東方不死死 第37章 「十六夜のままで」


 西洋墓場から自宅に帰った藤原妹紅は何時も通り素っ気ない表情で、留守番兼療養を装っている風見幽香の前に現れる。
 今朝、香霖堂の前で別れた2人だが、今は夕暮れ時である。幽香はそれまでずっとこうして正座をしていたかのように、その場所に根付いているような印象を受ける。それほど美しい正座姿だった。
「ただいま。」
 昨日、幽香に素っ気なく応じた事を思い出した妹紅は、自分から挨拶をする。
「おかえりなさい。」
 柔らかい微笑みを浮かべながら返す幽香。会ったばかりの頃は作り笑顔で気持ちが悪かったが、今は自然である。
 人間の里では怖がらせないように笑顔を装っていたそうだが、その笑顔が一番恐ろしいというもっぱらの評判で、本人それに気付いていなかった。
 妹紅が幽香と付き合う様になって最初に要求したのがその作り笑顔を止めさせることだったのを思い出す。
 靴を脱いで縁側に上がり、そこでゴロリと仰向けになって組んだ手を枕にして天井を見つめる。
 1時間ほどして妹紅ははっとなって飛び起き辺りを見渡す。
「最近すぐにどっかに行っちゃうのね。」
 クスクス笑いながら妹紅のおかしな性癖を指摘する幽香に妹紅は気まずそうに時間を尋ねる。
「今は、夜の7時くらいね。」
 腕時計を見ながら分単位まで正確な時間は不要と考え、大雑把に時刻を教える幽香。
 溜め息をついた妹紅はまたゴロリと寝ころぶ。その溜め息の意味を図りかねる幽香は最近趣味となった妹紅観察に入る。
 しばらくすると妹紅は横臥し幽香を向く。
「今日はどうする?」
 お風呂にするとか食事にするとかの話ではない。今晩の魅魔との会合に参加するかどうかの問いである。
「遠慮しておくわ。」
「そう・・・。」
 迷いなく即答した幽香の答えを聞いて、紅魔館に関係する魅魔の野望に積極的に荷担する気はないという意思表示と受け取った妹紅は、また仰向けになる。
 しばらく思考に没頭していた妹紅はまた、はっとなって飛び起きる。
「9時よ。」
 それを見て時間だけ告げる幽香。もう2時間が過ぎている。
 今度は起きあがってあぐらをかき、頭を掻いて自分でどうすることもできない性癖にイライラする妹紅。
 0時頃の約束なのでまだまだ時間はあるが、魔理沙がずっと起きていると何かと面倒なので、少し早めに段取りした方がいいだろうと考える。
「よし!」
 と一声上げて立つ。
「もう行くの?」
「ええ、魔理沙を寝かしつけないとね。」
「いってらっしゃい。がんばってね。」
 この光景に既視感を覚える。
 昨日も同じ様なシチュエーションだった気がするが、あの時は藍との待ち合わせで、幽香はこちらに同情ともからかいとも取れる態度だった。
 そして、妹紅は別れ際に何を言ったか思い出し急に照れくさくなって幽香に背中を向けた。
「・・・いってくる。」
 他に返す言い方が思いつかなかった妹紅は、最も陳腐な言葉しか返せなかった。
 背後でクスクスと笑う幽香の顔が目に浮かぶ。何となく『負けた』気がした妹紅だった。


 家を出た妹紅は、このまま真っ直ぐ霧雨邸に向う。
 藤原邸から魔理沙の家まで真っ直ぐ最短で行くなら、東北東の博麗神社方面に里の南東をかすめ田んぼの上を通って香霖堂を左下に見て魔法の森上空から直接行くのが一番近い。
 しかし妹紅は慧音の居る里に近付きたくなかったので南東に弧を描くよう里を迂回し、右手に太陽の畑を見ながら魔理沙の家に向かう。
 太陽の畑周辺は弾幕戦闘のメッカのような場所で、年中花火のような光が幻想郷の空を賑わせている。その光景は里から良く見えるので、田んぼの外側の土嚢に見物も来る人がいる。
 そうした弾幕見物客を狙って、人食い妖怪が東側から出張って来るので注意が必要である。
 妹紅は途中、リグル・ナイトバグに遭遇してしまったが、弾幕戦闘を挑まれる様子はなくすれ違っただけだった。
 最近のきなくさい雰囲気を感じとってか、弾幕戦闘はここ数日発生していないようである。
 考えてみると妹紅が頻繁に竹林の外を飛び回る事自体が珍しい事で、リグル視点で見ればこの辺りで藤原妹紅に遭遇すること自体が異常な事で、ある意味幻想郷の異変を知らせる一つの要因と考えているに違いない。すれ違った時の焦ったような顔が印象に残る。


 魔理沙の家についた妹紅は、家の明かりが無い事に気付き留守かと思いつつも一応中を調べる。
 ここに来るまで、遠くに博麗神社を見たが明かりは見えなかった。夜9時過ぎともなれば普通は寝る時間である。留守中の魔理沙の行き先としての第一候補、神社の可能性は消える。
 家のドアは昨日と同じ、鍵も掛けておらずすんなり中に入れる。
 完全に暗闇の中にあった部屋に人の気配がある。
 ベッドに近付いた妹紅は、そこで寝ている魔理沙を発見する。
「(いた・・・。)」
 ちゃんと寝間着に着替えているところを見ると、急な睡魔で転寝しているわけではなさそうである。
 仮死状態にして身体を固定してしまったせいで十分な安眠状態にならなかったのだろう。その疲れが溜まって早寝したと思われる。
 二日連続でそれをやり、今日で三日連続となる。
「ごめんね魔理沙。今日で最後にするから・・・。」
 口の中でそうつぶやいた妹紅は、パチュリーらが来ると思われる0時付近までそのまま魔理沙を静かに寝かせる事にした。
 一度トイレに起き出した魔理沙に見つからないように隠れてやり過ごし、やがて約束の0時が来る。
 ほぼ時間通り、複数の気配が家の外に現れる。妹紅は窓の外を見てパチュリー・ノーレッジと十六夜咲夜の2人を確認した。あの悪魔は今日は来ていないようだ。
「魔理沙・・・。」
 負担をかけてしまう魔理沙に詫びを入れて、そっと呪符を胸のあたりに乗せる。
 いつものようにすぐに魅魔が現れ、家の外に2人が来ている事を告げると、すぐに中に引き入れた。


 昨晩いた風見幽香とルビーという悪魔はいない。その代わり紅魔館のメイド長、十六夜咲夜がいる。
 十六夜咲夜をこうして間近で見るのは初めてである。レミリア・スカーレットと共に不死人狩りに来た時は、レミリアのおもちゃにされ、咲夜は後ろで控えてるだけだった。
 名前は日本人らしい響きだが、これは予言によって後から付けられた名前である。本当の名前、出身国、人種は不明で、目鼻立ちがしっかりして人間の尺度でいえばかなりの美形であり、東洋人ではないような気がする。
 『いざよい』とは『ためらう』という意味で、月齢15日の満月の後に満月より遅い時間に出る月齢16日の月の特徴に例えられて『十六夜』という字をあてている。
 満月を主レミリア・スカーレットに例えるなら、咲夜は常に一歩後ろに下がって傅く存在、従者に相応しい名前かもしれない。

 妹紅は、十六夜咲夜の様子を見ながらいつも通り様々な分析を行おうとしたが、すぐに彼女の様子がおかしいことに気付く。生気がないもうすぐ死ぬ人間の様に見える。つまり、死相が見えるのである。
 昨晩、パチュリー・ノーレッジがここに来た時はあからさまに警戒心を前面に出し、特に妹紅を強く意識していたのとは対照的である。
 咲夜は、事前にほとんどの情報をパチュリーから知らされている筈で、ここに来るにあたって何らかの答えを持って来たと思われる。しかし、その表情には力がなく目が虚ろである。
 パチュリーに付き添われて人生相談でもしに来たようなそんな頼りい印象を受けた。
 これには魅魔もすぐに気付いたらしく、先に声をかけたのは彼女の方だった。
「どうした?」
 その問いにパチュリーは一度咲夜を見て、その後一歩前に出て事情を話はじめた。


