東方不死死 第40章 「西行寺の怪」
西暦686年、地上に一人の鬼子(おにこ)が誕生する。西行寺人麻呂の娘、西行寺有子である。
鬼子とは、文字通り鬼を親に持つ超人的な力を持つ人間の子供を指すが、時折人間の子でありながら人間を超越した凄まじい能力を持って生まれる子供がおり、そうした者もまた鬼子と呼ばれる。
生ある者全ての天敵、抗えない絶対の死を与える力を持つその鬼子の誕生と去就は、地上だけではなく冥界や天界からも注目された。
実質の朝鮮王朝である天武天皇統治下、類稀なる歌の才能で天智天皇に寵愛された西行寺人麻呂は、その才能で宮廷貴族内で存在感を示し、教養の無い朝鮮貴族にとって何かと目障りな存在となっていた。
西行寺人麻呂は西暦652年に生まれ、672年に天智天皇が崩御するまでお気に入りとしてその側に仕え才能を伸ばす。
天智天皇崩御後、後継争いという名の事実上のクーデター、壬申の乱を起こした天武天皇によって皇統が簒奪される。
野蛮な元軍人の朝鮮貴族が政治の中枢を牛耳ると朝廷・宮廷内の品位も落ちる。しかし、この事は西行寺人麻呂の歌の才能を際立たせもした。
圧倒的な歌の力で天武に属する貴族の無能さを知らしめて、当時意気消沈していた日本人の面目を保ち、大和民族の誇りを鼓舞した人麻呂は、さらに朝鮮貴族に組した柿本猿彦の不正を暴いたことで反朝鮮王朝の英雄となっていたのである。
西暦686年。人麻呂が34歳の時、待望の長女が誕生する。夥しい死者を出した『西行寺の怪』を引き起こした鬼子・西行寺有子である。
この当時、人麻呂は暗殺者に命を狙われており、それを阻止する勢力との間で激しい抗争が繰り広げられている最中であった。
人麻呂の命を狙う黒幕は当然天武系の者であり、実行部隊を率いていたのは博麗系陰陽師であり、それらの攻撃をことごとく防いだのが岩老系対妖事請負の妖術使い達だった。
岩老系の妖術使いは強く、博麗系陰陽師を圧倒し、人麻呂の身辺は騒がしくはあるものの歌聖としての職責を全うできた。
しかし、有子が5歳になった頃から、西行寺の屋敷の周辺で人間や妖怪の変死が相継ぐ様になった。
当初死者に共通点は見えてこなかったが、年を追うにつれて死者が増加するとその共通した特徴が見え始める。
天武系に属する朝鮮人や博麗系陰陽師、それらに雇われた妖怪など、死者に一定の片寄りが現れ、天武、天智両皇統の争いが西行寺家周辺で行われている事が次第に明るみに出て様々な憶測が飛び交うようになった。
博麗系陰陽師の評判と共に西行寺家の無慈悲な殺人に対して眉をひそめるものも多く、当時穢れ事を嫌う風潮が強かった為に、人麻呂を訪ねる人の足も遠のき始め、その家勢に陰りが見え始める。
西行寺家としてはこの変死事件に何の関与もなかったのだが、裏の事情を知らない周囲の者からすれば、西行寺家周辺で起こる殺人は、西行寺側の過剰防衛によるものと見られたのである。
西暦698年。
偉大な父を持つ有子は、屋敷の庭師兼家庭教師の俊成の下で美しく聡明に成長し12歳になっていた。
最初の変死事件発覚後から7年経っても事件は解明されず、手がかりすらもなく、身近な者にまでその魔の手が及ぶようになると、いよいよもって有子の身を案じた人麻呂は、最も信頼するお抱えの庭師兼相談役の佐藤俊成の屋敷に最愛の娘を預ける事を決意するのである。
物々しい警備が屋敷中に配置されている屋敷の一室に一人の少女が思いつめた表情で佇んでいた。12歳になった西行寺有子である。
「ゆゆ様、準備は出来ましたか?」
「あ、俊成。」
西行寺有子から俊成と呼ばれた五十代前半と思われる男性がかしこまってお辞儀をする。
「如何致しましたか?」
庭を微動だにせず見ていた有子の寂しそうな背中が気になった俊成。
「俊成の美しい庭園を見ておりました。今日でひとまず見納めになりそうなので、目に焼き付けておこうと・・・。」
「ありがとうございます。ゆゆ様にそう言って戴けるだけるとは庭師冥利に尽きます。」
かしこまってお辞儀をする庭師の佐藤俊成。
「本当に美しい・・・浄土とやらがあるとしたらきっとこんな景色なのでしょう・・・。」
現世利益のこの時代、死とは忌むもので、死後の世界など縁起が悪い事についてあまり活発に議論されておらず、浄土信仰が盛んになるのは末法思想が広がる平安末期から鎌倉時代、西暦1000年前後からである。
5年以上も前から屋敷周辺で変死事件が多発し、人の死を何度も目の当たりしにた有子は、否応なく死というものと向き合うざるを得なかった。
有子は知っている。幼い頃は何故自分の周辺で人がたくさん死ぬのか分からなかった。しかし、今は全て知っている。人を殺しているのは他でもない自分である事を・・・。
小さい頃から人の心の内を見透かす事の出来た有子は、誰が敵で誰が味方か無意識に理解出来た。それは誰も同じで当たり前の事だと思っていた。しかし、最近になってそれが自分だけの特殊な能力だと理解するようになった。それと同時に人を殺す力も、自分だけに備わった特別な力だという事も知った。
分別のない幼少時は父に害する敵が死ぬ度に満足し、罪悪感など全くなかった。しかし、物心つくと殺生はいけない事だと教えられ、有子は戸惑った。
余りにも多くの人が死んだ事で、西行寺の屋敷周辺は武器を持った物々しい男達が守る誰も近づかない場所となってしまい、客足も遠のき歌会も開かれなくなり、大好きな父は日増しに白髪が増えて衰えていった。
罪を意識し始めたのはいつ頃だろうか?気付けば自分が夥しい骸を生み出し、そのせいで人々から恐れられ心労で床に伏せるようになった父。こんなはずではなかった。
殺しを止めようにも、様々な手を使って暗殺者を送り込んでくる敵。止めようにも止められない。止めたらこちらが殺される負の連鎖。
身内を籠絡し屋敷に浸透した暗殺者は殺されて当然。しかし世間では西行寺家の身内から死人が出たとしか見えない。益々西行寺人麻呂の評判は下がる。
使用人や配達人に扮し、警備の者を賄賂や色香で落として屋敷に近づく悪意の群。殺しを止めれば父が死ぬジレンマ。有子は殺人という大罪に苦しみながらも愛する父親の為に殺し殺し殺し続けた。
このまま俊成の家に移れば、父の危機を防げなくなってしまう。護衛に任せれば良いといっても、その護衛が籠絡される可能性があり、実際そうなった。もはやあの屋敷に安全な場所などないのだ。
毎晩の様にどこかで父を殺そうとする呪いの儀式が執り行われている事だろう。やせ衰える父は、中庭のお気に入りの桜の前で歌を詠み続ける日々を送るしかない。その姿は痛々しく胸が痛むが、そうさせているのが自分自身なのである。止めたい。止めたい。止めたい・・・しかし。
誰も殺したくは無かった。しかし、それをやめることは即ち父の死を意味する。止めるわけにはいかないのだ。
屋敷を出る事については何度も考え直すように言った。自分が殺しているのだから自分は死ぬ心配はない。もし自分を襲おうものならその場で殺せばいい。
言えない。こんなことは絶対に言えない。そもそも言ったとしても信じてはもらえるはずがない。
俊成の家に行く事が決まってから、その日まで一月の間、毎晩父の好きな桜に願掛けをした。
『お願い・・・私の変わりにお父様を守って・・・。』
佐藤家の屋敷は西行寺家の屋敷からだいぶ離れた場所にあり、子供の足で気軽に行き来出来る距離ではなかった。
俊成の妻は早くに他界していたが、生前2人の間に生まれた一人娘が2年前、有子が10歳の時に婿を取った。
弘文天皇の元で壬申の乱を戦った軍人の息子と一緒になりたいと言う娘に、文化芸能の家に血なまぐさい者を入れたくないと最初は猛反対した俊成。孫には必ず自分の跡を継がせる、つまり庭師にすると約束させその結婚を許した。
結婚した当初は、根性悪く娘に手を出したら許さないと婿を目の仇にしていた俊成も、今では早く孫の顔が見たいと、もちろん当人等が居ない時に、父人麻呂前でこぼしていたのを盗み聞きした事を思い出す有子。今では自慢の息子とすっかり仲良くなった親子を見る度に気持ちが和らぐ。
西行寺家と佐藤家は、公私共に家族同様の付き合いで、互いの家をよく行き来していた。
俊成だけではなく娘のトモヱ、婿の功衛(なりひろ)とも家族ぐるみの付き合いで、早くに母を亡くした有子にとって、トモヱは母であり姉のような存在だった。
最愛の父との一時の別れ。しかし、別れの後には出会いもある。
西行寺有子が佐藤家に世話になり始めた頃、有子の将来を決定付ける運命的な出会いがあった。
ある日、書斎で一人庭を眺めていると、背後に視線を感じて振り向く。そこに見たものは空間の裂け目で、その裂け目の中にこちらを伺う女性と目が合ったのである。
「あら、気付かれちゃった?」
「(妖怪!死ね!)」
妖怪と知った有子はすぐさまその力で妖怪を殺にかかる。
裂けた空間は閉じ女の妖怪は消える。有子の力にかかれば妖怪を殺すなど造作もないことである。それにしても暗殺者が自分の所にも来るとはどういうことだろうか?しばし考え込む有子。
しかし、思考に集中していた有子は突然後ろから目を塞がれる。
「だーれだ?」
若いのか若作りをしているのかわからないが、先程の妖怪と同じ洒脱な声が背後から聞こえる。
「な、何故?」
有子が振り向こうとするタイミングで手を離した金色の髪の女妖怪は、ぴょんと飛びのいていたずらっぽく笑う。
殺した筈と思って油断した有子は妖怪に背後を取られてショックを受けた。
「何故死なないの?」
「ふふ、知りたい?」
「・・・。」
人を食ったような態度の女妖怪を睨みつける有子。
「私はスキマ妖怪。境界を操る妖怪よ。」
「境界?」
「ええ、ここにいるようで、いない。いないようでいる。さて、本物の私はどこにいるでしょうか?」
なるほど、偽物を殺していたのかと、有子は周囲にいるはずであろう本物の女妖怪を探す。
「残念ここでしたー!」
他に注意を引いて見せた目の前の妖怪が嬉しそうに有子に抱きついてくる。
「きゃあああああああああああああああー!」
妖怪のウソを真に受けた有子は、不意を付かれて無防備なところを抱きつかれ心底驚いて大声で叫んでしまった。
有子自身こんな大きな声を出したのは生まれて初めてで自分でも驚いた。そして、その声は当然屋敷の外まで聞こえた。
外で剣の稽古をしていた功衛は、その悲鳴を聞きつけ有子の愛称を呼びながら廊下に駆け上がる。屋敷が広いため、悲鳴が発生した正確な場所がわからず、付近の部屋を探しながら確実に足音がこちらに近づいてくるのが分かる。
妖怪に抱きつかれた勢いで華奢な有子は支えきれず畳に折り重なって倒れたが、ちょうどそこに功衛が部屋に踏み込んできた。
「ゆゆ様!いかがなされましたか?ん?・・・ゆゆ様?」
佐藤家全員から『ゆゆ様』という愛称で呼ばれる有子。
功衛は書斎でおかしな格好で倒れてこちらを見上げてる有子を発見する。目があってその視線から少しめくれた着物の裾に気付いて直ぐに居住まいを正す有子。
