東方不死死 第47章 「妖怪の山」
白玉楼。
桜の季節になれば春色に染まった万華の回廊となった階段が来訪者を迎え、極楽浄土に例えられる美しい庭園が回廊を越えて来た者の足を止める。最近知られるようになった桜の名所である。
その美しい光景は、生ある者には明日への活力を与え、死者達には輪廻の旅立ちを思わず躊躇させるほどである。しかし、そんな死者達は、散りゆく桜に命の儚さを知り、美しく咲き美しく散る桜の如き人生が迎えられる事を願い、そして互いに生者として桜の下で酒を酌み交わそうと約束し皆万感の思いで来世に旅立って行く。
冥界の僻地にある白玉楼は、いつしか輪廻に発つ魂達の旅立ち場となっており、そして今日、一人の少女が白玉楼から旅立とうとしていた。
白玉楼に続く長い階段を見上げる少女が一人いる。
空まで続くかのように思えるその階段の薄もやの向こうに大きな山門が小さく幽かに見える。
昨日、あそこで全てが終わり、そして全てが始まった場所だ。
桜の季節は終わり花は全て散った。今は新緑を称える、夢から覚めた魂達の旅立ちの季節。
微風に揺れる木々のざわめきが、発とうとする少女を励ましているかのように見える。
ゆっくりと階段を登り始める魂魄妖夢は、一歩一歩噛みしめるように石段を登っていき交錯する様々な思いと正面から向き合っていた。
何かを考えながらふと立ち止まって周囲を何気なく見渡し、何ごとも無かったかのようにまた階段を登っていく。そんなことを繰り返すうちにやがて山門まであと少しのところまで来る。
先程まで霞んで見えた山門が今は眼前に圧倒的な存在感を示し、変わりに自分の居た場所は霧に隠れて何も見えない。何気なく振り返って霞んで見える階段の下を見ようとしたその時、妖夢は祖父魂魄妖気の声を聞いたような気がして、はっとなって頭を上げた。
「そこな小娘!ここはお前のような半人前が来るところではないぞ!」
「あ・・・。」
視線の先、山門の前にいたのは懐かしい祖父の姿ではなく、藤原妹紅に刃を向ける昨日の自分の姿だった。
それが幻だということはすぐに理解出来たが、妖夢はその幻である昨日の自分自身に心静かに向き合った。
生意気で躾の悪い子犬がほざいている。妖夢はそう思った。藤原妹紅はこれと同じ光景を昨日ここで見ていたのだ。彼女がどんな思いで昨日の自分を見ていたのか、何となくわかった気がした。
「恥ずかしい・・・」。
妖夢はそれしか出なかった。
唇を噛みしめると同時に両目をぎゅっとつむり顔をしかめてその場で立ち尽くす。
そのまましばし時が過ぎる。
次に目を開けた時、そこには昨日の自分の姿はなかったが、変わりに見慣れた顔が山門から不意に飛び出してきた。
「幽々子・・・様」
「よ、妖夢?」
お互いに視線が合ったそのままの態勢で暫く硬直し時間だけがただ静かに流れる。
何かを感じた白玉楼の狂い姫は、履き物も忘れ慌てて外に飛び出してきたのだろう。聞き慣れた履き物の音が聞こえなかった。
やがて居住まいを正した西行寺幽々子が声を掛ける。
「おかえりなさい。」
妖夢は主人のその言葉に『ただいま』とは返さなかった。代わりに決意の表情で主人を見上げた。幽々子はその顔を見て、最愛の者が家に戻ったのではなく、これから旅立とうとしていることを知った。
幽々子も決意した。
「妖夢。」
「はい、幽々子様。」
「そこで少し待っていなさい。あなたに渡す物があります。」
「はい。」
幽々子は妖夢をそこに待たせると山門に消え、しばらくすると妖夢の2本の剣を大事そうに抱えた幽々子が山門から再び顔を出す。
山門に歩み登る妖夢は幽々子から自分の剣を受け取り慣れた手付きでそれを身に纏う。何も身につけていない妖夢はただの一人の少女にしか見えなかった。しかし、2本の剣を互い違いに腰に差す独特のシルエットに戻ると、ピリッとした緊張感を帯びた表情に変わる。
元の鞘に収まるとはこういうことを言うのだろうと改めて実感する幽々子。
「あなたは沢山の人達に愛され守られています。その事をどうか忘れないでね。」
「私はそれを昨日まで知りませんでした。でも・・・。」
何か言いかけた妖夢を頷いて制する幽々子。
「昨日までの自分が見えているなら大丈夫。修業、がんばってね。」
妖夢は堪えきれず幽々子の腰に抱きついた。幽々子はそんな妖夢の頭を優しくなでる。
ずっとずっとこのままでいたかった。しかし、それは幽々子のわがままであり、妖夢の為にはならないのだとようやく気付いた。
「身体に気を付けて・・・。」
「幽々子様も。」
口に出して暇を乞う必要はなかった。自分の気持ちを一瞬で理解し汲んでくれた。有り難く、感謝の気持ちで一杯の妖夢。それだけに自分はもう後戻り出来ない事を知り覚悟を決める。
名残惜しそうにいつまでも山門に立つ幽々子の姿を背にして、妖夢は白玉楼には入らず登ってきた階段をそのまま下りた。
期待と不安、夢と希望、そして少しの後悔。様々な思いが交錯する。
一人白玉楼を飛び出しそのまま野に下っても良かったが、四季映姫の助言に従い主と会って話せて本当に良かったと思っている。
昨日までは会うのが怖くて仕方がなかった。四季映姫に言われて気持ちが変わってからは会いたくて仕方がなくなった。気持ちの在りようで見え方が全然変わる。不思議なものである。
先程自分の幻を見たが、その昨日の自分を顧みてそれが小物に見えた。強大な主人の威を借りて相手を見下す情けない存在に見えた。ただ、ただ、情けなく、そして哀れだった・・・。
自分の言葉で語り、自分で物事の善悪を判断したい。その上で自分の道を選びたい。妖夢は自立を強く思うようになっていた。
妖夢は一宿一飯の恩があった死神小野塚小町に昼食をご馳走し、その後彼女に冥界の白玉楼付近まで送ってもらった。今後は小町に頼る予定は無く、そのまま幽明結界から幻想郷に向かうつもりでいた。何れは彼女とその上司にもお礼をしなければならないだろう。
妖夢の旅立ちは前途洋々に見えた。しかし、幻想郷は今激流の直中にあって妖怪達は殺気立っており、妖夢は牙をむいた幻想郷の洗礼をすぐに受ける事になる。
幻想郷の土地は国外のも含めて様々な場所から様々な曰く付きの土地を取り込み、パズルのように組み合わせて構築されている。そうした複数の土地を狭い幻想郷の更に狭いエリアに押し込んで出来た代表的な土地が、魔法の森と妖怪の山である。
妖怪の山は外界に存在する名前のある大きな山をそのまま丸ごと幻想郷に移設したものではなく、幾つかの広い土地を無理矢理一箇所に詰め込みその圧力で隆起させて出来た幻想郷で新しく生まれた山である。
山というのは造山運動、つまり地殻変動や火山活動によって形成されるわけだが、妖怪の山は人工的に地殻変動を作って隆起させ山の形を作っている。火山ではないのだが、非常に大きな圧力が山全体にかかっているため、山の内部は非常に高温で、至る所で噴煙や温泉が湧き出ている。
人工的な造山運動によって複数の大地の板が山頂に向かってせり出し、その内の最も堅い2枚の岩盤が他の岩盤を抑えて大きな剣が峰となって天に突きだしている。その姿から鬼の角に例え当初は鬼山と名付けられた。しかし、当時幻想郷に鬼はおらず、また妖怪にとっても鬼は脅威の存在であることから、鬼山というのは評判が悪く、妖怪の山と言う何の変哲もない呼び名に収まったのである。
この山頂部の2本の峰は、内部に溜まった圧力を外に逃がす導線の役割を果たし、高温のガスや水蒸気を外に出す煙突の役割も果たしている。この峰の頂上は常に高温で陽炎がかかっており、遠くからははっきりと捉える事が出来ない。水蒸気を大量に吐き出しているため、山頂付近は霧や雨雲がかかり雨量が一年を通して安定して多い。
幻想郷を冷夏にし作物に冷害をもたらす初夏から夏にかけて東から吹くヤマセと呼ばれる風が時折吹くが、このヤマセが吹く年は、妖怪の山にかかる靄が西に流れるので、東部から全体像がよく見えるようになる。その為、春先に山がよく見える年は冷害になる報せとなり、里の農家は常に山のご機嫌を伺っている。
そんな妖怪の山は天狗によって支配されており、現在7名中6名の大天狗が天狗の里を形成して山間修業の拠点としている。
山中で厳しい修業を行う為、意図的に険しい場所に居住区となる里を形成し、妖怪の山を取り囲むように大天狗毎に領地を分散させている。
山の中央の湖がある台地状の比較的なだらか土地は天狗が支配していない中立地帯となっている。そうした事から山の妖怪達が多く集まり東部の妖怪とは違った独自の妖怪文化が形成されている。此処に住む妖怪のほとんどは争いを好まない弱い妖怪達ばかりである。強い妖怪はと言うと天狗に警戒され、揉め事が多くなるので妖怪の山そのものにあまり近付かないのである。
そんな妖怪の山に変化が起こったのは昨年の西暦2004年の秋で、外から新しい神様が来たと話題になり、天狗ですら博麗大結界は突破できないのにそれを越えて来た事から山は一時騒然となった。
この一件は具体的に何かが起こったという事はないため異変という扱いにはなっていない。東から来た博麗神社の巫女が一応調査に出向いたが、これは巫女が囮になってその間、八雲紫や大天狗達が新しい神様について調べ、ここに来た意図や博麗大結界を突破したその実力を計っていたのである。
実は山の神様は博麗大結界を正面から突き破って中に入ったわけではなく、ある結界の隙間を突いて侵入してきたのである。
博麗大結界は1の強度にもう1を足して2の強度を得るという仕組みのものはない。あとから継ぎ足しが出来るような簡単な結界ではそもそもないのである。では、どのようにして結界を強固にしたかというと、元々強度を必要としない地中部分の結界を地上部分に移動させるという比重を変える仕組みで強化したのである。
そして、弱くなった地中の結界を補う為に、結界の代替えとなる別の空間を地下に移設させたわけであるが、この作業で紫は力を消耗し肉体を失い、回復までの間地上の人間に魂を天下りさせていたというわけである。
ちなみに、幻想郷の地下に移設させた空間というのが地霊殿のある旧灼熱地獄である。
幻想郷に自ら望んで入って来ることは、昔は比較的簡単であったが博麗大結界が施行された今現在では簡単には出来ない作業である。しかし、結界施行後それを強引に突破して幻想郷入りしてきたのが守矢神社なのである。
守矢神社は旧地獄を経由して薄い地中の結界を突破して幻想郷入りし、八雲紫らよりも早く旧地獄で活動をし、様々な布石を打っていた。
