常に外を厳重に警戒しているのだ。

 妹紅は慧音の企みを調べる為に、幾つかの施設に何か手がかりが残っていないか探っている。
 酒蔵組合で監査が行われているらしいが、これは慧音が意図的に異変の時期に合わせて仕掛けた策略の一環と捉えている。一体何の目的で酒を利用するというのだろうか?まずはそこを調べるのが一番だろうと考え、問題の酒を調べようとしているわけである。
「(外の警戒は厳重だな・・・やっぱり正面から堂々と行くか・・・。)」
 警戒が厳重なのに正面から行くというのは普通なら矛盾することだが、妹紅にとっては正当手段である。警備がザルならそのまま外から侵入しても良かったが、施設全体の警備状況を見るにはやはり一度外からアプローチするのが良いのでそうしただけで、最初から正面突破でも良かった。
 妹紅は一旦南に下がって酒蔵組合長の蔵屋敷から離れる。
 西に移動した妹紅は寺子屋の母屋に行き、外から覗いて同居している3人の女の子が寝ている事と慧音が留守であることを確認してから大通りに出る。
「(慧音は外出中か。)」
 妹紅の服装や髪型、色は非常に目立つので、すれ違う人は結構な頻度でこちらを見つめてくる。そういう輩は術を掛けて視界から姿を消してやりすごす。予めこうしておけば何かの事件で騒ぎが起こっても自分は人の目に映っていないので目撃証言も出ず容疑者にならないのだ。
 背が低い妹紅は人混みの中に紛れると遠くからは見られる事もなく、すれ違う人を意識していればいい。わざと人混みに紛れてすれ違う人々を目で捌きながら目的の場所に到着する。
 門番が一人立っており、その門番が通りすがりの知り合いと挨拶を交わし別れる瞬間にすすっと門をくぐる。当然門番は驚いて妹紅を引き留めようと追いかけて屋敷の敷地内に入るが、そこで振り返って待ちかまえた妹紅の目を見てしまい、術にはまって一瞬自分が何をしているのか分からず首を傾げて持ち場に戻る。
 厳重な警備が為されている施設において最も守りが薄いのが正面の入り口だったりする。常識的に考えて正面突破などしない、入るなら外からだという固定観念がそうさせる。厳重な門さえ越えてしまえば庭は巡回と立ち番だけで、外の守りが堅い程中の警備は緩かったりする。
 妹紅は敷地内に入ると、警備の者が詰める詰め所を探す。巡回を一人発見し後ろを歩く。やがて敷地内に建っている詰め所として使っている納屋に巡回者と一緒に入る。中に2人いて花札に興じており入室した者が交代を叫ぶ。花札をしている2人はそれに集中してこちらを向かないので、妹紅はパンと手を叩いて音で振り向かせる。花札の2人と巡回の1人が驚いて振り向き、そしてことごとく妹紅の術にはまる。
 3人は一寸首を傾げると一人が渋々席を立って交替する。妹紅はそれを尻目に壁に掛かっている名札の数を数える。
「(10人程度か・・・。ここは外回りばかりで中とは関係ない蔵番か・・・なるほど。)」
 物々しく見える警備は酒蔵を守る連中だと理解する妹紅。衛兵は特に緊張している様子がないので、警戒態勢ではないと判断する。これが平常勤務なのだろう。
 交替の者の後について外に出た妹紅はしばらく巡回ルートを後に付いて一緒に辿り、不足の事態に何時でも対応出来るように脱出口になるような扉や窓の位置を確認する。
 2回程別の巡回とすれ違い、その都度術に落とす。屋敷を一回りした妹紅は堂々と玄関から中に入る。裏口ではなく玄関から中に入るのは、裏口などは使用人が多くたむろしていて面倒だからである。また、こういう大きな屋敷では使用人と屋敷の者とで行動エリアが分かれている。使用人エリアに用事はない。

 番頭と番台付きの守衛一人、入店した妹紅に顔を向けた計2人を瞬時に落とし、そのまま中に上がり込む。番台の座卓の上の帳簿に目をやったが有益な情報は見当たらなかったので奥に向かう。
 番台の裏の襖の奥にに数名の気配を感じるが恐らく守衛が詰めているのだろう。
 詰め所に入った妹紅は手を叩いて注意を引き4名の守衛を落とし、名札や帳簿を見て中の警備状況を確認する。番台の守衛と合わせて5名の守衛を落としているが名札の数から他に3人いることがわかる。恐らく巡回していると思われる。大きな屋敷に相応しい数の守衛がいるが、妹紅としては特に問題を感じないので、そのまま中に侵入調査を開始する。