「だ、大丈夫ですか?」
恥らう有子から回れ右をして外を向く功衛。
「はい、ちょっと転んだだけです。」
「お怪我・・・。」
「ありません!」
恥ずかしそうにコホンと咳払いして身を案じる功衛の言葉を全て聞く前に遮る有子。
常に淑やかに上品で大きな声など出さない有子であるが、その意外な姿を目の当たりして、驚きと同時に福眼に肖って少し得をした気分になる剣豪功衛だった。
恥ずかしい姿を見られた事にしばし赤面して、正座したまま身を強張らせる有子。
「いやー危なかったわねー。」
「ほんとよ・・・って、あなた、何時の間に隠れたの?いや、そうじゃなくて・・・。」
スキマから上半身を出して頬杖して有子に馴れ馴れしく話しかけるスキマ妖怪。そのしゃべり方がまるで昔からの馴染みのような口調だったので思わず同意して頷いた後に、妖怪である事を思い出して肩を怒らす有子。
「・・・私の命を狙ってるの?それとも・・・。」
「まぁーあなたのお父上を暗殺しろと言われた事はあっても・・・。」
それを聞いて恐ろしい形相になる有子。
「話は最後まで聞きなさい。スキマを使えば暗殺なんて簡単よ。でもあなたのお父上は死んではいない。」
誰かに暗殺を依頼されたが本人はその気はないということだろうか。
「何を企んでるの?」
「企んでる?そうね・・・私に企んでる事があるとするなら、それはあなたとお友達になりたいということだけ。」
「え?友達?ふざけないで!妖怪と友達になれるわけがないわ!」
「どうしてそう言い切れるの?私は現にたくさんの人間の友達がいるわ。この格好見てごらんなさい。」
そう言ってスキマから出てきてくるりと回り全身をさらす女妖怪。
「それは・・・。」
「神社の装束よ。こうみえても神社で修業しているのよ?巫女さんではないけどね。」
「妖怪が神社で・・・ありえないわ。」
「念じただけで人を殺せる怨霊すら足元にも及ばない力を持つ人間がいるなら、神社で修業する妖怪が居ても不思議ではないでしょう?」
妖しく微笑む女妖怪。
「!」
自分の恐ろしい力を棚上げして他者を責める有子に対して、歯に衣着せぬ言い方で嗜める女妖怪。
唇を噛み締めたまま身を震わせる有子。
「・・・そうよね・・・私の方がよっぽど危険な存在・・・私に誰かを責める資格なんてなかったわ・・・ごめんなさい。」
肩を落とし妖怪に謝罪する有子。
「・・・そういえば自己紹介がまだだったわね。」
重苦しい場の雰囲気を変えるように、あっけらかんとした声で自己紹介するその妖怪は、『八雲紫』と名乗った。
「私は・・・。」
「知ってるわ。西行寺有子でしょ?。」
「何故私の名前を?」
先程声を聞きつけて駆けつけた功衛は『ゆゆ様』と言っており本名は言っていない。
「ふふ、あなた裏の世界では超有名人よ。」
「・・・。」
そんな気はしていた。父に対する殺意とは別に、無数の気配がこちらを伺っている事に気付いていた有子。
「西行寺有子、あなたは人間の世界で生きるには、あなた自身もそしてあなたを支える周りの人達にとっても大変なことよ。」
佐藤家以外に付き合いのない有子は、12歳になっても嫁ぎ先が決まっていない。恐らくこの先も同じだろう。しかし、思春期になれば体の成長と共に様々な感情が芽生える。今は大好きな佐藤家の面々とも衝突する可能性もある。そうなった時、一時の激情で大切な人を殺してしまうかもしれない。
このまま彼女を人間の世界で過ごさせては、本人にも周りの者にも良い事ではない。
「どう?幻想郷に来ない?」
「幻想郷?」
「俗世と隔絶された人と妖が共存する世界。あなたのその恐ろしい力も受け入れてくれる世界よ。」
心が揺れる有子。一瞬その幻想郷という世界に興味を持つがすぐに現実に戻る。
「・・・あなたの申し出は有難いけれど・・・父を置いてはいけません。それに・・・。」
その後に続く台詞は紫にも分かった。これほど多くの命を奪って、安楽な世界に行く事など許されないだろう。
「・・・すぐに答えを出す必要はないわ。また来るわね。」
スキマに消える八雲紫。
有子は犯した、そして犯し続ける罪を意識する。幸福な未来など想像できない有子だった。
その後も西行寺有子と妖怪八雲紫との交友は続いた。
有子の部屋から時折笑い声が居間まで聞こえてくる。最初は妖怪を受け入れなかった佐藤家もただの妖怪ではない、真に有子を思う八雲紫を信用するようになっていた。
紫のスキマの力で全国各地を巡り歩き、西行寺家と佐藤家の屋敷だけが世界だった有子は、本当の世界の広さを知った。
父にもこの景色を見せたいと時折寂しそうな表情で物思いにふける有子だが、紫のお陰で喜怒哀楽を見せる活発な少女になっていた。
こんな幸せな日々が永遠に続けばいい。八雲紫も西行寺有子も、そして佐藤家の者もみなそう願っていた。
しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。2年が経ち有子が14歳になった頃から、おかしな夢をそれも同じ夢を何度も見るようになったのである。
それは大勢の人の命を奪った有子の罪を責める悪夢で、その罪は新たな罪を呼び、その負の連鎖がやがて国を滅ぼすというものだった。
夢の中で語りかけてくる冥界の裁判官と名乗る閻魔という存在は、その余りにも大きな有子の罪は、償う事が出来ず地獄に堕ちて永遠の責め苦を受けるだろうと警告した。更にその罪は一族全てにおよび、関わった者全てを地獄に落としても足りないと脅す。
どうすればその罪は償えるのか?せめて自分以外に罪が及ばないようにする術はないかと夢の中で有子は閻魔に問う。
上を見ても足元を見てもどこを見ても全て炎に覆われた世界。その炎の向こうで大きな影がこちらを見下ろしている。
閻魔はこの時代、一般人の知らない無名の存在で仏教に詳しい者以外ほとんどその名前を知らない。知っていたとしてもその名前に畏怖を覚えない。その程度の存在だった。
自分の罪を的確に指摘し、その大きさ重さを示して罪を痛烈に批判されると何も言い返せず恐怖で身が竦む。
有子の問いかけに閻魔は答える。しかし、いつもここで夢から覚める。
全身を汗で濡らし飛び起きる有子は、必死に最後の言葉を思い出そうとするが思い出せない。
何か恐ろしい事が起こる前触れだろうか。この夢を見た夜は朝まで寝付くことができなかった。
有子の変化は寝食を共にする佐藤家の者だけではなく八雲紫も感じとる事ができた。
食事の時や会話をしている最中でも突然物思いにふける。紫がどこかに連れ出しても作り笑顔で上の空なのである。密かに誰かを想っている・・・という類ではないことは誰の目にも明らかである。
13歳の頃に父人麻呂の病気が悪化しあまり長くはない事を事前に知らさていたので、1年過ぎてその死期を感じ、それで元気がないのだろうと佐藤家はそう判断していた。
そうしているうちに1年が過ぎる。
佐藤家に来てから3年の月日が経ち、有子が15歳になって初めての桜の季節、父西行寺人麻呂が逝去する。
この訃報はすぐに佐藤家にもたらされる。病気で長く生きられないと事前に知っていたとはいえ、やはりショックは大きかった。しかし、その不幸を打ち消す幸運が佐藤家に舞い降りる。訃報の数日後に佐藤俊成の娘トモヱの懐妊が判明したのである。これは人麻呂の生まれ替わりと佐藤家は沸き立った。
今は桜の季節である。順調に行けば来年の2月頃に新しい家族が増えることになる。
しかし、それも束の間の事。悲しみと慶びの報せに接してから3ヶ月が過ぎた夏頃、例の閻魔の悪夢を頻繁に見るようになった有子は、安眠出来なくなって床に伏せる様になってしまう。
目を瞑れば瞼の裏に炎が広がりそこに閻魔が現れ罪状を読み上げ判決を言い渡す。思うように睡眠が取れず、体力の限界で気を失ってようやく眠りに就けるという状態になってしまったのである。強い薬で無理やり睡眠を与えなければ身体を休める事ができなくなった有子は見る見る衰弱していく。佐藤家はトモヱの懐妊の慶びから一転して不幸に沈む。
そして不幸は更に続いた。
3ヶ月前の事になるが、人麻呂の葬儀中に西行寺家の屋敷でこれまで収まっていた変死の異変が再発し、その後屋敷の周囲が異界化して何人も近づけない恐ろしい魔の領域となっていたのである。
有子に余計な心配をかけまいと、この異変は3ヶ月の間伏せられていたが、有子が夢を頻繁に見始める時期に合わせるかのように、佐藤家の屋敷からも遠目にもその黒い渦が見えるようになり、異変の存在を隠し通す事が出来なくなっていたのである。
有子を佐藤家に預けてから平穏な暮らしに戻った人麻呂。潮が引くように事件がなくなり平穏が訪れた理由は、人麻呂はこの時、既に重い病魔に侵されており余命いくばくも無い状態になっていたためで、もはや刺客を向ける必要がなくなっていたからである。
2年に亘る闘病生活の末、人麻呂の希望通り桜が満開になる季節に花吹雪の下で息を引き取った。享年48歳だった。
問題が発生したのは人麻呂の死後直ぐである。
人麻呂が愛で、有子が父の身を守るために願をかけた桜が突如妖と化し、弔問に訪れた大勢の人の命を奪ってしまったのである。
後に西行妖と呼ばれた妖怪桜は、有子の願い通り人麻呂をずっと守ってきた。しかし、その守るべき対象、存在の意味を失った桜は、新たな目的を探し死んだ人麻呂の遺体を守ろうとして、弔う為に遺体に触れた人々を殺して命を吸いとり、異形化して屋敷にいる者全てを殺してしまったのである。
季節が春から夏へと変わった頃、この時既に佐藤家に馴染んでいた八雲紫は有子の夢の件の調査中に、異変を担当していた博麗系陰陽師に助力を請われた神社の要請で西行寺の屋敷に調査に向かう。
「これは・・・。」
紫がそこで見たものは、桜を中心に闇が広がり明らかに周囲と景色が変わった西行寺の屋敷だった。
「屋敷の外まで異界化させるなんて・・・これも有子の力だというの?」
あの桜が妖の力を帯びている事は気づいていた。しかし、ここまで大きくなるのは予想外だった。弔問に来た大勢の命を吸い取った妖の桜の妖力は爆発的に膨れ上がり、新たな獲物を求めているかのように触手のような黒い渦を伸ばしながら、異界の領域を徐々に広げている。
有子の夢の件と異界領域の急激な広がりに何か連動性があるのではないかと疑う紫。
「何者かがこの桜を使って有子を探しているんだわ・・・有子の夢に出てくる閻魔とかいうやつかしら・・・。」
強力な妖はやがて自我を持ち始める。しかし、西行寺有子という本体から生じた妖の桜は、主である有子に従属する存在であるため自我を持って独立した個になることが出来ない。
その妖が自我を持ち一個の存在になるには、本体をこの世界から抹消する以外ない。これはドッペルゲンガーと同じ理屈で、有から生じた有は同時に同じものが存在出来ず、必ず一つでなければならない為、後から生まれたコピーはオリジナルに取って代わろうと攻撃し始めるのだ。
閻魔という存在は、このコピーの帰巣本能を利用しているに違いない。
「まずいわ・・・。」
