東方不死死 第42章 「蠢動」


 三賢者会議当日。
 そのようなものが冥界で行われている事など知らない香霖堂の店主森近霖之助は、早朝藤原妹紅の自宅を訪れた。
 藤原妹紅の突然の来店で霧雨魔理沙の母親、サーヤの件に関して風見幽香にも知らせていない秘密を暴かれたのだが昨日の事であるが、彼女が店を出る際に不要と置いていった何かの設計図らしきものを自らの能力で調べたところ驚くべき事実を知り、これを渡した妹紅本人に本当に不要な物なのか確認をとりたかったのである。
 しかし、藤原妹紅は不在で療養を兼ねて藤原邸で留守番をしている風見幽香から午後遅くなら戻るかもしれないと教えられ出直す事にしたのである。

「・・・さて、そろそろかな。」
 ほぼ、お得意様しか来ない香霖堂。今日もいつも通り来客は無く、日が西に傾きかけた頃に早めに閉店して再度藤原邸に向かう準備をする。
 妖怪と人間のハーフである霖之助は、妖怪の父譲りで恵まれた体躯を持っているが、空を飛んだり妖力を使って何か特別な事が出来るというわけではない。腕力は確かにあるだろうが、肉体労働は好まず頭を使う方が性に合っている。
 霖之助は温厚な人柄で里の人間と馴染み、マルキ出身で外来品の競売目録作りなどをやっている為、特に商人に対して顔が広い。
 店を出てしばらく歩き里に入るとすれ違う人から挨拶をされ、にこやかに挨拶を返す事を何度か繰り返す。
 早朝、藤原邸を訪れる際も同じルートを歩いた霖之助だが、その時はまだ朝早い為人通りがほとんど無かったが、今は何やら里が騒がしい事に気づいた。
 大通りに向かって左の南側の酒蔵の並びが騒がしいので、事情を聞こうと以前勤めていたマルキに入った。
 珍しく自分から訪ねてきた霖之助を歓迎したマルキの表番頭は茶を出して談笑しながら事情を説明する。
 どうやら酒造組合で監査が行われているらしい。

 酒造りが主要産業である博麗の里では酒蔵組合が備蓄や在庫を管理して各蔵が勝手に造酒しないように次年度の生産量を分担調整している。
 作り過ぎれば単価は安くなり卸値も小売値も下がるが、それ自体は実は大きな問題ではない。問題なのは酒代が安くなれば飲酒量も増えるというところである。
 酒量の増加と共に中毒者が増える。そうなれば里の人間、及び妖怪にも悪影響が出て、里全体の生産効率が悪くなり治安も乱れる。これを回避する為に里の酒量を一定に保っているわけである。
 蔵毎に生産量に余力を設けているので必ずどこかに空桶が出る。これを利用して密造酒、所謂闇酒を生産しないように厳しく監査をするわけであるが、多少なら大目にみるという慣例があり蔵毎に監査期間をずらして闇酒を隠していた。
 そうした事情が200年続き、今から15年程前の事。生まれなかった子どもが生まれ始め、それと同時に蔵持の長寿方が一度に大勢死ぬというちょっとした異変が起こり、どこの蔵でも同時に代替わりしたのである。生真面目な酒蔵の若旦那の一部が初めて裏帳簿の存在を知って、正義感をこじらせて一度監査し直しをすべきと組合に持ちかけたのである。
 これはもう十年以上前の事だが、この時上白沢慧音が調整役になって自主調整の時間を設けて何れ一斉監査をするという約束をしてその場を収めていた。
 元々酒の生産を里の主要産業として大規模な改革を行ったのが上白沢慧音で、実は監査逃れも慧音が暗に了承していたことで、これまでずっと上手く行っていた事なので監査やりなおしは慧音にとっても疑問だったのである。そこで慧音は各蔵が上手く酒量報告の帳尻が合う長い準備期間を設けて事を穏便にすませようとしていたわけである。
 その時何時行うかも決めていなかった一斉監査が昨日から始まったという事である。

 マルキの番台の座敷に腰だけ上げてお茶をご馳走になっていた霖之助は、番頭に事情を教えられて意外な顔をした。
「何でまた急に・・・。」
 この『酒騒動』が起こった当時マルキに勤めていた霖之助も、監査など口約束だけで結局やらないで終わるだろうと思っていた。
 若い盛は正義感が強くそうした不正を暴いて自分を高く見せたいものである。しかし、10年経って親の脛をかじっていた洟垂れ小僧から、一端の経営者になると、余分な酒も円滑な人間・社会関係を築く上で必要な潤滑油になる事を学び、いつしか監査については誰も言わなくなっていた。
「まー、一応やったって事にしておかないと、言い出した手前腰の落ちつかない連中がいるからだろう?」
「でも、一応って割には結構大掛かりじゃないですか?」
 形だけならもっと静かにやるのではと思う霖之助。
「余剰分が大量に見つかったみたいで供出させられてるみたいだな。」
「誰か処分でもされるんですか?」
「どうもその余剰分を里に還元する目的で酒祭でもしようかって話しになってる。誰もお咎め無しさ。」
「なるほど、だから監査というわりに妙な活気があったんですね。」
 この番頭は霖之助がマルキ時代からの同僚で、霖之助は長生きしているので彼が小さい頃から知っている。年は離れているが幼馴染みのようなものである。
「樽屋も儲かるしなー。」
「そうえば、槌の音も聞こえますね。」
 里に入った時から聞こえていた木を打つ音だが、どこかで家でも建てているのだろうと最初はそう思っていた。
 後で酒が飲めるとの事で、恐らく樽を加工する連中も気分はいいだろう。そう思うと遠くから聞こえるただ木を打つ音も耳に心地よく聞こえるから不思議である。
「何にしても活気が出ていいもんだ。」
 同意して、霧雨サーヤの肖像画と会い暇を乞う霖之助。

 大通りの北側の店蔵の並び沿いに東から西に歩きながら反対側の酒蔵の並びを遠巻きに見る霖之助。上白沢慧音が陣頭指揮を執っているのが見える。
 慧音は霖之助が幼少の時から、つまり約200年前から世話になっており、彼女はその時からまったく容姿が変わっていない。蔵の周囲で動いている人達も皆慧音の教え子達である。男達にとって嫁や母親よりも頭が上がらない人だろう。霖之助もそれに漏れず彼女の前では大きな体が小さく縮まってしまいそうで、特に用事が無ければ近付きたくない女性である。
 大きな身体を小さくすぼめながら、大通りを突き当たり南に曲がって藤原邸に向かおうとするところで慧音に見つかって大声で呼び止められた霖之助はバツ悪そうに頭を掻きながら彼女に近付く。酒蔵周辺は常に酒くさいが、今日は一段と匂う。酒は結構いけるほうな霖之助にとっては悪い気分ではない。
「珍しいな香霖堂が昼真っから通りをぶらぶらしているとは。」
 周囲からもいいご身分だと皮肉を言われる霖之助。たまに里に出ればいつも言われる事である。ちなみに店を持っている店主は本人の名前ではなく店名で呼ばれるが、これは店を持つ者としては箔が付いた事を意味する。しかし、店を出して間もない霖之助の場合は皮肉と捉えるところである。
「いえ、ちょっと藤原さんのところに届け物を。」
「妹紅に?」
 藤原という言葉に反応した慧音は一瞬表情と声が硬くなったが、すぐにいつもの表情に変わる。
 妹紅と香霖堂に面識があったことは慧音は、その意外な組み合わせと同時に、異変について何か協力関係にあるのだろうかと疑い、それが一瞬顔に出てしまった。
 霖之助は慧音と妹紅がとても仲が良い事は知っている。藤原妹紅の話になれば自分の事の様に嬉しそうに話す慧音の最初に見せた強張った表情が気になり脳裏に焼きついてしまう。
 具体的な事は分からないが異変が起こるということは知っている霖之助。魔理沙や魅魔、サーヤの件に関して慧音に知られたくないので、自身は異変と係わりがない事にしておきたい、つまり異変と直結している妹紅とは無関係で彼女はただの客という印象を付けておいたほうが良いと判断する。
「ちょっと注文の品を届けに行くところです。」
 霖之助は懐から紙の束をチラッと見せる。これは昨日藤原妹紅が来店し、サーヤの件に付いて取り調べを受けた後に置いていった設計図で、本当は呪符用の紙でもないし注文されてもいない。
 咄嗟の機転で設計図の紙束を呪符の材料として誤魔化す霖之助。
 妹紅が呪符を使う事を知っている慧音としては、霖之助の懐からチラッと見えた紙の束を見て店主の言葉を素直に信じる。妹紅はこれからの異変について何か準備を始めているのだろうと考え、香霖堂と妹紅の接触は異変に関する共犯性がないと確信する慧音。
 慧音と妹紅は現在離別中で、異変に対して互いに別の目的を持って行動している。今やっているこの監査がいずれ起こるであろう異変に対する慧音の策の一環であることは今誰にも知られたくない。慧音にしてみれば、ここで検査について根掘り葉掘り聞かれるのも困る。呼び止めた手前もあるが、ここはなるべく早く退散願いたい。
 実際問題として妹紅がこちらの動きに気付いて対応してきたらまずい。裏事に長けている妹紅は味方なら頼もしい限りだが敵に回すと恐ろしい存在になる。
「藤原さんも後で来るようにいいますか?」
「今こられても何もしてやれんしな・・・というか邪魔だ。」
 今丁度3時の休憩で、そこにタイミング良く霖之助が通りかかったので捕まってしまったが、そろそろ休憩も終り陽が落ちるまで今日の分の作業を終わらせなければならない。
「それよりも早く届けなくていいのか?」
「ああ、そうでした。では、また。」
「うむ、引き留めて悪かったな。」
「いえいえ。」
 お互いに腹に一物を抱えたまま、顔はにこやかに挨拶を交わし、すぐに背を向ける香霖堂の店主と寺子屋の教師。
 少しして振り向いた慧音は遠くに見える霖之助の後ろ姿に鋭い視線を投げかける。
「(妹紅も動き出している・・・そろそろなのか・・・少し準備を早めようか・・・。)」


 藤原妹紅は白玉楼での一件が終わった後、レイセンの元を離れて幽明結界の抜け幻想郷に戻った。
「妖夢・・・間違いない、あいつは・・・。」
 藤原妹紅は岩老系対妖事請負出身である。妹紅が岩老郷入りしたのが西暦914年、217歳の時である。
 西暦697年に生まれた妹紅の5年後702年に西行寺の怪が終息したが、この当時はまだ父、藤原不比等のそばにいた。
 1300年前当時の記憶は無いが岩老郷入後妖術使いとして立志を決めた西暦1162年、妹紅460歳以降、岩老郷の歴史なども学びその中で一族の先祖が天武天皇の皇統断絶に尽力した経緯や『西行寺の怪』を収めた事等を郷史として学んでいた。

 永夜異変後の不死人狩りで裏歴史上の超有名人である西行寺有子を見た時、密かに胸が躍ったものだ。当時は自分に斬りかかってきた小姓の存在は気に留めていなかったが、一族が惨殺した佐藤家に関係する人物ではないかと思い至った。
 当時の事件調書には佐藤家の屋敷内の死亡者は11人。うち3人が家の者で他は使用人等ある。ただ、当主の娘が妊娠中だったという当事者の手記が残っており、もしかしたらその水子があの魂魄妖夢ではないだろうか?
 当時の状況からしてあの事件に関わりのあった者達が無事で済む事は許されない。それは佐藤家が一番よくわかっていたらしく、佐藤家監視役が異変の終息を見計らって屋敷を襲った際、佐藤家の3人は有子の部屋で討たれるのを待っていたと記録にある。
 その時彼らは、天智の皇統に災いとならぬよう西行寺、佐藤両家諸共歴史から葬り去って欲しい事、そして天武の皇統に鉄槌を下し必ずやその血を途絶えさせるようにと遺言したという。
 それらの遺言は全て叶った事は今の歴史を見れば一目瞭然である。

 佐藤家に対して直接自分が手を下したわけはないが、実質里のトップになった妹紅としてはこの件に関して無関係、無関心ではいられない。どんな形にせよその血が残っているのは奇跡としか言いようがない。
 魂魄妖夢から見れば岩老郷は家族を殺した仇だ。その岩老郷出身でその全てを引き継いだ妹紅は、いわば岩老郷そのものといって良い。つまり、妹紅は妖夢の仇とも解釈できるはずだ。叶うならばこの命を捧げてもよいが如何せん死ねない。どうすればいいのだろうか?
 妹紅は一度幽明結界の門に振り向き一寸考える。この後の予定としては、留守中に訪れた香霖堂の店主森近霖之助と会う事である。
 しかし、戻って妖夢の様子を見るべきか・・・その身を二つに裂いて別々に行動したいが、残念ながらそれは不死身の身でも出来ない。もどかしい。
「・・・。」
 何かを決断した妹紅は、振り向いて里の方角ではなく竹林に向かって飛んだ。


 森近霖之助が再び藤原邸に訪れたのは午後の3時を過ぎた頃である。
「こんにちは、幽香さん・・・うーん、やっぱりまだ帰ってませんか?」
 庭に入って縁側に立った霖之助は、座敷で瞑想するかのように正座をしている幽香に声をかける。
「まだ帰ってないわね・・・ん?」
 片目だけ開けて返答する風見幽香だが、ここで何かに気付いた様に右手を伸ばして人指し指で霖之助を指す。
「ん?」
 気のない顔をしていた幽香が突然目をカッと見開いたかと思うと指した指先から閃光が走る。顔の右側を何かが物凄いスピードで通り過ぎたような衝撃波が霖之助を襲い、思わず仰け反って尻餅をついてしまう。
「ちょ、な、なななな、何するんですか、突然!」
 霖之助の顔をかすめて飛んだレーザー光線は当たっていれば間違いなく即死だろう。流石の霖之助も肝が冷える。幽香からこれまで受けた攻撃の数々の主なものは殴る蹴る絞めるの体術が中心で妖力や魔力を使った高出力エネルギー攻撃は受けたことがなかった。今回初めてその致死性の高い高出力レーザー光線を目の当たりにしたのである。
 恐怖のあまり汗や鼻水他変な汁が体中から溢れ出る霖之助は普段決して見せないオーバーなアクションで幽香に抗議する。
「・・・。」
 しかし、そんな霖之助を尻目に、「何で怒ってるの?」みたいな表情でキョトンとする幽香。
 かなり怒っている霖之助は幽香に直接抗議しようと縁側に寄って履き物を脱いで座敷に上がろうとするが、幽香の視線がこちらから少しずれて自分の後ろを見ている事に気付いて誰かが後ろいるのかとハッとなって振り返る。
「ドン!」
「うわ!」
 振り向こうとした瞬間誰かに突き飛ばされて地面に転げる霖之助。
「お前か幽香?今狙撃したの?」
 霖之助を突き飛ばしたのは怒りのオーラを纏った藤原妹紅だった。
 幽明結界から竹林を経由してそのまま香霖堂に向かおうとした妹紅は、里に向かって飛行し途中から里を迂回するコースを取ろうとした矢先、不意に長距離から狙撃を受け腹のど真ん中を撃ち貫かれたのである。
「そうよ。」
 他人の腹を撃ち貫いておきながら相変わらず他人事の様に涼しく言う幽香。
「てっめぇーどういうつもりだ?仕返しのつもりか?」
「何よ、人が親切でやったことにケチつけるの?」
「これのどこが親切だ?お前、また首折られたいのか?」
「は!折れるもんなら折ってみなさいよ?」
 縁側に上がり込んだ妹紅は幽香の前に立つ。その幽香も負けじと立ち上がって睨み返す。
 一触即発の事態に狼狽えた霖之助だが、藤原妹紅に会うためにわざわざ足を運んだ事を思い出して、意を決して座敷に上がって仲裁しようとする。
「表に出ろ!」
「上等!」
「ちょ、ちょっと待ってください!幽香さんも藤原さんも落ちついて!」
 間に入った何故か仲裁が得意なはずの霖之助だったが、双方から拳を同時に貰いその場に腰砕けに倒れる。この時妹紅は今倒れた大男がお目当ての霖之助であることに気付いて態度を変える。
「あ、霖之助さん・・・いつからここに?」
 鼻血を出してよろよろと上半身を上げる霖之助。
「さっきからずっといたじゃない。」
 霖之助の代わりに答えた幽香は、ひまわり柄の可愛いハンカチを取り出すと、妹紅一人を乱暴者扱いしてさも自分が心優しくか弱い女性であるかの様に振舞って霖之助の鼻血を拭いてやる。抗議の声を上げる妹紅を尻目に、同じくひまわり柄のミニポーチを出して中から柔らかいティッシュという紙を出し、捩って霖之助の鼻の穴に突っ込む。
 今誰かがここに訪れてこの状況を見たら、妹紅に殴られた霖之助を幽香が看護するという常識を捻じ曲げたような信じがたいトラウマになるシーンを見ていたことだろう。
 実際には霖之助のダメージのほとんどが向かって左にいた幽香のパンチで、顔の左側が大きく腫れてしまっている。霖之助としてはこの幽香の変わり身を突っ込んだら二次災害に遭うと判断し、言いたい事をぐっと堪えた。懸命な判断である。
「ゆ、幽香さん・・・妹紅さんに教えるなら教えるでもっとやりようがなかったんですか?」
 霖之助は幽香が妹紅を攻撃したのは香霖堂に向かおうとしてすれ違いになりかけた妹紅にそれを気付かせるためだとすぐに理解出来た。
 しかし、妹紅は不意に狙撃された事で一気に戦闘モードになってしまったため、優先順位が変わって狙撃手の無力化を最優先し霖之助の存在を後回しにしてしまったのだ。
「気付かせるのは簡単よ。派手な攻撃すればいいだけ。でもそれやったら誰かさんの頭がなくなっちゃうでしょ?」
「そ、それは・・・。」
 竹林のある南側を向いている藤原邸の縁側からは、妹紅がこちらに接近してくる様子を幽香は見る事が出来た。妹紅がそのままこちらに真っ直ぐ来ると思ったのだが、突然進路を東に変えたので、幽香は合図を送って知らせようと思い、咄嗟に妹紅の進路方向に気付く程度に派手な攻撃をしようとしたのだ。しかし、目の前には霖之助がおり、しかも妹紅は急いでいたのかスピードを出していたので、もたもたしていると射角を失ってしまう為、素早くそして霖之助が怪我をしない方法を瞬時に計算し、その手段として最も適当と思われる針の穴を通す極細レーザーで妹紅を撃ち貫いたというわけである。
「まったく・・・死んだらどうすんのよ!」
 不死身の妹紅が言っても説得力がない台詞と幽香は勝ち誇った顔。面白くない妹紅は、わざと幽香から離れた位置に霖之助を呼び、顔面を殴った事を詫びつつ早朝訪ねてきた理由を聞く。
 ようやく場が落ちついたと見て霖之助は真顔になる。しかし、左の鼻の穴に紙を丸めて突っ込み、左の頬が腫れあがっている霖之助の真顔は失礼だが可笑しい。まともに顔を見て会話できそうにないので、妹紅は一つ何かを思いつく。
 妹紅は空呪符を二枚取って、それを張り合わせ両手で挟む。ハッと気合を入れ手を放すとそれぞれの手に呪符がくっついて剥がれる。
 右手に持った側の呪符はボっと音を立てて燃え出し、妹紅の右手ごとしばらく燃える。そして左手に持った方の呪符を霖之助に差し出す。
 その呪符は白く霜が貼り見るからに冷たそうに見える。
「それ頬っぺたに貼って。腫れが引くし、冷たくて気持ちいいわよ。」
 言われた通り冷たい呪符を頬にはる。痛みがすっと取れるように冷たくて気持ちがいい。霖之助が感心した表情で妹紅と妹紅の燃える右手を見る。
「この燃えている方に熱を移動させたのよ。片方が発火するほど熱を持つなら、片方は冷たくなる。道理でしょ?」
「はー・・・熱量移動ですかー。」
 熱を発する力は、同時に熱を奪う力にも使えるのだ。

 冷えた呪符はシップ薬のように張り付かないので左手で押さえつつ、右手で懐から紙の束を取り出す霖之助。これは昨日妹紅が香霖堂に置いていった永琳の設計図である。
「藤原さん、この設計図についてどのへんまで把握しています?」
「ん?まーだいたいというか大雑把に・・・。」
「これが何かは分かりましたか?」
「恐らく兵器。それもかなり大きい。」
「なるほど・・・そこまで解っているなら問題なさそうですね・・・。」
 兵器という事とその大きさを把握していて、尚余裕の表情を浮かべている様子から、気を遣って知らせに来た事が取り越し苦労になったと少し残念に思う霖之助。そこに除け者にされた幽香が割り込んでくる。
「どのくらい大きいの?それ・・・。」
 わざわざ妹紅の背中に覆い被さって、頭越しに設計図を見る幽香。妹紅は物凄く嫌そうな顔をするが、以前の様に戦闘体勢にはならない。
「直径約42kmの球体。防御要塞ですよ。」
 さらっと仕様を言う霖之助だが、それを聞いて幽香は目玉が飛び出そうな勢いで驚きの声を上げた。
「よ、よんじゅうにきろおお?」
「ええ。」
「冗談でしょ?」
「実際現物を見ていないので何とも言えませんが、少なくとも設計仕様にはそう書かれています。わざわざ我々の解る文字で書き直されているところをみると、間違いないと思います。」
 唖然とする幽香は、下でキョトンとして見上げている妹紅を見て怒りが込み上げて、我慢できず首に腕を回して絞める仕草をする。
「あんた解ってるの?」
「何が?」
「大きさよ!」
「まーなんとなくは・・・。」
「なんとなくって、42kmよ?」
 妹紅の表情を見ていた霖之助は何か物凄く嫌な予感がしたので、念のために妹紅に聞いてみる。
「あ、あの・・・藤原さん?42kmって意味わかります?」
「さー・・・。」
 幻想郷に入ってくる物には大きく分けて2つある。向こうの世界で忘れ去られて幻になったもの。そして幻想郷に迷い込んだ人間と一緒に流入するものである。前者は『幻想郷入り』、後者は単に『流入』などと呼び分けている。
 キロメートルやキログラムという単位は『幻想郷入り』したのではなく、人間と一緒に『流入』したものにあたる。当然だが、キロメートルなどという単位は幻想郷には普及していない。
「呆れた!」
 妹紅の返答を聞いて幽香は呆れ首を絞める仕草から実際に行動に移す。
「42kmは、ここで言うところの約10里ですよ。」
 向こうの世界の距離の単位を知らない妹紅に、こちらの世界で一般的に普及している単位に変換して教える霖之助。
「は?じゅうり?そんなバカな・・・。」
 首を絞められつつ本気の絞めではなかったので意にも返さない妹紅だったが、10里という言葉を聞いて驚いたが余りにも信じがたい大きさなので、担がれていると思って信じない。
「・・・。」
 絞める力を緩めた幽香と辛うじて破壊を免れた眼鏡を掛けなおす霖之助は真顔で妹紅を見つめる。
「・・・本当なの?」
 頷く2人。
「や、やられた!畜生!おかしいと思ってたんだ!永琳がこんなものよこすなんて何か裏があると思ってたのに・・・クソ!クソ!」
 突然怒り出す妹紅は永琳が縮尺の目盛りをわざわざ書き直して『km』としていたのを『間』と勘違いしてだいぶ小さく見積もっていたのである。小さくといってもそれは今聞いた10里という距離に比べてであって、40間という大きさは、その時の感覚ではだいぶ大きいと思えたのだ。
「ここから神社まで直線で2里ってところかしら?」
「正確に計った事はありませんが、里の火の見櫓から神社の鳥居が米粒のように見えますからそのくらいですかね。8kmよりありますね。でも10km弱でしょう。」
 1里は約4kmで、人が普通にあるいて1時間かかる距離である。神社まで直線距離で歩いて2時間だが、里の東門から真っ直ぐ進む最短ルートは見通しが良くとても危険なのでこの道は計算にはいれない。里から神社までの実用ルートは魔法の森を蛇行して行くので、踏破距離と時間はほぼ倍になる。
 里を中心にすると、博麗神社、紅魔館、太陽の畑がちょうど同じくらいの距離になる。魔法の森の東西の距離は約15kmだ。
 幻想郷の土地の7割近くが妖怪の山で占められているといってよいが、東側から山の向こうは見ることは出来ず、東側の住人にとって妖怪の山の西側は未知の領域である。
 42kmという距離は守矢神社と博麗神社の地図上の直線距離とほぼ同じである。頂上付近の守矢神社から東端の博麗神社を40kmとするなら、山の裏側にもこの位裾野が広がっていてもおかしくないし、普通はそう考えるだろう。
 境界線がはっきりしていないので何ともいえないが、幻想郷の東西は最長で100kmはあるのではないだろうか。要塞の直径でいえば距離的に幻想郷の半分弱、水平投影面積にすれば四分の一程だが、これが東側に落ちれば博麗神社から守矢神社までは壊滅的被害を受けるだろう。
「こんなものが落ちてきたら・・・。」
 妹紅は生唾を飲んだ。
「天狗の方は大丈夫なんでしょうか?」
 霖之助が被害は妖怪の山まで及ぶと予想して心配する。実際、鞍馬山と愛宕山は妖怪の山の東側にあり、守矢神社を挟んで南北に領土を構えている。要塞が落ちれば守矢神社を含めて二つの大天狗領も巻き添えを喰らうのは必至である。
「この異変では既に大天狗の一人がグルよ。」
 この異変の発端は大天狗・比良山次郎坊からの要請が一つの重要な要因になっている。
「なるほど・・・そういうことか。」
 霖之助が何かに納得した様に頷く。
「どういうこと?」
 幽香の大天狗がグルという言葉に霖之助が納得の声を上げたが何を納得したのか分からない妹紅はそれを問う。
「最近、目に見えて異変の匂いがするでしょう?」
「ええ、そうね。」
 その匂いの元の半分くらいは自分かもしれないので複雑な気分の妹紅。
「にも関わらずネタに飢えているあの鴉天狗が全く顔を見せない。」
 霖之助の言葉に幽香も合点がいくという表情をする。
「これだけネタがありそうな今の状況で全く顔を見せないということは・・・。」
「既に天狗側で情報統制が入っているってことね。」
「全部かどうかはわからないけれど、恐らく東側に顔を出す落ちこぼれのウザ鴉あたりは外出禁止にでもなってそうね。」
「たしか・・・射命丸なんとか。」
 名前は咄嗟に思い出せなかったが、射命丸という名は裏の世界ではそれなりに有名な名前である。射命丸家は鞍馬山僧正坊の配下の鴉天狗で、離れた場所にいる大天狗同士の情報交換に活躍し、幻想郷に大天狗が7名入ったのも射命丸一族が情報伝達と交換に尽力した事が大きい。大天狗が設営する里は独立した存在で、他の里と積極的な交流はない。元々修業の為の共同体としての里なのでむしろ修業の邪魔になるので明確に境界線を作って自由な行き来を出来ないようにしているのだ。
 しかし、射命丸家は大天狗同士の情報ネットワークを請負い他の里に顔が効き、鴉天狗でありながらかなり位の高い家柄になっているのだ。
 射命丸家の一門である射命丸文は、幻想郷東側によく顔を見せる鴉天狗だが、これは西の妖怪の山の社会からはみ出していることを意味する。博麗の里周辺と東側界隈では天狗といえば文を指しそれなりに凄い存在のように扱われているが、天狗の社会体制を知っているものなら彼女が落ちこぼれだということはすぐにわかることだった。そもそも鴉天狗自体が厳しい修行から脱落した者の事を言うので、文は二重の意味で落ちこぼれなのである。
 幽香は文に対してかなりネガティブな印象を持っているらしい。実は妹紅もあの鴉女天狗は大嫌いで何度か殺そうとして思いとどまっている。
 そんな文ではあるが雑貨・小道具・消耗品等を香霖堂で仕入れる事が多く、霖之助にとっては数少ないお得意様の一人だったりもする。
「しかし、天狗まで巻き込んで凄まじい異変になりそうですね。」
 霖之助は半分驚き、もう半分は好奇心で言う。
「・・・最初はそうでもないと思ったんだけど・・・。」
「永遠亭が絡んで、とんでもない事になりそうね・・・。」
「この要塞について何か詳細はわかるの?」
 これを巻き込んで自爆する妹紅としては、出来るだけ詳細を知りたい。
「分かりました。この設計仕様書から分かった事はすべてお話します。」
「お願い。」