 妹紅は皆が花札に集中している隙に詰め所をそっと抜け廊下に出る。時々後ろをチェックしながら人の気配がしない襖を開けて中を見て、何か手がかりになるものを探す。
「一番大事なものは、やっぱり一番偉いやつのところ・・・よね。」
 建物の外観からある程度部屋割りは分かる。それと同時にどこが重要な区画かも経験上わかってくる。妹紅は急がず着実に屋敷の主の部屋を目指す。
 次の角を曲がれば恐らくお目立ての場所だろう。そっと角の向こうを覗き込むと廊下に面した襖から一人若い娘がお盆を持って出てくるところだった。お茶か何かを運んで来たその帰りだろう。
 女は背を向けて向こうにパタパタと歩き出したので直ぐに後を追うように角を曲がって、女が出て来た襖に聞き耳を立てる。恐らくこの中に屋敷の主人であり酒蔵組合の組合長がいるはずだ。
 妹紅はこのまま襖を開けて乗り込み術で落とすか、もうしばらく様子を見るか迷う。
「(晩飯は終わってる時間か・・・就寝まで待つか・・・。)」
 しばらくすると先程この部屋を出た女が戻ってくる。呼ばれてすぐに五十歳前後の痩せ形で背の高い屋敷の主人らしき男性が外に出てくる。そして襖に鍵を挿し施錠する。
 二人が遠ざかった後、襖に忍び寄った妹紅は、まさか襖に鍵がついているとは思わず感心してその仕掛けを注意深く探る。
 鍵を開けて中に入るのもいいが、咄嗟の時に対応できない恐れがあるので、分身に精神を移す『移身転心』の呪符を襖の隙間から滑り込ませて発動させる。
 部屋の中で分身を出現させ、それに乗り移った妹紅はすぐに手がかりを探しにかかる。部屋の外に自分の本体を残したままだが、もし食事で外に出ているなら五分やそこらで終わらないだろう。それにここは書斎の様な場所で寝室ではない。食事の後にここに戻る可能性は高くないと思われる。ただ守衛が巡回していると思われるので気を付けなければならない。

 お目当ての物は直ぐに見つかった。それは座卓の上に開いたまま置いてあった。
「慧音の書状だ。」
 見慣れた文字の形にサイン。間違いなく慧音が書いたものだ。
「供出願か・・・やはり監査は名目で酒の供出が目的か。慧音は何らかの目的で大量に酒を必要としている・・・ということか。」
 書状を元に戻し他をあたる。封をする前のたった今書いたばかりのような酒蔵組合全員の判が押された供出願に対する返書が見つかる。
「・・・これをあとで慧音に届けるつもりか・・・。」
 その時遠くから声が聞こえ、妹紅は咄嗟に術を解いて本体に戻り、来た道を戻って角の向こうに隠れる。
「(これから出かけるのか・・・そうか、慧音に会いに行くのか。)」
 付き人らしき者と会話しながら近づいてくる。聞こえてくる内容からこれからどこかに出かけるようだ。もしかしたら重要な会合があるかもしれない。先程の返書を持って慧音に会いに行く可能性は高い。
「(酒だけじゃなく、もっと何か多くの物を準備しているかもしれないな・・・。)」
 これだけの情報では、霖之助が言うようにただの酒宴の準備にしか取れない。しかし、妹紅は慧音が何かを企んでいると確信している。この酒は何か必ず裏があるはずだ。そして、酒だけに留まらず、里全体を巻き込んだ大掛かりな企みが裏で進行していると妹紅は予想する。
 屋敷を出た妹紅は組合長と付き人、そしてその護衛2人らを尾行する。予想が正しければ寺子屋兼孤児院を留守にしている慧音の居場所に導かれるはずだ。

 商工会と酒蔵組合は別の組織体系で商工会には建設業から飲食業まで様々な業種が加盟している。それぞれの業種毎に例えば建設業組合など各組合が存在する。商工会はそうした各業種毎の組合を束ねる組織といえる。
 一方『酒蔵組合』は酒蔵持ちの組合という意味で、『酒造組合』は別に存在してこちらは商工会に加盟している。酒蔵組合は別名杜氏組合で完全に酒の生産に特化した組織である。酒造組合は酒の販売全般に関係する業者も連なるので組織の性格が変わってくるのだ。
