東方不死死 第38章 「招かれざる客」
幻想郷と白玉楼を結ぶ入り口には幽明結界と呼ばれる大きな木製の門がある。
この門は妖怪の山の南、博麗の里から西に位置する。
里の南口を出て藤原邸の前を通るとすぐに道は西に曲がる。その道をしばらく行くと南にある竹林に向かう道との三叉路になる。そのまま道を西に行くと川に出るが、この川縁に関所の跡がある。
その歴史が穢多の村から始まっている博麗の里は、元々は食肉・皮革の生産加工を行う、当時で言うところの『穢れ仕事』を請け負う村だった。
縄文時代の狩猟採集生活から稲作が中心となる弥生時代に入る。西から始まった弥生人の日本侵攻は破竹の勢いで東に広がって行く事になる。
飛鳥、奈良、平安時代初期頃までは、東日本、特に陸奥の国はまだ縄文文化を色濃く残した狩猟を中心とした世界で、東征によって勢力図が塗り替えられていく最中であった。
狩猟から栽培へと食文化が変化していく中、稲作のための土地を広く確保するため、領土、領地という概念が生まれる事になる。定住する生活様式が当たり前になると、獲物を探し求めて移動する縄文人の血なまぐさい行動を野蛮として嫌う風潮が広がり、獣の肉や皮を取り扱う日本土着の縄文人は次第に追われていき隔離されてしまう。
当時の政治は、弥生人の末裔ともいえる天皇の言霊、御霊・怨霊信仰など綺麗事の世界であり、生活の糧として肉や革製品を必要としているにも関わらず、それを生産し加工する食肉・皮革業者は大いに嫌わるという矛盾した世相だったのである。
穢れは清流で漱ぎ落とし禊ぎをすれば良いとされ、穢れは広がらないように川向こうに追いやる仕組みが出来、穢れの流れを止めるため橋を架けず川縁を関所で封鎖し、物流はそこでのみ行うようになる。
穢れが多いと書いて穢多(えた)と読むが、その忌み嫌われた穢多の村はやがて罪人などの流刑地にもなった。
博麗神社は中央の闘争に敗れ穢多の村に罪人として島流しにされてきたわけであるが、役人が穢れを恐れて訪れない土地柄を利用し、村を支配してかつて手にした大陸や中央政権の技術を取り入れ、陸の孤島で独自の博麗文化を華開かせたのである。
里と外の結界の役割を果たしていた川縁の関所跡は今は妖怪達がまとまって済む小さな村になっており、ここは比較的人間と仲が良い者達が集まっている。人間を積極的に襲う妖怪は外から来る人間を狙って太陽の畑より東側に集まっており、それ以外の妖怪は関所より西に多く生息している。因みに魔法の森より北側には妖怪はあまり住んでおらず、幽霊や亡霊など実体のない霊的な存在が多く生息している。
里からも時々行商に来ることがある関所跡の更に西に『マヨヒガ』と呼ばれる妖怪の里がある。ここも基本的に幻想郷の殺さずのルールに則った妖怪達で構成されており、妖怪独自の社会を形成して人間側の社会とは一線を引いている。しかし、博麗の里とマヨヒガの中間に位置する関所跡を経由して三角貿易のような間接的な交流関係が築かれている。
マヨヒガから更に西に行くと常時霧が立ち込める小さな山がありその山頂に幽明結界がある。その更にだいぶ西に廃村があるが、ここは天狗を止めた『堕ち天狗』の集団が生活をしている。
天狗を止めることを『天狗堕ち』と言い、そうした天狗は『堕ち天狗』などと呼ばれるが、これは妖怪の山の現役の天狗達が一方的にそう言って自分達と区別しているだけで、彼らは決して仏道や人道から外れた邪悪な存在というわけではない。
仏教思想を元にしている天狗は大天狗ごとに宗派のような違いが若干あり、それぞれの持つ思想、考え方などの僅かな違いを思い悩み修業に打ち込めない純粋な者達が自身を見つめなおす為に所属陣営から抜けてる者が『天狗堕ち』し、そうした『堕ち天狗』達が集まったのが西端の廃村『堕天の里』なのである。現在フリーの大天狗、大峯前鬼坊もそこに逗留しているが、彼がそこを支配しているというわけではない。
この天狗堕ちが最近増えているという噂があり、妖怪の山方面は何かときなくさくなっているとの情報がマヨヒガ、関所跡の妖怪を通じて里の酒場でも噂になっている。
どこに所属していても自分達の縄張りは重用で、その線引きについて常に論争や抗争が起こっている。基本的に数が多い方が領地を広く持つべきという単純な足し算に落ち着くので、頭数を増やす為にフリーの妖怪は各勢力から傭兵として募集される事がある。
妖怪の山の南から西側はそうした陣取り合戦が定期的に行われおり、東部の弾幕戦とはまた違った活気がある。大きな抗争に発展しない程度ならこうした小競り合いは歓迎するところであり、八雲紫は黙認どころか推奨している。
幽明結界はそうした幻想郷では比較的騒がしい場所付近に位置し、白玉楼はそのお陰で来訪者が増えた。
広い庭園の一角で、争った妖怪達が反省会や慰労会と称して酒盛りをして親睦を深め、場を盛り上げる為に芸達者な者を呼ぶなどするのが恒例となり、庭師の妖夢は庭が汚されないかといつも気が気ではない。幽々子がその酒盛りにちゃっかりお呼ばれして馴染んでいなければ、すぐに追っ払うところである。
かつて冥界の狂い姫と呼ばれた幽々子もすっかり丸くなって周辺の妖怪と仲良くしている。
そして、一向に角が取れる気配がない妖夢は丸くなった幽々子のその態度すら気にいらず、主人の行動にいつも小言を言うのである。
正午あたりから行われる三賢者会議。
いつもなら四季映姫主催で彼女の休日を利用して裁判所の一室で行われる三賢者会議だが、会場は時々変わり白玉楼でも何度か行っている。ただ、今回は西行寺幽々子の主催で、ゲストとして藤原妹紅を呼ぶと言い出し妖夢は猛烈に反対した。
「藤原妹紅・・・あいつは危険なんだ!」
何か考え事でもしているかのように同じ場所をずっと掃き清める妖夢は、突然怒り出して吐き捨てる。
未だに体を切った感触が忘れられない。
妖夢はホウキを置いて、常に携行している剣を抜いて気合いの声と共にそこにいな藤原妹紅を斬りつける。
妖夢の持つ剣は、日本刀ではなく大陸で作られたか、大陸の様式で日本で作られた『剣』である。幅の狭い片刃の反りがない独特の刀身を持つ。
剣は侍のように脇には差さずに、短い方の白楼剣は柄を左に向け、長い方の楼観剣は柄を右に向けて、腰の後ろに2本の剣をぶら下げている。抜く時は後ろに手を回して長い方は右、短い方は左手で抜く。それぞれの剣の柄尻に長い紐が付いており普段は腰の後ろで縛って剣が勝手に抜けないように固定している。
長い方の剣は左脇に差して右手で抜くには妖夢の小さな身体では難儀する。左の短い剣は脇に差して右手で抜く事は可能である。
長い方を抜く時は、柄を右手で持って抜きつつ鞘を左手で左に引いて抜く。収める時も鞘を左手で調整するのである。
体に合わないそれらの剣は祖父である魂魄妖忌から与えられた物で、受け継いだわけではない。その祖父は行方不明で妖夢の記憶では、八雲紫の来訪を境に姿を消した事を覚えている。当時はまだ小さく短い方の剣すらまともに抜けない時で、紫の来訪の意味も祖父の失踪の意味も何もわからなかった。そしてそれは今も同じである。
未熟と言われるが、何をもって熟達し未熟を返上出来るのかそれを客観的に計る物差しがない。日々一人で修練に励むが、その成果をどこで確かめればいいのかわからない。
そんな中での不死人狩りが始まる。既に弾幕戦闘が一般化した折り、妖夢もまたそれに感化されて戦闘はもっぱら弾幕で、剣による実戦は妹紅を斬った時が初めてだった。
初めて人を斬り、肉や骨を断つ感触を知った。その日は興奮して一睡も出来なかった。胃がキリキリと痛み、喉がからからに乾き、いくら水を飲んでもその渇きを潤せる事はできなかった。
幽々子の敵、自分の敵、生き物の敵、世界の敵と見定め、永遠を断つ事を剣の修業の目的と位置付けて、揺れ動く精神の安定を図ってきたのである。
なぜその敵を今になって通さなければいけないのか。納得が出来ない妖夢である。
「精がでるね~。」
不意に後ろから声を掛けられる妖夢は、咄嗟に剣を構えて振り返る。
「なんだ、小町さんか・・・。」
がっかりしたというか拍子抜けしたような妖夢。
「おいおい、なんだはないだろ。失礼なやつだなー。」
小町と呼ばれた大柄の女性は妖夢の応対に不満を示す。
「あ、いえ、そういう意味で言ったんじゃないんです。」
「んじゃどういう意味さー。」
「いえ、それは・・・。」
「ま、いいけどさ。あ、そうだ、四季様来たから案内してやっておくれよ。」
「あ、すぐに。」
小高い山の頂上にある白玉楼へは長い階段の終着地点には山門があり、この門を通すか通さないかは門番である妖夢の裁量に委ねられている。とは言っても、今は来客を拒む理由がないので仕事としては通る者をチェックする程度でいちいち検問したりはしない。
その山門の前に小さな陰が見え、シルエットから四季映姫だと確認する妖夢。
四季映姫・ヤマザナドゥは、地獄に籍を置く閻魔の一人で現在地方閻魔庁幻想郷支部の裁判長を務めている。
閻魔が働く裁判所となる閻魔庁は、中央庁の下に地方庁を複数おく体制になっている。辺境過疎地域が含まれる一部の地方庁の下に地方支部が存在し、約500年前に隔離された幻想郷用の支部が450年ほど前に設立されている。
その幻想郷支部の2代目裁判長が四季映姫である。新設後に数年間、中央の大閻魔の一人が兼任して初代長官となっていたが、この当時の幻想郷支部は名ばかりでほとんど機能しておらず、二代目の四季映姫が裁判長に就いてから業務が始まったので彼女が実質的な初代と言ってよいだろう。
普通は一つの裁判所に複数名の裁判官がいるのだが、幻想郷支部の管轄は非常に狭い地域であるため交代要員も必要なく裁判官は裁判長の四季映姫一人である。
昔の地獄は各地に分散しその地獄一つにつき一つの裁判所があり、一人の閻魔長が地獄一つを担当していた。
各地獄は基本的に連携しておらず独立して存在し、どこにどんな幽霊を連れて行くかは全て死神の裁量に任されていた。当時の閻魔の地位は低く小役人のようなもので、死神の方に大きな権限があったのである。
四季映姫は現在の中央集権制度になってから登用された元お地蔵様の新人閻魔で、中央庁で研修を受けた後幻想郷支部に派遣されたわけである。
しかし、幻想郷支部は閻魔長の中では最も身分が低い新人閻魔の研修施設のような扱いだったが、他の新人と交代することなく、一向に昇格しない四季映姫を皮肉って、島流し支部とも言われるようになる。その為、四季映姫は中央で何か失敗をして左遷されたという噂もあるのだ。
そんな噂など知らない妖夢は紫や幽々子がするように四季映姫に対しては賓客と迎える態度をとる。
遊びに来たわけではない四季映姫としてはそのまま白玉楼の建物に黙って入るわけにも行かず、案内役を努める妖夢にその仕事をさせるため、庭の端っこで一人気合いを入れている妖夢を連れてくるように小町に頼んだというわけである。
真っ白な玉砂利の部分を避けて外縁の通路に沿って小走りに四季映姫の所に向かう妖夢。小町は会議に出席する立場ではないので付き人としての彼女の役目はこれで終わる。その為妖夢の後は追わずにゆっくりとマイペースで歩く。
歩みの速度が違うためすぐに差が開き妖夢の姿は小さくなっていく。妖夢とほぼ同じ背丈の四季映姫は、妖夢からぺこぺこと頭をさげられ、2、3会話したあと先導されて白玉楼の建物に消えていった。一人で入って行けばいいのにと思う一方、律儀な上司の可愛い振る舞いを愉しげに眺める小町だった。