「ふむ・・・。」
 パチュリーが一通り話終えると魅魔は少しの間考え込む。妹紅はそんな魅魔の横顔を見て昼間に体験した西洋墓地での事を思い出す。
 一人の女としての魅魔を意識した時、同じ人物でも見え方が違ってくる。この場合決して悪い方に印象が変わったわけではない。むしろ親近感のようなものを覚える。
「ん?どうした?」
 その妹紅の視線に気付いた魅魔。
「何かわかった?」
 心情を気取られないように魅魔の考えを聞く態度で誤魔化す妹紅。
「これは恐らくブービートラップだな。」
「ブービートラップ?っておろかな罠ってこと?」
 パチュリーが意外そうに問い直す?
 ブービートラップとは、敵に明け渡した施設や物に仕掛ける罠で、敵がいなくなった事で油断した者が引っかかるというものであるが、魅魔が言うここでのブービートラップとは、一定の条件で発動する置き土産という意味で使った。
「十六夜咲夜が本当の能力を知り、思念界にアクセスする際の危険要素を警告する為に500年以上も前に仕掛けていた罠・・・ということだ。」
 柱に持たれてかかっている妹紅が首を振って溜め息をつく。それは眉唾と魅魔の発言を否定する意味ではなく、そんな途方もない仕掛けを500年前に施していたアルカードの深慮遠謀に呆れての態度である。
「にわかに信じがたい事だけど・・・本当なんでしょうね・・・。」
 予言書の存在を知り、それが実際に事実となる様をその目で見てきたパチュリーである。受け入れるのが早い。
「ブービートラップは恐らく一つではないだろう。状況によって日数のズレはあるだろうから、似たような罠がいくつもあるのだろう。ただ、どれかが発動すればあとは用済みになるがな。」
「ああ、なんかそんな予言の手品があったわね。」
 パチュリーがいくつもの答えを用意する予言の手品の仕掛けに例えて理解する。
「十六夜咲夜よ・・・実際にその目でドッペルゲンガーと会って、その危険性を知ったわけだな?」
「・・・はい。」
 ドッペルゲンガーに出会う事自体死の確約のようなものである。
「一応全て咲夜に知って貰ったわ。まさか、昨日の今日でこんな事が起こるなんて出来過ぎで少し怖いけど・・・。」
 パチュリーは、まるで咲夜の保護者の様に隣にぴったりと付き添っている。これはパチュリーからというより心細い咲夜がパチュリーに張り付いているといったほうがいいかもしれない。
 咲夜に対して事情を説明するのにそれなりに時間がかかるだろうと思っていたが、一番説明しずらい部分を体験してしまったのでその説明は不要となったことは魅魔としては良かったと思っている。体験に勝るものはない。
「運命を紐解く力の恐ろしさ・・・というところね。」
 妹紅が他人事の様に言う。その妹紅はその力に自らの死を期待しているが、それを知る者はここにはいない。
「心の整理がついていない様だが時間がない。単刀直入に聞こう。まず一つ。我々の行動について、このまま進めても構わないか?それとも、止めてほしいか?」
「・・・このままで構いません。進めてください。」
 それはレミリアの呪いを解いて成人にするという事で、これは予言書に記されている事と同じである。
「うむ。では次。咲夜も予言書に従って行動するか?」
「・・・はい。」
「では次。我々の目的は同じということになる。それは理解しているか?」
「・・・はい。」
 力なく応え続ける咲夜。
「うむ。次。同じ目的に対して各々で動きたいか?それとも我々と連携して行動するか?」
 この質問に対して咲夜は即答せず一度パチュリーの顔を見る。それを受けてパチュリーは小さく、だが力強く頷いて答えた。
「是非、連携をお願いします。」
「うむ、わかった。」
 魅魔は満足そうに頷いて妹紅を見る。
「一応スケジュールだけど、レミリアに関しては私と紫の起こす異変の後ということになるわ。魔理沙を正常に戻せば魅魔を縛る制約がなくなる。細かい事はその後ならいつでも話し合いは出来ると思う。」
 妹紅は紅魔館側の意志を確認した事を受けて魅魔と紅魔館の同盟行動についておおよその活動開始時期を知らせる。
「この問題に関しては今ではなく異変の後でも良かったのだが、妹紅が異変後にどうなるか未知数でな。仮に魔理沙の事が失敗し、しかも妹紅が復帰不可能などという事態になれば、咲夜が本当の事を知る事なく寿命で死ぬという可能性もある。だから敢えて今日ここに呼んだのだ。」
「どの道、アルカードのブービートラップが発動してイヤでも巻き込まれたでしょう。」
 魅魔の言葉を受けてフォローを入れる妹紅。
「これも全てアルカードの手の内のことなのね。」
 魔法の照明光以外何もない天井を見ながら誰に言うわけでもなく、小さな顎に手をあててつぶやくパチュリー。
 ある程度話がまとまったのを受けて、妹紅はもたれかかっていた柱から離れて咲夜の前に歩みよった。
「まだ、完全に納得していない顔ね。」
 同情するように咲夜の不安を心を汲み取る妹紅。
「・・・ええ。」
「少し時間はかかるだろうな。」
「一つ、個人的な頼みを聞いてもらえないかしら?もしかしたら情報思念体とかいう得体の知れない存在の予備知識を得られるかもしれないし、ドッペルゲンガーとやらを倒せるかもしれない。」
 咲夜が、ドッペルゲンガーを倒せるという件ではっとして顔を上げる。
「・・・それはアレか?」
「ええ、アレよ。」
 妹紅と魅魔の間ではアレで通じるものとは、妹紅の中に存在する、八雲藍の情報思念体の事である。
「うむ、それは面白そうだな。」
「ミーナ、一体何のこと?」
 妹紅は軽く事情を説明した。
「咲夜は、ここに来てから時間を止めた?」
「いいえ、昨日から止めていません。」
 昨晩のドッペルゲンガーとの遭遇はかなり咲夜を萎縮させているようである。怖くて止める事ができないのだ。
「なら、少しでいいから止めてみて。」
「え?」
「咲夜、ここは強力な結界の内側よ。ドッペルゲンガーといえどもここには入って来れないわ。」
 パチュリーが励ます。昨晩の出来事は咲夜のトラウマになっている。これは何とかして直さないといけない。
「咲夜よ、時間を止めて復帰する時に、我々から見て分かるサインを出してもらえないか?」
「サイン・・・ですか?」
「例えば、手をあげるだけでもいいわ。」
 妹紅も魅魔の意見に賛成である。
「分かりました。では、いきます。」
「戻りました。」
 咲夜がいきますと言った次の瞬間手を上げた咲夜が戻ったと言う。手を上げたという動きは全く見えなかった。目に見える映像が一瞬で切り替わったように見える。
 外から見ている側とすれば、まさに一瞬の出来事で、手で合図をしていなければ時間を止められた事など全く気が付かない。
「は、速いな・・・。」
 イメージ的に少し間があるように感じていた妹紅は驚きを隠せない。
「ん?」
 この時、十六夜咲夜の表情に大きな変化があることに気付く3人。それは一言でいうなら『驚き』である。
「し、信じられません・・・藤原妹紅のそばに・・・八雲紫がいました・・・。」
「それは紫ではなく、藍だ。」
「藍?でも、あれは間違いなく・・・。」
 現在の幻想郷で八雲藍といえば、九尾しかいないので咲夜のリアクションは当然といえる。
「八雲紫には双子の妹いて、彼女の名前が藍。今の九尾の藍は、亡き彼女の名前を引き継いだものなの。」
「そ、そうなのですか・・・。」
 思わず顔を見合わせる咲夜とパチュリー。さりげなく凄い秘密が暴露された。
「それで、その藍と話をしてきたの?」
 好奇心に満ちたパチュリーの顔が咲夜に迫る。
「いえ、取りあえず何もせず戻ってきました・・・。」
「話しかけてみて。」
「分かりました。」
 妹紅に頼まれてまた時間を、いや思念界に向かう咲夜。

 世界を入れ替えた咲夜の目に映るものはモノクロの世界である。
 この世界では例えばナイフなどの武器で相手の身体を斬る動作はとれても、その世界で血は流れない。止まった世界は全て背景の様なものなのだ。
 手から離れたものはその瞬間止まった世界の背景と同化し二度と触れる事は出来なくなる。
 この世界が止めた世界ではなく、思念界という異世界だと昨日初めて知った。それを知る直前にフランドール・スカーレットの部屋で有り得ない物を見、有り得ない体験をしたおかげで、それを無理矢理受け入れざるを得なかった。
 それはまだ自分の中で消化不良を起こしている状態である。もしかしたらあれは夢だったのかもしれないと・・・。
 白い髪と白い服など全体的に明るい色が多い藤原妹紅は、この世界では全体的に白く明るい色に見え非常に目立つ。
 その妹紅の背後斜め後ろにどこから見ても八雲紫にしか見えない姿が立っている。立っているというより浮かんでいるといった感じだろうか。若干上下に動いて衣服なども揺らめいて見える。
 全てが停止し単一色に変わる世界の中で、自分と八雲藍の姿だけが色彩豊かで動いている存在で、昨夜見たドッペルゲンガー以外で、この世界で動く者を目にするのは2人目となる。

 やはり夢ではない。時間が止まっているのではなく、ここは思念界という別世界であり、思念体はその世界では生き物の様に歴として存在しているのだ。思念体という存在自体が稀なので今まで会ったことがないだけで、今も世界のどこかでこうした存在が居続けているのだろう。
 咲夜は恐る恐る藍に近付き、声を掛けてみる。
「あの・・・もしもし?」
 少し下を向いて目をつむっている藍は咲夜の呼びかけに反応を示さない。話かけられているのを知っていて意図的に無視しているという感じではなく、聞こえていないといった感じである。
 寝ているだけかと思って肩を叩いて起こそうと試みたが、結界のようなものに覆われており帯電したドアノブに拒絶されるように衝撃が伸ばした手を跳ね返す。
「迂闊に触ると危険というわけね・・・。」
 指先に残る小さな鋭い痛みを感じる咲夜。この世界で初めて痛みを感じたのである。痛みを感じるということは、やはりここで死ぬこともあり得るのだと改めて理解する。
 この時の咲夜は、ドッペルゲンガーに襲われた恐怖は無く、未知との遭遇に少し胸がときめいていた。
 目の前に浮かぶ八雲藍を観察する。八雲紫と顔は同じだが、何となく違和感がある。間違い探しをするようにしばらくシゲシゲと眺めていた咲夜はその違和感の元を発見した。
 衣服が紫のものではなく、九尾の藍の服を着ているのだ。
 二人は名前と同じ色柄を服に取り入れており、デザインが同じで色違いのお揃いの服で現れる事がある。紫と藍の服が入れ替わっていたので違和感を感じたのだ。
「それにしても・・・八雲紫とそっくりね・・・。」
 咲夜が藍の顔に近づけてそう口にした時だった。突然目を開けた紫、いや藍がこちらに視線を送る。
「!」
 驚いた咲夜はドッペルゲンガーの恐怖が蘇り、咄嗟に世界を戻す。
 元の世界に戻った咲夜は戻った合図を忘れていたが、立ち位置や姿勢が変わっていたので妹紅達はすぐにわかった。
「大丈夫?」
 妹紅のすぐ側に移動していた咲夜は、声を掛けられそちらに振り向く。その表情には恐怖感があり、何事かと訪ねる妹紅。
「・・・いえ大丈夫です。八雲紫という名を出したら突然目を開けてこっちを見たもので・・・少し驚いただけです。」
 びびって逃げて来たとは言わず言葉を濁す咲夜。
「ドッペルゲンガーの陰がまとわりつくか・・・。一応情報思念体との対話方法を教えておこう。」
 重要な情報を誰かに伝える為にその情報の保存と伝達を行う思念体が情報思念体である。強い想いが残留思念となって自縛霊のような働きをするものもあるが、それは意図してそうなったものではなく、自然にそうなったもので思念体ではあっても、情報思念体ではない。情報思念体はその元となっている人物等が意図的に情報を残すために様々な工夫や仕掛けを施している場合が多く、八雲藍の情報思念体は恐らくそれである。
 情報思念体は、無差別に情報を発信している場合が多いが、高度な秘密情報の場合はそれにアクセスできる権利者が限定される。
 咲夜が藍と遭遇した時、彼女は眠っている状態だったが、八雲紫というキーワードがトリガーとなって情報提供の準備の為目覚めたと思われる。このキーワードは、生前の藍にまつわる人物の名前などが選ばれているはずであるが、咲夜は図らずも当たりを引いてしまったのである。
 咲夜はそれに過剰に反応して戻ってきてしまったというわけであるが、事前にそうした情報を取得していれば逃げ出す事もなかっただろう。

 妹紅は、魅魔とパチュリーから情報思念体との交信方法のレクチャーを受けている咲夜をじっと観察した。
 初めてメイド服なるものを間近で見る。外側に大きく広がり、動くと中が見えそうな短いスカートだが、中に白いレースの生地が細かい蛇腹に幾重に重なっていて外に少しははみ出し容易に下着は見えない仕組みになっている。襟がパリっと立った白いパフスリーブの半袖シャツの上に蒼いベスト。シャツの袖上はギャザーで丸く柔らかくふくらみ、袖口は外側が割れた堅い生地を折り返して腕の径にフィットするようピンで留める仕組みなっている。
 明るい緑色の細いリボン・タイで襟元をさりげなく飾り、所々にリボンと同じ色の緑をワンポイントにあしらっている。
 袖の短いシャツなので腕はほとんど露出しており左手首には白いレースの縁がついたベストやスカートと同じ蒼い色のリストバンドをしている。
 傷一つ無い艶の美しい黒いパンプスを履き、レースのフリルがついたソックスをくるぶしで折り返している。腕同様足もほとんど露出しており、その左の太腿、スカートからギリギリ見えるところにナイフホルダーを巻いているが見えた。
 頭に白いフリルのカチューシャを乗せ、短い銀髪はもみあげのところを三つ編みにしているが、髪質はストレートではなく癖毛のようである。癖毛は三つ編みがあまり綺麗にならない。時間をかけて綺麗にまとめている努力の跡が伺える。
 メイドのトレードマークともいえる純白のエプロンが印象的だが、普通エプロンとは衣服を汚れないようにするために着用するものであるが、見たところ汚れ一つなく、このエプロンを含めてそれがメイドのファッションということなのだろう。恐らく水仕事をするときには、割烹着のような大きなエプロンを別に着用するのではないだろうか。