 直径約42kmの球体で、完全に防衛に特化された要塞である。
 中心部に核となる球体の中枢制御システムが存在し、それを中心に半径約20km外側に直径200m以上の六角形の炭素タングステンの超高密度鱗状外壁装甲で覆われ、更にそれらが20層に亘って重なり分厚い多重装甲層を形成している。
 中枢制御部と外壁装甲までの広大な空間には、衝撃吸収及び鱗状外壁装甲再生資源の貯蔵を兼ねた流体金属で埋まっており、重力・移動・ダメージ再生制御をする中枢制御部は、流体金属層の中に浮かんでいるイメージである。
 外壁装甲は鏡面処理された硬化メッキで覆われ、光線兵器に対して完璧な防御性能を誇り、質量兵器に対しての外壁装甲の損傷は、損耗した外壁装甲をパージして内部で新しい装甲を生成して外側に押し上げ常に装甲面を維持させる方式で対応する。
 流体層の中に分子変換されたリソースを大量に備蓄しているため、恐るべき再生力で常に外壁は最高の状態に維持される。その一方で、破壊されパージした装甲の残骸は要塞周囲を覆い、その廃棄物がデコイの役目を果たす。

 八意永琳がこの要塞を造ろうとしたきっかけは、自らが発明し納品した月の兎が兵器に転用され実際に戦争が始まってしまった事に起因する。
 蓬莱山輝夜の誕生で、月で生まれた新人類に傾倒する月の民は、同時に管理者の制御から脱却し始める。この時月の民の勢力バランスを元に戻す為に、数の少ない管理者勢力に彼らの支持母体となる別の民族を持たせる事を立案した永琳は、それに兎を利用するアイデアを出し、兎を人型に進化させる計画をはじめる。
 穢れ事に相当する動物の遺伝子操作の実験を行う抜け道として、ほ乳類である兎を鳥類に分類異動させる政治工作を行いこれを無事成功させる。
 その後輝夜の時間を操る能力を利用して進化実検を繰り返して兎の人型化に成功。従順な性格、様々なストレスに対する高耐性を実現させ月の人型兎が実用化される。
 この高性能人型兎は分類上鳥類のまま管理者に権利を移譲してしまったため、殺し、さらに食べても穢れ事、罪にならないという極めて異常な事態を招き、人類と同格の種族を創り出そうとした永琳の思惑とは裏腹に、政争に利用され軍隊として兎が増産される。
 合法的に殺しあいが出来ることで平和だった月の世界に穢れのない抗争が生まれ、これまで必要とされなかった兵器が開発されるようになり、月に戦争ブームが訪れる。
 八意永琳は兎の利用権の返還、もしくは兎のほ乳類復帰を求めたが容れられず、この暴力的な力が地上に及ばないよう、月と地上を結ぶ通路に防御要塞を構築する計画を立案実施する。
 兵器開発に関してほとんど関心がなくそれらの技術がほとんど開拓されていなかった月では、月の高い技術力がオーバーテクノロジーとなって実際に兵器を利用する兎の身体能力とのバランスが取れなかった。その為、兵器に関しては原始的な下位技術の流用でまかなっていたのである。
 永琳が真剣に兵器開発に打ち込めば恐ろしい兵器技術の数々が誕生しただろうが、永琳は月の創主の注文で特殊なクローン技術の研究開発に移行したので月の兵器技術は急激に発展することはなかった。

 月の技術を以ってすれば未知の素材を利用した装甲を作ることも可能だろう。しかし、矛盾という言葉がある通り、装甲と武器の技術的進歩は常にいたちごっこである。
 炭素タングステンという陳腐な素材が利用された理由は、月の技術が完全に兵器転用されていない時代であることと、製造コストの問題である。この要塞はコストが安く場合によっては量産も可能なのである。
 月の管理者の暴走に対するカウンターとして発動した防御要塞プロジェクトなので、急場凌ぎの感が強く、実際永琳はこれを失敗作と位置付け、無かったことにしたい汚点の一つとしている。
 当時の状況から地上の脅威は月しかない。しかし、その後に幻想郷という特異な脅威が生まれた事で、地上に対する脅威は一つだけではなくなった。その新たに発生した脅威である幻想郷から発生する大きなエネルギーが地上に及ぼす危険性が出た時、永琳の放棄していた防御要塞プロジェクトが再び発動するというわけであり、今正にそうなろうとしているのだ。

 霖之助の防御要塞に関する詳細をじっと聞いていた妹紅と幽香。
「・・・ふむ。この要塞には重大な弱点があるわね。」
 風見幽香が霖之助の説明から要塞の弱点を見つけた。
「防御しか出来ないから無視すればいいってこと。」
「それもあるけど、もっと性能的な問題。」
「ほほー、例えばどんな?」
 幽香の分析に興味をしめした霖之助。
「構造上ダメージは中心の核に集まりやすいわ。外側が硬すぎて内部に貫通したダメージが自らの固い装甲に跳ね返されて外に逃げられず内部にこもる。つまり断続的な攻撃を加えていけば中心の核が圧壊するわ。」
 妹紅は真面目な幽香の分析に意外そうな顔を向ける。
「なるほど、でも、この要塞にはそれを防止する機能がついているんです。」
「そういうのは先に言いなさいよ!」
 せっかく弱点を見つけた幽香だがすぐに霖之助に否定されてふてくされる。
「それってどんな機能?」
 幽香は霖之助の話についていけているようなのだが、妹紅としては話が難しすぎてさっぱりわからない。解るのはとてつもなく大きく硬く、そして回復力旺盛なバケモノという事だけである。
「簡単です。腹に溜まったガスが外に出るのと同じで、内部に蓄積した圧力は要塞自らが出すんです。」
「下品な例えね。」
「でも、適切な例えでしょう?」
「具体的にはどうなるの?」
「一部の装甲をパージして装甲に穴を開けて内部の圧力を外に逃がすんです。」
「パージ?」
「強制的に外すことよ。」
「なるほど・・・仮にその装甲が一時的になくなっても、どうせ後から生成して元通りに出来るってことか・・・でも、その時は攻撃のチャンスになるわね。」
「ええ、おっしゃるとおり、装甲を外して内部をさらすのはかなりのリスクになるでしょうね。でも、この要塞の用途といえばいいんでしょうか?攻撃を受ける方向が常に一方からという想定で作られているようなのです。」
「狭い通路とかか・・・。」
 狭いといっても直系42kmである。これは通路の大きさに合わせてそのサイズにしたということだろうか。背後に回れない場所ならその方向にガス抜きをすればいい。実際攻撃方向と逆方向にパージをするように出来ているらしい。
 妹紅は永琳が何故これを作ったのか考える。
 幽香は、たった今霖之助と会話していたにもかかわらず、思考に没頭して動かなくなった妹紅を見てお手上げの仕草で苦笑する。
「おや?」
 霖之助は不思議そうに妹紅と幽香を交互に見る。
「こうなったらテコでも動かないわ。」

 八雲紫の妹八雲藍の作った幻想郷の中の幻想郷。子供の落書きのような白と黒だけの世界。妹紅はそこで月の歴史の一端を知った。
 月の創主という存在は月の現状をこれ以上悪くしない為、秩序・規則・法則を作り出せる自分の力を封印しようとした。
 しかし、地上に神々の楽園が生まれたのを見て意外性という不確かな要素に興味を持ち、自らを封印するのではなく別の存在に変えて力を維持することを思いつき、月の世界を秩序と統制そして永遠に変わらない完璧な世界とし、地上を混沌と可能性に満ちた不完全と意外性の世界とする事に決めた。そして、月と地上に自らの能力を分けたそれぞれの世界を象徴する存在を与えた。それが後の混沌と変化、意外性の象徴八雲紫と秩序と維持、永遠の象徴八雲藍である。
 八意永琳は創主から一つの存在を2つにわけて能力をバラバラできる技術開発を発注し、当時独自に進めていた作業を中止した。それが月から地上への干渉を抑制する防御要塞建造である。
 これが行われのは、恐らく紀元前のはるか昔の事だろう。
 そして月面戦争から千年経った今、地上から独立した幻想郷は、地上に対する脅威の一つになった。ここで妹紅の自爆の力がスキマを通して地上に影響を与えるとするなら、それは地上に対する攻撃とみなされ永琳の防衛要塞を発動させる事になるだろう。
 事が起こってしまってから防衛活動をしても手遅れだ。その危機を何時何処でどのタイミングで計っているか確かな事は解らない。
 八雲紫はそれを運命によるもと言い、そのような非科学的なものは存在しないとする八意永琳は輝夜の見た未来を既成事実として解釈する。しかし、その永琳もいまいち持論を信じる事が出来ない。永琳はもう月の民ではなく、その防御要塞について今現在まったく把握できていないからである。

 兎に角このような巨大な物体が幻想郷に現れれば、否応なく住人は異変を共通の脅威として認識するだろう。少なくとも妖怪の山は変化を望んでいるようだ。そして、慧音も何かを企んでいる。紫は言うに及ばず異変の共犯となった永琳も何かを画策する可能性は高い。産業革命などと言い出す最近外から来た神様もこれを知れば新たなエネルギーを求めて何か企む恐れもある。
 企んでいる事については自分もそうなので他人の事をとやかく言う立場にはないが、特に親友である慧音の事が気になるところである。
 これまで魔理沙を中心に事を進め、その副産物のように吸血鬼の問題が浮上して慧音の事まで考える余裕がなかった。一段落ついた今ようやく親友の事に気を回せる余裕が出来た。
 しかし、そうは言っても魔理沙の事はあくまで下地を作っただけで、具体的な異変の段取りが見えた後、そこから魔理沙をどう組み込むかを考えなければならない。魔理沙が終わったから次は慧音という話ではない。慧音に関して首を突っ込むか無視するか、決めるなら今か?

 永遠亭はこちらの思惑通り動き、今は紫と接触しているはず。後で情報を聞き出すのは、紫よりも八意永琳の方がよいのだろうか?てゐが言うように彼女はあの敗戦で何か変わったようだ。
 この段階では紫と永琳は交渉中で、それが上手くいったかは分からない。ただ、白玉楼の門番を殺していなのなら大丈夫だろうとは思う。
「(妖夢・・・あいつ、ホントに大丈夫だろうか・・・。)」
 分け入っても分け入っても青い山。一つ山を越えればまた別の山がその前に立ちはだかる。妖夢の件も無視できない。個人としてだけではなく、一族としての責任を彼女に対して負わなければならない。
 どのタイミングで異変が始まるのか現時点では全く分からない。明日からは紫や永琳との接触を警戒せねばならないだろう。
「(今、あの二人が合っている状態なら、今は自由に動けるな・・・幽香が怪我人のフリをしていないのもそれを知って羽根を伸ばしているからか・・・。紫の監視下で私が慧音に関心を示している事を知られると紫の目が慧音に行って彼女の計画が阻止される可能性がある。慧音に関して動くなら今夜か・・・。)」
 妖夢のケアもそうだが、魔理沙の事や慧音の事、咲夜の件についてもやりたい事がまだまだたくさんある。時間が欲しい。

「ん?」
 その時誰かの笑い声を聞いたような気がしてハッとなって顔を上げる。
「やった!10分経った。私の勝ちね。」
「ははは・・・。」
「何が?」
「ん?何でもないわ。こっちのことよ、ふふ・・・。」
 妹紅は霖之助と幽香の会話の意味が咄嗟に理解出来なかった。そして2人はコソコソと話をしている。どうも酒をおごるとかおごらないの話をしているようだ。
 なるほど、考え込むと完全に思考に没頭する癖を利用してどのくらい動かないかの賭けをしていたのだ。自分をネタに賭けをされるのは腹が立つが、実際見ていて賭のネタに出来るほど変なのだろう。文句は言えない。
「は~。」
 妹紅は遊ばれた自分に幻滅してあぐらをかいた状態で溜め息をついてがっくりと肩を落とす。
「いやーそれにしてもすごい集中力ですねー。」
 妹紅のため息が自嘲気味に聞こえたので自分なりにフォローしてみるが、ギロリと睨まれ冷や汗をかく霖之助。妹紅としては恨めしく睨んだ訳ではなく落ち込んで表情が曇ったところに声を掛けられたので物凄く不機嫌そうに霖之助を見てしまったのである。妹紅は少し霖之助の顔を見て、慧音と霖之助は知り合いだった事を思い出す。
「・・・そういえば、霖之助さん。」
 妹紅は慧音に関して霖之助から情報を聞けるのではないかと思いつく。
「は、はい何でしょう?」
 妹紅の吊り上がった眉毛が下がったのでほっとする霖之助。
「ここに来る時は里を通って来たのよね?」
「ええ。」
「慧音を見かけた?」
 慧音の事を尋ねる妹紅を見て幽香は目を細める。妹紅と慧音は親友の間柄であることは幽香も知っているが、最近どうもこの2人はおかしいと感じている。尋ね方もどことなく余所余所しく、親友同士なら目と鼻の先の里に直接会いに行けばいいことである。
 幽香は慧音と妹紅が離別して、独自に行動している事は現時点では知らない。
「そういえば里の方で、酒蔵の監査をやってましたね。」
「監査?」
 幽香と妹紅が同時に尋ね返す。監査という言葉を知らないわけではない。この時期に何故そのような重要な調査をするのかという事である。
「それは慧音が?」
「ええ、里で何かある時は常に先生が指導してやってますし、今回もそうです・・・何か気になる事でも?」
 霖之助も今更の監査に疑問があるが、慧音が異変に関与している事は知らないので、慧音が監査に加わっている事に対しては当たり前という認識である。
「慧音もこの異変の事を知っているし、私とは別に独自の目的を持って行動しているわ。」
「ほほー。」
「やっぱりね。」
 霖之助に答えた言葉に幽香も納得の声を上げる。二人の間に溝の様なものを感じた理由は、異変に対してこの二人が別行動を取っているからだと幽香は納得する。
「という事は・・・。」
「この監査、偶然ってわけじゃないわね。」
 霖之助の言いかけた台詞の代わりに答える幽香。
「監査って具体的に何をするの?」
「ぶっちゃけると密造酒がないかを調べるんです。」
「密造酒?」
「生産する酒の量は組合で決めていて、どの酒蔵もだいたい生産量に余力を残しているんですよ。」
「なるほど、空いてる樽で密造酒を作ると・・・。」
「新しい銘柄の研究とかいってごまかせますし、監査などしても誰も幸せにはならないんですけどね。」
「昔そんなこと言ってた記憶はあるけど・・・何でいまさら・・・いや、今だから・・・か。」
 霊夢と魔理沙が生まれた当時は子供がまったく産まれなくなり老人がとても長生きしていた時期で、霊夢らの誕生以後は子供が産まれ出して老人がばたばたと死ぬようになった。この時長生きした老人の息子らもすでに高齢化しており、この時期二代まとめて死ぬ家もあって里の蔵持はだいぶ様変わりした。幽香はこの時期魔理沙や霊夢の面倒を見に頻繁に里に出入りしていたので、この時新しく蔵の主となった若い衆が自分達の時代だと情熱を燃やして父や祖父の代の不正を暴いて手柄にしようとやっきになる輩が少なくなかったのを覚えている。酒蔵の監査もその一環として騒がれ、当時は『酒騒動』などと呼ばれていた。
「余剰分は酒造組合ではなく商工会で管理して後で祭りでもして振る舞って済ませるような雰囲気でした。」
「酒をどこかに移すってこと?」
 事を穏便に済ませるつもりなら商工会が管理する必要はあるのだろうか?
「そうみたいです。桶屋やら大工やらが忙しく働いてましたよ。」
 それを聞いて同時に耳を澄ませる妹紅と幽香。確かに遠くから槌の音が聞こえてくる。藤原邸の縁側は南に向いているので北にある里から聞こえる音はあまりよく聞こえないのだ。
 いつの間にか三角になって顔を寄せ合って座る3人。
「妹紅、あなた慧音と喧嘩でもしてる?」
「・・・。」
 口では答えず目だけで応える妹紅。
「じゃー慧音が何を考えているかわからないってことね。」
「・・・私が調べてみましょうか?」
 霖之助が名乗りを上げる。平穏無事な日々も好きだが、こういう企みの中に身を置くのも悪くないと思う霖之助。
「霖之助さんは、ここに来る途中慧音と会って話した?」
「ええ、少し。」
「私の家に行くって言った?」
「あ、言いました。そうか、ここで私が動いたら色々と怪しまれますね・・・。」
「私が言っても駄目だろうし・・・。というか、こっちにも首を突っ込む気?」
 こっちという事に対するあっちは、魅魔の件、特に吸血鬼に対してである。魔理沙も吸血鬼も慧音にも首を突っ込んで身動きができなくなるぞと言う警告である。
「・・・突っ込むかどうか、調べてから考える。」
「大丈夫ですか?」
「まー妹紅なら潜入調査とかお手の物でしょう?」
 霖之助も幽香も慧音が何を考えているのか知りたい。
「酒を集めて、異変の後にみんなで慰労会とか・・・なーんて事はないですよね。あはは。」
 冷ややかな視線を浴びながらおどけて見せる霖之助だった。
 誰もが取るに足らない、眼中に無かった小さな勢力が水面下で蠢き始めている。
東方不死死 第41章 「妖夢の決意」


 目を覚ました妖夢は最初に視界に入った見慣れた天井の染みの形を見てここが自室である事を知る。
 まだ意識が朦朧としていた妖夢だが、人の気配がして横を向くとそばに閻魔の四季映姫が居る事に気付いた。
 閻魔様がいるという事はこれから罪を裁かれて地獄に落とされるという事だろうか。
 あれは今日の事なのだろうか?藤原妹紅、八意永琳と相対した時の出来事が映像となって瞼の内側で何度も再生される。
「何故・・・あんなことを・・・。」
 寝間着に着替え布団に寝かされている妖夢は、天井を向いてポツリと呟くと溢れる涙を隠す様に布団を被って顔を隠す。
 藤原妹紅を追い払うまでは良かった。しかし、思いもしなかった八意永琳の来訪に狼狽え、妹紅を追い払った手前もあり引くに引けなくなってしまい、あろうことか剣を抜いて斬りかかってしまった。永琳を斬った大量の返り血を浴びたところまで覚えているがその後の記憶は飛んでいた。
 何故自分は生きているのだろうか。もしかしたら既に死んでいて幽霊となって閻魔の前にいるのではないのか?しかし、そう疑問は浮かんでもそれを確かめる気は起きない。
 この時の妖夢は、紫達の策や妹紅の助命のおかげで永琳に殺されずに済んだ事を知らなかった。

 しばらくそうしていると部屋に近付く複数の気配を感じ、その中に幽々子がいることを感じとった妖夢は、どんな顔をすれば良いのか分からず身を強張らせ布団の中に閉じこもる。
 和室である妖夢の部屋と外の廊下を仕切る一枚の引き戸の襖が開き、西行寺幽々子、小野塚小町、八雲紫、そして八雲藍が順に入室してくる。
 六畳間の妖夢の部屋に置かれている家具は衣装箪笥と勉強する座卓と小さな書棚くらいしかないが、それでも布団と大人5名が座ると部屋が狭く感じてしまう。特に専有面積が広い藍は最後に入室して尻尾を廊下に出して座らなければならなかった。
「妖夢、布団から出てこちらを向きなさい。」
 妖夢を呼ぶ幽々子の声は明らかに怒気を含んでいる。こんな恐ろしい声を聞いたのは初めてかもしれない。このまま布団の中に隠れていたいと思う妖夢だが、その凄まじい幽々子の気迫に観念しすごすごと布団から出て幽々子の前に正座をする。
 皆の顔を直視出来ず下を向いていた妖夢は幽々子に命じられて顔を上げさせられると同時に物凄い音と共に布団に倒れ伏せる。
 何が起こったのか一瞬分からなかった妖夢は、咄嗟に幽々子を見て状況を把握する。幽々子に思い切り頬を叩かれたのだ。
 平手ではあったが叩くというより殴りに近く妖夢は布団からはみ出るほど横に飛ばされていた。口の中が切れたのか鉄の味がする。
 この様子を見ていた一堂は、倒れた妖夢を助け起こそうとする事も、幽々子の行動を責める事もせず、ただ黙ってその状況を見つめていた。しかし、皆顔には出さないがその突然の幽々子の行動に一堂驚いていた。
 妖夢は初めて叩かれた。祖父である魂魄妖忌には鞘で何度も頭を叩かれた記憶はあるが、頬を叩かれた事はなかった。
「前に来なさい。」
 横に飛ばされ、そのままの姿勢のまま呆然としている妖夢の姿勢を正させる恐ろしい形相の幽々子。
「約束しましたね?口上を聞くと。でもあなたは問答無用で剣を抜き追い払った。」
「・・・はい。」
 幽々子の前で小さくなっている妖夢。しかし、その口から謝罪はない。妖夢からその謝罪の言葉を待っていたのか少し間を空けていた幽々子は諦めて次の言葉に移る。
「不死人とは相容れない、私に危険因子を近づけまいとするその心がけは立派です。それが門番としてのあなたの役割、存在理由とするなら藤原妹紅を追い払った件は目を瞑りましょう。」
 妹紅の件を目を瞑ると聞いた瞬間、少し気が楽になって顔を上げる妖夢。しかし顔を上げて幽々子の目を見た時、その表情が更に恐ろしい形相になっている事に気付きすぐに目を背ける。
「しかし、あなたは妹紅と同じ不死人である八意永琳に同じ事、それ以上の事をしてそして敗れた。それはつまり不死人を私に近づけまいとする門番としてあなたにその能力が無いことを示し、存在意義が失われた事を意味します。わかりますか妖夢?あなたは頑なに自らの信念にこだわったことで、自らの無能、無力を晒して不要に成り下がってしまったのです。」
「あ・・・。」
 妖夢は背けた顔をまた幽々子に向ける。そこに先程までの恐ろしい形相の幽々子はなく、その悲しそうな顔を見たとき自分の非の認め土下座し泣き出す。
「申し訳ありません、幽々子様!」
 大声で泣き叫ぶ、この期に及んでようやく謝罪する妖夢の背中に更に厳しい言葉を投げ続ける幽々子。
「剣を置きなさい妖夢。」
 その言葉にぴくっと反応して泣くのを止める妖夢。
「え?」
「あなたの門番としての仕事は本日を以て終了、その任を解きます。」
「ま、待ってください、幽々子様!」
「あなたは蓬莱人を客ではなく敵と決めて交戦し敗れ、その敵の侵入を許してしまいました。敵を決めるのは私の役目、しかし分相応にあなたは我を押し通してしくじり、無駄に敵を作って主人である私を危険に曝しました。この期に及んで責任の所在を示さず反省せず保身の為に言い訳をするつもりですか?」
「で、でも!」
 大人ぶって大言壮語を吐いたもののしくじれば子供の様に駄々を捏ねる妖夢。
「見苦しいです妖夢。来客に問答無用で斬りつける殺人鬼は白玉楼に必要ありません。」
「そ、そんな・・・。」
 妖夢を軽蔑し、殺人鬼呼ばわりするあまりにも冷たい幽々子の言葉に一堂は声を失う。
「(厳しい・・・。)」
 四季映姫も思わず妖夢に同情する。しかし、実際問題として八意永琳に対する妖夢の対応は擁護出来ない殺人行為である。白黒つける迄もない明らかな犯罪行為だ。
 突き放された妖夢はもはや弁明も許されず打ちひしがれるしかなかった。
「妖夢、剣を置かず剣士としての名誉を真っ当したければこの場で腹を切りなさい。」
 最後の言葉に顔面蒼白になる妖夢。
「幽々子!」
 妖夢へのあまりに無慈悲な幽々子の言葉に紫は堪えきれず声を荒げて割ってはいる。紫としても妖夢の性格を利用した手前もあり、彼女への苦言は紫としても心が痛いところでなんとか擁護してやりたい。ただ、やはりその後の八意永琳の対処はどうやっても弁護出来ない。むしろ妹紅と口裏を合わせていたお陰で妹紅が機転を効かせて妖夢を救ってくれているのだ。
「幽々子どうしたの?あなたらしくない・・・。」
「紫・・・。」
 紫に振り向いた幽々子の顔は涙に濡れていた。言葉を失う紫。幽々子も身を切る思いで妖夢を責めているのだ。
「紫、こうでもしないと・・・あの二人に申し訳がたたないわ・・・。」
 そのまますぐ後ろにいた紫に体を預けて膝の上で少女の様に声を出して泣く幽々子。普段飄々として何でもお見通しのように振る舞う幽々子が女々しく泣いている。妖夢も、当然ここにいる皆もこんなか弱い幽々子の姿を見るのは初めてだった。
 妖夢の部屋に来る前に紫と幽々子は小町から事情を聞いていたので、特に幽々子は妹紅への感謝と謝罪の気持ちが強くなっていた。それが今の行動と言動に出たのである。しかし、その一方で事情を知らない妖夢としては幽々子の言動に納得が出来ず、紫が止めに入った事で幽々子が行き過ぎた行動を取っていると受け取り半分幽々子に責任を転嫁し被害者面になる。
 最後まできっちりと沙汰を下せず紫の膝に泣き崩れてしまった幽々子。もはや場がぐだぐだになりつつあった。
 ここで意外な人物が動く。
 紫より前に入室して映姫よりも奥に座って成り行きを見守っていた小町は、未だ真実を知らず半分被害者面をしている妖夢を見て憤りを覚え意を決して顔を上げた。
「妖夢・・・お前、何で生きているのかちゃんとわかっているのか?」
 妖夢と小町の対角線上にいた四季映姫はすっと身を引いて妖夢に小町の姿を見せる。
「・・・殺す価値もないから?」
 自嘲気味に答える妖夢は、幽々子に酷い扱いを受けて自暴自棄になっているようである。
「それは違う!逆なんだよ妖夢!」
「逆?」
「八意永琳はお前を殺すつもりはなかったけど、お前が先に奴を殺しちまったから報復しただけなんだ。その後、あいつは妖夢を助ける為に私の力を借りようともした。私は何で殺されても当然の事をした妖夢を助けたのか聞いた。妖夢、その時あいつは何て言ったと思う?」
「・・・。」
 答えが思いつかず押し黙る妖夢。
「あいつは言ったんだ。下で妹紅とすれ違う時、藤原妹紅から無礼な振る舞いをする門番を殺さないでやってくれと、何の縁もないしかも直前に無礼を働いたお前の為に何度も命乞いをしたんだ。だから永琳は妹紅に義理立てしてお前を生かしたんだよ!」
「・・・え?」
「お前は藤原妹紅に生かされているんだ。主人に叱られた事よりも、もっと深刻に考えなくちゃならないことがあるだろう?」
 妖夢はショックを受けた。重くて硬い鈍器で思い切り脳天を叩かれ、さらに落雷に打たれた・・・そんな凄まじい衝撃だった。
「う、うそよ・・・な、何で・・・何で・・・。」
 妖夢は信じられず何度もその理由を自分の中に探し求めた。自分が妹紅の立場なら絶対に助けない。むしろ仕返しの為に永琳に殺してくれと頼むだろう。しかし、妹紅は無礼を働いた自分を助けようとした。何故?どんなに探しても見つからない答えに妖夢は次第に苛立ち怒りすら覚え始める。
「何で?・・・なんで・・・こんな酷い事した私を助けるのよ・・・ありえない!何でよ!」
 妖夢はこれまでの幽々子の苦言は大袈裟すぎる無体なもので自分は不当な扱いを受けていると、心のどこかでそんな言い訳をしていた。
 しかし、小町の話を聞き真実に触れた時、幽々子の涙の真意を理解した。そして間違い、罪に気付いて巨大な後悔の念が妖夢の心に津波となって押し寄せた。
 つまらない意地をはり、相手を悪と決めつけ自己正当化し、自分の罪を相手に責任転嫁する。藤原妹紅という器の大きさを理解すればする程に自分の卑小さを思い知る。
 腹を切れと言われ驚いた妖夢だが、今は何度も何度も自分の身を切り裂きたい思いである。生きているのが恥ずかしいとすら思う。
 今の自分の姿、そして過去の愚かな自分を比較する。どれほど無礼で無様な振る舞いをしてきたのか思い知ると同時に、もう一度人生をやり直したい心境になる。
「私は・・・取り返しのつかないことをしてしまった・・・。」
 後悔の念を振り絞って声にする妖夢。
 自分だけの事ではない自分の不始末は主人の不始末にもなる。今日の事が世間に知れ渡れば白玉楼と西行寺幽々子の名前は地に落ちたも同然である。自害などでは到底済まない大罪を犯してしまったのだ。
 妖夢は頭を抱えると絶叫し布団の上に頭を打ち付けてそのまま意味不明の言葉を呟き始める。
 何かに気付いて頭を上げた妖夢の目は瞳孔が開き気味で、何かを探すようにキョロキョロし始める。
 錯乱状態で狂人の如き振る舞いをする妖夢だが、自分の剣を見つけるとそれを取って抜こうとする。これは自戒の念に捕らわれた妖夢が自ら命を絶って詫びようとする行動だった。
 その妖夢の手を止めたのは四季映姫だった。
「離してください!私はもう、生きる資格がないのです!」
 四季映姫はそんな妖夢の頬を往復で2回叩く。それは幽々子が先程やったものとは違う、痛みを与える罰的なものではなく、気付かせる為のものだった。
「罪は償えます。名誉も挽回出来ます。貴女がまずしなければならないのは礼を失した者達への謝罪です。違いますか?」
 暴れていた妖夢は諭されて大人しくなる。そうだ、死ぬにしても先ずは詫びなければならない。
 冷静さを取り戻す妖夢だったが、同時に今日一日の疲れがどっと出て身体が鉛の様に重くなる。大きな荷物を背負ってその重量に堪えられなくなる様に思わず四つんばいになった妖夢は次に目の前がぐらぐらと揺れて体を支えきれなくなりそのまま布団の上に昏倒した。
 長い年月をかけて少しずつ学んでいく事をこの短時間で一気に経験したようなものである。身体も脳もその圧倒的な情報を処理する事は不可能だったのだ。