白玉楼は元々大陸の建物だが、久しく忘れられており冥界に移設された時に大規模な改修がなされて、外見は和風な面持ちに替わっているが、楼と言うだけに元々は楼閣で重層の建物だった。
平屋造りの現在の白玉楼は庭に面して長い廊下が続いており、屋根は周囲の木々よりも低く控えめで上品な風情がある。長い廊下に面して全面に襖で部屋が仕切られているが、そのふすま絵が見事で花鳥風月四季折々に模様替えする。庭から襖と建物を眺めるのもまた愉しいものである。
開け放たれた廊下から眺める庭の景色は格別で、白い玉砂利が綺麗に掃き揃えられ、庭の外縁だけでなく山全体が桜の木で覆われ、特に春は庭からも建物の中からも絶景で、その美しい景色は冥界一と言われている。
生前、芸能文芸芸術に携わった者が輪廻に旅立つ前に逗留する事が多く、その為、白玉楼は巨大なアトリエとして機能しており、今も収蔵品は増え続けている。
死神である小野塚小町は女性としては大柄で、そのためか決して背が低いわけではない上司を小さく見せてしまい、四季映姫=チビという印象を世間に植え付けてしまった張本人である。
さばさばした性格で常に前向きで明るく面倒見がいい姉御肌。おしゃべりで世間話が好きで、これは死神としてはだいぶ変わっていると言える。
頭を動かすより体を動かす方が性に合っているため、さらにしゃべり好きも手伝って事務仕事より接客業である渡しの仕事を自ら望んで選び、給金の安い幻想郷支部に自ら挙手して移った正真正銘の変わり者である。
今現在の地獄のシステムは、幽霊はすべて裁判所に送って、その後の身の振り方を裁判官が強制的に指定する強引なやり方をしている。裁判所で全ての幽霊を管理したがる今のやり方は渡しの仕事は大変忙しくなり激務で人気がない。
小野塚小町は、重労働を避けるため安月給の幻想郷支部に望んでやってきて非常に貧しい生活を送りながら日々さぼり道を極めて修業しているというわけである。
肩に担いでいる大鎌は、ふにゃふにゃと曲がった刃で武器として機能しているのか疑問である。実際問題として現在の死神は武器の携行を認められておらず、これがないと誰も死神と認めてくれないので、仕方なく殺傷力のない飾りの鎌を自腹で手に入れて持って歩いているのが死神社会の現状である。
「しかし、今日はいい天気だな・・・血の雨が降らないといいけど・・・。」
常に彼誰時のような薄靄がかった冥界の空が、晴天の様にまぶしく感じる時は凶事の前触れと聞く。その真偽は不明だが、小町はこれから起こる何かをなんとなく予感していた。
座敷を言ったり来たりして落ち着かない少女がいる。
「少し落ち着いたら?」
「相手が妖怪じゃなければ落ち着いてるわよ。」
「藍は時間を守るわよ。」
「どうだか。」
落ち着かない少女の名前は藤原妹紅。正午に迎えに来ると言われそれを待っているわけだが、妖怪との待ち合わせが大雑把なことを思い出してイライラしているのである。
少女をたしなめる大人の女性は風見幽香。幻想郷でその名前を知らない者はいないといわれる大物妖怪である。人間の生活に慣れ親しんでいる幽香は、時間の守るという人間ならあ当たり前の事を当たり前に出来る希有な妖怪で、本来妖怪は人間の取り決めた時間の単位に準じた生活はしないのである。高度な頭脳や、協調性のある妖怪は器用に人間の生活に溶け込む事が出来るが大抵の妖怪は時間に縛られる事はないのだ。
ちなみに、人間の里で人間の時間に沿って行動している妖怪は、外の妖怪からそのまま里妖(さとよう)と呼ばれ、人間と同じ扱われ方をする。
八雲藍ほどの妖怪なら時間は守ると思われるが、妹紅がイライラするのにはそれとはまた別の理由もあったからである。今朝方香霖堂の店主が来て、何か重要な話があるらしいとの言付けを幽香にして帰った事を先程知らされたからだ。
その時の妹紅は、苦労と迷惑をかけた魔理沙の労をねぎらう為にウサギや竹の子、山菜を獲ってきて豪華な朝食を食わせてやり、その後ゆっくり話をしてから先程帰宅したばかりで、霖之助とは完全に行き違いになってしまったのである。
昨日の事で何か言い忘れた事でもあったのかと思ったが、幽香が応対した時何かの設計図の様な物を持ってきており、それについての話だという。その設計図みたいな物とは昨日てゐに貰った永琳のゴミで、妹紅は霖之助と話したあと、そのゴミを香霖堂に処分してもらおうと預けてきたのである。
その件で朝早くやってくるという事はそれなりに重要な話なのだろう。どうせすっぽかす予定の三賢者会議よりもこちらのほうが気になってしかたがない。
「来ないなら来ないで先に言ってくれよ。ったく・・・。」
無茶な事を言いながら、あと5分で正午になるので、その時までに来なかったら香霖堂に向かうつもりでいる妹紅である。
幽香の左手をとった妹紅は手首の内側の腕時計の針とじっとにらめっこをする。
時計の針はやがて1分を切り、刻一刻と正午に向かって時を刻み続ける。
「3・2・1・・・。」
「やあ、妹紅、待ったか?」
カウントダウンをして丁度正午になった瞬間、絶妙のタイミングで庭に藍が現れる。
「く・・・。」
がくっと肩ごと頭を落とす妹紅。
それを見た幽香はぷーっと吹き出して大声で笑いそうなる口を両手で強引に押さえ、涙を流しながら目だけで大笑いする。本当は畳をバンバン叩いて笑い転げたっかのだが、一応病人として振る舞わなければならないので姿勢を崩せない。
「ん?どうした?」
キョトンとする藍。
「・・・何でもない。」
妹紅は不満そうに藍を見ながら庭に降りる。
「すぐに出れるか?」
「ええ。」
「ところで、あの件は覚えているか?」
あの件とは白玉楼には行っても幽々子には会わないという約束である。
「ええ。」
「心変わりは?」
「ないわ。」
「うむ。それではよろしくたのむ。」
そう言って藍は、懐から一本の巻物を取り出す。
それを何気なく見ていた妹紅は、突然背中に電気が流れた様な感覚を覚える。妖術使いとしての勘が何かを知らせ全神経が研ぎ澄まされる。
「それは?」
藍が取り出した巻物に興味を示した妹紅は一歩近付いてそれを覗き込む。
「これか?これは携帯スキマ移動の巻物だ。」
そう言って開いて見せる。
「(迂闊!)」
妹紅は心の中で迂闊な藍の行動に思わず歓喜し、その機を逃さず転写眼を発動しその巻物の中身を網膜に焼き付けた。
「(盗った!)」
妹紅の中の妖術使いの血が瞬間的に沸騰し、無上の喜びが沸き起こる。超大物の術を盗み獲ったのだ。妹紅は邪悪な笑みを浮かべて相手をあざ笑う表情を我慢し、澄ました顔で「へー」と感心してみせる。
「(馬鹿め!そうやって一生油断してろよ藍)」
術を盗むなどまったく想定していない藍は、そもそも術を盗まれた経験もなく、妹紅如きにそんな高度な術は使えないと完全に見くびっていた。
妹紅は妖怪と今は協調していても、基本は妖術使い、妖怪の敵というスタンスは崩していないのである。
元々転写眼は紋印を盗む為に開発された術である。紋印とは発声呪文を書式化して印にしたもので、難しい術の発動を速攻で行うために開発されたものだ。妹紅の使う呪符などもその紋印の典型的な使い方である。
紋印を盗んだだけでそれがそのまま術として使えるわけではない。しかし、紋印を解析したり発動に必要な触媒を見つけだすなど、妖術研究としてやりがいのある課題を得る事になる。岩老郷時代、誰かが紋印を盗んで来ると里を上げて研究プロジェクトが発動して活気づいたものである。コレクションとしても価値が高く八雲紫の紋印を盗めるなど妖術使い冥利に尽きるといっていいだろう。妹紅としては、そのまま天に昇りたい気分である。
思いがけず素晴らしいお宝を手に入れた妹紅は藍に気取られないように暢気に振る舞う。この時藍も幽香も妹紅が術を盗んだ事など全く気付いていなかった。
内心狂喜乱舞している見た目いつも通りの妹紅は、藍の後に次いで開いた簡易スキマをくぐり抜けるという初めての経験をする。この巻物に封じ込めたスキマは、紫が開くスキマの特徴ともいえるリボンがなく10秒程開いた後自動的に消えた。
妹紅は素人っぽくさも珍しいものでも見るような感心した表情で、開いてから消えるまでの時間を正確に計り、消えるスキマを見届けた。
「ここは・・・。」
妹紅はそのまま周囲を見渡し、初めて見る景色に演技ではない素の戸惑いの表情を見せる。
全体的に霧がかかってどの方角を向いているのかわからない。キョロキョロする妹紅に藍が指をさして方角を知らせる。
「東に竹林、里は向こうだな。山は北だ。」
「こんなところにこんな目立つ門があったのね。」
「幽明結界だ。分かりやすいようにこんな形にしている。」
幽明結界と聞いた妹紅は何か異世界に通じるトンネルの様な歪んだ空間を結界で封鎖しているのではないかと予想していたが、博麗神社の大鳥居と同じ位の大きなの木製も門がドンとそこにそそり立っているだけで驚いた。
妹紅の周囲に4本の太い柱が立っており、興味深げにその一本をポンポンと触ると、門の前と後ろを決める重要な役割を果たす柱だと説明される。妹紅はそれを聞いて門の後ろに回ったが後ろには何もなく、門の裏面が見えるだけである。
門の正面は東を向いており、東から西に門に入るのが正しい入り方だという。
感心しながら大きな門を見上げる妹紅を尻目に藍は扉の前に立って軽い動作で前に押すと、重そうな扉は音もなくすぅっと開いていく。何も言わず藍はその門をくぐり妹紅も後を追った。
門を出ると周囲は霧の中にいる様で視界が悪い。門の正面、霧の上に石の階段が山頂に続いているのが見えた。霧が出ているのは地表付近だけで上は晴れているようだ。
藍は妹紅を先導してしばらく歩くと一旦振り向いて門が閉まるのを確認する。妹紅もそれに倣う。
「あの階段の頂上に白玉楼がある。」
いつの間にか正面を向いていた藍が門を見ていた妹紅の後ろ姿に声をかける。
「ん?」
振り向いた妹紅は階段の前にいる人影を発見する。恐らく八雲紫だろう。3日、いや4日振りだろうか?それほど時間は経っていないはずだが、何故かとても懐かしい気がする。
藍の後をついて歩く妹紅は紫と思しき影と距離が詰まるにつれ緊張に胸が高鳴る。先程巻物を写し左目が失明状態なのも忘れ全神経を八雲紫に向ける。
お互いにはっきり顔が確認出来る距離まで来ると紫は日傘を閉じて深々とお辞儀をした。
そして紫の前約2メートルほどの距離で立ち止まった妹紅に合わせるように顔を上げる紫。しばらく見つめ合う。
「こんにちわ。」
「こんにちわ。」
ぎこちない挨拶を交わす2人。不死人狩りに関して妹紅はともかく紫はその胸の内のほとんどを藍と手紙を経由して妹紅に伝えており、何となく気恥ずかしい。妹紅もまた、そんな紫を察してどんな態度をとればいいのかわからない。
不死人狩りにおける紫の妹紅に対する無数の謝意が書き記された手紙を今日の未明魅魔と別れた後に魔理沙の傍らで読んだ。切実な想いを訴えた謝罪と心のこもった感謝が凝縮されたその手紙を読んで、妹紅はとても嬉しい気持ちになれた。今でもそれはもんぺの中の隠しポケットに入れており、永遠に捨てられない大切な宝物になる事だろう。
藍は、お見合いの席でお互い緊張して話ができない若い衆を見ているような心境になり、見ていられなくなって声をかけて白玉楼へと先導する。
階段を登り始めた3人は、最初は縦列だったものがいつのまにか肩をそろえて歩いていた。
「歩いて登る決まりでもあるの?」
最初に声を上げたのは妹紅だった。階段を登るのは別につらくはないのだが、この調子だと30分くらいかかるのではないだろうか?