八雲紫としては幻想郷の数少ない侵入路を発見突破された事を楽しく思わないだろうし、これはある意味挑戦、挑発、更に敵対的な行為であると認識せざるを得ないのだ。
旧地獄異変の黒幕であるなど幻想郷のルールを遵守しようと積極的ではない山の神様を警戒するのは当然である。
今現在は妖怪の山で信仰を集めるような行為をしない限り干渉はしないという事で天狗側と折り合いを付けている状態であり、山では今のところ大人しくしているようだ。
里に来て信仰を集める作業をする気配も今のところなく、天狗の支配下にある妖怪の山に引き籠もっている間は八雲紫も手が出せない状態だった。
この守矢神社は何かを企んでいると八雲紫は予測し、常に警戒の目を光らせている。
建前は新たな信仰を得る為に来たと言うが、やっている事は信仰を集める作業ではなく、外の技術を幻想郷に持ち込もうとする、もしくは幻想郷で新しいエネルギーの獲得するために動いている様にしか見えない。
急速な文明の発展は同時に自然環境を破壊すると、地上で起こった環境汚染の教訓を知っている紫としては、そうならない様にわざわざ博麗大結界を施行して外との関わりを極限まで断ち切ったわけである。にも関わらず山の神様はそれを台無しにしようとしているわけである。
紫としては守矢神社は何とも目障りな存在で、実力で排除することも考えないわけではない。しかし、諏訪の神様と敵対してそれが新たな大戦に発展する危険性もあるので迂闊に手が出せない膠着状況なのである。
今現在守矢神社について分かっている事は、神社を牛耳っているのが八坂神奈子という神様で、彼女は不明な点が多い。
八雲紫は諏訪地方に赴いて現地調査をしたが、八坂神奈子は諏訪の神様と直接関係がない事が最近分かり始めており、彼女は諏訪の地のどこにも存在しない、少なくとも諏訪地方の神様ではない事が分かってきている。
洩矢諏訪子と個人的に交友がある別の土地の神様かもしれないが、そうなれば諏訪と無関係になるので討つ事も出来る。
わざわざ諏訪の地に赴いて現地調査までして八坂神奈子の正体を暴こうとしている紫である。今回の異変はそれを確かめる上で決定的なチャンスとなるだろう。
今回の異変で2柱の力を是非ともお借りしたいという申し出に対して守矢神社はどのような回答をしてくるのか興味があるところである。洩矢諏訪子は本物とかわっているので問題ないだろうが、神奈子がこちらの申し出に即答を避けるか、何か条件を付けての駆け引きがあるだろうと思われる。その駆け引きの内容次第で守矢神社の本質が見えてくるだろう。
守矢神社へは紫ではなく藍を派遣するのは、この時点で直談判させないためである。紫が直接赴けば、恐らくなんらかの取引が行われ神奈子の出番を無しにされる可能性がある。その時点で神奈子が怪しいと公言しているようなものだが、紫自身も神奈子が怪しい事は重々承知している。紫が欲しいのは確信で、彼らを追い込む事で彼女の神としての資質の無さを白日の下に晒す事である。
この時八雲紫は、人間の里と守矢神社との間に密約があり、それが締結されていることを知らなかった。
八雲紫は八意永琳らとの会合の後、自身は大天狗比良山次郎坊の元へ赴き異変の段取りを伝え、守矢神社には八雲藍を紫の代理として派遣する事にしが、こちらの申し出に対して守矢神社はそれを全面的に受け入れる返答がなされることは予想の外だった。
妖怪の山東部の境界線付近を巡回する一匹の駒天狗がいる。
鞍馬山領、鞍馬山僧正坊配下の鴉天狗筆頭、射命丸家に属する駒天狗、白狼・犬走椛である。
彼女は幻想郷東部によく顔を見せる射命丸文の持ち駒である。
駒天狗というのは、鴉天狗が自分の手足として使役するために、動物等を妖怪化させて獣人化した天狗の眷属で、鴉天狗はこうした駒天狗を一人ないし複数名所持している。
天狗というのは本来、仏法の教えに従い解脱の道を歩む修行僧であるが、鴉天狗はその修業半ばで脱落した者を言う。鴉天狗には、修行僧である高位の天狗に従い身辺の世話をする者から、野に下って孤独に暮らす者、或いは人里に現れて修業で身につけた神通力を披露して鼻を高くする者など様々である。
大天狗は修業を納め天魔の直下に位置する最高位の僧侶である。天魔を如来とするなら、大天狗は菩薩に当たる位になる。
天狗は仏法の中で知識や能力を身に付ける事を優先させ過ぎ実践を疎かにした結果、六道から外れて独自の閉鎖空間である天狗道に堕ちた者を言う。このままでは天狗道という無感地獄を彷徨うだけになってしまうために、身につけた力を常に他者に与え俗世と関わりを保ちつつ、六道と天狗道の狭間でバランスと取っているのが天狗の置かれている現状というわけである。
天狗独自に里を設営する理由も、集団で暮らす共同体、つまり俗世を意図的に形成するためで、ここで指導者として里と関わる事で天狗道に堕ちる事を防いでいるのである。
大天狗の下には、里を設営する上で必要な部局の長を努める弟子の僧侶がおり、天狗とは本来、修業するこのレベルの天狗を言い、修業を諦めた鴉天狗は厳密にいうと天狗ではない。
今現在幻想郷に存在する鴉天狗は、基本的に大天狗など修業する天狗の護衛と身の回りの世話をする事を仕事としている。平安末期から戦国時代まで存在した僧兵といえば分かりやすいだろう。僧兵は、僧とつくが、実際は軍閥化した寺院の兵隊である。
この鴉天狗の中にも二種類おり、一つは実際に修業をして途中で止めた修行経験者で、もう一つが前述の者の子孫で、修業経験がなくとも親の血を引いて能力が遺伝された者達である。
これらの鴉天狗の子弟の中には能力が遺伝されず普通の人間に戻ってしまう者も大勢おり、それらが里を構成する主な人員になっている。
修業経験のある鴉天狗は大鴉天狗(おおがらすてんぐ)などと呼ばれ、他の鴉天狗に比べて位が高い。これらの大鴉天狗は、本家となって子弟が分家となって広がり、本家を継いだ者だけが未修業の身であっても大鴉天狗と名乗る事が出来る。
能力が遺伝されずほぼ人間になってしまった者は烏天狗と呼び人間とは呼ばれない。これは人間とは明確に区別して天狗の里の者はあくまで天狗と呼ぶ伝統があるからである。
ランクでみると、大天狗とその下で修業する天狗。ここまでを本当の意味で『天狗』と呼び、ここに大きな壁がある。その下に大鴉天狗、鴉天狗、駒天狗、烏天狗となり、これらを全てひっくるめて人種として天狗と呼んでいるのだ。
天狗の里には、普通の人間や妖怪も少数ながら居るが、これは男性社会である天狗の里では子孫を残すにはどうしても人間や妖怪の女性の腹が必要になるからである。その為、天狗の社会では女性の地位は低く子供を産むための道具としか見られない。
例えば東部によく現れる射命丸文は女天狗(めてんぐ)で、それだけで格下の扱いで、名門の射命丸家の家名が無ければ文は文屋になることは到底叶わなかった。
射命丸家は天狗の社会でも一種特殊な位置付けで、当主が修業を止めた理由が、自らのスピードを生かして全国各地の天狗との連絡役を買って出た為で、優秀な僧侶で将来を嘱望されたにもかかわらず、世相に敏感で人間に支配される社会情勢の中で天狗が生き残るには情報共有が必須であると謳い、鞍馬山僧正坊の下で七人の大天狗の幻想郷入りに大きく貢献したとして特別な扱いを受けているのである。
その為鴉天狗でありながら、準僧正の位を持ち家は分家まで全て大鴉天狗の位が約束されているのである。
身分による差別が少ない里も基本的に男性社会であるが、天狗の身分に対する意識は非常に強く下位の者がどんなに強くても上の者に逆らう事は出来ない。逆らえば極刑になる。
文はそんな名家の出身でありながら、女ということで身分は微妙な位置にあった。一族が重職に就く中、文は情報職の末端である文屋を希望したが、末端とは言え下層の者がなれるような職業ではなく、重要な職務であることから基本的に女性が就ける仕事ではなかった。
文は名門の出として身分不相応の仕事に就けたが、これは彼女を不幸にした。周囲の羨望や僻みを受け業界初の女性記者として新聞の発刊権を得た文は精力的に新聞の発刊に努めるものの、新聞業界では女性に対して排他的で文を歓迎する者は誰も居らず、彼女は業界の中で孤立した。
女性記者やカメラマンは全く居ないと言うわけではないが、新聞の発刊権限を持つ女性はこれまでになく、文の存在は男のやっかみを生んだものの、一部では女性の権利向上に一筋の光を射してもいた。
その後、文は女性記者クラブや各種女性組合の理事の席を用意されたものの、それらを全て断って独立して組織に交わらず単独で行動する。文は実力で勝ち取った職ではない事を知っており、しかし、実力が在る事を知らしめたかった。その為にはそうした組織の後ろ盾や支援は邪魔だったのである。
地位の低い女性達の権利向上に非協力的な文は、男性社会だけではなく女性社会からも目下孤立中である。
射命丸文が幻想郷の東部に来る理由は西側でまともな活動が事実上出来なくなっている為である。
独自の社会体系持つ閉鎖的で排他的な天狗社会は、人間の里や博麗神社など外の出来事に関心が無く、天狗の社会で認められるには天狗の社会の事象を記事にしなければならない。しかし、天狗の社会からつまはじきにされた文の情報源は幻想郷東部しかなく、彼女が東部によく顔を見せるのはそのせいなのである。
東側の人間や妖怪は天狗の社会を知らないので、文の置かれている状況を知らず、文は普段の偉そうな口調からそれなりにすごい天狗と見られる傾向があり、西側での不遇が翻って文を文字通り天狗にさせているといえる。
新聞報道業界から睨まれている文は、度々記事の信憑性を疑われ査問に呼び出される。
今回の異変に関連して東部を嗅ぎ回られたくない八雲紫は比良山次郎坊に職権乱用気味に文の動きを封じる工作をしたわけだが、査問会の常連だった文だったので、自然な形で動きを封じる事が出来たと言うわけである。
「おや?あれは・・・!」
犬走椛の千里眼がある大物妖怪の姿を捉え急行する。
「そこの妖怪よ!止まれ!検問されよ!」
妖力消費の燃費が良い巡行速度で飛ぶ八雲藍に対して物凄いスピードで接近し、近接後は併行して飛ぶ椛。
「ふむ、いつも一番に来るのはお前だな。」
守矢神社へ向かう途中の八雲藍は、天狗の領域に入ると必ず犬走椛という白狼天狗が現れる事を覚えていた。そして、大人しく一旦停止して検問を受け入れる。
「八雲藍様とお見受けしますが、どちらに向かわれるのですか?」
「守矢神社だ。」
椛は発見場所と時間、検問場所とその時間、相手の名前と行き先などを巡回日報に書き記し警戒任務の職務を果たす。
