東方不死死 第37章 「十六夜のままで」
西洋墓場から自宅に帰った藤原妹紅は何時も通り素っ気ない表情で、留守番兼療養を装っている風見幽香の前に現れる。
今朝、香霖堂の前で別れた2人だが、今は夕暮れ時である。幽香はそれまでずっとこうして正座をしていたかのように、その場所に根付いているような印象を受ける。それほど美しい正座姿だった。
「ただいま。」
昨日、幽香に素っ気なく応じた事を思い出した妹紅は、自分から挨拶をする。
「おかえりなさい。」
柔らかい微笑みを浮かべながら返す幽香。会ったばかりの頃は作り笑顔で気持ちが悪かったが、今は自然である。
人間の里では怖がらせないように笑顔を装っていたそうだが、その笑顔が一番恐ろしいというもっぱらの評判で、本人それに気付いていなかった。
妹紅が幽香と付き合う様になって最初に要求したのがその作り笑顔を止めさせることだったのを思い出す。
靴を脱いで縁側に上がり、そこでゴロリと仰向けになって組んだ手を枕にして天井を見つめる。
1時間ほどして妹紅ははっとなって飛び起き辺りを見渡す。
「最近すぐにどっかに行っちゃうのね。」
クスクス笑いながら妹紅のおかしな性癖を指摘する幽香に妹紅は気まずそうに時間を尋ねる。
「今は、夜の7時くらいね。」
腕時計を見ながら分単位まで正確な時間は不要と考え、大雑把に時刻を教える幽香。
溜め息をついた妹紅はまたゴロリと寝ころぶ。その溜め息の意味を図りかねる幽香は最近趣味となった妹紅観察に入る。
しばらくすると妹紅は横臥し幽香を向く。
「今日はどうする?」
お風呂にするとか食事にするとかの話ではない。今晩の魅魔との会合に参加するかどうかの問いである。
「遠慮しておくわ。」
「そう・・・。」
迷いなく即答した幽香の答えを聞いて、紅魔館に関係する魅魔の野望に積極的に荷担する気はないという意思表示と受け取った妹紅は、また仰向けになる。
しばらく思考に没頭していた妹紅はまた、はっとなって飛び起きる。
「9時よ。」
それを見て時間だけ告げる幽香。もう2時間が過ぎている。
今度は起きあがってあぐらをかき、頭を掻いて自分でどうすることもできない性癖にイライラする妹紅。
0時頃の約束なのでまだまだ時間はあるが、魔理沙がずっと起きていると何かと面倒なので、少し早めに段取りした方がいいだろうと考える。
「よし!」
と一声上げて立つ。
「もう行くの?」
「ええ、魔理沙を寝かしつけないとね。」
「いってらっしゃい。がんばってね。」
この光景に既視感を覚える。
昨日も同じ様なシチュエーションだった気がするが、あの時は藍との待ち合わせで、幽香はこちらに同情ともからかいとも取れる態度だった。
そして、妹紅は別れ際に何を言ったか思い出し急に照れくさくなって幽香に背中を向けた。
「・・・いってくる。」
他に返す言い方が思いつかなかった妹紅は、最も陳腐な言葉しか返せなかった。
背後でクスクスと笑う幽香の顔が目に浮かぶ。何となく『負けた』気がした妹紅だった。
家を出た妹紅は、このまま真っ直ぐ霧雨邸に向う。
藤原邸から魔理沙の家まで真っ直ぐ最短で行くなら、東北東の博麗神社方面に里の南東をかすめ田んぼの上を通って香霖堂を左下に見て魔法の森上空から直接行くのが一番近い。
しかし妹紅は慧音の居る里に近付きたくなかったので南東に弧を描くよう里を迂回し、右手に太陽の畑を見ながら魔理沙の家に向かう。
太陽の畑周辺は弾幕戦闘のメッカのような場所で、年中花火のような光が幻想郷の空を賑わせている。その光景は里から良く見えるので、田んぼの外側の土嚢に見物も来る人がいる。
そうした弾幕見物客を狙って、人食い妖怪が東側から出張って来るので注意が必要である。
妹紅は途中、リグル・ナイトバグに遭遇してしまったが、弾幕戦闘を挑まれる様子はなくすれ違っただけだった。
最近のきなくさい雰囲気を感じとってか、弾幕戦闘はここ数日発生していないようである。
考えてみると妹紅が頻繁に竹林の外を飛び回る事自体が珍しい事で、リグル視点で見ればこの辺りで藤原妹紅に遭遇すること自体が異常な事で、ある意味幻想郷の異変を知らせる一つの要因と考えているに違いない。すれ違った時の焦ったような顔が印象に残る。
魔理沙の家についた妹紅は、家の明かりが無い事に気付き留守かと思いつつも一応中を調べる。
ここに来るまで、遠くに博麗神社を見たが明かりは見えなかった。夜9時過ぎともなれば普通は寝る時間である。留守中の魔理沙の行き先としての第一候補、神社の可能性は消える。
家のドアは昨日と同じ、鍵も掛けておらずすんなり中に入れる。
完全に暗闇の中にあった部屋に人の気配がある。
ベッドに近付いた妹紅は、そこで寝ている魔理沙を発見する。
「(いた・・・。)」
ちゃんと寝間着に着替えているところを見ると、急な睡魔で転寝しているわけではなさそうである。
仮死状態にして身体を固定してしまったせいで十分な安眠状態にならなかったのだろう。その疲れが溜まって早寝したと思われる。
二日連続でそれをやり、今日で三日連続となる。
「ごめんね魔理沙。今日で最後にするから・・・。」
口の中でそうつぶやいた妹紅は、パチュリーらが来ると思われる0時付近までそのまま魔理沙を静かに寝かせる事にした。
一度トイレに起き出した魔理沙に見つからないように隠れてやり過ごし、やがて約束の0時が来る。
ほぼ時間通り、複数の気配が家の外に現れる。妹紅は窓の外を見てパチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜の2人を確認した。あの悪魔は今日は来ていないようだ。
「魔理沙・・・。」
負担をかけてしまう魔理沙に詫びを入れて、そっと呪符を胸のあたりに乗せる。
いつものようにすぐに魅魔が現れ、家の外に2人が来ている事を告げると、すぐに中に引き入れた。
昨晩いた風見幽香とルビーという悪魔はいない。その代わり紅魔館のメイド長、十六夜咲夜がいる。
十六夜咲夜をこうして間近で見るのは初めてである。レミリア・スカーレットと共に不死人狩りに来た時は、レミリアのおもちゃにされ、咲夜は後ろで控えてるだけだった。
名前は日本人らしい響きだが、これは予言によって後から付けられた名前である。本当の名前、出身国、人種は不明で、目鼻立ちがしっかりして人間の尺度でいえばかなりの美形であり、東洋人ではないような気がする。
『いざよい』とは『ためらう』という意味で、月齢15日の満月の後に満月より遅い時間に出る月齢16日の月の特徴に例えられて『十六夜』という字をあてている。
満月を主レミリア・スカーレットに例えるなら、咲夜は常に一歩後ろに下がって傅く存在、従者に相応しい名前かもしれない。
妹紅は、十六夜咲夜の様子を見ながらいつも通り様々な分析を行おうとしたが、すぐに彼女の様子がおかしいことに気付く。生気がないもうすぐ死ぬ人間の様に見える。つまり、死相が見えるのである。
昨晩、パチュリー・ノーレッジがここに来た時はあからさまに警戒心を前面に出し、特に妹紅を強く意識していたのとは対照的である。
咲夜は、事前にほとんどの情報をパチュリーから知らされている筈で、ここに来るにあたって何らかの答えを持って来たと思われる。しかし、その表情には力がなく目が虚ろである。
パチュリーに付き添われて人生相談でもしに来たようなそんな頼りい印象を受けた。
これには魅魔もすぐに気付いたらしく、先に声をかけたのは彼女の方だった。
「どうした?」
その問いにパチュリーは一度咲夜を見て、その後一歩前に出て事情を話はじめた。
「ふむ・・・。」
パチュリーが一通り話終えると魅魔は少しの間考え込む。妹紅はそんな魅魔の横顔を見て昼間に体験した西洋墓地での事を思い出す。
一人の女としての魅魔を意識した時、同じ人物でも見え方が違ってくる。この場合決して悪い方に印象が変わったわけではない。むしろ親近感のようなものを覚える。
「ん?どうした?」
その妹紅の視線に気付いた魅魔。
「何かわかった?」
心情を気取られないように魅魔の考えを聞く態度で誤魔化す妹紅。
「これは恐らくブービートラップだな。」
「ブービートラップ?っておろかな罠ってこと?」
パチュリーが意外そうに問い直す?