 そうした各組合は商売上互いに干渉しないのが礼儀であるが、そうした中で起こる揉め事やその調停役として商工会が大きな役割を持っているというわけである。

 酒蔵組合長の一行は、繁華街に入る手前の商工会館に辿り着く。
 商工会では業者が集まる大きな会議施設が必要で加盟店が共同で出資して建てた商工会専用の建物が存在している。
 妹紅は、酒蔵組合長及び上白沢慧音の密談が行われるであろう場所を探しているわけだが、予想通り、それだけには留まらず商工会も巻き込んでいるようだ。いや、まだわからない。単に会合の施設を借りるだけかもしれない。
 商工会館は物物しい警備はないが接待側の商工会が当番の人員を出して中はほどほどに騒がしい。どうやら酒蔵組合長と慧音以外にも客が来そうだ。
 妹紅は組合長宅に侵入するのと同じ様に堂々と正面から敷地に入り、視線を向ける人々を速攻で落とす。
 入り口すぐ向かって左横の待合室に通された組合長と別れて奥に侵入する妹紅。入り口から向かって右横は会館の従業員らの準備室のようだ。ここに人が多くたむろしている。
 妹紅はさっそく何か手がかりがないか探るため歩き回る。
 大人数を収容できる施設だけあって、玄関の土間は広く一段上がった廊下もちょっとした広間になっている。その広い廊下の正面に突き当たると左右に通路が分かれているので、妹紅は右の通路を選んで進む。
 大きな建物の中央部に道場の様な縦に広い大きな部屋がある。大会議室のようだ。廊下の灯が部屋に差し込んでいるだけでこの部屋に明かりは無い。今回行われるであろう会合はここでは行われないようだ。そもそも少数で極秘の話をするなら奥まった狭い部屋が良いだろう。それとも先程の待合い室でやるのだろうか。いや、流石にそれはないだろうと一旦振り向いた顔を再び前に向けて廊下を奥に進む妹紅。
 廊下を挟んで会議室の逆側にも引き戸が何枚かあり立て札に資料室や倉庫と書かれている。待合室と準備室が入り口を挟んで両隣にあることから、どうやらこの建物は長方形で完全に左右対称の部屋割のようである。左側の廊下にも同じようになっているはずである。
 外に妖怪と思われる衛兵の気配を2つ感じるが中は誰も見回っていない。
 左手が会議室、右手が資料室の長い廊下を進みながら奥に突き当たって左に折れる曲がり角に来る。そっと覗くとそこも一本の廊下で、反対側の廊下と合流している事がわかる。そしてその廊下の丁度中程に守衛が一人暇そうに立ち番をしていた。向かって右側に背を向けて立っているが、恐らくその守衛の背中に扉か通路があるに違いない。妹紅は音もなく忍び寄って術の有効射程距離に入るとまだこちらに気付いていない守衛にこちらを向かせる為、パンと手を叩いて注意を引き、振り向いた守衛に視線を重ねて術に落とす。
「ここか・・・。」
 立っている守衛の後ろに小さな格子窓がついている頑丈なドアがあった。見るからに大事な物を守っているドアだと分かる。しかしドアの奥から感じるお宝の気配とは裏腹に、それを守る守衛のやる気の無さといったらどういうことだろうか?恐らく中に何があるのか知らずに立っているだけなのだろう。
 守衛は扉の真ん前に立っているので中に入るには守衛をどかさなければならない。しかし、触れたりすれば術は消える。この術は油断している者の心の隙を利用する術なので警戒心が強いと効きずらい。催眠術のような少し強い妖術を使うのもいいが、外にいる衛兵に気づかれる可能性がある。中にいる守衛はともかく外で見張りに立っている恐らく妖怪の衛兵の感知能力は高そうで危険だ。
「(慧音らが来た時に一緒に入ればそれで済むところだが・・・。)」
 妹紅の姿が目の前にあるにもかかわらず完全にその姿が視界から消えている守衛は、目の前でしゃがんで見上げる妹紅に全く気づかず退屈そうに鼻をほじったりあくびをしている。
 衛兵につられて妹紅も貰いあくびをすると、入り口の方から誰かを呼ぶ大きな声が聞こえ、それに守衛が反応して持ち場を離れる。
「(ん、交替もしないで持ち場を離れるか・・・。)」
 守衛といっても所詮は案山子という事だろう。だが呼ばれた意味が気になる。客を案内する役目で入り口に戻ったのか、食事やら勤務時間の終了か?