「了解しました!呼び止めて申し訳ありません。」
「いやいや、仕事熱心で感心する。」
人間やただの妖怪ならこのように簡単に解放しないが、八雲藍などは流石に特別扱いである。彼女クラスの妖怪なら呼び止めず無視しても罰にはならないのだが、クソがつくほど真面目な椛の性格上、妖怪の山領域を飛ぶ者に対しては検問するのは自らに課せられた義務として相手関係なく職務を全うしようとするのだ。
「犬走椛、どうだ、私の式にならんか?」
「その事は何度もお断りしております。」
藍の申し出に困った顔で対応する椛。式への勧誘はこれが最初ではないらしい。藍としては、真面目な椛に対する賞賛の意味を込めて言った台詞ではなく、本当に椛を式にしたいと思っていた。
「そうか、お前の働き振りを見ていると惜しくてな・・・。」
惜しいというのは、文の部下であることに対してである。藍は別に無能な上司に椛はもったいないと、文をけなしているわけではない。ただ文は独立心が強く組織の中では出世しないタイプである。そしてその部下は得てしてそのとばっちりを食ってしまうのだ。椛に出世願望があればまた違う結果になるだろうが、彼女には出世願望の代わりに上司に対する敬愛と揺るぎない忠誠心しかない。
そうした会話をしているうちに周囲に他の駒天狗が集まってくる。しかし、すでに検問済みと知ると直ぐにどこかで飛び去っていく。
天狗の領空を警備巡回しているのは椛だけではない。たくさんの駒天狗が上司の成績を上げる為、検問の成果を上げようと必死なのである。しかし、椛が優秀すぎて他の駒の成績が上がらない状態で、飛び去る駒天狗の中には明らかに悪態をつくものも居り、それがかえって椛の優秀さを証明していた。
妖怪の山と東部の境界線は、愛宕山領、鞍馬山領、比良山領がある。藍の飛行経路は、比良山領をかすめて鞍馬山領と愛宕山領の境界である川沿いに守矢神社に向かうものとなってた。藍は最初に比良山領に接近したが、隣接する鞍馬山領所属の犬走椛が誰よりも早く藍を視界に入れ一番に検問したのである。この広域探知能力は藍としては喉から手が出るほど欲しい人材といえる。紫のスキマ能力は場所を選ばないがその代わりピンポイントにしか働かないので、広域探査は藍自ら巡回して汗を流さなければならない作業なのだ。
駒天狗の基となる動物は鼠から熊、雀から大鷹など様々で、その基礎となる動物の能力が駒天狗になってからも反映される。狼は駒の中でも最上級とされ、白狼天狗である椛の能力がずばぬけているのは別におかしな話ではなく藍が式に欲しがるのもうなずける。
その後藍は、椛に先導され守矢神社のある山中央の中立地帯まで案内された。
鬱蒼とした原始のような深い森から明らかに人の手が入った森へと変化する場所に、まるでその境界を示す目印であるかの様に大きな南蛮鉄の大鳥居があった。
ここから先は神の領域とはっきりと分かり、そしてここにあるのは守矢神社である。
駒天狗の先導を受けて、八雲藍は先程その森を抜けて守矢神社に入り、八雲紫の代理として異変の協力を打診する書状を届けたところだった。意外な事に快諾され面食らったが、それは表には出さず異変に関して協力を約束する契約書にサインを貰い、余計な事は言わずそのまま暇を乞うた。
神社の領域から出る前にふと振り向いた藍は、博麗神社よりも立派なつい最近出来たばかりのような守矢神社とその奥の湖に目をやる。この湖は大量の雨水を貯えた妖怪の山の地下水源から直接湧き上がる水を湛えており、溢れる水が川となって山を下り滝を落ちて幻想郷東部の平野に恵をもたらしている。幻想郷にとって重要な水源である。この湖の汚染は幻想郷全土に大きな影響を与えるだろう。
藍は背筋に少し冷たいものを感じた。ことごとく幻想郷の弱点の様なところを突いてくる守矢神社。一体何を目的にここにきたのだろうか。
藍に応待した八坂神奈子は、力強い圧倒的な威圧感を持っており、どこから見ても力のある神様に見えた。しかし、霊夢は彼女に神威を感じないという。強いのと神であるということは別の了見らしい。
藍は鳥居をくぐり神の領域から出る前にもう一度境内を見渡す。
守矢神社は鬼の角と呼ばれる2本の峰を除けば妖怪の山でも一番高い位置に存在する。人間の気配は全くなく、神社付近は妖怪も近寄らない。
博麗神社と同様に神社独特の神秘的な雰囲気は守矢にも確かにあるが、歴史を感じない真新しさが境内全体を覆って圧倒される重苦しい気配はない。
神社の本殿から離れたところに幻想郷にはない外の世界にあるような2階建ての母屋があるが、その裏に数本の風車が特に風がないにもかかわらず、そこだけ強風が吹いているように勢いよく回転して、風を斬る耳障りな音を発している。風車の音は魔除けなどにもよく用いられるが、この音からはそうした呪術的な力は感じられない。そもそもこの風車は、幻想郷で作られたものではなく、明らかに外の世界のものだ。
母屋の陰に明らかに外界から持ち込んだ大きな発電機か蓄電器と思しき装置が見えたので、単に電気を起こすための風車なのだろうと容易に想像できた。それにしても風車の周囲だけ風を吹かせているのだろうか?何とも風情がないやりかたである。
神社の本殿にはそうやって起こした電気の光はなかったが、母屋の窓からは人工的な白く冷たい光が漏れており彼らの生活が外のそれとあまり変わらないことを教えている。
「郷に入っても郷に従う気はさらさらないか・・・。」
幻想郷に合わせて地に足を着けて暮らしていくという意志がない事をそれは示していた。
霊夢の言う神威とやらはよくわからないが、文明に染まった神の末路はかくも下品なものかと思い至り残念に思う藍。あれを見てしまうとどんなに威厳を備えた神といっても歴史の重み、積み重ねた年輪を感じなくなり安っぽく見える。今なら霊夢の言っていた事も納得ができそうである。
藍は博麗神社の元社務所を母屋兼事務所として三角山に構えているが、そこに紫が便利だからと外から持ち込んだ幾つかの道具が保管されている。その中には電気の力で動くものや、電気を起こすものなど、守矢神社で行われているであろう生活もやろうと思えばそのまま再現も出来る。しかし、藍はそうした外の物が好きではなかった。
外で暮らすと言うのであれば、外の生活に合わせて馴染もうとも思うが、幻想郷に住む限りはそこにあった生活の仕方をするのが美しい在り方だと思うのである。
「ここは・・・美しくないな・・・。」
会見、と言っても書状を渡して契約書を貰ってきただけだが、その時傍らに東風谷早苗という霊夢と同年代くらいの少女がいた。貧しい生活をしている風には見えず、丸々と肥えているわけではないが、充分な栄養を与えられた恵まれた生活をしている事はわかる。
彼女からは神に仕える巫女の風格も緊張感もなく、ただ巫女の格好をしているだけで、神社に使える本物巫女には見えなかった。
洩矢諏訪子の姿は見えなかったが、彼女が唯一素性が分かっている存在で、かつてはミシャクジ様と呼ばれていた諏訪の土着神である。守矢神社内においては八坂神奈子が表向きトップのようだが、能力的には諏訪子が実質のトップだろう。
八坂神奈子は洩矢諏訪子の傀儡として動いているだけかもしれないが、彼女にそれをさせる動機が見当たらない。あるとするなら建御名方神に反旗を翻す為の戦力を養う下地作りか・・・。
しかし、その事は紫にも上申したが、地上の様子から諏訪子が反逆する理由は見当たらないそうである。何とも謎が多い。
この時点でその意外な黒幕の正体が誰か、藍も紫も知る由もなかった。
「帰りましたね。」
神社の窓からスキマに消えた九尾を確認する東風谷早苗。そして消えた八雲藍の気配と入れ違いになるように、守矢神社本殿に洩矢諏訪子がどこからともなく現れる。
「首尾はどうだ?」
大きな帽子を被ったどこから見ても少女の姿をしている諏訪子だが、大人のような口調で声に独特の威風がある。姿は幼いが中身は日本の神話より古い土着神である。
「ほら。」
本殿中央であぐらをかいて座っている神奈子は近寄ってきた諏訪子に、九尾が持ってきた八雲紫の書状を渡す。
「八雲紫本人が来ぬとは、神奈子も下に見られたものだな。」
書状を読みながら神奈子を笑う子供の様な姿の諏訪子。一方大柄な神奈子は大きな注連縄の輪を背に纏っていた。この格好は一応の正装である。
諏訪子が10歳位の年端に見えるのに対し、人間で言えば丁度その10歳位の子供の母親程に見える神奈子。だいたい30代前半から半ばというあたりだろうか。
「まぁいいさね。連中、人間達のやろうとしている事に気づいていないみたいだし、こっちとしても好都合さ。」
八雲紫が来ると予想していた神奈子だが、人間の計画を知りそれに荷担すると決めた以上、今は紫に会わないほうが良いと判断している。下に見られるのは癪だが下手に駆け引きをしてこちらの企みを勘付かれるより良いと思う、内面が顔に出てしまいがちな神奈子。
「霊夢に力を与えればいいのか・・・なるほど、私の力を搾り取って神奈子を引きずり出す気だな。」
異変の全容と守矢神社の依頼内容を見て紫の策を見抜く諏訪子。八雲紫がこちらを疑っている事は重々承知しているので直ぐに思い至る。
「紫は恐らく我々に赤っ恥をかかせる気だ。」
「私の次は、神奈子しかいない。その神奈子が霊夢に卸りない、卸せないという既成事実を作りたいというわけか。」
「まぁ、確かに私は霊夢には卸れないね・・・でも、それが何故かを常識で考えちゃーいけない。常識に囚われる八雲紫も案外たいしたことないね。」
くつくつと笑う神奈子。
「幻想郷がこのまま新しいものを受け入れないという態度を続けるなら、我々もいずれ対決しなければならんな・・・。」
状況を楽しそうに笑い八雲紫の吠え面を想像する神奈子に対して、やりすぎればいずれ抗争に発展すると予想する諏訪子。神奈子には神奈子の目的があるが、それは必ずしも諏訪子のそれと同じではない。諏訪子には諏訪子の目的があって早苗と神奈子について幻想郷に来たのだ。
「人間の計画が成功すれば、実質我々が勝利したも同じ。天狗もたらしこめば我々の発言権は大きく上がる。そうなれば荒事にならなくても話し合いでなんとかなるだろう?」
「ふむ、それは確かに・・・。」
「この地域だけ特例区であっても良いだろう?私は別に幻想郷全体に電気を通せとは言ってないしな。」
「ついでに外の電波を受信できるようにか・・・。」