「そんな決まりはないけれど、大切な用事で来る時は歩くようにしてるの。」
「ふーん。」
何か別の光景を思い浮かべながら話す紫。
「そいえば妹紅、幽々子には会う?」
「会って欲しいなら会うけど。」
「今日は遠慮してもらいましょうか。」
「わかったわ。」
「気を遣わせて悪いわね。」
「別にあんたらに気を遣ったわけじゃないわ。何となく幽々子は苦手な感じがするのよね。常に何か企んでるのに、それを表に見せないタヌキというか。」
それを聞いて2人がクスクスと笑う。
「皆、幽々子をタヌキと言うんだな。」
常に何か企んでその様子が態度に出るキツネの藍が笑う。いつの間にかギクシャクした妹紅と紫は楽に話が出来るようになっていた。
山の中腹、階段の中間点あたりに踊り場があり、少しだけ平らな石畳が続く。
「少し休みますか?」
藍の問いかけにひとまず歩みを止める3人。ご丁寧に数人が余裕を持って座れる長いすが踊り場の両端に置かれている。
「妹紅は?」
「私はこのままでも構わないけど。」
「妹紅、とりあえず段取りはいいかな?」
藍が最終チェックをする。
「ええ、門番が難癖つけてくるんでしょ?」
「妖夢のことだから、必ず追い返すセリフを言うわね。」
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
藍が妖夢のセリフを予想して妹紅に口調を換えて聞かせる。妖夢の真似をしたのだろうか?似てないと思う妹紅と紫だったが大人の対応をする。
「あっそ、って帰ればいいのね?でも引き留められたりはされない?」
「まーそのあたりのフォローは我々に任せてくれ。」
「分かった。でも、怒られるんじゃない?妖夢・・・。」
「我々が怒られるわけでないからな。」
事も無げに言い放つ藍。紫もそれを咎めるどころかにっこりと微笑み藍に同意する。
「どうせ幽々子のことだからお咎めなしでしょうし、叱られるならそれもまた妖夢の為でもあるのよ。」
妖夢は長い間白玉楼という隔離された世界で、他のコミュニティーの存在すら知らず幽々子の従者として過ごしてきた。冥界において重要な役割を持っている西行寺幽々子の僕として妖夢はそれを誇りに思うと同時に、自身を過大評価している嫌いがある。その現れとして初めて会った者に対して下手に出る態度を全く見せない事である。
時々幻想郷に来てはそんな態度で振る舞っているが、彼女が無事で済んでいる理由が西行寺幽々子という後ろ盾であり、その幽々子の名前に守られていることを当人は知らないのだ。
紫や藍、四季映姫など幽々子が認める存在に対しては下手に出ていい子ちゃんで居るが、一歩外に出れば態度が豹変する。そうした事は当然紫は幽々子に注意を促しているが一向に改善される気配がない。
もし、幽々子の名前の力が及ばない存在に対して、そのような態度を取った時どうなるだろうか?殺されても仕方がない。特に危険なのが不死人である永遠亭。そして幻想郷に来たばかりで事情を知らない妖怪だ。彼らに幽々子の名は効かないのである。
幸いにして幽々子を脅かす存在など幻想郷には僅かしか存在しない。そしてその一人が藤原妹紅であり、妖夢の無礼な振る舞いを逆手にとって幽々子から遠ざけようと画策したのが八雲藍というわけである。これによって、妖夢がどんな人間かを妹紅は知る事になり、その無礼な振る舞いも黙認してもらえるだろう。
よく手入れされた綺麗な石の階段の両側には緑の葉を湛えた桜の木が無数に植えられている。葉桜の回廊もそれはそれで風情があって良いが、満開の桜坂を登るのは最高の目の保養になるだろう。
階段の最上段には立派な山門がある。白玉楼は寺院仏閣ではないのだが、冥界に移設後和風に改修した際に門も建て、それを宮大工に一任したのであたかもこの先に寺院仏閣があると勘違いしそうな立派な山門になってしまったわけである。
「何やってんだ妖夢?」
来訪者が足を休める数人一緒に座れる長椅子を一人で占領して寝ころんで昼寝を満喫していた小町が、開いた門の真ん中で仁王立ちしている妖夢の只ならぬ様子に気付いて近付き、声をかけつつ階段の下を見ている妖夢の視線の先を追う。
「お、やっとお出ましか。」
見慣れた尻尾や日傘のシルエットを持つ人影を目にした小町は、三賢者会議の主役の登場を確認する。この時、小町は藤原妹紅が来ることを四季映姫から聞かされていなかったので、妖夢の只ならぬ態度が八雲の2人に向けられると勘違いして注意しようとして、そこでようやく異様な気の存在に気付いた。
「なんだあれ?」
藤原妹紅を見た小町の第一声はこれだった。死神の小町には業の塊にしか見えなかった。一個の生物が背負える限界を遙かに越えた巨大な業の塊が小町を狼狽えさせた。
横一線に並んだ八雲と藤原妹紅の3人は、最上段まであと二十五歩という所で声を掛けられて止まり、同時にその声の主を見上げた。
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
剣を抜いた小さな少女が門の中央に立って、その抜いた剣を妹紅に向ける。
声をかけられた三人のうち真ん中にいた妹紅は、右にいる下を向く藍、左にいるの羽毛で飾った扇で顔を隠す紫と見てから妖夢に向き直る。どちらも必死に笑いを堪える為に努力している様が伺える。
藍の予想と一字一句違わないそのセリフに、妹紅は吹き出しそうになるのを必死に堪える。そして、限界寸前で後ろを向いてそのまま階段を降り始める。
剣を抜いた妖夢を止めようとした小町の手が肩にかかっているのを無視し、開口一番言い放った決めセリフに素直に従う妹紅の行動に思わず声を失う妖夢。素直に帰るなど妖夢にとって全く予想外の行動だったのである。
「え?」
拍子抜けした声を上げる妖夢。
「え、あ、あれ?え?え?」
しどろもどろになった妖夢はこちらの様子を伺う紫に戸惑いと懇願が合わさった複雑な表情を向ける。
「不死人は入れないみたいだから私帰るわ。じゃあね。」
妹紅は階段を降りながら紫と藍に手を振って挨拶をした。
「わざわざ呼んだのに悪いわね。」
「呼んだのは幽々子でしょ?」
紫は調子を併せて、さも申し訳なさそうに声を掛け、紫のせいじゃないとフォローを入れる妹紅。
「・・・やはり、駄目でしたか・・・。」
「妖夢は厳しいわねー。」
そう言って2人は階段を残念そうに上がってくる。
「門番に判断にまかせるのが筋というものです。」
引き留める役目を紫と藍に期待して強気に出た妖夢だったが、当てが外れどうしたものかと思案するも妹紅はどんどん階段を降りて小さくなっていく。
「おい、いいのか?」
小町が妖夢に声をかける。妖夢は小町に振り向いて狼狽える。顔に「どうしよう?」とはっきりと書いてある。明らかに想定外の事が起こっているのは理解できた。
小町は妹紅が来ることを知らず、妖夢の様子を見る限り妹紅は明らかに招かれざる客のようだった。
八雲紫らの対応を見ると幽々子に頼まれて妹紅を連れてきた様子である。ただ、あっさり諦めた様子からそれほど重要な事には見えなかった。しかし、見えを切った妖夢の最初の態度と、その後の様子の違いから幽々子が呼んだ客を独断で追い返したというのが正しい答えだろう。
主人の招いた客を追い返すなど部下として大問題である。
妖夢は小町に肩を叩かれ最初は狼狽えていたが、次に悔しそうに唇を噛みしめ、そして最後に怒りに身を奮いはじめる。
小町はその妖夢の心の動きを完全に把握できた。予想しなかった事に直面して焦り戸惑い、主の言いつけに背いた事を後悔し、そしてその失敗を自己正当化するために妹紅が悪いと責任転嫁したのだ。
「い、いいんです!奴を通すかどうかは私に一任されてるんです!」
小町の顔を見ずに下を向いたまま答える妖夢。これはウソではないが、明らかに事前の手続きを省略している。
「・・・ま、それならいいんだけど。」
やれやれと鎌を担いだままため息をついて力を抜く小町。小町としても部外者なのでこれ以上突っ込んだ事は言えない。
そんな釈然としない小町の横を紫と藍が通り過ぎる。すれ違う時2人と目が合い、何かを含んだ笑みを露骨に残していく。
「(くそ!わざとか。)」
山門をくぐると一本の石畳の道が真っ直ぐ白玉楼の庭に面した広く長い廊下の前に続いている。向かって右が幽々子と妖夢が普段生活する母屋がある。
紫らがその母屋に伸びる細い通路と交わる位置に差し掛かったとき、釈然としない小町は、肩を震わせて階段をじっと見下ろす妖夢から離れ、小走りで2人の後を追った。
「ちょっと待てよ!」
「あら、どうしたの?」
ニヤニヤして小町を振り向く紫。
「わざとだろあれ!」
「ええ、そうよ。ああでもしないと妖夢は妹紅に殺されてしまうわ。」
「確かに先に剣を抜いたのはあいつだ。何にしてもあいつが悪いのは間違いない。でも、ああなるの分かってたら、何とかできただろ?」
「小町は優しいのね。でもね、そういう優しさが妖夢を駄目にしてるのよ?」
「う・・・。」
言い返せない小町。しかし、紫らが単に妖夢を苛める為だけにこんなことをしていたわけではない事を知り、怒気を収める。
「不死人が台頭した今、幽々子は最強の存在ではなくなったわ。あんな態度を例えば八意永琳にやったらどうなる?」
「間違いなく殺される・・・。」
「でしょ?そろそろあの娘にはお灸をすえないとね。でないと取り返しがつかない事になるわ。」
「・・・。」
何も言えず黙って下を向く小町。
「見送りはここまででいい。妖夢を頼むぞ、小町。」
藍がそう締めると紫は踵を返して先に進み、藍もその後を追う。
三賢者会議といっても藍も賢者の一人として会議に参加する。実質四賢者である。さも当然のように紫の後について白玉楼に入っていく八雲藍は、幽々子や四季映姫の部下にあたる妖夢や自分とは格が違う。
「ふん!気に入らねー。」
しばらく2人の後姿を見送った小町は吐き捨てて鎌を首の後ろで両肩と平行にして手を引っ掛け、置いてきた妖夢のところにだらだらと歩いて戻るのだった。
藍の策が見事成功し、多少の後ろめたさは残るものの、こちら側に否はなく幽々子との会見を回避した妹紅。戻りはゆっくりと景色を眺める事が出来た。葉桜の回廊は登る時とはまた違った風情がある。
「しっかし、えぐいこと考えるなあのキツネは。」
妖夢の性格や性質を完全に見抜いた上での完全犯罪ともいえる。しかも、こちらは誰も悪くないのだ。
妹紅を通すにあたってその判断を妖夢に委ねている幽々子であるが、口上も聞かずにいきなり剣を抜くのは常軌を逸している行為である。幽々子等の事情はしらないが、それにしてもいきなり剣を抜くのはまずいだろうと思う。これは紫や藍も同じで、見えを切るのは予想できたが剣を抜くとは思わなかった。事前に口裏を合わせておかなかったら、妹紅はそれを敵対行為とみなして攻撃する可能性もあった。その際、明らかに否は妖夢にあり、妹紅の正当防衛の言い訳が立つ。