一目でわかる。これは自分一人で解決できる案件ではないことを。
天に立ち昇る黒い渦の周辺にいくつかの影が飛びまわっている。恐らく調査に来た陰陽師達だろう。迂闊に近づいて黒い触手に捕らわれて闇に呑み込まれる者が後を絶たない。
「大人しく結界を貼って見てればいいものを・・・。少しは妖術使い達を見習いなさい!」
陰陽師に敵対する妖術使い達は近付いてこないのに、陰陽師達は功を焦って猪突し、妖の栄養になっている。この愚かな状況を見て舌打ちしてスキマに消える紫。
「神主!」
有子に会うのを取りやめて博麗神社に戻った紫は、神主に詰め寄ってこの異変を解決する手段を相談する。
「ついに始まったか・・・。」
「知っていたの?知っていたならどうにかできたでしょう?」
鬼子と呼ばれる特異な存在は裏の社会では有名である。
「相手は鬼子だ。鬼子が人として平穏に死ねるわけがない。それに、お前が面白半分に鬼子と接触し修行を怠ったから、防げる異変も防げなくなった・・・だから慌てて来たのだろう?」
「く・・・。」
西行寺有子にかまけて修業を怠ったせいで、封印する術を習得できなかった紫である。
紫自身はまだ覚醒して間が無く、境界を操る力の全てを自分のものにしているわけではない。境界を操り有を無にする事は簡単だが、無から有を創ることは出来ない。創造主ではない紫は、無から有を作り出すことは出来なくとも、現実世界に存在するものを概念上の仮想空間に、オリジナルを複製して幻想世界を創る事は可能である。この概念移設代替方式『幻想郷理論』を元に修業次第で新しい世界を創り出す事は十分可能だった。対象が限られているものならこの理論を使って、物などに封印することが可能で、これは広く用いられている有名な封印術である。今起こっている異変も小さな桜のうちに施していれば十分解決出来るはずだった。
博麗神社の神主は幻想郷構築の為の修業の前段階として、いずれ起こると予想した鬼子の問題解決にこの初歩的な封印方法を紫に使わせようと目論んでおり、習得させようとしていた。しかし、紫はその鬼子に魅了され取り憑かれてしまったわけである。
「分かった。今からやるわ。」
「無理だ。どんなにがんばっても2年はかかる。」
特定の地域に結界を張って切り分けるだけなら今でも問題なく出来る。特定の地域を別の世界に移設して、双方を維持するには、概念という物質ではない世界に同じ世界を思い描き、境界の力を使って分けなければならない。
この思い描くという作業が実は一番大変なことであり、現実にある存在を正確にトレースできる技能が必要になる。難しくはないが単純作業で非常に面倒で時間が掛かる。当然世界を広く保とうとすればするほど時間がかかるのだ。
世界を構成する物質、原理、規則は時間をかけて解析しなければならないが、これは超高性能演算装置でもある当時『お乱』と名乗っていた九尾の得意とするところだった。しかし、紫が鬼子にかまけていたせいで、ふてくされて何もしていなかったのである。
「三ヶ月よ。三ヶ月で覚えてみせるわ。」
八雲紫は凄まじい闘志と妖気で神主に迫る。普通の人間ならそこで気押されるところだが、神主は全くひるまず涼しい顔をしている。
「・・・わかった。そこまで言うなら修業を再開するぞ。お乱にも話を通せ。だが、その前に有子の命を持たせなければならぬであろう?すぐに戻れよ。」
三ヶ月の間に有子が死んでしまったのでは意味が無い。
「・・・ありがとうございます。」
紫は深々と一礼して一旦スキマを使って有子の処に戻った。
佐藤家に戻った紫はすぐに有子の部屋に向かう。
「有子、調子はどう?」
紫は有子の顔を見た時、まるで死人の顔だと思った。そして長くは持たないとも直感した。紫はそうした思いを表情に出さないように笑顔で取り繕う。そんな紫の心情を見透かした有子は笑顔で応えた。
「紫、お願いがあるの・・・。」
身体を起こそうとする有子を手伝って支えつつ手を握ぎる紫。
「ええ、何でも言って頂戴。」
「お願い、私をあの桜の木まで連れて行って。」
「!・・・そ、それはダメよ!危険よ。」
「私は大丈夫。あれは自分の力ですもの、私には及ばないわ。」
「で、でも・・・。」
「私の見ていた悪夢は、閻魔が私にこの罪を償わせようとするもの。あの世にいって現世の罪を償わなければならいの。閻魔の言うことを聞けば、あの桜ごと私をあの世に封じてくれるの。」
「それは、夢よ。そんなものを信じてはだめ!」
「紫、お願い・・・これ以上、もうこれ以上人を殺したくないの・・・。」
涙を流して懇願する有子。今この時においても大勢の命があの桜によって奪われているのだ。
「有子、聞いて。あの桜を封印する方法があるの。」
「ほ、本当?」
「ええ、でもそれには少し時間がかかるの。三ヶ月、三ヶ月で術を完成させる。だからそれまで、がんばって!お願い!」
有子の手をぎゅっと握りしめる紫。
「・・・紫・・・分かったわ。紫が戻って来るまで私頑張るわ。」
それを聞いて紫は涙腺が決壊し、そのままなだれ込むように有子を抱きしめる。有子もまた背中に回した腕を強く締めて紫を抱き返した。
佐藤家の者に事後を託した紫は博麗神社に戻る。
「戻ったか。」
「待たせてしまって申し訳ありません。」
神主に一礼して、友人ではなく修業を受ける弟子の顔つきになる紫。
「こんなもの、スキマで消し去ればそれで終いじゃないのか?」
お乱が最も楽な方法を提案する。
「恐らくそれを閻魔は狙っているのよ。何が何でも有子を向こうに連れて行こうとしているの。」
有子の夢と桜の異形化のタイミングが余りにも良すぎる。恐らく桜と有子の繋がっているのと紫は睨んでいる。片方が死ねば双方が死ぬようになっている。両方生かさなければいけない。その為にはあの空域を生きたまま安全な場所に封じる必要がある。そうすれば妖怪桜を通じて有子にアクセスしてくる閻魔の間の手から逃れられ、有子は夢を見る事もなくなり回復するはずだ。
「・・・ま、私はどっちでもかまわないが・・・それより測量はしなくてもいいのか?」
「情報は全て私の中にあるわ。お乱と私の脳を繋げて直接情報のやり取りをする。」
紫とお乱の境界を取り払うことで脳を共有し、お乱が現場に行って測量する手間を省くということである。
「やれやれ、余計なものまで見せるなよ?」
「あなたが見なければいい話よ。」
この時のお乱と紫の関係は、お乱が覚醒後の紫を主と決め従属することを誓ってはいるが、総合的な力はお乱の方が上で、新米仕官を補佐するベテラン古参兵といった関係である。
神主に案内され、神社の本殿に入る神主、紫、お乱の3人。神主は何も書かれていない屏風を2人の前に置き、この中に西行寺の屋敷と周辺地域を移設するように指示する。
2人の繋がった脳で正確に世界をトレースして屏風に焼き移すというわけである。
「始めるわよ!」
紫の合図で世界構築と移設の第一歩が始まる。そしてこれが幻想郷の始まりの一歩でもあった。
季節が秋に移った博麗神社。
「やはり無理だったか・・・。」
「三ヶ月では到底無理なのだ。分かっててなぜやらせた?」
ズタズタに引き裂いた屏風の代わり一面の無地の扇子を持ってスキマに消えたそこにいない紫を見るように、神主とお乱が話合っている。
「西行寺有子は助からん。ならば最大限利用するまでだ。」
「なるほど・・・この死別を奮起の材料にすると・・・。」
「妖怪にはわからんと思うが、人の命は有限だ。のんびりはしておれんのだよ。」
「思惑通りにいかなかったら?」
「その時はわしの命を好きにするがいい。」
「ふん、いい覚悟だな。人間は本当にむかつく。」
そう吐き捨てて本殿を去るお乱だった。
「紫ががんばっているのに・・・私も負けられない。」
あれから一度も顔を見せない紫、便りがないのは元気な証拠だろう。
三ヶ月という限定された生きる目標を得た有子は、気力が回復し復調の兆しが見え始めていた。
そして付き添われて屋敷の中を歩けるまで体力が回復した頃、季節は変わり約束の三ヶ月が過ぎた。
16歳の誕生日を先日済ませた有子の復調の兆しは単に蝋燭が燃えるきる最後の輝きでしかない。それは佐藤家の者も、当人の有子も分かっていた。
庭先から西行寺の屋敷のある方角を見ると、天に立ち昇る渦が間近に迫っている様子がはっきりと見えるようになった。異界領域は少しずつ広がり、三ヶ月経って更に広がり佐藤家の屋敷にも近づいてきている。既に多くの家々が闇に呑まれ、多くの人の命が奪われていた。
八雲紫が佐藤家を訪れた時、その来訪を予感していたかのように有子は外衣を纏った姿で瞑想をしていた。
「待っていたわ紫。」
「・・・有子。」
家で待つように説得を試みようとした紫だが、一緒に行く気満々の有子の気迫に次の言葉を繋ぐ機会を逃してしまう。
「行きましょう。準備は出来ているわ。」
顔色は相変わらず良くない。元気に見えるのはそう振舞っているからだとすぐにわかる。
最初に有子の顔を見たときはこのまま幻想郷に連れ去り、そこで何もかも忘れて一緒に暮らせるのではないかと思った。しかし、明らかに命の力が弱まっている。もう長くない。
「あ、あのね、有子。」
封印の術を習得して戻ると啖呵を切って三ヶ月の猶予をもらった手前、まだその封印の術が完成していない事を言い出せない紫。
理論は完成している。後は実践を繰り返しながら少しずつ煮詰めていく段階である。ぶっつけ本番で成功してみせると意気込んで来てみたものの、有子の気丈な振る舞いを見るにつけ、自分の失態が悔やまれる。何故もっと早く学んでおかなかったのか?急がなくても問題ない。今は有子と楽しく過ごしたい。そうやって問題を先送りにしてきたのだ。
「大丈夫よ。必ず成功するわ。」
心配そうな紫を察して笑顔で励ます有子。懸命に命の残り火を輝かせている有子を見て紫も腹をくくった。後戻りできない。必ず成功させる。
「行きましょう有子。」
有子の背後に佐藤家の面々が並んで紫にお辞儀をしているのが見えた。頷いてスキマを開いて先に入り、中から手を伸ばして有子を誘う。
スキマに入る前に足を止めて佐藤家に最後の別れの礼をした有子だった。
西行寺の屋敷の正面門に出た紫と有子は、変わり果てた屋敷に絶句する。屋敷の壁や地面、他の樹木も含めあらゆるものに毛細血管の様な根が侵食し脈を打っている。
陽の光が完全に遮られ不気味な発光体が周辺を漂っていなければ真っ暗で何も見えないだろう。
時折漂う光がこちら近づいて身体を素通りしていくが、その時、恐ろしい悲鳴のような声と苦痛の表情が脳に直接飛び込んでくる。この光は成仏できずにいる人魂なのだ。
問題の桜は中庭にあるので、まず玄関から屋敷に入る。廊下を歩いて中庭に向かうが途中沢山の死体を見る。
紫は妖桜の死の攻撃に常にさらされているが、境界を操ってその力を別の次元に反らしてやり過ごしていた。
有子にとって約4年振りの帰宅となったが、その不在の間建て替えや増築はしておらず、昔のままなので迷うことなく問題の中庭たどり着く事が出来た。