ブービートラップとは、敵に明け渡した施設や物に仕掛ける罠で、敵がいなくなった事で油断した者が引っかかるというものであるが、魅魔が言うここでのブービートラップとは、一定の条件で発動する置き土産という意味で使った。
「十六夜咲夜が本当の能力を知り、思念界にアクセスする際の危険要素を警告する為に500年以上も前に仕掛けていた罠・・・ということだ。」
柱に持たれてかかっている妹紅が首を振って溜め息をつく。それは眉唾と魅魔の発言を否定する意味ではなく、そんな途方もない仕掛けを500年前に施していたアルカードの深慮遠謀に呆れての態度である。
「にわかに信じがたい事だけど・・・本当なんでしょうね・・・。」
予言書の存在を知り、それが実際に事実となる様をその目で見てきたパチュリーである。受け入れるのが早い。
「ブービートラップは恐らく一つではないだろう。状況によって日数のズレはあるだろうから、似たような罠がいくつもあるのだろう。ただ、どれかが発動すればあとは用済みになるがな。」
「ああ、なんかそんな予言の手品があったわね。」
パチュリーがいくつもの答えを用意する予言の手品の仕掛けに例えて理解する。
「十六夜咲夜よ・・・実際にその目でドッペルゲンガーと会って、その危険性を知ったわけだな?」
「・・・はい。」
ドッペルゲンガーに出会う事自体死の確約のようなものである。
「一応全て咲夜に知って貰ったわ。まさか、昨日の今日でこんな事が起こるなんて出来過ぎで少し怖いけど・・・。」
パチュリーは、まるで咲夜の保護者の様に隣にぴったりと付き添っている。これはパチュリーからというより心細い咲夜がパチュリーに張り付いているといったほうがいいかもしれない。
咲夜に対して事情を説明するのにそれなりに時間がかかるだろうと思っていたが、一番説明しずらい部分を体験してしまったのでその説明は不要となったことは魅魔としては良かったと思っている。体験に勝るものはない。
「運命を紐解く力の恐ろしさ・・・というところね。」
妹紅が他人事の様に言う。その妹紅はその力に自らの死を期待しているが、それを知る者はここにはいない。
「心の整理がついていない様だが時間がない。単刀直入に聞こう。まず一つ。我々の行動について、このまま進めても構わないか?それとも、止めてほしいか?」
「・・・このままで構いません。進めてください。」
それはレミリアの呪いを解いて成人にするという事で、これは予言書に記されている事と同じである。
「うむ。では次。咲夜も予言書に従って行動するか?」
「・・・はい。」
「では次。我々の目的は同じということになる。それは理解しているか?」
「・・・はい。」
力なく応え続ける咲夜。
「うむ。次。同じ目的に対して各々で動きたいか?それとも我々と連携して行動するか?」
この質問に対して咲夜は即答せず一度パチュリーの顔を見る。それを受けてパチュリーは小さく、だが力強く頷いて答えた。
「是非、連携をお願いします。」
「うむ、わかった。」
魅魔は満足そうに頷いて妹紅を見る。
「一応スケジュールだけど、レミリアに関しては私と紫の起こす異変の後ということになるわ。魔理沙を正常に戻せば魅魔を縛る制約がなくなる。細かい事はその後ならいつでも話し合いは出来ると思う。」
妹紅は紅魔館側の意志を確認した事を受けて魅魔と紅魔館の同盟行動についておおよその活動開始時期を知らせる。
「この問題に関しては今ではなく異変の後でも良かったのだが、妹紅が異変後にどうなるか未知数でな。仮に魔理沙の事が失敗し、しかも妹紅が復帰不可能などという事態になれば、咲夜が本当の事を知る事なく寿命で死ぬという可能性もある。だから敢えて今日ここに呼んだのだ。」
「どの道、アルカードのブービートラップが発動してイヤでも巻き込まれたでしょう。」
魅魔の言葉を受けてフォローを入れる妹紅。
「これも全てアルカードの手の内のことなのね。」
魔法の照明光以外何もない天井を見ながら誰に言うわけでもなく、小さな顎に手をあててつぶやくパチュリー。
ある程度話がまとまったのを受けて、妹紅はもたれかかっていた柱から離れて咲夜の前に歩みよった。
「まだ、完全に納得していない顔ね。」
同情するように咲夜の不安を心を汲み取る妹紅。
「・・・ええ。」
「少し時間はかかるだろうな。」
「一つ、個人的な頼みを聞いてもらえないかしら?もしかしたら情報思念体とかいう得体の知れない存在の予備知識を得られるかもしれないし、ドッペルゲンガーとやらを倒せるかもしれない。」
咲夜が、ドッペルゲンガーを倒せるという件ではっとして顔を上げる。
「・・・それはアレか?」
「ええ、アレよ。」
妹紅と魅魔の間ではアレで通じるものとは、妹紅の中に存在する、八雲藍の情報思念体の事である。
「うむ、それは面白そうだな。」
「ミーナ、一体何のこと?」
妹紅は軽く事情を説明した。
「咲夜は、ここに来てから時間を止めた?」
「いいえ、昨日から止めていません。」
昨晩のドッペルゲンガーとの遭遇はかなり咲夜を萎縮させているようである。怖くて止める事ができないのだ。
「なら、少しでいいから止めてみて。」
「え?」
「咲夜、ここは強力な結界の内側よ。ドッペルゲンガーといえどもここには入って来れないわ。」
パチュリーが励ます。昨晩の出来事は咲夜のトラウマになっている。これは何とかして直さないといけない。
「咲夜よ、時間を止めて復帰する時に、我々から見て分かるサインを出してもらえないか?」
「サイン・・・ですか?」
「例えば、手をあげるだけでもいいわ。」
妹紅も魅魔の意見に賛成である。
「分かりました。では、いきます。」
「戻りました。」
咲夜がいきますと言った次の瞬間手を上げた咲夜が戻ったと言う。手を上げたという動きは全く見えなかった。目に見える映像が一瞬で切り替わったように見える。
外から見ている側とすれば、まさに一瞬の出来事で、手で合図をしていなければ時間を止められた事など全く気が付かない。
「は、速いな・・・。」
イメージ的に少し間があるように感じていた妹紅は驚きを隠せない。
「ん?」
この時、十六夜咲夜の表情に大きな変化があることに気付く3人。それは一言でいうなら『驚き』である。
「し、信じられません・・・藤原妹紅のそばに・・・八雲紫がいました・・・。」
「それは紫ではなく、藍だ。」
「藍?でも、あれは間違いなく・・・。」
現在の幻想郷で八雲藍といえば、九尾しかいないので咲夜のリアクションは当然といえる。
「八雲紫には双子の妹いて、彼女の名前が藍。今の九尾の藍は、亡き彼女の名前を引き継いだものなの。」
「そ、そうなのですか・・・。」
思わず顔を見合わせる咲夜とパチュリー。さりげなく凄い秘密が暴露された。
「それで、その藍と話をしてきたの?」
好奇心に満ちたパチュリーの顔が咲夜に迫る。
「いえ、取りあえず何もせず戻ってきました・・・。」
「話しかけてみて。」
「分かりました。」
妹紅に頼まれてまた時間を、いや思念界に向かう咲夜。
世界を入れ替えた咲夜の目に映るものはモノクロの世界である。
この世界では例えばナイフなどの武器で相手の身体を斬る動作はとれても、その世界で血は流れない。止まった世界は全て背景の様なものなのだ。
手から離れたものはその瞬間止まった世界の背景と同化し二度と触れる事は出来なくなる。
この世界が止めた世界ではなく、思念界という異世界だと昨日初めて知った。それを知る直前にフランドール・スカーレットの部屋で有り得ない物を見、有り得ない体験をしたおかげで、それを無理矢理受け入れざるを得なかった。
それはまだ自分の中で消化不良を起こしている状態である。もしかしたらあれは夢だったのかもしれないと・・・。
白い髪と白い服など全体的に明るい色が多い藤原妹紅は、この世界では全体的に白く明るい色に見え非常に目立つ。
その妹紅の背後斜め後ろにどこから見ても八雲紫にしか見えない姿が立っている。立っているというより浮かんでいるといった感じだろうか。若干上下に動いて衣服なども揺らめいて見える。
全てが停止し単一色に変わる世界の中で、自分と八雲藍の姿だけが色彩豊かで動いている存在で、昨夜見たドッペルゲンガー以外で、この世界で動く者を目にするのは2人目となる。
やはり夢ではない。時間が止まっているのではなく、ここは思念界という別世界であり、思念体はその世界では生き物の様に歴として存在しているのだ。思念体という存在自体が稀なので今まで会ったことがないだけで、今も世界のどこかでこうした存在が居続けているのだろう。
咲夜は恐る恐る藍に近付き、声を掛けてみる。
「あの・・・もしもし?」
少し下を向いて目をつむっている藍は咲夜の呼びかけに反応を示さない。話かけられているのを知っていて意図的に無視しているという感じではなく、聞こえていないといった感じである。
寝ているだけかと思って肩を叩いて起こそうと試みたが、結界のようなものに覆われており帯電したドアノブに拒絶されるように衝撃が伸ばした手を跳ね返す。
「迂闊に触ると危険というわけね・・・。」
指先に残る小さな鋭い痛みを感じる咲夜。この世界で初めて痛みを感じたのである。痛みを感じるということは、やはりここで死ぬこともあり得るのだと改めて理解する。
この時の咲夜は、ドッペルゲンガーに襲われた恐怖は無く、未知との遭遇に少し胸がときめいていた。
目の前に浮かぶ八雲藍を観察する。八雲紫と顔は同じだが、何となく違和感がある。間違い探しをするようにしばらくシゲシゲと眺めていた咲夜はその違和感の元を発見した。
衣服が紫のものではなく、九尾の藍の服を着ているのだ。
二人は名前と同じ色柄を服に取り入れており、デザインが同じで色違いのお揃いの服で現れる事がある。紫と藍の服が入れ替わっていたので違和感を感じたのだ。
「それにしても・・・八雲紫とそっくりね・・・。」
咲夜が藍の顔に近づけてそう口にした時だった。突然目を開けた紫、いや藍がこちらに視線を送る。
「!」
驚いた咲夜はドッペルゲンガーの恐怖が蘇り、咄嗟に世界を戻す。
元の世界に戻った咲夜は戻った合図を忘れていたが、立ち位置や姿勢が変わっていたので妹紅達はすぐにわかった。
「大丈夫?」
妹紅のすぐ側に移動していた咲夜は、声を掛けられそちらに振り向く。その表情には恐怖感があり、何事かと訪ねる妹紅。
「・・・いえ大丈夫です。八雲紫という名を出したら突然目を開けてこっちを見たもので・・・少し驚いただけです。」
びびって逃げて来たとは言わず言葉を濁す咲夜。
「ドッペルゲンガーの陰がまとわりつくか・・・。一応情報思念体との対話方法を教えておこう。」
重要な情報を誰かに伝える為にその情報の保存と伝達を行う思念体が情報思念体である。強い想いが残留思念となって自縛霊のような働きをするものもあるが、それは意図してそうなったものではなく、自然にそうなったもので思念体ではあっても、情報思念体ではない。情報思念体はその元となっている人物等が意図的に情報を残すために様々な工夫や仕掛けを施している場合が多く、八雲藍の情報思念体は恐らくそれである。
情報思念体は、無差別に情報を発信している場合が多いが、高度な秘密情報の場合はそれにアクセスできる権利者が限定される。
咲夜が藍と遭遇した時、彼女は眠っている状態だったが、八雲紫というキーワードがトリガーとなって情報提供の準備の為目覚めたと思われる。このキーワードは、生前の藍にまつわる人物の名前などが選ばれているはずであるが、咲夜は図らずも当たりを引いてしまったのである。
咲夜はそれに過剰に反応して戻ってきてしまったというわけであるが、事前にそうした情報を取得していれば逃げ出す事もなかっただろう。
妹紅は、魅魔とパチュリーから情報思念体との交信方法のレクチャーを受けている咲夜をじっと観察した。
初めてメイド服なるものを間近で見る。外側に大きく広がり、動くと中が見えそうな短いスカートだが、中に白いレースの生地が細かい蛇腹に幾重に重なっていて外に少しははみ出し容易に下着は見えない仕組みになっている。襟がパリっと立った白いパフスリーブの半袖シャツの上に蒼いベスト。シャツの袖上はギャザーで丸く柔らかくふくらみ、袖口は外側が割れた堅い生地を折り返して腕の径にフィットするようピンで留める仕組みなっている。
明るい緑色の細いリボン・タイで襟元をさりげなく飾り、所々にリボンと同じ色の緑をワンポイントにあしらっている。
袖の短いシャツなので腕はほとんど露出しており左手首には白いレースの縁がついたベストやスカートと同じ蒼い色のリストバンドをしている。
傷一つ無い艶の美しい黒いパンプスを履き、レースのフリルがついたソックスをくるぶしで折り返している。腕同様足もほとんど露出しており、その左の太腿、スカートからギリギリ見えるところにナイフホルダーを巻いているが見えた。
頭に白いフリルのカチューシャを乗せ、短い銀髪はもみあげのところを三つ編みにしているが、髪質はストレートではなく癖毛のようである。癖毛は三つ編みがあまり綺麗にならない。時間をかけて綺麗にまとめている努力の跡が伺える。
メイドのトレードマークともいえる純白のエプロンが印象的だが、普通エプロンとは衣服を汚れないようにするために着用するものであるが、見たところ汚れ一つなく、このエプロンを含めてそれがメイドのファッションということなのだろう。恐らく水仕事をするときには、割烹着のような大きなエプロンを別に着用するのではないだろうか。
魅魔の隣にいる紫色のガウンというか冬用の寝間着のような地が厚く重そうな服を着ているパチュリーは明らかに俊敏に動く事を諦めているような装束である。中は下着のような薄着でローブなどを羽織るのがいいと思うのだがどうなのだろう?