 恐らく慧音等会議のメンバーが待合室に揃ってこの奥の間への案内を待つ状態と考える妹紅。
 待合い室には酒蔵組合長が一番乗りだったので慧音と鉢合わせにならずに済んだ。組合長の風貌からかなり神経質な性格と思われ、待ち合わせには先に来て相手を待つタイプなのだろう。妹紅にとっては先回り出来たので都合が良い。

 守衛の歩調から往復して戻ってくる最短時間を計り諸々含めて安全に自由に動ける時間を瞬時に割り出し行動を始める妹紅。
 牢屋とも思える頑丈な扉に掛かっている大きな巾着錠の鍵穴に髪の毛を束にして詰め込み瞬時に鍵を外して無音で中に滑り込むと、先程と同じ様に『移身転心』の術を今度は分身を外に出現させる。これは開いた鍵を元に戻す為である。
 鍵を閉め本体に戻った妹紅はさっそく小さな部屋の中を調べにかかるが、中央のテーブルに見るからに重要そうな書類の山が既に置かれている事にすぐ気づいて興味を示す。必要な書類等は準備だけは前々から進めていたようだ。
 帳簿をパラパラとめくり、時間が無いので速読する。目から得た情報は映像として目に焼きつけ後から頭でそれを読んで追いかけて考える。
 荷車が十二台、大樽が二十樽の発注書。いずれも既製のものではなく特注とある。帳簿の文字だけでは特注品の形状はわからないが荷台に対して大樽がその約二倍の発注というところを考えると何となく想像は付く。
 既に発注済みということはそれらを作る業者に設計図か、既に完成したものがあるはずだ。後で調べられるように発注先の名前をしっかりと頭に入れる。
 妹紅は収集した情報を分析しつつ慧音が何をしようとしているのかだいたい見えてきた。
「これは・・・正に宴会だな・・・。」
 料理皿、椀、朱塗りの銚子と盃、漆塗りの銘銘膳、一升酒徳利、それらを一セットとして五十セットの借用書とそのた諸々の注文書と借用書が大量にある。何かしらの大きな宴会に必要なものを取り扱う店から借りるつもりらしい。その取引先の大口の一つにマルキもある。
「しかし・・・これは・・・。」
 帳簿を調べるうちにただの宴会ではない事が分かってくる。榊と紙垂、所謂玉串の材料も大量に発注されている。
「神事でもするのかな・・・。」
 神社の神事などに使うようなものも大量に発注されている。そうした道具一式を保管・運搬する大きな葛篭、目隠し用の囲い幕もある。飲食店組合に食材の備蓄願書もあり、荷車などの件からも推察して、どこか別の場所で大規模な神事を執り行うということがわかる。
「困った時の神頼みか・・・悪くない考えだが、博麗神社は恐らくそれどころじゃないだろうし、あそこは何か特定の神様を祀っていただろうか・・・。」
 事前に申し出ても恐らく断られると思って密かに霊夢を支援しようとしているのかもしれない。霖之助の言葉も冗談ではないようだ。
「・・・しかし。」
 ただそれだけの事だろうか?妹紅はもっと何か別の目的があるような気がしてならない。
 妹紅が思案にふけっていると外に数名の人の気配がして鍵が開けられる。
「(来たか・・・。)」
 妹紅は帳簿や書類を元に戻し、開く扉の正面に仁王立ちした。


 上白沢慧音はある計画を立てて、里の有力者と事前に協議して隠密裏に事を進めていた。
「これはヤマセンのご主人、忙しいところ申し訳ない。迎えを出したら既に向かったと言われましてな。」
 既に商工会の待合室に来ていた招待客の酒蔵組合長のヤマセンの主人に挨拶する慧音。ヤマセンは屋号である。