 妖夢が再び目を覚ました時は、部屋は薄暗く白玉楼は既に夜になっていた。
 冥界の夜は真っ暗な闇夜にはならないので、灯りがなくても周囲の人の顔が判別できる位には明るい。
 薄暗い部屋の天井をじっと見つめる妖夢。様々な思いが頭を過ぎって行く。未熟としかいえない自分自身が嫌になると同時にどうすれば未熟から抜け出せるのかと自問してみる。いくら考えても結論は出なかったが一つ言える事は今のままでは何も変わらないという事だけである。
「(出よう・・・もう私は幽々子様に必要とされてない・・・。でも、いつか必要とされるようになりたい。その為に今は白玉楼を出よう・・・どこかで修業しよう・・・。)」
 妖夢は決意した。
「よーむぅ・・・。」
 その時、妖夢は不意に声をかけられ、その声の主を探す。
 声の主の西行寺幽々子は妖夢の布団の横でまるで添い寝するように横たわって寝ていた。声は寝言の様である。
「幽々子さま・・・。」
 妖夢は起きあがって寝間着から普段着に着替えると壁にかけてある2本の剣を布団の上に置く。剣を置けと言われた以上、これは持っていけないと思う妖夢だが、敢えてこの様な事をしたのは自らの決意を幽々子に書置きしない代わりとしてである。
「(さようなら・・・幽々子様。今まで本当にありがとうございました。)」
 足音を立てず、そっと部屋の襖を開けて廊下に出た妖夢は、横たわる幽々子を案じて一度部屋に戻って自分の毛布を掛けてやる。

 再び部屋を出た妖夢は寝ている幽々子に一礼してそのまま外に飛び出し階段を駆け下りた。
 飛んで行ってもいいのだが今は思い切り自分の足で走りたい気分だった。足を少しでも踏み外せばそのまま下まで転げ落ちるような勢いで全速で駆け下りる妖夢。
 このまま転ばずに下まで駆け下りれたらきっとまた幽々子に必要とされる。そんな理屈の通らない無謀な賭けを自らに課す。今は何故か無性に自分を苛めたいのだ。
 しかし、このような無謀な賭けが上手くいくはずもなく、スピードの限界に達して足の回転が追いつかなくなった妖夢は前のめりに倒れ宙に舞う。
「(やっぱりダメか・・・。)」
 そう諦めた瞬間、妖夢の動きが止まる。
「何やってんだ妖夢?」
「・・・こ、小町さん!」
 足を滑らせ宙を舞った妖夢の襟首を掴んで止めたのは死神小野塚小町で、妖夢が家を飛び出すことを想定して待ち伏せをしていたのである。
「元気そうだね。それだけ走れればもう大丈夫だろう。」
 ニヤリと笑った小町は妖夢を小脇に抱えて階段の下に着地する。
「あ、ありがとうございます。」
「なーに、いいってことさ。」
「あ、あの・・・その・・・。」
 何か言いたそうな妖夢をシゲシゲと見る小町。
「ふーん、それにしても妖夢に家出する度胸があるとは思わなかったねー。」
 トレードマークの大鎌を横に両肩で担いで面白そうに笑う小町。
「このことは幽々子様には言わないでください。お願いします!」
 図星を当てられた妖夢は小町に懇願する。
「バカだなーお前、あの幽々子が気付かないわけないだろ。」
 小町は四季映姫以外、当人の居ない所でまで様付けで呼んだりはしない。
「でも、ぐっすり寝てましたよ・・・。」
「そういうのを狸寝入りって言うんだよ。」
 キツネの八雲藍に対して、幽々子はタヌキに例えられる。それに掛けた小町は上手い事を言ったと自画自賛気味にわははと笑ってみせる。
 全てお見通しであることを思い知らされる妖夢は、陽気な小町とは対照的にがっくりと肩を落とす。
 小町はそんな妖夢に馴れ馴れしく肩に腕を回し、悪い遊びにでも誘う年上の友達の様な態度で耳打ちする。
「どうせ行くとこないんだろ?あたいの家に来なよ!何もないけど野宿よりましだろ?」
 白玉楼に戻れとは言わない小町。飛び出してはみたものの具体的に何処に行くかまだ決めていなかったので、妖夢にとってこの申し出はとても有り難いものだった。
「こ、小町さん・・・。」
 妖夢は小町の優しさに思わず涙ぐむ。自業自得とはいえ今日はずっと辛い目ばかりで、周囲に味方の居ない四面楚歌の状況だった。それだけに小町の思いやりが涙がでるほど嬉しかった。

 白玉楼の妖夢の部屋で一人佇む幽々子。
 布団の上に置かれた2本の剣の意味を理解し、妖夢の決意を知る。
「妖夢・・・。」
 意図して妖夢を遠ざけようとしたのは彼女に自立させようとする意図もあるが、何よりも自分が妖夢から自立しなければならないという想いからである。
 この妖夢の決意は喜ばしい反面とても心配で、これが今生の別れにならない事を祈るしかない。
 白玉楼が昔のままの外部と交流の少ない場所なら今のままで良かった。しかし、外の世界と繋がりそれを受け入れた以上、妖夢の変化はやむを得ない事なのである。
 妖夢の2本の剣を胸に抱きすすり泣く幽々子だった。


 三途の川は此岸と彼岸の間を流れている川である。
 死んで肉体を失った人間は、魂と精神だけの霊体となり現世と来世の狭間にある、最長で7日間留まる事が出来る『選択の間』で肉体への執着を断ち切って死後の世界、冥界へと向かう。
 突然の事故や病気などで死んだ事を受け入れられない者が、肉体への執着心を消せずこの場に留まり7日間が過ぎると不浄霊として此岸に戻り留まる事になる。
 寿命など必然的な死を迎えた者、或いは夢半ばで死を迎えたものの未練を断ち切れた者などの中には、生前縁のある者が心配で逝くことが出来ず守護霊としての第二の人生を選ぶ者も存在しており、この場合一度三途の川まで行った後、対岸のご先祖様に挨拶をして引き返し『選択の間』で7日待てばよい。
 肉体の執着から解放された霊体は此岸から彼岸へと歩き出しやがてその境界を流れる大きな川に出る。これが三途の川である。
 川を渡る為には舟に乗らなければならないのだが、この舟は有料で支払は舟上でする。後払いなので渡し賃を持っていない者でも舟に乗る事が出来る。
 渡し賃は定額ではなく生前の所有財産や人柄など金額の大小は船頭の腹次第である。
 葬式を上げて貰える普通の人であれば財産は無くとも渡し賃は棺桶に入れて持たされているので心配はないが、財産もなく葬式も上げて貰えない者などは、大抵はそのまま川に叩き落とされて終わりである。
 船頭は幽霊に様々な事を聞く。ボロは着ていても心は錦。文無しでもそれなりの理由があるなら情状酌量の余地はある。時にはその裁量で此岸に戻す事もあるし、天界に導く事もある。
 彼岸に辿り着く前に、対岸に現れた先祖の霊に追い返される者がいるがそれは稀ある。

 生前大きな罪を犯した者は裁判所の前に送られるが、ここに来る者は大罪人ばかりで軽い刑で済むような者は船頭の死神によって裁かれる。
 裁判に掛かる時間は長く面倒であるが、これは更生も兼ねるためで、刑期を終えた者が地獄を出たあと再び罪を繰り返さない様にするためである。その為、裁判はかなりの時間を掛けて行うのだ。
 人の罪には様々な形がある。人間社会の秩序を乱した社会の罪。人を欺く心の罪。民族文化に対する魂の罪などだ。
 船頭である死神は、舟に乗る幽霊と一対一で語り合い魂の本質を見抜いて行き先を決める。社会的な罪は置かれた状況によって酌量の余地は十分あり、お人好しな性格ほど事件に巻き込まれやすいので、そのような罪人は場合によっては罪を見逃したり、その場で輪廻に送りったりする。人間として社会的には全うに暮らしても、心に黒いものを溜め込むような輩は、具体的な罪を犯してなくとも更生不可能と見ればそのまま首を狩って川に落とす事もある。川に落とされた幽霊は輪廻からもはずれ完全に存在が消滅する。
 閻魔は社会的な罪を主に取り扱うので、魂が生まれ持っている罪を見抜くことは出来ない。
 死者に対して絶対の権限と、幽霊達の行く末に重い責任が課せられているのが死神なのである。

 冥界は幽霊の居住区のような場所で、ここに連れてこられた者は裁判を受ける必要のない普通の人生を送った者ばかりである。
 暮らす上で何ら制限のない場所で望むままに過ごして永住しても構わない。しかし、安楽な生活を満喫した後、平和に飽きて輪廻に旅立つ者の方が圧倒的に多い。
 大きな家や長く続く家系の一族はご先祖様達が冥界に永く住みついて何かと子孫達に便宜を図っていたりする。
 働き者なら冥界にたどりついても仕事を探し、冥界の各施設で雇われて気の済むまで働く事も出来る。

 しかし、これらは1200年以上前の死神主導時代の話で、冥界の今は閻魔主導で全く違う体制になっている。

 現在の冥界と地獄の体制は、まず全ての死者の幽霊は必ずその地方の裁判所に強制的に集められ、ここで冥界行きと地獄行き、そして輪廻行きと上位裁判所行きが決定される。
 新制度下の冥界とはあの世、浄土の事で生前余程悪い事をしていなければここに来る事になる。
 罪人は大きな罪でもなければ、その重さに応じて適切な地獄の階層に作業的に振り分けられ、ここで罰を受ける事になる。罪が重い程下層に落とされるのだ。現在地獄は一つだけで昔の様にたくさんの種類はない。
 刑期が終わればそのまま冥界で暮らす事も出来るし、輪廻に還る事も出来る。
 重い罪を犯した者は上位裁判所である中央庁に送られそこで厳しく罪を追求され重い罰を受ける事になる。
 人間界の人口増加に加え、死神の裁量権を奪ってしまったために閻魔一人あたりの負担がかなり大きくなり、3交替の無休体制で裁判を行っても人手が足りない状況である。
 地方庁では裁判が一回で済むように簡略化され、単に刑の仕分けをするだけで罪人の更生を全く考えておらず、その為、同じ魂が輪廻する度に同じ罪を犯す事になり罪の量は一向に減らないどころか新しく生まれる魂もあるので増加傾向にあるという悪循環が生じている。
 制度の欠陥が謳われているものの、閻魔と死神との確執が未だに根深く残っており制度改革の必要を感じつつも閻魔は死神に歩み寄らず、死神も敢えて大人しく従って休まず、休ませず閻魔を疲弊させる嫌がらせを命がけで行っている。
 沢山のお地蔵様を閻魔に登用して労力の分散を図っている現状だが、登用されたお地蔵様の多くが途中で脱落してしまう程裁判所の仕事は激務で、あと100年もしないうちに閻魔と裁判所は潰れるだろう。


 閻魔庁幻想郷支部の施設は此岸、つまり幻想郷側に存在している。
 通常、裁判所は冥界側にあり幻想郷支部だけが此岸側に設置されている。理由は定かではないが、冥界の外にあることから島流し場所などとも噂される。この真相はともかく幻想郷は特殊なエリアで、土着の亡霊と外来の幽霊、悪霊などが共存するため、それらが間違って冥界に行かないようにするための関所替わりという説が最も有力である。

 幻想郷支部の裁判長四季映姫の部下である死神小野塚小町は、元々冥界の住人なのでそこに自宅はあるのだが、対岸からわざわざ川を渡って出勤するのが面倒なので裁判所付近の空き家に住みついている。
 上司である四季映姫は裁判所の施設長も兼任しているので裁判所が自宅となっている。ちなみに幻想郷支部裁判所の職員は裁判長一名と補佐の死神一名だけで、完全に僻地の出張所扱いである。
 死神小野塚小町は距離を操る能力を持っており、これは死神の種族能力で小町固有の力というわけではない。これ以外にも死神は寿命が見える、業つまり罪の大きさを計れるなど、たくさんの種族固有能力を持っている。
 今は閻魔の下で冷や飯を食わされているもののかつては冥界を牛耳る賢者で、冥界とは元々彼らの住む土地だったのである。

 冥界が死後の世界として固定概念化されたのは現世利益から浄土信仰に世相が移り変わってからである。
 仏の教えがすたれるとされる末法に入る西暦1052年が近付く平安時代末期、『世も末だ』という言葉が生まれる要因となった『末法思想』が蔓延して民衆の間に現世不安が広がる。世紀末思想と混同して自暴自棄になる者が激増して世の中が悪い方へ向かう一方で、法の力を補おうと寺社仏閣の建立が盛んに行われるようになり、危機的状況はむしろ真剣な求道者を育む土台ともなって現世利益から浄土信仰へと仏教そのものが劇的に変化し文教文化が華開く。
 この時代になると民衆の道徳心の下支えになる閻魔信仰が台頭し始め、死神を制して冥界の第一党にのし上がる。強力な死神相手に政権交代を果たした閻魔だが、死神を制する事が出来たのは世相の後押しがあったからだけではなく、その時代に生まれたある特異な個性の存在があったためである。

 すっかり落ちぶれて威信も無くなってしまった死神であるが、力が失われたわけでもなく故郷である冥界に関しては今でも自分達の庭のようなもので、死神だけが知っている抜け道が無数に存在し、白玉楼の近くにもその抜け道があった。これを利用すれば三途の川まであっという間に移動する事が出来るのである。
 小野塚小町は上司の四季映姫にも教えていない冥界の抜け道を利用し、あっという間に幻想郷の船着き場の対岸に移動した。
「ほら着いたよ。」
「うわー・・・。」
 妖夢は三途の川に来たのはこれが初めてではない。三賢者会議が四季映姫の勤務する幻想郷の裁判所でやることが多く、幽々子のお供で白玉楼から冥界をはるばる移動して三途の川を小町の舟で幻想郷まで渡ってくるので、この辺りはよく知っているのだ。
 ほぼ一日かかる裁判所までのお供は、時間がかかり過ぎて余り好きではなかった妖夢なので、この瞬間移動ともいえる冥路移動は感動すら覚えると同時にずるいとも思ってしまう。
「凄いですね・・・これなら幻想郷のどこにでも行けちゃうじゃないですか!」
「はは、それは無理だよ。三途の川は幻想郷にあるわけじゃないからね。」
「あ、そうか・・・でも、幽明結界から行くより全然楽ですよね。」
「文句は、あんな辺鄙な所に門をつくった奴に言うんだね。」
 三途の川は幻想郷から地続きで来れる場所にある為勘違いしてしまうが、三途の川とその川縁は此岸と彼岸の境界でどの世界にも属さない中立的な土地である。
「三途の川っていつからあるんですかね?」
「冥界が彼岸に移ってからだな。」
「?」
「まぁ、その話は家でしようか。」
「あ、はい。」
 妖夢には咄嗟に小町の言っている事が理解できなかった。その妖夢の表情を見て小町は続きは後ですると、まずは家に向かう事を提案する。
「よし、んじゃちょいと失礼。」
 小町はそう断りを入れると、妖夢を両手で抱きかかえる。所謂お姫様抱っこというやつである。妖夢が驚いて呆気にとられている中、間髪入れず思いっきり川へ向かってジャンプする小町。
「きゃああー・・・あれ?」
 水に落ちたら助からないと思わず叫ぶが、叫び切る前に小町の高下駄が地面に着地する音が聞こえて口をつぐむ妖夢。
「着いたよ。」
「あ、そうか・・・距離を・・・。」
「この三途の川と川縁は死神の領域さ。ここなら八雲紫にも負けないかもよ?」
「あはは。」
 妖夢は冗談と思って軽く笑ってみせたが、ここは死神の距離を操る力によって川幅を自由に操れる特殊な空間なので八雲紫のスキマが開かない数少ない場所でもある。実際問題として、ここでは何人も死神に勝てる者はいない。


 幻想郷側の船着き場の少し開けた場所には、幽霊が一人向こう岸に渡りたくて船頭を待っていた。そして小町の出現に気付いていそいそと近づいてくる。
「今日はしまいだよ。少し戻って暇つぶししてよ。」
 そう言って大量の札束を渡す。このお金は向こうの世界でだいぶ前に流通していた紙幣で、幻想郷の里では通貨として利用出来ず、コレクターが二束三文で買い取る程度の価値しかない。しかし、ここから少し戻った中有の道の主に幽霊相手のお店ではチケットととして利用できるのだ。
 どうせ没収されるお金なので、幽霊達はここで全額遊びにつぎ込むというわけである。
「いいかい?あっちには持っていけないんだから、全部ぱーっと使ってきな。」
 見るからに貧乏そうな幽霊は恐らく繁華街を通る時に遊ぶ金が無くて素通りしてきたのだろう、大金を貰って嬉しそうに道を戻って行った。
「いいんですか?」
「待たせるのも悪いだろう。」
「私は別に構いませんよ。」
「妖夢は良くても私はめんどくさいからいやだよ。」
「うー・・・。」
 今仕事をするのは確かに億劫だと小町に同意するものの、こういう事は建前でももっと別の言い方があってもよいだろうと思う妖夢である。
 それにしても先程渡した札束の凄い厚さに妖夢は無性に心配になってくる。何というか出所の妖しい悪いお金というかなんというか・・・。
 そんな妖夢の心配事など全く気に留める様子も無く、ケラケラと笑って歩き出す小町。
 今現在の船頭としての死神の役目は幽霊をただ運ぶ事だけである。幽霊に対し話しかけるのも禁止で、兎に角早く沢山の幽霊を運ばなくてはならないのだ。
 小町としては、今現在のそうしたルールに反発して、昔ながらのやりかたで幽霊に接したいだけであり、だからこそ安月給だが中央の目の届かない幻想郷支部に自ら望んで着任したのである。
「いいんですか?」
 後ろを振り向いて幽霊が去った方を見ながら、もう一度問う妖夢。
「なぁ妖夢。例えばさ、幻想郷のルールが変わって人間を自由に殺して食べていいとなったらどうする?」
「それは・・・えっと・・・私には関係ないというか・・・。」
 突然何を言い出すのかと疑問に思う妖夢だが、質問の真意が読めず無難な回答をする。
「例えば、里が妖怪に襲われていても、それは合法なわけで、目の前で人間が食べられているところを見てお前はどうする?」
「そんなこと・・・私の知ったことではないです。」
 里と何の関係もない妖夢なので冷たいようだがこれは間違いではない。
「んじゃ質問を替えるか。幽々子が過去の罪を蒸し返されて閻魔から討伐令が出ちゃったらどうする?」
「そ、それは・・・。」
 咄嗟に答えられない妖夢。
「・・・時代や制度、民衆の心が代われば、非常識が常識になる。その逆も然り。でもさ、そんなの簡単に割り切れないだろ?」
「・・・はい。」
 妖夢はようやく小町のいわんとしている事が理解出来た。
「まあでも、今は人間は食べたら駄目となってるけど、実際殺され食べられているけどな。」
「そ、そうなんですか?」
「知らなかったか?幻想郷には年間200人近い人間が流れてきて、その殆どが妖怪に食べられているんだ。人間の数は妖怪によって一定を保っている。そして妖怪の勢力は、八雲藍とか風見幽香が管理している。増えすぎると間引きするんだ。そうやってバランスをとっているのさ。」
「知らなかった・・・。」
「中有の道が繁昌するのも幻想郷に小さいながらも裁判所が必要なのも、このちっぽけな幻想郷には広さに見合わないたくさんの幽霊が生まれるからなのさ。」
「なるほどぉー。」
「ここで死んだ連中、特に外から来た連中ってのは、向こうでは死んだかどうかも判らない行方不明者として葬式も上げて貰えない奴が多いんだ。訳も解らず妖怪に襲われて餌になって、途方に暮れてここにやってくる。さっきの幽霊なんかその典型だろうねー。」
 妖夢はもう一度後ろを振り返って既に中有の道に戻って見えなくなった幽霊を探す。
「今の閻魔のやり方ってのは、ただ自分達が高い地位に居て影響力を誇示したいだけで、幽霊の将来の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないのさ。幽霊ってのはさ言いたい事いっぱい腹ん中に持ってるのさ。それを誰かに聞いてもらえるだけで満足して、未練を残さず逝けるもんなのさ。」
 前を歩きながら語る小町に今迄知らなかった色々な事を聞かされ考えさせられる妖夢。
「法を破る事は確かにいけないことだけど・・・彼らはそれで少し報われている・・・。それに、あの金で店が儲かれば収入の何割かが裁判所に戻って行くから四季様も潤う。」
 小町が持っていたお金は、旧制度のまま幽霊から没収したお金である。今は幽霊の財産は全て裁判所に納める事になっているが、全て中央庁に集金されるので小町がその新制度に則って働いても幻想郷支部の利益にはならないのだ。
 地方庁に申し訳なさそうにぶら下がっている程度の幻想郷支部には四季映姫と小野塚小町に支払う給料と必要最低限の施設運営費しか入ってこない。400年以上も勤めているにもかかわらず全く昇進出来ない出世街道から完全に見放された四季映姫を不憫に思って小町は船頭をしながら渡し賃を着服して、そのお金を幽霊に渡して中有の道で還元させているのである。中有の道のお店の売上の何割かを裁判所に収めさせて身銭を切って裁判所の台所事情を助けている四季映姫の手助けをしているのだ。


 幻想郷に迷い込んで亡くなった人間は、死んだ事さえ認知されず葬式を上げてもらえない可哀相な者が多く、また、最近は死生観の欠如した者も増え、真っ直ぐ三途の川を目指す霊が少なくなっている。
 死んだ事さえ夢だと勘違いして、そのまま幻想郷に居着いている幽霊も多く、そうした幽霊は最初は無害であってもやがて夢から覚めると不浄霊になって周囲に悪い影響を与える存在になってしまう。
 西暦1430年に現実世界から概念の世界に移設され、不安定な隔離世界となった幻想郷は、西暦1464年に八雲紫や博麗神社も同意して閻魔の管轄する仏法界の一部として登録され、三途の川が正式利用可能となった。
 博麗大結界以前の幻想郷は世界各地から妖者が自由に入り込めると同時に人間も餌として世界各地から取り込んでいた。幻想郷が閻魔の管轄になって以降、死生観の同じ国内の人間は死ねば三途の川を渡る習慣があったが、世界各地からやってくる人間にそうした習慣はなく、幻想郷で死んだ外来人の霊は行き場を無くして幻想郷に居着いてしまう。 
 こうした霊の浄化方法として、閻魔の管轄に入った西暦1464年を元年として60年に一度の還暦毎に、死生観の違いで行き場を無くした霊を幻想郷に咲く花に転生させ仮初めの命を与え、国内産の植物として命を全うさせるようにしたのである。これによって外来の幽霊を幻想郷産、つまり国内の霊として戸籍を書き替える事に成功し、それはすなわち法界のルールが適用出来る状態にすることを意味する。それによって輪廻制度が適用出来るようになり溜まる霊の数をその仕組みでリセットさせているのである。
 ちなみにこのシステムは、四季映姫が閻魔になる以前に施行されているため、幻想郷を管理するにも関わらず四季映姫はそのことを知らない。


 小町と妖夢は少し川沿いに歩いて川縁の森の小道を抜け、そこからしばらく歩いたところに立っている小さな小屋の前に出た。これが死神小野塚小町の家である。
「はぁー・・・。」
 妖夢は道中、小町の家がどんなものかと幾つか予想を立てていた。そして目の前の家がその予想候補の中の最も低いランクに該当してしまい、見事に的中したにも関わらず素直に喜べない心境になる。そんな妖夢の正直な気持ちが溜め息とも取れる声となって出たわけである。
「幻想郷支部は仕事が少なくていいんだけど、その分給料も低いからね。まぁ裁判所に官舎もあるけどさ・・・四季様と一つ屋根の下ってのはまぁ・・・なんていうか、そこは察してくれよ。」
 ところどころ壁の泥が禿げて中の竹組が見える泥壁造りのボロい家の、言い訳ともとれる小町の話を聞きながら、立てかけているだけのような引き戸から中に案内される妖夢。
 外観から家の中は蜘蛛の巣や埃で一杯かと思ったが中は小ぎれいに片付けられていた。
 家の正面右側の入り口から入ると左の台所まで土間になっており、正面一段高い位置に板張りの居住スペースが広く取られている。部屋となる部分は板の間だけのシンプルな構造で屋内を仕切る壁や仕切り戸がひとつもない。
 板張りの床に畳が置いてあるが、この畳はいらなくなった古い畳をどこからか調達して適当に並べているだけで、畳自体が存在しない時代か、畳など買えない貧しい世帯層の民家のようだ。
 部屋に押し入れはないが、古い背の高い大きな箪笥が二棹、間を空けて並べてあり、その上に竹竿を渡して箪笥の間に衣装をぶらさげている。
 畳は板の間一面に敷かれているわけではなく、箪笥のある壁面には行き渡らず、畳を敷いた座敷部分の真ん中にちゃぶ台が一つ置いてある。
 柱、床、箪笥、ちゃぶ台とあらゆる物が古く年期が入って黒ずんで見えるが、決して汚れてそうなっているわけではなく、良く手入れされて黒光りしている。
「へー・・・。」
 公家が住まうような白玉楼という立派な建物に住んでる妖夢としては、最初物凄く不潔そうに感じた家ではあるが、趣があってよいと思うようになっていた。
 小町とはそれなりに長い付き合いではあるが、白玉楼や裁判所などお互いの上司の付き添いで会う機会ばかりで、私用での交流はほとんどなかった。考えてみれば小町のプライベートな姿を見るのは初めてである。
 先程の幽霊の対応や自身の仕事に関する色々な話を聞いたが、小町の死神としての本当の姿があれなのだろうと思う。普段の小町を直接見ているわけではない妖夢は、伝聞だけで判断して勝手に怠け者を冠した小町像を頭の中で創り出し、それに相応しい半ば見下した無礼な接し方をしてきた事に気付く。そして、それは藤原妹紅を見誤った事と同じでとても危険な事なのだと思い至った。
 この家を外から見た時、思わず溜め息とも取れる声を発してしまった。どれだけ自分は無礼者なのだろうか。恥ずかしくて穴があったら入りたい。
 座敷に正座したまま唇を噛みしめ両手の握り拳を膝に置く妖夢。今は反省しか思いつかない。
「小町さん、さっきは申し訳ありません。」
「何が?」
「家を見て、なんか無礼な事言ってしまって。」
「あはは、あの家を見れば妖夢ならそういう反応をするだろうって、最初から分かっていたからね。」
「すみません・・・。」
 顔を上げた妖夢はまた下を向く。
「恐らく藤原妹紅も同じ事を思ったんじゃないか?自分がそこに来れば妖夢に追い払われるってわかってたんだろうね。妖夢がどんな行動を取るか完全に知っていての確信犯さ。それを入れ知恵したのは・・・恐らくキツネだろうけどな・・・。」
 小町はごろんと寝転がって狭いスペースにも関わらず手足を旨く伸ばして大の字になる。
「それは・・・本当なんですか?」
「さぁね。これは私の想像。ただ、妖夢の行動は分かりやすいからね。策を弄する側からしてみれば妖夢ほどやりやすい相手はいないだろうねー。」
 ショックを受ける妖夢。腕力ばかり頼って策略にはまって身を滅ぼす典型的なやられやくに自分がなっていることに気付く。物語の登場人物の武将に策略家の引き立て役で、読んでいて最もこうなりたくない人物が必ず一人はいるが自分が正にその典型ではないかと愕然となった。
 自分が今迄上手くやってこれていると思っていたのは、周囲から様々な気配りをされていて、失敗をしないように未然に手を回されていたのだろう。それに気付かずに全て自分の才能と能力でやってきたと思い込んでいたのだ。
 『井の中の蛙、大海を知らず』この言葉には続きがある。『されど空の高さを知る』だ。
 例え世間を知らずとも世間が知らないものを見知っている。究極を求めるなら正にこの境地が必要である。
 しかし、妖夢という名の蛙は、決して空を見上げようともせず、頑なに前を見つめその果てしない空の存在を知らなかった。そして、今ようやく顔を上げたのだ。
 涙がこぼれる。身の丈を知った妖夢は後悔と反省の涙から悔し涙に変わっていた。
 自分は色々な人に大勢の人達に守られていた。誰かを守る力を得ようと修業をしたが、根本的なところで自分を知らなかった所為で、どうすればその力を得られるのか分からなかった。
 妖夢は朧気ながらも修業の道筋が見えた気がした。まずは自立し、他人から心配されないような存在にならなければならない。