魅魔のローブはほとんど布皺がなく、まるで金属装甲のような冷たい質感を持っている。しかし簡単に折れ曲がり、特に姿勢に制限を与えるような感じではない。あれは服ではなく霊としての身体の一部なのだろうか?幽香に抱きつかれた時はその部分をゴム質のようにして、その馬鹿力を吸収していた。何にしても魅魔の身体に物理攻撃は全く効果がないことは理解できる。
そんな他人のファッションチェックをしている妹紅の服装はというと、白いカッターシャツにサスペンダーでぶら下げた赤いモンペという非常にシンプルなものでる。モンペは昔から同じものだが、シャツは比較的最近になって換えたものである。
魅魔、パチュリー、咲夜らの会話は意味不明な単語が多く話について行きずらい。咲夜はレクチャーを受けながら何度か思念界とこちらを行き来しつつ要領を得ていく。魔法使いと違って持論を優先させ他人の言葉に耳を傾けないというタイプではないようで、しっかり話を聞いてそれを忠実に実行しているようだ。愚鈍とは正反対に位置する咲夜の表情は次第に精悍さを増す。
情報発信している思念体は、重要な情報にはセキュリティーがかかっており、藍の場合はそのセキュリティを解除するキーワードが『藤原妹紅』であり、継続して対話を続けるには、妹紅に関係するアイテムが必要だという。
思念体は単に情報を発信しているだけで、そこに命ある者としての意識は存在しない。例えば咲夜と藍が情報のやりとりをしたとしても、藍はそれを思い出として記録しているわけではなく、対象が誰で、どれだけの情報をやりとりしたかを機械的に記録するだけである。その情報の交換は咲夜が元の世界に戻った時点でリセットされてしまう。
藍は既にその手間を考慮して、人工的に造った疑似知能によって会話を継続して行い、思念界との行き来をしても会話を継続出来る仕組みを構築していた。
しかし、それを行うには十六夜咲夜が藤原妹紅が派遣した代理人であることを証明しなければならないらしい。そしてそれは何か妹紅と藍にまつわるアイテムらしいのだ。
以上の事が咲夜らの試みで判明したのである。
今まで蚊帳の外だった妹紅に、咲夜はそれが何かを聞きに来る。
明らかに先程までとは表情が違う。これは単なる好奇心を刺激されての事ではなく、藍という存在が咲夜にとっても武器に成り得ると考えたからだろう。
ドッペルゲンガーと相対する時に、もしかしたら藍と咲夜の2対1に持ち込める可能性がある。
「私に関係する道具?」
妹紅は一瞬何の事か理解できなかったが、すぐに思い出した。
「これね。」
そういってリボンを取り咲夜の前に差し出す。ここで魅魔が注意を促した。
「待て、妹紅。全部渡して大丈夫か?分割はできんのか?」
そう言われた妹紅は、大きなリボンではなく、邪魔な横髪を後ろ髪に結んでまとめている小さなリボンの方を外して咲夜に手渡す。
「元々一本のリボンから切って作ったものだから、大丈夫だと思うけど。」
「うむ、それなら問題ないだろう。恐らくそれを藍に持たせている間は情報交換が継続して行えるはずだ。」
「へー。」
ここまで探り当てるのにこちらでは数十分といったところだが、咲夜の時間では3時間は経過している。
藍と咲夜のネットワークを維持するには、そのリボンをずっとあずけたままにしなければならない。大きなリボンの方を渡してしまうと後々困るので、魅魔の対応は助かったと思う妹紅。
「では、お借りします。」
メイドらしく丁寧な仕草でリボンを受け取る。
思念界に移動した咲夜は、2人の魔法使いからレクチャーを受けながら何度もやった手続きをもう一度繰り返して、妹紅にまつわるアイテムの受領手続き前まで交渉を進める。そして、要求されたアイテムと思われる妹紅のリボンを差し出す。
「確かに受領しました。これから先はあなたを藤原妹紅の代理として認め、手続きを省略しましょう。以後あなたを『代理人』と呼びます。」
事務的ではあるが人と会話するように言葉を紡ぎ出す八雲藍の思念体。人工知能によってどんな状況でも適切な答えを瞬時に出せるらしい。もちろん、予め情報交換を行う事を前提にしてそういった仕組みを構築していたから出来る芸当である。
見た目は八雲紫そのままで咲夜としてはあまりいい気分ではないが、贅沢は言っていられない。
自分の力の本来の使い方が何となく見えてきた咲夜は、「あれ」や「これ」といった抽象的な言葉を禁句と魅魔から注意され、丁寧過ぎるほどにしっかりした言葉で話すように心掛けた。
先ず最初に聞いたのが、書面などによる情報交流が出来るかどうかである。又聞きで情報を伝えるよりも速く正確だろう。この質問は是であった。
次に一緒に戦闘することは可能かという質問をする。これも是であった。しかしこれには条件があり、妹紅からあまり離れられないという制限が付く。これは想定済みで問題ない。
戦闘する場合、予め妹紅が側にいる状態か、妹紅のいる場所におびき寄せるかなどの工夫が必要になるとのことで、咲夜が戦闘を強いられる場所はフランドール・スカーレットの部屋近辺となる。ここに妹紅に来て貰えればこの制限はクリア出来る。
また、防衛行動については自動で行うが、攻撃などは対象を指示して具体的に命令する必要があるとのことである。ちなみにドッペルゲンガーは自分自身で倒す必要があるので、その場合藍には動きを止めてもらうことになるだろう。
ドッペルゲンガーの恐怖に押し潰されそうだった咲夜の心に一筋の光明が差す。
「代理人の個人的な目的の為に私を利用する場合、条件が一つあります。」
咲夜はこの世界では妹紅の替わりとして『代理人』と呼ばれる。
「え?」
希望に満ちた咲夜に冷水を浴びせるように思念体の藍が抑揚のない説明口調で条件を付けた。
「その条件とは?」
「代理人が藤原妹紅に対して敵対しないこと。そして協力を惜しまない事です。」
「それは・・・いえ、藤原妹紅の頼み事に対して代理人は協力は惜しみませんし、もちろん対立も致しません。」
この世界では宣誓するようなしっかりとした文章を口にしなければならない。これは誤魔化しが効かない事を意味し、意外に骨が折れる作業である。学がなかったり、言葉遣いが悪いと言葉のキャッチボールにならずに会話が成立しなくなる可能性がある。
「それを約束してださい。」
「え?」
とんでもない条件を出される咲夜。約束する事自体は非常に簡単である。「約束します」と言えばいいだけだから。しかし、逆にそれが簡単過ぎて何か裏があるような気がして即答を躊躇わせる。
「約束してください。」
答えの待ち受けモードになった。この状態になると意思表示をしなければならず、ここで会話を止めて元の世界に戻ると今まで積み重ねた会話内容が全てリセットされてしまう。
リボンを渡して代理人として認証された後は、会話をうち切る時にそう宣言して、藍からパスワードを貰い、再び会話を始める時にそのパスワードを入力すれば、会話を切ったところから再開出来るという仕組みになっている。
答えの待ち受け状態はパスワードを請求できなくなるので、ここで会話は切れない。是非をここで自分で決定しなければならないということである。
咲夜は質問の意味を色々考えて答えを出そうとしたが、初めから考える余地など無かった事に気付く。
「約束します。」
答えはもちろんイエスである。
それを聞いた藍は、右手を咲夜の方に差し出す。契約の握手でもしろと言うことだろうか?しかし、差し出された右手は軽く結んだ状態で握手はできない。
「・・・!」
よく見ると小指が立っている事に気付いた。
「指切りをすればいいの?」
「はい。」
「たったそれだけ?」
「指切りとは自分自身を信用する為の行為。代理人はこの小指を交える事が出来ますか?」
咲夜は指切りをしようと小指を差し出そうとして動きが止まる。
簡単な事だと思った指切りだったが、いざやろうとすると何故か気が引ける。
何かとてつもない重要な契約をする時のような緊張感を覚える。もしこの約束を破った時に、どれほどの代償を支払わなければならないのだろうか?