 魅魔の隣にいる紫色のガウンというか冬用の寝間着のような地が厚く重そうな服を着ているパチュリーは明らかに俊敏に動く事を諦めているような装束である。中は下着のような薄着でローブなどを羽織るのがいいと思うのだがどうなのだろう?
 魅魔のローブはほとんど布皺がなく、まるで金属装甲のような冷たい質感を持っている。しかし簡単に折れ曲がり、特に姿勢に制限を与えるような感じではない。あれは服ではなく霊としての身体の一部なのだろうか?幽香に抱きつかれた時はその部分をゴム質のようにして、その馬鹿力を吸収していた。何にしても魅魔の身体に物理攻撃は全く効果がないことは理解できる。
 そんな他人のファッションチェックをしている妹紅の服装はというと、白いカッターシャツにサスペンダーでぶら下げた赤いモンペという非常にシンプルなものでる。モンペは昔から同じものだが、シャツは比較的最近になって換えたものである。

 魅魔、パチュリー、咲夜らの会話は意味不明な単語が多く話について行きずらい。咲夜はレクチャーを受けながら何度か思念界とこちらを行き来しつつ要領を得ていく。魔法使いと違って持論を優先させ他人の言葉に耳を傾けないというタイプではないようで、しっかり話を聞いてそれを忠実に実行しているようだ。愚鈍とは正反対に位置する咲夜の表情は次第に精悍さを増す。
 情報発信している思念体は、重要な情報にはセキュリティーがかかっており、藍の場合はそのセキュリティを解除するキーワードが『藤原妹紅』であり、継続して対話を続けるには、妹紅に関係するアイテムが必要だという。
 思念体は単に情報を発信しているだけで、そこに命ある者としての意識は存在しない。例えば咲夜と藍が情報のやりとりをしたとしても、藍はそれを思い出として記録しているわけではなく、対象が誰で、どれだけの情報をやりとりしたかを機械的に記録するだけである。その情報の交換は咲夜が元の世界に戻った時点でリセットされてしまう。
 藍は既にその手間を考慮して、人工的に造った疑似知能によって会話を継続して行い、思念界との行き来をしても会話を継続出来る仕組みを構築していた。
 しかし、それを行うには十六夜咲夜が藤原妹紅が派遣した代理人であることを証明しなければならないらしい。そしてそれは何か妹紅と藍にまつわるアイテムらしいのだ。

 以上の事が咲夜らの試みで判明したのである。
 今まで蚊帳の外だった妹紅に、咲夜はそれが何かを聞きに来る。
 明らかに先程までとは表情が違う。これは単なる好奇心を刺激されての事ではなく、藍という存在が咲夜にとっても武器に成り得ると考えたからだろう。
 ドッペルゲンガーと相対する時に、もしかしたら藍と咲夜の2対1に持ち込める可能性がある。
「私に関係する道具?」
 妹紅は一瞬何の事か理解できなかったが、すぐに思い出した。 
「これね。」
 そういってリボンを取り咲夜の前に差し出す。ここで魅魔が注意を促した。
「待て、妹紅。全部渡して大丈夫か?分割はできんのか?」
 そう言われた妹紅は、大きなリボンではなく、邪魔な横髪を後ろ髪に結んでまとめている小さなリボンの方を外して咲夜に手渡す。
「元々一本のリボンから切って作ったものだから、大丈夫だと思うけど。」
「うむ、それなら問題ないだろう。恐らくそれを藍に持たせている間は情報交換が継続して行えるはずだ。」
「へー。」
 ここまで探り当てるのにこちらでは数十分といったところだが、咲夜の時間では3時間は経過している。
 藍と咲夜のネットワークを維持するには、そのリボンをずっとあずけたままにしなければならない。大きなリボンの方を渡してしまうと後々困るので、魅魔の対応は助かったと思う妹紅。
「では、お借りします。」
 メイドらしく丁寧な仕草でリボンを受け取る。

 思念界に移動した咲夜は、2人の魔法使いからレクチャーを受けながら何度もやった手続きをもう一度繰り返して、妹紅にまつわるアイテムの受領手続き前まで交渉を進める。そして、要求されたアイテムと思われる妹紅のリボンを差し出す。
「確かに受領しました。これから先はあなたを藤原妹紅の代理として認め、手続きを省略しましょう。以後あなたを『代理人』と呼びます。」
 事務的ではあるが人と会話するように言葉を紡ぎ出す八雲藍の思念体。人工知能によってどんな状況でも適切な答えを瞬時に出せるらしい。もちろん、予め情報交換を行う事を前提にしてそういった仕組みを構築していたから出来る芸当である。

 見た目は八雲紫そのままで咲夜としてはあまりいい気分ではないが、贅沢は言っていられない。
 自分の力の本来の使い方が何となく見えてきた咲夜は、「あれ」や「これ」といった抽象的な言葉を禁句と魅魔から注意され、丁寧過ぎるほどにしっかりした言葉で話すように心掛けた。
 先ず最初に聞いたのが、書面などによる情報交流が出来るかどうかである。又聞きで情報を伝えるよりも速く正確だろう。この質問は是であった。
 次に一緒に戦闘することは可能かという質問をする。これも是であった。しかしこれには条件があり、妹紅からあまり離れられないという制限が付く。これは想定済みで問題ない。
 戦闘する場合、予め妹紅が側にいる状態か、妹紅のいる場所におびき寄せるかなどの工夫が必要になるとのことで、咲夜が戦闘を強いられる場所はフランドール・スカーレットの部屋近辺となる。ここに妹紅に来て貰えればこの制限はクリア出来る。
 また、防衛行動については自動で行うが、攻撃などは対象を指示して具体的に命令する必要があるとのことである。ちなみにドッペルゲンガーは自分自身で倒す必要があるので、その場合藍には動きを止めてもらうことになるだろう。
 ドッペルゲンガーの恐怖に押し潰されそうだった咲夜の心に一筋の光明が差す。

「代理人の個人的な目的の為に私を利用する場合、条件が一つあります。」
 咲夜はこの世界では妹紅の替わりとして『代理人』と呼ばれる。
「え?」
 希望に満ちた咲夜に冷水を浴びせるように思念体の藍が抑揚のない説明口調で条件を付けた。
「その条件とは?」
「代理人が藤原妹紅に対して敵対しないこと。そして協力を惜しまない事です。」
「それは・・・いえ、藤原妹紅の頼み事に対して代理人は協力は惜しみませんし、もちろん対立も致しません。」
 この世界では宣誓するようなしっかりとした文章を口にしなければならない。これは誤魔化しが効かない事を意味し、意外に骨が折れる作業である。学がなかったり、言葉遣いが悪いと言葉のキャッチボールにならずに会話が成立しなくなる可能性がある。
「それを約束してださい。」
「え?」
 とんでもない条件を出される咲夜。約束する事自体は非常に簡単である。「約束します」と言えばいいだけだから。しかし、逆にそれが簡単過ぎて何か裏があるような気がして即答を躊躇わせる。
「約束してください。」
 答えの待ち受けモードになった。この状態になると意思表示をしなければならず、ここで会話を止めて元の世界に戻ると今まで積み重ねた会話内容が全てリセットされてしまう。
 リボンを渡して代理人として認証された後は、会話をうち切る時にそう宣言して、藍からパスワードを貰い、再び会話を始める時にそのパスワードを入力すれば、会話を切ったところから再開出来るという仕組みになっている。
 答えの待ち受け状態はパスワードを請求できなくなるので、ここで会話は切れない。是非をここで自分で決定しなければならないということである。
 咲夜は質問の意味を色々考えて答えを出そうとしたが、初めから考える余地など無かった事に気付く。
「約束します。」
 答えはもちろんイエスである。
 それを聞いた藍は、右手を咲夜の方に差し出す。契約の握手でもしろと言うことだろうか?しかし、差し出された右手は軽く結んだ状態で握手はできない。
「・・・!」
 よく見ると小指が立っている事に気付いた。
「指切りをすればいいの?」
「はい。」
「たったそれだけ?」
「指切りとは自分自身を信用する為の行為。代理人はこの小指を交える事が出来ますか?」
 咲夜は指切りをしようと小指を差し出そうとして動きが止まる。
 簡単な事だと思った指切りだったが、いざやろうとすると何故か気が引ける。
 何かとてつもない重要な契約をする時のような緊張感を覚える。もしこの約束を破った時に、どれほどの代償を支払わなければならないのだろうか?
 小指と小指を結ぶだけの簡単な作業なのにどうしてこれほど心を締め付けるのだろうか。
 指切りとは、その行為もさることながら、そこに至る経緯も重要である。互いに信頼して行う儀式であり、親しくない者同士がする約束の仕方ではないのである。
 この場合、藍は咲夜を一方的に信用しなければならない。そしてそれに応える咲夜は、自らの良心を信用しなければならない。
 自らを信用する・・・。指切りとは、相手を信用するのではなく、相手を信用した自分を最後まで信用する事を意味するのである。
 藤原妹紅の使いとしてここに来るものを信用する藍。それは妹紅への絶大な信頼がなせる技であろう。まるで、レミリア・スカーレットへの忠誠心を試されているような、いや、主従や友人といった最良の人間関係とは如何なるものかを今ここで教えられているような気分である。
「必ず、妹紅の力になります。」
 力強く宣言した十六夜咲夜は八雲紫と同じ顔の藍の小指に自分の小指を強くからめた。
「ありがとう・・・。」
 結ばれた小指をしっかりと見据え、様々な事が脳裏をよぎる咲夜だが、不意に優しい言葉をかけられはっとなって顔を上げる。
 紅魔館の来客に対して自分がいつもする抑揚のない事務的な応対と同じ声しか彼女の口から聞かなかった咲夜は、その優しさに満ちた声に耳を疑う。
 咄嗟に上げた顔の前には先程と同じ八雲紫と同じ顔があるだけであった。
 今の声は、自身の心の状態を反映した幻聴だったのだろうか。


 妹紅がリボンを咲夜に渡した瞬間、その手からリボンが消え、片方の手を上げる咲夜に一瞬で切り替わる。
 咲夜自身は向こう側でそれなりに長い時間を過ごしているわけだが、こちらは1秒も時間は過ぎていない。
 魅魔は顔に見せないが、妹紅とパチュリーは咲夜が世界を行き来して戻ったサインを見る度に身体をビクっとさせ「え?もう?」みたいな表情になる。頭では分かっているのだが、なかなか慣れない。これはそこに居なかった人物が突然現れるという驚きとは違った驚きがあるのだ。
 戻った咲夜の表情は、ここへ来た時とはまるで別人だった。
「藤原妹紅。」
「ん?」
 正面に立って神妙な面持ちでこちらを見る咲夜の様子に思わず背筋を伸ばす。
「ドッペルゲンガーを倒すのに是非、協力をお願い致します。」
 そう言ってかしこまって頭を下げる咲夜。
「代償は?」
 この言葉は魅魔からだった。
「それは・・・藤原妹紅次第です。」
「・・・私は最初から協力はするつもりだったわ。その代わりとして、藍の助けが欲しいときに十六夜咲夜に協力してもらうつもりだった。」
「いざ妹紅の番という時にすっぽかす事も出来るが・・・。」
「ミーナ!」
 咲夜はそんな人間ではないと魅魔の言葉に苦情を言うパチュリーだが、一応釘を刺しておく必要があるとの妹紅への魅魔の配慮である。
「必ず守ると約束します。」
 そう言って小指を差し出す咲夜。キョトンとする妹紅。咲夜は少し興奮気味で、その一方で妹紅は冷静であり、2人の感情の温度差が激しい。
「藍さんと、先程約束させられました。」
「・・・なら、私と約束する必要はないわ。いい?指切りは1回の人生で一人一回よ。何度もやってたら有難味が無くなるでしょ?」
「しかし・・・。」
「咲夜の分は大事な人の為に取っておきなさいよ。これは、お互い一回ずつ協力する契約。行って来いのチャラよ。」
 妹紅はそう言って咲夜の差し出した小指の前に開いた手を差し出す。
「ありがとうございます。」
 咲夜は小指を引っ込め、差し出された妹紅の手を握る。契約成立である。
「うむ。で、ドッペルゲンガー討伐はいつにするつもりだ?」
 この魅魔の質問にはパチュリーが答える。
「それなんだけど、レミィには内緒でやったほうがいいでしょ?」
「レミリア次第か・・・。」
「毎晩寝るわけじゃないし、寝たら数日そのままということもあるし、タイミングはその時になってみないとわからないわ。」
「妹様の都合もありますし・・・。」
 場所はフランドールの部屋周辺になり事は一瞬ですむだろう。しかし、問題は誰にも気付かずにそこにたどり着けるかである。そうした潜入は妹紅としては造作もないことだが、その技術を持っている事は言いたくないので、何も言わず黙っている事にした。
「ふむ。ま、それはお前達に任せよう。魔理沙にこれ以上負担はかけられないし、私は恐らく今日で一先ず出るのを止めにする。」
 魅魔は暇を請い、それに頷いて応える妹紅。
「全て終わればもう隠れる必要はないし、その時は全面的に協力させてもらおう。」
 そう言ってパチュリーと別れの抱擁する魅魔だった。