 小町はそんな妖夢を見て、四季映姫に初めて会った時の事を思い出した。
 幻想郷支部は所謂左遷場所。初任で来るような場所ではないと思っていた小町だが四季の能力を知ってなるほどと思ったものだ。
 白黒つける力は閻魔にとって最高の力。しかし、権力欲に取り付かれた十閻魔にしてみれば自分の地位を脅かす危険な力でしかない。だから幻想郷に遠ざけ隔離したのだ。
 お地蔵様から閻魔になったばかりで右も左もわからず、幻想郷という僻地に派遣されたにもかかわらず、やる気満々で一人しかいない部下に熱く抱負を語る初々しく純粋で世間知らずな少女を小町は一目で気に入った。

 妖夢は半人半霊だ。その意味を本人は知らないようだが、その特殊な力は使い方次第で恐ろしい力を発揮する。
 妖夢を過保護に育てているのはその事を知って危険視する一部の者、例えば八雲紫などの策だろう。少なくとも今の様に真実を知らせるべきではないという判断で、それは小町も賛成である。
 その危険な力、結魂(けっこん)とは半霊に別人の魂を移して、その魂を持つ故人の力を根こそぎ自分のものにしてしまう種族能力である。
 かつて魂魄妖忌が剣士の息子の魂と結魂し、恐るべき力を持つ剣豪として生まれ変わった。それと同時に、結魂の代償として永久に白玉楼前にその身を縛ったのである。
 そして閻魔にそそのかされ大量の死神を殺した冥界の狂い姫を白玉楼に閉じ込めその封印の役目を果たしていたのだ。これ以上幽々子によって死神を殺させないために・・・。

 西行寺幽々子の力によって冥界の政権交代を果たした閻魔は、心無く本能のおもむくままになおも死神を喰らい続ける幽々子がこのまま死神を喰い尽くして全滅させてしまうのではないかと恐れた。
 此岸と彼岸の橋渡し役の死神が居なくなれば、冥界は完全に此岸から隔離された世界になって閻魔の存在自体も意味が失われる。その為幽々子を止める存在が必要になり、生前縁のあった佐藤家を特別に復活させ、ある条件と引き換えに幽々子の封じ込めと監視の任に充てたのである。
 特別な任務を負う彼らは、半人半霊という幽々子の力が及ばない特殊な種族に生まれ変わり、姿も変え名も魂魄妖忌に変えた佐藤俊成は、娘婿の功衛と結魂してその任務を遂行したわけである。

 閻魔と死神の抗争が終結し、西行寺幽々子が白玉楼に閉じ込められると、冥界は閻魔主導で再編され現在の制度になる。
 混乱が収まった頃、西行寺有子の封印した心を届けに来た八雲紫を幽々子の前に通した妖忌。
 殺されてしまうので幽々子に誰も会わせない事を制約として結魂した妖忌は、紫を幽々子に会わせた事で魂約は破棄された。妖忌は役目を終え自縛から開放され無に還ったのである。
 妖忌の前世、西行寺家の庭師兼相談役の佐藤俊成は、閻魔からこの任務を負う際に一つの条件を出した。それは娘の腹の中で水子となった孫を、庭師兼従者として自分の後を継がせ幽々子の側に置き家名を残すというものだった。
 俊成の思いは汲み取られ、その残した孫が魂魄妖夢である。
 妖夢には祖父と同じ様に、大きな代償をともなう恐るべき力を内に秘めている。
 大きな力を得る結魂は、同時に大きな犠牲も負い自由を縛る危険な禁奥義だ。一時の激情に駆られて安易に結魂を使えば人生をくだらなく終えてしまう可能性もある。


 四季映姫が中央で働けば、その先天的能力と持ち前の正義感で現状の問題点を的確に指摘して糾弾するのは必至だろう。
 正しい事を言えばそれが正しく認められる世界ではない。そうなれば難癖を付けられて何らかの罪を被らされ、この素晴らしい能力は本人と共にこの世から消されてしまう。
 四季も妖夢もそれらの力は使いどころを間違えてはいけない。この素晴らしい個性をくだらない闘争で失ってはいけないのだ。
 四季は自分が守る。小町は自分の存在理由をそこにおいた。しかし、妖夢まで面倒は見れない。誰か妖夢の良き師、後見人になれるような者はいないだろうか?
 小町は一人見つけた。その人物は人間であり、命の重さも軽さも知るこの世の業の全てを背負おうとしている者・・・。

東方不死死 第40章 「西行寺の怪」


 西暦686年、地上に一人の鬼子(おにこ)が誕生する。西行寺人麻呂の娘、西行寺有子である。
 鬼子とは、文字通り鬼を親に持つ超人的な力を持つ人間の子供を指すが、時折人間の子でありながら人間を超越した凄まじい能力を持って生まれる子供がおり、そうした者もまた鬼子と呼ばれる。
 生ある者全ての天敵、抗えない絶対の死を与える力を持つその鬼子の誕生と去就は、地上だけではなく冥界や天界からも注目された。


 実質の朝鮮王朝である天武天皇統治下、類稀なる歌の才能で天智天皇に寵愛された西行寺人麻呂は、その才能で宮廷貴族内で存在感を示し、教養の無い朝鮮貴族にとって何かと目障りな存在となっていた。
 西行寺人麻呂は西暦652年に生まれ、672年に天智天皇が崩御するまでお気に入りとしてその側に仕え才能を伸ばす。
 天智天皇崩御後、後継争いという名の事実上のクーデター、壬申の乱を起こした天武天皇によって皇統が簒奪される。
 野蛮な元軍人の朝鮮貴族が政治の中枢を牛耳ると朝廷・宮廷内の品位も落ちる。しかし、この事は西行寺人麻呂の歌の才能を際立たせもした。
 圧倒的な歌の力で天武に属する貴族の無能さを知らしめて、当時意気消沈していた日本人の面目を保ち、大和民族の誇りを鼓舞した人麻呂は、さらに朝鮮貴族に組した柿本猿彦の不正を暴いたことで反朝鮮王朝の英雄となっていたのである。

 西暦686年。人麻呂が34歳の時、待望の長女が誕生する。夥しい死者を出した『西行寺の怪』を引き起こした鬼子・西行寺有子である。
 この当時、人麻呂は暗殺者に命を狙われており、それを阻止する勢力との間で激しい抗争が繰り広げられている最中であった。
 人麻呂の命を狙う黒幕は当然天武系の者であり、実行部隊を率いていたのは博麗系陰陽師であり、それらの攻撃をことごとく防いだのが岩老系対妖事請負の妖術使い達だった。
 岩老系の妖術使いは強く、博麗系陰陽師を圧倒し、人麻呂の身辺は騒がしくはあるものの歌聖としての職責を全うできた。
 しかし、有子が5歳になった頃から、西行寺の屋敷の周辺で人間や妖怪の変死が相継ぐ様になった。
 当初死者に共通点は見えてこなかったが、年を追うにつれて死者が増加するとその共通した特徴が見え始める。
 天武系に属する朝鮮人や博麗系陰陽師、それらに雇われた妖怪など、死者に一定の片寄りが現れ、天武、天智両皇統の争いが西行寺家周辺で行われている事が次第に明るみに出て様々な憶測が飛び交うようになった。
 博麗系陰陽師の評判と共に西行寺家の無慈悲な殺人に対して眉をひそめるものも多く、当時穢れ事を嫌う風潮が強かった為に、人麻呂を訪ねる人の足も遠のき始め、その家勢に陰りが見え始める。
 西行寺家としてはこの変死事件に何の関与もなかったのだが、裏の事情を知らない周囲の者からすれば、西行寺家周辺で起こる殺人は、西行寺側の過剰防衛によるものと見られたのである。


 西暦698年。
 偉大な父を持つ有子は、屋敷の庭師兼家庭教師の俊成の下で美しく聡明に成長し12歳になっていた。
 最初の変死事件発覚後から7年経っても事件は解明されず、手がかりすらもなく、身近な者にまでその魔の手が及ぶようになると、いよいよもって有子の身を案じた人麻呂は、最も信頼するお抱えの庭師兼相談役の佐藤俊成の屋敷に最愛の娘を預ける事を決意するのである。

 物々しい警備が屋敷中に配置されている屋敷の一室に一人の少女が思いつめた表情で佇んでいた。12歳になった西行寺有子である。
「ゆゆ様、準備は出来ましたか?」
「あ、俊成。」
 西行寺有子から俊成と呼ばれた五十代前半と思われる男性がかしこまってお辞儀をする。
「如何致しましたか?」
 庭を微動だにせず見ていた有子の寂しそうな背中が気になった俊成。
「俊成の美しい庭園を見ておりました。今日でひとまず見納めになりそうなので、目に焼き付けておこうと・・・。」
「ありがとうございます。ゆゆ様にそう言って戴けるだけるとは庭師冥利に尽きます。」
 かしこまってお辞儀をする庭師の佐藤俊成。
「本当に美しい・・・浄土とやらがあるとしたらきっとこんな景色なのでしょう・・・。」
 現世利益のこの時代、死とは忌むもので、死後の世界など縁起が悪い事についてあまり活発に議論されておらず、浄土信仰が盛んになるのは末法思想が広がる平安末期から鎌倉時代、西暦1000年前後からである。
 5年以上も前から屋敷周辺で変死事件が多発し、人の死を何度も目の当たりしにた有子は、否応なく死というものと向き合うざるを得なかった。

 有子は知っている。幼い頃は何故自分の周辺で人がたくさん死ぬのか分からなかった。しかし、今は全て知っている。人を殺しているのは他でもない自分である事を・・・。
 小さい頃から人の心の内を見透かす事の出来た有子は、誰が敵で誰が味方か無意識に理解出来た。それは誰も同じで当たり前の事だと思っていた。しかし、最近になってそれが自分だけの特殊な能力だと理解するようになった。それと同時に人を殺す力も、自分だけに備わった特別な力だという事も知った。
 分別のない幼少時は父に害する敵が死ぬ度に満足し、罪悪感など全くなかった。しかし、物心つくと殺生はいけない事だと教えられ、有子は戸惑った。
 余りにも多くの人が死んだ事で、西行寺の屋敷周辺は武器を持った物々しい男達が守る誰も近づかない場所となってしまい、客足も遠のき歌会も開かれなくなり、大好きな父は日増しに白髪が増えて衰えていった。
 罪を意識し始めたのはいつ頃だろうか?気付けば自分が夥しい骸を生み出し、そのせいで人々から恐れられ心労で床に伏せるようになった父。こんなはずではなかった。
 殺しを止めようにも、様々な手を使って暗殺者を送り込んでくる敵。止めようにも止められない。止めたらこちらが殺される負の連鎖。
 身内を籠絡し屋敷に浸透した暗殺者は殺されて当然。しかし世間では西行寺家の身内から死人が出たとしか見えない。益々西行寺人麻呂の評判は下がる。
 使用人や配達人に扮し、警備の者を賄賂や色香で落として屋敷に近づく悪意の群。殺しを止めれば父が死ぬジレンマ。有子は殺人という大罪に苦しみながらも愛する父親の為に殺し殺し殺し続けた。

 このまま俊成の家に移れば、父の危機を防げなくなってしまう。護衛に任せれば良いといっても、その護衛が籠絡される可能性があり、実際そうなった。もはやあの屋敷に安全な場所などないのだ。
 毎晩の様にどこかで父を殺そうとする呪いの儀式が執り行われている事だろう。やせ衰える父は、中庭のお気に入りの桜の前で歌を詠み続ける日々を送るしかない。その姿は痛々しく胸が痛むが、そうさせているのが自分自身なのである。止めたい。止めたい。止めたい・・・しかし。
 誰も殺したくは無かった。しかし、それをやめることは即ち父の死を意味する。止めるわけにはいかないのだ。
 屋敷を出る事については何度も考え直すように言った。自分が殺しているのだから自分は死ぬ心配はない。もし自分を襲おうものならその場で殺せばいい。
 言えない。こんなことは絶対に言えない。そもそも言ったとしても信じてはもらえるはずがない。

 俊成の家に行く事が決まってから、その日まで一月の間、毎晩父の好きな桜に願掛けをした。

『お願い・・・私の変わりにお父様を守って・・・。』


 佐藤家の屋敷は西行寺家の屋敷からだいぶ離れた場所にあり、子供の足で気軽に行き来出来る距離ではなかった。
 俊成の妻は早くに他界していたが、生前2人の間に生まれた一人娘が2年前、有子が10歳の時に婿を取った。
 弘文天皇の元で壬申の乱を戦った軍人の息子と一緒になりたいと言う娘に、文化芸能の家に血なまぐさい者を入れたくないと最初は猛反対した俊成。孫には必ず自分の跡を継がせる、つまり庭師にすると約束させその結婚を許した。
 結婚した当初は、根性悪く娘に手を出したら許さないと婿を目の仇にしていた俊成も、今では早く孫の顔が見たいと、もちろん当人等が居ない時に、父人麻呂前でこぼしていたのを盗み聞きした事を思い出す有子。今では自慢の息子とすっかり仲良くなった親子を見る度に気持ちが和らぐ。
 西行寺家と佐藤家は、公私共に家族同様の付き合いで、互いの家をよく行き来していた。
 俊成だけではなく娘のトモヱ、婿の功衛(なりひろ)とも家族ぐるみの付き合いで、早くに母を亡くした有子にとって、トモヱは母であり姉のような存在だった。


 最愛の父との一時の別れ。しかし、別れの後には出会いもある。
 西行寺有子が佐藤家に世話になり始めた頃、有子の将来を決定付ける運命的な出会いがあった。
 ある日、書斎で一人庭を眺めていると、背後に視線を感じて振り向く。そこに見たものは空間の裂け目で、その裂け目の中にこちらを伺う女性と目が合ったのである。
「あら、気付かれちゃった?」
「(妖怪!死ね!)」
 妖怪と知った有子はすぐさまその力で妖怪を殺にかかる。
 裂けた空間は閉じ女の妖怪は消える。有子の力にかかれば妖怪を殺すなど造作もないことである。それにしても暗殺者が自分の所にも来るとはどういうことだろうか?しばし考え込む有子。
 しかし、思考に集中していた有子は突然後ろから目を塞がれる。
「だーれだ?」
 若いのか若作りをしているのかわからないが、先程の妖怪と同じ洒脱な声が背後から聞こえる。
「な、何故?」
 有子が振り向こうとするタイミングで手を離した金色の髪の女妖怪は、ぴょんと飛びのいていたずらっぽく笑う。
 殺した筈と思って油断した有子は妖怪に背後を取られてショックを受けた。
「何故死なないの?」
「ふふ、知りたい?」
「・・・。」
 人を食ったような態度の女妖怪を睨みつける有子。
「私はスキマ妖怪。境界を操る妖怪よ。」
「境界?」
「ええ、ここにいるようで、いない。いないようでいる。さて、本物の私はどこにいるでしょうか?」
 なるほど、偽物を殺していたのかと、有子は周囲にいるはずであろう本物の女妖怪を探す。
「残念ここでしたー!」
 他に注意を引いて見せた目の前の妖怪が嬉しそうに有子に抱きついてくる。
「きゃあああああああああああああああー!」
 妖怪のウソを真に受けた有子は、不意を付かれて無防備なところを抱きつかれ心底驚いて大声で叫んでしまった。
 有子自身こんな大きな声を出したのは生まれて初めてで自分でも驚いた。そして、その声は当然屋敷の外まで聞こえた。
 外で剣の稽古をしていた功衛は、その悲鳴を聞きつけ有子の愛称を呼びながら廊下に駆け上がる。屋敷が広いため、悲鳴が発生した正確な場所がわからず、付近の部屋を探しながら確実に足音がこちらに近づいてくるのが分かる。
 妖怪に抱きつかれた勢いで華奢な有子は支えきれず畳に折り重なって倒れたが、ちょうどそこに功衛が部屋に踏み込んできた。
「ゆゆ様!いかがなされましたか?ん?・・・ゆゆ様?」
 佐藤家全員から『ゆゆ様』という愛称で呼ばれる有子。
 功衛は書斎でおかしな格好で倒れてこちらを見上げてる有子を発見する。目があってその視線から少しめくれた着物の裾に気付いて直ぐに居住まいを正す有子。
「だ、大丈夫ですか?」
 恥らう有子から回れ右をして外を向く功衛。
「はい、ちょっと転んだだけです。」
「お怪我・・・。」
「ありません!」
 恥ずかしそうにコホンと咳払いして身を案じる功衛の言葉を全て聞く前に遮る有子。
 常に淑やかに上品で大きな声など出さない有子であるが、その意外な姿を目の当たりして、驚きと同時に福眼に肖って少し得をした気分になる剣豪功衛だった。

 恥ずかしい姿を見られた事にしばし赤面して、正座したまま身を強張らせる有子。
「いやー危なかったわねー。」
「ほんとよ・・・って、あなた、何時の間に隠れたの?いや、そうじゃなくて・・・。」
 スキマから上半身を出して頬杖して有子に馴れ馴れしく話しかけるスキマ妖怪。そのしゃべり方がまるで昔からの馴染みのような口調だったので思わず同意して頷いた後に、妖怪である事を思い出して肩を怒らす有子。
「・・・私の命を狙ってるの?それとも・・・。」
「まぁーあなたのお父上を暗殺しろと言われた事はあっても・・・。」
 それを聞いて恐ろしい形相になる有子。
「話は最後まで聞きなさい。スキマを使えば暗殺なんて簡単よ。でもあなたのお父上は死んではいない。」
 誰かに暗殺を依頼されたが本人はその気はないということだろうか。
「何を企んでるの?」
「企んでる?そうね・・・私に企んでる事があるとするなら、それはあなたとお友達になりたいということだけ。」
「え?友達?ふざけないで!妖怪と友達になれるわけがないわ!」
「どうしてそう言い切れるの?私は現にたくさんの人間の友達がいるわ。この格好見てごらんなさい。」
 そう言ってスキマから出てきてくるりと回り全身をさらす女妖怪。
「それは・・・。」
「神社の装束よ。こうみえても神社で修業しているのよ?巫女さんではないけどね。」
「妖怪が神社で・・・ありえないわ。」
「念じただけで人を殺せる怨霊すら足元にも及ばない力を持つ人間がいるなら、神社で修業する妖怪が居ても不思議ではないでしょう?」
 妖しく微笑む女妖怪。
「!」
 自分の恐ろしい力を棚上げして他者を責める有子に対して、歯に衣着せぬ言い方で嗜める女妖怪。
 唇を噛み締めたまま身を震わせる有子。
「・・・そうよね・・・私の方がよっぽど危険な存在・・・私に誰かを責める資格なんてなかったわ・・・ごめんなさい。」
 肩を落とし妖怪に謝罪する有子。
「・・・そういえば自己紹介がまだだったわね。」
 重苦しい場の雰囲気を変えるように、あっけらかんとした声で自己紹介するその妖怪は、『八雲紫』と名乗った。
「私は・・・。」
「知ってるわ。西行寺有子でしょ?。」
「何故私の名前を?」
 先程声を聞きつけて駆けつけた功衛は『ゆゆ様』と言っており本名は言っていない。
「ふふ、あなた裏の世界では超有名人よ。」
「・・・。」
 そんな気はしていた。父に対する殺意とは別に、無数の気配がこちらを伺っている事に気付いていた有子。
「西行寺有子、あなたは人間の世界で生きるには、あなた自身もそしてあなたを支える周りの人達にとっても大変なことよ。」
 佐藤家以外に付き合いのない有子は、12歳になっても嫁ぎ先が決まっていない。恐らくこの先も同じだろう。しかし、思春期になれば体の成長と共に様々な感情が芽生える。今は大好きな佐藤家の面々とも衝突する可能性もある。そうなった時、一時の激情で大切な人を殺してしまうかもしれない。
 このまま彼女を人間の世界で過ごさせては、本人にも周りの者にも良い事ではない。
「どう?幻想郷に来ない?」
「幻想郷?」
「俗世と隔絶された人と妖が共存する世界。あなたのその恐ろしい力も受け入れてくれる世界よ。」
 心が揺れる有子。一瞬その幻想郷という世界に興味を持つがすぐに現実に戻る。
「・・・あなたの申し出は有難いけれど・・・父を置いてはいけません。それに・・・。」
 その後に続く台詞は紫にも分かった。これほど多くの命を奪って、安楽な世界に行く事など許されないだろう。
「・・・すぐに答えを出す必要はないわ。また来るわね。」
 スキマに消える八雲紫。
 有子は犯した、そして犯し続ける罪を意識する。幸福な未来など想像できない有子だった。


 その後も西行寺有子と妖怪八雲紫との交友は続いた。
 有子の部屋から時折笑い声が居間まで聞こえてくる。最初は妖怪を受け入れなかった佐藤家もただの妖怪ではない、真に有子を思う八雲紫を信用するようになっていた。
 紫のスキマの力で全国各地を巡り歩き、西行寺家と佐藤家の屋敷だけが世界だった有子は、本当の世界の広さを知った。
 父にもこの景色を見せたいと時折寂しそうな表情で物思いにふける有子だが、紫のお陰で喜怒哀楽を見せる活発な少女になっていた。
 こんな幸せな日々が永遠に続けばいい。八雲紫も西行寺有子も、そして佐藤家の者もみなそう願っていた。
 しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。2年が経ち有子が14歳になった頃から、おかしな夢をそれも同じ夢を何度も見るようになったのである。
 それは大勢の人の命を奪った有子の罪を責める悪夢で、その罪は新たな罪を呼び、その負の連鎖がやがて国を滅ぼすというものだった。
 夢の中で語りかけてくる冥界の裁判官と名乗る閻魔という存在は、その余りにも大きな有子の罪は、償う事が出来ず地獄に堕ちて永遠の責め苦を受けるだろうと警告した。更にその罪は一族全てにおよび、関わった者全てを地獄に落としても足りないと脅す。
 どうすればその罪は償えるのか?せめて自分以外に罪が及ばないようにする術はないかと夢の中で有子は閻魔に問う。
 上を見ても足元を見てもどこを見ても全て炎に覆われた世界。その炎の向こうで大きな影がこちらを見下ろしている。
 閻魔はこの時代、一般人の知らない無名の存在で仏教に詳しい者以外ほとんどその名前を知らない。知っていたとしてもその名前に畏怖を覚えない。その程度の存在だった。
 自分の罪を的確に指摘し、その大きさ重さを示して罪を痛烈に批判されると何も言い返せず恐怖で身が竦む。
 有子の問いかけに閻魔は答える。しかし、いつもここで夢から覚める。
 全身を汗で濡らし飛び起きる有子は、必死に最後の言葉を思い出そうとするが思い出せない。
 何か恐ろしい事が起こる前触れだろうか。この夢を見た夜は朝まで寝付くことができなかった。
 有子の変化は寝食を共にする佐藤家の者だけではなく八雲紫も感じとる事ができた。
 食事の時や会話をしている最中でも突然物思いにふける。紫がどこかに連れ出しても作り笑顔で上の空なのである。密かに誰かを想っている・・・という類ではないことは誰の目にも明らかである。
 13歳の頃に父人麻呂の病気が悪化しあまり長くはない事を事前に知らさていたので、1年過ぎてその死期を感じ、それで元気がないのだろうと佐藤家はそう判断していた。


 そうしているうちに1年が過ぎる。
 佐藤家に来てから3年の月日が経ち、有子が15歳になって初めての桜の季節、父西行寺人麻呂が逝去する。
 この訃報はすぐに佐藤家にもたらされる。病気で長く生きられないと事前に知っていたとはいえ、やはりショックは大きかった。しかし、その不幸を打ち消す幸運が佐藤家に舞い降りる。訃報の数日後に佐藤俊成の娘トモヱの懐妊が判明したのである。これは人麻呂の生まれ替わりと佐藤家は沸き立った。
 今は桜の季節である。順調に行けば来年の2月頃に新しい家族が増えることになる。
 しかし、それも束の間の事。悲しみと慶びの報せに接してから3ヶ月が過ぎた夏頃、例の閻魔の悪夢を頻繁に見るようになった有子は、安眠出来なくなって床に伏せる様になってしまう。
 目を瞑れば瞼の裏に炎が広がりそこに閻魔が現れ罪状を読み上げ判決を言い渡す。思うように睡眠が取れず、体力の限界で気を失ってようやく眠りに就けるという状態になってしまったのである。強い薬で無理やり睡眠を与えなければ身体を休める事ができなくなった有子は見る見る衰弱していく。佐藤家はトモヱの懐妊の慶びから一転して不幸に沈む。
 そして不幸は更に続いた。
 3ヶ月前の事になるが、人麻呂の葬儀中に西行寺家の屋敷でこれまで収まっていた変死の異変が再発し、その後屋敷の周囲が異界化して何人も近づけない恐ろしい魔の領域となっていたのである。
 有子に余計な心配をかけまいと、この異変は3ヶ月の間伏せられていたが、有子が夢を頻繁に見始める時期に合わせるかのように、佐藤家の屋敷からも遠目にもその黒い渦が見えるようになり、異変の存在を隠し通す事が出来なくなっていたのである。


 有子を佐藤家に預けてから平穏な暮らしに戻った人麻呂。潮が引くように事件がなくなり平穏が訪れた理由は、人麻呂はこの時、既に重い病魔に侵されており余命いくばくも無い状態になっていたためで、もはや刺客を向ける必要がなくなっていたからである。
 2年に亘る闘病生活の末、人麻呂の希望通り桜が満開になる季節に花吹雪の下で息を引き取った。享年48歳だった。
 問題が発生したのは人麻呂の死後直ぐである。
 人麻呂が愛で、有子が父の身を守るために願をかけた桜が突如妖と化し、弔問に訪れた大勢の人の命を奪ってしまったのである。
 後に西行妖と呼ばれた妖怪桜は、有子の願い通り人麻呂をずっと守ってきた。しかし、その守るべき対象、存在の意味を失った桜は、新たな目的を探し死んだ人麻呂の遺体を守ろうとして、弔う為に遺体に触れた人々を殺して命を吸いとり、異形化して屋敷にいる者全てを殺してしまったのである。