遊びにきた霊夢や魔理沙らを弾幕で追い払うならともかく、主人が客として招いた者を武器を抜いて追い返すなどあってはならないことである。
「相当怒られそうだな・・・。」
妹紅は一度振り向いてかすかに見える山門を見上げる。
「なむなむ・・・。」
合掌した後、肩をすくめ、ひと息ついた後振り向いて思考を切り換える。
ここに来る前に盗ったスキマの巻物も気になるが、これはとりあえず後回しにして香霖堂の店主、森近霖之助が朝方家に来た意味について考察する。あの設計図が無価値で返しにくるだけなら幽香に預ければいい。しかし、持ち帰ってしかも重要な話があるらしいとの言付けを幽香に残して行った。これは速攻で香霖堂に向かうしかない。
ブツブツと呟いていた妹紅が意を決して階段を駆け下りようとした、その時である。
「・・う!もこう!藤原妹紅!」
不意に声を掛け続けられている事に気付いた妹紅は思考の世界から現実に戻る。
「!」
はっとなって声の主に振り返った妹紅はそれが誰かを確認して驚いて大声をあげた。
「うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
そのまま声の主から遠ざかるように距離をとる。
「ちょ、ちょっと、それはいくら何でも驚き過ぎでしょう?」
声の主は八意永琳だった。
「(すっかり忘れてた!)」
一瞬、何故永琳がここにいるのか不思議に思った妹紅だが、永琳を紫に会わせようと仕向けたのが自分自身であって、当然こうなるのは分かっていたはずだった。
しかし、ここに来る前のスキマの巻物を盗んだ件、香霖堂の件、先程の妖夢の件と短時間に色々と重なったため一番重要な事を忘れてしまっていたのだ。
「ふむ、あなたが仕組んだ事だと思ったのだけれど・・・どうやら買いかぶりかしらね。」
こうなるように仕組んだのは間違いなく妹紅である。永琳もてゐ一人の手柄ではなく妹紅の口利きがあったと見ていたが、妹紅の今の驚き様が演技には見えず完全に不意打ちを喰らった表情から、てゐ一人のお手柄と判断する永琳である。
妹紅としては思いがけずみっともないところを見せたが、これが効を奏したようでてゐと妹紅の茶番がばれずにすみそうである。
それにしても、向こうから話しかけてくるとは、てゐが言っていた様にやはり永琳は変化しているのは間違いないようだ。
「な、なんでお前がここにいるんだ?」
白々しく聞く妹紅。
「八雲紫に会えと言ったのは妹紅でしょう?」
「いや、だから何でここがわかったんだ?」
「あなたが教えてくれた・・・というわけではなさそうね。」
ふむと、考え込む永琳。
「ま、何はともあれせいぜい頑張るんだな。」
冷や汗をかいて強がる妹紅。これは演技ではない。
「あなたは参加しないの?」
「ああ、追い返さ・・・ってあああああああああああああああああああああ!」
言いかけて妹紅は重大な事に気付いてまた大声をあげる。
「ちょっと、あなた少しおかしいわよ?」
永琳の言は最もであると妹紅も思う。
「(まずい!まずい!まずい!このまま永琳と妖夢を会わせたらまずい事になる!)」
妹紅は目の前に永琳がいるにもかかわらずその場で頭を抱えてうずくまる。
「頭痛?」
妹紅はすぐに立ち上がって、汗だくになった引きつった顔を永琳に向ける。
「な、なぁ、永琳さん?」
永琳を初めてさん付けで呼ぶ妹紅。
「な、何?」
気持ちわるそうな顔して少し引く永琳。
「訪ねた家で飼っている番犬が、うるさく吠えたとして、永琳さんともあろうお方が一々腹を立てたりしないですよね?」
たどたどしく棒読みで質問する妹紅。
「?・・・何を言い出すの急に。」
突然の妹紅の話に流石の永琳も意味がわからずあからさまに不快感を示す。
「ほ、ほら、ここの門番子供だろ?門番ごっこで客を追い返す遊びが流行ってるんだよ。あはは・・・。」
こんな言い訳がましい話では駄目か?と上目遣いに永琳の反応を伺う妹紅。
「・・・あなた、招かれたのに追い返されたの?」
永琳も流石に驚きを隠せない。
「連中と会う気はなかったから丁度良かったけど・・・。」
「私ならそんな無礼者がいたら生かしてはおけないけど。」
やっぱりと思う妹紅。
「なぁ、永琳は呼ばれてないんだ。訪ねる側だから追い払われるかもしれないし、そこは、なんていうかぐっとこらえてだな・・・。」
「そんな悠長な事をしてられないわ。」
「まーそれはそうなんだけどさ、門番ぼこったら主の幽々子とかその友人の紫とかの心証悪くするだろ?」
身振り手振りを交えて必死に説得する妹紅。
「・・・それは、まー確かに・・・。」
「我慢大会だと思って・・・。」
「・・・妹紅は、その門番の友達なの?」
「いや、別に・・・。」
「他人の命まで責任を持つ必要はないでしょ?それにここは幻想郷ではないでしょ。ルールに従う必要はないと思うけど。」
永琳は不思議に思う。何故、友人でもない赤の他人の命を庇おうとするのか。人間の思考が理解出来ない永琳は妹紅を通してその謎を解こうと考えている。
「そうじゃないだろ?お前と紫が話が出来る環境造りに必要なことなんだよ!」
「そんな環境は別に必要ではないわ。私の話を聞けばその環境は自然に生まれるわよ。」
「そうじゃないってば!ああ!何で月の連中は0か1かでしか判断出来ないんだ!」
先程までの下手に出ていた表情が変わり、ギラっとした目つきになる妹紅。
興味深い妹紅の変化に、永琳は先日の戦いを思い出し警戒態勢をとる。
「もういい、こんだけ頼んでも聞く耳ないなら勝手にすればいいさ!幻想郷なんざ無くなってしまえ!」
「ちょっと待って、あなた今まで私に頼み事をしてたの?」
「そうだよ!気付けよそんくらい!」
「・・・。」
永琳は全く気付かなかった。
妹紅は永琳に背を向けて階段を降り始める。
「待って妹紅。悪かったわ。」
「今頃気付いてもおせーよ。ん?」
妹紅は下に意識を向けた時、そこに何者かの気配があることに気付いた。見覚えのある気配である。妹紅はニヤリとして永琳に向き直った。まだ勝負が出来る。
「永琳、ゲームをしようぜ!」
「ゲーム?突然なに?」
急に態度を変える妹紅を警戒する永琳。
「永琳が一人殺したら、私も一人殺す。どうだ楽しいゲームになりそうだろ?」
永琳が下に待たせていたレイセンに気付いた妹紅は、交渉ではなく命の取引で事を構える事にした。
永琳の表情が初めて変わる。妹紅の遠回しの頼み事に気付かなかったのも勉強不足だが、それが相手を追いつめるとこういう結果になってしまうことを知る。
幻想郷のルールに従う事を決めた永琳は、世界の見方がガラリと変わりかなり戸惑っている。完全に理解しないと話を先に進められない月の民の性質は、適度な適当さに意味を持つこの世界では馴染めないのだ。
階段を下から見上げると、向かって左に妹紅、右に永琳がいる。妹紅は永琳と正対していた体を横に向けて、右肩の先にいる人質のレイセンの存在を強く意識させる。
「分かったわ。門番は殺さない。命は奪わない。それでいいでしょ?」
少し刺のある言い方に妹紅は不快感を示す。
「・・・達磨にする気か?」
達磨とは手足を奪って行動できない状態にすることである。殺さない代わりに再起不能にするという意思表示でもある。
「それは門番次第。それ以上の譲歩は出来ないわ。」
「・・・分かった。」
これだけ譲歩を引き出せただけでも上出来である。大怪我しても命さえ繋がってればなんとかなるだろう。
互いに背を向けて歩き出す八意永琳と藤原妹紅。
人間の理解できない行動をこれまで永琳はおろかだと決めつけていたが、妹紅との闘いで完敗して以降その考え方を改めた。それを研究して理解してみようと思い始めたのだ。
永琳にとって一番の謎は『他人を思いやる』という精神構造とそこから生まれる行動力だった。もちろん全ての人間がそれを持っているわけではない。真逆の行動をとる者も大勢いる。だが、同じ種族でありながらここまで個々の行動の差が大きい種族は、地上と月と全ての生き物を比較しても人間だけであり、それは非常に興味深いことである。なぜ、今までそれを探ろうしなかったのだろうか。
この種族だけがおかしく、それは、未発達の下等な生き物だからだと決め付けていた。しかし、それは違う。妹紅のような特異な存在を輩出したり、結果として地上を支配したのもまた人間である。
能力に上限が存在しない生き物、それが人間なのである。もしこの人間の秘密を紐解き解明できれば、自分はまだ成長できるかもしれないのだ。
妹紅はてゐから聞かされていた永琳の変化をその身で実感した。
今まで思考ベクトルが違い過ぎるせいで会話が成立しなかったが、明らかにこちらの話を聞く態度を示し、更に譲歩までした。今まででは考えられない事である。
不死人狩り以降の休戦は明らかに打算的なもので、互いに歩み寄ったものではない。
徹底的に打ちのめした先日の戦いは、永遠の復讐となって妹紅を苦しめるのかと予想していたが、それは何とか回避できそうな雰囲気である。場合によっては完全な和解にも漕ぎ着けられるかもしれない。
香霖堂に行く予定もあって足早に階段を降りる妹紅。
降りきると一度振り向いて上の様子を窺う。
「妹紅?」
聞き覚えのある声を掛けられた。先程勝手に人質にとった事など知る由もないレイセンの声である。
地表部分には未だ霧が立ちこめその向こうから近付いてくるレイセンの曲がった耳が見て取れる。
その時山頂方面に巨大な殺気が発生した。
「な!」
事情を知っている妹紅はともかく、レイセンは何も知らないので驚いて思わず上を見る。
その殺気はすぐに止み、妖夢と思しき気は消えて無くなる。
「(殺りやがった・・・クソが!)」
永琳を信じていた妹紅だが、それはすぐに裏切られた。
舐められるわけにはいかない。約束通りレイセンを殺さなければならない。
「え?ちょっと、何よ?」
妹紅の様子が変わる。
ジリジリと詰め寄る妹紅の殺気立った目にどうしていいのか分からないレイセンだった。
幻想郷と白玉楼を結ぶ入り口には幽明結界と呼ばれる大きな木製の門がある。
この門は妖怪の山の南、博麗の里から西に位置する。
里の南口を出て藤原邸の前を通るとすぐに道は西に曲がる。その道をしばらく行くと南にある竹林に向かう道との三叉路になる。そのまま道を西に行くと川に出るが、この川縁に関所の跡がある。
その歴史が穢多の村から始まっている博麗の里は、元々は食肉・皮革の生産加工を行う、当時で言うところの『穢れ仕事』を請け負う村だった。
縄文時代の狩猟採集生活から稲作が中心となる弥生時代に入る。西から始まった弥生人の日本侵攻は破竹の勢いで東に広がって行く事になる。
飛鳥、奈良、平安時代初期頃までは、東日本、特に陸奥の国はまだ縄文文化を色濃く残した狩猟を中心とした世界で、東征によって勢力図が塗り替えられていく最中であった。
狩猟から栽培へと食文化が変化していく中、稲作のための土地を広く確保するため、領土、領地という概念が生まれる事になる。定住する生活様式が当たり前になると、獲物を探し求めて移動する縄文人の血なまぐさい行動を野蛮として嫌う風潮が広がり、獣の肉や皮を取り扱う日本土着の縄文人は次第に追われていき隔離されてしまう。