 十六夜咲夜とパチュリー・ノーレッジが去った、霧雨魔理沙の部屋。
「色々と済まなかったな。」
「それはお互い様よ。」
「いや、吸血鬼の事はお前にとっては完全に蛇足だろう?」
「紫が吸血鬼を槍玉にあげようとした時点で、その反作用として魅魔を呼び寄せたのよ。運命とやらがね。」
「そうかもしれんな・・・。」
 魔理沙の額に優しく手を置いて別れを惜しむように温もりをその身に刻もうとしている魅魔。
「なぁ妹紅。迷惑をかけた続けたついでにもう一つ頼まれてくれないか?」
 いつになく神妙な顔をする魅魔。彼女と会ってまだ三日、時間にするならまだ一日も経っていない計算になるが、だいぶ前から知っているような印象を受ける。
「吸血鬼の事なら遠慮しておくわ。」
「吸血鬼・・・というより、十六夜咲夜の件だな。」
「咲夜?」
 咲夜はあくまでアルカードの思念体との連絡役で、彼女自身は重要ではない。用が済んだら抹殺しろとでも言うのだろうか?思わず緊張する妹紅。
「実は、アルカードの思念体などというものは存在しない。」
「え?」
 さりげなく凄まじい真実を語りだす魅魔。
「ちょ、ちょっと待って!それじゃ話が違うじゃない!」
「慌てるな、話は最後まで聞け。」
「う・・・。」
 肩を怒らせて迫ろうとする妹紅をなだめる魅魔。
「アルカードは思念体ではなく、そこに存在しているのだ。」
 またしても、凄まじい真実を告白する魅魔。妹紅は何か言いかけてぐっと堪える。
「思念界を形成しているのはレミリアの母、セレーネ・スカーレットだ。そしてアルカードは血晶石となって、セレーネに守られている。」
「・・・。」
「血晶石とは、アルカードの全てが凝縮した血液の宝石だ。」
 魅魔はそこまで言って、言葉をそこで一旦切った。
 思考の時間を与えられた妹紅はすぐに考えはじめる。
 咲夜はセレーネの思念界に行き、そこでアルカードの血晶石を受け取る。それをレミリアに与えるという段取りなのだろう。それがどうかしたというのだろうか?
「レミリア自身は成人することは簡単なのよね?」
「ああ、ただ運命を操る力を持つただの人間になってしまうという重大な副作用があるがな。」
 これが呪いの効果を上げる力となっている。常に人間になってしまうという恐怖が精神を圧迫し、強迫に近い自己制限を生み成長しようとする感情を抑制する。
 500年間は眠っていた。しかし、その後の60年近い年月は10歳の少女として生活してきた。
 パチュリーが着実に心身共に成長していったのとは違い、レミリアは精神面も見た目の年齢と対して変わらない、いや、頑なに変化を拒んできたのだ。
「なるほど・・・まず、呪いを解くと同時にレミリアは一旦人間の成人女性ににする。そこに咲夜が持ち帰った血晶石を与え、アルカードの全てを引き継がせて再び吸血鬼始祖になる。そこに残ったのは、運命を操る力と運命を紐解く力、つまり運命を司る真の王レミリア・スカーレットが誕生する・・・。」
「その通りだ。」
「で、それが何かまずいことなの?こうなる事を願っていたのではないの?魅魔は。」
 魅魔が何故かそうなることに問題を感じているような印象を受ける妹紅は、それを問いただす。
「・・・妹紅、もう一度よく考えて見よ。」
「・・・。」
 何か抜け落ちたところがあるのだろうか?
 人間になったレミリアに、時間の波が押し寄せ一気に老婆を通り越して灰になるとか・・・。いや、それはないだろうと思う。
 では、血晶石を紛失、盗難・・・とか。
「・・・あ。」
 妹紅はそこで気付いた。と、同時に血の気が引く。
「気付いたか?」
「その血晶石・・・レミリアに渡るとは限らないわね・・・。」
「そう、十六夜咲夜がそれを飲めば、思念界を自由に行き来でき運命を紐解く力を持った新しい始祖が誕生するのだ。」
 魅魔の口から血晶石は飲むものという情報を得た。飴玉のようになっているのだろうか。しかしそれにしても、十六夜咲夜がそれを我が物としないという保障が全くない。
 妹紅はまず、その力を得た咲夜を想像する。魅魔が言うように、今の咲夜の能力に新しい能力が追加される。そしてさらにレミリアらと同じ吸血鬼始祖になるのだ。
 ほぼ無敵に近い肉体と、実質的に時間を止める事と同じ能力を持ち、更に未来を見通せるのだ。ある意味完全な生命体が誕生してしまう。
 運命は操る力よりも紐解く力の方が重要だ。紐解けば、力で操らなくても策を弄して操作する事も出来る。
 妹紅は次に、咲夜がそうした行動を取る理由を考える。
 レミリア・スカーレットに対してどのような忠誠を持っているのだろうか?雇い主と従業員というだけの契約的なものだろうか?何か弱みを握られているとか・・・。
 予言書の内容を知っているらしいので、自分がそうした運命を背負い、それを受け入れたということだろう。普通に考えれば、血晶石はレミリアに渡るはず・・・。
「しかし・・・。」
 長く生き歴史の様々な場面を見てきた妹紅は、力を目の前にして魔が差し、これまで忠義だけがとりえのような人物が豹変する様を何度も見てきた。
 何より、目の前の薬に目がくらみ恩人を切り捨てて不老不死になったのが自分、藤原妹紅である。目の前の強大な力を前にして欲望を抑える事は人間には難しい。
 そして、妹紅はもう一つ重要な事、恐らく魅魔が恐れている事に思い至る。
 力に目がくらんだ咲夜の未来である。
 咲夜が力を欲しない忠義の人であるなら、彼女は人間のままだ。しかし、血晶石を奪って飲むということは欲望に負けたことになる。それはつまり、咲夜の本来の人格やこれまで積み上げた実績、人望、評価が全て崩れ去る事で、完全な別人の誕生を意味するといっていい。
 その咲夜が大人しく紅魔館で従者を続けるだろうか?答えは否だ。
 恐らく幻想郷に対して害悪となるだろう。
「妹紅、西洋墓場には行ったか?」
「・・・ええ。」
 正直に答える妹紅。
「ならば、真の王の役割は知っているな?」
「ええ。」
「私は、真の王を誕生させるという事を第一の目標として、その候補としてかつて愛した男の娘を推しているというわけだ。」
「・・・。」
 自ら真実を告白する魅魔。
「十六夜咲夜が真の王となって吸血鬼始祖の英雄達に死を与えるというのなら、私はその結果に関して必ずしも吝かではない。」
「・・・でも。」
「そう、運命を操作できるレミリアでなければ彼らに死の運命(さだめ)は与えられんだろう。」
「真の王としての仕事をする義理は咲夜にはないし、何より予言書通りにならない。」
「うむ。」
「先にそれを警告しておく?」
「いや、それはまずかろう。」
「・・・そうね、やぶ蛇になる可能性が高そうね。」
 その情報を知った事で魔が差し、別の運命のシナリオに分岐する可能性もある。
「妹紅、そなたに頼みたいというのは、最悪の結果になった時、咲夜を始末してほしいという事だ。」
「・・・それは、別に私じゃなくても・・・。」
「いや、これは妹紅にしかできん。思念界に行かれては我々は手も足もでないからな。」
「それは私も同じでしょ?」
「いや、お前には藍がいる。妹紅が唯一咲夜の抑止力になれるのだ。」
 思念界の咲夜はただの吸血鬼始祖となる。吸血鬼始祖なので簡単に滅ぼす事はできなくとも、藍の持つ結ぶ力で完全に咲夜を封じる事が出来るはずである。
 咲夜と同じ能力を持つ個体が生まれるまで、永遠にそのままにしておく事が出来るだろう。そして、そうなることを予測した咲夜は妹紅の前で迂闊に思念界にいけなくなる。そうなれば他の者と協力して咲夜を討伐出来る。
「・・・分かったわ。その時は私が咲夜に引導を渡すわ。たぶんそうはならないとおもうけどね。」
「可能性としては私も非常に小さいものだと思う。しかし、現実はいつも残酷だ。この私自身がその証拠のようなものだしな。」
「それは私もよ。」
「ふ、お互いおかしな星の下に生まれたものだな。」
「幻想郷にはそんなのばっかりよ。それだけに咲夜も・・・ね。」
「咲夜を暴走させない抑止力はレミリアそのものだ。彼女の心の成長を願おう。」
「・・・そのための異変・・・か。」
 話はそこで終わるが、妹紅は思考を続けていた。
 魅魔という存在は強大である。しかし、その強大な力の源となっているのが娘への愛であり、その強い愛が魅魔を悪魔を取り込んで悪霊にさせたのだ。そしてそれがレミリア、パチュリー、魔理沙などにも注がれているというわけである。
 彼女達の為にかなり無茶な事をする。大魔法使い、大賢者である以前に母親である魅魔に対して妹紅は少し心配になる。
 魔理沙の事である。今回の異変で魔理沙を一度死なせなければならない。その事実に直面した時、魅魔はそれに耐える事ができるだろうか?
「(魔理沙は元に戻せないかもね・・・。)」
 咲夜の暴走を止めるのはレミリア自身だと魅魔は言った。ならば魅魔の暴走を止めるのは魔理沙の心の成長ではないだろうか?
 魔理沙が死に直面する時、ただ泣き叫び命を惜しむだろうか?そうなれば魅魔は魔理沙を哀れんで助けるだろう。
 いつまでも可愛い娘で子離れ出来ない魅魔に、魔理沙がどんな答えを出すのだろうか。
 もう時間がない。もっと時間があれば、レミリアも魔理沙も鍛える事ができるのだが。
 魅魔が去った魔理沙の部屋に、しばしたたずむ妹紅だった。
東方不死死 第36章 「女の戦い」