 季節が春から夏へと変わった頃、この時既に佐藤家に馴染んでいた八雲紫は有子の夢の件の調査中に、異変を担当していた博麗系陰陽師に助力を請われた神社の要請で西行寺の屋敷に調査に向かう。
「これは・・・。」
 紫がそこで見たものは、桜を中心に闇が広がり明らかに周囲と景色が変わった西行寺の屋敷だった。
「屋敷の外まで異界化させるなんて・・・これも有子の力だというの?」
 あの桜が妖の力を帯びている事は気づいていた。しかし、ここまで大きくなるのは予想外だった。弔問に来た大勢の命を吸い取った妖の桜の妖力は爆発的に膨れ上がり、新たな獲物を求めているかのように触手のような黒い渦を伸ばしながら、異界の領域を徐々に広げている。
 有子の夢の件と異界領域の急激な広がりに何か連動性があるのではないかと疑う紫。
「何者かがこの桜を使って有子を探しているんだわ・・・有子の夢に出てくる閻魔とかいうやつかしら・・・。」
 強力な妖はやがて自我を持ち始める。しかし、西行寺有子という本体から生じた妖の桜は、主である有子に従属する存在であるため自我を持って独立した個になることが出来ない。
 その妖が自我を持ち一個の存在になるには、本体をこの世界から抹消する以外ない。これはドッペルゲンガーと同じ理屈で、有から生じた有は同時に同じものが存在出来ず、必ず一つでなければならない為、後から生まれたコピーはオリジナルに取って代わろうと攻撃し始めるのだ。
 閻魔という存在は、このコピーの帰巣本能を利用しているに違いない。
「まずいわ・・・。」
 一目でわかる。これは自分一人で解決できる案件ではないことを。
 天に立ち昇る黒い渦の周辺にいくつかの影が飛びまわっている。恐らく調査に来た陰陽師達だろう。迂闊に近づいて黒い触手に捕らわれて闇に呑み込まれる者が後を絶たない。
「大人しく結界を貼って見てればいいものを・・・。少しは妖術使い達を見習いなさい!」
 陰陽師に敵対する妖術使い達は近付いてこないのに、陰陽師達は功を焦って猪突し、妖の栄養になっている。この愚かな状況を見て舌打ちしてスキマに消える紫。
「神主!」
 有子に会うのを取りやめて博麗神社に戻った紫は、神主に詰め寄ってこの異変を解決する手段を相談する。
「ついに始まったか・・・。」
「知っていたの?知っていたならどうにかできたでしょう?」
 鬼子と呼ばれる特異な存在は裏の社会では有名である。
「相手は鬼子だ。鬼子が人として平穏に死ねるわけがない。それに、お前が面白半分に鬼子と接触し修行を怠ったから、防げる異変も防げなくなった・・・だから慌てて来たのだろう?」
「く・・・。」
 西行寺有子にかまけて修業を怠ったせいで、封印する術を習得できなかった紫である。
 紫自身はまだ覚醒して間が無く、境界を操る力の全てを自分のものにしているわけではない。境界を操り有を無にする事は簡単だが、無から有を創ることは出来ない。創造主ではない紫は、無から有を作り出すことは出来なくとも、現実世界に存在するものを概念上の仮想空間に、オリジナルを複製して幻想世界を創る事は可能である。この概念移設代替方式『幻想郷理論』を元に修業次第で新しい世界を創り出す事は十分可能だった。対象が限られているものならこの理論を使って、物などに封印することが可能で、これは広く用いられている有名な封印術である。今起こっている異変も小さな桜のうちに施していれば十分解決出来るはずだった。
 博麗神社の神主は幻想郷構築の為の修業の前段階として、いずれ起こると予想した鬼子の問題解決にこの初歩的な封印方法を紫に使わせようと目論んでおり、習得させようとしていた。しかし、紫はその鬼子に魅了され取り憑かれてしまったわけである。
「分かった。今からやるわ。」
「無理だ。どんなにがんばっても2年はかかる。」
 特定の地域に結界を張って切り分けるだけなら今でも問題なく出来る。特定の地域を別の世界に移設して、双方を維持するには、概念という物質ではない世界に同じ世界を思い描き、境界の力を使って分けなければならない。
 この思い描くという作業が実は一番大変なことであり、現実にある存在を正確にトレースできる技能が必要になる。難しくはないが単純作業で非常に面倒で時間が掛かる。当然世界を広く保とうとすればするほど時間がかかるのだ。
 世界を構成する物質、原理、規則は時間をかけて解析しなければならないが、これは超高性能演算装置でもある当時『お乱』と名乗っていた九尾の得意とするところだった。しかし、紫が鬼子にかまけていたせいで、ふてくされて何もしていなかったのである。
「三ヶ月よ。三ヶ月で覚えてみせるわ。」
 八雲紫は凄まじい闘志と妖気で神主に迫る。普通の人間ならそこで気押されるところだが、神主は全くひるまず涼しい顔をしている。
「・・・わかった。そこまで言うなら修業を再開するぞ。お乱にも話を通せ。だが、その前に有子の命を持たせなければならぬであろう?すぐに戻れよ。」
 三ヶ月の間に有子が死んでしまったのでは意味が無い。
「・・・ありがとうございます。」
 紫は深々と一礼して一旦スキマを使って有子の処に戻った。

 佐藤家に戻った紫はすぐに有子の部屋に向かう。
「有子、調子はどう?」
 紫は有子の顔を見た時、まるで死人の顔だと思った。そして長くは持たないとも直感した。紫はそうした思いを表情に出さないように笑顔で取り繕う。そんな紫の心情を見透かした有子は笑顔で応えた。
「紫、お願いがあるの・・・。」
 身体を起こそうとする有子を手伝って支えつつ手を握ぎる紫。
「ええ、何でも言って頂戴。」
「お願い、私をあの桜の木まで連れて行って。」
「!・・・そ、それはダメよ!危険よ。」
「私は大丈夫。あれは自分の力ですもの、私には及ばないわ。」
「で、でも・・・。」
「私の見ていた悪夢は、閻魔が私にこの罪を償わせようとするもの。あの世にいって現世の罪を償わなければならいの。閻魔の言うことを聞けば、あの桜ごと私をあの世に封じてくれるの。」
「それは、夢よ。そんなものを信じてはだめ!」
「紫、お願い・・・これ以上、もうこれ以上人を殺したくないの・・・。」
 涙を流して懇願する有子。今この時においても大勢の命があの桜によって奪われているのだ。
「有子、聞いて。あの桜を封印する方法があるの。」
「ほ、本当?」
「ええ、でもそれには少し時間がかかるの。三ヶ月、三ヶ月で術を完成させる。だからそれまで、がんばって!お願い!」
 有子の手をぎゅっと握りしめる紫。
「・・・紫・・・分かったわ。紫が戻って来るまで私頑張るわ。」
 それを聞いて紫は涙腺が決壊し、そのままなだれ込むように有子を抱きしめる。有子もまた背中に回した腕を強く締めて紫を抱き返した。

 佐藤家の者に事後を託した紫は博麗神社に戻る。
「戻ったか。」
「待たせてしまって申し訳ありません。」
 神主に一礼して、友人ではなく修業を受ける弟子の顔つきになる紫。
「こんなもの、スキマで消し去ればそれで終いじゃないのか?」
 お乱が最も楽な方法を提案する。
「恐らくそれを閻魔は狙っているのよ。何が何でも有子を向こうに連れて行こうとしているの。」
 有子の夢と桜の異形化のタイミングが余りにも良すぎる。恐らく桜と有子の繋がっているのと紫は睨んでいる。片方が死ねば双方が死ぬようになっている。両方生かさなければいけない。その為にはあの空域を生きたまま安全な場所に封じる必要がある。そうすれば妖怪桜を通じて有子にアクセスしてくる閻魔の間の手から逃れられ、有子は夢を見る事もなくなり回復するはずだ。
「・・・ま、私はどっちでもかまわないが・・・それより測量はしなくてもいいのか?」
「情報は全て私の中にあるわ。お乱と私の脳を繋げて直接情報のやり取りをする。」
 紫とお乱の境界を取り払うことで脳を共有し、お乱が現場に行って測量する手間を省くということである。
「やれやれ、余計なものまで見せるなよ?」
「あなたが見なければいい話よ。」
 この時のお乱と紫の関係は、お乱が覚醒後の紫を主と決め従属することを誓ってはいるが、総合的な力はお乱の方が上で、新米仕官を補佐するベテラン古参兵といった関係である。
 神主に案内され、神社の本殿に入る神主、紫、お乱の3人。神主は何も書かれていない屏風を2人の前に置き、この中に西行寺の屋敷と周辺地域を移設するように指示する。
 2人の繋がった脳で正確に世界をトレースして屏風に焼き移すというわけである。
「始めるわよ!」
 紫の合図で世界構築と移設の第一歩が始まる。そしてこれが幻想郷の始まりの一歩でもあった。


 季節が秋に移った博麗神社。
「やはり無理だったか・・・。」
「三ヶ月では到底無理なのだ。分かっててなぜやらせた?」
 ズタズタに引き裂いた屏風の代わり一面の無地の扇子を持ってスキマに消えたそこにいない紫を見るように、神主とお乱が話合っている。
「西行寺有子は助からん。ならば最大限利用するまでだ。」
「なるほど・・・この死別を奮起の材料にすると・・・。」
「妖怪にはわからんと思うが、人の命は有限だ。のんびりはしておれんのだよ。」
「思惑通りにいかなかったら?」
「その時はわしの命を好きにするがいい。」
「ふん、いい覚悟だな。人間は本当にむかつく。」
 そう吐き捨てて本殿を去るお乱だった。


「紫ががんばっているのに・・・私も負けられない。」
 あれから一度も顔を見せない紫、便りがないのは元気な証拠だろう。
 三ヶ月という限定された生きる目標を得た有子は、気力が回復し復調の兆しが見え始めていた。
 そして付き添われて屋敷の中を歩けるまで体力が回復した頃、季節は変わり約束の三ヶ月が過ぎた。
 16歳の誕生日を先日済ませた有子の復調の兆しは単に蝋燭が燃えるきる最後の輝きでしかない。それは佐藤家の者も、当人の有子も分かっていた。
 庭先から西行寺の屋敷のある方角を見ると、天に立ち昇る渦が間近に迫っている様子がはっきりと見えるようになった。異界領域は少しずつ広がり、三ヶ月経って更に広がり佐藤家の屋敷にも近づいてきている。既に多くの家々が闇に呑まれ、多くの人の命が奪われていた。
 八雲紫が佐藤家を訪れた時、その来訪を予感していたかのように有子は外衣を纏った姿で瞑想をしていた。
「待っていたわ紫。」
「・・・有子。」
 家で待つように説得を試みようとした紫だが、一緒に行く気満々の有子の気迫に次の言葉を繋ぐ機会を逃してしまう。
「行きましょう。準備は出来ているわ。」
 顔色は相変わらず良くない。元気に見えるのはそう振舞っているからだとすぐにわかる。
 最初に有子の顔を見たときはこのまま幻想郷に連れ去り、そこで何もかも忘れて一緒に暮らせるのではないかと思った。しかし、明らかに命の力が弱まっている。もう長くない。
「あ、あのね、有子。」
 封印の術を習得して戻ると啖呵を切って三ヶ月の猶予をもらった手前、まだその封印の術が完成していない事を言い出せない紫。
 理論は完成している。後は実践を繰り返しながら少しずつ煮詰めていく段階である。ぶっつけ本番で成功してみせると意気込んで来てみたものの、有子の気丈な振る舞いを見るにつけ、自分の失態が悔やまれる。何故もっと早く学んでおかなかったのか?急がなくても問題ない。今は有子と楽しく過ごしたい。そうやって問題を先送りにしてきたのだ。
「大丈夫よ。必ず成功するわ。」
 心配そうな紫を察して笑顔で励ます有子。懸命に命の残り火を輝かせている有子を見て紫も腹をくくった。後戻りできない。必ず成功させる。
「行きましょう有子。」
 有子の背後に佐藤家の面々が並んで紫にお辞儀をしているのが見えた。頷いてスキマを開いて先に入り、中から手を伸ばして有子を誘う。
 スキマに入る前に足を止めて佐藤家に最後の別れの礼をした有子だった。

 西行寺の屋敷の正面門に出た紫と有子は、変わり果てた屋敷に絶句する。屋敷の壁や地面、他の樹木も含めあらゆるものに毛細血管の様な根が侵食し脈を打っている。
 陽の光が完全に遮られ不気味な発光体が周辺を漂っていなければ真っ暗で何も見えないだろう。
 時折漂う光がこちら近づいて身体を素通りしていくが、その時、恐ろしい悲鳴のような声と苦痛の表情が脳に直接飛び込んでくる。この光は成仏できずにいる人魂なのだ。
 問題の桜は中庭にあるので、まず玄関から屋敷に入る。廊下を歩いて中庭に向かうが途中沢山の死体を見る。
 紫は妖桜の死の攻撃に常にさらされているが、境界を操ってその力を別の次元に反らしてやり過ごしていた。
 有子にとって約4年振りの帰宅となったが、その不在の間建て替えや増築はしておらず、昔のままなので迷うことなく問題の中庭たどり着く事が出来た。
「これは!」
 中庭を見た2人は同時に声を上げる。
 その桜は有子が誕生した記念に桜の若木を植樹したもので、有子と共に成長し幹を太らせたものの、大木までにはなっていなかった。しかし、その妖怪桜は幹の周囲が4メートルを超える大木に育っており、しかも季節は秋なのに満開に咲き乱れている。
 しばらくその満開の桜に見とれていると、背後に何もかの接近を感じ、紫はそれを咄嗟に攻撃する。
「お父様!」
 それは有子の父、西行寺人麻呂の変わり果てた姿だった。中庭の桜が良く見えるこの部屋が父の寝室だと思い出した有子は、紫が倒した父の亡骸に近づく。しかし、紫に制止されて冷静になると、屋敷の中に潜む夥しい数の歩く死体の群れに囲まれている事に気付き慌てて紫の側に戻る。
「この桜が死体を操っている。有子のお父上はもういない。」
 紫は有子にそう説明して父はもういないことを言い聞かせる。うなずいた有子を背中に感じつつ、次にスキマをいくつか開いてそこから剣を召喚する。
 3本の剣は中庭に面する三つの部屋の前にそれぞれ移動し、屋敷から中庭に下りようとする死体の群れを次々に切り捨てていく。紫の妖力で動くこの式剣に命はなく妖怪桜の力は及ばない。
「紫!」
「有子、はじめるわよ!」
 周囲の安全を確保した紫は白地の扇子を一面懐から取り出しそれを開いて桜に向かって水平にかざす。
 眉間に気を集中し、この空間をそのまま扇子の中に写しこむイメージを膨らませる。
「はぁっ!」
 気合の声と共に両目をカッと見開き、術を施行する。
「・・・どうして!」
 しかし、術は発動してもその効果が現れない。
 紫は何度も何度も同じ事を繰り返す。しかし、一向に成功する気配がない。
「紫・・・それを貸して。」
 そんな紫に有子は諭すように声を掛け、純白無垢の扇子を取り上げる。
「有子・・・。」
 西行寺有子はそこで、トモヱから教えられ幼少から続けていた舞を始める。
「ねぇ、紫どう?」
 踊っている姿の感想を紫に求める有子。
「とっても美しいわ。有子。」
 うっとりとその光景に見とれる紫。
「ふふ、紫は何も分かっていないのね。」
 そんな紫に水をさす有子。
「え?何を言っているのよ、有子?」
 舞を褒める紫をたしなめる有子。
「この光景を見てみなさい。光の差し込まない闇の世界。これは私の犯した罪、私の全て。どんなに綺麗に舞って見せても、本質が穢れの極みにある私の舞など美しくもなんともないわ。」
 そう言って優雅な舞をやめる。
「目に見える物と、その本質は必ずしも一致しない。」
 心を見透かせる有子は常に本音と建て前、真実と嘘の境界を見てきた。
「あなたの術が成功しないのは、私という本質を色眼鏡で見ているから。だから私の作り出したこの世界を見誤ってしまうのよ。」
「そ、そんな・・・。」
 それはまさに神主から常日頃言われている事だった。目に映るものの本質を自分で勝手にそうだと決め付ける。悪い癖だと何度も注意されてきた。お乱がいくら正確に外側を計れても自分がその内側を見誤っていたのでは意味がないのだ。
 無理に舞って体力を使い果たした有子は、とうとう力尽き身体を揺らしてそのまま倒れこむ。慌てて紫が抱きかかえる。
「紫、この異変は閻魔が解決するわ。私の体と引き換えにね。」
「有子!」
「ふふ、人を殺すしか能がない私を最も効果的に最大限に利用するらしいわ。それが罪滅ぼしになるのですって・・・殺しの罪を殺しで償わせるなんて滑稽よね。」
 自嘲気味に微笑む有子。
「有子は、人殺しなんかじゃない。人殺しから父を守っただけよ!」
「ありがとう紫。あなたはどんな事があっても私の味方になってくれた。本当にありがとう。」
 紫は跪いて自分の太ももの上に有子の頭を乗せ無理に身体を起こして負担をかけないようにする。
 とめどなく溢れる涙は、頬伝って有子の顔に零れ落ちる。
「紫、お願いがあるの・・・。」
 弱弱しい声で紫に最期の頼みをする有子。
「何?何でも言って頂戴。」
「紫のさっきの術で私の心を封印して・・・。」
「え?」
「私は人を殺すしか能がないけれど、それは誰かを守るためのものでありたいの。ただ罪滅ぼしのためだけに理由無く殺したくはない・・・閻魔には体はやっても心までは渡さない。心は紫、大好きな紫にあげたいの・・・。私の本質を知った今の紫ならきっと出来るわ。」
 紫は口を開いても震えてまともにしゃべれないと知り、何度も何度も頷いて有子の願いを了承した。
 有子から渡された無地の扇子を受け取った紫は自然体のまま、気負う事無く扇子を持つ手をくるりと返して、何かを掬い取るような動作をする。それはとても簡単な作業だった。
 一度下を向いた扇子の表面は、次に上を向いた時そこには美しい景色が描かれていた。全体が黒と紫の下地に屋敷や桜のモチーフが白や赤、青で美しく抜かれている。それは決して色鮮やかで心が安らぐようなものではなかった。しかし、その妖しげな美こそ有子の本質をよく表していた。
 紫がそれを有子に見せると有子は嬉しそうにその扇子を手に取り、指をとんとんと扇子に置いて、たくさんの蝶を描く。当時、蝶は不吉の象徴であり、死を連想するものだった。
「有子、あなたに約束するわ。必ずあなたの心を届けると。どんなに変わり果てた姿になっても、私はあなたを必ず見つけ出す。そして、人も妖も、神も怨霊も全てが共存できる世界を創って見せる。有子のような過酷な運命を背負った者が幸せに暮らしていける世界を・・・。」
「待ってるわ。紫・・・。」
 有子は目から光が消える。しかし、最後の力を振り絞って右手の小指を立てて掲げる。指の位置が遠くこの体勢では指切りできない紫は右手をスキマに入れ有子の正面から出し小指を絡める。ユニークな指きりに思わず微笑んだ有子。
「あぁ、楽しかった・・・紫と一緒に過ごした日々・・・本当に・・・本当に楽しかっ・・・た・・・。」
 有子が息を引き取ると同時に絡めた小指は重力に逆らえず地面を叩く。
 紫は膝の上に有子を抱いたまま、子守唄を歌い子供を寝かしつける母親のように身体を揺らし続けていた。
 西暦702年。西行寺幽々子は16年の短い人生を終えた。
 同時に佐藤家は岩老系妖事請負の妖術使いの集団に襲われ惨殺された。この異変に関わった全ての者を歴史の闇に葬ったのである。


 200年が過ぎた。

 日傘を差し紫色の衣装を纏った夫人が一人、最上段が遠い枯れ山の階段をゆっくり登って行く。
 階段の周囲には戦痕があり、かつてここで戦闘が行われていた事を示していた。石の階段が黒く汚れているのは血痕なのだろう。
 木々は枯れている。これは落葉樹の葉が落ちてそうなったのではなく、木そのものの命が尽きているせいだ。この山に命を思わせるものは何一つ存在しなかった。
 階段はやがて終点を迎えようとしていたが、そこに一人の老人が立ち塞がった。
「そこな妖怪!ここはお前のような妖者が来る所ではないぞ!」
 立塞がった老齢の剣士を見上げる八雲紫。
「来る所ではないぞ!」
 その傍らに小さな剣士が剣を構えて同じ台詞を言う。
「ゴン!」
 その小さな剣士は、老剣士の持つ刀の鞘で頭を思い切り叩かれ、その場で悶絶してうずくまる。
「これ!いきなり剣を抜くとは何事か!」
「だ、だって、剣が長すぎて鞘に収めるのがめんどくさいんだもん!」
「ゴン!」
 また叩かれる小さな剣士。老剣士はその後紫に向き直って恭しく頭を下げる。
「お久しぶりですな。八雲紫殿。」
「・・・あなたは・・・俊成?それとも功衛?」
「今は魂魄妖忌と名乗っております。肉体が俊成、この魂魄は息子です。」
「なるほど結魂して剣士の力を手にしたのね。で、この子はトモヱ?」
「いえ、生まれなかったトモヱのお腹の子です。トモヱはこの子の代わりに逝きました。」
「そう・・・。あなたお名前は?」
 頭を押さえて痛みに耐えている少女に紫は優しく声をかけ頭をなでてやる。しかし。
「汚い手で触るな!妖怪!」
「ゴン!」
 乱暴に紫の手を払った半霊の少女は、また妖忌に叩かれる。
「何分生まれずの子。躾がなかなか難しい・・・。」
 言い訳しながら、この少女の名が魂魄妖夢と紹介する。
「クス・・・。」
 少女から離れた紫は一面の扇子を取り出し妖忌に見せる。
「どうぞ、この先に冥界の狂い姫、西行寺幽々子様がおられます・・・。」
 この当時の白玉楼は大陸から移設したままの姿で白壁の古びた楼閣だった。
「いいの?通っても?」
「ええ、ずっとこの時を待っておりました。妖夢の事、よろしくお願い致します。」
 紫は結魂の意味を知っていた。そして妖忌が自分を通す意味も知っていた。
 妖忌が深々と一礼する。紫も丁寧な礼で返した。


「おい!そこのババア!」
 妖忌に案内するよう言われ後を追いかけてきた妖夢が言ってはいけない言葉を口にしてしまう。
 スキマから手を伸ばした紫は妖夢の頬を思い切りつねりあげる。
「あだだだだ!す、すびばせん!」
 体罰には慣れっこの妖夢だったが、紫の恐ろしい負のオーラに身の危険を感じて必死に謝りだす。
「今度それ言ったら殺すわよ?」
「はい!もう言いません!」
 土下座する妖夢。躾がなってないのは祖父が甘やかすからだと、自分の大人気無さを棚上げする紫。
「ここの主はどこに?」
「たぶん、西行妖のところです。」
「それは、どこ?」
「この楼閣の裏です。一階は吹き抜けだから建物から真っ直ぐ抜けられます。」
「ありがとう。案内はもういいわ。」
「大丈夫ですか?幽々子様の前に出たら殺されますよ?」
「妖夢は平気なの?」
「私とジジ・・・いえ、師匠は大丈夫です。」
「私も大丈夫なのよ。」
 そう言って紫は建物に入っていった。
 例え死んでも自分には関係ないと、案内の仕事が済んだ妖夢は、師匠のいる階段前に戻った。
「あれ?ジジ・・・じゃなかった師匠はどこいった?おーい!」
 それ以後魂魄妖忌を見た者はいない。


 建物を抜けると向こうに花も葉もついていない一際目立つ大きな木が見える。異形化して原型を留めていないが、感じる気配から西行妖に間違いない。
「あ・・・。」
 桜の下に人影を見た紫の足が止まる。
 様々な思いが込み上げてくる。長いようで短い、短いようで長い。この時を待ち望んでいたのに、今は何故か足に根が張ったように動かない。
 紫の知っている有子はもういない。あそこにいるのは冥界の狂い姫、無慈悲な殺人鬼と恐れられる西行寺幽々子という亡霊である。
「・・・。」
 しばし立ち尽くす紫。溢れ出す感情の渦をどう抑えていいのか分からない。
 日を改めようかと弱気になった時、いつもの癖で扇子を無意識にもてあそんでいる事に気付く。
「・・・そうよね。これを届けると約束したのよね・・・。」
 有子との最期の時を思い出した紫は、揺れ動いていた心の置き所が決まる。
 ゆっくりと歩き出す八雲紫。

 師であり祖父である魂魄妖忌の行方を探していた妖夢が楼閣を抜けて裏庭に出たとき、西行妖の下で向かい合う2つの影を見つける。
「幽々子様が・・・笑ってる・・・。」
 笑うどころか一言もしゃべらなかった遠くに見える主が笑っている様に見えた妖夢だった。
東方不死死 第39章 「三賢者会議」


 白玉楼の山門の中央で仁王立ちしている魂魄妖夢。
 剣は既に収めているが、拳を固く握ったまま全身からまだ怒りが抜けておらず、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 小野塚小町はそんな妖夢の後ろ姿をしばらく眺めた後、慰めようとは思うものの、かける言葉が苦言しか見つからず溜め息をついて長椅子に腰を下ろし、次に寝ころんで昼寝の続きを始める。普段なら2秒で寝つけれるところだが、妖夢の事が気になってなかなか寝る事が出来ない。
 普段より空が眩しく感じられたので余計寝られず、体を起こして腰掛け直しもう一度溜め息をついた。
「(やっぱ誰かに師事して学ばないと駄目だよな・・・。)」
 このまま一人で修業ごっこをしていても強くならない。
 半人半霊といっても中身は明らかに人間であり、特に精神構造は妖怪、幽霊や亡霊とも全く違う。
「(しっかし、あいつ・・・なんだってあんな業を背負ってるんだ・・・。)」
 死神には生死にかかわらず人の罪の大きさを知る事が出来る固有の種族能力がある。
 人間は他の命を奪い食さなければ生きていけず、人間は生まれながらにして原罪ともいえる業を背負う。そうした業は必要な業であり、死神の目からは微々たるものにしかみえない。しかし、人を殺したり社会秩序を大きく乱すような罪を負った者の業は大きく禍々しく見える。
 どんな凶悪な人間でも背負える業には限界があり、それ以上の業を背負えば人間ではない存在になってしまう。藤原妹紅は人間の限界をはるかに越えており、とっくに異形化していなければならない業の量である。
 小町はこんな大量の業を見たのは初めてのことだし、それでいて異形化していない人間を見るのも初めてである。実際には既に羅刹化している妹紅だが、それを押し止める力を身につけていることを小町は知らない。

 小町がめずらしく思考に没頭していると、ふと妖夢の様子がおかしい事に気付いてそちらに意識が向かう。
 先程は剣を抜いて見えを切って妹紅を追い払った妖夢が、何かの接近に反応してジリジリと身構えながら後ずさりをしているのだ。
「ん?どうした妖夢?」
 小町は立ち上がり鎌を取って小走りに向かう。
 上からは見えないが階段の下に誰かがいる。そして妖夢はそれに怯えている。藤原妹紅が仕返しに来たのだろうか。
 階段をゆっくりと登ってくる人影が見えた時、小町は思わず立ち止まって息を飲んだ。直接面識はないがすぐに分かった。藤原妹紅同様、寿命が見えない人物。そんな人物は幻想郷に3人しかいないはず。一人は藤原妹紅、そして、2人目と3人目は永遠亭の宇宙人。その内蓬莱山輝夜は少女の姿をしているらしい。と言うことはあれは・・・。
「(八意永琳!)」
 先程八雲紫が口にした名前だ。藤原妹紅と同じ対応をしたら妖夢は殺されてしまうかもしれない。
「待て、妖夢!」
 剣に手を掛け抜こうとする妖夢を大声で制止する小町だが、妖夢の動きは止まらない。
「妖夢!抜くな!抜くなあああああ!」
 しかし小町の必死の制止の声は妖夢の耳に入らず、恐怖の余り身の危険を感じて防衛本能で剣を半分抜いてしまう。
 剣に手をかける妖夢の存在を無視するかのように、ゆっくりと最上段まで上がり山門をくぐろうとしていた永琳は、自分に対して剣が抜かれる事を確認すると防衛行動をとらざるを得なくなり、警告として恐ろしい殺気を込めて妖夢を睨み下ろす。
 その気迫と殺気で恐れをなした妖夢は、攻撃ではなく身を守るために剣を抜く。それは剣士としては余りにも稚拙な行動だった。
「(こ、殺される!)」
 自らの未熟さで死を呼び込んだ妖夢は、迫り来る死を何とか討ち払おうと剣を構える。
 いきなり剣を抜かれた永琳としては、これを敵対行動以外に考える事は出来ず、当然防衛の為に相手を無力化する必要があると判断する。
「やめろ!妖夢!剣を置いて謝れ!あんたも少し待ってくれ!」
 今ならまだ間に合うと思った小町の制止の声が全く聞こえていない妖夢。永琳は妹紅と約束したことを忘れておらず、少し脅かして気絶でもさせようかと目の前の躾の悪い子犬を値踏みする。しかし、この時永琳も小町も考えていなかった事が起こった。
「化け物め!死ねええええええええええ!」
 恐怖で半狂乱となった妖夢はそう叫んで踏み込み、上段から剣を振り下ろして永琳の左肩口から腕を切り落とし、返す剣で腰のくびれて一番細い箇所を横に薙ぎ払う。
 小町は妖夢の肩に手を置こうとした瞬間、妖夢は動いてしまった。もう少し速ければ・・・。
 どんなにバカでもまさか斬りつけることはないだろうと思っていた永琳。その可能性を考慮できなかったのは、妹紅との話の中で妖夢の能力をある程度自己評価をして取るにならないと決めつけていたからである。しかし、その永琳の下げた評価の更に数倍下等な行動をしてしまう妖夢。流石の永琳も予想外だったのだ。
 永琳の左腕が石畳の上にぼとりと落ちると同時に鮮血が吹き出し、次に永琳の上半身は後ろに反って真っ二つに切り離され、そのまま頭から石畳に落ちた。頭が石の上に落ちる鈍い音と同時に下半身の断面から血が噴水の様に噴き出し妖夢と小町を紅く染める。
「な、何てことを・・・。」
 小町が目の前の惨劇をどう始末すればいいか考える間もなく、永琳がリザレクションして完全に元の姿に戻り、石畳を汚した血溜まりも蒸発するように消える。
「まさか、斬られるとは・・・ね。」
 何事も無かったかのように立っている永琳は、妖夢を残忍な表情で見下ろす。その瞬間永琳の気が爆発して放心状態の妖夢の精神を握り潰す。一瞬で心を持って逝かれた妖夢はその場で失禁してしまう。
「(やばい妖夢が殺される!)」
 完全にキレた永琳は妹紅との約束を忘れ、恐怖で身動きできない妖夢の首を手刀で薙ぎ払おうと構える。
 その時、違和感を感じた永琳の視界が横にスライドした。
「え?」
 手が動かない。いや動かせるが目標の位置が変わって手を咄嗟にとめた。
「(首を切られた?誰が?何時の間に?)」
 キレて我を失った永琳だったが、自分の首が切られて横にずれていることに気付いて一瞬で我に返る。
 鋭利に切断された首が重力に逆らえず地面に落ちる瞬間左手で落ちないように支えて首を元の位置に直す。正しい位置に戻されたおかげで負傷は自動修復されてリザレクションを免れる。
 目の前の抜け殻の様な妖夢に興味をなくした永琳は、自分の首を気付かれずに斬った何者かを捜す。
 妖夢は永琳の放つ気で無理矢理立たされていたのか、永琳の興味が他に移ると糸が切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちる。完全に腰が抜けているため下半身ごとすとんと真下に落ち、膝を崩した正座に一瞬だけなる。しかしバランスを崩した上半身はそのまま前に倒れ、腕は力なく落ち受け身をとる事をしない。完全に意識を失っているようだ。前に倒れた上半身は自分の太股がクッションになって頭を強く石畳にぶつけずにすんだ。
 酷い匂いが周囲にたちこめているが、これは妖夢が失禁して無意識に排泄までしてしまったためである。
 半人半霊のシンボルともいえる大きな魂魄はゴボウの様にしぼみ、石畳の上で陸に打ち上げられた魚の如く苦しそうにもがいている。このまま何もしなければいずれ妖夢の呼吸は止まるだろう。