「いえいえ、待たせるのが嫌いな性分で、こちらこそ早くから申し訳ない。」
「もうじき他の者も来るでしょう。それまでお茶でも。」
「お構いなく。既に頂いてますから。」
 待ち合わせの時間よりだいぶ早く来る事で有名なヤマセンの主人に合わせて約束の時間よりもだいぶ早く使いを出したにもかかわらず、それよりも早く来るヤマセンの主人。
 ちなみに魔理沙の父、マルキの主人が現在商工会の会長をしており、当然この会合に参加する予定である。先刻まで慧音はマルキにいて、ヤマセンが早過ぎるだけで慌てる必要はないと言って先にマルキを出たのである。
 酒蔵組合長と商工会長の2人の他、『妖酔乃瀧』(ようすいのたき)の主人が来る予定である。妖酔乃瀧とは、主に妖怪を相手にする自身も妖怪である主人が経営する酒場で、単に酒場の経営だけでなく、妖怪の衛兵や傭兵の斡旋と両替もやっている、里ではかなり重要な地位にいる者である。

 今回の会合に参加するメンバーの4人全員が揃ったのは、ヤマセンの主人、つまり妹紅が侵入してから約15分後の事である。
 最後に来た『妖酔乃瀧』の主人は人間ではなく妖怪で、上白沢慧音とは古くからの付き合いである。吸血鬼戦争にも魅魔の部下として参戦した猛者であるが、外見は妖怪にしては華奢で人間と名乗っても疑われない平均的な人間の男性の体格をしている。戦争時に負った醜い顔の傷を隠すため、鼻の上から顔半分頭頂部まですっぽりと骸骨のような仮面を被って顔のほとんどを隠している独特の風貌を持つ。
 慧音がまだ里に受け入れられておらず外で活動していた頃からの付き合いで、里の人間と融和を果たした妖怪の中でも最古参の者である。
 そうした経歴があるため、里の妖怪酒場で妖怪を傭兵として斡旋したり、妖怪の力を必要とする各種仕事の紹介から妖怪達の人生相談まで何でも請け負っている。妖怪と揉め事が合った時は彼に相談すれば大抵の事は解決出来、妖怪だけでなく人間からも頼りにされている存在である。現在店の名前である『妖酔』と名乗っているが本名かどうかは不明である。

 案内されて奥の間に辿り着いた4人は、会合の主催とも言える上白沢慧音から順に部屋に入室する。その時慧音は一瞬目眩のような錯覚を覚えて立ち止まった。
「ん?」
 部屋に入ろうとして立ち止まってしまった慧音はすぐ後ろにいたヤマセンの主人に背中を押される。
「失礼、どうかしましたか先生?」
「あ、いや、何でもない。」
 何か見たような気がした慧音だったが、何を見たのかも全く思い出せない妙な違和感を感じたものの、すぐに声を掛けられて我に返って部屋の奥に進む。恐らくこの部屋には何かしらの結界が張られているため、違和感を感じたのだろうと自分に言い聞かせる。まさか先回りして侵入していた妹紅に術をかけられたとは夢にも思っていない慧音である。
 予め部屋の中で待ち伏せしていた妹紅は、慧音、ヤマセンの主人、マルキの主人と順に落として行く。そして4人目が入ってきた時、驚いて思わず息を呑む。
 隙が全くない強い妖怪が入って来たのだ。しかも仮面を被っているので視線がよく分からない。
「(ヤバイ!)」
 仮面の奥の視線が自分を捉えた事を妹紅は確認する。見られた!どうする?逃げるか?それとも多少乱暴でも強い術で全員を一旦無力化させるか?いや、この妖怪はただ者じゃない。他の3人に気づかれずに術を掛けるなど無理だ。それに強い妖気を出せば外の衛兵が気づく。万事休すか?