 三賢者会議を前日に控えた白玉楼。
「納得できません!」
「あなたが納得する必要はないわ。誰かに言われて無理やりというわけではなく、私が会いたいから呼ぶのよ?」
「ですが・・・危険です。相手は極悪人ですよ?」
「それは、紫のでっちあげと何度言えば・・・。」
「私は直接剣を交えたんです。私にはわかります!」
 西行寺幽々子とその従者魂魄妖夢の口論の声が白玉楼の広い庭に木霊する。
 白玉楼は生前、芸能文芸に秀でた者が死後逝く大陸の文化体系に属する古い冥界の一施設で、厳密に言うと日本とは関係のない場所であった。
 大陸は異民族の侵略で国家が呑み込まれ、継続した文化体系が完全に断絶させられてしまうと、文化思想は古い文献として形だけが残り、人々の生活に根付いていた古き良き文化思想は孤立し幻想と化してしまった。
 古くから大陸との交流があった東端に位置する島国は、それらの影響を受けつつも独自の成長を遂げ、やがて日本と名乗り大陸から精神的自立を果たす。
 独立後も積極的に交流した彼らは、多くの文献を大量に日本に持ち帰り研究発展していく一方で、大陸では資料として残された過去の栄華と思想は、人々の生活と全く接点がなくなり幻想と化していく。
 大陸の古い思想の中で生まれた施設である白玉楼もまた幻想と化し、その他の多くの忘れ去られた施設とともに大陸文化の正当継承地日本に移設され、芸能文芸の聖地として冥界の一画に管理保存されたのである。


 西暦672年、壬申の乱で後の天武天皇である新羅人が勝利し日本に朝鮮人の新王朝が樹立される。
 歴史の表向きは、天武天皇は天智天皇の弟として歴史資料を改ざんしたが、天武系の皇統が途絶えた後の取り扱われ方からもわかるように天武天皇の系譜は区別され、事実歴代天皇の菩提寺に祀られていないなど、皇統の黒歴史とえる時代。
 そして、この政変は、幻想郷とは必ずしも無関係ではないのである。

 当時天皇の役割と言えば、世界を無事平穏に治める事である。
 科学的な根拠が立証されている現代では、事後処理の問題はともかく天災そのものを統治者の責任にはしない。しかし、この当時は、台風や地震、火山の噴火、日照や大雨、疫病などで治世が乱れるのは、天皇の不徳によって引き起こされると信じられており、それが原因で天皇が変わる事は珍しいことではなかったのである。
 言霊という口に出した事が現実になるという今ではカルトじみた事も当時はそのまま信じられており、汚い言葉はもとより、呪いを掛けられる恐れがあると、本名を隠して口外しないのが当たり前で、本名を呼ぶことは恐れ多い事だったのである。因みにこの諱と字の風習は外界では明治維新頃つまり、博麗大結界の時代まで続いていた。
 因みに幻想郷は天皇の治世を受けておらず、文化風習も独自のものだった。
 
 そんな時代、官僚になる為に必要な教養は歌(短歌)を上手に詠めるというもので、当然それが出来る者が偉くなれるということであった。
 天皇の系譜が天武系、つまり朝鮮系に移行すると教養レベルが落ち歌の質、つまり政治の質も落ち始める。
 当時、歌聖と謳われた『西行寺人麻呂』はその情勢の中で教養がない朝鮮人から官僚試験に合格するための歌の代筆を多数依頼されるようになった。
 当然の様に断る誠実な人麻呂とは別に、積極的に歌を提供する金の為に官位にこだわらない『柿本猿彦(ましらひこ)』という人物が台頭を始めた。歌を売って生計をたてた猿彦は自分の歌で偉くなった官僚に取り立てられる。
 この不正を暴いた西行寺人麻呂によって柿本猿彦は失脚し島流しになるが、この事は歌の才能がない多くの朝鮮貴族官僚を怒らせる事になった。

 当時天智系、つまり天皇の正統な皇統側に雇われていた岩老系対妖事請負(いわろうけいたいあやかしごとうけおい)と呼ばれる妖術使いの集団は、陰陽師や妖怪を雇い西行寺人麻呂の命を狙う朝鮮貴族官僚らの攻撃を防ぎ、その実力を発揮し裏社会で台頭を始める。
 彼らは元々は実質朝鮮王朝である天武系の転覆を謀る為に天智天皇系に雇われた荒事集団であり、その後天武系の系譜を途絶えさせその息の根を止める事に成功し、皇統を本流に戻す壮大な事業に絶大な貢献をする。
 古き良き日本の美しい伝統を重んじる西行寺家は天智系の皇統の者から手厚く保護され大きくなり、その家名は教養の無い元は新羅の進駐軍の名ばかり貴族の前に大きな壁として立塞がった。
 しかし、その栄華は永く続かなかった。娘が誕生して以来、家の周囲で怪事件が頻発し西行寺人麻呂は志半ばにして鬼籍に入る事となる。
 その後、あまりの惨状に歴史の闇に葬り去られ記録も残されなかった謎の大量死事件『西行寺の怪』が発生するが、この時期はまだ天武系の時代、天智系の不祥事とされる事を避ける為、岩老系対妖事請負を派遣し事を隠密裏に収めた。この時、西行寺家に組みする一族郎党全てを歴史上から抹殺したのである。
 才能のない官僚の為に歌を提供しそれを西行寺に咎められ失脚し島流しになった柿本猿彦は、西行寺の不祥事を隠す為に、偉大な歌聖としての西行寺の功績を猿彦にすげ替え、後に『歌聖・柿本人麻呂』となる。
 官位も低くしかも島流しになるという不名誉な記録が残されていながら、歌聖という過大な評価を得ている理由がここにあった。


 当時、大陸の文化を積極的に取り入れて、神道・仏教・陰陽師と区別せず融合させた博麗系妖事請負集団は、人種という境界線を取り払い自由な発想で妖怪とも協調し天武系統治下の畿内で裏事・荒事を請け負って勢力を拡大していた。
 自身優れた陰陽師でもある天武天皇は、特に博麗系陰陽師派を優遇し天智系の強大な対妖請負集団の抑え役として重用した。
 天武天皇系の血筋が断絶すると再び天智天皇系が皇統に復帰、以後博麗は追われる身となる。
 陸の孤島でもある穢多の村に島流しされた博麗は、陰陽師派を殆ど失い、更に当時旧仏教を信仰していた仏教派は、密教などの平安新仏教に押されて衰退する。神道派を中心に一部が生き残り、その系統を今も残している。
 因みに現在の博麗神社の巫女が使う技の多くは陰陽師であり、ほとんど神道は使っていない。
 博麗が入植したこの村はいつしか幻想郷と呼ばれるようになり、時代の隆盛の中で失落して歴史の表舞台から去る者を庇護して、時の政治中枢と隔絶した独自の世界観と思想を形勢していくことになる。

 平安時代、皇統を苦しめる藤原氏の開祖藤原不比等は、元々は天智天皇から藤原の姓を賜った藤原鎌足の子で皇統が天武系に移行した時は下級役人に落ちぶれていた。
 その後、文武天皇擁立に尽力して出世。大納言に昇進した当時、蓬莱山輝夜に求婚。これに失敗したした不比等は輝夜を文武天皇に紹介して出世に利用した。世渡り上手な不比等は皇統に侵食し藤原氏隆盛の基礎を作ったのである。
 その一方で父が天智天皇の忠臣であった関係から、当時冷や飯を食わされていた天智系の者を密かに援助し、見返りとして皇女の一人を娶って両皇統にパイプを作ったのである。
 このコネクションが後の藤原氏の隆盛の一助になったことは言うまでも無いが、当時は皇統に二股を掛けている事は秘密であったため、公にできない子供が何人かいたのである。


 歴史に『もし』は禁物だが、皇統がこのまま天武系で進んでいれば、現在の幻想郷は無かったかもしれない。いや、天皇の後ろ盾を得た博麗の幻想郷こそが日本の本流になっていたのかもしれない。
 歴史の中でそれぞれが独自に歩んだ道は、やがて一本に道に集まり共通の世界で折り重なっていく事になるが、この時代にそれを予見できた者は誰一人いなかった。


 白玉楼という存在が幻想郷に知られるようになったのはつい最近の事である。
 八雲紫が博麗大結界の施行後、幻想郷を一時離脱した約100年間、長く放置されたことで冥界との結界に綻びが生じてしまい、やがて隔絶していた互いの世界が干渉し始める。
 以前から謎だった西行妖という妖怪桜に封印されているといわれる『あるモノ』の解明を目論んでいた西行寺幽々子は、その謎の解明には西行妖を満開にしなければならない事を突き止める。
 幽々子は、次第に大きくなる結界の綻びを利用し、外から春を集め季節の無い白玉楼でも、外から春を呼び込めば桜は咲き満開にさせる事が出来るのではないかと思いつく。
 当初この企みは春度が足りず成功はしなかったが、次第に大きくなる結界の綻びのお陰で、年を追う毎に春度が増えていった。
 十分な春を集められそうになったある年の事、その少し前に幻想郷に復帰していた八雲紫はそんな旧友の幽々子の企みを阻止しようと密かに監視しており、これを止めるため良策を探していた。
 結界を閉じれば済む問題だろうが、寸での所で企みを阻止される幽々子の気持ちを考えると心が痛む。では、自らが立ち向かって実力で止めるか?強者同士の対決はどちらかが死に至る重大な結末になるかもしれない。
 紫はそこで一計を講じる。
 導入したばかりのスペルカードルールを幽々子との再会祝いとして贈り、更に花見がてらお祝いしようと幻想郷の春を大量に持ち込んだのである。
 これまで自然に冥界に流れて込んでいた春は、幻想郷の春の余り物の様なもので春という季節にほとんど影響が見られなかったが、ここに来て大きな影響が出始める。
 幻想郷の春を大量に冥界とられてしまった事による春が訪れない春雪異変の発生である。
 これによって幻想郷に桜の季節に大雪に見舞われ、それを調査しようする者達が現れるのだが、八雲紫はそうした者を白玉楼におびき寄せ幽々子の問題を解決させようと目論む。弾幕戦なら殺される事もないだろうし、弾幕の楽しさを覚えれば幽々子も今行っている企みに拘らなくなるだろう。
 そんな中、博麗神社の巫女が真っ先に動いた。
 お手並み拝見とそれを見ていた紫だが、異変は霊夢によって見事解決された。その後、八雲紫は初めて霊夢の前に現れその実力を試したのである。
 以後、八雲紫は博麗霊夢を気に入り、頻繁に干渉するようになったのは言うまでもない。
 八雲紫は幽々子を一人しておくと、また人知れずおかしな企みをするだろうと考え、幽々子に退屈を与えないようにするのが得策と思い、幻想郷と白玉楼を行き来できる状態にした。勿論、西行妖が満開にならない程度に。