「これは!」
中庭を見た2人は同時に声を上げる。
その桜は有子が誕生した記念に桜の若木を植樹したもので、有子と共に成長し幹を太らせたものの、大木までにはなっていなかった。しかし、その妖怪桜は幹の周囲が4メートルを超える大木に育っており、しかも季節は秋なのに満開に咲き乱れている。
しばらくその満開の桜に見とれていると、背後に何もかの接近を感じ、紫はそれを咄嗟に攻撃する。
「お父様!」
それは有子の父、西行寺人麻呂の変わり果てた姿だった。中庭の桜が良く見えるこの部屋が父の寝室だと思い出した有子は、紫が倒した父の亡骸に近づく。しかし、紫に制止されて冷静になると、屋敷の中に潜む夥しい数の歩く死体の群れに囲まれている事に気付き慌てて紫の側に戻る。
「この桜が死体を操っている。有子のお父上はもういない。」
紫は有子にそう説明して父はもういないことを言い聞かせる。うなずいた有子を背中に感じつつ、次にスキマをいくつか開いてそこから剣を召喚する。
3本の剣は中庭に面する三つの部屋の前にそれぞれ移動し、屋敷から中庭に下りようとする死体の群れを次々に切り捨てていく。紫の妖力で動くこの式剣に命はなく妖怪桜の力は及ばない。
「紫!」
「有子、はじめるわよ!」
周囲の安全を確保した紫は白地の扇子を一面懐から取り出しそれを開いて桜に向かって水平にかざす。
眉間に気を集中し、この空間をそのまま扇子の中に写しこむイメージを膨らませる。
「はぁっ!」
気合の声と共に両目をカッと見開き、術を施行する。
「・・・どうして!」
しかし、術は発動してもその効果が現れない。
紫は何度も何度も同じ事を繰り返す。しかし、一向に成功する気配がない。
「紫・・・それを貸して。」
そんな紫に有子は諭すように声を掛け、純白無垢の扇子を取り上げる。
「有子・・・。」
西行寺有子はそこで、トモヱから教えられ幼少から続けていた舞を始める。
「ねぇ、紫どう?」
踊っている姿の感想を紫に求める有子。
「とっても美しいわ。有子。」
うっとりとその光景に見とれる紫。
「ふふ、紫は何も分かっていないのね。」
そんな紫に水をさす有子。
「え?何を言っているのよ、有子?」
舞を褒める紫をたしなめる有子。
「この光景を見てみなさい。光の差し込まない闇の世界。これは私の犯した罪、私の全て。どんなに綺麗に舞って見せても、本質が穢れの極みにある私の舞など美しくもなんともないわ。」
そう言って優雅な舞をやめる。
「目に見える物と、その本質は必ずしも一致しない。」
心を見透かせる有子は常に本音と建て前、真実と嘘の境界を見てきた。
「あなたの術が成功しないのは、私という本質を色眼鏡で見ているから。だから私の作り出したこの世界を見誤ってしまうのよ。」
「そ、そんな・・・。」
それはまさに神主から常日頃言われている事だった。目に映るものの本質を自分で勝手にそうだと決め付ける。悪い癖だと何度も注意されてきた。お乱がいくら正確に外側を計れても自分がその内側を見誤っていたのでは意味がないのだ。
無理に舞って体力を使い果たした有子は、とうとう力尽き身体を揺らしてそのまま倒れこむ。慌てて紫が抱きかかえる。
「紫、この異変は閻魔が解決するわ。私の体と引き換えにね。」
「有子!」
「ふふ、人を殺すしか能がない私を最も効果的に最大限に利用するらしいわ。それが罪滅ぼしになるのですって・・・殺しの罪を殺しで償わせるなんて滑稽よね。」
自嘲気味に微笑む有子。
「有子は、人殺しなんかじゃない。人殺しから父を守っただけよ!」
「ありがとう紫。あなたはどんな事があっても私の味方になってくれた。本当にありがとう。」
紫は跪いて自分の太ももの上に有子の頭を乗せ無理に身体を起こして負担をかけないようにする。
とめどなく溢れる涙は、頬伝って有子の顔に零れ落ちる。
「紫、お願いがあるの・・・。」
弱弱しい声で紫に最期の頼みをする有子。
「何?何でも言って頂戴。」
「紫のさっきの術で私の心を封印して・・・。」
「え?」
「私は人を殺すしか能がないけれど、それは誰かを守るためのものでありたいの。ただ罪滅ぼしのためだけに理由無く殺したくはない・・・閻魔には体はやっても心までは渡さない。心は紫、大好きな紫にあげたいの・・・。私の本質を知った今の紫ならきっと出来るわ。」
紫は口を開いても震えてまともにしゃべれないと知り、何度も何度も頷いて有子の願いを了承した。
有子から渡された無地の扇子を受け取った紫は自然体のまま、気負う事無く扇子を持つ手をくるりと返して、何かを掬い取るような動作をする。それはとても簡単な作業だった。
一度下を向いた扇子の表面は、次に上を向いた時そこには美しい景色が描かれていた。全体が黒と紫の下地に屋敷や桜のモチーフが白や赤、青で美しく抜かれている。それは決して色鮮やかで心が安らぐようなものではなかった。しかし、その妖しげな美こそ有子の本質をよく表していた。
紫がそれを有子に見せると有子は嬉しそうにその扇子を手に取り、指をとんとんと扇子に置いて、たくさんの蝶を描く。当時、蝶は不吉の象徴であり、死を連想するものだった。
「有子、あなたに約束するわ。必ずあなたの心を届けると。どんなに変わり果てた姿になっても、私はあなたを必ず見つけ出す。そして、人も妖も、神も怨霊も全てが共存できる世界を創って見せる。有子のような過酷な運命を背負った者が幸せに暮らしていける世界を・・・。」
「待ってるわ。紫・・・。」
有子は目から光が消える。しかし、最後の力を振り絞って右手の小指を立てて掲げる。指の位置が遠くこの体勢では指切りできない紫は右手をスキマに入れ有子の正面から出し小指を絡める。ユニークな指きりに思わず微笑んだ有子。
「あぁ、楽しかった・・・紫と一緒に過ごした日々・・・本当に・・・本当に楽しかっ・・・た・・・。」
有子が息を引き取ると同時に絡めた小指は重力に逆らえず地面を叩く。
紫は膝の上に有子を抱いたまま、子守唄を歌い子供を寝かしつける母親のように身体を揺らし続けていた。
西暦702年。西行寺幽々子は16年の短い人生を終えた。
同時に佐藤家は岩老系妖事請負の妖術使いの集団に襲われ惨殺された。この異変に関わった全ての者を歴史の闇に葬ったのである。
200年が過ぎた。
日傘を差し紫色の衣装を纏った夫人が一人、最上段が遠い枯れ山の階段をゆっくり登って行く。
階段の周囲には戦痕があり、かつてここで戦闘が行われていた事を示していた。石の階段が黒く汚れているのは血痕なのだろう。
木々は枯れている。これは落葉樹の葉が落ちてそうなったのではなく、木そのものの命が尽きているせいだ。この山に命を思わせるものは何一つ存在しなかった。
階段はやがて終点を迎えようとしていたが、そこに一人の老人が立ち塞がった。
「そこな妖怪!ここはお前のような妖者が来る所ではないぞ!」
立塞がった老齢の剣士を見上げる八雲紫。
「来る所ではないぞ!」
その傍らに小さな剣士が剣を構えて同じ台詞を言う。
「ゴン!」
その小さな剣士は、老剣士の持つ刀の鞘で頭を思い切り叩かれ、その場で悶絶してうずくまる。
「これ!いきなり剣を抜くとは何事か!」
「だ、だって、剣が長すぎて鞘に収めるのがめんどくさいんだもん!」
「ゴン!」
また叩かれる小さな剣士。老剣士はその後紫に向き直って恭しく頭を下げる。
「お久しぶりですな。八雲紫殿。」
「・・・あなたは・・・俊成?それとも功衛?」
「今は魂魄妖忌と名乗っております。肉体が俊成、この魂魄は息子です。」
「なるほど結魂して剣士の力を手にしたのね。で、この子はトモヱ?」
「いえ、生まれなかったトモヱのお腹の子です。トモヱはこの子の代わりに逝きました。」
「そう・・・。あなたお名前は?」
頭を押さえて痛みに耐えている少女に紫は優しく声をかけ頭をなでてやる。しかし。
「汚い手で触るな!妖怪!」
「ゴン!」
乱暴に紫の手を払った半霊の少女は、また妖忌に叩かれる。
「何分生まれずの子。躾がなかなか難しい・・・。」
言い訳しながら、この少女の名が魂魄妖夢と紹介する。
「クス・・・。」
少女から離れた紫は一面の扇子を取り出し妖忌に見せる。
「どうぞ、この先に冥界の狂い姫、西行寺幽々子様がおられます・・・。」
この当時の白玉楼は大陸から移設したままの姿で白壁の古びた楼閣だった。
「いいの?通っても?」
「ええ、ずっとこの時を待っておりました。妖夢の事、よろしくお願い致します。」
紫は結魂の意味を知っていた。そして妖忌が自分を通す意味も知っていた。
妖忌が深々と一礼する。紫も丁寧な礼で返した。
「おい!そこのババア!」
妖忌に案内するよう言われ後を追いかけてきた妖夢が言ってはいけない言葉を口にしてしまう。
スキマから手を伸ばした紫は妖夢の頬を思い切りつねりあげる。
「あだだだだ!す、すびばせん!」
体罰には慣れっこの妖夢だったが、紫の恐ろしい負のオーラに身の危険を感じて必死に謝りだす。
「今度それ言ったら殺すわよ?」
「はい!もう言いません!」
土下座する妖夢。躾がなってないのは祖父が甘やかすからだと、自分の大人気無さを棚上げする紫。
「ここの主はどこに?」
「たぶん、西行妖のところです。」
「それは、どこ?」
「この楼閣の裏です。一階は吹き抜けだから建物から真っ直ぐ抜けられます。」
「ありがとう。案内はもういいわ。」
「大丈夫ですか?幽々子様の前に出たら殺されますよ?」
「妖夢は平気なの?」
「私とジジ・・・いえ、師匠は大丈夫です。」
「私も大丈夫なのよ。」
そう言って紫は建物に入っていった。
例え死んでも自分には関係ないと、案内の仕事が済んだ妖夢は、師匠のいる階段前に戻った。
「あれ?ジジ・・・じゃなかった師匠はどこいった?おーい!」
それ以後魂魄妖忌を見た者はいない。
建物を抜けると向こうに花も葉もついていない一際目立つ大きな木が見える。異形化して原型を留めていないが、感じる気配から西行妖に間違いない。
「あ・・・。」
桜の下に人影を見た紫の足が止まる。
様々な思いが込み上げてくる。長いようで短い、短いようで長い。この時を待ち望んでいたのに、今は何故か足に根が張ったように動かない。
紫の知っている有子はもういない。あそこにいるのは冥界の狂い姫、無慈悲な殺人鬼と恐れられる西行寺幽々子という亡霊である。
「・・・。」
しばし立ち尽くす紫。溢れ出す感情の渦をどう抑えていいのか分からない。
日を改めようかと弱気になった時、いつもの癖で扇子を無意識にもてあそんでいる事に気付く。
「・・・そうよね。これを届けると約束したのよね・・・。」
有子との最期の時を思い出した紫は、揺れ動いていた心の置き所が決まる。
ゆっくりと歩き出す八雲紫。
師であり祖父である魂魄妖忌の行方を探していた妖夢が楼閣を抜けて裏庭に出たとき、西行妖の下で向かい合う2つの影を見つける。
「幽々子様が・・・笑ってる・・・。」
笑うどころか一言もしゃべらなかった遠くに見える主が笑っている様に見えた妖夢だった。