「(南無三!)」
 妹紅詰んだと思った。しかし、その妖怪は妹紅を一瞥しただけでそのまま無視するように入室する。
 気づいていない?いや、絶対に気づいている。その上で無視したか黙認したかだ。
「(何故黙っている?)」
 この状況なら侵入者と疑うはずだ。しかし、何事も無くさも自分がここにいる事が当たり前という顔だ。妹紅はこの状況を咄嗟に考えこう結論づけた。この妖怪は自分を知っている。恐らく慧音繋がりで、慧音と自分が友人関係だということも知っている。慧音の親友が慧音の護衛として予め部屋についていた。そう考えれば彼がこちらをスルーする理由がつく。
 小さな部屋の真ん中に正方形のテーブルがあり、そこに様々な書類が堆く積まれている。妹紅は意識的に慧音の背後に立ち、慧音の対面に立ったその妖怪を正面に見る。
 こうすれば慧音の護衛に見えるだろう。妹紅はこのまましばらく様子を見る事にした。
 四角いテーブルには椅子は用意されておらず、四方にそれぞれ立つ。
 まず、ヤマセンの主人が酒蔵組合の会員の連名で記載された承諾書を慧音に渡す。
「ありがとう。これで書類は全て揃った。」
 礼を言う慧音。
「先生、書類は残さない方が良いのでは?」
 と、マルキの主人。
「いや、それをやると誰かが責任を取らねばならぬ時に皆が迷惑をする。これはあくまで私個人の計画だ。」
「博麗神社を妖怪から取り戻すというのは、我々人間の使命の様なもの。先生一人で責任を被る必要はないでしょう?」
 突然驚くべき言葉出る。博麗神社の奪還?それは八雲紫に喧嘩を売るのと同じ事。紫は幻想郷に於ける天皇の様な存在だ。そんなことは許されるものではない。
「人間か・・・少なくとも妖怪の私も先生には全面的に協力するつもりです。八雲紫と対決するならそれも臨むところですしね。」
 術の聞かないあの妖怪は、やはり慧音の知人のようだ。香霖堂の店主森近霖之助が自分を知っていたように、彼も知っていてもおかしくはない。ただ、この妖怪、何やら八雲紫に恨みでもあるようだ。
「私怨で協力するならいらんぞ?」
 慧音に睨まれる妖怪。
「八雲紫の事はあくまで私個人の事。先生とは関係ないことです。」
「ふん!」
 先程この計画を個人のものと責任を背負い込み反論を与えなかった慧音は、同じ様な台詞で皮肉られて鼻息を荒くする。慧音に皮肉を言えるとはやはりこの妖怪は古い付き合いでしかもかなり親密な間柄のようだ。慧音の親友を自称する妹紅としては軽い嫉妬のようなものを覚える。
「まぁまぁ、で、これらの期限は?」
 仲裁し話を変えるマルキの主人。
「出来るだけ早く。もはや秘密にする必要はない。荷車は完成したものから通りに出して搬入してくれ。ただ、表向きはあくまで祭りの準備ということにしてくれ。」
「こちらは既に注文通りの酒は確保出来ている。いつでも構いませんが、かなりの量だ。明日からでも樽に移し替える作業をしたほうがいいですかな?」
「よろしく頼む。」
 ヤマセンの主人に頭を下げる慧音。
「傭兵の確保は問題ありません。手練れを多く確保出来ました。ただ・・・。」
 一般的に見る他の妖怪と違い低いが良く通る声で知的なしゃべり方をする仮面の妖怪。前線で暴れ回って戦うタイプではなく、例えばそう、軍師の様な物腰である。時々こちらに視線が向くのを感じるがそれ以上何も起こらない。ただこちらが何か行動すればすぐに対応されるだろう。平然としているが全く隙がない。動くに動けず、まるで喉元に刃物を突き付けられている様で背中の冷たい汗が止まらない。
「ただ?」
「里を空にするのはまずいのではないですか?」
「確かに・・・。」
 動員する人数が商工会の会員の数より多い。これは会員の従業員や家族まで含まれる。それらが大人数で神社に向かえば、里の中心部から人が消え治安が著しく悪くなる。