 そんな幻想郷と隣合わせになった白玉楼では季節が生じるようになり、主に桜の名所として有名となり春になると花見客で賑わうようになった。
 庭園の管理者でもある庭師の魂魄妖夢の仕事は増え、更に幽々子がフラっと外に出る事も多くなり気苦労も増えた。
 そこに来て不死人が幻想郷に現れ、生きとし生ける者全ての天敵として無敵の称号を得ていた幽々子の地位が揺らぎ始め、苦労性の妖夢の気苦労は頂点に達していたのである。
 そしてあろうことか主の幽々子はその危険な不死人と会うと言い出し、更にこの白玉楼に招くと言うのである。
 門番、庭師、その他諸々の白玉楼に関する肩書きを自称する幽々子の僕である妖夢としては、それだけは何としても阻止したい事であった。
「やはり危険です。どうか考え直してください。」
「でもね妖夢・・・。」
「幽々子様ぁ~・・・。」
 最後には泣きが入る妖夢。
「・・・。」
 今となっては藤原妹紅を悪人と言う者は幻想郷にはいないだろう。あの不死人狩りに参加した者の中には、その行為に罪悪感を持つものさえいたほどである。
 妖夢もそれは気付いているはずである。では、何故妖夢がここまで不死人にこだわるのか?幽々子はそれも分かっていた。
 妖夢はあの戦いで、初めてその剣で人を斬ったのである。悪人と聞かされ、しかも不死身という事だから躊躇わず出来た事であり、それが罪もない普通の人や妖怪なら出来ない事であるし、やってはいけない事である。
 もし藤原妹紅が善人であるなら、妖夢は善人を斬った事になる。善人を斬るなど剣士として最低の行為、人としては犯罪である。
 妖夢は未熟だった。その問題と正しく向き合う事が出来ず、謝罪という選択肢を選べる度量がなかった。出来る事は相手を悪者にし続け、自分の犯した行為を正当化する事だけである。

 幽々子が妹紅を白玉楼に呼ぼうと思ったのは、自身も会いたいという想いがあったからでもあるが、何より妖夢に謝罪の機会を与えたかったからである。
 自分で割った壷を野良猫の所為と頑なに言い張る年頃でもないと思うのだが、この調子ではまだまだ時間がかかりそうである。
 そもそも、妖夢がこうなってしまったのも紫の言葉を真に受け、極悪人の不死人として妖夢に成敗させようとした自分の軽率さからである。妖夢一人を責めるわけにはいかなかった。
「・・・分かったわ。藤原妹紅を白玉楼に入れるかどうかはあなたの裁量に任せます。」
 これ以上強く言う事が出来なかった幽々子は妖夢に妥協する。
「あ、ありがとうございます!幽々子様!」
 ぱあっと明るい顔になり元気な声でお礼を言う妖夢。
「でも、妖夢、これだけは約束なさい。無下に追い払うような恥ずべき行為は絶対にしないこと。口上を聞き、藤原妹紅という人物をしっかり見極めてから対応しないさい。いいですね?」
「・・・わかりました。」
 幽々子の注文に即答せず不満そうに了承する妖夢は、正座のまま頭を下げ面白くなさそうに半人半霊の最も顕著な外見的特徴である大きな魂魄を引き連れて幽々子の部屋を出た。
「まったく・・・向こうの世界でいえば既に1000年は生きているはずなのに・・・。」
 退室した妖夢の残像でも見ているかのように、先程まで彼女が座っていた座布団の温もりに話しかける幽々子。
 時間の概念がまるで違う冥界と顕界を同じ感覚で語るのは無意味だが、幻想郷と繋がり人々や季節の移ろいを観て、心の成長があっても良いと思う幽々子である。
 生前の記憶を無くし来る者全てを死に追いやった冥界の狂い姫。魂魄妖気に守られ、八雲紫の来訪とともに彼は去った。妖夢はそれをその目で見てきたはず。
 その後、八雲紫を通して届く手紙や食物といった季節の便りが幽々子の心を揺り動かし、止まった時の中で変化を促されてきた。100年程前、音信不通となってからは大きくなる結界の綻びから季節の変化を感じ、流れてくる僅かな季節の変化を愉しんできた。
「妖夢はこれまで何も感じず、ただ生きて来ただけなのね・・・。」
 妖夢が何の為に生まれ、傍らにいるのか幽々子もその本当の意味を知らない。その意味を知らないのなら作ってあげたいと思う。

 この後、妖夢の人生を大きく変える悲劇の到来を、流石の幽々子も予見することはできなかった。



 香霖堂を出た藤原妹紅は、霧雨魔理沙の隠されていた秘密を完全に掌握し、予想が全て事実であった事が証明され、妖事請負としての矜持が満たされ満足した表情を浮かべていた。
「さて、これからどうするか・・・。」
 先程転写眼で焼き移した魔法の森の地図を見つめながら、今後の行動をどうすべきか思案する。
 八意永琳に八雲紫に関する情報を因幡てゐを経由して提供する段取りは整えた。魔理沙に関する疑問点も解決出来た。胃袋もすっかり落ち着いた。取りあえず今日予定したやるべき事は一応全て済ませた事になる。
「しかし・・・。」
 魔理沙を救った霧雨サーヤが今どうなっているのか気になるところである。

 妖術使いとして行動する藤原妹紅は、常に公的な立場にいる事を意識してそれを行動規則として自らを律している。力とは大義に制御されるべきであり、大義なき力の行使は遺恨を残すだけであると心得ている。
 妹紅の所属していた岩老郷妖術使いの里は、武士の発生起源よりもだいぶ前から存在する朝廷の荒事を請け負う外部委託組織である。正式には岩老系対妖事請負と呼ばれており、岩老郷に属する者は公僕という扱いで、公務以外の対外的な私的死闘を固く禁じられ、朝廷の為にのみ任務に従事し、莫大な報酬を得ていた。
 妹紅にとって戦いとは公的な仕事であり、朝廷との繋がりが途絶え独りとなった後も、基本的に妖怪退治という仕事を公務と位置付けて、それ以外で術師として技を使う事はなかった。
 外界での術師としての最期の仕事が八雲藍討伐で、それ以後身体を不死鳥に乗っ取られ一向宗討伐という人間狩りをしてしまうが、これは術師としてではなくただの殺人鬼の仕業だった。
 幻想郷入り後、永遠亭を仇として公的な任務と位置付けて復讐を果たそうとしたが、彼らがその崇高な信念をぶつけるに値しないゴミ屑以下だと知ってからは、術師として彼らと対する事はしなかった。
 妹紅は風見幽香と出合った当初に幻想郷についてあらかたレクチャーを受けたが、幽香なども含めた八雲一家と博麗神社の関係、八雲紫の重要な役割を知り、そこで紫を幻想郷の事実上の主と認め、幻想郷に関する彼女の頼みを勅旨と受け止める事にした。今回の異変で無条件で紫の指示に従うとしたのも、この異変を公務と捉えていたからである。
 紫が関係する荒事については公的任務と受け取り、術師としての妹紅本来の力を解禁しても良いと自分の中で決めた。先日の永遠亭との戦いは正にソレで、公僕として自己を捨てたのである。
 不死人狩り当時は八雲紫という存在を認識しておらず、この戦いを私闘と位置付けて相手を痛めつけても良かったのだが、この時、妖怪達の思考に一定のベクトルがかかっているのを感じとり何者かの意志による組織的な行動と見て様子見を決め込み手をださず、永遠亭に対する復讐に利用した。結果としてそれは八雲紫の失態を防ぎ、その立場を救ったと先日、八雲藍から聞いた。
 妹紅は異変に関するこれまでの全てにおいてその結果に満足している。
 だが、魅魔の件はそれとは違う。魔理沙の事は任務のついでとしても、吸血鬼の件は完全に私闘となり、更に言えば八雲紫に対する背信行為となる可能性がある。
 風見幽香にそれを教えられるまで気が付かなかった自分が情けないと思うと同時に、その事を教えてくれた彼女には感謝しなければならないだろう。

「・・・。」
 妹紅は香霖堂の入口の前で、右手の森か左手の里かどっちに進むか迷う。
 今晩、三回目の魅魔との会合は、吸血鬼と距離を置きたいとは思うものの、話の成り行きから断る事も出来ない。魅魔と紅魔館のみの交渉だけだとしても、魅魔を呼び出せるのは現状妹紅だけなので、必ず立ち会わなければならないのである。
 魔理沙の母親の件については敢えて踏みこまなくてもいい領域でもあるし、それに関われば、吸血鬼の時のようにまたおかしな方向に行くかもしれない。ただ、この件に関しては妹紅の個人的な事なので、紫に対する裏切り行為にはならないだろう。
 里の方を向き家に帰って夜まで休もうかと思うが、激しく後ろ髪を引かれる妹紅。
「やれやれ・・・。」
 先程の森近霖之助の涙を思い出した妹紅は、頭を掻いて自分の気持ちに背くのを止めた。


 東西に長い魔法の森の中央から西側の一体は南側に博麗の里、北側に霧の湖を挟んで紅魔城を配し、吸血鬼戦争当時は常に戦線が不安定な激戦区の一つだった。
 見通しが悪いため両軍共奇襲をかけるうえで最適な魔法の森だったが、数的に不利でしかも包囲されている吸血鬼軍は開戦当初は守勢で、数的不利を挽回するために森に大量の罠を埋設させ南側からの侵入速度を鈍らせていた。大量に埋設された罠は、迂闊に侵入して被害に会う愚を避けかなりの数の罠がそのまま放置され、未だにその危険性が取り除かれていない。
 戦後に罠の解除中に事故を起こし連鎖的に被害が広がり、これによって森の性質が大きく変わってしまい、500年経った今でも有毒な危険地帯を残す結果となった。
 比較的最近幻想郷入りした妖怪の中にはそのことを知らず住処を探して森に入って被害に会う者がいる。
 戦争後半の吸血鬼軍の攻勢の際には、この罠が邪魔をして最も楽に落とせるはずだった博麗の里への侵攻がままならず、里は被害を最小限に食い止め終戦まで持ちこたえることが出来た。
 玄武沢と呼ばれる岩の多い一体は大戦時の影響で地形が変化したとも言われるが、風穴がいたるところに開いており、どこからくるのか常に中から空気が流れて出て周囲の毒気を飛ばしているので魔法の森の中ではそこは比較的安全な場所となっている。
 秋から冬にかけては妖怪の山から吹き下ろす「山おろし」という季節風で森の危険地帯は東に移動し、春から夏にかけては南東の南風で危険地帯は西に移動する。
 魔理沙の家はそれほど危険ではないが、西風が強い日は神社に避難している。

 一度空に上がった妹紅は、霧の晴れた湖とその先の紅魔館を視界に入れる。霧が晴れるのはとても珍しいことなのだが、湖のことなど全く気に留めて生活していない妹紅としては、それがどれくらい珍しい事なのか分からず特に関心も感動もなかった。ただ、山と湖と館という構図の景色はとても美しいと感じた。
 竹林上空から見た時より湖は当然近く見え、鏡のように景色を反射している。これはさざ波がほとんど立っていないほぼ無風状態を意味している。
 妹紅は身体を横に向けて魔理沙の家の方を見る。
「やってるな・・・。」
 無風なので森の一画から立ち上る一筋の煙が見える。よく見るとその向こうの左手にも煙が立っており、あれは魔理沙が言っていたアリスという森に住む人形使いの家のものだろうか。
 妹紅は、魔法の森の地図を写した呪符と景色を見比べて、西洋墓地のあると思われる場所に目星をつける。
 香霖堂からだと紅魔館まで真っ直ぐ繋いだその線上にそれはあると見た妹紅はひとまず紅魔館を正面にして飛ぶことにした。
 西洋墓地は上空からその形を見ることは出来なかったが、明らかに周囲とは違う気を放っているので、直ぐに場所はわかった。
 妹紅は直接墓地の真上から降りる事はせず、少し離れた場所に降りて徒歩で現場に向かう。
 墓地というと、頻繁ではないにしろ人の往来があってしかるべきで、その痕跡はどこかにあるものである。しかし、少なくとも妹紅が降りた周辺には人の通った痕跡はなく、その状態は墓地に着くまで全く同じだった。
 魔理沙の家や香霖堂付近の森は明らかに人の手が入った形跡があり隘路となっているが道はしっかり存在した。しかし、ここには全くそれらしいものがない。
 鬱蒼と茂った森は光を遮り中は日没後の様に薄暗く、垂れ下がった木の枝や蔓で視界が悪い。木も地面も全体的に苔が生し、空気の流れがないせいか湿気でカビ臭く、周囲は悪い病原菌の吹きだまりのようで、つい手で口元を覆ってしまう。
 薄もやの正体は霧ではなく菌類の胞子や微細な虫が漂っている為で、毒がなくても大量に吸えば普通の人間なら身体を壊す可能性がある。
 小動物の姿は無く、じっとしていれば、至る所から蟲や粘菌が這い寄ってきて靴が汚れる。
 美しい自然などと言うが、不衛生で汚いこの森もまた自然の一つの側面である。