小指と小指を結ぶだけの簡単な作業なのにどうしてこれほど心を締め付けるのだろうか。
指切りとは、その行為もさることながら、そこに至る経緯も重要である。互いに信頼して行う儀式であり、親しくない者同士がする約束の仕方ではないのである。
この場合、藍は咲夜を一方的に信用しなければならない。そしてそれに応える咲夜は、自らの良心を信用しなければならない。
自らを信用する・・・。指切りとは、相手を信用するのではなく、相手を信用した自分を最後まで信用する事を意味するのである。
藤原妹紅の使いとしてここに来るものを信用する藍。それは妹紅への絶大な信頼がなせる技であろう。まるで、レミリア・スカーレットへの忠誠心を試されているような、いや、主従や友人といった最良の人間関係とは如何なるものかを今ここで教えられているような気分である。
「必ず、妹紅の力になります。」
力強く宣言した十六夜咲夜は八雲紫と同じ顔の藍の小指に自分の小指を強くからめた。
「ありがとう・・・。」
結ばれた小指をしっかりと見据え、様々な事が脳裏をよぎる咲夜だが、不意に優しい言葉をかけられはっとなって顔を上げる。
紅魔館の来客に対して自分がいつもする抑揚のない事務的な応対と同じ声しか彼女の口から聞かなかった咲夜は、その優しさに満ちた声に耳を疑う。
咄嗟に上げた顔の前には先程と同じ八雲紫と同じ顔があるだけであった。
今の声は、自身の心の状態を反映した幻聴だったのだろうか。
妹紅がリボンを咲夜に渡した瞬間、その手からリボンが消え、片方の手を上げる咲夜に一瞬で切り替わる。
咲夜自身は向こう側でそれなりに長い時間を過ごしているわけだが、こちらは1秒も時間は過ぎていない。
魅魔は顔に見せないが、妹紅とパチュリーは咲夜が世界を行き来して戻ったサインを見る度に身体をビクっとさせ「え?もう?」みたいな表情になる。頭では分かっているのだが、なかなか慣れない。これはそこに居なかった人物が突然現れるという驚きとは違った驚きがあるのだ。
戻った咲夜の表情は、ここへ来た時とはまるで別人だった。
「藤原妹紅。」
「ん?」
正面に立って神妙な面持ちでこちらを見る咲夜の様子に思わず背筋を伸ばす。
「ドッペルゲンガーを倒すのに是非、協力をお願い致します。」
そう言ってかしこまって頭を下げる咲夜。
「代償は?」
この言葉は魅魔からだった。
「それは・・・藤原妹紅次第です。」
「・・・私は最初から協力はするつもりだったわ。その代わりとして、藍の助けが欲しいときに十六夜咲夜に協力してもらうつもりだった。」
「いざ妹紅の番という時にすっぽかす事も出来るが・・・。」
「ミーナ!」
咲夜はそんな人間ではないと魅魔の言葉に苦情を言うパチュリーだが、一応釘を刺しておく必要があるとの妹紅への魅魔の配慮である。
「必ず守ると約束します。」
そう言って小指を差し出す咲夜。キョトンとする妹紅。咲夜は少し興奮気味で、その一方で妹紅は冷静であり、2人の感情の温度差が激しい。
「藍さんと、先程約束させられました。」
「・・・なら、私と約束する必要はないわ。いい?指切りは1回の人生で一人一回よ。何度もやってたら有難味が無くなるでしょ?」
「しかし・・・。」
「咲夜の分は大事な人の為に取っておきなさいよ。これは、お互い一回ずつ協力する契約。行って来いのチャラよ。」
妹紅はそう言って咲夜の差し出した小指の前に開いた手を差し出す。
「ありがとうございます。」
咲夜は小指を引っ込め、差し出された妹紅の手を握る。契約成立である。
「うむ。で、ドッペルゲンガー討伐はいつにするつもりだ?」
この魅魔の質問にはパチュリーが答える。
「それなんだけど、レミィには内緒でやったほうがいいでしょ?」
「レミリア次第か・・・。」
「毎晩寝るわけじゃないし、寝たら数日そのままということもあるし、タイミングはその時になってみないとわからないわ。」
「妹様の都合もありますし・・・。」
場所はフランドールの部屋周辺になり事は一瞬ですむだろう。しかし、問題は誰にも気付かずにそこにたどり着けるかである。そうした潜入は妹紅としては造作もないことだが、その技術を持っている事は言いたくないので、何も言わず黙っている事にした。
「ふむ。ま、それはお前達に任せよう。魔理沙にこれ以上負担はかけられないし、私は恐らく今日で一先ず出るのを止めにする。」
魅魔は暇を請い、それに頷いて応える妹紅。
「全て終わればもう隠れる必要はないし、その時は全面的に協力させてもらおう。」
そう言ってパチュリーと別れの抱擁する魅魔だった。
十六夜咲夜とパチュリー・ノーレッジが去った、霧雨魔理沙の部屋。
「色々と済まなかったな。」
「それはお互い様よ。」
「いや、吸血鬼の事はお前にとっては完全に蛇足だろう?」
「紫が吸血鬼を槍玉にあげようとした時点で、その反作用として魅魔を呼び寄せたのよ。運命とやらがね。」
「そうかもしれんな・・・。」
魔理沙の額に優しく手を置いて別れを惜しむように温もりをその身に刻もうとしている魅魔。
「なぁ妹紅。迷惑をかけた続けたついでにもう一つ頼まれてくれないか?」
いつになく神妙な顔をする魅魔。彼女と会ってまだ三日、時間にするならまだ一日も経っていない計算になるが、だいぶ前から知っているような印象を受ける。
「吸血鬼の事なら遠慮しておくわ。」
「吸血鬼・・・というより、十六夜咲夜の件だな。」
「咲夜?」
咲夜はあくまでアルカードの思念体との連絡役で、彼女自身は重要ではない。用が済んだら抹殺しろとでも言うのだろうか?思わず緊張する妹紅。
「実は、アルカードの思念体などというものは存在しない。」
「え?」
さりげなく凄まじい真実を語りだす魅魔。
「ちょ、ちょっと待って!それじゃ話が違うじゃない!」
「慌てるな、話は最後まで聞け。」
「う・・・。」
肩を怒らせて迫ろうとする妹紅をなだめる魅魔。
「アルカードは思念体ではなく、そこに存在しているのだ。」
またしても、凄まじい真実を告白する魅魔。妹紅は何か言いかけてぐっと堪える。
「思念界を形成しているのはレミリアの母、セレーネ・スカーレットだ。そしてアルカードは血晶石となって、セレーネに守られている。」
「・・・。」
「血晶石とは、アルカードの全てが凝縮した血液の宝石だ。」
魅魔はそこまで言って、言葉をそこで一旦切った。
思考の時間を与えられた妹紅はすぐに考えはじめる。
咲夜はセレーネの思念界に行き、そこでアルカードの血晶石を受け取る。それをレミリアに与えるという段取りなのだろう。それがどうかしたというのだろうか?
「レミリア自身は成人することは簡単なのよね?」
「ああ、ただ運命を操る力を持つただの人間になってしまうという重大な副作用があるがな。」
これが呪いの効果を上げる力となっている。常に人間になってしまうという恐怖が精神を圧迫し、強迫に近い自己制限を生み成長しようとする感情を抑制する。
500年間は眠っていた。しかし、その後の60年近い年月は10歳の少女として生活してきた。
パチュリーが着実に心身共に成長していったのとは違い、レミリアは精神面も見た目の年齢と対して変わらない、いや、頑なに変化を拒んできたのだ。
「なるほど・・・まず、呪いを解くと同時にレミリアは一旦人間の成人女性ににする。そこに咲夜が持ち帰った血晶石を与え、アルカードの全てを引き継がせて再び吸血鬼始祖になる。そこに残ったのは、運命を操る力と運命を紐解く力、つまり運命を司る真の王レミリア・スカーレットが誕生する・・・。」
「その通りだ。」
「で、それが何かまずいことなの?こうなる事を願っていたのではないの?魅魔は。」
魅魔が何故かそうなることに問題を感じているような印象を受ける妹紅は、それを問いただす。
「・・・妹紅、もう一度よく考えて見よ。」
「・・・。」
何か抜け落ちたところがあるのだろうか?
人間になったレミリアに、時間の波が押し寄せ一気に老婆を通り越して灰になるとか・・・。いや、それはないだろうと思う。
では、血晶石を紛失、盗難・・・とか。
「・・・あ。」
妹紅はそこで気付いた。と、同時に血の気が引く。
「気付いたか?」
「その血晶石・・・レミリアに渡るとは限らないわね・・・。」
「そう、十六夜咲夜がそれを飲めば、思念界を自由に行き来でき運命を紐解く力を持った新しい始祖が誕生するのだ。」
魅魔の口から血晶石は飲むものという情報を得た。飴玉のようになっているのだろうか。しかしそれにしても、十六夜咲夜がそれを我が物としないという保障が全くない。
妹紅はまず、その力を得た咲夜を想像する。魅魔が言うように、今の咲夜の能力に新しい能力が追加される。そしてさらにレミリアらと同じ吸血鬼始祖になるのだ。
ほぼ無敵に近い肉体と、実質的に時間を止める事と同じ能力を持ち、更に未来を見通せるのだ。ある意味完全な生命体が誕生してしまう。
運命は操る力よりも紐解く力の方が重要だ。紐解けば、力で操らなくても策を弄して操作する事も出来る。
妹紅は次に、咲夜がそうした行動を取る理由を考える。
レミリア・スカーレットに対してどのような忠誠を持っているのだろうか?雇い主と従業員というだけの契約的なものだろうか?何か弱みを握られているとか・・・。
予言書の内容を知っているらしいので、自分がそうした運命を背負い、それを受け入れたということだろう。普通に考えれば、血晶石はレミリアに渡るはず・・・。
「しかし・・・。」
長く生き歴史の様々な場面を見てきた妹紅は、力を目の前にして魔が差し、これまで忠義だけがとりえのような人物が豹変する様を何度も見てきた。
何より、目の前の薬に目がくらみ恩人を切り捨てて不老不死になったのが自分、藤原妹紅である。目の前の強大な力を前にして欲望を抑える事は人間には難しい。
そして、妹紅はもう一つ重要な事、恐らく魅魔が恐れている事に思い至る。
力に目がくらんだ咲夜の未来である。
咲夜が力を欲しない忠義の人であるなら、彼女は人間のままだ。しかし、血晶石を奪って飲むということは欲望に負けたことになる。それはつまり、咲夜の本来の人格やこれまで積み上げた実績、人望、評価が全て崩れ去る事で、完全な別人の誕生を意味するといっていい。
その咲夜が大人しく紅魔館で従者を続けるだろうか?答えは否だ。
恐らく幻想郷に対して害悪となるだろう。
「妹紅、西洋墓場には行ったか?」
「・・・ええ。」
正直に答える妹紅。
「ならば、真の王の役割は知っているな?」
「ええ。」
「私は、真の王を誕生させるという事を第一の目標として、その候補としてかつて愛した男の娘を推しているというわけだ。」
「・・・。」
自ら真実を告白する魅魔。
「十六夜咲夜が真の王となって吸血鬼始祖の英雄達に死を与えるというのなら、私はその結果に関して必ずしも吝かではない。」
「・・・でも。」
「そう、運命を操作できるレミリアでなければ彼らに死の運命(さだめ)は与えられんだろう。」
「真の王としての仕事をする義理は咲夜にはないし、何より予言書通りにならない。」
「うむ。」
「先にそれを警告しておく?」
「いや、それはまずかろう。」
「・・・そうね、やぶ蛇になる可能性が高そうね。」
その情報を知った事で魔が差し、別の運命のシナリオに分岐する可能性もある。
「妹紅、そなたに頼みたいというのは、最悪の結果になった時、咲夜を始末してほしいという事だ。」
「・・・それは、別に私じゃなくても・・・。」
「いや、これは妹紅にしかできん。思念界に行かれては我々は手も足もでないからな。」
「それは私も同じでしょ?」
「いや、お前には藍がいる。妹紅が唯一咲夜の抑止力になれるのだ。」
思念界の咲夜はただの吸血鬼始祖となる。吸血鬼始祖なので簡単に滅ぼす事はできなくとも、藍の持つ結ぶ力で完全に咲夜を封じる事が出来るはずである。
咲夜と同じ能力を持つ個体が生まれるまで、永遠にそのままにしておく事が出来るだろう。そして、そうなることを予測した咲夜は妹紅の前で迂闊に思念界にいけなくなる。そうなれば他の者と協力して咲夜を討伐出来る。
「・・・分かったわ。その時は私が咲夜に引導を渡すわ。たぶんそうはならないとおもうけどね。」
「可能性としては私も非常に小さいものだと思う。しかし、現実はいつも残酷だ。この私自身がその証拠のようなものだしな。」
「それは私もよ。」
「ふ、お互いおかしな星の下に生まれたものだな。」
「幻想郷にはそんなのばっかりよ。それだけに咲夜も・・・ね。」
「咲夜を暴走させない抑止力はレミリアそのものだ。彼女の心の成長を願おう。」
「・・・そのための異変・・・か。」
話はそこで終わるが、妹紅は思考を続けていた。
魅魔という存在は強大である。しかし、その強大な力の源となっているのが娘への愛であり、その強い愛が魅魔を悪魔を取り込んで悪霊にさせたのだ。そしてそれがレミリア、パチュリー、魔理沙などにも注がれているというわけである。
彼女達の為にかなり無茶な事をする。大魔法使い、大賢者である以前に母親である魅魔に対して妹紅は少し心配になる。
魔理沙の事である。今回の異変で魔理沙を一度死なせなければならない。その事実に直面した時、魅魔はそれに耐える事ができるだろうか?
「(魔理沙は元に戻せないかもね・・・。)」
咲夜の暴走を止めるのはレミリア自身だと魅魔は言った。ならば魅魔の暴走を止めるのは魔理沙の心の成長ではないだろうか?