 永琳は繋がったばかりの首を巡らすと、すぐに大鎌を構えた死神を捉える。
「あなたがやったのね?」
 生唾を飲む小町。無意識に体が動いてしまったが、攻撃した以上報復は免れない。まともに戦って勝てる相手ではないのは分かっている。首を落としたはずなのに死なないし、死んでもすぐに生き返るのだ。
「(くそ!こんなことになるなら、もっとさぼっておけばよかった・・・。)」
 諦めた小町は鎌を足元に放り投げると、その場に座り込んであぐらをかき、腕を組んで好きにしろと言わんばかりに何故か威勢良く威張り出す。
「畜生め!煮るなり焼くなり好きにしろってんだ!バーロー!」
 居直るというのはこうやるのだと、まるでお手本を見せるかのように、完璧に居直って見せる小町。しかし、そんあ小町の予想とは違った態度をとる永琳。
「助かったわ。ありがとう。」
「え?」
 攻撃性が消えた永琳は、腹をくくった小町に何故かお礼を言う。小町には当然その意味が分からない。
 生体反応が極端に弱くなった妖夢の様子を伺う永琳。危険がないと見て小町は立ち上がって永琳の後ろに立つ。
「あたなが首を斬ってくれたおかげで、頭が冷えたわ。」
「いや、どういたしまして・・・。」
 屈んで妖夢の様子を診ながら背中で話しかける永淋に釈然としない様子で答える小町。
「でも、困ったわね。このまま放っておくと死んでしまうわ。」
「殺すつもりじゃなかったのか?」
「ここに来る途中、妹紅と約束したの。門番を殺さないと。」
「藤原妹紅が?」
「人間ってほんと不思議ね。家族でも友人でもない者ために必死になって命乞いするなんて・・・。」
「・・・。」
 小野塚小町は藤原妹紅という人間がどんな人物かを理解できた気がした。
「(あいつの背負っている業はそういう業なのか・・・。)」
 永琳は立ち上がって小町に体を向ける。
「どうやって私の首をはねたの?」
「どうやってて・・・そりゃー鎌でスパっと・・・。」
 そんな事は聞かなくとも分かっている永琳。昔ならバカにされたと思って腹が立つところだったが、何故かそのとぼけ方が妹紅と重なって笑いたい気分になる。
「・・・ほんと、ここは不思議ね。今の今まであなたのことなど、全く気にも留めていなかったのに・・・まるで妹紅みたい。」
「・・・そりゃどうも。」
 誉められてるのだろうか?表情を変えず謙遜する小町。
「ところで、このままだとこの子死んでしまいそう。あなた助けられる?」
「精神的にやられて、気が萎んでる・・・気をいれてやれば息を吹き返すと思うけど・・・。」
「気を入れる?」
 小町から目を離し倒れている妖夢に一瞥を入れる永琳。
「それ、お願いできるかしら?」
「ああ、ちょっと上半身上げてもらえる?」
「ええ。」
 小町の求めに応じて、永琳はまるで物でも掴むかのように妖夢の髪の毛を無造作に掴んでそのままぐいと上半身を無理矢理引き起こす。その動作には人間らしい温かみや優しさは微塵も無かった。小町はそれを見て一瞬文句を言おうとしたが止める。妖夢のしたことは殺されてもおかしくない行為であり、それを永琳は自分の意志か、妹紅の義理かは分からないが、助けようとしているのだ。
 小町は言いたい事をぐっと抑えて妖夢の背中側に回り、両手を胸の前で合わせて気を込めてその手に集中させる。強い力が一点に集まっている様子は永琳にもわかった。
 しばらく気を練り上げると、気合いの声と共に気に満ちた手を妖夢の背中に叩き込む。
 バシっという大きな音とともに、妖夢の背中が反り、目を一瞬開けるがすぐに閉じてまた力なく永琳の腕に支えられる。
 妖夢の外見に変化はないが、ゴボウのように縮まって活きが悪くなっていた魂魄が膨らみはじめ、宙に漂い始める。そして先程まで死体のようだった妖夢は、元々顔色が良いわけではないがほんのり紅みがさし普通に眠っているように静かに呼吸し始める。
「なるほど、そうやるのね。」
 永琳は研修を受ける生徒のように小町に感心の視線を向ける。
「なぁ、あんた・・・もし、藤原妹紅に何か言われてなかったら・・・。」
「ん?そうね、何のためらいもなく殺していたでしょうね。」
「・・・申し訳ない・・・。」
 小さく頭を下げる小町。
「何故、あなたが謝る必要があるの?」
「いや、あんたの首斬っちゃったし・・・それに、妖夢の事は前から気に掛けていたから、助けてやりたかったし・・・。」
 首を斬られた事を思い出す永琳。気に留めていなかったせいで油断もあっただろうが、全くその動作を感知出来なかった。相当な実力を持っていると思われる。
「名前を教えてもらえないかしら?」
「あたい?あたいは小町、小野塚小町。」
 外見は全く似ても似付かないが内に凄まじい力を秘めているところとは何となく藤原妹紅と被る。
 その時、自分に向けられていた小町の視線が変わったのを見て振り向く永琳。
「(あれは・・・八雲藍。)」
 白玉楼の建物は高床になっており、石畳の通路からは小さな階段を上がる事になる。その階段の横に履き物を並べる為の簀子縁がある。
 外に大きな気の変化を感じて様子を見に来たと思われる八雲藍は、その階段を降りた簀子縁に立ってこちらを伺っていた。何かあれば飛んで来るつもりだったのだろう。


 白玉楼の山門前で妖夢が完全に永琳に呑まれてしまっていた頃。
「え?ちょ、ちょと、何よ急に・・・。」
 殺気に満ちた表情でジリジリとにじり寄る藤原妹紅を前に後ずさりするレイセン。
 上で起こった気の爆発と妹紅との行動が連動していることは理解出来るが、それ以外の事は何も分からない。
「(なめやがって・・・ぶっ殺してやる!)」
 あれほど妖夢を殺さないように頼み、更にレイセンも人質に取ったにもかかわらず、あっさりと妖夢を殺す永琳に心底腹がたった妹紅。
「(人に会いに来て人を殺したら、何にもならないだろうが!)」
 恐らく永琳と紫の会見は失敗するだろう。もうじき大きな争いが起こり白玉楼は血に染まる。そして、そうなれば幻想郷は終わりである。 
 レイセンは、妹紅の態度が本気なのか演技なのかいまいち把握できず、引きつった笑顔をみせたまま敵意がないことを示すため手の平を見せ小さく何度も振る。仮に妹紅が本気だとしても勝てる相手ではないので既にレイセンには戦うという選択肢はない。
「う、うそよね?」
 妹紅が拳をぎゅっと握りしめ、正に攻撃しようとしたその時、山頂の妖夢の気配が復活する。
「・・・。」
 腕を止めた妹紅は、気を研ぎ澄ませて山頂にいる複数の気を正確に感じとる。そこに僅かながら妖夢の気が存在していることを確認する。
 妹紅はレイセンに正対したままくるりと反転し背中を向ける。隙だらけだが攻撃する気はないレイセン。妖夢の様に自分と相手の強さを客観的に判断出来ないわけではない。
「(かなり小さくなったが、死んではいないな・・・。)」
 妹紅は安堵してレイセンに向けた殺気を消す。
「い・・・今の何なの?」
 妹紅から殺気が無くなって一安心したレイセンは、上で起こった巨大な殺気を顔色を伺いながら恐る恐る妹紅に尋ねてみる。
「お前の師匠だろ?」
 妹紅の返答の仕方からいつもの妹紅に見えるが、口調からまだ警戒心が解かれていない事がわかる。
「ええ、そうだけど、何やったんだろう?ここまで来て問題起こさなければいいけど・・・。」
 まるで保護者のような台詞を言うレイセン。永琳が何の為に来ているのかはしっかり把握しているようである。
 妹紅は永琳の巨大な気と妖夢の小さく萎んだ気を感じるが、もう一つ大きな気が存在する事に気付く。
「(誰だ・・・紫や藍、幽々子・・・じゃないな・・・閻魔?いや、妖夢の後ろにいたあの大女か・・・。)」
 大柄で大鎌を担いだ赤い癖毛の女が居たのを思い出す。その時は特に気にもしなかったが、何とかは爪を隠すというタイプなのだろうか。しかし、余計な事をして永琳に殺されても知らないぞ、と面識の無いその女性を心配する妹紅。永琳に殺すなと注文を付けたのは妖夢だけで、あの大女の事は何の条件も出していないのだ。
 大女の気が小さくなると妖夢の気も回復した。あの女が何をしたのか理解する妹紅。
「あ、あの・・・妹紅?」
 かしこまって何かモジモジしているレイセンから声を掛けられる。
「ん?」
「そ、その、ありがとね。」
「何が?」
 急なレイセンのお礼に気が抜ける妹紅。それにしても礼を言われる事をした覚えがない。
「師匠を変えてくれて・・・。」
 相変わらず変な服だなと思いながらレイセンをつま先から頭のてっぺんまで品定めするように見る。
 永琳が変わってだいぶ困っているような事をてゐから聞いたが、まーあれは嬉しい悲鳴みたいなもので、内心は嬉しくてしようがないのだろう。
「お前も何か変わったんじゃないか?」
 永琳の事は無視してレイセンの変化を指摘してみる。
「そうかもね・・・でもそれも妹紅のおかげかもしれない。」
「?」
 先日、凄まじい妖気を放出したまま永遠亭にやってきた妹紅。そこから何かが急に動き出した。輝夜が強制跳躍したり、その後、輝夜や永遠亭の秘密を知ったり、死にそうになったり、うな丼を食べ損なったりしたお陰でようやく永遠亭の一員になることが出来たのである。
 廃人に近かったレイセンが回復したのはてゐによるところが大きいが、幻想郷に落ちて彷徨っていたレイセンを一番先に発見したのが妹紅である。その妹紅がレイセンをてゐに引き渡して現在に至るわけである。
 妹紅と敵対する立場ではあるが、戦いの中で憎いと思った事は一度もない。そもそも誰かを憎むという感情すらなかったかもしれないが・・・。

 妹紅は上の様子が気になるのでしばらくここに留まる事にし、ただ立っているのも退屈なのでレイセンと世間話をする。
「レイセンは医者とか薬屋になるの?」
 口調が丸くなる妹紅。妹紅は普段女口調だが、戦闘の時などは男口調になる。口調が女に戻ったという事は戦闘体勢を解除した事だと察知してレイセンはほっとする。
「そのつもりだけど・・・。」
「ふーん・・・。」
 妹紅は少し考える。永琳をここに呼んだのは異変を正しく進める為に紫と共同作業をさせ為であるが、もう一つ、魔理沙の肉体に魂が戻れるように保護してもらいたいという目論見もある。
 具体的にどんな状況になるか今の段階では予測出来ないが、そんな状況が訪れた時、この目の前にいる頼りないレイセンもせいぜい役に立ってもらおうと考える。
「レイセン。礼を言うだけなら誰にでも出来るわよね?」
 少し意地悪くレイセンを睨む妹紅。
「え?それは・・・。」
 今のレイセンにとってお礼の言葉以外に物として贈れる形あるものは何一つ持っていない。レイセンはその事に気付いて少しショックを受ける。長距離から狙撃して人を殺す術しか他人に自慢できる技能は持っていない。人に喜ばれる何かを作れる技術もない。師匠の手伝いやお使いすらまだ満足に出来ないのだ。
「・・・。」
 シュンとするレイセン。
「もし、あなたが私に恩を返したいと少しでも思うなら、私と約束して。」
「え・・・な、何を約束すればいいの?」
「目の前の命を諦めない・・・と。」
 勿論、魔理沙を助けて欲しいというメッセージである。
「・・・ど、どういうこと?」
 しかし、当然ながらレイセンには妹紅の言っている意味が分からなかった。
「分からないなら、分かるまで修業をすることね。それでも分からないなら・・・今の言葉は忘れて。」
 白玉楼の方では妖夢の気がだいぶ安定した。大女も特に何もされていないようだし、永琳も相変わらずだ。もう大丈夫だろう。
 妹紅は、その言葉の意味を理解していない戸惑った様子のレイセンに何も言わず幽明結界の門を押す。
「あ、妹紅!待って・・・。」
 レイセンも子供ではない。いちいちあーしろこーしろと指図してその通り行動させるのではなく、自分で考えて結論を出すようにしなければならない。
 社会性のない単独妖怪は、何百年生きていても中身は子供と変わらない。それは妖怪としての本質と本能のまま動いているからで、内面の成長は常に社会という共同体の中で発生するストレスから生まれるのだ。ストレスを避けて自分の都合の良い選択ばかりする妖怪は一向に変化しないのである。
 例えば、自分の都合だけで行動する闇を操る妖怪ルーミアは、妖精などと精神年齢は同じくらいで、よく妖精と一緒にいる事がある。その一方でミスティア・ローレライは、屋台を切り盛りし社会性を身に付け急激に精神を成長させ、付き合う妖怪の質が次第に上昇している。
 レイセンは本質で言えば月のウサギであり軍人奴隷でもある。主人に対して従順で逆らわず、決して自分で判断せず命令に絶対服従するように造られている。レイセンはそんな月のウサギとしては壊れた不良品であるが、それは幻想郷の基準で言えば正常でもあるといえるのだ。
 妹紅が言った意味不明の言葉は彼女にとって不快な精神的ストレスとなるだろう。だからこそいいのだ。ストレスを乗り越えた先に成長がある。
 妹紅はレイセンにあえてストレスを与えるため、何も言わずその場を去ったのである。


 八意永琳は、本来の目的を果たすために八雲藍の立つ白玉楼入り口に歩き始める。
 気を失っているままの妖夢を守るようにそばに付き添う小町は、母屋の方からこちらの様子を窺う使用人の数名の幽霊を手招きして妖夢を母屋へ運ぶよう指示する。
 白玉楼前に出る永琳に、八雲藍が用件を問う。先程の出来事などまるで無かったかのような対応である。
「本来これは魂魄妖夢の役目でしたが、私が代わりにお伺い致します。白玉楼へは庭園の見学でしょうか?建物の見学でしょうか?」
「そのどちらでもありません。私は八雲紫に会いに来ました。」
「どの様なご用件で?」
「今回の異変に件について是非聞いて欲しい事がありましたので。」
「はて、異変とは?」
 一応とぼけてみる藍。
「とぼけなくても結構です。未来に起こる事は全て承知しておりますから。」
「ほう・・・それは蓬莱山輝夜の能力・・・という事ですかな?」
「その通りです。」
 双方表情を全く変えずに必要な用件だけを述べ合う。端から見ると、まるで大根役者2人の棒読みの芝居を見ているようで退屈である。
「今、八雲紫は会議に出席しております。終わるまでお待ち戴けますでしょうか?」
「急ぎの用なので出来れば今すぐ取り次いで戴けませんでしょうか?」
「・・・分かりました。主催の西行寺幽々子様に伺って参りますので、少しの間ここでお待ち下さい。」
「よろしくお願いします。」
 藍が礼をして建物内に向かうとその背中に永琳は礼を返す。


「会議に参加しにきたのか・・・。」
 三賢者会議は、幻想郷の事を知ろうと四季映姫がたびたび有力者との会合の席を設け、その後の博麗神社の衰退と共に制度化して行き、紫が復帰した数年前から正式に『三賢者会議』と命名した。
 それ以前から、三賢者会議の前身となる有力者の会合は何度も行われてきたが、今回の様な呼ばれていない者が突然来訪するという事態は初めての事である。四季映姫が参加しなかった会合もあるので、もしかしたら初めてではないかもしれないが、少なくとも小町の記憶にはない。
 しばらくして戻ってきた藍に案内されて建物に入っていく永琳を母屋側の通路で見送る小町。
「一体何が起こるんだ・・・。」
 今の段階では何も分からない小町は、幻想郷で起こる事に干渉できる立場ではないので深入りは出来ない。会議の方に後ろ髪を引かれるが、今は妖夢の事が心配である。数名に幽霊に担がれて母屋に入る妖夢の後に続く小町である。


 八雲藍の背中、というよりほぼ全面尻尾だけの後姿を見ながら白玉楼の廊下を歩く八意永琳。
 白玉楼の建物は離れ以外の主となる部分はほぼ正方形で、庭のある西側に面した廊下が開け放たれて、外から入る入り口にもなっている。
 建物の西側南北に伸びる廊下は突き当たりで東西に伸びる廊下となるが、更に突き当たりで南北の廊下と交わり、四角形の一本の廊下になっている。
 その廊下の中央に面した側には正方形の小さな部屋が襖で仕切られて碁盤の目の様に並んでいる。
 正方形の主となる建物の南西は母屋があり、渡り廊下でつながっている。南東は小さな庭になっており、ここは白玉楼の住人の庭で、外から来る人が無許可で立ち入れる場所ではないので、この庭の存在を知らない者も多い。
 東側には離れがあり、この建物は収蔵品の倉庫となっている。
 北側にある離れが三賢者会議などで使う談話室になっており、ここは座敷ではなく板張りの部屋になっており、テーブルを囲んで椅子に腰掛ける形式になる。
 数人だけの会議には不必要なほど広い部屋のため、部屋の中央に仕切りを立てて最低限のスペースだけにしている。
 建物に案内された永琳は、靴を脱いでそのまま小さな階段を上がって西の廊下を北進し突き当たりの角で東に向かう。進行方から見て右側に常に襖が見え、北の廊下に出ると外側の壁は目の高さより少し上に採光用の横に長い天窓が一定の間隔に並んでいるだけである。北側の廊下に面した襖は水墨画で、西の庭に面した色とりどりの襖とは違った趣がある。
 北側の廊下を東に向かうと中ほどで北に曲がる三叉路になり、そこを北に曲がって少し歩くと木製の両扉に突き当り、これまでの純和風の面持ちから少し変化する。
「八意永琳様をお連れしました。」
「入っていただいて。」
 藍の言葉に反応して部屋の中から女性の声がする。聞き覚えのある声で八雲紫ではない声、この会議の主催西行寺幽々子の声と思われる。
 扉を開けた藍の前を通って部屋に入ると、中央に仕切りで囲われた一画を見る永琳。
 背後で扉を閉めた藍がその場で様子を伺っている永琳の横を進み、仕切りの一枚に手を触れると、その仕切りがドアのように開く。
「どうぞ。」
 四方を完全に取り囲んでいるのだろうと理解した永琳は再び藍の前を通り囲いの中に入る。
 囲いの中の中央には丸いテーブルがあり、四方に椅子が置かれ、向かって正面の北側の椅子に主催の西行寺幽々子、東に四季映姫、西に八雲紫が座っている。南の椅子が空いているがこれは八雲藍のものだろうか?しかし、囲いの外をぐるっと回って別の入り口から中に入った藍はそのまま紫の背後に立つ。
「先程は大変失礼しました・・・。」
 恐らく妖夢の件だろう。幽々子は開口一番まずは謝罪をする。
「気になさらないでください。」
 永琳は、幽々子の謝罪が長引きそうだと感じ、口上の途中で言葉を挟んで制する。それは無礼といっていい態度だが永琳は気にしない。言葉遊びをしにここに来たのではないのだ。
 本来ならここで面倒なやりとりをして、正式に八意永琳を客として席に付いてもらうという流れになるのだが、永琳にとってはそのようなルールなど知らないし関係がないのだ。
「今日、ここに来た理由は、これを見て欲しかったからです。」
 永琳は初対面の四季映姫に一瞥もくれず、幽々子にも関心を示さず、ただ紫にだけ意識を向けている。
 椅子には座らず、立ったままいつの間にか手にしていた物をテーブルに置く。
 それは、高台を取った杯をひっくり返した様な丸みを帯びた形をしており、裏側がテーブルにぴったりと隙間なく接しており、上面は綺麗な球面をしている。幾何学的な模様がついており、硬い金属の様な光沢を持っている。
 永琳はその直径5センチほどの丸い物体を2回人差し指の爪でノックし、その後すぐに指ではじいて丸いテーブルの中心部に移動させる。
 会議の参加者がその様子を固唾を呑んで見守る中、丸い物体はテーブルの中央に滑るように移動し止まると、天井方向に光を発し、その光の中に丸い物体を浮かび上がらせる。
「立体映像・・・とかいうやつね?」
 紫がそれを見て永琳に尋ねる。
「ええ。今回、貴女達が引き起こす異変の中に私の作ったこの球体が割り込むイレギュラーが発生する可能性があります。」
 異変の事についてはもはやとぼけてもしようがないと紫は腹をくくり、それを前提として話を進める事にした。
「その事は先に妹紅に知らせるべきではない?」
 妹紅と永遠亭の接触を知らない紫は、まずは異変のもう一人の主役妹紅に話をつけるべきではないかと問う。
「知らせようとしましたが、その手段が悪かったのか相手にされず、この件は貴女に聞けと言われてここに来た次第です。」
「なるほど。」
 事情を理解する紫。
 自分以外の存在を完全に無視して話す八意永琳。紫は周囲の様子をチラっと観察する。
 最初にあった時から普通ではないと感じていたが、単に強い弱いだけのことではなく、完全に異世界から来た存在という印象を受ける。これは紫らが得意な心理戦が通じない事を意味する。
 永琳は幻想郷にそれなりに長く住んでいるので幻想郷の住人の考え方や価値観を知っており、心理戦を仕掛けて様々な情報を引き出す事が出来るが、紫は月の事をほとんど知らないのだ。何に価値を持ち、好き嫌いの基準は何かなど情報が少なすぎて、心理戦を仕掛けるカードがほとんどない。

「で、その丸い物体が異変にどのような影響を与えるのですか?」
 紫の思考時間を作るために藍が口を開いて時間を稼ぐ。永琳は藍の目を見る。藍は交渉の対象と認めているようだ。
 永琳は藍の言葉に反応して自身の前にコンソールを出す。コンソールは物質的なものではなく、半透明の四角形の空中に浮かぶ半透明のパネルである。魔法使いがよくこんな手品を見せるが永琳の出したコンソールも会議の参会者には同じようなものに見えた。
 コンソールを操作する永琳の様子を見ながら、テーブルの上にある装置から発する光の中に浮かび上がっている映像の変化を訝しげにみる4人。
 装置の上部に狭く絞られていた光は扇を開くように広がっていき、テーブルの板面と平行になるまでその光は広がっていく。それと同時に球体の映像も拡大されていき、それは天井の方向へと移動し、球体の三分の一が天井にめりこんでしまう。もちろん、それは物体ではなく幻影なので建物を破壊することはない。
 会議の参加者はその球体を凝視して上の方を向いていたが、別の何かに気付いてテーブルの上に注意を促す藍。
「紫様・・・あ、あれを。」
 球体が上に行くにしたがって下のテーブル面から何かが別の物体が出てくる。それが何かは最初誰も分からなかったが、次第に現れるそれが何かを理解したとき全員が驚いて言葉を失った。
「これは、幻想郷?」
「はい、幻想郷の東側を縮小させた立体映像と、この球体の大きさの比較です。」
 人間の里を中心に魔法の森、太陽の畑、博麗神社、迷いの竹林などが正確に映し出されている。空を飛べる幻想郷の住人ならこれはすぐに何か理解出来る。
「これは・・・。」
「この防御要塞は、元々月の軍勢が地上に向かうのを防ぐ目的で造ったものです。」
 防御要塞というキーワードが出る。名前からして物騒なものだというのは分かる。
「防御要塞?地上を守るために?なぜ?どういうこと?」
 月の民が月を守るならわかるが、月の民が地上を守る意味が理解出来ない紫。
「月は穢れ無き世界ですが、それは地上が穢れている事で成り立っている世界でもあるのです。月がなくなっても地上に影響はあまりありませんが、地上がなくなると月に穢れが来るので月の民はみな死んでしまいます。私が月にいた当時、地上から月への侵攻は考えられず、月の脅威となりうる存在は月の民自身だったのです。」
「なるほど、私はそんなことも知らずに、月に侵攻してしまったのね。」
 月面戦争の事を紫は言ったが、永琳がこの要塞を作ったのはそれよりはるか昔の事である。そして、永琳らは月面戦争当時には既に地上にいた。
「防御システムが動作する条件は、地上に対してという事です。貴女は支えきれなくなった妹紅の力を地上に逃がすつもり・・・ではないですか?」
「ええ、その通りよ。」
 紫は素直に答える。
 地上に対する脅威は月を限定していたわけではない。地上に対するあらゆる攻撃と脅威がその対象なのだ。地上にいる不死鳥が地上で転生するなら何の問題もない。しかし妹紅の自爆のエネルギーを地上に逃がす事は、幻想郷からの地上に対する破壊行為と同じである。それが永琳の防御システムを起動させてしまうという結果を生み出したのだ。
 八雲紫はもはや駆け引きなどくだらない考えはやめた。そんなものが通じる相手ではない。

 防御要塞の直径は約40km。これは里と神社までの距離の4倍以上だ。
 幻想郷の外縁は流動的ではっきりとした境界がないので正確な距離は八雲藍も把握しきれない。幻想郷の土地の7割弱が妖怪の山の領域で占められているが、その防御要塞との比率からおおよその距離を計算すると幻想郷の東西は約70~80km程だろう。つまり、この防御要塞は距離で言えば幻想郷の約半分、面積でいうと約四分の一を占める事になり、こんなものが幻想郷に落ちたらとんでもない事になる。
 四季映姫がそれを聞いた時、離席を宣言して許可を取る前に背後の仕切りドアから外に出る。
 これは永琳が挨拶なしに紫と話を始めた事と同様、無礼な行為ではあるのだが、もはやこの席にそのようなルールは不要だろう。この会議は既に三賢者会議ではなく、八意永琳と八雲紫の2者面談のようなものになってしまったのだ。
「途方もない話で、私の手には負えませんね・・・。手に負える範囲で出来ることをしましょう。」
 談話室から出た四季映姫。口を挟めそうにない話になったのでこの機を利用して妖夢の様子を見に行くことにしたのである。