西暦686年、地上に一人の鬼子(おにこ)が誕生する。西行寺人麻呂の娘、西行寺有子である。
鬼子とは、文字通り鬼を親に持つ超人的な力を持つ人間の子供を指すが、時折人間の子でありながら人間を超越した凄まじい能力を持って生まれる子供がおり、そうした者もまた鬼子と呼ばれる。
生ある者全ての天敵、抗えない絶対の死を与える力を持つその鬼子の誕生と去就は、地上だけではなく冥界や天界からも注目された。
実質の朝鮮王朝である天武天皇統治下、類稀なる歌の才能で天智天皇に寵愛された西行寺人麻呂は、その才能で宮廷貴族内で存在感を示し、教養の無い朝鮮貴族にとって何かと目障りな存在となっていた。
西行寺人麻呂は西暦652年に生まれ、672年に天智天皇が崩御するまでお気に入りとしてその側に仕え才能を伸ばす。
天智天皇崩御後、後継争いという名の事実上のクーデター、壬申の乱を起こした天武天皇によって皇統が簒奪される。
野蛮な元軍人の朝鮮貴族が政治の中枢を牛耳ると朝廷・宮廷内の品位も落ちる。しかし、この事は西行寺人麻呂の歌の才能を際立たせもした。
圧倒的な歌の力で天武に属する貴族の無能さを知らしめて、当時意気消沈していた日本人の面目を保ち、大和民族の誇りを鼓舞した人麻呂は、さらに朝鮮貴族に組した柿本猿彦の不正を暴いたことで反朝鮮王朝の英雄となっていたのである。
西暦686年。人麻呂が34歳の時、待望の長女が誕生する。夥しい死者を出した『西行寺の怪』を引き起こした鬼子・西行寺有子である。
この当時、人麻呂は暗殺者に命を狙われており、それを阻止する勢力との間で激しい抗争が繰り広げられている最中であった。
人麻呂の命を狙う黒幕は当然天武系の者であり、実行部隊を率いていたのは博麗系陰陽師であり、それらの攻撃をことごとく防いだのが岩老系対妖事請負の妖術使い達だった。
岩老系の妖術使いは強く、博麗系陰陽師を圧倒し、人麻呂の身辺は騒がしくはあるものの歌聖としての職責を全うできた。
しかし、有子が5歳になった頃から、西行寺の屋敷の周辺で人間や妖怪の変死が相継ぐ様になった。
当初死者に共通点は見えてこなかったが、年を追うにつれて死者が増加するとその共通した特徴が見え始める。
天武系に属する朝鮮人や博麗系陰陽師、それらに雇われた妖怪など、死者に一定の片寄りが現れ、天武、天智両皇統の争いが西行寺家周辺で行われている事が次第に明るみに出て様々な憶測が飛び交うようになった。
博麗系陰陽師の評判と共に西行寺家の無慈悲な殺人に対して眉をひそめるものも多く、当時穢れ事を嫌う風潮が強かった為に、人麻呂を訪ねる人の足も遠のき始め、その家勢に陰りが見え始める。
西行寺家としてはこの変死事件に何の関与もなかったのだが、裏の事情を知らない周囲の者からすれば、西行寺家周辺で起こる殺人は、西行寺側の過剰防衛によるものと見られたのである。
西暦698年。
偉大な父を持つ有子は、屋敷の庭師兼家庭教師の俊成の下で美しく聡明に成長し12歳になっていた。
最初の変死事件発覚後から7年経っても事件は解明されず、手がかりすらもなく、身近な者にまでその魔の手が及ぶようになると、いよいよもって有子の身を案じた人麻呂は、最も信頼するお抱えの庭師兼相談役の佐藤俊成の屋敷に最愛の娘を預ける事を決意するのである。
物々しい警備が屋敷中に配置されている屋敷の一室に一人の少女が思いつめた表情で佇んでいた。12歳になった西行寺有子である。
「ゆゆ様、準備は出来ましたか?」
「あ、俊成。」
西行寺有子から俊成と呼ばれた五十代前半と思われる男性がかしこまってお辞儀をする。
「如何致しましたか?」
庭を微動だにせず見ていた有子の寂しそうな背中が気になった俊成。
「俊成の美しい庭園を見ておりました。今日でひとまず見納めになりそうなので、目に焼き付けておこうと・・・。」
「ありがとうございます。ゆゆ様にそう言って戴けるだけるとは庭師冥利に尽きます。」
かしこまってお辞儀をする庭師の佐藤俊成。
「本当に美しい・・・浄土とやらがあるとしたらきっとこんな景色なのでしょう・・・。」
現世利益のこの時代、死とは忌むもので、死後の世界など縁起が悪い事についてあまり活発に議論されておらず、浄土信仰が盛んになるのは末法思想が広がる平安末期から鎌倉時代、西暦1000年前後からである。
5年以上も前から屋敷周辺で変死事件が多発し、人の死を何度も目の当たりしにた有子は、否応なく死というものと向き合うざるを得なかった。
有子は知っている。幼い頃は何故自分の周辺で人がたくさん死ぬのか分からなかった。しかし、今は全て知っている。人を殺しているのは他でもない自分である事を・・・。
小さい頃から人の心の内を見透かす事の出来た有子は、誰が敵で誰が味方か無意識に理解出来た。それは誰も同じで当たり前の事だと思っていた。しかし、最近になってそれが自分だけの特殊な能力だと理解するようになった。それと同時に人を殺す力も、自分だけに備わった特別な力だという事も知った。
分別のない幼少時は父に害する敵が死ぬ度に満足し、罪悪感など全くなかった。しかし、物心つくと殺生はいけない事だと教えられ、有子は戸惑った。
余りにも多くの人が死んだ事で、西行寺の屋敷周辺は武器を持った物々しい男達が守る誰も近づかない場所となってしまい、客足も遠のき歌会も開かれなくなり、大好きな父は日増しに白髪が増えて衰えていった。
罪を意識し始めたのはいつ頃だろうか?気付けば自分が夥しい骸を生み出し、そのせいで人々から恐れられ心労で床に伏せるようになった父。こんなはずではなかった。
殺しを止めようにも、様々な手を使って暗殺者を送り込んでくる敵。止めようにも止められない。止めたらこちらが殺される負の連鎖。
身内を籠絡し屋敷に浸透した暗殺者は殺されて当然。しかし世間では西行寺家の身内から死人が出たとしか見えない。益々西行寺人麻呂の評判は下がる。
使用人や配達人に扮し、警備の者を賄賂や色香で落として屋敷に近づく悪意の群。殺しを止めれば父が死ぬジレンマ。有子は殺人という大罪に苦しみながらも愛する父親の為に殺し殺し殺し続けた。
このまま俊成の家に移れば、父の危機を防げなくなってしまう。護衛に任せれば良いといっても、その護衛が籠絡される可能性があり、実際そうなった。もはやあの屋敷に安全な場所などないのだ。
毎晩の様にどこかで父を殺そうとする呪いの儀式が執り行われている事だろう。やせ衰える父は、中庭のお気に入りの桜の前で歌を詠み続ける日々を送るしかない。その姿は痛々しく胸が痛むが、そうさせているのが自分自身なのである。止めたい。止めたい。止めたい・・・しかし。
誰も殺したくは無かった。しかし、それをやめることは即ち父の死を意味する。止めるわけにはいかないのだ。
屋敷を出る事については何度も考え直すように言った。自分が殺しているのだから自分は死ぬ心配はない。もし自分を襲おうものならその場で殺せばいい。
言えない。こんなことは絶対に言えない。そもそも言ったとしても信じてはもらえるはずがない。
俊成の家に行く事が決まってから、その日まで一月の間、毎晩父の好きな桜に願掛けをした。
『お願い・・・私の変わりにお父様を守って・・・。』
佐藤家の屋敷は西行寺家の屋敷からだいぶ離れた場所にあり、子供の足で気軽に行き来出来る距離ではなかった。
俊成の妻は早くに他界していたが、生前2人の間に生まれた一人娘が2年前、有子が10歳の時に婿を取った。
弘文天皇の元で壬申の乱を戦った軍人の息子と一緒になりたいと言う娘に、文化芸能の家に血なまぐさい者を入れたくないと最初は猛反対した俊成。孫には必ず自分の跡を継がせる、つまり庭師にすると約束させその結婚を許した。
結婚した当初は、根性悪く娘に手を出したら許さないと婿を目の仇にしていた俊成も、今では早く孫の顔が見たいと、もちろん当人等が居ない時に、父人麻呂前でこぼしていたのを盗み聞きした事を思い出す有子。今では自慢の息子とすっかり仲良くなった親子を見る度に気持ちが和らぐ。
西行寺家と佐藤家は、公私共に家族同様の付き合いで、互いの家をよく行き来していた。
俊成だけではなく娘のトモヱ、婿の功衛(なりひろ)とも家族ぐるみの付き合いで、早くに母を亡くした有子にとって、トモヱは母であり姉のような存在だった。
最愛の父との一時の別れ。しかし、別れの後には出会いもある。
西行寺有子が佐藤家に世話になり始めた頃、有子の将来を決定付ける運命的な出会いがあった。
ある日、書斎で一人庭を眺めていると、背後に視線を感じて振り向く。そこに見たものは空間の裂け目で、その裂け目の中にこちらを伺う女性と目が合ったのである。
「あら、気付かれちゃった?」
「(妖怪!死ね!)」
妖怪と知った有子はすぐさまその力で妖怪を殺にかかる。
裂けた空間は閉じ女の妖怪は消える。有子の力にかかれば妖怪を殺すなど造作もないことである。それにしても暗殺者が自分の所にも来るとはどういうことだろうか?しばし考え込む有子。
しかし、思考に集中していた有子は突然後ろから目を塞がれる。
「だーれだ?」
若いのか若作りをしているのかわからないが、先程の妖怪と同じ洒脱な声が背後から聞こえる。
「な、何故?」
有子が振り向こうとするタイミングで手を離した金色の髪の女妖怪は、ぴょんと飛びのいていたずらっぽく笑う。
殺した筈と思って油断した有子は妖怪に背後を取られてショックを受けた。
「何故死なないの?」
「ふふ、知りたい?」
「・・・。」
人を食ったような態度の女妖怪を睨みつける有子。
「私はスキマ妖怪。境界を操る妖怪よ。」
「境界?」
「ええ、ここにいるようで、いない。いないようでいる。さて、本物の私はどこにいるでしょうか?」
なるほど、偽物を殺していたのかと、有子は周囲にいるはずであろう本物の女妖怪を探す。
「残念ここでしたー!」
他に注意を引いて見せた目の前の妖怪が嬉しそうに有子に抱きついてくる。
「きゃあああああああああああああああー!」
妖怪のウソを真に受けた有子は、不意を付かれて無防備なところを抱きつかれ心底驚いて大声で叫んでしまった。
有子自身こんな大きな声を出したのは生まれて初めてで自分でも驚いた。そして、その声は当然屋敷の外まで聞こえた。
外で剣の稽古をしていた功衛は、その悲鳴を聞きつけ有子の愛称を呼びながら廊下に駆け上がる。屋敷が広いため、悲鳴が発生した正確な場所がわからず、付近の部屋を探しながら確実に足音がこちらに近づいてくるのが分かる。
妖怪に抱きつかれた勢いで華奢な有子は支えきれず畳に折り重なって倒れたが、ちょうどそこに功衛が部屋に踏み込んできた。
「ゆゆ様!いかがなされましたか?ん?・・・ゆゆ様?」
佐藤家全員から『ゆゆ様』という愛称で呼ばれる有子。
功衛は書斎でおかしな格好で倒れてこちらを見上げてる有子を発見する。目があってその視線から少しめくれた着物の裾に気付いて直ぐに居住まいを正す有子。
「だ、大丈夫ですか?」