当時の政治は、弥生人の末裔ともいえる天皇の言霊、御霊・怨霊信仰など綺麗事の世界であり、生活の糧として肉や革製品を必要としているにも関わらず、それを生産し加工する食肉・皮革業者は大いに嫌わるという矛盾した世相だったのである。
穢れは清流で漱ぎ落とし禊ぎをすれば良いとされ、穢れは広がらないように川向こうに追いやる仕組みが出来、穢れの流れを止めるため橋を架けず川縁を関所で封鎖し、物流はそこでのみ行うようになる。
穢れが多いと書いて穢多(えた)と読むが、その忌み嫌われた穢多の村はやがて罪人などの流刑地にもなった。
博麗神社は中央の闘争に敗れ穢多の村に罪人として島流しにされてきたわけであるが、役人が穢れを恐れて訪れない土地柄を利用し、村を支配してかつて手にした大陸や中央政権の技術を取り入れ、陸の孤島で独自の博麗文化を華開かせたのである。
里と外の結界の役割を果たしていた川縁の関所跡は今は妖怪達がまとまって済む小さな村になっており、ここは比較的人間と仲が良い者達が集まっている。人間を積極的に襲う妖怪は外から来る人間を狙って太陽の畑より東側に集まっており、それ以外の妖怪は関所より西に多く生息している。因みに魔法の森より北側には妖怪はあまり住んでおらず、幽霊や亡霊など実体のない霊的な存在が多く生息している。
里からも時々行商に来ることがある関所跡の更に西に『マヨヒガ』と呼ばれる妖怪の里がある。ここも基本的に幻想郷の殺さずのルールに則った妖怪達で構成されており、妖怪独自の社会を形成して人間側の社会とは一線を引いている。しかし、博麗の里とマヨヒガの中間に位置する関所跡を経由して三角貿易のような間接的な交流関係が築かれている。
マヨヒガから更に西に行くと常時霧が立ち込める小さな山がありその山頂に幽明結界がある。その更にだいぶ西に廃村があるが、ここは天狗を止めた『堕ち天狗』の集団が生活をしている。
天狗を止めることを『天狗堕ち』と言い、そうした天狗は『堕ち天狗』などと呼ばれるが、これは妖怪の山の現役の天狗達が一方的にそう言って自分達と区別しているだけで、彼らは決して仏道や人道から外れた邪悪な存在というわけではない。
仏教思想を元にしている天狗は大天狗ごとに宗派のような違いが若干あり、それぞれの持つ思想、考え方などの僅かな違いを思い悩み修業に打ち込めない純粋な者達が自身を見つめなおす為に所属陣営から抜けてる者が『天狗堕ち』し、そうした『堕ち天狗』達が集まったのが西端の廃村『堕天の里』なのである。現在フリーの大天狗、大峯前鬼坊もそこに逗留しているが、彼がそこを支配しているというわけではない。
この天狗堕ちが最近増えているという噂があり、妖怪の山方面は何かときなくさくなっているとの情報がマヨヒガ、関所跡の妖怪を通じて里の酒場でも噂になっている。
どこに所属していても自分達の縄張りは重用で、その線引きについて常に論争や抗争が起こっている。基本的に数が多い方が領地を広く持つべきという単純な足し算に落ち着くので、頭数を増やす為にフリーの妖怪は各勢力から傭兵として募集される事がある。
妖怪の山の南から西側はそうした陣取り合戦が定期的に行われおり、東部の弾幕戦とはまた違った活気がある。大きな抗争に発展しない程度ならこうした小競り合いは歓迎するところであり、八雲紫は黙認どころか推奨している。
幽明結界はそうした幻想郷では比較的騒がしい場所付近に位置し、白玉楼はそのお陰で来訪者が増えた。
広い庭園の一角で、争った妖怪達が反省会や慰労会と称して酒盛りをして親睦を深め、場を盛り上げる為に芸達者な者を呼ぶなどするのが恒例となり、庭師の妖夢は庭が汚されないかといつも気が気ではない。幽々子がその酒盛りにちゃっかりお呼ばれして馴染んでいなければ、すぐに追っ払うところである。
かつて冥界の狂い姫と呼ばれた幽々子もすっかり丸くなって周辺の妖怪と仲良くしている。
そして、一向に角が取れる気配がない妖夢は丸くなった幽々子のその態度すら気にいらず、主人の行動にいつも小言を言うのである。
正午あたりから行われる三賢者会議。
いつもなら四季映姫主催で彼女の休日を利用して裁判所の一室で行われる三賢者会議だが、会場は時々変わり白玉楼でも何度か行っている。ただ、今回は西行寺幽々子の主催で、ゲストとして藤原妹紅を呼ぶと言い出し妖夢は猛烈に反対した。
「藤原妹紅・・・あいつは危険なんだ!」
何か考え事でもしているかのように同じ場所をずっと掃き清める妖夢は、突然怒り出して吐き捨てる。
未だに体を切った感触が忘れられない。
妖夢はホウキを置いて、常に携行している剣を抜いて気合いの声と共にそこにいな藤原妹紅を斬りつける。
妖夢の持つ剣は、日本刀ではなく大陸で作られたか、大陸の様式で日本で作られた『剣』である。幅の狭い片刃の反りがない独特の刀身を持つ。
剣は侍のように脇には差さずに、短い方の白楼剣は柄を左に向け、長い方の楼観剣は柄を右に向けて、腰の後ろに2本の剣をぶら下げている。抜く時は後ろに手を回して長い方は右、短い方は左手で抜く。それぞれの剣の柄尻に長い紐が付いており普段は腰の後ろで縛って剣が勝手に抜けないように固定している。
長い方の剣は左脇に差して右手で抜くには妖夢の小さな身体では難儀する。左の短い剣は脇に差して右手で抜く事は可能である。
長い方を抜く時は、柄を右手で持って抜きつつ鞘を左手で左に引いて抜く。収める時も鞘を左手で調整するのである。
体に合わないそれらの剣は祖父である魂魄妖忌から与えられた物で、受け継いだわけではない。その祖父は行方不明で妖夢の記憶では、八雲紫の来訪を境に姿を消した事を覚えている。当時はまだ小さく短い方の剣すらまともに抜けない時で、紫の来訪の意味も祖父の失踪の意味も何もわからなかった。そしてそれは今も同じである。
未熟と言われるが、何をもって熟達し未熟を返上出来るのかそれを客観的に計る物差しがない。日々一人で修練に励むが、その成果をどこで確かめればいいのかわからない。
そんな中での不死人狩りが始まる。既に弾幕戦闘が一般化した折り、妖夢もまたそれに感化されて戦闘はもっぱら弾幕で、剣による実戦は妹紅を斬った時が初めてだった。
初めて人を斬り、肉や骨を断つ感触を知った。その日は興奮して一睡も出来なかった。胃がキリキリと痛み、喉がからからに乾き、いくら水を飲んでもその渇きを潤せる事はできなかった。
幽々子の敵、自分の敵、生き物の敵、世界の敵と見定め、永遠を断つ事を剣の修業の目的と位置付けて、揺れ動く精神の安定を図ってきたのである。
なぜその敵を今になって通さなければいけないのか。納得が出来ない妖夢である。
「精がでるね~。」
不意に後ろから声を掛けられる妖夢は、咄嗟に剣を構えて振り返る。
「なんだ、小町さんか・・・。」
がっかりしたというか拍子抜けしたような妖夢。
「おいおい、なんだはないだろ。失礼なやつだなー。」
小町と呼ばれた大柄の女性は妖夢の応対に不満を示す。
「あ、いえ、そういう意味で言ったんじゃないんです。」
「んじゃどういう意味さー。」
「いえ、それは・・・。」
「ま、いいけどさ。あ、そうだ、四季様来たから案内してやっておくれよ。」
「あ、すぐに。」
小高い山の頂上にある白玉楼へは長い階段の終着地点には山門があり、この門を通すか通さないかは門番である妖夢の裁量に委ねられている。とは言っても、今は来客を拒む理由がないので仕事としては通る者をチェックする程度でいちいち検問したりはしない。
その山門の前に小さな陰が見え、シルエットから四季映姫だと確認する妖夢。
四季映姫・ヤマザナドゥは、地獄に籍を置く閻魔の一人で現在地方閻魔庁幻想郷支部の裁判長を務めている。
閻魔が働く裁判所となる閻魔庁は、中央庁の下に地方庁を複数おく体制になっている。辺境過疎地域が含まれる一部の地方庁の下に地方支部が存在し、約500年前に隔離された幻想郷用の支部が450年ほど前に設立されている。
その幻想郷支部の2代目裁判長が四季映姫である。新設後に数年間、中央の大閻魔の一人が兼任して初代長官となっていたが、この当時の幻想郷支部は名ばかりでほとんど機能しておらず、二代目の四季映姫が裁判長に就いてから業務が始まったので彼女が実質的な初代と言ってよいだろう。
普通は一つの裁判所に複数名の裁判官がいるのだが、幻想郷支部の管轄は非常に狭い地域であるため交代要員も必要なく裁判官は裁判長の四季映姫一人である。
昔の地獄は各地に分散しその地獄一つにつき一つの裁判所があり、一人の閻魔長が地獄一つを担当していた。
各地獄は基本的に連携しておらず独立して存在し、どこにどんな幽霊を連れて行くかは全て死神の裁量に任されていた。当時の閻魔の地位は低く小役人のようなもので、死神の方に大きな権限があったのである。
四季映姫は現在の中央集権制度になってから登用された元お地蔵様の新人閻魔で、中央庁で研修を受けた後幻想郷支部に派遣されたわけである。
しかし、幻想郷支部は閻魔長の中では最も身分が低い新人閻魔の研修施設のような扱いだったが、他の新人と交代することなく、一向に昇格しない四季映姫を皮肉って、島流し支部とも言われるようになる。その為、四季映姫は中央で何か失敗をして左遷されたという噂もあるのだ。
そんな噂など知らない妖夢は紫や幽々子がするように四季映姫に対しては賓客と迎える態度をとる。
遊びに来たわけではない四季映姫としてはそのまま白玉楼の建物に黙って入るわけにも行かず、案内役を努める妖夢にその仕事をさせるため、庭の端っこで一人気合いを入れている妖夢を連れてくるように小町に頼んだというわけである。
真っ白な玉砂利の部分を避けて外縁の通路に沿って小走りに四季映姫の所に向かう妖夢。小町は会議に出席する立場ではないので付き人としての彼女の役目はこれで終わる。その為妖夢の後は追わずにゆっくりとマイペースで歩く。
歩みの速度が違うためすぐに差が開き妖夢の姿は小さくなっていく。妖夢とほぼ同じ背丈の四季映姫は、妖夢からぺこぺこと頭をさげられ、2、3会話したあと先導されて白玉楼の建物に消えていった。一人で入って行けばいいのにと思う一方、律儀な上司の可愛い振る舞いを愉しげに眺める小町だった。
白玉楼は元々大陸の建物だが、久しく忘れられており冥界に移設された時に大規模な改修がなされて、外見は和風な面持ちに替わっているが、楼と言うだけに元々は楼閣で重層の建物だった。
平屋造りの現在の白玉楼は庭に面して長い廊下が続いており、屋根は周囲の木々よりも低く控えめで上品な風情がある。長い廊下に面して全面に襖で部屋が仕切られているが、そのふすま絵が見事で花鳥風月四季折々に模様替えする。庭から襖と建物を眺めるのもまた愉しいものである。