「この異変は止められないのでしょうか?あなたが手を引けばすべて丸く収まると思いますが。」
 永琳はまず、防御要塞の脅威を見せ、その上で異変そのものを見直す意思があるか、紫の心境変化がないか探りを入れる。
「無理ね。この異変は妹紅の異変よ。妹紅があなたをここに寄こしたということは、止める気は更々無いということではなくて?」
 妹紅が永琳を打ち破った動機が、異変の中断の意思がない事を示すものだとするなら、もはや永琳も異変を行う事を前提として話を進めなければならないだろう。
「・・・。」
 完全に紫と永琳の場となった三賢者会議で蚊帳の外になってしまった西行寺幽々子は、妖夢の事が心配でしかたがない。
 先程の妖夢と永琳とのやりとりは紫がスキマでその様子を見ており、その後妖夢は無事であることは知らされている。しかし、それでも安心はできなかった。
 それを察して四季映姫が様子を見に席を外してくれたのは有難い事である。
「では、この要塞を破壊するしかありませんね。」
「・・・あなたが作ったものでしょ?壊すのは簡単ではなくて?」
 何か自爆装置のようなものがないか尋ねる紫。
「この要塞について先に言っておかなければならないことがあります。」
「何?」
「この要塞は、設計はして製造するプラントやリソースは確保しておりますが、まだ製造はしておりません。少なくとも私はその完成を見ていないのです。」
「!・・・それはどういうこと?」
「姫の見たビジョンは間違いはないでしょう。そこに作った覚えが無い要塞が存在する。それの意味するところは、誰かが勝手に作ったか、それとも・・・。」
「それとも?」
「非科学的な事を言いたくはありませんが、何か別の力が掛かっている・・・とか?」
 永琳は理解不能な摩訶不思議な力など信じてはいない。しかし、幻想郷は謎が多い。八雲紫が何か隠しているかもしれないため、永琳はカマをかけてみる。
「それは運命・・・かもしれないわね。」
「運命?」
 意外な言葉が間髪いれず出てくるが、運命などという存在を信じろというのだろうか?永琳にとって運命など眉唾もいいところで、露骨に眉をしかめて見せる。
「運命が存在し、それを操れる存在がいる・・・なんて聞いて貴女は信じる?」
「俄かに信じられませんが・・・それが幻想郷にはあると?」
「レミリア・スカーレットは知ってるでしょ?」
「ええ、でももし、運命が自在に操れるというのが本当なら世界はもっとマシになっているのでは?」
 その言葉を聞いて八雲紫は声を出して笑う。それはレミリア・スカーレットという存在に対する侮辱である。
「ふふ、もし、その力があなたにあれば世界はもっとマシになっているかもしれないわね。でもあの子は永遠の子供のまま。自分の力の使い方を知らないだけもしれないわ。」
「子供のまま不確かな力を適当に使いはじめたらそれこそ危険では?」
「そうね。」
「・・・。」
 つかみ所のない紫の態度に永琳も困惑する。しかし、同時に興味も湧く。今までなら不快になるところであるが、永琳は一先ず現実を受け入れてそれを後から分析するというやりかたを覚えた。

 輝夜の力は未来を直接見て、滅びの原因となる人物、事件を未然に処理し、それによって未来を変える事が出来る。これも運命を変える力といえばそうなのかもしれない。
 永琳は不快な言葉『運命』について結論を保留する。ここで全否定するための理論を展開しても意味がない。
 先程言った様に防御要塞については段取りはしたが、製造は途中で止めている。しかし、急な予定変更だったので記憶がいまいち定かではない。永琳が出奔後に部下の誰かが引き継いだ可能性など、要因はいくらでも思いつくし、確率論から断定してしまうことも出来る。
「運命については私も良く分からないの。でも言葉や理屈では説明出来ない事が現実に起こっている。止めたくても異変が止められないのよ・・・。」
「・・・。」
 時代の流れには時にそのような止められない潮流が生まれるのは知っている。大衆心理が事態を後戻りさせることを拒み、時代を押し流すのだ。それを後付として運命だったと言う事は出来る。
 事が済んでから歴史家の視点で要因を後付け出来るが、現在進行形で事を体験している当事者は常に五里霧中である。自分は今その潮流に呑まれ溺れそうになっているのだろうか?これまで歴史を作る側だった自分が、歴史の流れの只中に居るとするなら、これは貴重な体験かもしれない。しっかり記録しておきたいと思う永淋である。

「レミリア・スカーレットの能力が本物かどうかも興味がありますね。」
「それもあるし、危険な存在なら異変のどさくさで処分することも出来るわ。」
 微動だにせず話を聞いていた幽々子が一瞬目を開けてまた閉じる。
「要らない者を棄てる廃棄処分・・・それなら私もこの異変を利用したいですね。」
「何を処分したいの?」
「この防御要塞です。これは思いつきで作った感が強く、つまりは失敗作です。出来ればこんなものは処分したい。」
 天才故に半端な作品は残したくないのだ。
「あら、奇遇ね。私もスキマ爆弾を処分したかったのよ。」
「スキマ爆弾?なるほど、その爆弾を使って妹紅の力を外に逃がす作戦だったと?」
「察しがいいわね。」
「それならこの異変は共犯という関係になれますね。」
 ニヤリとする永琳。
「それにはまずその要塞の仕様を教えてもらわないとね。妹紅の火力でも完全に破壊できない代物でしょ?ソレ。」
「もちろんです。そのために来たのですから・・・。」
 永琳はそう言ってポケットから小さな薄いカードのようなものを取り出してテーブルに置く。そして、そのカードを先程の様に指で2度ノックする。すると、折りたたんだ紙が元通りに展開するようにパタパタを開いて永琳の手前の方向に風呂敷大に広がると今度は逆再生するように折りたたまれていき、小さな箱型に変化する。
 その箱の蓋を開けた永琳は、その中から分厚い書類を取り出しそれを手渡す動作をする。
 すぐに紫の後ろに居た藍が歩み寄ってそれを両手で受け取り紫に手渡す。
「これは?」
「いわゆる設計図です。こちらの言葉に翻訳してありますので読めば分かると思います。」
 その後永琳は大雑把に説明する。要塞の中核部分を非常に強力な再生機能のある装甲で厚く覆われており、妹紅の力ではそこまでしか破壊できない事が、輝夜の強制跳躍で判明している。コアを破壊するにはトドメの一撃を与えなければならないのだ。
「なるほど・・・うん・・・そうね。なんとかなりそうね。」
 説明を受け設計図をざっと読む紫は、溢れる様にアイデアが浮かんでくる。吸血鬼の問題も含めて異変のシナリオが頭の中で構築されていく。
 紫は様々な状況を考えて複数のシナリオを既に用意していた。それを新しい情報と照らし合わせて再考して組み直していく。それと同時に必要な人材、その人材をどのような手段で仲間に引き入れるかなど、綿密な計画スケジュールも同時に詰めていく。それは文字通り天才のなせる技といえる。
 紫は立っている永琳を近くに呼んで席に着かせ、今組み上げたシナリオを藍と共に聞かせ、意見を聞きながら細かい部分を修正する作業に入る。
 今回の異変、まだ名前は決まっていないが、そのシナリオはほぼこの時作成された。
 永琳は、八雲紫や藍を少し見くびっていたようだ。炎熱地獄の中にある要塞コアにトドメを刺す『スキマ砲』のアイデアは素晴らしい。
「問題は弾丸ですが・・・。」
 スキマ砲の主役となる藍がポツリと呟く。
「破壊力のある強力なレーザーを発射できる人材といえば・・・風見幽香、八坂神奈子あたりですか?」
 幻想郷の人材に詳しくない永琳が様子を伺うように答える。
「八坂神奈子ら守矢神社には別の役目を考えているわ。それに・・・いえ、それと風見幽香は今療養中で無理ね。」
 守矢神社について紫が何か言葉を濁らせたが、その事だけを記憶に留めこの場は聞き流す永琳。
「療養中・・・私が何とかしましょうか?」
 医者である永琳が治療を申し出るが、紫と藍は顔を見合わせ肩をすくめる。
「幽香は恐らく貴女の世話にはならないでしょう。」
 医者とか神主など、職者が大嫌いな幽香である。
「・・・では、どうします?」
「妹紅の、恐らくなるであろう炎熱地獄を貫通できる無属性の攻撃を撃てる存在は、幻想郷では3人だけ。一人は今は亡き魅魔。一人は療養中の風見幽香。そしてもう一人は・・・。」
「もう一人は・・・あ、あの娘ですか?」
 3人は互いに顔を見合わせる。不安・期待を含んだ複雑な表情で・・・。


 八意永琳を見送った八雲紫と藍は山門の前で彼女の姿が見えなくなるまでそのまま並んで立ったまま会話を続けていた。
 異変の段取りが一段落すると話題は妖夢に移る。
「妖夢は大丈夫かしらね?」
「まさかこんな事になるとは・・・。」
 紫の心配そうな言葉に首を振って永琳の来訪を振り返る藍。
 結果として永遠亭との事実上の同盟関係という最良を得たが、その代償として妖夢が犠牲になったようなものである。
「策を弄した側としては、なんとも後味が悪いですね。」
 妖夢にお灸をすえるつもりだった藍だが、危うく殺してしまうところだった。手を下したのは永琳だとしても妹紅を帰らせた事が結果として妖夢の行動に一定のベクトルを与えて選択肢を狭めてしまったのだ。妹紅を追い払った以上、同じ不死人である永琳も追い払わなければならないと考えるのは当然だろう。
「あなたのせいではないわ。むしろあの策のお陰で妖夢は助かったと見るべきよ。」
「・・・ありがとうございます。」
 フォローする紫に礼を言う藍。実際問題として藍の策は幽々子を騙すものであったが、結果として妖夢を救う結果となった。妹紅と永琳との間で取り交わされた一種の取引が妖夢を救ったとも言える。あのまま妹紅を通した後に永琳が来た場合、この時の妖夢の命を守る義理は永琳にはない。
「幽々子も大変ね・・・。」
「幽々子は第三者の立場で物事を客観的に見れる時はすさまじい洞察力と行動力を発揮しますが、事身内に関しては甘いですからね。」
 本人が居ないので幽々子と呼び捨てする藍。
「幽々子は生前の記憶はないし、当然人の親にもなったこともない。なった事があっても忘れているでしょう。その幽々子が誰かの人生に責任が持てるわけがないわ。」
「妖怪ならひとり立ちしてなんぼですが、妖夢は半霊といっても中身は人間ですからね。」
「半霊の意味を知っている幽々子は敢えてそれを教えていない。妖忌の轍を踏ませないようにね・・・。」
「妖忌の件は仕方ないでしょう。」
「妖忌に引導を渡した私としてはなんとも・・・。」
「幽々子は再び紫様という親友と巡り逢えた。そうさせる為に道を譲ったのは他でもない妖忌ですよ。」
「ふふ、でも、そう簡単に割り切れるものではないわ。」
 しばしの沈黙。
「今の妖夢に必要なのは、友人よりも親なのかもしれませんね。」
「幽々子では役不足・・・ということね・・・。」
 普段飄々としている幽々子は、妖夢を振り回している様で、妖夢という花の周囲を舞う蝶のような存在ともいえる。或いは妖夢という蝶が幽々子という花から離れないように糸で結びつけていると言った方が適当だろうか。
「いっそのこと、幽明結界を閉じてしまったほうがいいのかしらね。」
「この件で幽々子が何もしなければそうしたほうがよろしいかと。」
「・・・分かったわ。ここは藍の言葉に従いましょう。」
 話の終わった2人は、自分達の名前を呼んで近付いてくる小町に振り返り建物の方に歩き出した。
 三賢者会議は終わった。しかし、白玉楼の、妖夢の一日はまだ終わっていない。
東方不死死 第38章 「招かれざる客」


 幻想郷と白玉楼を結ぶ入り口には幽明結界と呼ばれる大きな木製の門がある。
 この門は妖怪の山の南、博麗の里から西に位置する。

 里の南口を出て藤原邸の前を通るとすぐに道は西に曲がる。その道をしばらく行くと南にある竹林に向かう道との三叉路になる。そのまま道を西に行くと川に出るが、この川縁に関所の跡がある。
 その歴史が穢多の村から始まっている博麗の里は、元々は食肉・皮革の生産加工を行う、当時で言うところの『穢れ仕事』を請け負う村だった。
 縄文時代の狩猟採集生活から稲作が中心となる弥生時代に入る。西から始まった弥生人の日本侵攻は破竹の勢いで東に広がって行く事になる。
 飛鳥、奈良、平安時代初期頃までは、東日本、特に陸奥の国はまだ縄文文化を色濃く残した狩猟を中心とした世界で、東征によって勢力図が塗り替えられていく最中であった。
 狩猟から栽培へと食文化が変化していく中、稲作のための土地を広く確保するため、領土、領地という概念が生まれる事になる。定住する生活様式が当たり前になると、獲物を探し求めて移動する縄文人の血なまぐさい行動を野蛮として嫌う風潮が広がり、獣の肉や皮を取り扱う日本土着の縄文人は次第に追われていき隔離されてしまう。
 当時の政治は、弥生人の末裔ともいえる天皇の言霊、御霊・怨霊信仰など綺麗事の世界であり、生活の糧として肉や革製品を必要としているにも関わらず、それを生産し加工する食肉・皮革業者は大いに嫌わるという矛盾した世相だったのである。
 穢れは清流で漱ぎ落とし禊ぎをすれば良いとされ、穢れは広がらないように川向こうに追いやる仕組みが出来、穢れの流れを止めるため橋を架けず川縁を関所で封鎖し、物流はそこでのみ行うようになる。
 穢れが多いと書いて穢多(えた)と読むが、その忌み嫌われた穢多の村はやがて罪人などの流刑地にもなった。
 博麗神社は中央の闘争に敗れ穢多の村に罪人として島流しにされてきたわけであるが、役人が穢れを恐れて訪れない土地柄を利用し、村を支配してかつて手にした大陸や中央政権の技術を取り入れ、陸の孤島で独自の博麗文化を華開かせたのである。

 里と外の結界の役割を果たしていた川縁の関所跡は今は妖怪達がまとまって済む小さな村になっており、ここは比較的人間と仲が良い者達が集まっている。人間を積極的に襲う妖怪は外から来る人間を狙って太陽の畑より東側に集まっており、それ以外の妖怪は関所より西に多く生息している。因みに魔法の森より北側には妖怪はあまり住んでおらず、幽霊や亡霊など実体のない霊的な存在が多く生息している。
 里からも時々行商に来ることがある関所跡の更に西に『マヨヒガ』と呼ばれる妖怪の里がある。ここも基本的に幻想郷の殺さずのルールに則った妖怪達で構成されており、妖怪独自の社会を形成して人間側の社会とは一線を引いている。しかし、博麗の里とマヨヒガの中間に位置する関所跡を経由して三角貿易のような間接的な交流関係が築かれている。

 マヨヒガから更に西に行くと常時霧が立ち込める小さな山がありその山頂に幽明結界がある。その更にだいぶ西に廃村があるが、ここは天狗を止めた『堕ち天狗』の集団が生活をしている。
 天狗を止めることを『天狗堕ち』と言い、そうした天狗は『堕ち天狗』などと呼ばれるが、これは妖怪の山の現役の天狗達が一方的にそう言って自分達と区別しているだけで、彼らは決して仏道や人道から外れた邪悪な存在というわけではない。
 仏教思想を元にしている天狗は大天狗ごとに宗派のような違いが若干あり、それぞれの持つ思想、考え方などの僅かな違いを思い悩み修業に打ち込めない純粋な者達が自身を見つめなおす為に所属陣営から抜けてる者が『天狗堕ち』し、そうした『堕ち天狗』達が集まったのが西端の廃村『堕天の里』なのである。現在フリーの大天狗、大峯前鬼坊もそこに逗留しているが、彼がそこを支配しているというわけではない。
 この天狗堕ちが最近増えているという噂があり、妖怪の山方面は何かときなくさくなっているとの情報がマヨヒガ、関所跡の妖怪を通じて里の酒場でも噂になっている。
 どこに所属していても自分達の縄張りは重用で、その線引きについて常に論争や抗争が起こっている。基本的に数が多い方が領地を広く持つべきという単純な足し算に落ち着くので、頭数を増やす為にフリーの妖怪は各勢力から傭兵として募集される事がある。
 妖怪の山の南から西側はそうした陣取り合戦が定期的に行われおり、東部の弾幕戦とはまた違った活気がある。大きな抗争に発展しない程度ならこうした小競り合いは歓迎するところであり、八雲紫は黙認どころか推奨している。


 幽明結界はそうした幻想郷では比較的騒がしい場所付近に位置し、白玉楼はそのお陰で来訪者が増えた。
 広い庭園の一角で、争った妖怪達が反省会や慰労会と称して酒盛りをして親睦を深め、場を盛り上げる為に芸達者な者を呼ぶなどするのが恒例となり、庭師の妖夢は庭が汚されないかといつも気が気ではない。幽々子がその酒盛りにちゃっかりお呼ばれして馴染んでいなければ、すぐに追っ払うところである。
 かつて冥界の狂い姫と呼ばれた幽々子もすっかり丸くなって周辺の妖怪と仲良くしている。
 そして、一向に角が取れる気配がない妖夢は丸くなった幽々子のその態度すら気にいらず、主人の行動にいつも小言を言うのである。


 正午あたりから行われる三賢者会議。
 いつもなら四季映姫主催で彼女の休日を利用して裁判所の一室で行われる三賢者会議だが、会場は時々変わり白玉楼でも何度か行っている。ただ、今回は西行寺幽々子の主催で、ゲストとして藤原妹紅を呼ぶと言い出し妖夢は猛烈に反対した。
「藤原妹紅・・・あいつは危険なんだ!」
 何か考え事でもしているかのように同じ場所をずっと掃き清める妖夢は、突然怒り出して吐き捨てる。
 未だに体を切った感触が忘れられない。
 妖夢はホウキを置いて、常に携行している剣を抜いて気合いの声と共にそこにいな藤原妹紅を斬りつける。
 妖夢の持つ剣は、日本刀ではなく大陸で作られたか、大陸の様式で日本で作られた『剣』である。幅の狭い片刃の反りがない独特の刀身を持つ。
 剣は侍のように脇には差さずに、短い方の白楼剣は柄を左に向け、長い方の楼観剣は柄を右に向けて、腰の後ろに2本の剣をぶら下げている。抜く時は後ろに手を回して長い方は右、短い方は左手で抜く。それぞれの剣の柄尻に長い紐が付いており普段は腰の後ろで縛って剣が勝手に抜けないように固定している。
 長い方の剣は左脇に差して右手で抜くには妖夢の小さな身体では難儀する。左の短い剣は脇に差して右手で抜く事は可能である。
 長い方を抜く時は、柄を右手で持って抜きつつ鞘を左手で左に引いて抜く。収める時も鞘を左手で調整するのである。
 体に合わないそれらの剣は祖父である魂魄妖忌から与えられた物で、受け継いだわけではない。その祖父は行方不明で妖夢の記憶では、八雲紫の来訪を境に姿を消した事を覚えている。当時はまだ小さく短い方の剣すらまともに抜けない時で、紫の来訪の意味も祖父の失踪の意味も何もわからなかった。そしてそれは今も同じである。
 未熟と言われるが、何をもって熟達し未熟を返上出来るのかそれを客観的に計る物差しがない。日々一人で修練に励むが、その成果をどこで確かめればいいのかわからない。
 そんな中での不死人狩りが始まる。既に弾幕戦闘が一般化した折り、妖夢もまたそれに感化されて戦闘はもっぱら弾幕で、剣による実戦は妹紅を斬った時が初めてだった。
 初めて人を斬り、肉や骨を断つ感触を知った。その日は興奮して一睡も出来なかった。胃がキリキリと痛み、喉がからからに乾き、いくら水を飲んでもその渇きを潤せる事はできなかった。
 幽々子の敵、自分の敵、生き物の敵、世界の敵と見定め、永遠を断つ事を剣の修業の目的と位置付けて、揺れ動く精神の安定を図ってきたのである。
 なぜその敵を今になって通さなければいけないのか。納得が出来ない妖夢である。

「精がでるね~。」
 不意に後ろから声を掛けられる妖夢は、咄嗟に剣を構えて振り返る。
「なんだ、小町さんか・・・。」
 がっかりしたというか拍子抜けしたような妖夢。
「おいおい、なんだはないだろ。失礼なやつだなー。」
 小町と呼ばれた大柄の女性は妖夢の応対に不満を示す。
「あ、いえ、そういう意味で言ったんじゃないんです。」
「んじゃどういう意味さー。」
「いえ、それは・・・。」
「ま、いいけどさ。あ、そうだ、四季様来たから案内してやっておくれよ。」
「あ、すぐに。」
 小高い山の頂上にある白玉楼へは長い階段の終着地点には山門があり、この門を通すか通さないかは門番である妖夢の裁量に委ねられている。とは言っても、今は来客を拒む理由がないので仕事としては通る者をチェックする程度でいちいち検問したりはしない。
 その山門の前に小さな陰が見え、シルエットから四季映姫だと確認する妖夢。

 四季映姫・ヤマザナドゥは、地獄に籍を置く閻魔の一人で現在地方閻魔庁幻想郷支部の裁判長を務めている。
 閻魔が働く裁判所となる閻魔庁は、中央庁の下に地方庁を複数おく体制になっている。辺境過疎地域が含まれる一部の地方庁の下に地方支部が存在し、約500年前に隔離された幻想郷用の支部が450年ほど前に設立されている。
 その幻想郷支部の2代目裁判長が四季映姫である。新設後に数年間、中央の大閻魔の一人が兼任して初代長官となっていたが、この当時の幻想郷支部は名ばかりでほとんど機能しておらず、二代目の四季映姫が裁判長に就いてから業務が始まったので彼女が実質的な初代と言ってよいだろう。
 普通は一つの裁判所に複数名の裁判官がいるのだが、幻想郷支部の管轄は非常に狭い地域であるため交代要員も必要なく裁判官は裁判長の四季映姫一人である。
 昔の地獄は各地に分散しその地獄一つにつき一つの裁判所があり、一人の閻魔長が地獄一つを担当していた。
 各地獄は基本的に連携しておらず独立して存在し、どこにどんな幽霊を連れて行くかは全て死神の裁量に任されていた。当時の閻魔の地位は低く小役人のようなもので、死神の方に大きな権限があったのである。
 四季映姫は現在の中央集権制度になってから登用された元お地蔵様の新人閻魔で、中央庁で研修を受けた後幻想郷支部に派遣されたわけである。
 しかし、幻想郷支部は閻魔長の中では最も身分が低い新人閻魔の研修施設のような扱いだったが、他の新人と交代することなく、一向に昇格しない四季映姫を皮肉って、島流し支部とも言われるようになる。その為、四季映姫は中央で何か失敗をして左遷されたという噂もあるのだ。
 そんな噂など知らない妖夢は紫や幽々子がするように四季映姫に対しては賓客と迎える態度をとる。
 遊びに来たわけではない四季映姫としてはそのまま白玉楼の建物に黙って入るわけにも行かず、案内役を努める妖夢にその仕事をさせるため、庭の端っこで一人気合いを入れている妖夢を連れてくるように小町に頼んだというわけである。
 真っ白な玉砂利の部分を避けて外縁の通路に沿って小走りに四季映姫の所に向かう妖夢。小町は会議に出席する立場ではないので付き人としての彼女の役目はこれで終わる。その為妖夢の後は追わずにゆっくりとマイペースで歩く。
 歩みの速度が違うためすぐに差が開き妖夢の姿は小さくなっていく。妖夢とほぼ同じ背丈の四季映姫は、妖夢からぺこぺこと頭をさげられ、2、3会話したあと先導されて白玉楼の建物に消えていった。一人で入って行けばいいのにと思う一方、律儀な上司の可愛い振る舞いを愉しげに眺める小町だった。

 白玉楼は元々大陸の建物だが、久しく忘れられており冥界に移設された時に大規模な改修がなされて、外見は和風な面持ちに替わっているが、楼と言うだけに元々は楼閣で重層の建物だった。
 平屋造りの現在の白玉楼は庭に面して長い廊下が続いており、屋根は周囲の木々よりも低く控えめで上品な風情がある。長い廊下に面して全面に襖で部屋が仕切られているが、そのふすま絵が見事で花鳥風月四季折々に模様替えする。庭から襖と建物を眺めるのもまた愉しいものである。
 開け放たれた廊下から眺める庭の景色は格別で、白い玉砂利が綺麗に掃き揃えられ、庭の外縁だけでなく山全体が桜の木で覆われ、特に春は庭からも建物の中からも絶景で、その美しい景色は冥界一と言われている。
 生前、芸能文芸芸術に携わった者が輪廻に旅立つ前に逗留する事が多く、その為、白玉楼は巨大なアトリエとして機能しており、今も収蔵品は増え続けている。

 死神である小野塚小町は女性としては大柄で、そのためか決して背が低いわけではない上司を小さく見せてしまい、四季映姫=チビという印象を世間に植え付けてしまった張本人である。
 さばさばした性格で常に前向きで明るく面倒見がいい姉御肌。おしゃべりで世間話が好きで、これは死神としてはだいぶ変わっていると言える。
 頭を動かすより体を動かす方が性に合っているため、さらにしゃべり好きも手伝って事務仕事より接客業である渡しの仕事を自ら望んで選び、給金の安い幻想郷支部に自ら挙手して移った正真正銘の変わり者である。
 今現在の地獄のシステムは、幽霊はすべて裁判所に送って、その後の身の振り方を裁判官が強制的に指定する強引なやり方をしている。裁判所で全ての幽霊を管理したがる今のやり方は渡しの仕事は大変忙しくなり激務で人気がない。
 小野塚小町は、重労働を避けるため安月給の幻想郷支部に望んでやってきて非常に貧しい生活を送りながら日々さぼり道を極めて修業しているというわけである。
 肩に担いでいる大鎌は、ふにゃふにゃと曲がった刃で武器として機能しているのか疑問である。実際問題として現在の死神は武器の携行を認められておらず、これがないと誰も死神と認めてくれないので、仕方なく殺傷力のない飾りの鎌を自腹で手に入れて持って歩いているのが死神社会の現状である。
「しかし、今日はいい天気だな・・・血の雨が降らないといいけど・・・。」
 常に彼誰時のような薄靄がかった冥界の空が、晴天の様にまぶしく感じる時は凶事の前触れと聞く。その真偽は不明だが、小町はこれから起こる何かをなんとなく予感していた。


 座敷を言ったり来たりして落ち着かない少女がいる。
「少し落ち着いたら?」
「相手が妖怪じゃなければ落ち着いてるわよ。」
「藍は時間を守るわよ。」
「どうだか。」
 落ち着かない少女の名前は藤原妹紅。正午に迎えに来ると言われそれを待っているわけだが、妖怪との待ち合わせが大雑把なことを思い出してイライラしているのである。
 少女をたしなめる大人の女性は風見幽香。幻想郷でその名前を知らない者はいないといわれる大物妖怪である。人間の生活に慣れ親しんでいる幽香は、時間の守るという人間ならあ当たり前の事を当たり前に出来る希有な妖怪で、本来妖怪は人間の取り決めた時間の単位に準じた生活はしないのである。高度な頭脳や、協調性のある妖怪は器用に人間の生活に溶け込む事が出来るが大抵の妖怪は時間に縛られる事はないのだ。
 ちなみに、人間の里で人間の時間に沿って行動している妖怪は、外の妖怪からそのまま里妖(さとよう)と呼ばれ、人間と同じ扱われ方をする。
 八雲藍ほどの妖怪なら時間は守ると思われるが、妹紅がイライラするのにはそれとはまた別の理由もあったからである。今朝方香霖堂の店主が来て、何か重要な話があるらしいとの言付けを幽香にして帰った事を先程知らされたからだ。
 その時の妹紅は、苦労と迷惑をかけた魔理沙の労をねぎらう為にウサギや竹の子、山菜を獲ってきて豪華な朝食を食わせてやり、その後ゆっくり話をしてから先程帰宅したばかりで、霖之助とは完全に行き違いになってしまったのである。
 昨日の事で何か言い忘れた事でもあったのかと思ったが、幽香が応対した時何かの設計図の様な物を持ってきており、それについての話だという。その設計図みたいな物とは昨日てゐに貰った永琳のゴミで、妹紅は霖之助と話したあと、そのゴミを香霖堂に処分してもらおうと預けてきたのである。
 その件で朝早くやってくるという事はそれなりに重要な話なのだろう。どうせすっぽかす予定の三賢者会議よりもこちらのほうが気になってしかたがない。
「来ないなら来ないで先に言ってくれよ。ったく・・・。」
 無茶な事を言いながら、あと5分で正午になるので、その時までに来なかったら香霖堂に向かうつもりでいる妹紅である。
 幽香の左手をとった妹紅は手首の内側の腕時計の針とじっとにらめっこをする。
 時計の針はやがて1分を切り、刻一刻と正午に向かって時を刻み続ける。
「3・2・1・・・。」
「やあ、妹紅、待ったか?」
 カウントダウンをして丁度正午になった瞬間、絶妙のタイミングで庭に藍が現れる。
「く・・・。」
 がくっと肩ごと頭を落とす妹紅。
 それを見た幽香はぷーっと吹き出して大声で笑いそうなる口を両手で強引に押さえ、涙を流しながら目だけで大笑いする。本当は畳をバンバン叩いて笑い転げたっかのだが、一応病人として振る舞わなければならないので姿勢を崩せない。
「ん?どうした?」
 キョトンとする藍。
「・・・何でもない。」
 妹紅は不満そうに藍を見ながら庭に降りる。
「すぐに出れるか?」
「ええ。」
「ところで、あの件は覚えているか?」
 あの件とは白玉楼には行っても幽々子には会わないという約束である。
「ええ。」
「心変わりは?」
「ないわ。」
「うむ。それではよろしくたのむ。」
 そう言って藍は、懐から一本の巻物を取り出す。
 それを何気なく見ていた妹紅は、突然背中に電気が流れた様な感覚を覚える。妖術使いとしての勘が何かを知らせ全神経が研ぎ澄まされる。
「それは?」
 藍が取り出した巻物に興味を示した妹紅は一歩近付いてそれを覗き込む。
「これか?これは携帯スキマ移動の巻物だ。」
 そう言って開いて見せる。
「(迂闊!)」
 妹紅は心の中で迂闊な藍の行動に思わず歓喜し、その機を逃さず転写眼を発動しその巻物の中身を網膜に焼き付けた。
「(盗った!)」
 妹紅の中の妖術使いの血が瞬間的に沸騰し、無上の喜びが沸き起こる。超大物の術を盗み獲ったのだ。妹紅は邪悪な笑みを浮かべて相手をあざ笑う表情を我慢し、澄ました顔で「へー」と感心してみせる。
「(馬鹿め!そうやって一生油断してろよ藍)」
 術を盗むなどまったく想定していない藍は、そもそも術を盗まれた経験もなく、妹紅如きにそんな高度な術は使えないと完全に見くびっていた。
 妹紅は妖怪と今は協調していても、基本は妖術使い、妖怪の敵というスタンスは崩していないのである。