魔理沙が死に直面する時、ただ泣き叫び命を惜しむだろうか?そうなれば魅魔は魔理沙を哀れんで助けるだろう。
いつまでも可愛い娘で子離れ出来ない魅魔に、魔理沙がどんな答えを出すのだろうか。
もう時間がない。もっと時間があれば、レミリアも魔理沙も鍛える事ができるのだが。
魅魔が去った魔理沙の部屋に、しばしたたずむ妹紅だった。
西洋墓場から自宅に帰った藤原妹紅は何時も通り素っ気ない表情で、留守番兼療養を装っている風見幽香の前に現れる。
今朝、香霖堂の前で別れた2人だが、今は夕暮れ時である。幽香はそれまでずっとこうして正座をしていたかのように、その場所に根付いているような印象を受ける。それほど美しい正座姿だった。
「ただいま。」
昨日、幽香に素っ気なく応じた事を思い出した妹紅は、自分から挨拶をする。
「おかえりなさい。」
柔らかい微笑みを浮かべながら返す幽香。会ったばかりの頃は作り笑顔で気持ちが悪かったが、今は自然である。
人間の里では怖がらせないように笑顔を装っていたそうだが、その笑顔が一番恐ろしいというもっぱらの評判で、本人それに気付いていなかった。
妹紅が幽香と付き合う様になって最初に要求したのがその作り笑顔を止めさせることだったのを思い出す。
靴を脱いで縁側に上がり、そこでゴロリと仰向けになって組んだ手を枕にして天井を見つめる。
1時間ほどして妹紅ははっとなって飛び起き辺りを見渡す。
「最近すぐにどっかに行っちゃうのね。」
クスクス笑いながら妹紅のおかしな性癖を指摘する幽香に妹紅は気まずそうに時間を尋ねる。
「今は、夜の7時くらいね。」
腕時計を見ながら分単位まで正確な時間は不要と考え、大雑把に時刻を教える幽香。
溜め息をついた妹紅はまたゴロリと寝ころぶ。その溜め息の意味を図りかねる幽香は最近趣味となった妹紅観察に入る。
しばらくすると妹紅は横臥し幽香を向く。
「今日はどうする?」
お風呂にするとか食事にするとかの話ではない。今晩の魅魔との会合に参加するかどうかの問いである。
「遠慮しておくわ。」
「そう・・・。」
迷いなく即答した幽香の答えを聞いて、紅魔館に関係する魅魔の野望に積極的に荷担する気はないという意思表示と受け取った妹紅は、また仰向けになる。
しばらく思考に没頭していた妹紅はまた、はっとなって飛び起きる。
「9時よ。」
それを見て時間だけ告げる幽香。もう2時間が過ぎている。
今度は起きあがってあぐらをかき、頭を掻いて自分でどうすることもできない性癖にイライラする妹紅。
0時頃の約束なのでまだまだ時間はあるが、魔理沙がずっと起きていると何かと面倒なので、少し早めに段取りした方がいいだろうと考える。
「よし!」
と一声上げて立つ。
「もう行くの?」
「ええ、魔理沙を寝かしつけないとね。」
「いってらっしゃい。がんばってね。」
この光景に既視感を覚える。
昨日も同じ様なシチュエーションだった気がするが、あの時は藍との待ち合わせで、幽香はこちらに同情ともからかいとも取れる態度だった。
そして、妹紅は別れ際に何を言ったか思い出し急に照れくさくなって幽香に背中を向けた。
「・・・いってくる。」
他に返す言い方が思いつかなかった妹紅は、最も陳腐な言葉しか返せなかった。
背後でクスクスと笑う幽香の顔が目に浮かぶ。何となく『負けた』気がした妹紅だった。
家を出た妹紅は、このまま真っ直ぐ霧雨邸に向う。
藤原邸から魔理沙の家まで真っ直ぐ最短で行くなら、東北東の博麗神社方面に里の南東をかすめ田んぼの上を通って香霖堂を左下に見て魔法の森上空から直接行くのが一番近い。
しかし妹紅は慧音の居る里に近付きたくなかったので南東に弧を描くよう里を迂回し、右手に太陽の畑を見ながら魔理沙の家に向かう。
太陽の畑周辺は弾幕戦闘のメッカのような場所で、年中花火のような光が幻想郷の空を賑わせている。その光景は里から良く見えるので、田んぼの外側の土嚢に見物も来る人がいる。
そうした弾幕見物客を狙って、人食い妖怪が東側から出張って来るので注意が必要である。
妹紅は途中、リグル・ナイトバグに遭遇してしまったが、弾幕戦闘を挑まれる様子はなくすれ違っただけだった。
最近のきなくさい雰囲気を感じとってか、弾幕戦闘はここ数日発生していないようである。
考えてみると妹紅が頻繁に竹林の外を飛び回る事自体が珍しい事で、リグル視点で見ればこの辺りで藤原妹紅に遭遇すること自体が異常な事で、ある意味幻想郷の異変を知らせる一つの要因と考えているに違いない。すれ違った時の焦ったような顔が印象に残る。
魔理沙の家についた妹紅は、家の明かりが無い事に気付き留守かと思いつつも一応中を調べる。
ここに来るまで、遠くに博麗神社を見たが明かりは見えなかった。夜9時過ぎともなれば普通は寝る時間である。留守中の魔理沙の行き先としての第一候補、神社の可能性は消える。
家のドアは昨日と同じ、鍵も掛けておらずすんなり中に入れる。
完全に暗闇の中にあった部屋に人の気配がある。
ベッドに近付いた妹紅は、そこで寝ている魔理沙を発見する。
「(いた・・・。)」
ちゃんと寝間着に着替えているところを見ると、急な睡魔で転寝しているわけではなさそうである。
仮死状態にして身体を固定してしまったせいで十分な安眠状態にならなかったのだろう。その疲れが溜まって早寝したと思われる。
二日連続でそれをやり、今日で三日連続となる。
「ごめんね魔理沙。今日で最後にするから・・・。」
口の中でそうつぶやいた妹紅は、パチュリーらが来ると思われる0時付近までそのまま魔理沙を静かに寝かせる事にした。
一度トイレに起き出した魔理沙に見つからないように隠れてやり過ごし、やがて約束の0時が来る。
ほぼ時間通り、複数の気配が家の外に現れる。妹紅は窓の外を見てパチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜の2人を確認した。あの悪魔は今日は来ていないようだ。
「魔理沙・・・。」
負担をかけてしまう魔理沙に詫びを入れて、そっと呪符を胸のあたりに乗せる。
いつものようにすぐに魅魔が現れ、家の外に2人が来ている事を告げると、すぐに中に引き入れた。
昨晩いた風見幽香とルビーという悪魔はいない。その代わり紅魔館のメイド長、十六夜咲夜がいる。
十六夜咲夜をこうして間近で見るのは初めてである。レミリア・スカーレットと共に不死人狩りに来た時は、レミリアのおもちゃにされ、咲夜は後ろで控えてるだけだった。
名前は日本人らしい響きだが、これは予言によって後から付けられた名前である。本当の名前、出身国、人種は不明で、目鼻立ちがしっかりして人間の尺度でいえばかなりの美形であり、東洋人ではないような気がする。
『いざよい』とは『ためらう』という意味で、月齢15日の満月の後に満月より遅い時間に出る月齢16日の月の特徴に例えられて『十六夜』という字をあてている。
満月を主レミリア・スカーレットに例えるなら、咲夜は常に一歩後ろに下がって傅く存在、従者に相応しい名前かもしれない。
妹紅は、十六夜咲夜の様子を見ながらいつも通り様々な分析を行おうとしたが、すぐに彼女の様子がおかしいことに気付く。生気がないもうすぐ死ぬ人間の様に見える。つまり、死相が見えるのである。
昨晩、パチュリー・ノーレッジがここに来た時はあからさまに警戒心を前面に出し、特に妹紅を強く意識していたのとは対照的である。
咲夜は、事前にほとんどの情報をパチュリーから知らされている筈で、ここに来るにあたって何らかの答えを持って来たと思われる。しかし、その表情には力がなく目が虚ろである。
パチュリーに付き添われて人生相談でもしに来たようなそんな頼りい印象を受けた。
これには魅魔もすぐに気付いたらしく、先に声をかけたのは彼女の方だった。
「どうした?」
その問いにパチュリーは一度咲夜を見て、その後一歩前に出て事情を話はじめた。
「ふむ・・・。」
パチュリーが一通り話終えると魅魔は少しの間考え込む。妹紅はそんな魅魔の横顔を見て昼間に体験した西洋墓地での事を思い出す。
一人の女としての魅魔を意識した時、同じ人物でも見え方が違ってくる。この場合決して悪い方に印象が変わったわけではない。むしろ親近感のようなものを覚える。
「ん?どうした?」
その妹紅の視線に気付いた魅魔。
「何かわかった?」
心情を気取られないように魅魔の考えを聞く態度で誤魔化す妹紅。
「これは恐らくブービートラップだな。」
「ブービートラップ?っておろかな罠ってこと?」
パチュリーが意外そうに問い直す?