開け放たれた廊下から眺める庭の景色は格別で、白い玉砂利が綺麗に掃き揃えられ、庭の外縁だけでなく山全体が桜の木で覆われ、特に春は庭からも建物の中からも絶景で、その美しい景色は冥界一と言われている。
生前、芸能文芸芸術に携わった者が輪廻に旅立つ前に逗留する事が多く、その為、白玉楼は巨大なアトリエとして機能しており、今も収蔵品は増え続けている。
死神である小野塚小町は女性としては大柄で、そのためか決して背が低いわけではない上司を小さく見せてしまい、四季映姫=チビという印象を世間に植え付けてしまった張本人である。
さばさばした性格で常に前向きで明るく面倒見がいい姉御肌。おしゃべりで世間話が好きで、これは死神としてはだいぶ変わっていると言える。
頭を動かすより体を動かす方が性に合っているため、さらにしゃべり好きも手伝って事務仕事より接客業である渡しの仕事を自ら望んで選び、給金の安い幻想郷支部に自ら挙手して移った正真正銘の変わり者である。
今現在の地獄のシステムは、幽霊はすべて裁判所に送って、その後の身の振り方を裁判官が強制的に指定する強引なやり方をしている。裁判所で全ての幽霊を管理したがる今のやり方は渡しの仕事は大変忙しくなり激務で人気がない。
小野塚小町は、重労働を避けるため安月給の幻想郷支部に望んでやってきて非常に貧しい生活を送りながら日々さぼり道を極めて修業しているというわけである。
肩に担いでいる大鎌は、ふにゃふにゃと曲がった刃で武器として機能しているのか疑問である。実際問題として現在の死神は武器の携行を認められておらず、これがないと誰も死神と認めてくれないので、仕方なく殺傷力のない飾りの鎌を自腹で手に入れて持って歩いているのが死神社会の現状である。
「しかし、今日はいい天気だな・・・血の雨が降らないといいけど・・・。」
常に彼誰時のような薄靄がかった冥界の空が、晴天の様にまぶしく感じる時は凶事の前触れと聞く。その真偽は不明だが、小町はこれから起こる何かをなんとなく予感していた。
座敷を言ったり来たりして落ち着かない少女がいる。
「少し落ち着いたら?」
「相手が妖怪じゃなければ落ち着いてるわよ。」
「藍は時間を守るわよ。」
「どうだか。」
落ち着かない少女の名前は藤原妹紅。正午に迎えに来ると言われそれを待っているわけだが、妖怪との待ち合わせが大雑把なことを思い出してイライラしているのである。
少女をたしなめる大人の女性は風見幽香。幻想郷でその名前を知らない者はいないといわれる大物妖怪である。人間の生活に慣れ親しんでいる幽香は、時間の守るという人間ならあ当たり前の事を当たり前に出来る希有な妖怪で、本来妖怪は人間の取り決めた時間の単位に準じた生活はしないのである。高度な頭脳や、協調性のある妖怪は器用に人間の生活に溶け込む事が出来るが大抵の妖怪は時間に縛られる事はないのだ。
ちなみに、人間の里で人間の時間に沿って行動している妖怪は、外の妖怪からそのまま里妖(さとよう)と呼ばれ、人間と同じ扱われ方をする。
八雲藍ほどの妖怪なら時間は守ると思われるが、妹紅がイライラするのにはそれとはまた別の理由もあったからである。今朝方香霖堂の店主が来て、何か重要な話があるらしいとの言付けを幽香にして帰った事を先程知らされたからだ。
その時の妹紅は、苦労と迷惑をかけた魔理沙の労をねぎらう為にウサギや竹の子、山菜を獲ってきて豪華な朝食を食わせてやり、その後ゆっくり話をしてから先程帰宅したばかりで、霖之助とは完全に行き違いになってしまったのである。
昨日の事で何か言い忘れた事でもあったのかと思ったが、幽香が応対した時何かの設計図の様な物を持ってきており、それについての話だという。その設計図みたいな物とは昨日てゐに貰った永琳のゴミで、妹紅は霖之助と話したあと、そのゴミを香霖堂に処分してもらおうと預けてきたのである。
その件で朝早くやってくるという事はそれなりに重要な話なのだろう。どうせすっぽかす予定の三賢者会議よりもこちらのほうが気になってしかたがない。
「来ないなら来ないで先に言ってくれよ。ったく・・・。」
無茶な事を言いながら、あと5分で正午になるので、その時までに来なかったら香霖堂に向かうつもりでいる妹紅である。
幽香の左手をとった妹紅は手首の内側の腕時計の針とじっとにらめっこをする。
時計の針はやがて1分を切り、刻一刻と正午に向かって時を刻み続ける。
「3・2・1・・・。」
「やあ、妹紅、待ったか?」
カウントダウンをして丁度正午になった瞬間、絶妙のタイミングで庭に藍が現れる。
「く・・・。」
がくっと肩ごと頭を落とす妹紅。
それを見た幽香はぷーっと吹き出して大声で笑いそうなる口を両手で強引に押さえ、涙を流しながら目だけで大笑いする。本当は畳をバンバン叩いて笑い転げたっかのだが、一応病人として振る舞わなければならないので姿勢を崩せない。
「ん?どうした?」
キョトンとする藍。
「・・・何でもない。」
妹紅は不満そうに藍を見ながら庭に降りる。
「すぐに出れるか?」
「ええ。」
「ところで、あの件は覚えているか?」
あの件とは白玉楼には行っても幽々子には会わないという約束である。
「ええ。」
「心変わりは?」
「ないわ。」
「うむ。それではよろしくたのむ。」
そう言って藍は、懐から一本の巻物を取り出す。
それを何気なく見ていた妹紅は、突然背中に電気が流れた様な感覚を覚える。妖術使いとしての勘が何かを知らせ全神経が研ぎ澄まされる。
「それは?」
藍が取り出した巻物に興味を示した妹紅は一歩近付いてそれを覗き込む。
「これか?これは携帯スキマ移動の巻物だ。」
そう言って開いて見せる。
「(迂闊!)」
妹紅は心の中で迂闊な藍の行動に思わず歓喜し、その機を逃さず転写眼を発動しその巻物の中身を網膜に焼き付けた。
「(盗った!)」
妹紅の中の妖術使いの血が瞬間的に沸騰し、無上の喜びが沸き起こる。超大物の術を盗み獲ったのだ。妹紅は邪悪な笑みを浮かべて相手をあざ笑う表情を我慢し、澄ました顔で「へー」と感心してみせる。
「(馬鹿め!そうやって一生油断してろよ藍)」
術を盗むなどまったく想定していない藍は、そもそも術を盗まれた経験もなく、妹紅如きにそんな高度な術は使えないと完全に見くびっていた。
妹紅は妖怪と今は協調していても、基本は妖術使い、妖怪の敵というスタンスは崩していないのである。
元々転写眼は紋印を盗む為に開発された術である。紋印とは発声呪文を書式化して印にしたもので、難しい術の発動を速攻で行うために開発されたものだ。妹紅の使う呪符などもその紋印の典型的な使い方である。
紋印を盗んだだけでそれがそのまま術として使えるわけではない。しかし、紋印を解析したり発動に必要な触媒を見つけだすなど、妖術研究としてやりがいのある課題を得る事になる。岩老郷時代、誰かが紋印を盗んで来ると里を上げて研究プロジェクトが発動して活気づいたものである。コレクションとしても価値が高く八雲紫の紋印を盗めるなど妖術使い冥利に尽きるといっていいだろう。妹紅としては、そのまま天に昇りたい気分である。
思いがけず素晴らしいお宝を手に入れた妹紅は藍に気取られないように暢気に振る舞う。この時藍も幽香も妹紅が術を盗んだ事など全く気付いていなかった。
内心狂喜乱舞している見た目いつも通りの妹紅は、藍の後に次いで開いた簡易スキマをくぐり抜けるという初めての経験をする。この巻物に封じ込めたスキマは、紫が開くスキマの特徴ともいえるリボンがなく10秒程開いた後自動的に消えた。
妹紅は素人っぽくさも珍しいものでも見るような感心した表情で、開いてから消えるまでの時間を正確に計り、消えるスキマを見届けた。
「ここは・・・。」
妹紅はそのまま周囲を見渡し、初めて見る景色に演技ではない素の戸惑いの表情を見せる。
全体的に霧がかかってどの方角を向いているのかわからない。キョロキョロする妹紅に藍が指をさして方角を知らせる。
「東に竹林、里は向こうだな。山は北だ。」
「こんなところにこんな目立つ門があったのね。」
「幽明結界だ。分かりやすいようにこんな形にしている。」
幽明結界と聞いた妹紅は何か異世界に通じるトンネルの様な歪んだ空間を結界で封鎖しているのではないかと予想していたが、博麗神社の大鳥居と同じ位の大きなの木製も門がドンとそこにそそり立っているだけで驚いた。
妹紅の周囲に4本の太い柱が立っており、興味深げにその一本をポンポンと触ると、門の前と後ろを決める重要な役割を果たす柱だと説明される。妹紅はそれを聞いて門の後ろに回ったが後ろには何もなく、門の裏面が見えるだけである。
門の正面は東を向いており、東から西に門に入るのが正しい入り方だという。
感心しながら大きな門を見上げる妹紅を尻目に藍は扉の前に立って軽い動作で前に押すと、重そうな扉は音もなくすぅっと開いていく。何も言わず藍はその門をくぐり妹紅も後を追った。
門を出ると周囲は霧の中にいる様で視界が悪い。門の正面、霧の上に石の階段が山頂に続いているのが見えた。霧が出ているのは地表付近だけで上は晴れているようだ。
藍は妹紅を先導してしばらく歩くと一旦振り向いて門が閉まるのを確認する。妹紅もそれに倣う。
「あの階段の頂上に白玉楼がある。」
いつの間にか正面を向いていた藍が門を見ていた妹紅の後ろ姿に声をかける。
「ん?」
振り向いた妹紅は階段の前にいる人影を発見する。恐らく八雲紫だろう。3日、いや4日振りだろうか?それほど時間は経っていないはずだが、何故かとても懐かしい気がする。
藍の後をついて歩く妹紅は紫と思しき影と距離が詰まるにつれ緊張に胸が高鳴る。先程巻物を写し左目が失明状態なのも忘れ全神経を八雲紫に向ける。
お互いにはっきり顔が確認出来る距離まで来ると紫は日傘を閉じて深々とお辞儀をした。
そして紫の前約2メートルほどの距離で立ち止まった妹紅に合わせるように顔を上げる紫。しばらく見つめ合う。
「こんにちわ。」
「こんにちわ。」
ぎこちない挨拶を交わす2人。不死人狩りに関して妹紅はともかく紫はその胸の内のほとんどを藍と手紙を経由して妹紅に伝えており、何となく気恥ずかしい。妹紅もまた、そんな紫を察してどんな態度をとればいいのかわからない。
不死人狩りにおける紫の妹紅に対する無数の謝意が書き記された手紙を今日の未明魅魔と別れた後に魔理沙の傍らで読んだ。切実な想いを訴えた謝罪と心のこもった感謝が凝縮されたその手紙を読んで、妹紅はとても嬉しい気持ちになれた。今でもそれはもんぺの中の隠しポケットに入れており、永遠に捨てられない大切な宝物になる事だろう。
藍は、お見合いの席でお互い緊張して話ができない若い衆を見ているような心境になり、見ていられなくなって声をかけて白玉楼へと先導する。
階段を登り始めた3人は、最初は縦列だったものがいつのまにか肩をそろえて歩いていた。
「歩いて登る決まりでもあるの?」
最初に声を上げたのは妹紅だった。階段を登るのは別につらくはないのだが、この調子だと30分くらいかかるのではないだろうか?