「外の常識がいらない幻想郷で、外と同じ生活が出来る。お前だって最初は何だかんだと言っていたくせに、外の世界にすっかり馴染んでしまっただろう?」
「別に馴染んどりゃせん。郷に入って郷に従っているだけじゃ。」
「古き良きと言って新しき物を排除するのは伝統とはいわん。」
「そんなことは分かっておるさ。ただ、ここはその古き良きを保存するような場所だ。わざわざ押し掛けて波風立てる必要はあるまい。」
「だから、私はあくまで自分達だけの事を言っている。幻想郷の片隅で彼らと違う生活をしても問題ないだろう?」
2人の口論は次第に熱を帯びてくる。2人の主張から分かるように八坂神奈子は幻想郷で外と同じ生活を出来る基盤を作ろうとしている一方で、洩矢諏訪子は幻想郷に馴染んで生活スタイルを妥協すべきと考えている。
「二人とも喧嘩はやめてください。」
角を突き合わせて今にも取っ組み合いになりそうな二柱の間に割ってはいる早苗。
「誰の為に喧嘩していると思っておるのじゃ。」
早苗を叱り付ける諏訪子。
「おっと、早苗に八つ当たりはやめるんだな。」
早苗を庇う神奈子。
「ふん!勝手にしろ!」
まるで自分が悪者にされた気分になって憤って外に出てしまう諏訪子。
「ああ、諏訪子様!」
慌てて追いかける早苗。
「全く、面倒くさいやつだな。おい、早苗!ここはもういいから諏訪子を見てろ。」
「あ、はい。分かりました神奈子様。」
諏訪子を追いかけようと外に向かいながら後ろから声かけられた早苗は身体は前を向いたまま神奈子を向いて返答し、そのまま本殿を出ていった。
神の血脈といえば天皇が最も有名だが、東風谷早苗は洩矢諏訪子、つまり諏訪の土着神の血を引いており、日本でも有数の古い神様を先祖に持っている。
神の血を引いているからといっても特別な事が出来るわけではなく、ほとんどの場合は普通の人間と何も変わらない。しかし、東風谷早苗は特別な力を持って生まれ、現人神として幼い頃から特別に育てられていたのである。洩矢諏訪子にしてみると早苗は可愛い孫であるため、幻想郷に移住する際に心配でついて来てしまったのである。
八坂神奈子が早苗の守護神的立場にいて何においても早苗を庇うが、諏訪子の場合身内として老婆心をこじらせて何かと躾を施そうとして二人の関係に水を差す事多々で、その度に追い出されてヘソを曲げてしまうのだ。
早苗は幼少から蝶よ花よと育てられ、幻想郷に来る直前まで生活をする上で何の苦労もしていなかった。その為、家事全般何も出来ないまま育ってしまい今現在ようやく家事をさわりはじめたのである。
神奈子も家事全般まるで出来ず、それらはもっぱら諏訪子の仕事で、実生活の上で事実上守矢神社を牛耳っているのが諏訪子であり、彼女を怒らせる事はまともな生活が出来ない事を意味する。
諏訪子もそんな時はしばらくストライキを起こせばよいものの、可愛い孫にちやほやとされれば機嫌を直さずにはいられず、いつもの喧嘩もいつもどおりに終息するのである。
「やれやれ・・・。」
外から諏訪子と早苗のやりとりがかすかに聞こえてくる。神奈子はそれを耳の端に入れながらもう一度八雲紫の書状に目を通し改めて考える。
かなり大掛かりな異変になるだろう。ここで面白いのは、紫の計画と人間の計画が見事に重なると言う点である。
霊夢に卸りて力を与える作業と、天を封印する儀式は博麗神社で執り行われる。そして、それを予測したのか人間達は博麗神社に神頼みに向かうという事である。
霊夢の儀式が別所で行われる事になると、人間達の神頼みの儀式は肩すかしになる。まぁ何かをするとなれば博麗神社以外に適当な場所はないだろうし、これは当然の結果だろう。
そしてさらに面白いのはこの人間の計画を八雲紫らが知らないということである。知っているならそれなりの対応をするようにこちらに打診してくるはずだが、そのような文面はこの書状に何も書かれていない。
外から神様を呼び寄せる事に関しては、自分らの存在ですら煙たいと思っている紫である。それは絶対に許されない事だろうと容易に想像出来る。
恐らく人間、いや、この計画を立案した責任者は八雲紫から咎めを受ける事は間違いない。それすら承知で神に頼ろうという健気な人間達に協力してやらないわけにはいかないだろう。
八雲紫の書状には霊夢に力を与える事以外特に制限制約はない。人間達に協力するなとも書いていないし、そんな計画を知ったら報せろとも書かれていない。
「ふふふ。」
神奈子はニヤリとする。
八雲紫と人間側の要請は、どちらか一方を立てる為にどちらか一方を捨てる必要はない。場所も時間も同じで、双方の要請に応える事が出来るではないか。
仮に人間側のやろうとしていることで、彼らが八雲紫の咎を負う事になっても自分達に責任は及ばない。
八坂神奈子はこれまで行ってきた謀に対して何れも妨害を受け思い通りにいかなかった。しかし、これまで逆風となっていた風向きが変わったと感じ始めていた。
「神奈子・・・おい、神奈子!飯だぞ!」
気付くと神社本殿は暗闇に包まれ、既に夕刻となっていた。呼びに来た帽子をとっておたまを持ったエプロン姿の諏訪子に声を掛けられて、あれからだいぶ時間が経っている事に気付く。
「諏訪子・・・。」
「ん、何だ?」
神奈子の様子がやけに神妙だったので、立っていた入り口から本殿に上がってくる諏訪子。
「何か不要なものはあったか?」
「不要なもの?」
「いらない物を破棄する大きな焼却炉が出来るらしい。」
八雲紫の書状に不死鳥の転生の際に発生する熱で何でも処分出来ると書いてあった。それは単にゴミの処分ということではなく何かの因縁を消し去りたいなら、それにまつわる物をこの火で焼けば因縁も消えるそうであるとの事。この異変に裏で加担する者達は何れもこの浄化の炎を個人的な事に利用しようとしているので、協力へのささやかな対価として遠慮無く利用するようにとの有り難い八雲紫の申し出である。
「ああ、藤原妹紅とやらが不死鳥を転生させるというやつか・・・。わしは特にそんなものはないがな。」
「・・・なぁ、あれを処分するか?」
「あれ?」
「旧地獄の出来損ないの馬鹿烏だよ。」
「ああ、あれか・・・別に捨て置いてもかまわんのでは?」
「あれは失敗だった。あまりにも知能が低すぎた。」
「知能が低いからこその身体能力ではないか?あれに変わる器はそうないだろう。それにあれは使う方に問題があったのではないか?」
「私の所為かい?」
「他に誰の所為だと言うんだ?」
旧地獄で見つけたおもしろい烏を利用して、自家発電する生命体を生み出そうとした神奈子。自制心のない下等な生き物に大きな力を与えすぎ、暴走させてしまい計画は失敗に終わる。
「残して置いてもしょうがない。あれは処分した方がいい。」
「慈悲はないのか?」
「自分の不始末は自分でつけるさ。それが罪だというのなら罰は受けるさ。」
「お前への罰は早苗への罰と同じぞ?」
「そうならない為に、不死鳥の火で焼くのさ・・・。」
「そうきたか。まぁ、早苗を不幸にすることだけは許さんぞ?」
「肝に銘じるさ。」
神奈子はそう言うと立ち上がって諏訪子の横を通り過ぎ、すれ違う際に小さな肩にポンと手を置いて本殿を去って行った。
諏訪子は神奈子が消えた本殿の入り口をしばらく眺めていた。
早苗を守る事に関しては神奈子も自分も同じである。しかし、その方向性ややり方には違いがあり、神奈子が早苗を意を汲む方向にあるのに対し、諏訪子は必ずしも早苗を尊重するのではなく、早苗に今の在り方を変えて欲しいと思っている。このまま誰の言う事も聞かずに早苗の自我が膨らんでいけば神奈子を悪神に変えてしまうかもしれない。奇跡の力で早苗の心より生まれた早苗だけの神様は早苗を守り早苗の思うがままに世界を変えようと目論んでいく。
向こうの世界に居場所を失い、幻想郷という新天地を求めてやってきたものの、外の世界と同じ生活水準を望む早苗の無意識な思いが、生活基盤となるエネルギーの供給源を作らせようと神奈子を動かしている。
一見すると幻想郷で新しい生活を営もうと健気に頑張ろうとしている早苗だが、内面のどこかにこの幻想郷の原始的な生活に対してストレスを感じており、それから救おうと自らの奇跡の力で生み出した神奈子が躍起になっているのだ。
早苗は自分の潜在意識が神奈子を動かしている事に気付いておらず、神奈子のやっていることを表向き関心がなさそうに装いつつも、内心は応援していたりする。
とりあえず発電機で家の明かりや家電製品は動かせる。外から持ち込んだテレビやビデオといったもので暇はつぶせる。その恩恵に自分もあずかっているし、これくらいならいいだろうと諏訪子も思う。ただ、その要求がだんだんと大きくなり、神社の外にそれらを求めるようになったらどうなるか?早苗の潜在意識に作用される神奈子は、その思いを敏感に察知して動き出すのは間違いない。早苗が満足するの為の様々な道具、お店、娯楽施設など、考え出したらきりがなく、幻想郷はその度に異変が起こるだろう。どこかで歯止めを効かさなければならない。
早苗は神奈子とは阿吽の呼吸で心が通じていると思っている。しかし、それは正しくもあり間違いでもある。早苗は無意識に神奈子に命令して神奈子はそれをただ請け負っているだけの関係なのだ。
優しさが欲しいならそう望めば神奈子は優しい母親となり、元気が欲しいなら神奈子はよき師となって叱咤激励をしてくれる。
神奈子が自分の意志でコントロールされていると知ったら早苗はどうなってしまうのだろうか?早苗の心の向きで大きな変化が訪れるだろう。魔が差せば幻想郷は悪しき方向に向かうだろう。
このことを早苗に告げるのは時期尚早だと諏訪子は思う。早苗が心身共に成長し、強い自制心を持ってからではないと危険である。
幻想郷の住人は皆早苗を過小評価している。博麗の巫女や人間の魔法使いに痛めつけられ、降参すれば神奈子が良き調停役として早苗にとってプラスとなる方向で話を取りまとめてくれた。これこそが早苗の力が作用している奇跡の力なのだ。神社をまるめこんだことで紫の警戒心を弱めている。
早苗が悪しき方向に傾けば、神奈子も悪になる。しかし、良き方向に傾けば神奈子も良き立派な神となれる。全ては早苗次第なのだ。
諏訪子にとって早苗は子孫であり可愛い娘同然である。頭では色々な事を考え早苗の為に心を鬼にしようと思っていても、いざとなるとつい甘くなってしまう。
「誰か・・・早苗と神奈子を叱りとばしてくれる強い者はおらんものか・・・。」
遠くから自分を呼ぶ可愛い娘の声が聞こえる。
「今いくー!」
気を取り直して愛嬌良く返事をする諏訪子だった。