ブービートラップとは、敵に明け渡した施設や物に仕掛ける罠で、敵がいなくなった事で油断した者が引っかかるというものであるが、魅魔が言うここでのブービートラップとは、一定の条件で発動する置き土産という意味で使った。
「十六夜咲夜が本当の能力を知り、思念界にアクセスする際の危険要素を警告する為に500年以上も前に仕掛けていた罠・・・ということだ。」
柱に持たれてかかっている妹紅が首を振って溜め息をつく。それは眉唾と魅魔の発言を否定する意味ではなく、そんな途方もない仕掛けを500年前に施していたアルカードの深慮遠謀に呆れての態度である。
「にわかに信じがたい事だけど・・・本当なんでしょうね・・・。」
予言書の存在を知り、それが実際に事実となる様をその目で見てきたパチュリーである。受け入れるのが早い。
「ブービートラップは恐らく一つではないだろう。状況によって日数のズレはあるだろうから、似たような罠がいくつもあるのだろう。ただ、どれかが発動すればあとは用済みになるがな。」
「ああ、なんかそんな予言の手品があったわね。」
パチュリーがいくつもの答えを用意する予言の手品の仕掛けに例えて理解する。
「十六夜咲夜よ・・・実際にその目でドッペルゲンガーと会って、その危険性を知ったわけだな?」
「・・・はい。」
ドッペルゲンガーに出会う事自体死の確約のようなものである。
「一応全て咲夜に知って貰ったわ。まさか、昨日の今日でこんな事が起こるなんて出来過ぎで少し怖いけど・・・。」
パチュリーは、まるで咲夜の保護者の様に隣にぴったりと付き添っている。これはパチュリーからというより心細い咲夜がパチュリーに張り付いているといったほうがいいかもしれない。
咲夜に対して事情を説明するのにそれなりに時間がかかるだろうと思っていたが、一番説明しずらい部分を体験してしまったのでその説明は不要となったことは魅魔としては良かったと思っている。体験に勝るものはない。
「運命を紐解く力の恐ろしさ・・・というところね。」
妹紅が他人事の様に言う。その妹紅はその力に自らの死を期待しているが、それを知る者はここにはいない。
「心の整理がついていない様だが時間がない。単刀直入に聞こう。まず一つ。我々の行動について、このまま進めても構わないか?それとも、止めてほしいか?」
「・・・このままで構いません。進めてください。」
それはレミリアの呪いを解いて成人にするという事で、これは予言書に記されている事と同じである。
「うむ。では次。咲夜も予言書に従って行動するか?」
「・・・はい。」
「では次。我々の目的は同じということになる。それは理解しているか?」
「・・・はい。」
力なく応え続ける咲夜。
「うむ。次。同じ目的に対して各々で動きたいか?それとも我々と連携して行動するか?」
この質問に対して咲夜は即答せず一度パチュリーの顔を見る。それを受けてパチュリーは小さく、だが力強く頷いて答えた。
「是非、連携をお願いします。」
「うむ、わかった。」
魅魔は満足そうに頷いて妹紅を見る。
「一応スケジュールだけど、レミリアに関しては私と紫の起こす異変の後ということになるわ。魔理沙を正常に戻せば魅魔を縛る制約がなくなる。細かい事はその後ならいつでも話し合いは出来ると思う。」
妹紅は紅魔館側の意志を確認した事を受けて魅魔と紅魔館の同盟行動についておおよその活動開始時期を知らせる。
「この問題に関しては今ではなく異変の後でも良かったのだが、妹紅が異変後にどうなるか未知数でな。仮に魔理沙の事が失敗し、しかも妹紅が復帰不可能などという事態になれば、咲夜が本当の事を知る事なく寿命で死ぬという可能性もある。だから敢えて今日ここに呼んだのだ。」
「どの道、アルカードのブービートラップが発動してイヤでも巻き込まれたでしょう。」
魅魔の言葉を受けてフォローを入れる妹紅。
「これも全てアルカードの手の内のことなのね。」
魔法の照明光以外何もない天井を見ながら誰に言うわけでもなく、小さな顎に手をあててつぶやくパチュリー。
ある程度話がまとまったのを受けて、妹紅はもたれかかっていた柱から離れて咲夜の前に歩みよった。
「まだ、完全に納得していない顔ね。」
同情するように咲夜の不安を心を汲み取る妹紅。
「・・・ええ。」
「少し時間はかかるだろうな。」
「一つ、個人的な頼みを聞いてもらえないかしら?もしかしたら情報思念体とかいう得体の知れない存在の予備知識を得られるかもしれないし、ドッペルゲンガーとやらを倒せるかもしれない。」
咲夜が、ドッペルゲンガーを倒せるという件ではっとして顔を上げる。
「・・・それはアレか?」
「ええ、アレよ。」
妹紅と魅魔の間ではアレで通じるものとは、妹紅の中に存在する、八雲藍の情報思念体の事である。
「うむ、それは面白そうだな。」
「ミーナ、一体何のこと?」
妹紅は軽く事情を説明した。
「咲夜は、ここに来てから時間を止めた?」
「いいえ、昨日から止めていません。」
昨晩のドッペルゲンガーとの遭遇はかなり咲夜を萎縮させているようである。怖くて止める事ができないのだ。
「なら、少しでいいから止めてみて。」
「え?」
「咲夜、ここは強力な結界の内側よ。ドッペルゲンガーといえどもここには入って来れないわ。」
パチュリーが励ます。昨晩の出来事は咲夜のトラウマになっている。これは何とかして直さないといけない。
「咲夜よ、時間を止めて復帰する時に、我々から見て分かるサインを出してもらえないか?」
「サイン・・・ですか?」
「例えば、手をあげるだけでもいいわ。」
妹紅も魅魔の意見に賛成である。
「分かりました。では、いきます。」
「戻りました。」
咲夜がいきますと言った次の瞬間手を上げた咲夜が戻ったと言う。手を上げたという動きは全く見えなかった。目に見える映像が一瞬で切り替わったように見える。
外から見ている側とすれば、まさに一瞬の出来事で、手で合図をしていなければ時間を止められた事など全く気が付かない。
「は、速いな・・・。」
イメージ的に少し間があるように感じていた妹紅は驚きを隠せない。
「ん?」
この時、十六夜咲夜の表情に大きな変化があることに気付く3人。それは一言でいうなら『驚き』である。
「し、信じられません・・・藤原妹紅のそばに・・・八雲紫がいました・・・。」
「それは紫ではなく、藍だ。」
「藍?でも、あれは間違いなく・・・。」
現在の幻想郷で八雲藍といえば、九尾しかいないので咲夜のリアクションは当然といえる。
「八雲紫には双子の妹いて、彼女の名前が藍。今の九尾の藍は、亡き彼女の名前を引き継いだものなの。」
「そ、そうなのですか・・・。」
思わず顔を見合わせる咲夜とパチュリー。さりげなく凄い秘密が暴露された。
「それで、その藍と話をしてきたの?」
好奇心に満ちたパチュリーの顔が咲夜に迫る。
「いえ、取りあえず何もせず戻ってきました・・・。」
「話しかけてみて。」
「分かりました。」
妹紅に頼まれてまた時間を、いや思念界に向かう咲夜。
世界を入れ替えた咲夜の目に映るものはモノクロの世界である。
この世界では例えばナイフなどの武器で相手の身体を斬る動作はとれても、その世界で血は流れない。止まった世界は全て背景の様なものなのだ。
手から離れたものはその瞬間止まった世界の背景と同化し二度と触れる事は出来なくなる。
この世界が止めた世界ではなく、思念界という異世界だと昨日初めて知った。それを知る直前にフランドール・スカーレットの部屋で有り得ない物を見、有り得ない体験をしたおかげで、それを無理矢理受け入れざるを得なかった。
それはまだ自分の中で消化不良を起こしている状態である。もしかしたらあれは夢だったのかもしれないと・・・。
白い髪と白い服など全体的に明るい色が多い藤原妹紅は、この世界では全体的に白く明るい色に見え非常に目立つ。
その妹紅の背後斜め後ろにどこから見ても八雲紫にしか見えない姿が立っている。立っているというより浮かんでいるといった感じだろうか。若干上下に動いて衣服なども揺らめいて見える。
全てが停止し単一色に変わる世界の中で、自分と八雲藍の姿だけが色彩豊かで動いている存在で、昨夜見たドッペルゲンガー以外で、この世界で動く者を目にするのは2人目となる。
やはり夢ではない。時間が止まっているのではなく、ここは思念界という別世界であり、思念体はその世界では生き物の様に歴として存在しているのだ。思念体という存在自体が稀なので今まで会ったことがないだけで、今も世界のどこかでこうした存在が居続けているのだろう。
咲夜は恐る恐る藍に近付き、声を掛けてみる。
「あの・・・もしもし?」
少し下を向いて目をつむっている藍は咲夜の呼びかけに反応を示さない。話かけられているのを知っていて意図的に無視しているという感じではなく、聞こえていないといった感じである。
寝ているだけかと思って肩を叩いて起こそうと試みたが、結界のようなものに覆われており帯電したドアノブに拒絶されるように衝撃が伸ばした手を跳ね返す。
「迂闊に触ると危険というわけね・・・。」
指先に残る小さな鋭い痛みを感じる咲夜。この世界で初めて痛みを感じたのである。痛みを感じるということは、やはりここで死ぬこともあり得るのだと改めて理解する。
この時の咲夜は、ドッペルゲンガーに襲われた恐怖は無く、未知との遭遇に少し胸がときめいていた。
目の前に浮かぶ八雲藍を観察する。八雲紫と顔は同じだが、何となく違和感がある。間違い探しをするようにしばらくシゲシゲと眺めていた咲夜はその違和感の元を発見した。
衣服が紫のものではなく、九尾の藍の服を着ているのだ。
二人は名前と同じ色柄を服に取り入れており、デザインが同じで色違いのお揃いの服で現れる事がある。紫と藍の服が入れ替わっていたので違和感を感じたのだ。
「それにしても・・・八雲紫とそっくりね・・・。」
咲夜が藍の顔に近づけてそう口にした時だった。突然目を開けた紫、いや藍がこちらに視線を送る。
「!」
驚いた咲夜はドッペルゲンガーの恐怖が蘇り、咄嗟に世界を戻す。
元の世界に戻った咲夜は戻った合図を忘れていたが、立ち位置や姿勢が変わっていたので妹紅達はすぐにわかった。
「大丈夫?」
妹紅のすぐ側に移動していた咲夜は、声を掛けられそちらに振り向く。その表情には恐怖感があり、何事かと訪ねる妹紅。
「・・・いえ大丈夫です。八雲紫という名を出したら突然目を開けてこっちを見たもので・・・少し驚いただけです。」
びびって逃げて来たとは言わず言葉を濁す咲夜。
「ドッペルゲンガーの陰がまとわりつくか・・・。一応情報思念体との対話方法を教えておこう。」
重要な情報を誰かに伝える為にその情報の保存と伝達を行う思念体が情報思念体である。強い想いが残留思念となって自縛霊のような働きをするものもあるが、それは意図してそうなったものではなく、自然にそうなったもので思念体ではあっても、情報思念体ではない。情報思念体はその元となっている人物等が意図的に情報を残すために様々な工夫や仕掛けを施している場合が多く、八雲藍の情報思念体は恐らくそれである。
情報思念体は、無差別に情報を発信している場合が多いが、高度な秘密情報の場合はそれにアクセスできる権利者が限定される。
咲夜が藍と遭遇した時、彼女は眠っている状態だったが、八雲紫というキーワードがトリガーとなって情報提供の準備の為目覚めたと思われる。このキーワードは、生前の藍にまつわる人物の名前などが選ばれているはずであるが、咲夜は図らずも当たりを引いてしまったのである。
咲夜はそれに過剰に反応して戻ってきてしまったというわけであるが、事前にそうした情報を取得していれば逃げ出す事もなかっただろう。
妹紅は、魅魔とパチュリーから情報思念体との交信方法のレクチャーを受けている咲夜をじっと観察した。
初めてメイド服なるものを間近で見る。外側に大きく広がり、動くと中が見えそうな短いスカートだが、中に白いレースの生地が細かい蛇腹に幾重に重なっていて外に少しははみ出し容易に下着は見えない仕組みになっている。襟がパリっと立った白いパフスリーブの半袖シャツの上に蒼いベスト。シャツの袖上はギャザーで丸く柔らかくふくらみ、袖口は外側が割れた堅い生地を折り返して腕の径にフィットするようピンで留める仕組みなっている。
明るい緑色の細いリボン・タイで襟元をさりげなく飾り、所々にリボンと同じ色の緑をワンポイントにあしらっている。
袖の短いシャツなので腕はほとんど露出しており左手首には白いレースの縁がついたベストやスカートと同じ蒼い色のリストバンドをしている。
傷一つ無い艶の美しい黒いパンプスを履き、レースのフリルがついたソックスをくるぶしで折り返している。腕同様足もほとんど露出しており、その左の太腿、スカートからギリギリ見えるところにナイフホルダーを巻いているが見えた。
頭に白いフリルのカチューシャを乗せ、短い銀髪はもみあげのところを三つ編みにしているが、髪質はストレートではなく癖毛のようである。癖毛は三つ編みがあまり綺麗にならない。時間をかけて綺麗にまとめている努力の跡が伺える。
メイドのトレードマークともいえる純白のエプロンが印象的だが、普通エプロンとは衣服を汚れないようにするために着用するものであるが、見たところ汚れ一つなく、このエプロンを含めてそれがメイドのファッションということなのだろう。恐らく水仕事をするときには、割烹着のような大きなエプロンを別に着用するのではないだろうか。
魅魔の隣にいる紫色のガウンというか冬用の寝間着のような地が厚く重そうな服を着ているパチュリーは明らかに俊敏に動く事を諦めているような装束である。中は下着のような薄着でローブなどを羽織るのがいいと思うのだがどうなのだろう?