恥らう有子から回れ右をして外を向く功衛。
「はい、ちょっと転んだだけです。」
「お怪我・・・。」
「ありません!」
恥ずかしそうにコホンと咳払いして身を案じる功衛の言葉を全て聞く前に遮る有子。
常に淑やかに上品で大きな声など出さない有子であるが、その意外な姿を目の当たりして、驚きと同時に福眼に肖って少し得をした気分になる剣豪功衛だった。
恥ずかしい姿を見られた事にしばし赤面して、正座したまま身を強張らせる有子。
「いやー危なかったわねー。」
「ほんとよ・・・って、あなた、何時の間に隠れたの?いや、そうじゃなくて・・・。」
スキマから上半身を出して頬杖して有子に馴れ馴れしく話しかけるスキマ妖怪。そのしゃべり方がまるで昔からの馴染みのような口調だったので思わず同意して頷いた後に、妖怪である事を思い出して肩を怒らす有子。
「・・・私の命を狙ってるの?それとも・・・。」
「まぁーあなたのお父上を暗殺しろと言われた事はあっても・・・。」
それを聞いて恐ろしい形相になる有子。
「話は最後まで聞きなさい。スキマを使えば暗殺なんて簡単よ。でもあなたのお父上は死んではいない。」
誰かに暗殺を依頼されたが本人はその気はないということだろうか。
「何を企んでるの?」
「企んでる?そうね・・・私に企んでる事があるとするなら、それはあなたとお友達になりたいということだけ。」
「え?友達?ふざけないで!妖怪と友達になれるわけがないわ!」
「どうしてそう言い切れるの?私は現にたくさんの人間の友達がいるわ。この格好見てごらんなさい。」
そう言ってスキマから出てきてくるりと回り全身をさらす女妖怪。
「それは・・・。」
「神社の装束よ。こうみえても神社で修業しているのよ?巫女さんではないけどね。」
「妖怪が神社で・・・ありえないわ。」
「念じただけで人を殺せる怨霊すら足元にも及ばない力を持つ人間がいるなら、神社で修業する妖怪が居ても不思議ではないでしょう?」
妖しく微笑む女妖怪。
「!」
自分の恐ろしい力を棚上げして他者を責める有子に対して、歯に衣着せぬ言い方で嗜める女妖怪。
唇を噛み締めたまま身を震わせる有子。
「・・・そうよね・・・私の方がよっぽど危険な存在・・・私に誰かを責める資格なんてなかったわ・・・ごめんなさい。」
肩を落とし妖怪に謝罪する有子。
「・・・そういえば自己紹介がまだだったわね。」
重苦しい場の雰囲気を変えるように、あっけらかんとした声で自己紹介するその妖怪は、『八雲紫』と名乗った。
「私は・・・。」
「知ってるわ。西行寺有子でしょ?。」
「何故私の名前を?」
先程声を聞きつけて駆けつけた功衛は『ゆゆ様』と言っており本名は言っていない。
「ふふ、あなた裏の世界では超有名人よ。」
「・・・。」
そんな気はしていた。父に対する殺意とは別に、無数の気配がこちらを伺っている事に気付いていた有子。
「西行寺有子、あなたは人間の世界で生きるには、あなた自身もそしてあなたを支える周りの人達にとっても大変なことよ。」
佐藤家以外に付き合いのない有子は、12歳になっても嫁ぎ先が決まっていない。恐らくこの先も同じだろう。しかし、思春期になれば体の成長と共に様々な感情が芽生える。今は大好きな佐藤家の面々とも衝突する可能性もある。そうなった時、一時の激情で大切な人を殺してしまうかもしれない。
このまま彼女を人間の世界で過ごさせては、本人にも周りの者にも良い事ではない。
「どう?幻想郷に来ない?」
「幻想郷?」
「俗世と隔絶された人と妖が共存する世界。あなたのその恐ろしい力も受け入れてくれる世界よ。」
心が揺れる有子。一瞬その幻想郷という世界に興味を持つがすぐに現実に戻る。
「・・・あなたの申し出は有難いけれど・・・父を置いてはいけません。それに・・・。」
その後に続く台詞は紫にも分かった。これほど多くの命を奪って、安楽な世界に行く事など許されないだろう。
「・・・すぐに答えを出す必要はないわ。また来るわね。」
スキマに消える八雲紫。
有子は犯した、そして犯し続ける罪を意識する。幸福な未来など想像できない有子だった。
その後も西行寺有子と妖怪八雲紫との交友は続いた。
有子の部屋から時折笑い声が居間まで聞こえてくる。最初は妖怪を受け入れなかった佐藤家もただの妖怪ではない、真に有子を思う八雲紫を信用するようになっていた。
紫のスキマの力で全国各地を巡り歩き、西行寺家と佐藤家の屋敷だけが世界だった有子は、本当の世界の広さを知った。
父にもこの景色を見せたいと時折寂しそうな表情で物思いにふける有子だが、紫のお陰で喜怒哀楽を見せる活発な少女になっていた。
こんな幸せな日々が永遠に続けばいい。八雲紫も西行寺有子も、そして佐藤家の者もみなそう願っていた。
しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。2年が経ち有子が14歳になった頃から、おかしな夢をそれも同じ夢を何度も見るようになったのである。
それは大勢の人の命を奪った有子の罪を責める悪夢で、その罪は新たな罪を呼び、その負の連鎖がやがて国を滅ぼすというものだった。
夢の中で語りかけてくる冥界の裁判官と名乗る閻魔という存在は、その余りにも大きな有子の罪は、償う事が出来ず地獄に堕ちて永遠の責め苦を受けるだろうと警告した。更にその罪は一族全てにおよび、関わった者全てを地獄に落としても足りないと脅す。
どうすればその罪は償えるのか?せめて自分以外に罪が及ばないようにする術はないかと夢の中で有子は閻魔に問う。
上を見ても足元を見てもどこを見ても全て炎に覆われた世界。その炎の向こうで大きな影がこちらを見下ろしている。
閻魔はこの時代、一般人の知らない無名の存在で仏教に詳しい者以外ほとんどその名前を知らない。知っていたとしてもその名前に畏怖を覚えない。その程度の存在だった。
自分の罪を的確に指摘し、その大きさ重さを示して罪を痛烈に批判されると何も言い返せず恐怖で身が竦む。
有子の問いかけに閻魔は答える。しかし、いつもここで夢から覚める。
全身を汗で濡らし飛び起きる有子は、必死に最後の言葉を思い出そうとするが思い出せない。
何か恐ろしい事が起こる前触れだろうか。この夢を見た夜は朝まで寝付くことができなかった。
有子の変化は寝食を共にする佐藤家の者だけではなく八雲紫も感じとる事ができた。
食事の時や会話をしている最中でも突然物思いにふける。紫がどこかに連れ出しても作り笑顔で上の空なのである。密かに誰かを想っている・・・という類ではないことは誰の目にも明らかである。
13歳の頃に父人麻呂の病気が悪化しあまり長くはない事を事前に知らさていたので、1年過ぎてその死期を感じ、それで元気がないのだろうと佐藤家はそう判断していた。
そうしているうちに1年が過ぎる。
佐藤家に来てから3年の月日が経ち、有子が15歳になって初めての桜の季節、父西行寺人麻呂が逝去する。
この訃報はすぐに佐藤家にもたらされる。病気で長く生きられないと事前に知っていたとはいえ、やはりショックは大きかった。しかし、その不幸を打ち消す幸運が佐藤家に舞い降りる。訃報の数日後に佐藤俊成の娘トモヱの懐妊が判明したのである。これは人麻呂の生まれ替わりと佐藤家は沸き立った。
今は桜の季節である。順調に行けば来年の2月頃に新しい家族が増えることになる。
しかし、それも束の間の事。悲しみと慶びの報せに接してから3ヶ月が過ぎた夏頃、例の閻魔の悪夢を頻繁に見るようになった有子は、安眠出来なくなって床に伏せる様になってしまう。
目を瞑れば瞼の裏に炎が広がりそこに閻魔が現れ罪状を読み上げ判決を言い渡す。思うように睡眠が取れず、体力の限界で気を失ってようやく眠りに就けるという状態になってしまったのである。強い薬で無理やり睡眠を与えなければ身体を休める事ができなくなった有子は見る見る衰弱していく。佐藤家はトモヱの懐妊の慶びから一転して不幸に沈む。
そして不幸は更に続いた。
3ヶ月前の事になるが、人麻呂の葬儀中に西行寺家の屋敷でこれまで収まっていた変死の異変が再発し、その後屋敷の周囲が異界化して何人も近づけない恐ろしい魔の領域となっていたのである。
有子に余計な心配をかけまいと、この異変は3ヶ月の間伏せられていたが、有子が夢を頻繁に見始める時期に合わせるかのように、佐藤家の屋敷からも遠目にもその黒い渦が見えるようになり、異変の存在を隠し通す事が出来なくなっていたのである。
有子を佐藤家に預けてから平穏な暮らしに戻った人麻呂。潮が引くように事件がなくなり平穏が訪れた理由は、人麻呂はこの時、既に重い病魔に侵されており余命いくばくも無い状態になっていたためで、もはや刺客を向ける必要がなくなっていたからである。
2年に亘る闘病生活の末、人麻呂の希望通り桜が満開になる季節に花吹雪の下で息を引き取った。享年48歳だった。
問題が発生したのは人麻呂の死後直ぐである。
人麻呂が愛で、有子が父の身を守るために願をかけた桜が突如妖と化し、弔問に訪れた大勢の人の命を奪ってしまったのである。
後に西行妖と呼ばれた妖怪桜は、有子の願い通り人麻呂をずっと守ってきた。しかし、その守るべき対象、存在の意味を失った桜は、新たな目的を探し死んだ人麻呂の遺体を守ろうとして、弔う為に遺体に触れた人々を殺して命を吸いとり、異形化して屋敷にいる者全てを殺してしまったのである。
季節が春から夏へと変わった頃、この時既に佐藤家に馴染んでいた八雲紫は有子の夢の件の調査中に、異変を担当していた博麗系陰陽師に助力を請われた神社の要請で西行寺の屋敷に調査に向かう。
「これは・・・。」
紫がそこで見たものは、桜を中心に闇が広がり明らかに周囲と景色が変わった西行寺の屋敷だった。
「屋敷の外まで異界化させるなんて・・・これも有子の力だというの?」
あの桜が妖の力を帯びている事は気づいていた。しかし、ここまで大きくなるのは予想外だった。弔問に来た大勢の命を吸い取った妖の桜の妖力は爆発的に膨れ上がり、新たな獲物を求めているかのように触手のような黒い渦を伸ばしながら、異界の領域を徐々に広げている。
有子の夢の件と異界領域の急激な広がりに何か連動性があるのではないかと疑う紫。
「何者かがこの桜を使って有子を探しているんだわ・・・有子の夢に出てくる閻魔とかいうやつかしら・・・。」
強力な妖はやがて自我を持ち始める。しかし、西行寺有子という本体から生じた妖の桜は、主である有子に従属する存在であるため自我を持って独立した個になることが出来ない。
その妖が自我を持ち一個の存在になるには、本体をこの世界から抹消する以外ない。これはドッペルゲンガーと同じ理屈で、有から生じた有は同時に同じものが存在出来ず、必ず一つでなければならない為、後から生まれたコピーはオリジナルに取って代わろうと攻撃し始めるのだ。
閻魔という存在は、このコピーの帰巣本能を利用しているに違いない。
「まずいわ・・・。」