白玉楼。
桜の季節になれば春色に染まった万華の回廊となった階段が来訪者を迎え、極楽浄土に例えられる美しい庭園が回廊を越えて来た者の足を止める。最近知られるようになった桜の名所である。
その美しい光景は、生ある者には明日への活力を与え、死者達には輪廻の旅立ちを思わず躊躇させるほどである。しかし、そんな死者達は、散りゆく桜に命の儚さを知り、美しく咲き美しく散る桜の如き人生が迎えられる事を願い、そして互いに生者として桜の下で酒を酌み交わそうと約束し皆万感の思いで来世に旅立って行く。
冥界の僻地にある白玉楼は、いつしか輪廻に発つ魂達の旅立ち場となっており、そして今日、一人の少女が白玉楼から旅立とうとしていた。
白玉楼に続く長い階段を見上げる少女が一人いる。
空まで続くかのように思えるその階段の薄もやの向こうに大きな山門が小さく幽かに見える。
昨日、あそこで全てが終わり、そして全てが始まった場所だ。
桜の季節は終わり花は全て散った。今は新緑を称える、夢から覚めた魂達の旅立ちの季節。
微風に揺れる木々のざわめきが、発とうとする少女を励ましているかのように見える。
ゆっくりと階段を登り始める魂魄妖夢は、一歩一歩噛みしめるように石段を登っていき交錯する様々な思いと正面から向き合っていた。
何かを考えながらふと立ち止まって周囲を何気なく見渡し、何ごとも無かったかのようにまた階段を登っていく。そんなことを繰り返すうちにやがて山門まであと少しのところまで来る。
先程まで霞んで見えた山門が今は眼前に圧倒的な存在感を示し、変わりに自分の居た場所は霧に隠れて何も見えない。何気なく振り返って霞んで見える階段の下を見ようとしたその時、妖夢は祖父魂魄妖気の声を聞いたような気がして、はっとなって頭を上げた。
「そこな小娘!ここはお前のような半人前が来るところではないぞ!」
「あ・・・。」
視線の先、山門の前にいたのは懐かしい祖父の姿ではなく、藤原妹紅に刃を向ける昨日の自分の姿だった。
それが幻だということはすぐに理解出来たが、妖夢はその幻である昨日の自分自身に心静かに向き合った。
生意気で躾の悪い子犬がほざいている。妖夢はそう思った。藤原妹紅はこれと同じ光景を昨日ここで見ていたのだ。彼女がどんな思いで昨日の自分を見ていたのか、何となくわかった気がした。
「恥ずかしい・・・」。
妖夢はそれしか出なかった。
唇を噛みしめると同時に両目をぎゅっとつむり顔をしかめてその場で立ち尽くす。
そのまましばし時が過ぎる。
次に目を開けた時、そこには昨日の自分の姿はなかったが、変わりに見慣れた顔が山門から不意に飛び出してきた。
「幽々子・・・様」
「よ、妖夢?」
お互いに視線が合ったそのままの態勢で暫く硬直し時間だけがただ静かに流れる。
何かを感じた白玉楼の狂い姫は、履き物も忘れ慌てて外に飛び出してきたのだろう。聞き慣れた履き物の音が聞こえなかった。
やがて居住まいを正した西行寺幽々子が声を掛ける。
「おかえりなさい。」
妖夢は主人のその言葉に『ただいま』とは返さなかった。代わりに決意の表情で主人を見上げた。幽々子はその顔を見て、最愛の者が家に戻ったのではなく、これから旅立とうとしていることを知った。
幽々子も決意した。
「妖夢。」
「はい、幽々子様。」
「そこで少し待っていなさい。あなたに渡す物があります。」
「はい。」
幽々子は妖夢をそこに待たせると山門に消え、しばらくすると妖夢の2本の剣を大事そうに抱えた幽々子が山門から再び顔を出す。
山門に歩み登る妖夢は幽々子から自分の剣を受け取り慣れた手付きでそれを身に纏う。何も身につけていない妖夢はただの一人の少女にしか見えなかった。しかし、2本の剣を互い違いに腰に差す独特のシルエットに戻ると、ピリッとした緊張感を帯びた表情に変わる。
元の鞘に収まるとはこういうことを言うのだろうと改めて実感する幽々子。
「あなたは沢山の人達に愛され守られています。その事をどうか忘れないでね。」
「私はそれを昨日まで知りませんでした。でも・・・。」
何か言いかけた妖夢を頷いて制する幽々子。
「昨日までの自分が見えているなら大丈夫。修業、がんばってね。」
妖夢は堪えきれず幽々子の腰に抱きついた。幽々子はそんな妖夢の頭を優しくなでる。
ずっとずっとこのままでいたかった。しかし、それは幽々子のわがままであり、妖夢の為にはならないのだとようやく気付いた。
「身体に気を付けて・・・。」
「幽々子様も。」
口に出して暇を乞う必要はなかった。自分の気持ちを一瞬で理解し汲んでくれた。有り難く、感謝の気持ちで一杯の妖夢。それだけに自分はもう後戻り出来ない事を知り覚悟を決める。
名残惜しそうにいつまでも山門に立つ幽々子の姿を背にして、妖夢は白玉楼には入らず登ってきた階段をそのまま下りた。
期待と不安、夢と希望、そして少しの後悔。様々な思いが交錯する。
一人白玉楼を飛び出しそのまま野に下っても良かったが、四季映姫の助言に従い主と会って話せて本当に良かったと思っている。
昨日までは会うのが怖くて仕方がなかった。四季映姫に言われて気持ちが変わってからは会いたくて仕方がなくなった。気持ちの在りようで見え方が全然変わる。不思議なものである。
先程自分の幻を見たが、その昨日の自分を顧みてそれが小物に見えた。強大な主人の威を借りて相手を見下す情けない存在に見えた。ただ、ただ、情けなく、そして哀れだった・・・。
自分の言葉で語り、自分で物事の善悪を判断したい。その上で自分の道を選びたい。妖夢は自立を強く思うようになっていた。
妖夢は一宿一飯の恩があった死神小野塚小町に昼食をご馳走し、その後彼女に冥界の白玉楼付近まで送ってもらった。今後は小町に頼る予定は無く、そのまま幽明結界から幻想郷に向かうつもりでいた。何れは彼女とその上司にもお礼をしなければならないだろう。
妖夢の旅立ちは前途洋々に見えた。しかし、幻想郷は今激流の直中にあって妖怪達は殺気立っており、妖夢は牙をむいた幻想郷の洗礼をすぐに受ける事になる。
幻想郷の土地は国外のも含めて様々な場所から様々な曰く付きの土地を取り込み、パズルのように組み合わせて構築されている。そうした複数の土地を狭い幻想郷の更に狭いエリアに押し込んで出来た代表的な土地が、魔法の森と妖怪の山である。
妖怪の山は外界に存在する名前のある大きな山をそのまま丸ごと幻想郷に移設したものではなく、幾つかの広い土地を無理矢理一箇所に詰め込みその圧力で隆起させて出来た幻想郷で新しく生まれた山である。
山というのは造山運動、つまり地殻変動や火山活動によって形成されるわけだが、妖怪の山は人工的に地殻変動を作って隆起させ山の形を作っている。火山ではないのだが、非常に大きな圧力が山全体にかかっているため、山の内部は非常に高温で、至る所で噴煙や温泉が湧き出ている。
人工的な造山運動によって複数の大地の板が山頂に向かってせり出し、その内の最も堅い2枚の岩盤が他の岩盤を抑えて大きな剣が峰となって天に突きだしている。その姿から鬼の角に例え当初は鬼山と名付けられた。しかし、当時幻想郷に鬼はおらず、また妖怪にとっても鬼は脅威の存在であることから、鬼山というのは評判が悪く、妖怪の山と言う何の変哲もない呼び名に収まったのである。
この山頂部の2本の峰は、内部に溜まった圧力を外に逃がす導線の役割を果たし、高温のガスや水蒸気を外に出す煙突の役割も果たしている。この峰の頂上は常に高温で陽炎がかかっており、遠くからははっきりと捉える事が出来ない。水蒸気を大量に吐き出しているため、山頂付近は霧や雨雲がかかり雨量が一年を通して安定して多い。
幻想郷を冷夏にし作物に冷害をもたらす初夏から夏にかけて東から吹くヤマセと呼ばれる風が時折吹くが、このヤマセが吹く年は、妖怪の山にかかる靄が西に流れるので、東部から全体像がよく見えるようになる。その為、春先に山がよく見える年は冷害になる報せとなり、里の農家は常に山のご機嫌を伺っている。
そんな妖怪の山は天狗によって支配されており、現在7名中6名の大天狗が天狗の里を形成して山間修業の拠点としている。
山中で厳しい修業を行う為、意図的に険しい場所に居住区となる里を形成し、妖怪の山を取り囲むように大天狗毎に領地を分散させている。
山の中央の湖がある台地状の比較的なだらか土地は天狗が支配していない中立地帯となっている。そうした事から山の妖怪達が多く集まり東部の妖怪とは違った独自の妖怪文化が形成されている。此処に住む妖怪のほとんどは争いを好まない弱い妖怪達ばかりである。強い妖怪はと言うと天狗に警戒され、揉め事が多くなるので妖怪の山そのものにあまり近付かないのである。
そんな妖怪の山に変化が起こったのは昨年の西暦2004年の秋で、外から新しい神様が来たと話題になり、天狗ですら博麗大結界は突破できないのにそれを越えて来た事から山は一時騒然となった。
この一件は具体的に何かが起こったという事はないため異変という扱いにはなっていない。東から来た博麗神社の巫女が一応調査に出向いたが、これは巫女が囮になってその間、八雲紫や大天狗達が新しい神様について調べ、ここに来た意図や博麗大結界を突破したその実力を計っていたのである。
実は山の神様は博麗大結界を正面から突き破って中に入ったわけではなく、ある結界の隙間を突いて侵入してきたのである。
博麗大結界は1の強度にもう1を足して2の強度を得るという仕組みのものはない。あとから継ぎ足しが出来るような簡単な結界ではそもそもないのである。では、どのようにして結界を強固にしたかというと、元々強度を必要としない地中部分の結界を地上部分に移動させるという比重を変える仕組みで強化したのである。
そして、弱くなった地中の結界を補う為に、結界の代替えとなる別の空間を地下に移設させたわけであるが、この作業で紫は力を消耗し肉体を失い、回復までの間地上の人間に魂を天下りさせていたというわけである。
ちなみに、幻想郷の地下に移設させた空間というのが地霊殿のある旧灼熱地獄である。
幻想郷に自ら望んで入って来ることは、昔は比較的簡単であったが博麗大結界が施行された今現在では簡単には出来ない作業である。しかし、結界施行後それを強引に突破して幻想郷入りしてきたのが守矢神社なのである。
守矢神社は旧地獄を経由して薄い地中の結界を突破して幻想郷入りし、八雲紫らよりも早く旧地獄で活動をし、様々な布石を打っていた。