魅魔のローブはほとんど布皺がなく、まるで金属装甲のような冷たい質感を持っている。しかし簡単に折れ曲がり、特に姿勢に制限を与えるような感じではない。あれは服ではなく霊としての身体の一部なのだろうか?幽香に抱きつかれた時はその部分をゴム質のようにして、その馬鹿力を吸収していた。何にしても魅魔の身体に物理攻撃は全く効果がないことは理解できる。
そんな他人のファッションチェックをしている妹紅の服装はというと、白いカッターシャツにサスペンダーでぶら下げた赤いモンペという非常にシンプルなものでる。モンペは昔から同じものだが、シャツは比較的最近になって換えたものである。
魅魔、パチュリー、咲夜らの会話は意味不明な単語が多く話について行きずらい。咲夜はレクチャーを受けながら何度か思念界とこちらを行き来しつつ要領を得ていく。魔法使いと違って持論を優先させ他人の言葉に耳を傾けないというタイプではないようで、しっかり話を聞いてそれを忠実に実行しているようだ。愚鈍とは正反対に位置する咲夜の表情は次第に精悍さを増す。
情報発信している思念体は、重要な情報にはセキュリティーがかかっており、藍の場合はそのセキュリティを解除するキーワードが『藤原妹紅』であり、継続して対話を続けるには、妹紅に関係するアイテムが必要だという。
思念体は単に情報を発信しているだけで、そこに命ある者としての意識は存在しない。例えば咲夜と藍が情報のやりとりをしたとしても、藍はそれを思い出として記録しているわけではなく、対象が誰で、どれだけの情報をやりとりしたかを機械的に記録するだけである。その情報の交換は咲夜が元の世界に戻った時点でリセットされてしまう。
藍は既にその手間を考慮して、人工的に造った疑似知能によって会話を継続して行い、思念界との行き来をしても会話を継続出来る仕組みを構築していた。
しかし、それを行うには十六夜咲夜が藤原妹紅が派遣した代理人であることを証明しなければならないらしい。そしてそれは何か妹紅と藍にまつわるアイテムらしいのだ。
以上の事が咲夜らの試みで判明したのである。
今まで蚊帳の外だった妹紅に、咲夜はそれが何かを聞きに来る。
明らかに先程までとは表情が違う。これは単なる好奇心を刺激されての事ではなく、藍という存在が咲夜にとっても武器に成り得ると考えたからだろう。
ドッペルゲンガーと相対する時に、もしかしたら藍と咲夜の2対1に持ち込める可能性がある。
「私に関係する道具?」
妹紅は一瞬何の事か理解できなかったが、すぐに思い出した。
「これね。」
そういってリボンを取り咲夜の前に差し出す。ここで魅魔が注意を促した。
「待て、妹紅。全部渡して大丈夫か?分割はできんのか?」
そう言われた妹紅は、大きなリボンではなく、邪魔な横髪を後ろ髪に結んでまとめている小さなリボンの方を外して咲夜に手渡す。
「元々一本のリボンから切って作ったものだから、大丈夫だと思うけど。」
「うむ、それなら問題ないだろう。恐らくそれを藍に持たせている間は情報交換が継続して行えるはずだ。」
「へー。」
ここまで探り当てるのにこちらでは数十分といったところだが、咲夜の時間では3時間は経過している。
藍と咲夜のネットワークを維持するには、そのリボンをずっとあずけたままにしなければならない。大きなリボンの方を渡してしまうと後々困るので、魅魔の対応は助かったと思う妹紅。
「では、お借りします。」
メイドらしく丁寧な仕草でリボンを受け取る。
思念界に移動した咲夜は、2人の魔法使いからレクチャーを受けながら何度もやった手続きをもう一度繰り返して、妹紅にまつわるアイテムの受領手続き前まで交渉を進める。そして、要求されたアイテムと思われる妹紅のリボンを差し出す。
「確かに受領しました。これから先はあなたを藤原妹紅の代理として認め、手続きを省略しましょう。以後あなたを『代理人』と呼びます。」
事務的ではあるが人と会話するように言葉を紡ぎ出す八雲藍の思念体。人工知能によってどんな状況でも適切な答えを瞬時に出せるらしい。もちろん、予め情報交換を行う事を前提にしてそういった仕組みを構築していたから出来る芸当である。
見た目は八雲紫そのままで咲夜としてはあまりいい気分ではないが、贅沢は言っていられない。
自分の力の本来の使い方が何となく見えてきた咲夜は、「あれ」や「これ」といった抽象的な言葉を禁句と魅魔から注意され、丁寧過ぎるほどにしっかりした言葉で話すように心掛けた。
先ず最初に聞いたのが、書面などによる情報交流が出来るかどうかである。又聞きで情報を伝えるよりも速く正確だろう。この質問は是であった。
次に一緒に戦闘することは可能かという質問をする。これも是であった。しかしこれには条件があり、妹紅からあまり離れられないという制限が付く。これは想定済みで問題ない。
戦闘する場合、予め妹紅が側にいる状態か、妹紅のいる場所におびき寄せるかなどの工夫が必要になるとのことで、咲夜が戦闘を強いられる場所はフランドール・スカーレットの部屋近辺となる。ここに妹紅に来て貰えればこの制限はクリア出来る。
また、防衛行動については自動で行うが、攻撃などは対象を指示して具体的に命令する必要があるとのことである。ちなみにドッペルゲンガーは自分自身で倒す必要があるので、その場合藍には動きを止めてもらうことになるだろう。
ドッペルゲンガーの恐怖に押し潰されそうだった咲夜の心に一筋の光明が差す。
「代理人の個人的な目的の為に私を利用する場合、条件が一つあります。」
咲夜はこの世界では妹紅の替わりとして『代理人』と呼ばれる。
「え?」
希望に満ちた咲夜に冷水を浴びせるように思念体の藍が抑揚のない説明口調で条件を付けた。
「その条件とは?」
「代理人が藤原妹紅に対して敵対しないこと。そして協力を惜しまない事です。」
「それは・・・いえ、藤原妹紅の頼み事に対して代理人は協力は惜しみませんし、もちろん対立も致しません。」
この世界では宣誓するようなしっかりとした文章を口にしなければならない。これは誤魔化しが効かない事を意味し、意外に骨が折れる作業である。学がなかったり、言葉遣いが悪いと言葉のキャッチボールにならずに会話が成立しなくなる可能性がある。
「それを約束してださい。」
「え?」
とんでもない条件を出される咲夜。約束する事自体は非常に簡単である。「約束します」と言えばいいだけだから。しかし、逆にそれが簡単過ぎて何か裏があるような気がして即答を躊躇わせる。
「約束してください。」
答えの待ち受けモードになった。この状態になると意思表示をしなければならず、ここで会話を止めて元の世界に戻ると今まで積み重ねた会話内容が全てリセットされてしまう。
リボンを渡して代理人として認証された後は、会話をうち切る時にそう宣言して、藍からパスワードを貰い、再び会話を始める時にそのパスワードを入力すれば、会話を切ったところから再開出来るという仕組みになっている。
答えの待ち受け状態はパスワードを請求できなくなるので、ここで会話は切れない。是非をここで自分で決定しなければならないということである。
咲夜は質問の意味を色々考えて答えを出そうとしたが、初めから考える余地など無かった事に気付く。
「約束します。」
答えはもちろんイエスである。
それを聞いた藍は、右手を咲夜の方に差し出す。契約の握手でもしろと言うことだろうか?しかし、差し出された右手は軽く結んだ状態で握手はできない。
「・・・!」
よく見ると小指が立っている事に気付いた。
「指切りをすればいいの?」
「はい。」
「たったそれだけ?」
「指切りとは自分自身を信用する為の行為。代理人はこの小指を交える事が出来ますか?」
咲夜は指切りをしようと小指を差し出そうとして動きが止まる。
簡単な事だと思った指切りだったが、いざやろうとすると何故か気が引ける。
何かとてつもない重要な契約をする時のような緊張感を覚える。もしこの約束を破った時に、どれほどの代償を支払わなければならないのだろうか?