一目でわかる。これは自分一人で解決できる案件ではないことを。
天に立ち昇る黒い渦の周辺にいくつかの影が飛びまわっている。恐らく調査に来た陰陽師達だろう。迂闊に近づいて黒い触手に捕らわれて闇に呑み込まれる者が後を絶たない。
「大人しく結界を貼って見てればいいものを・・・。少しは妖術使い達を見習いなさい!」
陰陽師に敵対する妖術使い達は近付いてこないのに、陰陽師達は功を焦って猪突し、妖の栄養になっている。この愚かな状況を見て舌打ちしてスキマに消える紫。
「神主!」
有子に会うのを取りやめて博麗神社に戻った紫は、神主に詰め寄ってこの異変を解決する手段を相談する。
「ついに始まったか・・・。」
「知っていたの?知っていたならどうにかできたでしょう?」
鬼子と呼ばれる特異な存在は裏の社会では有名である。
「相手は鬼子だ。鬼子が人として平穏に死ねるわけがない。それに、お前が面白半分に鬼子と接触し修行を怠ったから、防げる異変も防げなくなった・・・だから慌てて来たのだろう?」
「く・・・。」
西行寺有子にかまけて修業を怠ったせいで、封印する術を習得できなかった紫である。
紫自身はまだ覚醒して間が無く、境界を操る力の全てを自分のものにしているわけではない。境界を操り有を無にする事は簡単だが、無から有を創ることは出来ない。創造主ではない紫は、無から有を作り出すことは出来なくとも、現実世界に存在するものを概念上の仮想空間に、オリジナルを複製して幻想世界を創る事は可能である。この概念移設代替方式『幻想郷理論』を元に修業次第で新しい世界を創り出す事は十分可能だった。対象が限られているものならこの理論を使って、物などに封印することが可能で、これは広く用いられている有名な封印術である。今起こっている異変も小さな桜のうちに施していれば十分解決出来るはずだった。
博麗神社の神主は幻想郷構築の為の修業の前段階として、いずれ起こると予想した鬼子の問題解決にこの初歩的な封印方法を紫に使わせようと目論んでおり、習得させようとしていた。しかし、紫はその鬼子に魅了され取り憑かれてしまったわけである。
「分かった。今からやるわ。」
「無理だ。どんなにがんばっても2年はかかる。」
特定の地域に結界を張って切り分けるだけなら今でも問題なく出来る。特定の地域を別の世界に移設して、双方を維持するには、概念という物質ではない世界に同じ世界を思い描き、境界の力を使って分けなければならない。
この思い描くという作業が実は一番大変なことであり、現実にある存在を正確にトレースできる技能が必要になる。難しくはないが単純作業で非常に面倒で時間が掛かる。当然世界を広く保とうとすればするほど時間がかかるのだ。
世界を構成する物質、原理、規則は時間をかけて解析しなければならないが、これは超高性能演算装置でもある当時『お乱』と名乗っていた九尾の得意とするところだった。しかし、紫が鬼子にかまけていたせいで、ふてくされて何もしていなかったのである。
「三ヶ月よ。三ヶ月で覚えてみせるわ。」
八雲紫は凄まじい闘志と妖気で神主に迫る。普通の人間ならそこで気押されるところだが、神主は全くひるまず涼しい顔をしている。
「・・・わかった。そこまで言うなら修業を再開するぞ。お乱にも話を通せ。だが、その前に有子の命を持たせなければならぬであろう?すぐに戻れよ。」
三ヶ月の間に有子が死んでしまったのでは意味が無い。
「・・・ありがとうございます。」
紫は深々と一礼して一旦スキマを使って有子の処に戻った。
佐藤家に戻った紫はすぐに有子の部屋に向かう。
「有子、調子はどう?」
紫は有子の顔を見た時、まるで死人の顔だと思った。そして長くは持たないとも直感した。紫はそうした思いを表情に出さないように笑顔で取り繕う。そんな紫の心情を見透かした有子は笑顔で応えた。
「紫、お願いがあるの・・・。」
身体を起こそうとする有子を手伝って支えつつ手を握ぎる紫。
「ええ、何でも言って頂戴。」
「お願い、私をあの桜の木まで連れて行って。」
「!・・・そ、それはダメよ!危険よ。」
「私は大丈夫。あれは自分の力ですもの、私には及ばないわ。」
「で、でも・・・。」
「私の見ていた悪夢は、閻魔が私にこの罪を償わせようとするもの。あの世にいって現世の罪を償わなければならいの。閻魔の言うことを聞けば、あの桜ごと私をあの世に封じてくれるの。」
「それは、夢よ。そんなものを信じてはだめ!」
「紫、お願い・・・これ以上、もうこれ以上人を殺したくないの・・・。」
涙を流して懇願する有子。今この時においても大勢の命があの桜によって奪われているのだ。
「有子、聞いて。あの桜を封印する方法があるの。」
「ほ、本当?」
「ええ、でもそれには少し時間がかかるの。三ヶ月、三ヶ月で術を完成させる。だからそれまで、がんばって!お願い!」
有子の手をぎゅっと握りしめる紫。
「・・・紫・・・分かったわ。紫が戻って来るまで私頑張るわ。」
それを聞いて紫は涙腺が決壊し、そのままなだれ込むように有子を抱きしめる。有子もまた背中に回した腕を強く締めて紫を抱き返した。
佐藤家の者に事後を託した紫は博麗神社に戻る。
「戻ったか。」
「待たせてしまって申し訳ありません。」
神主に一礼して、友人ではなく修業を受ける弟子の顔つきになる紫。
「こんなもの、スキマで消し去ればそれで終いじゃないのか?」
お乱が最も楽な方法を提案する。
「恐らくそれを閻魔は狙っているのよ。何が何でも有子を向こうに連れて行こうとしているの。」
有子の夢と桜の異形化のタイミングが余りにも良すぎる。恐らく桜と有子の繋がっているのと紫は睨んでいる。片方が死ねば双方が死ぬようになっている。両方生かさなければいけない。その為にはあの空域を生きたまま安全な場所に封じる必要がある。そうすれば妖怪桜を通じて有子にアクセスしてくる閻魔の間の手から逃れられ、有子は夢を見る事もなくなり回復するはずだ。
「・・・ま、私はどっちでもかまわないが・・・それより測量はしなくてもいいのか?」
「情報は全て私の中にあるわ。お乱と私の脳を繋げて直接情報のやり取りをする。」
紫とお乱の境界を取り払うことで脳を共有し、お乱が現場に行って測量する手間を省くということである。
「やれやれ、余計なものまで見せるなよ?」
「あなたが見なければいい話よ。」
この時のお乱と紫の関係は、お乱が覚醒後の紫を主と決め従属することを誓ってはいるが、総合的な力はお乱の方が上で、新米仕官を補佐するベテラン古参兵といった関係である。
神主に案内され、神社の本殿に入る神主、紫、お乱の3人。神主は何も書かれていない屏風を2人の前に置き、この中に西行寺の屋敷と周辺地域を移設するように指示する。
2人の繋がった脳で正確に世界をトレースして屏風に焼き移すというわけである。
「始めるわよ!」
紫の合図で世界構築と移設の第一歩が始まる。そしてこれが幻想郷の始まりの一歩でもあった。
季節が秋に移った博麗神社。
「やはり無理だったか・・・。」
「三ヶ月では到底無理なのだ。分かっててなぜやらせた?」
ズタズタに引き裂いた屏風の代わり一面の無地の扇子を持ってスキマに消えたそこにいない紫を見るように、神主とお乱が話合っている。
「西行寺有子は助からん。ならば最大限利用するまでだ。」
「なるほど・・・この死別を奮起の材料にすると・・・。」
「妖怪にはわからんと思うが、人の命は有限だ。のんびりはしておれんのだよ。」
「思惑通りにいかなかったら?」
「その時はわしの命を好きにするがいい。」
「ふん、いい覚悟だな。人間は本当にむかつく。」
そう吐き捨てて本殿を去るお乱だった。
「紫ががんばっているのに・・・私も負けられない。」
あれから一度も顔を見せない紫、便りがないのは元気な証拠だろう。
三ヶ月という限定された生きる目標を得た有子は、気力が回復し復調の兆しが見え始めていた。
そして付き添われて屋敷の中を歩けるまで体力が回復した頃、季節は変わり約束の三ヶ月が過ぎた。
16歳の誕生日を先日済ませた有子の復調の兆しは単に蝋燭が燃えるきる最後の輝きでしかない。それは佐藤家の者も、当人の有子も分かっていた。
庭先から西行寺の屋敷のある方角を見ると、天に立ち昇る渦が間近に迫っている様子がはっきりと見えるようになった。異界領域は少しずつ広がり、三ヶ月経って更に広がり佐藤家の屋敷にも近づいてきている。既に多くの家々が闇に呑まれ、多くの人の命が奪われていた。
八雲紫が佐藤家を訪れた時、その来訪を予感していたかのように有子は外衣を纏った姿で瞑想をしていた。
「待っていたわ紫。」
「・・・有子。」
家で待つように説得を試みようとした紫だが、一緒に行く気満々の有子の気迫に次の言葉を繋ぐ機会を逃してしまう。
「行きましょう。準備は出来ているわ。」
顔色は相変わらず良くない。元気に見えるのはそう振舞っているからだとすぐにわかる。
最初に有子の顔を見たときはこのまま幻想郷に連れ去り、そこで何もかも忘れて一緒に暮らせるのではないかと思った。しかし、明らかに命の力が弱まっている。もう長くない。
「あ、あのね、有子。」
封印の術を習得して戻ると啖呵を切って三ヶ月の猶予をもらった手前、まだその封印の術が完成していない事を言い出せない紫。
理論は完成している。後は実践を繰り返しながら少しずつ煮詰めていく段階である。ぶっつけ本番で成功してみせると意気込んで来てみたものの、有子の気丈な振る舞いを見るにつけ、自分の失態が悔やまれる。何故もっと早く学んでおかなかったのか?急がなくても問題ない。今は有子と楽しく過ごしたい。そうやって問題を先送りにしてきたのだ。
「大丈夫よ。必ず成功するわ。」
心配そうな紫を察して笑顔で励ます有子。懸命に命の残り火を輝かせている有子を見て紫も腹をくくった。後戻りできない。必ず成功させる。
「行きましょう有子。」
有子の背後に佐藤家の面々が並んで紫にお辞儀をしているのが見えた。頷いてスキマを開いて先に入り、中から手を伸ばして有子を誘う。
スキマに入る前に足を止めて佐藤家に最後の別れの礼をした有子だった。
西行寺の屋敷の正面門に出た紫と有子は、変わり果てた屋敷に絶句する。屋敷の壁や地面、他の樹木も含めあらゆるものに毛細血管の様な根が侵食し脈を打っている。
陽の光が完全に遮られ不気味な発光体が周辺を漂っていなければ真っ暗で何も見えないだろう。
時折漂う光がこちら近づいて身体を素通りしていくが、その時、恐ろしい悲鳴のような声と苦痛の表情が脳に直接飛び込んでくる。この光は成仏できずにいる人魂なのだ。
問題の桜は中庭にあるので、まず玄関から屋敷に入る。廊下を歩いて中庭に向かうが途中沢山の死体を見る。
紫は妖桜の死の攻撃に常にさらされているが、境界を操ってその力を別の次元に反らしてやり過ごしていた。
有子にとって約4年振りの帰宅となったが、その不在の間建て替えや増築はしておらず、昔のままなので迷うことなく問題の中庭たどり着く事が出来た。