「風見幽香に里に入ってもらっては?マルキさんとは仲が良いでしょう?」
「風見様には確かに良くしてもらっているが、こちらから訪ねる事はしませんからね。里に来てくれるならいつでもお頼みできますが・・・。」
「ふむ、一応こちらで調べてはおりますが、風見殿は今太陽の畑にはいないようですな。」
「移動の季節ですか?まだ早いような・・・。」
 風見幽香は季節ごとに居を変えるが、この時期は太陽の畑にいるはずである。
「先日尋ねてきたんですけどねー。」
 風見幽香は今療養中という事で妹紅の自宅に住みついているが、正に灯台もと暗しといえる。
「先生、ご友人はどうです?」
 仮面の妖怪がこちらを一瞥して自分の名を出す。ここで言う友人とは自分、藤原妹紅の事でマルキとヤマセンがそれを聞いて名案だという顔をする。妹紅は心臓が飛び出るほど驚き、目を細くして抗議の意を示したが、仮面の妖怪は何食わぬ顔でこちらを見て見ぬふりをする。
 遊ばれているのか?完全に相手の風下に立たされてしまった。これまで全て自分のペースで完璧に潜入調査をしてきたが、妖術使い荒事・裏事のスペシャリストとしてのプライドが著しく傷つけられる妹紅。
「ん?妹紅か?」
「ええ。」
「あれはダメだ。妹紅もやるべき事がある。」
「なるほど。」
 そう言って妹紅の仮面の奥の目がこちらを見据える。
「ふむ、この件については何とかしよう。兎に角急いで欲しい。」
 慧音がまた頭を下げる。
「もう一度確認してよろしいですか?」
 段取りを確認する為にマルキの主人が発言する。
「うむ。」
「祭りの準備の最中に異変が起こる、それも大規模な。」
「天変地異クラスとみて間違いない。」
「そこで、天の助けを得る為に、神社に参拝して神頼みをすると。」
「既に守矢神社には話が通っている。彼らの要求通りの物は揃えた。」
 重用なキーワードが出た。なるほど、諏訪の神様達を利用するということか。博麗神社を差し置いて守矢神社に神頼みなど間違いなく八雲紫の怒りを買うだろう。
 博麗神社の重要性を知る慧音が鞍替えして守矢神社になびくわけはない。恐らく何か策があっての事だろう。先程誰かが言ったように博麗神社を奪還するという事なので、この場合はむしろ守矢神社に頼ると見せかけて利用しようとしているのではないか?

 この幻想郷で博麗神社を差し置いて他の神様が人間の信仰を獲得する事は許されない。これは管理者側の信条的努力目標ではなく、幻想郷を運営する上での絶対に動かせないルールなのだ。幻想郷は博麗神社が八雲紫を制御し、抑制される事で八雲紫は世界を支配する力を得ている関係が成り立っているのである。
 慧音はそれを十分承知しているだろうし、最終的に博麗神社そして幻想郷、更には八雲紫にとっても良い方向にもっていくはずだ。しかし、結果オーライでは済まない。慧音のやろうとしている事は正しいことだとしても行為そのものは幻想郷に対する反逆行為になるわけで、これをお咎め無しとして前例を作ればそれこそ技術革新を目論む守矢神社につけ込まれてしまう。外から新しい物を取り込もうと常に画策する守矢神社に対して示しをつけるには、泣いて馬謖を斬るしかないではないか。
「(慧音、お前死ぬぞ?)」
 妹紅は慧音が自分を遠ざけたのか、その理由が今ハッキリと分かった。慧音は裁かれる事を最初から分かっていて自分に罪が及ばないように離別したのだ。ここに書類として証拠を残しているのも、主犯者を明確にして里の人間が誰一人罪にならないようにするためのものなのだ。
 上白沢慧音は、八雲紫の博麗霊夢に対する誤った接し方を正し、神々の力を人間にもそして霊夢にもしっかり見せつけ、もう一度信仰心を呼び覚まそうとしているのだ。