八雲紫としては幻想郷の数少ない侵入路を発見突破された事を楽しく思わないだろうし、これはある意味挑戦、挑発、更に敵対的な行為であると認識せざるを得ないのだ。
旧地獄異変の黒幕であるなど幻想郷のルールを遵守しようと積極的ではない山の神様を警戒するのは当然である。
今現在は妖怪の山で信仰を集めるような行為をしない限り干渉はしないという事で天狗側と折り合いを付けている状態であり、山では今のところ大人しくしているようだ。
里に来て信仰を集める作業をする気配も今のところなく、天狗の支配下にある妖怪の山に引き籠もっている間は八雲紫も手が出せない状態だった。
この守矢神社は何かを企んでいると八雲紫は予測し、常に警戒の目を光らせている。
建前は新たな信仰を得る為に来たと言うが、やっている事は信仰を集める作業ではなく、外の技術を幻想郷に持ち込もうとする、もしくは幻想郷で新しいエネルギーの獲得するために動いている様にしか見えない。
急速な文明の発展は同時に自然環境を破壊すると、地上で起こった環境汚染の教訓を知っている紫としては、そうならない様にわざわざ博麗大結界を施行して外との関わりを極限まで断ち切ったわけである。にも関わらず山の神様はそれを台無しにしようとしているわけである。
紫としては守矢神社は何とも目障りな存在で、実力で排除することも考えないわけではない。しかし、諏訪の神様と敵対してそれが新たな大戦に発展する危険性もあるので迂闊に手が出せない膠着状況なのである。
今現在守矢神社について分かっている事は、神社を牛耳っているのが八坂神奈子という神様で、彼女は不明な点が多い。
八雲紫は諏訪地方に赴いて現地調査をしたが、八坂神奈子は諏訪の神様と直接関係がない事が最近分かり始めており、彼女は諏訪の地のどこにも存在しない、少なくとも諏訪地方の神様ではない事が分かってきている。
洩矢諏訪子と個人的に交友がある別の土地の神様かもしれないが、そうなれば諏訪と無関係になるので討つ事も出来る。
わざわざ諏訪の地に赴いて現地調査までして八坂神奈子の正体を暴こうとしている紫である。今回の異変はそれを確かめる上で決定的なチャンスとなるだろう。
今回の異変で2柱の力を是非ともお借りしたいという申し出に対して守矢神社はどのような回答をしてくるのか興味があるところである。洩矢諏訪子は本物とかわっているので問題ないだろうが、神奈子がこちらの申し出に即答を避けるか、何か条件を付けての駆け引きがあるだろうと思われる。その駆け引きの内容次第で守矢神社の本質が見えてくるだろう。
守矢神社へは紫ではなく藍を派遣するのは、この時点で直談判させないためである。紫が直接赴けば、恐らくなんらかの取引が行われ神奈子の出番を無しにされる可能性がある。その時点で神奈子が怪しいと公言しているようなものだが、紫自身も神奈子が怪しい事は重々承知している。紫が欲しいのは確信で、彼らを追い込む事で彼女の神としての資質の無さを白日の下に晒す事である。
この時八雲紫は、人間の里と守矢神社との間に密約があり、それが締結されていることを知らなかった。
八雲紫は八意永琳らとの会合の後、自身は大天狗比良山次郎坊の元へ赴き異変の段取りを伝え、守矢神社には八雲藍を紫の代理として派遣する事にしが、こちらの申し出に対して守矢神社はそれを全面的に受け入れる返答がなされることは予想の外だった。
妖怪の山東部の境界線付近を巡回する一匹の駒天狗がいる。
鞍馬山領、鞍馬山僧正坊配下の鴉天狗筆頭、射命丸家に属する駒天狗、白狼・犬走椛である。
彼女は幻想郷東部によく顔を見せる射命丸文の持ち駒である。
駒天狗というのは、鴉天狗が自分の手足として使役するために、動物等を妖怪化させて獣人化した天狗の眷属で、鴉天狗はこうした駒天狗を一人ないし複数名所持している。
天狗というのは本来、仏法の教えに従い解脱の道を歩む修行僧であるが、鴉天狗はその修業半ばで脱落した者を言う。鴉天狗には、修行僧である高位の天狗に従い身辺の世話をする者から、野に下って孤独に暮らす者、或いは人里に現れて修業で身につけた神通力を披露して鼻を高くする者など様々である。
大天狗は修業を納め天魔の直下に位置する最高位の僧侶である。天魔を如来とするなら、大天狗は菩薩に当たる位になる。
天狗は仏法の中で知識や能力を身に付ける事を優先させ過ぎ実践を疎かにした結果、六道から外れて独自の閉鎖空間である天狗道に堕ちた者を言う。このままでは天狗道という無感地獄を彷徨うだけになってしまうために、身につけた力を常に他者に与え俗世と関わりを保ちつつ、六道と天狗道の狭間でバランスと取っているのが天狗の置かれている現状というわけである。
天狗独自に里を設営する理由も、集団で暮らす共同体、つまり俗世を意図的に形成するためで、ここで指導者として里と関わる事で天狗道に堕ちる事を防いでいるのである。
大天狗の下には、里を設営する上で必要な部局の長を努める弟子の僧侶がおり、天狗とは本来、修業するこのレベルの天狗を言い、修業を諦めた鴉天狗は厳密にいうと天狗ではない。
今現在幻想郷に存在する鴉天狗は、基本的に大天狗など修業する天狗の護衛と身の回りの世話をする事を仕事としている。平安末期から戦国時代まで存在した僧兵といえば分かりやすいだろう。僧兵は、僧とつくが、実際は軍閥化した寺院の兵隊である。
この鴉天狗の中にも二種類おり、一つは実際に修業をして途中で止めた修行経験者で、もう一つが前述の者の子孫で、修業経験がなくとも親の血を引いて能力が遺伝された者達である。
これらの鴉天狗の子弟の中には能力が遺伝されず普通の人間に戻ってしまう者も大勢おり、それらが里を構成する主な人員になっている。
修業経験のある鴉天狗は大鴉天狗(おおがらすてんぐ)などと呼ばれ、他の鴉天狗に比べて位が高い。これらの大鴉天狗は、本家となって子弟が分家となって広がり、本家を継いだ者だけが未修業の身であっても大鴉天狗と名乗る事が出来る。
能力が遺伝されずほぼ人間になってしまった者は烏天狗と呼び人間とは呼ばれない。これは人間とは明確に区別して天狗の里の者はあくまで天狗と呼ぶ伝統があるからである。
ランクでみると、大天狗とその下で修業する天狗。ここまでを本当の意味で『天狗』と呼び、ここに大きな壁がある。その下に大鴉天狗、鴉天狗、駒天狗、烏天狗となり、これらを全てひっくるめて人種として天狗と呼んでいるのだ。
天狗の里には、普通の人間や妖怪も少数ながら居るが、これは男性社会である天狗の里では子孫を残すにはどうしても人間や妖怪の女性の腹が必要になるからである。その為、天狗の社会では女性の地位は低く子供を産むための道具としか見られない。
例えば東部によく現れる射命丸文は女天狗(めてんぐ)で、それだけで格下の扱いで、名門の射命丸家の家名が無ければ文は文屋になることは到底叶わなかった。
射命丸家は天狗の社会でも一種特殊な位置付けで、当主が修業を止めた理由が、自らのスピードを生かして全国各地の天狗との連絡役を買って出た為で、優秀な僧侶で将来を嘱望されたにもかかわらず、世相に敏感で人間に支配される社会情勢の中で天狗が生き残るには情報共有が必須であると謳い、鞍馬山僧正坊の下で七人の大天狗の幻想郷入りに大きく貢献したとして特別な扱いを受けているのである。
その為鴉天狗でありながら、準僧正の位を持ち家は分家まで全て大鴉天狗の位が約束されているのである。
身分による差別が少ない里も基本的に男性社会であるが、天狗の身分に対する意識は非常に強く下位の者がどんなに強くても上の者に逆らう事は出来ない。逆らえば極刑になる。
文はそんな名家の出身でありながら、女ということで身分は微妙な位置にあった。一族が重職に就く中、文は情報職の末端である文屋を希望したが、末端とは言え下層の者がなれるような職業ではなく、重要な職務であることから基本的に女性が就ける仕事ではなかった。
文は名門の出として身分不相応の仕事に就けたが、これは彼女を不幸にした。周囲の羨望や僻みを受け業界初の女性記者として新聞の発刊権を得た文は精力的に新聞の発刊に努めるものの、新聞業界では女性に対して排他的で文を歓迎する者は誰も居らず、彼女は業界の中で孤立した。
女性記者やカメラマンは全く居ないと言うわけではないが、新聞の発刊権限を持つ女性はこれまでになく、文の存在は男のやっかみを生んだものの、一部では女性の権利向上に一筋の光を射してもいた。
その後、文は女性記者クラブや各種女性組合の理事の席を用意されたものの、それらを全て断って独立して組織に交わらず単独で行動する。文は実力で勝ち取った職ではない事を知っており、しかし、実力が在る事を知らしめたかった。その為にはそうした組織の後ろ盾や支援は邪魔だったのである。
地位の低い女性達の権利向上に非協力的な文は、男性社会だけではなく女性社会からも目下孤立中である。
射命丸文が幻想郷の東部に来る理由は西側でまともな活動が事実上出来なくなっている為である。
独自の社会体系持つ閉鎖的で排他的な天狗社会は、人間の里や博麗神社など外の出来事に関心が無く、天狗の社会で認められるには天狗の社会の事象を記事にしなければならない。しかし、天狗の社会からつまはじきにされた文の情報源は幻想郷東部しかなく、彼女が東部によく顔を見せるのはそのせいなのである。
東側の人間や妖怪は天狗の社会を知らないので、文の置かれている状況を知らず、文は普段の偉そうな口調からそれなりにすごい天狗と見られる傾向があり、西側での不遇が翻って文を文字通り天狗にさせているといえる。
新聞報道業界から睨まれている文は、度々記事の信憑性を疑われ査問に呼び出される。
今回の異変に関連して東部を嗅ぎ回られたくない八雲紫は比良山次郎坊に職権乱用気味に文の動きを封じる工作をしたわけだが、査問会の常連だった文だったので、自然な形で動きを封じる事が出来たと言うわけである。
「おや?あれは・・・!」
犬走椛の千里眼がある大物妖怪の姿を捉え急行する。
「そこの妖怪よ!止まれ!検問されよ!」
妖力消費の燃費が良い巡行速度で飛ぶ八雲藍に対して物凄いスピードで接近し、近接後は併行して飛ぶ椛。
「ふむ、いつも一番に来るのはお前だな。」
守矢神社へ向かう途中の八雲藍は、天狗の領域に入ると必ず犬走椛という白狼天狗が現れる事を覚えていた。そして、大人しく一旦停止して検問を受け入れる。
「八雲藍様とお見受けしますが、どちらに向かわれるのですか?」
「守矢神社だ。」
椛は発見場所と時間、検問場所とその時間、相手の名前と行き先などを巡回日報に書き記し警戒任務の職務を果たす。