「これは!」
中庭を見た2人は同時に声を上げる。
その桜は有子が誕生した記念に桜の若木を植樹したもので、有子と共に成長し幹を太らせたものの、大木までにはなっていなかった。しかし、その妖怪桜は幹の周囲が4メートルを超える大木に育っており、しかも季節は秋なのに満開に咲き乱れている。
しばらくその満開の桜に見とれていると、背後に何もかの接近を感じ、紫はそれを咄嗟に攻撃する。
「お父様!」
それは有子の父、西行寺人麻呂の変わり果てた姿だった。中庭の桜が良く見えるこの部屋が父の寝室だと思い出した有子は、紫が倒した父の亡骸に近づく。しかし、紫に制止されて冷静になると、屋敷の中に潜む夥しい数の歩く死体の群れに囲まれている事に気付き慌てて紫の側に戻る。
「この桜が死体を操っている。有子のお父上はもういない。」
紫は有子にそう説明して父はもういないことを言い聞かせる。うなずいた有子を背中に感じつつ、次にスキマをいくつか開いてそこから剣を召喚する。
3本の剣は中庭に面する三つの部屋の前にそれぞれ移動し、屋敷から中庭に下りようとする死体の群れを次々に切り捨てていく。紫の妖力で動くこの式剣に命はなく妖怪桜の力は及ばない。
「紫!」
「有子、はじめるわよ!」
周囲の安全を確保した紫は白地の扇子を一面懐から取り出しそれを開いて桜に向かって水平にかざす。
眉間に気を集中し、この空間をそのまま扇子の中に写しこむイメージを膨らませる。
「はぁっ!」
気合の声と共に両目をカッと見開き、術を施行する。
「・・・どうして!」
しかし、術は発動してもその効果が現れない。
紫は何度も何度も同じ事を繰り返す。しかし、一向に成功する気配がない。
「紫・・・それを貸して。」
そんな紫に有子は諭すように声を掛け、純白無垢の扇子を取り上げる。
「有子・・・。」
西行寺有子はそこで、トモヱから教えられ幼少から続けていた舞を始める。
「ねぇ、紫どう?」
踊っている姿の感想を紫に求める有子。
「とっても美しいわ。有子。」
うっとりとその光景に見とれる紫。
「ふふ、紫は何も分かっていないのね。」
そんな紫に水をさす有子。
「え?何を言っているのよ、有子?」
舞を褒める紫をたしなめる有子。
「この光景を見てみなさい。光の差し込まない闇の世界。これは私の犯した罪、私の全て。どんなに綺麗に舞って見せても、本質が穢れの極みにある私の舞など美しくもなんともないわ。」
そう言って優雅な舞をやめる。
「目に見える物と、その本質は必ずしも一致しない。」
心を見透かせる有子は常に本音と建て前、真実と嘘の境界を見てきた。
「あなたの術が成功しないのは、私という本質を色眼鏡で見ているから。だから私の作り出したこの世界を見誤ってしまうのよ。」
「そ、そんな・・・。」
それはまさに神主から常日頃言われている事だった。目に映るものの本質を自分で勝手にそうだと決め付ける。悪い癖だと何度も注意されてきた。お乱がいくら正確に外側を計れても自分がその内側を見誤っていたのでは意味がないのだ。
無理に舞って体力を使い果たした有子は、とうとう力尽き身体を揺らしてそのまま倒れこむ。慌てて紫が抱きかかえる。
「紫、この異変は閻魔が解決するわ。私の体と引き換えにね。」
「有子!」
「ふふ、人を殺すしか能がない私を最も効果的に最大限に利用するらしいわ。それが罪滅ぼしになるのですって・・・殺しの罪を殺しで償わせるなんて滑稽よね。」
自嘲気味に微笑む有子。
「有子は、人殺しなんかじゃない。人殺しから父を守っただけよ!」
「ありがとう紫。あなたはどんな事があっても私の味方になってくれた。本当にありがとう。」
紫は跪いて自分の太ももの上に有子の頭を乗せ無理に身体を起こして負担をかけないようにする。
とめどなく溢れる涙は、頬伝って有子の顔に零れ落ちる。
「紫、お願いがあるの・・・。」
弱弱しい声で紫に最期の頼みをする有子。
「何?何でも言って頂戴。」
「紫のさっきの術で私の心を封印して・・・。」
「え?」
「私は人を殺すしか能がないけれど、それは誰かを守るためのものでありたいの。ただ罪滅ぼしのためだけに理由無く殺したくはない・・・閻魔には体はやっても心までは渡さない。心は紫、大好きな紫にあげたいの・・・。私の本質を知った今の紫ならきっと出来るわ。」
紫は口を開いても震えてまともにしゃべれないと知り、何度も何度も頷いて有子の願いを了承した。
有子から渡された無地の扇子を受け取った紫は自然体のまま、気負う事無く扇子を持つ手をくるりと返して、何かを掬い取るような動作をする。それはとても簡単な作業だった。
一度下を向いた扇子の表面は、次に上を向いた時そこには美しい景色が描かれていた。全体が黒と紫の下地に屋敷や桜のモチーフが白や赤、青で美しく抜かれている。それは決して色鮮やかで心が安らぐようなものではなかった。しかし、その妖しげな美こそ有子の本質をよく表していた。
紫がそれを有子に見せると有子は嬉しそうにその扇子を手に取り、指をとんとんと扇子に置いて、たくさんの蝶を描く。当時、蝶は不吉の象徴であり、死を連想するものだった。
「有子、あなたに約束するわ。必ずあなたの心を届けると。どんなに変わり果てた姿になっても、私はあなたを必ず見つけ出す。そして、人も妖も、神も怨霊も全てが共存できる世界を創って見せる。有子のような過酷な運命を背負った者が幸せに暮らしていける世界を・・・。」
「待ってるわ。紫・・・。」
有子は目から光が消える。しかし、最後の力を振り絞って右手の小指を立てて掲げる。指の位置が遠くこの体勢では指切りできない紫は右手をスキマに入れ有子の正面から出し小指を絡める。ユニークな指きりに思わず微笑んだ有子。
「あぁ、楽しかった・・・紫と一緒に過ごした日々・・・本当に・・・本当に楽しかっ・・・た・・・。」
有子が息を引き取ると同時に絡めた小指は重力に逆らえず地面を叩く。
紫は膝の上に有子を抱いたまま、子守唄を歌い子供を寝かしつける母親のように身体を揺らし続けていた。
西暦702年。西行寺幽々子は16年の短い人生を終えた。
同時に佐藤家は岩老系妖事請負の妖術使いの集団に襲われ惨殺された。この異変に関わった全ての者を歴史の闇に葬ったのである。
200年が過ぎた。
日傘を差し紫色の衣装を纏った夫人が一人、最上段が遠い枯れ山の階段をゆっくり登って行く。
階段の周囲には戦痕があり、かつてここで戦闘が行われていた事を示していた。石の階段が黒く汚れているのは血痕なのだろう。
木々は枯れている。これは落葉樹の葉が落ちてそうなったのではなく、木そのものの命が尽きているせいだ。この山に命を思わせるものは何一つ存在しなかった。
階段はやがて終点を迎えようとしていたが、そこに一人の老人が立ち塞がった。
「そこな妖怪!ここはお前のような妖者が来る所ではないぞ!」
立塞がった老齢の剣士を見上げる八雲紫。
「来る所ではないぞ!」
その傍らに小さな剣士が剣を構えて同じ台詞を言う。
「ゴン!」
その小さな剣士は、老剣士の持つ刀の鞘で頭を思い切り叩かれ、その場で悶絶してうずくまる。
「これ!いきなり剣を抜くとは何事か!」
「だ、だって、剣が長すぎて鞘に収めるのがめんどくさいんだもん!」
「ゴン!」
また叩かれる小さな剣士。老剣士はその後紫に向き直って恭しく頭を下げる。
「お久しぶりですな。八雲紫殿。」
「・・・あなたは・・・俊成?それとも功衛?」
「今は魂魄妖忌と名乗っております。肉体が俊成、この魂魄は息子です。」
「なるほど結魂して剣士の力を手にしたのね。で、この子はトモヱ?」
「いえ、生まれなかったトモヱのお腹の子です。トモヱはこの子の代わりに逝きました。」
「そう・・・。あなたお名前は?」
頭を押さえて痛みに耐えている少女に紫は優しく声をかけ頭をなでてやる。しかし。
「汚い手で触るな!妖怪!」
「ゴン!」
乱暴に紫の手を払った半霊の少女は、また妖忌に叩かれる。
「何分生まれずの子。躾がなかなか難しい・・・。」
言い訳しながら、この少女の名が魂魄妖夢と紹介する。
「クス・・・。」
少女から離れた紫は一面の扇子を取り出し妖忌に見せる。
「どうぞ、この先に冥界の狂い姫、西行寺幽々子様がおられます・・・。」
この当時の白玉楼は大陸から移設したままの姿で白壁の古びた楼閣だった。
「いいの?通っても?」
「ええ、ずっとこの時を待っておりました。妖夢の事、よろしくお願い致します。」
紫は結魂の意味を知っていた。そして妖忌が自分を通す意味も知っていた。
妖忌が深々と一礼する。紫も丁寧な礼で返した。
「おい!そこのババア!」
妖忌に案内するよう言われ後を追いかけてきた妖夢が言ってはいけない言葉を口にしてしまう。
スキマから手を伸ばした紫は妖夢の頬を思い切りつねりあげる。
「あだだだだ!す、すびばせん!」
体罰には慣れっこの妖夢だったが、紫の恐ろしい負のオーラに身の危険を感じて必死に謝りだす。
「今度それ言ったら殺すわよ?」
「はい!もう言いません!」
土下座する妖夢。躾がなってないのは祖父が甘やかすからだと、自分の大人気無さを棚上げする紫。
「ここの主はどこに?」
「たぶん、西行妖のところです。」
「それは、どこ?」
「この楼閣の裏です。一階は吹き抜けだから建物から真っ直ぐ抜けられます。」
「ありがとう。案内はもういいわ。」
「大丈夫ですか?幽々子様の前に出たら殺されますよ?」
「妖夢は平気なの?」
「私とジジ・・・いえ、師匠は大丈夫です。」
「私も大丈夫なのよ。」
そう言って紫は建物に入っていった。
例え死んでも自分には関係ないと、案内の仕事が済んだ妖夢は、師匠のいる階段前に戻った。
「あれ?ジジ・・・じゃなかった師匠はどこいった?おーい!」
それ以後魂魄妖忌を見た者はいない。
建物を抜けると向こうに花も葉もついていない一際目立つ大きな木が見える。異形化して原型を留めていないが、感じる気配から西行妖に間違いない。
「あ・・・。」
桜の下に人影を見た紫の足が止まる。
様々な思いが込み上げてくる。長いようで短い、短いようで長い。この時を待ち望んでいたのに、今は何故か足に根が張ったように動かない。
紫の知っている有子はもういない。あそこにいるのは冥界の狂い姫、無慈悲な殺人鬼と恐れられる西行寺幽々子という亡霊である。
「・・・。」
しばし立ち尽くす紫。溢れ出す感情の渦をどう抑えていいのか分からない。
日を改めようかと弱気になった時、いつもの癖で扇子を無意識にもてあそんでいる事に気付く。
「・・・そうよね。これを届けると約束したのよね・・・。」
有子との最期の時を思い出した紫は、揺れ動いていた心の置き所が決まる。
ゆっくりと歩き出す八雲紫。
師であり祖父である魂魄妖忌の行方を探していた妖夢が楼閣を抜けて裏庭に出たとき、西行妖の下で向かい合う2つの影を見つける。
「幽々子様が・・・笑ってる・・・。」
笑うどころか一言もしゃべらなかった遠くに見える主が笑っている様に見えた妖夢だった。