 妹紅は幻想郷に来て一番最初に感じた事は人間の信仰心が薄いということだった。厄神や豊穣の神が目の前に居て何故里の人達は彼らを優遇しないのか?妹紅はその理由はだいたい分かっている。人間と神様が近過ぎるのだ。畏れとは手の届かない存在に対して抱くもの。しかし幻想郷では人間とあまり変わらない平々凡々な神様の姿を間近で見過ぎたのだ。
 当たり前にあるものに有難味も畏れも生じない。それが信仰心の薄れに繋がる。博麗霊夢が怠けているから信仰が薄いのではない。元々神様を信仰しない人しか里にいないから、霊夢が何をしても変わらないのだ。
 特に博麗神社が本陣山に移って里から神社が消えてから信仰心の低下は著しい。
 上白沢慧音は、この異変を通じて神様の強さ、有り難さ、恐ろしさをもう一度人々に与え畏怖の念を喚起し、基礎的な信仰心を再構築しようと考えているのだ。その基礎があってこそ初めて神社に価値が出るのだ。
 巫女が生まれない現状、神主も巫女も死んで以後博麗神社に人が居なくなった時幻想郷は終わる。恐らく人々の信仰の力が巫女や神主を誕生させていたのだろう。それは時代と共に衰退する博麗神社の有様を見れば理解出来る。

 慧音は紫の責任と言う。しかし、妹紅は紫の責任ばかりではないと思う。紫は博麗大結界以後長い休眠期に入って最近復帰したのだ。紫が知っている100年前の幻想郷はもっと殺伐として里も危険に満ちていた。復帰した紫は現状の幻想郷を見てさぞ驚いたことだろう。
 魅魔が吸血鬼に偏りすぎたのも問題で、吸血鬼復権は世界が平和な状態でなければ叶わず、神社の活躍の機会を減らして意図的に平和工作を進め現在の和な幻想郷になってしまったのだ。
 誰が悪いという訳ではない。誰も悪くなく、そして全員が悪いとも言えるのだ。自分だってそうだ。今になって出て来て偉そうに異変の中心にいてふんぞり返っているが、300年間人間の里を無視して宇宙人との私闘にうつつをぬかしていたのだ。他人の事をとやかく言える立場ではい。
 慧音だけ、慧音だけが里の人間から忌み嫌われて居た時代から、ただひたすら人間を愛し守って来た。里に受け入れられてからは人間の里の発展に尽力し、美味しい酒を造れる存在という付加価値を人間に与え、妖怪と人間の新しい共存関係を築き上げた。ずっと、ずっと彼女は人間の里と幻想郷を守ってきたのだ。
 どうしてもっと早く彼女に協力してやれなかったのだろう。今までずっと大事にされてきたのに、何故自分は慧音の為に何かをしてやろうと思わなかったのだろう。
 慧音と離別する際、どうしてあんなひどい事を言ってしまったのだろう。慧音はそれを聞いてショックだっただろう。今目の前にいる慧音に土下座して謝りたい心境だ。
 妹紅は異変の件について、これは公務と捉えている。そして慧音については私事として考えている。公私の狭間でどっちを選べば良いのだろうか?慧音の命を守る為にこの計画を阻止すれば、確かに慧音は助かる。しかし、慧音の信用を失い軽蔑され、親友という関係は完全に崩壊するだろう。真に友と言う間柄なら慧音の思いを汲むしかない。しかし、それは慧音の死に繋がる。

 極秘の会合は終わり、全員外に出てそれぞれの帰路に着く。
「(どうすればいいんだ・・・。)」
 一人項垂れて通りに立ち尽くす妹紅。その時視線を感じその方に振り向くと、先程の仮面の妖怪がこちらを見ている事に気づく。そして妹紅と目が合うと、自分の店ではなくすぐに横道に入って路地裏に姿を消した。
「着いてこいということか・・・。」
 慧音の事も重用だが、自分を見逃したあの妖怪の意図も知りたい。それにあの男なら何か慧音を助ける手段を知っているかもしれない。
 妹紅は仮面の妖怪が消えた路地裏に向かった。