「そんな決まりはないけれど、大切な用事で来る時は歩くようにしてるの。」
「ふーん。」
何か別の光景を思い浮かべながら話す紫。
「そいえば妹紅、幽々子には会う?」
「会って欲しいなら会うけど。」
「今日は遠慮してもらいましょうか。」
「わかったわ。」
「気を遣わせて悪いわね。」
「別にあんたらに気を遣ったわけじゃないわ。何となく幽々子は苦手な感じがするのよね。常に何か企んでるのに、それを表に見せないタヌキというか。」
それを聞いて2人がクスクスと笑う。
「皆、幽々子をタヌキと言うんだな。」
常に何か企んでその様子が態度に出るキツネの藍が笑う。いつの間にかギクシャクした妹紅と紫は楽に話が出来るようになっていた。
山の中腹、階段の中間点あたりに踊り場があり、少しだけ平らな石畳が続く。
「少し休みますか?」
藍の問いかけにひとまず歩みを止める3人。ご丁寧に数人が余裕を持って座れる長いすが踊り場の両端に置かれている。
「妹紅は?」
「私はこのままでも構わないけど。」
「妹紅、とりあえず段取りはいいかな?」
藍が最終チェックをする。
「ええ、門番が難癖つけてくるんでしょ?」
「妖夢のことだから、必ず追い返すセリフを言うわね。」
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
藍が妖夢のセリフを予想して妹紅に口調を換えて聞かせる。妖夢の真似をしたのだろうか?似てないと思う妹紅と紫だったが大人の対応をする。
「あっそ、って帰ればいいのね?でも引き留められたりはされない?」
「まーそのあたりのフォローは我々に任せてくれ。」
「分かった。でも、怒られるんじゃない?妖夢・・・。」
「我々が怒られるわけでないからな。」
事も無げに言い放つ藍。紫もそれを咎めるどころかにっこりと微笑み藍に同意する。
「どうせ幽々子のことだからお咎めなしでしょうし、叱られるならそれもまた妖夢の為でもあるのよ。」
妖夢は長い間白玉楼という隔離された世界で、他のコミュニティーの存在すら知らず幽々子の従者として過ごしてきた。冥界において重要な役割を持っている西行寺幽々子の僕として妖夢はそれを誇りに思うと同時に、自身を過大評価している嫌いがある。その現れとして初めて会った者に対して下手に出る態度を全く見せない事である。
時々幻想郷に来てはそんな態度で振る舞っているが、彼女が無事で済んでいる理由が西行寺幽々子という後ろ盾であり、その幽々子の名前に守られていることを当人は知らないのだ。
紫や藍、四季映姫など幽々子が認める存在に対しては下手に出ていい子ちゃんで居るが、一歩外に出れば態度が豹変する。そうした事は当然紫は幽々子に注意を促しているが一向に改善される気配がない。
もし、幽々子の名前の力が及ばない存在に対して、そのような態度を取った時どうなるだろうか?殺されても仕方がない。特に危険なのが不死人である永遠亭。そして幻想郷に来たばかりで事情を知らない妖怪だ。彼らに幽々子の名は効かないのである。
幸いにして幽々子を脅かす存在など幻想郷には僅かしか存在しない。そしてその一人が藤原妹紅であり、妖夢の無礼な振る舞いを逆手にとって幽々子から遠ざけようと画策したのが八雲藍というわけである。これによって、妖夢がどんな人間かを妹紅は知る事になり、その無礼な振る舞いも黙認してもらえるだろう。
よく手入れされた綺麗な石の階段の両側には緑の葉を湛えた桜の木が無数に植えられている。葉桜の回廊もそれはそれで風情があって良いが、満開の桜坂を登るのは最高の目の保養になるだろう。
階段の最上段には立派な山門がある。白玉楼は寺院仏閣ではないのだが、冥界に移設後和風に改修した際に門も建て、それを宮大工に一任したのであたかもこの先に寺院仏閣があると勘違いしそうな立派な山門になってしまったわけである。
「何やってんだ妖夢?」
来訪者が足を休める数人一緒に座れる長椅子を一人で占領して寝ころんで昼寝を満喫していた小町が、開いた門の真ん中で仁王立ちしている妖夢の只ならぬ様子に気付いて近付き、声をかけつつ階段の下を見ている妖夢の視線の先を追う。
「お、やっとお出ましか。」
見慣れた尻尾や日傘のシルエットを持つ人影を目にした小町は、三賢者会議の主役の登場を確認する。この時、小町は藤原妹紅が来ることを四季映姫から聞かされていなかったので、妖夢の只ならぬ態度が八雲の2人に向けられると勘違いして注意しようとして、そこでようやく異様な気の存在に気付いた。
「なんだあれ?」
藤原妹紅を見た小町の第一声はこれだった。死神の小町には業の塊にしか見えなかった。一個の生物が背負える限界を遙かに越えた巨大な業の塊が小町を狼狽えさせた。
横一線に並んだ八雲と藤原妹紅の3人は、最上段まであと二十五歩という所で声を掛けられて止まり、同時にその声の主を見上げた。
「そこな不死人!ここはお前の様な死に見放された者が来る場所ではないぞ!」
剣を抜いた小さな少女が門の中央に立って、その抜いた剣を妹紅に向ける。
声をかけられた三人のうち真ん中にいた妹紅は、右にいる下を向く藍、左にいるの羽毛で飾った扇で顔を隠す紫と見てから妖夢に向き直る。どちらも必死に笑いを堪える為に努力している様が伺える。
藍の予想と一字一句違わないそのセリフに、妹紅は吹き出しそうになるのを必死に堪える。そして、限界寸前で後ろを向いてそのまま階段を降り始める。
剣を抜いた妖夢を止めようとした小町の手が肩にかかっているのを無視し、開口一番言い放った決めセリフに素直に従う妹紅の行動に思わず声を失う妖夢。素直に帰るなど妖夢にとって全く予想外の行動だったのである。
「え?」
拍子抜けした声を上げる妖夢。
「え、あ、あれ?え?え?」
しどろもどろになった妖夢はこちらの様子を伺う紫に戸惑いと懇願が合わさった複雑な表情を向ける。
「不死人は入れないみたいだから私帰るわ。じゃあね。」
妹紅は階段を降りながら紫と藍に手を振って挨拶をした。
「わざわざ呼んだのに悪いわね。」
「呼んだのは幽々子でしょ?」
紫は調子を併せて、さも申し訳なさそうに声を掛け、紫のせいじゃないとフォローを入れる妹紅。
「・・・やはり、駄目でしたか・・・。」
「妖夢は厳しいわねー。」
そう言って2人は階段を残念そうに上がってくる。
「門番に判断にまかせるのが筋というものです。」
引き留める役目を紫と藍に期待して強気に出た妖夢だったが、当てが外れどうしたものかと思案するも妹紅はどんどん階段を降りて小さくなっていく。
「おい、いいのか?」
小町が妖夢に声をかける。妖夢は小町に振り向いて狼狽える。顔に「どうしよう?」とはっきりと書いてある。明らかに想定外の事が起こっているのは理解できた。
小町は妹紅が来ることを知らず、妖夢の様子を見る限り妹紅は明らかに招かれざる客のようだった。
八雲紫らの対応を見ると幽々子に頼まれて妹紅を連れてきた様子である。ただ、あっさり諦めた様子からそれほど重要な事には見えなかった。しかし、見えを切った妖夢の最初の態度と、その後の様子の違いから幽々子が呼んだ客を独断で追い返したというのが正しい答えだろう。
主人の招いた客を追い返すなど部下として大問題である。
妖夢は小町に肩を叩かれ最初は狼狽えていたが、次に悔しそうに唇を噛みしめ、そして最後に怒りに身を奮いはじめる。
小町はその妖夢の心の動きを完全に把握できた。予想しなかった事に直面して焦り戸惑い、主の言いつけに背いた事を後悔し、そしてその失敗を自己正当化するために妹紅が悪いと責任転嫁したのだ。
「い、いいんです!奴を通すかどうかは私に一任されてるんです!」
小町の顔を見ずに下を向いたまま答える妖夢。これはウソではないが、明らかに事前の手続きを省略している。
「・・・ま、それならいいんだけど。」
やれやれと鎌を担いだままため息をついて力を抜く小町。小町としても部外者なのでこれ以上突っ込んだ事は言えない。
そんな釈然としない小町の横を紫と藍が通り過ぎる。すれ違う時2人と目が合い、何かを含んだ笑みを露骨に残していく。
「(くそ!わざとか。)」
山門をくぐると一本の石畳の道が真っ直ぐ白玉楼の庭に面した広く長い廊下の前に続いている。向かって右が幽々子と妖夢が普段生活する母屋がある。
紫らがその母屋に伸びる細い通路と交わる位置に差し掛かったとき、釈然としない小町は、肩を震わせて階段をじっと見下ろす妖夢から離れ、小走りで2人の後を追った。
「ちょっと待てよ!」
「あら、どうしたの?」
ニヤニヤして小町を振り向く紫。
「わざとだろあれ!」
「ええ、そうよ。ああでもしないと妖夢は妹紅に殺されてしまうわ。」
「確かに先に剣を抜いたのはあいつだ。何にしてもあいつが悪いのは間違いない。でも、ああなるの分かってたら、何とかできただろ?」
「小町は優しいのね。でもね、そういう優しさが妖夢を駄目にしてるのよ?」
「う・・・。」
言い返せない小町。しかし、紫らが単に妖夢を苛める為だけにこんなことをしていたわけではない事を知り、怒気を収める。
「不死人が台頭した今、幽々子は最強の存在ではなくなったわ。あんな態度を例えば八意永琳にやったらどうなる?」
「間違いなく殺される・・・。」
「でしょ?そろそろあの娘にはお灸をすえないとね。でないと取り返しがつかない事になるわ。」
「・・・。」
何も言えず黙って下を向く小町。
「見送りはここまででいい。妖夢を頼むぞ、小町。」
藍がそう締めると紫は踵を返して先に進み、藍もその後を追う。
三賢者会議といっても藍も賢者の一人として会議に参加する。実質四賢者である。さも当然のように紫の後について白玉楼に入っていく八雲藍は、幽々子や四季映姫の部下にあたる妖夢や自分とは格が違う。
「ふん!気に入らねー。」
しばらく2人の後姿を見送った小町は吐き捨てて鎌を首の後ろで両肩と平行にして手を引っ掛け、置いてきた妖夢のところにだらだらと歩いて戻るのだった。
藍の策が見事成功し、多少の後ろめたさは残るものの、こちら側に否はなく幽々子との会見を回避した妹紅。戻りはゆっくりと景色を眺める事が出来た。葉桜の回廊は登る時とはまた違った風情がある。
「しっかし、えぐいこと考えるなあのキツネは。」
妖夢の性格や性質を完全に見抜いた上での完全犯罪ともいえる。しかも、こちらは誰も悪くないのだ。