「了解しました!呼び止めて申し訳ありません。」
「いやいや、仕事熱心で感心する。」
人間やただの妖怪ならこのように簡単に解放しないが、八雲藍などは流石に特別扱いである。彼女クラスの妖怪なら呼び止めず無視しても罰にはならないのだが、クソがつくほど真面目な椛の性格上、妖怪の山領域を飛ぶ者に対しては検問するのは自らに課せられた義務として相手関係なく職務を全うしようとするのだ。
「犬走椛、どうだ、私の式にならんか?」
「その事は何度もお断りしております。」
藍の申し出に困った顔で対応する椛。式への勧誘はこれが最初ではないらしい。藍としては、真面目な椛に対する賞賛の意味を込めて言った台詞ではなく、本当に椛を式にしたいと思っていた。
「そうか、お前の働き振りを見ていると惜しくてな・・・。」
惜しいというのは、文の部下であることに対してである。藍は別に無能な上司に椛はもったいないと、文をけなしているわけではない。ただ文は独立心が強く組織の中では出世しないタイプである。そしてその部下は得てしてそのとばっちりを食ってしまうのだ。椛に出世願望があればまた違う結果になるだろうが、彼女には出世願望の代わりに上司に対する敬愛と揺るぎない忠誠心しかない。
そうした会話をしているうちに周囲に他の駒天狗が集まってくる。しかし、すでに検問済みと知ると直ぐにどこかで飛び去っていく。
天狗の領空を警備巡回しているのは椛だけではない。たくさんの駒天狗が上司の成績を上げる為、検問の成果を上げようと必死なのである。しかし、椛が優秀すぎて他の駒の成績が上がらない状態で、飛び去る駒天狗の中には明らかに悪態をつくものも居り、それがかえって椛の優秀さを証明していた。
妖怪の山と東部の境界線は、愛宕山領、鞍馬山領、比良山領がある。藍の飛行経路は、比良山領をかすめて鞍馬山領と愛宕山領の境界である川沿いに守矢神社に向かうものとなってた。藍は最初に比良山領に接近したが、隣接する鞍馬山領所属の犬走椛が誰よりも早く藍を視界に入れ一番に検問したのである。この広域探知能力は藍としては喉から手が出るほど欲しい人材といえる。紫のスキマ能力は場所を選ばないがその代わりピンポイントにしか働かないので、広域探査は藍自ら巡回して汗を流さなければならない作業なのだ。
駒天狗の基となる動物は鼠から熊、雀から大鷹など様々で、その基礎となる動物の能力が駒天狗になってからも反映される。狼は駒の中でも最上級とされ、白狼天狗である椛の能力がずばぬけているのは別におかしな話ではなく藍が式に欲しがるのもうなずける。
その後藍は、椛に先導され守矢神社のある山中央の中立地帯まで案内された。
鬱蒼とした原始のような深い森から明らかに人の手が入った森へと変化する場所に、まるでその境界を示す目印であるかの様に大きな南蛮鉄の大鳥居があった。
ここから先は神の領域とはっきりと分かり、そしてここにあるのは守矢神社である。
駒天狗の先導を受けて、八雲藍は先程その森を抜けて守矢神社に入り、八雲紫の代理として異変の協力を打診する書状を届けたところだった。意外な事に快諾され面食らったが、それは表には出さず異変に関して協力を約束する契約書にサインを貰い、余計な事は言わずそのまま暇を乞うた。
神社の領域から出る前にふと振り向いた藍は、博麗神社よりも立派なつい最近出来たばかりのような守矢神社とその奥の湖に目をやる。この湖は大量の雨水を貯えた妖怪の山の地下水源から直接湧き上がる水を湛えており、溢れる水が川となって山を下り滝を落ちて幻想郷東部の平野に恵をもたらしている。幻想郷にとって重要な水源である。この湖の汚染は幻想郷全土に大きな影響を与えるだろう。
藍は背筋に少し冷たいものを感じた。ことごとく幻想郷の弱点の様なところを突いてくる守矢神社。一体何を目的にここにきたのだろうか。
藍に応待した八坂神奈子は、力強い圧倒的な威圧感を持っており、どこから見ても力のある神様に見えた。しかし、霊夢は彼女に神威を感じないという。強いのと神であるということは別の了見らしい。
藍は鳥居をくぐり神の領域から出る前にもう一度境内を見渡す。
守矢神社は鬼の角と呼ばれる2本の峰を除けば妖怪の山でも一番高い位置に存在する。人間の気配は全くなく、神社付近は妖怪も近寄らない。
博麗神社と同様に神社独特の神秘的な雰囲気は守矢にも確かにあるが、歴史を感じない真新しさが境内全体を覆って圧倒される重苦しい気配はない。
神社の本殿から離れたところに幻想郷にはない外の世界にあるような2階建ての母屋があるが、その裏に数本の風車が特に風がないにもかかわらず、そこだけ強風が吹いているように勢いよく回転して、風を斬る耳障りな音を発している。風車の音は魔除けなどにもよく用いられるが、この音からはそうした呪術的な力は感じられない。そもそもこの風車は、幻想郷で作られたものではなく、明らかに外の世界のものだ。
母屋の陰に明らかに外界から持ち込んだ大きな発電機か蓄電器と思しき装置が見えたので、単に電気を起こすための風車なのだろうと容易に想像できた。それにしても風車の周囲だけ風を吹かせているのだろうか?何とも風情がないやりかたである。
神社の本殿にはそうやって起こした電気の光はなかったが、母屋の窓からは人工的な白く冷たい光が漏れており彼らの生活が外のそれとあまり変わらないことを教えている。
「郷に入っても郷に従う気はさらさらないか・・・。」
幻想郷に合わせて地に足を着けて暮らしていくという意志がない事をそれは示していた。
霊夢の言う神威とやらはよくわからないが、文明に染まった神の末路はかくも下品なものかと思い至り残念に思う藍。あれを見てしまうとどんなに威厳を備えた神といっても歴史の重み、積み重ねた年輪を感じなくなり安っぽく見える。今なら霊夢の言っていた事も納得ができそうである。
藍は博麗神社の元社務所を母屋兼事務所として三角山に構えているが、そこに紫が便利だからと外から持ち込んだ幾つかの道具が保管されている。その中には電気の力で動くものや、電気を起こすものなど、守矢神社で行われているであろう生活もやろうと思えばそのまま再現も出来る。しかし、藍はそうした外の物が好きではなかった。
外で暮らすと言うのであれば、外の生活に合わせて馴染もうとも思うが、幻想郷に住む限りはそこにあった生活の仕方をするのが美しい在り方だと思うのである。
「ここは・・・美しくないな・・・。」
会見、と言っても書状を渡して契約書を貰ってきただけだが、その時傍らに東風谷早苗という霊夢と同年代くらいの少女がいた。貧しい生活をしている風には見えず、丸々と肥えているわけではないが、充分な栄養を与えられた恵まれた生活をしている事はわかる。
彼女からは神に仕える巫女の風格も緊張感もなく、ただ巫女の格好をしているだけで、神社に使える本物巫女には見えなかった。
洩矢諏訪子の姿は見えなかったが、彼女が唯一素性が分かっている存在で、かつてはミシャクジ様と呼ばれていた諏訪の土着神である。守矢神社内においては八坂神奈子が表向きトップのようだが、能力的には諏訪子が実質のトップだろう。
八坂神奈子は洩矢諏訪子の傀儡として動いているだけかもしれないが、彼女にそれをさせる動機が見当たらない。あるとするなら建御名方神に反旗を翻す為の戦力を養う下地作りか・・・。
しかし、その事は紫にも上申したが、地上の様子から諏訪子が反逆する理由は見当たらないそうである。何とも謎が多い。
この時点でその意外な黒幕の正体が誰か、藍も紫も知る由もなかった。
「帰りましたね。」
神社の窓からスキマに消えた九尾を確認する東風谷早苗。そして消えた八雲藍の気配と入れ違いになるように、守矢神社本殿に洩矢諏訪子がどこからともなく現れる。
「首尾はどうだ?」
大きな帽子を被ったどこから見ても少女の姿をしている諏訪子だが、大人のような口調で声に独特の威風がある。姿は幼いが中身は日本の神話より古い土着神である。
「ほら。」
本殿中央であぐらをかいて座っている神奈子は近寄ってきた諏訪子に、九尾が持ってきた八雲紫の書状を渡す。
「八雲紫本人が来ぬとは、神奈子も下に見られたものだな。」
書状を読みながら神奈子を笑う子供の様な姿の諏訪子。一方大柄な神奈子は大きな注連縄の輪を背に纏っていた。この格好は一応の正装である。
諏訪子が10歳位の年端に見えるのに対し、人間で言えば丁度その10歳位の子供の母親程に見える神奈子。だいたい30代前半から半ばというあたりだろうか。
「まぁいいさね。連中、人間達のやろうとしている事に気づいていないみたいだし、こっちとしても好都合さ。」
八雲紫が来ると予想していた神奈子だが、人間の計画を知りそれに荷担すると決めた以上、今は紫に会わないほうが良いと判断している。下に見られるのは癪だが下手に駆け引きをしてこちらの企みを勘付かれるより良いと思う、内面が顔に出てしまいがちな神奈子。
「霊夢に力を与えればいいのか・・・なるほど、私の力を搾り取って神奈子を引きずり出す気だな。」
異変の全容と守矢神社の依頼内容を見て紫の策を見抜く諏訪子。八雲紫がこちらを疑っている事は重々承知しているので直ぐに思い至る。
「紫は恐らく我々に赤っ恥をかかせる気だ。」
「私の次は、神奈子しかいない。その神奈子が霊夢に卸りない、卸せないという既成事実を作りたいというわけか。」
「まぁ、確かに私は霊夢には卸れないね・・・でも、それが何故かを常識で考えちゃーいけない。常識に囚われる八雲紫も案外たいしたことないね。」
くつくつと笑う神奈子。
「幻想郷がこのまま新しいものを受け入れないという態度を続けるなら、我々もいずれ対決しなければならんな・・・。」
状況を楽しそうに笑い八雲紫の吠え面を想像する神奈子に対して、やりすぎればいずれ抗争に発展すると予想する諏訪子。神奈子には神奈子の目的があるが、それは必ずしも諏訪子のそれと同じではない。諏訪子には諏訪子の目的があって早苗と神奈子について幻想郷に来たのだ。
「人間の計画が成功すれば、実質我々が勝利したも同じ。天狗もたらしこめば我々の発言権は大きく上がる。そうなれば荒事にならなくても話し合いでなんとかなるだろう?」
「ふむ、それは確かに・・・。」
「この地域だけ特例区であっても良いだろう?私は別に幻想郷全体に電気を通せとは言ってないしな。」
「ついでに外の電波を受信できるようにか・・・。」