 不快感に耐えつつ、森を分け入るとやがて空が小さく見える場所に出る。
 わずかな木漏れ日が薄もやがかった汚い森の景色にほんの少しだけ清潔感を与える。見たこともない植物が木漏れ日の下で小さな毒々しい赤い花を咲かせおり、その周囲に小さな羽虫が飛んでいるのが見える。生えている植物が周囲と若干違うが、陽光の差すその場所には小さな生態系があることが分かる。
 少しの間その光景を眺めていたが、その周辺に疎らに石がある事に気付く。気付くのに時間が掛かったのはそれらに全て苔が生して地面の凹凸にしか見えなかったためで、それに気付くとこの周囲一帯がそうした石で一杯であることが改めて確認出来た。これは墓地が近い事を示している。
 禍々しい気は、木漏れ日の広場の先だ。妹紅は意を決してそちらに足を踏み入れる。
 全体が緑がかった薄暗い靄を抜けると、明らかに人工的に作られた石の板を見つける。墓標だろうか。
 石の板を地面にそのまま置いたように見える。棺の蓋にもなっているのかもしれない。ちょうど人を寝かせたほどの大きさの長方形の石ばかりである。
 石碑のように立てて置かれている石もあるが、苔がびっしり貼られて何が書いてあるのかわからない。そもそも石と決めつけているが、表面が見えないのでそれを石だと目で確認しているわけではない。
 人の入った形跡を見つけてそこに近付いた妹紅は、恐らくこの辺に魔理沙が倒れて、魅魔らがここで何かをしたのだろうと、当時の様子を頭に想像してみる。
「サーヤはどこだろう・・・。」
 妹紅がそう呟いた時である。キーンという耳鳴りで周囲の気圧の変化を察知し、探索行動をやめてポケットに手を入れる独特の戦闘体勢をとる。
「呼んでる・・・。」
 妹紅は誰かに呼ばれている気がして周囲を見渡す。直ぐに片手で持てる程の小さな光る球体を発見する。
「人魂か・・・。」
 近付く妹紅から逃れる様に奥に進むその光の球。妹紅は逃げる光を追わずその場で止まったが、同時に光の球も止まる。
「ついてこいって事か。」
 妹紅は光の球の動きの意味をそう解釈して再び後を追い始める。
 地面から生えるように飛び出した石の墓標と思われる物が乱立する場所に来る。その一つの上で止まった光の球はそこで消える。
 妹紅はその光が消えた石の周囲を調べる。目星を付けた石に手を触れてみるが何の手応えもない。しかし石の後ろを覗き込むとそこに小さな壺を発見した。骨壺である。
「これがサーヤの遺骨か・・・。香霖堂の店主はここに置いたのかしら。」
 妹紅がその骨壺に手を伸ばした時、突然後ろに人の気配を感じ振り向く。
「!」
 振り向いた妹紅は、マルキで見た絵と同じ顔の女性をそこに見る。
「サリマン・・・クロォイツ・・・。」
 霧雨サーヤではなく、本名を口にする妹紅。その姿は朧気で明らかに実体ではないと分かる。
「私の名前をご存知の様ですが、私はあなたを知りません・・・。どのような用件でそれを取ろうとしていたのでしょう?」
 それとは骨壷の事である。
「・・・魔理沙、霧雨魔理沙の件で来た。」
 妹紅が魔理沙の名前を出したその時である。妹紅を中心に半径2メートル程離れた空間全てが歪み始め、まるで背景と同化する擬態を解除した様に、フード付きのマントで顔から全身すべてを覆い隠した人のような無数の影が次から次に現れてあっと言う間に妹紅を取り囲む。
 何者かが隠れている痕跡を全く感じなかった妹紅は流石にこれには驚き声も上げられず、骨壺を取ろうとして中腰のままサーヤに振り向いた体勢でその様子を見入るように固まってしまう。
 その人影は背格好はばらばらだがマントの形状は同じで、それぞれ絵柄が異なった十種類程のデザインが確認できた。総勢30人以上というところである。
 上半身だけ回して周囲を見渡し、完全に取り囲まれた事を理解する。もはや腹をくくるしかない。
 しかし、どうも雰囲気がおかしい。こちらを害すような殺気は微塵も感じず、眼中にないのかむしろこの状況を楽しむ様に皆一様にフードの奥で笑みを浮かべている雰囲気である。
 その内の一人がしゃべりはじめると、堰を切るように周囲がそこかしこで雑談するように騒ぎ始め、墓地全体がざわめき始める。
「どこの誰かは知らぬが、生憎この女の魂は我々が先に手を付けたのものだ。」
 女性の声だった。
「しかし、本当に現れるとは思わなかったな。」
 男性の声である。
「そうなると、賭はこの女の勝ちか?」
「いやいや、まだまだ勝負はこれからだ。」
 何を言っているか意味が分からないが、どうやら何かの賭け事について盛り上がっているようである。
 よく見ると霧雨サーヤ、サリマンは首に棘の輪を掛けられており、捕らわれの身という印象を受ける。
 連中は一体何者なのだろうか?サーヤとは違い、上半身は実体に見えるが下半身が朧気で生者には見えない。この一人一人が余裕で風見幽香を超えるほどの力を持っていると感じる。これほどの力を持つ者がこれまで無名でいることが信じられない。それとも自分が知らないだけで、彼らは幻想郷では有名な集団なのだろうか?
 妹紅は、輪の中心にいながら何故か話の蚊帳の外にいるようで居づらさを感じる。
 誰かがそれに気付いたのか、話題を妹紅に振る。
「失礼した客人よ。我が名はカーミラ、トレメールの血盟主。一応ここのリーダーの様なものだ。」
 それは、先程一番先に聞いた大人の女性の声だった。その逞しく凛々しい口調は風見幽香の様である。リーダーと宣言した時周囲から「ふん」という鼻を鳴らすような声がいくつか聞こえた。皆ほぼ同格という自負心からだろう。
「(トレメールってどこかで聞いたような・・・。)」
 妹紅はどこかで聞いた事のある言葉だと、そう遠くない記憶を辿る。
 直ぐに思い出した。吸血鬼の血盟の一つで、謀略に長けアルカードに背き続け、下った後は幻想郷軍を最も苦しめた吸血鬼軍の総司令官の所属する血盟が確か『トレメール』といった。
「(こいつら・・・吸血鬼の始祖の霊か!)」
 全方位を霊に囲まれ蛇に睨まれた蛙のようにじっと動かない妹紅。動きたくても迂闊に動けない。
 相手はこちらの言葉を待っているかのように、先程の喧騒とは打って変わって静寂が墓地を支配している。
「私は、サーヤに会いに来たの・・・。」
「会って話すだけならいくらでもしていくがいい。だが、こやつの魂は我々のものだ。取り返しに来たというなら応じられぬ。」
「・・・誰かが言ったけど・・・私が来るのを予想してた?」
 本当に来るとは思わなかったという声の意味を妹紅は聞いた。
「我々は賭をしていたのだ。」
 恐らく、妹紅が訪ねたセリフを言った者だろう。しかし、声が頭に直接飛び込んでくるせいか、誰がどこでしゃべっているのかわからない。ただ、サーヤの魂は自分らのものと宣言したトレメールのカーミラと名乗った者は、恐らくサーヤの首に巻かれている棘の戒めを持っており、その立ち位置から誰かを特定できる。
「賭?」
 妹紅がその事を訪ねると、カーミラが戒めを少し引くようにして何かを合図する。サーヤ自身の口から話せという合図だろう。
「私の娘がここで無礼を働き為す術もなく殺されてしまいました。娘の魂は奪われこの方達のものになってしまったのです・・・。」
 悲しい表情で妹紅をじっと見つめながら理由を話し出すサーヤ。妹紅は彼女の骨壺を取ろうとする体勢を改め、ゆっくりと立ちあがって姿勢を正す。
「当然の報いだ。」
 誰かが言う。が、誰かはわからない。
「誰かが来たとして、我々はもはや争い事に興味などない。しかし、こやつの娘は躾がなっておらず、余りにも無礼な振る舞いをしたのでな・・・我々に非はあるまい?」
 当時の事情を説明するカーミラ。最初は魔理沙など相手にしなかったようだが当時増長の極みにあった魔理沙は何か彼らの琴線に触れる事をしたか言ったかしたのだろう。
 最後の言葉はサーヤに言った様で棘の戒めを少し絞る。顔を歪めたサーヤは「はい」と返事をして、カーミラ達に非がない事を認める。
 言わされている様に見えるが、実際に魔理沙が無礼を働いた光景が容易に想像出来る妹紅としては、このやりとりに文句は言えなかった。
 サーヤは恐らく捕らわれた魔理沙の魂の代わりに自分を差し出したのだろう。
 フードの陰に隠れて表情は見えないが、全員こちらを注視しているのだろう。正対しているカーミラはかろうじて顎のラインがわかるだけである。
 観察してみると、同じデザインのマントも中の者の背格好に合わせて様々なサイズがあり表情は隠せても体型は隠せない。カーミラは間違いなく女性だろう。背は高いものの体の線が他の者に比べ二周り程細い。そこから他の者も男性か女性かをシルエットでおおよそ判断できる。
 柄が血盟を表しているのだろうか?カーミラと同じ絵柄のマントの者は背が高く痩せ型が多い。トレメールは魔法使いであり謀略を得意としている血盟で、恐らく腕力で他の血盟に劣り、それが体格に現れているのだろう。
 こうして見ているだけでかなりの情報を得られる。
「・・・いい目をしてる・・・。」
 カーミラが冷静に周囲を分析している妹紅を見ながらそう口にする。
「その目は、自分の命を差し出してでも、他人を生かそうとする人間の目だ。」
 自己犠牲は人間しかやらないと妖怪は言う。吸血鬼にとってもそれは奇異で滑稽でそして真似出来ない事なのだろう。
「先に言っておくが、サリマンは渡さんぞ?賭けで私達が勝てば娘の魂も私達のものなのだからな。」
「その賭けはどういうものなの?」
 駆け引きなしで率直に聞く妹紅。それに呼応して、カーミラはサーヤの背中をついと押す。代わりに説明しろという事だろう。
「・・・私は捕らわれた魔理沙の代わりに、自分を差し出しましたが、彼らはそれに応じませんでした・・・。」
「無礼を働き、罪を負うのは娘であって、お前ではないからな。」
 カーミラとしては道理に沿った行動をしただけで、後から出てきたサーヤの頼みを聞く義理はない。
「そこで私はある提案をしました。」
「提案?」
「魔理沙が生きるか死ぬかの賭けという名のゲームを提案したのです。」
 それは虫が良すぎると思った妹紅。
「勝負に勝てば娘の魂は戻り、負ければ娘は私のものということだ。」
 カーミラが抑揚の無い棒読み口調で説明するが、その後すぐに別のだれかが口を開く。
「誰がそんな賭けにのるか?」
 最もである。既に魔理沙の魂はカーミラ達のものなのだ。
「はい、もちろんこんな条件の賭けに彼らは応じません。そこで賭けの席に着くよう、無条件で彼らに貢物を差し出しました。」
「!・・・そうか、サーヤの魂を賭けに乗るよう先に売り渡したのか。」