妹紅を通すにあたってその判断を妖夢に委ねている幽々子であるが、口上も聞かずにいきなり剣を抜くのは常軌を逸している行為である。幽々子等の事情はしらないが、それにしてもいきなり剣を抜くのはまずいだろうと思う。これは紫や藍も同じで、見えを切るのは予想できたが剣を抜くとは思わなかった。事前に口裏を合わせておかなかったら、妹紅はそれを敵対行為とみなして攻撃する可能性もあった。その際、明らかに否は妖夢にあり、妹紅の正当防衛の言い訳が立つ。
遊びにきた霊夢や魔理沙らを弾幕で追い払うならともかく、主人が客として招いた者を武器を抜いて追い返すなどあってはならないことである。
「相当怒られそうだな・・・。」
妹紅は一度振り向いてかすかに見える山門を見上げる。
「なむなむ・・・。」
合掌した後、肩をすくめ、ひと息ついた後振り向いて思考を切り換える。
ここに来る前に盗ったスキマの巻物も気になるが、これはとりあえず後回しにして香霖堂の店主、森近霖之助が朝方家に来た意味について考察する。あの設計図が無価値で返しにくるだけなら幽香に預ければいい。しかし、持ち帰ってしかも重要な話があるらしいとの言付けを幽香に残して行った。これは速攻で香霖堂に向かうしかない。
ブツブツと呟いていた妹紅が意を決して階段を駆け下りようとした、その時である。
「・・う!もこう!藤原妹紅!」
不意に声を掛け続けられている事に気付いた妹紅は思考の世界から現実に戻る。
「!」
はっとなって声の主に振り返った妹紅はそれが誰かを確認して驚いて大声をあげた。
「うわああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
そのまま声の主から遠ざかるように距離をとる。
「ちょ、ちょっと、それはいくら何でも驚き過ぎでしょう?」
声の主は八意永琳だった。
「(すっかり忘れてた!)」
一瞬、何故永琳がここにいるのか不思議に思った妹紅だが、永琳を紫に会わせようと仕向けたのが自分自身であって、当然こうなるのは分かっていたはずだった。
しかし、ここに来る前のスキマの巻物を盗んだ件、香霖堂の件、先程の妖夢の件と短時間に色々と重なったため一番重要な事を忘れてしまっていたのだ。
「ふむ、あなたが仕組んだ事だと思ったのだけれど・・・どうやら買いかぶりかしらね。」
こうなるように仕組んだのは間違いなく妹紅である。永琳もてゐ一人の手柄ではなく妹紅の口利きがあったと見ていたが、妹紅の今の驚き様が演技には見えず完全に不意打ちを喰らった表情から、てゐ一人のお手柄と判断する永琳である。
妹紅としては思いがけずみっともないところを見せたが、これが効を奏したようでてゐと妹紅の茶番がばれずにすみそうである。
それにしても、向こうから話しかけてくるとは、てゐが言っていた様にやはり永琳は変化しているのは間違いないようだ。
「な、なんでお前がここにいるんだ?」
白々しく聞く妹紅。
「八雲紫に会えと言ったのは妹紅でしょう?」
「いや、だから何でここがわかったんだ?」
「あなたが教えてくれた・・・というわけではなさそうね。」
ふむと、考え込む永琳。
「ま、何はともあれせいぜい頑張るんだな。」
冷や汗をかいて強がる妹紅。これは演技ではない。
「あなたは参加しないの?」
「ああ、追い返さ・・・ってあああああああああああああああああああああ!」
言いかけて妹紅は重大な事に気付いてまた大声をあげる。
「ちょっと、あなた少しおかしいわよ?」
永琳の言は最もであると妹紅も思う。
「(まずい!まずい!まずい!このまま永琳と妖夢を会わせたらまずい事になる!)」
妹紅は目の前に永琳がいるにもかかわらずその場で頭を抱えてうずくまる。
「頭痛?」
妹紅はすぐに立ち上がって、汗だくになった引きつった顔を永琳に向ける。
「な、なぁ、永琳さん?」
永琳を初めてさん付けで呼ぶ妹紅。
「な、何?」
気持ちわるそうな顔して少し引く永琳。
「訪ねた家で飼っている番犬が、うるさく吠えたとして、永琳さんともあろうお方が一々腹を立てたりしないですよね?」
たどたどしく棒読みで質問する妹紅。
「?・・・何を言い出すの急に。」
突然の妹紅の話に流石の永琳も意味がわからずあからさまに不快感を示す。
「ほ、ほら、ここの門番子供だろ?門番ごっこで客を追い返す遊びが流行ってるんだよ。あはは・・・。」
こんな言い訳がましい話では駄目か?と上目遣いに永琳の反応を伺う妹紅。
「・・・あなた、招かれたのに追い返されたの?」
永琳も流石に驚きを隠せない。
「連中と会う気はなかったから丁度良かったけど・・・。」
「私ならそんな無礼者がいたら生かしてはおけないけど。」
やっぱりと思う妹紅。
「なぁ、永琳は呼ばれてないんだ。訪ねる側だから追い払われるかもしれないし、そこは、なんていうかぐっとこらえてだな・・・。」
「そんな悠長な事をしてられないわ。」
「まーそれはそうなんだけどさ、門番ぼこったら主の幽々子とかその友人の紫とかの心証悪くするだろ?」
身振り手振りを交えて必死に説得する妹紅。
「・・・それは、まー確かに・・・。」
「我慢大会だと思って・・・。」
「・・・妹紅は、その門番の友達なの?」
「いや、別に・・・。」
「他人の命まで責任を持つ必要はないでしょ?それにここは幻想郷ではないでしょ。ルールに従う必要はないと思うけど。」
永琳は不思議に思う。何故、友人でもない赤の他人の命を庇おうとするのか。人間の思考が理解出来ない永琳は妹紅を通してその謎を解こうと考えている。
「そうじゃないだろ?お前と紫が話が出来る環境造りに必要なことなんだよ!」
「そんな環境は別に必要ではないわ。私の話を聞けばその環境は自然に生まれるわよ。」
「そうじゃないってば!ああ!何で月の連中は0か1かでしか判断出来ないんだ!」
先程までの下手に出ていた表情が変わり、ギラっとした目つきになる妹紅。
興味深い妹紅の変化に、永琳は先日の戦いを思い出し警戒態勢をとる。
「もういい、こんだけ頼んでも聞く耳ないなら勝手にすればいいさ!幻想郷なんざ無くなってしまえ!」
「ちょっと待って、あなた今まで私に頼み事をしてたの?」
「そうだよ!気付けよそんくらい!」
「・・・。」
永琳は全く気付かなかった。
妹紅は永琳に背を向けて階段を降り始める。
「待って妹紅。悪かったわ。」
「今頃気付いてもおせーよ。ん?」
妹紅は下に意識を向けた時、そこに何者かの気配があることに気付いた。見覚えのある気配である。妹紅はニヤリとして永琳に向き直った。まだ勝負が出来る。
「永琳、ゲームをしようぜ!」
「ゲーム?突然なに?」
急に態度を変える妹紅を警戒する永琳。
「永琳が一人殺したら、私も一人殺す。どうだ楽しいゲームになりそうだろ?」
永琳が下に待たせていたレイセンに気付いた妹紅は、交渉ではなく命の取引で事を構える事にした。
永琳の表情が初めて変わる。妹紅の遠回しの頼み事に気付かなかったのも勉強不足だが、それが相手を追いつめるとこういう結果になってしまうことを知る。
幻想郷のルールに従う事を決めた永琳は、世界の見方がガラリと変わりかなり戸惑っている。完全に理解しないと話を先に進められない月の民の性質は、適度な適当さに意味を持つこの世界では馴染めないのだ。
階段を下から見上げると、向かって左に妹紅、右に永琳がいる。妹紅は永琳と正対していた体を横に向けて、右肩の先にいる人質のレイセンの存在を強く意識させる。
「分かったわ。門番は殺さない。命は奪わない。それでいいでしょ?」
少し刺のある言い方に妹紅は不快感を示す。
「・・・達磨にする気か?」
達磨とは手足を奪って行動できない状態にすることである。殺さない代わりに再起不能にするという意思表示でもある。
「それは門番次第。それ以上の譲歩は出来ないわ。」
「・・・分かった。」
これだけ譲歩を引き出せただけでも上出来である。大怪我しても命さえ繋がってればなんとかなるだろう。
互いに背を向けて歩き出す八意永琳と藤原妹紅。
人間の理解できない行動をこれまで永琳はおろかだと決めつけていたが、妹紅との闘いで完敗して以降その考え方を改めた。それを研究して理解してみようと思い始めたのだ。
永琳にとって一番の謎は『他人を思いやる』という精神構造とそこから生まれる行動力だった。もちろん全ての人間がそれを持っているわけではない。真逆の行動をとる者も大勢いる。だが、同じ種族でありながらここまで個々の行動の差が大きい種族は、地上と月と全ての生き物を比較しても人間だけであり、それは非常に興味深いことである。なぜ、今までそれを探ろうしなかったのだろうか。
この種族だけがおかしく、それは、未発達の下等な生き物だからだと決め付けていた。しかし、それは違う。妹紅のような特異な存在を輩出したり、結果として地上を支配したのもまた人間である。
能力に上限が存在しない生き物、それが人間なのである。もしこの人間の秘密を紐解き解明できれば、自分はまだ成長できるかもしれないのだ。
妹紅はてゐから聞かされていた永琳の変化をその身で実感した。
今まで思考ベクトルが違い過ぎるせいで会話が成立しなかったが、明らかにこちらの話を聞く態度を示し、更に譲歩までした。今まででは考えられない事である。
不死人狩り以降の休戦は明らかに打算的なもので、互いに歩み寄ったものではない。
徹底的に打ちのめした先日の戦いは、永遠の復讐となって妹紅を苦しめるのかと予想していたが、それは何とか回避できそうな雰囲気である。場合によっては完全な和解にも漕ぎ着けられるかもしれない。
香霖堂に行く予定もあって足早に階段を降りる妹紅。
降りきると一度振り向いて上の様子を窺う。
「妹紅?」
聞き覚えのある声を掛けられた。先程勝手に人質にとった事など知る由もないレイセンの声である。
地表部分には未だ霧が立ちこめその向こうから近付いてくるレイセンの曲がった耳が見て取れる。
その時山頂方面に巨大な殺気が発生した。
「な!」
事情を知っている妹紅はともかく、レイセンは何も知らないので驚いて思わず上を見る。
その殺気はすぐに止み、妖夢と思しき気は消えて無くなる。
「(殺りやがった・・・クソが!)」
永琳を信じていた妹紅だが、それはすぐに裏切られた。
舐められるわけにはいかない。約束通りレイセンを殺さなければならない。
「え?ちょっと、何よ?」
妹紅の様子が変わる。
ジリジリと詰め寄る妹紅の殺気立った目にどうしていいのか分からないレイセンだった。