「外の常識がいらない幻想郷で、外と同じ生活が出来る。お前だって最初は何だかんだと言っていたくせに、外の世界にすっかり馴染んでしまっただろう?」
「別に馴染んどりゃせん。郷に入って郷に従っているだけじゃ。」
「古き良きと言って新しき物を排除するのは伝統とはいわん。」
「そんなことは分かっておるさ。ただ、ここはその古き良きを保存するような場所だ。わざわざ押し掛けて波風立てる必要はあるまい。」
「だから、私はあくまで自分達だけの事を言っている。幻想郷の片隅で彼らと違う生活をしても問題ないだろう?」
2人の口論は次第に熱を帯びてくる。2人の主張から分かるように八坂神奈子は幻想郷で外と同じ生活を出来る基盤を作ろうとしている一方で、洩矢諏訪子は幻想郷に馴染んで生活スタイルを妥協すべきと考えている。
「二人とも喧嘩はやめてください。」
角を突き合わせて今にも取っ組み合いになりそうな二柱の間に割ってはいる早苗。
「誰の為に喧嘩していると思っておるのじゃ。」
早苗を叱り付ける諏訪子。
「おっと、早苗に八つ当たりはやめるんだな。」
早苗を庇う神奈子。
「ふん!勝手にしろ!」
まるで自分が悪者にされた気分になって憤って外に出てしまう諏訪子。
「ああ、諏訪子様!」
慌てて追いかける早苗。
「全く、面倒くさいやつだな。おい、早苗!ここはもういいから諏訪子を見てろ。」
「あ、はい。分かりました神奈子様。」
諏訪子を追いかけようと外に向かいながら後ろから声かけられた早苗は身体は前を向いたまま神奈子を向いて返答し、そのまま本殿を出ていった。
神の血脈といえば天皇が最も有名だが、東風谷早苗は洩矢諏訪子、つまり諏訪の土着神の血を引いており、日本でも有数の古い神様を先祖に持っている。
神の血を引いているからといっても特別な事が出来るわけではなく、ほとんどの場合は普通の人間と何も変わらない。しかし、東風谷早苗は特別な力を持って生まれ、現人神として幼い頃から特別に育てられていたのである。洩矢諏訪子にしてみると早苗は可愛い孫であるため、幻想郷に移住する際に心配でついて来てしまったのである。
八坂神奈子が早苗の守護神的立場にいて何においても早苗を庇うが、諏訪子の場合身内として老婆心をこじらせて何かと躾を施そうとして二人の関係に水を差す事多々で、その度に追い出されてヘソを曲げてしまうのだ。
早苗は幼少から蝶よ花よと育てられ、幻想郷に来る直前まで生活をする上で何の苦労もしていなかった。その為、家事全般何も出来ないまま育ってしまい今現在ようやく家事をさわりはじめたのである。
神奈子も家事全般まるで出来ず、それらはもっぱら諏訪子の仕事で、実生活の上で事実上守矢神社を牛耳っているのが諏訪子であり、彼女を怒らせる事はまともな生活が出来ない事を意味する。
諏訪子もそんな時はしばらくストライキを起こせばよいものの、可愛い孫にちやほやとされれば機嫌を直さずにはいられず、いつもの喧嘩もいつもどおりに終息するのである。
「やれやれ・・・。」
外から諏訪子と早苗のやりとりがかすかに聞こえてくる。神奈子はそれを耳の端に入れながらもう一度八雲紫の書状に目を通し改めて考える。
かなり大掛かりな異変になるだろう。ここで面白いのは、紫の計画と人間の計画が見事に重なると言う点である。
霊夢に卸りて力を与える作業と、天を封印する儀式は博麗神社で執り行われる。そして、それを予測したのか人間達は博麗神社に神頼みに向かうという事である。
霊夢の儀式が別所で行われる事になると、人間達の神頼みの儀式は肩すかしになる。まぁ何かをするとなれば博麗神社以外に適当な場所はないだろうし、これは当然の結果だろう。
そしてさらに面白いのはこの人間の計画を八雲紫らが知らないということである。知っているならそれなりの対応をするようにこちらに打診してくるはずだが、そのような文面はこの書状に何も書かれていない。
外から神様を呼び寄せる事に関しては、自分らの存在ですら煙たいと思っている紫である。それは絶対に許されない事だろうと容易に想像出来る。
恐らく人間、いや、この計画を立案した責任者は八雲紫から咎めを受ける事は間違いない。それすら承知で神に頼ろうという健気な人間達に協力してやらないわけにはいかないだろう。
八雲紫の書状には霊夢に力を与える事以外特に制限制約はない。人間達に協力するなとも書いていないし、そんな計画を知ったら報せろとも書かれていない。
「ふふふ。」
神奈子はニヤリとする。
八雲紫と人間側の要請は、どちらか一方を立てる為にどちらか一方を捨てる必要はない。場所も時間も同じで、双方の要請に応える事が出来るではないか。
仮に人間側のやろうとしていることで、彼らが八雲紫の咎を負う事になっても自分達に責任は及ばない。
八坂神奈子はこれまで行ってきた謀に対して何れも妨害を受け思い通りにいかなかった。しかし、これまで逆風となっていた風向きが変わったと感じ始めていた。
「神奈子・・・おい、神奈子!飯だぞ!」
気付くと神社本殿は暗闇に包まれ、既に夕刻となっていた。呼びに来た帽子をとっておたまを持ったエプロン姿の諏訪子に声を掛けられて、あれからだいぶ時間が経っている事に気付く。
「諏訪子・・・。」
「ん、何だ?」
神奈子の様子がやけに神妙だったので、立っていた入り口から本殿に上がってくる諏訪子。
「何か不要なものはあったか?」
「不要なもの?」
「いらない物を破棄する大きな焼却炉が出来るらしい。」
八雲紫の書状に不死鳥の転生の際に発生する熱で何でも処分出来ると書いてあった。それは単にゴミの処分ということではなく何かの因縁を消し去りたいなら、それにまつわる物をこの火で焼けば因縁も消えるそうであるとの事。この異変に裏で加担する者達は何れもこの浄化の炎を個人的な事に利用しようとしているので、協力へのささやかな対価として遠慮無く利用するようにとの有り難い八雲紫の申し出である。
「ああ、藤原妹紅とやらが不死鳥を転生させるというやつか・・・。わしは特にそんなものはないがな。」
「・・・なぁ、あれを処分するか?」
「あれ?」
「旧地獄の出来損ないの馬鹿烏だよ。」
「ああ、あれか・・・別に捨て置いてもかまわんのでは?」
「あれは失敗だった。あまりにも知能が低すぎた。」
「知能が低いからこその身体能力ではないか?あれに変わる器はそうないだろう。それにあれは使う方に問題があったのではないか?」
「私の所為かい?」
「他に誰の所為だと言うんだ?」
旧地獄で見つけたおもしろい烏を利用して、自家発電する生命体を生み出そうとした神奈子。自制心のない下等な生き物に大きな力を与えすぎ、暴走させてしまい計画は失敗に終わる。
「残して置いてもしょうがない。あれは処分した方がいい。」
「慈悲はないのか?」
「自分の不始末は自分でつけるさ。それが罪だというのなら罰は受けるさ。」
「お前への罰は早苗への罰と同じぞ?」
「そうならない為に、不死鳥の火で焼くのさ・・・。」
「そうきたか。まぁ、早苗を不幸にすることだけは許さんぞ?」
「肝に銘じるさ。」
神奈子はそう言うと立ち上がって諏訪子の横を通り過ぎ、すれ違う際に小さな肩にポンと手を置いて本殿を去って行った。
諏訪子は神奈子が消えた本殿の入り口をしばらく眺めていた。
早苗を守る事に関しては神奈子も自分も同じである。しかし、その方向性ややり方には違いがあり、神奈子が早苗を意を汲む方向にあるのに対し、諏訪子は必ずしも早苗を尊重するのではなく、早苗に今の在り方を変えて欲しいと思っている。このまま誰の言う事も聞かずに早苗の自我が膨らんでいけば神奈子を悪神に変えてしまうかもしれない。奇跡の力で早苗の心より生まれた早苗だけの神様は早苗を守り早苗の思うがままに世界を変えようと目論んでいく。
向こうの世界に居場所を失い、幻想郷という新天地を求めてやってきたものの、外の世界と同じ生活水準を望む早苗の無意識な思いが、生活基盤となるエネルギーの供給源を作らせようと神奈子を動かしている。
一見すると幻想郷で新しい生活を営もうと健気に頑張ろうとしている早苗だが、内面のどこかにこの幻想郷の原始的な生活に対してストレスを感じており、それから救おうと自らの奇跡の力で生み出した神奈子が躍起になっているのだ。
早苗は自分の潜在意識が神奈子を動かしている事に気付いておらず、神奈子のやっていることを表向き関心がなさそうに装いつつも、内心は応援していたりする。
とりあえず発電機で家の明かりや家電製品は動かせる。外から持ち込んだテレビやビデオといったもので暇はつぶせる。その恩恵に自分もあずかっているし、これくらいならいいだろうと諏訪子も思う。ただ、その要求がだんだんと大きくなり、神社の外にそれらを求めるようになったらどうなるか?早苗の潜在意識に作用される神奈子は、その思いを敏感に察知して動き出すのは間違いない。早苗が満足するの為の様々な道具、お店、娯楽施設など、考え出したらきりがなく、幻想郷はその度に異変が起こるだろう。どこかで歯止めを効かさなければならない。
早苗は神奈子とは阿吽の呼吸で心が通じていると思っている。しかし、それは正しくもあり間違いでもある。早苗は無意識に神奈子に命令して神奈子はそれをただ請け負っているだけの関係なのだ。
優しさが欲しいならそう望めば神奈子は優しい母親となり、元気が欲しいなら神奈子はよき師となって叱咤激励をしてくれる。
神奈子が自分の意志でコントロールされていると知ったら早苗はどうなってしまうのだろうか?早苗の心の向きで大きな変化が訪れるだろう。魔が差せば幻想郷は悪しき方向に向かうだろう。
このことを早苗に告げるのは時期尚早だと諏訪子は思う。早苗が心身共に成長し、強い自制心を持ってからではないと危険である。
幻想郷の住人は皆早苗を過小評価している。博麗の巫女や人間の魔法使いに痛めつけられ、降参すれば神奈子が良き調停役として早苗にとってプラスとなる方向で話を取りまとめてくれた。これこそが早苗の力が作用している奇跡の力なのだ。神社をまるめこんだことで紫の警戒心を弱めている。
早苗が悪しき方向に傾けば、神奈子も悪になる。しかし、良き方向に傾けば神奈子も良き立派な神となれる。全ては早苗次第なのだ。
諏訪子にとって早苗は子孫であり可愛い娘同然である。頭では色々な事を考え早苗の為に心を鬼にしようと思っていても、いざとなるとつい甘くなってしまう。
「誰か・・・早苗と神奈子を叱りとばしてくれる強い者はおらんものか・・・。」
遠くから自分を呼ぶ可愛い娘の声が聞こえる。
「今いくー!」
気を取り直して愛嬌良く返事をする諏訪子だった。