 元々転写眼は紋印を盗む為に開発された術である。紋印とは発声呪文を書式化して印にしたもので、難しい術の発動を速攻で行うために開発されたものだ。妹紅の使う呪符などもその紋印の典型的な使い方である。
 紋印を盗んだだけでそれがそのまま術として使えるわけではない。しかし、紋印を解析したり発動に必要な触媒を見つけだすなど、妖術研究としてやりがいのある課題を得る事になる。岩老郷時代、誰かが紋印を盗んで来ると里を上げて研究プロジェクトが発動して活気づいたものである。コレクションとしても価値が高く八雲紫の紋印を盗めるなど妖術使い冥利に尽きるといっていいだろう。妹紅としては、そのまま天に昇りたい気分である。
 思いがけず素晴らしいお宝を手に入れた妹紅は藍に気取られないように暢気に振る舞う。この時藍も幽香も妹紅が術を盗んだ事など全く気付いていなかった。

 内心狂喜乱舞している見た目いつも通りの妹紅は、藍の後に次いで開いた簡易スキマをくぐり抜けるという初めての経験をする。この巻物に封じ込めたスキマは、紫が開くスキマの特徴ともいえるリボンがなく10秒程開いた後自動的に消えた。
 妹紅は素人っぽくさも珍しいものでも見るような感心した表情で、開いてから消えるまでの時間を正確に計り、消えるスキマを見届けた。
「ここは・・・。」
 妹紅はそのまま周囲を見渡し、初めて見る景色に演技ではない素の戸惑いの表情を見せる。
 全体的に霧がかかってどの方角を向いているのかわからない。キョロキョロする妹紅に藍が指をさして方角を知らせる。
「東に竹林、里は向こうだな。山は北だ。」
「こんなところにこんな目立つ門があったのね。」
「幽明結界だ。分かりやすいようにこんな形にしている。」
 幽明結界と聞いた妹紅は何か異世界に通じるトンネルの様な歪んだ空間を結界で封鎖しているのではないかと予想していたが、博麗神社の大鳥居と同じ位の大きなの木製も門がドンとそこにそそり立っているだけで驚いた。
 妹紅の周囲に4本の太い柱が立っており、興味深げにその一本をポンポンと触ると、門の前と後ろを決める重要な役割を果たす柱だと説明される。妹紅はそれを聞いて門の後ろに回ったが後ろには何もなく、門の裏面が見えるだけである。
 門の正面は東を向いており、東から西に門に入るのが正しい入り方だという。
 感心しながら大きな門を見上げる妹紅を尻目に藍は扉の前に立って軽い動作で前に押すと、重そうな扉は音もなくすぅっと開いていく。何も言わず藍はその門をくぐり妹紅も後を追った。
 門を出ると周囲は霧の中にいる様で視界が悪い。門の正面、霧の上に石の階段が山頂に続いているのが見えた。霧が出ているのは地表付近だけで上は晴れているようだ。
 藍は妹紅を先導してしばらく歩くと一旦振り向いて門が閉まるのを確認する。妹紅もそれに倣う。
「あの階段の頂上に白玉楼がある。」
 いつの間にか正面を向いていた藍が門を見ていた妹紅の後ろ姿に声をかける。
「ん?」
 振り向いた妹紅は階段の前にいる人影を発見する。恐らく八雲紫だろう。3日、いや4日振りだろうか?それほど時間は経っていないはずだが、何故かとても懐かしい気がする。
 藍の後をついて歩く妹紅は紫と思しき影と距離が詰まるにつれ緊張に胸が高鳴る。先程巻物を写し左目が失明状態なのも忘れ全神経を八雲紫に向ける。
 お互いにはっきり顔が確認出来る距離まで来ると紫は日傘を閉じて深々とお辞儀をした。
 そして紫の前約2メートルほどの距離で立ち止まった妹紅に合わせるように顔を上げる紫。しばらく見つめ合う。
「こんにちわ。」
「こんにちわ。」
 ぎこちない挨拶を交わす2人。不死人狩りに関して妹紅はともかく紫はその胸の内のほとんどを藍と手紙を経由して妹紅に伝えており、何となく気恥ずかしい。妹紅もまた、そんな紫を察してどんな態度をとればいいのかわからない。
 不死人狩りにおける紫の妹紅に対する無数の謝意が書き記された手紙を今日の未明魅魔と別れた後に魔理沙の傍らで読んだ。切実な想いを訴えた謝罪と心のこもった感謝が凝縮されたその手紙を読んで、妹紅はとても嬉しい気持ちになれた。今でもそれはもんぺの中の隠しポケットに入れており、永遠に捨てられない大切な宝物になる事だろう。
 藍は、お見合いの席でお互い緊張して話ができない若い衆を見ているような心境になり、見ていられなくなって声をかけて白玉楼へと先導する。
 階段を登り始めた3人は、最初は縦列だったものがいつのまにか肩をそろえて歩いていた。
「歩いて登る決まりでもあるの?」
 最初に声を上げたのは妹紅だった。階段を登るのは別につらくはないのだが、この調子だと30分くらいかかるのではないだろうか?
「そんな決まりはないけれど、大切な用事で来る時は歩くようにしてるの。」
「ふーん。」
 何か別の光景を思い浮かべながら話す紫。
「そいえば妹紅、幽々子には会う?」
「会って欲しいなら会うけど。」
「今日は遠慮してもらいましょうか。」
「わかったわ。」
「気を遣わせて悪いわね。」
「別にあんたらに気を遣ったわけじゃないわ。何となく幽々子は苦手な感じがするのよね。常に何か企んでるのに、それを表に見せないタヌキというか。」
 それを聞いて2人がクスクスと笑う。
「皆、幽々子をタヌキと言うんだな。」
 常に何か企んでその様子が態度に出るキツネの藍が笑う。いつの間にかギクシャクした妹紅と紫は楽に話が出来るようになっていた。

 山の中腹、階段の中間点あたりに踊り場があり、少しだけ平らな石畳が続く。
「少し休みますか?」
 藍の問いかけにひとまず歩みを止める3人。ご丁寧に数人が余裕を持って座れる長いすが踊り場の両端に置かれている。
「妹紅は?」
「私はこのままでも構わないけど。」
「妹紅、とりあえず段取りはいいかな?」
 藍が最終チェックをする。
「ええ、門番が難癖つけてくるんでしょ?」
「妖夢のことだから、必ず追い返すセリフを言うわね。」
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
 藍が妖夢のセリフを予想して妹紅に口調を換えて聞かせる。妖夢の真似をしたのだろうか?似てないと思う妹紅と紫だったが大人の対応をする。
「あっそ、って帰ればいいのね?でも引き留められたりはされない?」
「まーそのあたりのフォローは我々に任せてくれ。」
「分かった。でも、怒られるんじゃない?妖夢・・・。」
「我々が怒られるわけでないからな。」
 事も無げに言い放つ藍。紫もそれを咎めるどころかにっこりと微笑み藍に同意する。
「どうせ幽々子のことだからお咎めなしでしょうし、叱られるならそれもまた妖夢の為でもあるのよ。」
 妖夢は長い間白玉楼という隔離された世界で、他のコミュニティーの存在すら知らず幽々子の従者として過ごしてきた。冥界において重要な役割を持っている西行寺幽々子の僕として妖夢はそれを誇りに思うと同時に、自身を過大評価している嫌いがある。その現れとして初めて会った者に対して下手に出る態度を全く見せない事である。
 時々幻想郷に来てはそんな態度で振る舞っているが、彼女が無事で済んでいる理由が西行寺幽々子という後ろ盾であり、その幽々子の名前に守られていることを当人は知らないのだ。
 紫や藍、四季映姫など幽々子が認める存在に対しては下手に出ていい子ちゃんで居るが、一歩外に出れば態度が豹変する。そうした事は当然紫は幽々子に注意を促しているが一向に改善される気配がない。
 もし、幽々子の名前の力が及ばない存在に対して、そのような態度を取った時どうなるだろうか?殺されても仕方がない。特に危険なのが不死人である永遠亭。そして幻想郷に来たばかりで事情を知らない妖怪だ。彼らに幽々子の名は効かないのである。
 幸いにして幽々子を脅かす存在など幻想郷には僅かしか存在しない。そしてその一人が藤原妹紅であり、妖夢の無礼な振る舞いを逆手にとって幽々子から遠ざけようと画策したのが八雲藍というわけである。これによって、妖夢がどんな人間かを妹紅は知る事になり、その無礼な振る舞いも黙認してもらえるだろう。


 よく手入れされた綺麗な石の階段の両側には緑の葉を湛えた桜の木が無数に植えられている。葉桜の回廊もそれはそれで風情があって良いが、満開の桜坂を登るのは最高の目の保養になるだろう。
 階段の最上段には立派な山門がある。白玉楼は寺院仏閣ではないのだが、冥界に移設後和風に改修した際に門も建て、それを宮大工に一任したのであたかもこの先に寺院仏閣があると勘違いしそうな立派な山門になってしまったわけである。
「何やってんだ妖夢?」
 来訪者が足を休める数人一緒に座れる長椅子を一人で占領して寝ころんで昼寝を満喫していた小町が、開いた門の真ん中で仁王立ちしている妖夢の只ならぬ様子に気付いて近付き、声をかけつつ階段の下を見ている妖夢の視線の先を追う。
「お、やっとお出ましか。」
 見慣れた尻尾や日傘のシルエットを持つ人影を目にした小町は、三賢者会議の主役の登場を確認する。この時、小町は藤原妹紅が来ることを四季映姫から聞かされていなかったので、妖夢の只ならぬ態度が八雲の2人に向けられると勘違いして注意しようとして、そこでようやく異様な気の存在に気付いた。
「なんだあれ?」
 藤原妹紅を見た小町の第一声はこれだった。死神の小町には業の塊にしか見えなかった。一個の生物が背負える限界を遙かに越えた巨大な業の塊が小町を狼狽えさせた。
 横一線に並んだ八雲と藤原妹紅の3人は、最上段まであと二十五歩という所で声を掛けられて止まり、同時にその声の主を見上げた。
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
 剣を抜いた小さな少女が門の中央に立って、その抜いた剣を妹紅に向ける。
 声をかけられた三人のうち真ん中にいた妹紅は、右にいる下を向く藍、左にいるの羽毛で飾った扇で顔を隠す紫と見てから妖夢に向き直る。どちらも必死に笑いを堪える為に努力している様が伺える。
 藍の予想と一字一句違わないそのセリフに、妹紅は吹き出しそうになるのを必死に堪える。そして、限界寸前で後ろを向いてそのまま階段を降り始める。
 剣を抜いた妖夢を止めようとした小町の手が肩にかかっているのを無視し、開口一番言い放った決めセリフに素直に従う妹紅の行動に思わず声を失う妖夢。素直に帰るなど妖夢にとって全く予想外の行動だったのである。
「え?」
 拍子抜けした声を上げる妖夢。
「え、あ、あれ?え?え?」
 しどろもどろになった妖夢はこちらの様子を伺う紫に戸惑いと懇願が合わさった複雑な表情を向ける。
「不死人は入れないみたいだから私帰るわ。じゃあね。」
 妹紅は階段を降りながら紫と藍に手を振って挨拶をした。
「わざわざ呼んだのに悪いわね。」
「呼んだのは幽々子でしょ?」
 紫は調子を併せて、さも申し訳なさそうに声を掛け、紫のせいじゃないとフォローを入れる妹紅。
「・・・やはり、駄目でしたか・・・。」
「妖夢は厳しいわねー。」
 そう言って2人は階段を残念そうに上がってくる。
「門番に判断にまかせるのが筋というものです。」
 引き留める役目を紫と藍に期待して強気に出た妖夢だったが、当てが外れどうしたものかと思案するも妹紅はどんどん階段を降りて小さくなっていく。
「おい、いいのか?」
 小町が妖夢に声をかける。妖夢は小町に振り向いて狼狽える。顔に「どうしよう?」とはっきりと書いてある。明らかに想定外の事が起こっているのは理解できた。
 小町は妹紅が来ることを知らず、妖夢の様子を見る限り妹紅は明らかに招かれざる客のようだった。
 八雲紫らの対応を見ると幽々子に頼まれて妹紅を連れてきた様子である。ただ、あっさり諦めた様子からそれほど重要な事には見えなかった。しかし、見えを切った妖夢の最初の態度と、その後の様子の違いから幽々子が呼んだ客を独断で追い返したというのが正しい答えだろう。
 主人の招いた客を追い返すなど部下として大問題である。
 妖夢は小町に肩を叩かれ最初は狼狽えていたが、次に悔しそうに唇を噛みしめ、そして最後に怒りに身を奮いはじめる。
 小町はその妖夢の心の動きを完全に把握できた。予想しなかった事に直面して焦り戸惑い、主の言いつけに背いた事を後悔し、そしてその失敗を自己正当化するために妹紅が悪いと責任転嫁したのだ。
「い、いいんです!奴を通すかどうかは私に一任されてるんです!」
 小町の顔を見ずに下を向いたまま答える妖夢。これはウソではないが、明らかに事前の手続きを省略している。
「・・・ま、それならいいんだけど。」
 やれやれと鎌を担いだままため息をついて力を抜く小町。小町としても部外者なのでこれ以上突っ込んだ事は言えない。
 そんな釈然としない小町の横を紫と藍が通り過ぎる。すれ違う時2人と目が合い、何かを含んだ笑みを露骨に残していく。
「(くそ!わざとか。)」
 山門をくぐると一本の石畳の道が真っ直ぐ白玉楼の庭に面した広く長い廊下の前に続いている。向かって右が幽々子と妖夢が普段生活する母屋がある。
 紫らがその母屋に伸びる細い通路と交わる位置に差し掛かったとき、釈然としない小町は、肩を震わせて階段をじっと見下ろす妖夢から離れ、小走りで2人の後を追った。
「ちょっと待てよ!」
「あら、どうしたの?」
 ニヤニヤして小町を振り向く紫。
「わざとだろあれ!」
「ええ、そうよ。ああでもしないと妖夢は妹紅に殺されてしまうわ。」
「確かに先に剣を抜いたのはあいつだ。何にしてもあいつが悪いのは間違いない。でも、ああなるの分かってたら、何とかできただろ?」
「小町は優しいのね。でもね、そういう優しさが妖夢を駄目にしてるのよ?」
「う・・・。」
 言い返せない小町。しかし、紫らが単に妖夢を苛める為だけにこんなことをしていたわけではない事を知り、怒気を収める。
「不死人が台頭した今、幽々子は最強の存在ではなくなったわ。あんな態度を例えば八意永琳にやったらどうなる?」
「間違いなく殺される・・・。」
「でしょ?そろそろあの娘にはお灸をすえないとね。でないと取り返しがつかない事になるわ。」
「・・・。」
 何も言えず黙って下を向く小町。
「見送りはここまででいい。妖夢を頼むぞ、小町。」
 藍がそう締めると紫は踵を返して先に進み、藍もその後を追う。
 三賢者会議といっても藍も賢者の一人として会議に参加する。実質四賢者である。さも当然のように紫の後について白玉楼に入っていく八雲藍は、幽々子や四季映姫の部下にあたる妖夢や自分とは格が違う。
「ふん!気に入らねー。」
 しばらく2人の後姿を見送った小町は吐き捨てて鎌を首の後ろで両肩と平行にして手を引っ掛け、置いてきた妖夢のところにだらだらと歩いて戻るのだった。


 藍の策が見事成功し、多少の後ろめたさは残るものの、こちら側に否はなく幽々子との会見を回避した妹紅。戻りはゆっくりと景色を眺める事が出来た。葉桜の回廊は登る時とはまた違った風情がある。
「しっかし、えぐいこと考えるなあのキツネは。」
 妖夢の性格や性質を完全に見抜いた上での完全犯罪ともいえる。しかも、こちらは誰も悪くないのだ。
 妹紅を通すにあたってその判断を妖夢に委ねている幽々子であるが、口上も聞かずにいきなり剣を抜くのは常軌を逸している行為である。幽々子等の事情はしらないが、それにしてもいきなり剣を抜くのはまずいだろうと思う。これは紫や藍も同じで、見えを切るのは予想できたが剣を抜くとは思わなかった。事前に口裏を合わせておかなかったら、妹紅はそれを敵対行為とみなして攻撃する可能性もあった。その際、明らかに否は妖夢にあり、妹紅の正当防衛の言い訳が立つ。

 遊びにきた霊夢や魔理沙らを弾幕で追い払うならともかく、主人が客として招いた者を武器を抜いて追い返すなどあってはならないことである。
「相当怒られそうだな・・・。」
 妹紅は一度振り向いてかすかに見える山門を見上げる。
「なむなむ・・・。」
 合掌した後、肩をすくめ、ひと息ついた後振り向いて思考を切り換える。
 ここに来る前に盗ったスキマの巻物も気になるが、これはとりあえず後回しにして香霖堂の店主、森近霖之助が朝方家に来た意味について考察する。あの設計図が無価値で返しにくるだけなら幽香に預ければいい。しかし、持ち帰ってしかも重要な話があるらしいとの言付けを幽香に残して行った。これは速攻で香霖堂に向かうしかない。
 ブツブツと呟いていた妹紅が意を決して階段を駆け下りようとした、その時である。
「・・う!もこう!藤原妹紅!」
 不意に声を掛け続けられている事に気付いた妹紅は思考の世界から現実に戻る。
「!」
 はっとなって声の主に振り返った妹紅はそれが誰かを確認して驚いて大声をあげた。
「うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
 そのまま声の主から遠ざかるように距離をとる。
「ちょ、ちょっと、それはいくら何でも驚き過ぎでしょう?」
 声の主は八意永琳だった。
「(すっかり忘れてた!)」
 一瞬、何故永琳がここにいるのか不思議に思った妹紅だが、永琳を紫に会わせようと仕向けたのが自分自身であって、当然こうなるのは分かっていたはずだった。
 しかし、ここに来る前のスキマの巻物を盗んだ件、香霖堂の件、先程の妖夢の件と短時間に色々と重なったため一番重要な事を忘れてしまっていたのだ。
「ふむ、あなたが仕組んだ事だと思ったのだけれど・・・どうやら買いかぶりかしらね。」
 こうなるように仕組んだのは間違いなく妹紅である。永琳もてゐ一人の手柄ではなく妹紅の口利きがあったと見ていたが、妹紅の今の驚き様が演技には見えず完全に不意打ちを喰らった表情から、てゐ一人のお手柄と判断する永琳である。
 妹紅としては思いがけずみっともないところを見せたが、これが効を奏したようでてゐと妹紅の茶番がばれずにすみそうである。
 それにしても、向こうから話しかけてくるとは、てゐが言っていた様にやはり永琳は変化しているのは間違いないようだ。
「な、なんでお前がここにいるんだ?」
 白々しく聞く妹紅。
「八雲紫に会えと言ったのは妹紅でしょう?」
「いや、だから何でここがわかったんだ?」
「あなたが教えてくれた・・・というわけではなさそうね。」
 ふむと、考え込む永琳。
「ま、何はともあれせいぜい頑張るんだな。」
 冷や汗をかいて強がる妹紅。これは演技ではない。
「あなたは参加しないの?」
「ああ、追い返さ・・・ってあああああああああああああああああああああ!」
 言いかけて妹紅は重大な事に気付いてまた大声をあげる。
「ちょっと、あなた少しおかしいわよ?」
 永琳の言は最もであると妹紅も思う。
「(まずい!まずい!まずい!このまま永琳と妖夢を会わせたらまずい事になる!)」
 妹紅は目の前に永琳がいるにもかかわらずその場で頭を抱えてうずくまる。
「頭痛?」
 妹紅はすぐに立ち上がって、汗だくになった引きつった顔を永琳に向ける。
「な、なぁ、永琳さん?」
 永琳を初めてさん付けで呼ぶ妹紅。
「な、何?」
 気持ちわるそうな顔して少し引く永琳。
「訪ねた家で飼っている番犬が、うるさく吠えたとして、永琳さんともあろうお方が一々腹を立てたりしないですよね?」
 たどたどしく棒読みで質問する妹紅。
「?・・・何を言い出すの急に。」
 突然の妹紅の話に流石の永琳も意味がわからずあからさまに不快感を示す。
「ほ、ほら、ここの門番子供だろ?門番ごっこで客を追い返す遊びが流行ってるんだよ。あはは・・・。」
 こんな言い訳がましい話では駄目か?と上目遣いに永琳の反応を伺う妹紅。
「・・・あなた、招かれたのに追い返されたの?」
 永琳も流石に驚きを隠せない。
「連中と会う気はなかったから丁度良かったけど・・・。」
「私ならそんな無礼者がいたら生かしてはおけないけど。」
 やっぱりと思う妹紅。
「なぁ、永琳は呼ばれてないんだ。訪ねる側だから追い払われるかもしれないし、そこは、なんていうかぐっとこらえてだな・・・。」
「そんな悠長な事をしてられないわ。」
「まーそれはそうなんだけどさ、門番ぼこったら主の幽々子とかその友人の紫とかの心証悪くするだろ?」
 身振り手振りを交えて必死に説得する妹紅。
「・・・それは、まー確かに・・・。」
「我慢大会だと思って・・・。」
「・・・妹紅は、その門番の友達なの?」
「いや、別に・・・。」
「他人の命まで責任を持つ必要はないでしょ?それにここは幻想郷ではないでしょ。ルールに従う必要はないと思うけど。」
 永琳は不思議に思う。何故、友人でもない赤の他人の命を庇おうとするのか。人間の思考が理解出来ない永琳は妹紅を通してその謎を解こうと考えている。
「そうじゃないだろ?お前と紫が話が出来る環境造りに必要なことなんだよ!」
「そんな環境は別に必要ではないわ。私の話を聞けばその環境は自然に生まれるわよ。」
「そうじゃないってば!ああ!何で月の連中は0か1かでしか判断出来ないんだ!」
 先程までの下手に出ていた表情が変わり、ギラっとした目つきになる妹紅。
 興味深い妹紅の変化に、永琳は先日の戦いを思い出し警戒態勢をとる。
「もういい、こんだけ頼んでも聞く耳ないなら勝手にすればいいさ!幻想郷なんざ無くなってしまえ!」
「ちょっと待って、あなた今まで私に頼み事をしてたの?」
「そうだよ!気付けよそんくらい!」
「・・・。」
 永琳は全く気付かなかった。
 妹紅は永琳に背を向けて階段を降り始める。
「待って妹紅。悪かったわ。」
「今頃気付いてもおせーよ。ん?」
 妹紅は下に意識を向けた時、そこに何者かの気配があることに気付いた。見覚えのある気配である。妹紅はニヤリとして永琳に向き直った。まだ勝負が出来る。
「永琳、ゲームをしようぜ!」
「ゲーム?突然なに?」
 急に態度を変える妹紅を警戒する永琳。
「永琳が一人殺したら、私も一人殺す。どうだ楽しいゲームになりそうだろ?」
 永琳が下に待たせていたレイセンに気付いた妹紅は、交渉ではなく命の取引で事を構える事にした。
 永琳の表情が初めて変わる。妹紅の遠回しの頼み事に気付かなかったのも勉強不足だが、それが相手を追いつめるとこういう結果になってしまうことを知る。
 幻想郷のルールに従う事を決めた永琳は、世界の見方がガラリと変わりかなり戸惑っている。完全に理解しないと話を先に進められない月の民の性質は、適度な適当さに意味を持つこの世界では馴染めないのだ。
 階段を下から見上げると、向かって左に妹紅、右に永琳がいる。妹紅は永琳と正対していた体を横に向けて、右肩の先にいる人質のレイセンの存在を強く意識させる。
「分かったわ。門番は殺さない。命は奪わない。それでいいでしょ?」
 少し刺のある言い方に妹紅は不快感を示す。
「・・・達磨にする気か?」
 達磨とは手足を奪って行動できない状態にすることである。殺さない代わりに再起不能にするという意思表示でもある。
「それは門番次第。それ以上の譲歩は出来ないわ。」
「・・・分かった。」
 これだけ譲歩を引き出せただけでも上出来である。大怪我しても命さえ繋がってればなんとかなるだろう。

 互いに背を向けて歩き出す八意永琳と藤原妹紅。
 人間の理解できない行動をこれまで永琳はおろかだと決めつけていたが、妹紅との闘いで完敗して以降その考え方を改めた。それを研究して理解してみようと思い始めたのだ。
 永琳にとって一番の謎は『他人を思いやる』という精神構造とそこから生まれる行動力だった。もちろん全ての人間がそれを持っているわけではない。真逆の行動をとる者も大勢いる。だが、同じ種族でありながらここまで個々の行動の差が大きい種族は、地上と月と全ての生き物を比較しても人間だけであり、それは非常に興味深いことである。なぜ、今までそれを探ろうしなかったのだろうか。
 この種族だけがおかしく、それは、未発達の下等な生き物だからだと決め付けていた。しかし、それは違う。妹紅のような特異な存在を輩出したり、結果として地上を支配したのもまた人間である。
 能力に上限が存在しない生き物、それが人間なのである。もしこの人間の秘密を紐解き解明できれば、自分はまだ成長できるかもしれないのだ。


 妹紅はてゐから聞かされていた永琳の変化をその身で実感した。
 今まで思考ベクトルが違い過ぎるせいで会話が成立しなかったが、明らかにこちらの話を聞く態度を示し、更に譲歩までした。今まででは考えられない事である。
 不死人狩り以降の休戦は明らかに打算的なもので、互いに歩み寄ったものではない。
 徹底的に打ちのめした先日の戦いは、永遠の復讐となって妹紅を苦しめるのかと予想していたが、それは何とか回避できそうな雰囲気である。場合によっては完全な和解にも漕ぎ着けられるかもしれない。
 香霖堂に行く予定もあって足早に階段を降りる妹紅。
 降りきると一度振り向いて上の様子を窺う。
「妹紅?」
 聞き覚えのある声を掛けられた。先程勝手に人質にとった事など知る由もないレイセンの声である。
 地表部分には未だ霧が立ちこめその向こうから近付いてくるレイセンの曲がった耳が見て取れる。
 その時山頂方面に巨大な殺気が発生した。
「な!」
 事情を知っている妹紅はともかく、レイセンは何も知らないので驚いて思わず上を見る。
 その殺気はすぐに止み、妖夢と思しき気は消えて無くなる。
「(殺りやがった・・・クソが!)」
 永琳を信じていた妹紅だが、それはすぐに裏切られた。
 舐められるわけにはいかない。約束通りレイセンを殺さなければならない。
「え?ちょっと、何よ?」
 妹紅の様子が変わる。
 ジリジリと詰め寄る妹紅の殺気立った目にどうしていいのか分からないレイセンだった。