小指と小指を結ぶだけの簡単な作業なのにどうしてこれほど心を締め付けるのだろうか。
指切りとは、その行為もさることながら、そこに至る経緯も重要である。互いに信頼して行う儀式であり、親しくない者同士がする約束の仕方ではないのである。
この場合、藍は咲夜を一方的に信用しなければならない。そしてそれに応える咲夜は、自らの良心を信用しなければならない。
自らを信用する・・・。指切りとは、相手を信用するのではなく、相手を信用した自分を最後まで信用する事を意味するのである。
藤原妹紅の使いとしてここに来るものを信用する藍。それは妹紅への絶大な信頼がなせる技であろう。まるで、レミリア・スカーレットへの忠誠心を試されているような、いや、主従や友人といった最良の人間関係とは如何なるものかを今ここで教えられているような気分である。
「必ず、妹紅の力になります。」
力強く宣言した十六夜咲夜は八雲紫と同じ顔の藍の小指に自分の小指を強くからめた。
「ありがとう・・・。」
結ばれた小指をしっかりと見据え、様々な事が脳裏をよぎる咲夜だが、不意に優しい言葉をかけられはっとなって顔を上げる。
紅魔館の来客に対して自分がいつもする抑揚のない事務的な応対と同じ声しか彼女の口から聞かなかった咲夜は、その優しさに満ちた声に耳を疑う。
咄嗟に上げた顔の前には先程と同じ八雲紫と同じ顔があるだけであった。
今の声は、自身の心の状態を反映した幻聴だったのだろうか。
妹紅がリボンを咲夜に渡した瞬間、その手からリボンが消え、片方の手を上げる咲夜に一瞬で切り替わる。
咲夜自身は向こう側でそれなりに長い時間を過ごしているわけだが、こちらは1秒も時間は過ぎていない。
魅魔は顔に見せないが、妹紅とパチュリーは咲夜が世界を行き来して戻ったサインを見る度に身体をビクっとさせ「え?もう?」みたいな表情になる。頭では分かっているのだが、なかなか慣れない。これはそこに居なかった人物が突然現れるという驚きとは違った驚きがあるのだ。
戻った咲夜の表情は、ここへ来た時とはまるで別人だった。
「藤原妹紅。」
「ん?」
正面に立って神妙な面持ちでこちらを見る咲夜の様子に思わず背筋を伸ばす。
「ドッペルゲンガーを倒すのに是非、協力をお願い致します。」
そう言ってかしこまって頭を下げる咲夜。
「代償は?」
この言葉は魅魔からだった。
「それは・・・藤原妹紅次第です。」
「・・・私は最初から協力はするつもりだったわ。その代わりとして、藍の助けが欲しいときに十六夜咲夜に協力してもらうつもりだった。」
「いざ妹紅の番という時にすっぽかす事も出来るが・・・。」
「ミーナ!」
咲夜はそんな人間ではないと魅魔の言葉に苦情を言うパチュリーだが、一応釘を刺しておく必要があるとの妹紅への魅魔の配慮である。
「必ず守ると約束します。」
そう言って小指を差し出す咲夜。キョトンとする妹紅。咲夜は少し興奮気味で、その一方で妹紅は冷静であり、2人の感情の温度差が激しい。
「藍さんと、先程約束させられました。」
「・・・なら、私と約束する必要はないわ。いい?指切りは1回の人生で一人一回よ。何度もやってたら有難味が無くなるでしょ?」
「しかし・・・。」
「咲夜の分は大事な人の為に取っておきなさいよ。これは、お互い一回ずつ協力する契約。行って来いのチャラよ。」
妹紅はそう言って咲夜の差し出した小指の前に開いた手を差し出す。
「ありがとうございます。」
咲夜は小指を引っ込め、差し出された妹紅の手を握る。契約成立である。
「うむ。で、ドッペルゲンガー討伐はいつにするつもりだ?」
この魅魔の質問にはパチュリーが答える。
「それなんだけど、レミィには内緒でやったほうがいいでしょ?」
「レミリア次第か・・・。」
「毎晩寝るわけじゃないし、寝たら数日そのままということもあるし、タイミングはその時になってみないとわからないわ。」
「妹様の都合もありますし・・・。」
場所はフランドールの部屋周辺になり事は一瞬ですむだろう。しかし、問題は誰にも気付かずにそこにたどり着けるかである。そうした潜入は妹紅としては造作もないことだが、その技術を持っている事は言いたくないので、何も言わず黙っている事にした。
「ふむ。ま、それはお前達に任せよう。魔理沙にこれ以上負担はかけられないし、私は恐らく今日で一先ず出るのを止めにする。」
魅魔は暇を請い、それに頷いて応える妹紅。
「全て終わればもう隠れる必要はないし、その時は全面的に協力させてもらおう。」
そう言ってパチュリーと別れの抱擁する魅魔だった。
十六夜咲夜とパチュリー・ノーレッジが去った、霧雨魔理沙の部屋。
「色々と済まなかったな。」
「それはお互い様よ。」
「いや、吸血鬼の事はお前にとっては完全に蛇足だろう?」
「紫が吸血鬼を槍玉にあげようとした時点で、その反作用として魅魔を呼び寄せたのよ。運命とやらがね。」
「そうかもしれんな・・・。」
魔理沙の額に優しく手を置いて別れを惜しむように温もりをその身に刻もうとしている魅魔。
「なぁ妹紅。迷惑をかけた続けたついでにもう一つ頼まれてくれないか?」
いつになく神妙な顔をする魅魔。彼女と会ってまだ三日、時間にするならまだ一日も経っていない計算になるが、だいぶ前から知っているような印象を受ける。
「吸血鬼の事なら遠慮しておくわ。」
「吸血鬼・・・というより、十六夜咲夜の件だな。」
「咲夜?」
咲夜はあくまでアルカードの思念体との連絡役で、彼女自身は重要ではない。用が済んだら抹殺しろとでも言うのだろうか?思わず緊張する妹紅。
「実は、アルカードの思念体などというものは存在しない。」
「え?」
さりげなく凄まじい真実を語りだす魅魔。
「ちょ、ちょっと待って!それじゃ話が違うじゃない!」
「慌てるな、話は最後まで聞け。」
「う・・・。」
肩を怒らせて迫ろうとする妹紅をなだめる魅魔。
「アルカードは思念体ではなく、そこに存在しているのだ。」
またしても、凄まじい真実を告白する魅魔。妹紅は何か言いかけてぐっと堪える。
「思念界を形成しているのはレミリアの母、セレーネ・スカーレットだ。そしてアルカードは血晶石となって、セレーネに守られている。」
「・・・。」
「血晶石とは、アルカードの全てが凝縮した血液の宝石だ。」
魅魔はそこまで言って、言葉をそこで一旦切った。
思考の時間を与えられた妹紅はすぐに考えはじめる。
咲夜はセレーネの思念界に行き、そこでアルカードの血晶石を受け取る。それをレミリアに与えるという段取りなのだろう。それがどうかしたというのだろうか?
「レミリア自身は成人することは簡単なのよね?」
「ああ、ただ運命を操る力を持つただの人間になってしまうという重大な副作用があるがな。」
これが呪いの効果を上げる力となっている。常に人間になってしまうという恐怖が精神を圧迫し、強迫に近い自己制限を生み成長しようとする感情を抑制する。
500年間は眠っていた。しかし、その後の60年近い年月は10歳の少女として生活してきた。
パチュリーが着実に心身共に成長していったのとは違い、レミリアは精神面も見た目の年齢と対して変わらない、いや、頑なに変化を拒んできたのだ。
「なるほど・・・まず、呪いを解くと同時にレミリアは一旦人間の成人女性ににする。そこに咲夜が持ち帰った血晶石を与え、アルカードの全てを引き継がせて再び吸血鬼始祖になる。そこに残ったのは、運命を操る力と運命を紐解く力、つまり運命を司る真の王レミリア・スカーレットが誕生する・・・。」
「その通りだ。」
「で、それが何かまずいことなの?こうなる事を願っていたのではないの?魅魔は。」
魅魔が何故かそうなることに問題を感じているような印象を受ける妹紅は、それを問いただす。
「・・・妹紅、もう一度よく考えて見よ。」
「・・・。」
何か抜け落ちたところがあるのだろうか?
人間になったレミリアに、時間の波が押し寄せ一気に老婆を通り越して灰になるとか・・・。いや、それはないだろうと思う。
では、血晶石を紛失、盗難・・・とか。
「・・・あ。」
妹紅はそこで気付いた。と、同時に血の気が引く。
「気付いたか?」
「その血晶石・・・レミリアに渡るとは限らないわね・・・。」
「そう、十六夜咲夜がそれを飲めば、思念界を自由に行き来でき運命を紐解く力を持った新しい始祖が誕生するのだ。」
魅魔の口から血晶石は飲むものという情報を得た。飴玉のようになっているのだろうか。しかしそれにしても、十六夜咲夜がそれを我が物としないという保障が全くない。
妹紅はまず、その力を得た咲夜を想像する。魅魔が言うように、今の咲夜の能力に新しい能力が追加される。そしてさらにレミリアらと同じ吸血鬼始祖になるのだ。
ほぼ無敵に近い肉体と、実質的に時間を止める事と同じ能力を持ち、更に未来を見通せるのだ。ある意味完全な生命体が誕生してしまう。
運命は操る力よりも紐解く力の方が重要だ。紐解けば、力で操らなくても策を弄して操作する事も出来る。
妹紅は次に、咲夜がそうした行動を取る理由を考える。
レミリア・スカーレットに対してどのような忠誠を持っているのだろうか?雇い主と従業員というだけの契約的なものだろうか?何か弱みを握られているとか・・・。
予言書の内容を知っているらしいので、自分がそうした運命を背負い、それを受け入れたということだろう。普通に考えれば、血晶石はレミリアに渡るはず・・・。
「しかし・・・。」
長く生き歴史の様々な場面を見てきた妹紅は、力を目の前にして魔が差し、これまで忠義だけがとりえのような人物が豹変する様を何度も見てきた。
何より、目の前の薬に目がくらみ恩人を切り捨てて不老不死になったのが自分、藤原妹紅である。目の前の強大な力を前にして欲望を抑える事は人間には難しい。
そして、妹紅はもう一つ重要な事、恐らく魅魔が恐れている事に思い至る。
力に目がくらんだ咲夜の未来である。
咲夜が力を欲しない忠義の人であるなら、彼女は人間のままだ。しかし、血晶石を奪って飲むということは欲望に負けたことになる。それはつまり、咲夜の本来の人格やこれまで積み上げた実績、人望、評価が全て崩れ去る事で、完全な別人の誕生を意味するといっていい。
その咲夜が大人しく紅魔館で従者を続けるだろうか?答えは否だ。
恐らく幻想郷に対して害悪となるだろう。
「妹紅、西洋墓場には行ったか?」
「・・・ええ。」
正直に答える妹紅。
「ならば、真の王の役割は知っているな?」
「ええ。」
「私は、真の王を誕生させるという事を第一の目標として、その候補としてかつて愛した男の娘を推しているというわけだ。」
「・・・。」
自ら真実を告白する魅魔。
「十六夜咲夜が真の王となって吸血鬼始祖の英雄達に死を与えるというのなら、私はその結果に関して必ずしも吝かではない。」
「・・・でも。」
「そう、運命を操作できるレミリアでなければ彼らに死の運命(さだめ)は与えられんだろう。」
「真の王としての仕事をする義理は咲夜にはないし、何より予言書通りにならない。」
「うむ。」
「先にそれを警告しておく?」
「いや、それはまずかろう。」
「・・・そうね、やぶ蛇になる可能性が高そうね。」
その情報を知った事で魔が差し、別の運命のシナリオに分岐する可能性もある。
「妹紅、そなたに頼みたいというのは、最悪の結果になった時、咲夜を始末してほしいという事だ。」
「・・・それは、別に私じゃなくても・・・。」
「いや、これは妹紅にしかできん。思念界に行かれては我々は手も足もでないからな。」
「それは私も同じでしょ?」
「いや、お前には藍がいる。妹紅が唯一咲夜の抑止力になれるのだ。」
思念界の咲夜はただの吸血鬼始祖となる。吸血鬼始祖なので簡単に滅ぼす事はできなくとも、藍の持つ結ぶ力で完全に咲夜を封じる事が出来るはずである。
咲夜と同じ能力を持つ個体が生まれるまで、永遠にそのままにしておく事が出来るだろう。そして、そうなることを予測した咲夜は妹紅の前で迂闊に思念界にいけなくなる。そうなれば他の者と協力して咲夜を討伐出来る。
「・・・分かったわ。その時は私が咲夜に引導を渡すわ。たぶんそうはならないとおもうけどね。」
「可能性としては私も非常に小さいものだと思う。しかし、現実はいつも残酷だ。この私自身がその証拠のようなものだしな。」
「それは私もよ。」
「ふ、お互いおかしな星の下に生まれたものだな。」
「幻想郷にはそんなのばっかりよ。それだけに咲夜も・・・ね。」
「咲夜を暴走させない抑止力はレミリアそのものだ。彼女の心の成長を願おう。」
「・・・そのための異変・・・か。」
話はそこで終わるが、妹紅は思考を続けていた。
魅魔という存在は強大である。しかし、その強大な力の源となっているのが娘への愛であり、その強い愛が魅魔を悪魔を取り込んで悪霊にさせたのだ。そしてそれがレミリア、パチュリー、魔理沙などにも注がれているというわけである。
彼女達の為にかなり無茶な事をする。大魔法使い、大賢者である以前に母親である魅魔に対して妹紅は少し心配になる。
魔理沙の事である。今回の異変で魔理沙を一度死なせなければならない。その事実に直面した時、魅魔はそれに耐える事ができるだろうか?
「(魔理沙は元に戻せないかもね・・・。)」
咲夜の暴走を止めるのはレミリア自身だと魅魔は言った。ならば魅魔の暴走を止めるのは魔理沙の心の成長ではないだろうか?
魔理沙が死に直面する時、ただ泣き叫び命を惜しむだろうか?そうなれば魅魔は魔理沙を哀れんで助けるだろう。
いつまでも可愛い娘で子離れ出来ない魅魔に、魔理沙がどんな答えを出すのだろうか。
もう時間がない。もっと時間があれば、レミリアも魔理沙も鍛える事ができるのだが。
魅魔が去った魔理沙の部屋に、しばしたたずむ妹紅だった。