「そう、こいつは自分の魂を先に私達に差し出したのだ。なんとも愚かな事だ。」
 それに応じてあざけるような小さな笑いが周囲に起こる。
「賭けに勝てば魔理沙の魂は彼らのもの・・・私のものも含めれば2人分得られます。例え負けても1人分は既に手にいれていますから、勝敗に関わらず損はしません。」
「一切の損はせず、1を得るか、2を得るかだけの勝負、こちらとしては乗らない手はないだろう?」
「確かに・・・で、その賭けの内容は?」
 だいたい分かるが一応聞く妹紅。
「死んだ魔理沙が完全に生き返るかどうか・・・ただそれだけです。」
「随分と分の悪い賭けに出たものね・・・勝機はあったの?」
「我々もそう思ったよ。楽勝だとな。だが、すぐに魅魔が現れ娘を生き返したのだ。」
 カーミラではない男の声が悔しそうな口調でそう言う。妹紅は発言者の心の動きを感じとってどこの誰がしゃべっているのかだいたい把握できるようになり、そちらに視線を向ける。
 魅魔というキーワードを出したが、当然敵の大将なのだから知っていてもおかしくない。
「だが、魅魔のやり方は反則だ。結果を先延ばしにしただけだ。」
 妹紅は顔を傾けて後ろにいる発言者に視線を送る。無理やり魂を繋いだ魅魔のやり方は確かに反則といえる。
「我々は少しルールを変えた。このまま娘が寿命で死ねば我々の勝ちとな。」
 魂を賭けに使うゲームなど道義上あまり好ましくないが、吸血鬼らの言っている事は全て道理をわきまえており否を挟める隙がない。何よりこの場合、道理を曲げているのはサーヤなのだ。
「・・・妥当ね。」
 また視線を変える妹紅。彼の言う通り不当なルール変更ではないと思う。
「数年が過ぎた。そして、お前が来たのだ。」
 発言者がカーミラに変わり正面に向き直る妹紅。
「・・・お前は一体何者だ?娘を生き返しに来ただけか?それとも・・・。」
 それとも、何だろう?言いかけるカーミラの視線、いや全員の視線が先程と変わっている事に気づく。敵対とは明らかに違う、何か期待に満ちた視線だ。
 いったいどんな答えを期待しているのだろうか?
 彼らは間違いなく500年前の大戦における戦犯だ。話を聞いた限りではもっと邪悪な存在だと思っていたが、思った以上に大人しい。というより、魂だけの存在となった今、執着を捨てて本来の姿になっているだけかもしれない。
 しかし、ここで下手なことを言って怒らせると彼らは怨霊になる可能性もある。
 彼らは魔理沙らとは別に明らかになんらかの理由でここにいる。賭は単なる暇つぶしに過ぎないのだろう。
「(・・・彼らの伝説になる真の王の誕生と関係あるのだろうか・・・。)」
 吸血鬼軍では各々が王にならんとして権力闘争をしていたはずだが、ここに居て彼らのやりとりをみる限りそうした政治闘争が行われている雰囲気はない。
 肉体を失った後、彼らは本質的に何かが変わったに違いない。
 レミリア・スカーレット、もしくはフランドール・スカーレットは、真の王の資格者であることに間違いないだろう。しかし、まだ真の王とは言えない。
 魅魔は、レミリアを真の王にしようと目論んでいる。それもかなり強引に・・・。魅魔を動かしているのは単に個人的な感情だけではなく、ここにいる吸血鬼の魂達の期待を背負っているからだろうか。
 その理由を知る為には、彼らがここで何をしているのかを知らなければならない。
「あなた方はここで何をしているの?迷い込んだ魂を釣り上げて遊んでいるだけではないでしょう?」
 妹紅は質問に答えず、質問で返した。
「質問に答えて欲しければ先に名を名乗ってくれ。」
「失礼・・・私は藤原妹紅。」
「藤原妹紅よ。我々の姿を見てどう思う?」
「どうって・・・。」
 肉体の無い霊的な存在という感じではない。サーヤの全体的に朧気な姿と比べると実体にかなり近い。しかも亡霊のような生前の肉体に執着を引きずっている感じでもない。元々そうだったように振る舞っている。
「他とは違う・・・としか分からない。」
「そう、我々、吸血鬼始祖は他の生き物と根本的に違う。」
「どう違うの?」
「我々には死の概念がないのだ。」
「死が・・・ない?」
 吸血鬼の始祖は人間が文化を持つはるか以前から存在し、風見幽香と同じ古妖(こよう)の一種であるが、死なない、死ににくいということではなく死という概念すらないということである。肉体は滅んでも存在は永久に存在し続けるという事である。
「創造主とやらが、我々を創る時に死という概念を与えなかったのよ。」
 カーミラではない少し甲高い女性の声。
「失敗作ともいえる我々を元に、人間や他の知的生命体が創られた・・・と言ったら藤原妹紅は信じるか?」
 月の世界の創世を聞いた妹紅としては、その話の真偽はともかく受け入れる事は出来る。ただ、それを知っていながら、派閥闘争をしたり、幻想郷に来て戦争を起こす事もないだろうとは思う。色々と矛盾を感じる。
 妹紅は発言者に振り向きつつ答えを保留した。駆け引きとしてではなく、単純に即答できなかっただけである。
「我々は忘れてしまっていたのだ。」
 カーミラが言う。
「何を?」
「我々は死を探し求め流浪していたことを・・・だ。」
「死を探し求める?」
 妹紅はこの時、死ねない自分と彼らを重ねた。
「世界に人間の造った文明など無かった時代、我々は世界に散って死という概念を探し求め彷徨っていた。」
「やがて人間が現れ、我々と接触し、様々な衝突が生まれた。」
「最初は、虫がまとわりつく程度のものだった。」
「それが次第に鬱陶しくなり、それらを排除したり手なずけたりする内に、我々は彼らの文化に取り込まれ、価値観を変えてしまったのだ。」
「なるほど・・・。」
 無欲だった彼らに欲が生まれ執着心が芽生える。小さい事にこだわって生きる目的を見失ったのだ。しかし、戦争で敗れ肉体を完全に滅ぼされた彼らは、俗世との関わりが断たれた時、ようやく本来の目的を思い出したのだ。
「我々には古来より言い伝えられた言葉がある。流浪の民である我らが再び集結した時、死の運命(さだめ)を与える真の王が誕生するとな。」
 それは運命を操る力・・・レミリア・スカーレットの持つ力のことか!
 吸血鬼に関する話は魅魔から聞いていた。娘を立派に成長させたい親心のような感情がレミリアに対する特別な想いとなって魅魔を動かしていると妹紅は思っていた。しかし、どうもそればかりではないようだ。例えば、本当の目的が彼らの救済で、レミリアの能力を単に利用しているだけかもしれないのだ。
 恐らく目的の順位に上下はないだろう。全てひっくるめて魅魔は吸血鬼を助けようとしているのだ。
 しかしそうなると、仮にレミリアに対する想いではないとしたら、魅魔の吸血鬼救済の強いモチベーションはどこから来たのだろうか。
 彼らの口から魅魔というキーワードは出た。それは敵として知っているからか、それとも何か彼らと深い関係があっての事か。
 妹紅は記憶を辿った。
 魔理沙に危険地帯としてこの西洋墓地を教えている。と言うことは、そこに何がいるかを魅魔は知っているという事だ。では、彼ら吸血鬼の魂はどうやってここに来たのか?戦争の後始末については魅魔がやっているはずだ。この場所を選定し、彼らを移動させたのは魅魔だろう。ならば、魅魔と彼らはある程度深い関係になっていてもおかしくはない。
「魅魔は・・・どうしてあなた達吸血鬼の肩を持つの?」
 妹紅は話の前後に必要な説明を敢えて省略して単刀直入に聞く。
「・・・。」
 押し黙るカーミラ。しかし別の声がその理由を教える。
「魅魔は女だ。」
「つまりそういうことだ。」
 男性の声が短く続く。
「!・・・なるほど、そういう事なのね。」
 盲点だった。吸血鬼に対する想いは、アルカード・ブルブラドという個人に向けられたものだったのだ。それは、単に男と女の関係だけではないだろう。人としてその存在を高く評価し、崇拝に近い感情があったのだ。つまり、魅魔はアルカードに惚れていたのだ。
「敵の男に惚れるとは、節操のない女だ。」
 カーミラが言う。しかし、その言葉とは裏腹に軽蔑の感情は籠もっていない。
「お前も人の事言えんだろう。」
 周囲からせせら笑う声が立つ。
「くっ・・・。」
 なるほど、カーミラもアルカードに惚れていたのか・・・ヴェントルーに執拗に嫌がらせをしたのはそういう事だったのだ。女心とはそういうものだと女である自分を棚上げする妹紅。
「カーミラだけではないさ。奴は男のオレでさえ魅了する。」
 本気とも冗談とも取れるいたって真面目な野太い声に、周囲に様々な感情を含んだ笑いが起こり、ため息のほとんどが女性のものである。カーミラ以外の女性も密かにアルカードに想いを寄せていた者は少なくないのだろう。
「今の私達には、惚れた腫れたの愛欲も何も無い・・・。」
「・・・ただ、あるのは思い出だけだ・・・。」
 昔を懐かしむような声が続くと、潮が引くようにざわめきが収まっていく。
「・・・。」
 妹紅が何かを言おうとしている事を察知して、周囲が聞く態度になる。
「・・・私は、サーヤの娘魔理沙に会い、そこで魅魔を見つけたの。魅魔は今でも吸血鬼救済の為に行動している。私も少しその手伝いをしているわ。」
 周囲の空気が変わる。
「我々にはもはや死以外欲しいものはない。そなたにわかるまい・・・この気持ちを・・・。」
 自分達の気持ちなど誰も分かるはずがないという口調で諦めるように言うカーミラ。
「わかるわ。」
 その言葉に妹紅は強い口調で即答した。
「!!」
 妹紅の言葉に最初は口先だけのものと怒りの反応を示したカーミラだが、その目を見て何かを悟り怒気を収める。
「・・・お前も死を探し求めているのか?」
「昔はね。」
「そうか・・・そなたの旅が無事終わる事を心から願おう。」
「ありがとう。」
「では、さらばだ。」
 妹紅を取り囲む陰が一斉に頭を下げ、その姿勢のまま後ろに下がり、出てきた時と同じように背景に溶けていく。
 最後にカーミラが掴んでいた棘の戒めを放り投げるようにして踵を返し景色に染み込む。
「ふー。」
 何かをやり遂げたという達成感を覚えながら、一つため息をついた妹紅は、サーヤに歩み寄り首に巻かれている棘を取ろうとする。
「どうか、このままで。」
 サーヤはその妹紅の行動を拒絶した。
「何故?カーミラはあなたを解放したのではないの?」
「私を縛る力が魔理沙を助ける力を呼んだのです。これは制約という名の呪い。私の苦しみはあの娘の救済の力になるのです。」
 呪いの仕組みを魅魔から聞いていた妹紅は、サーヤのその言葉にはっとなって手を引っ込める。呪いが成就された時、彼女の魂は消滅する。
「いいの?」
「ええ・・・それより、娘の為に骨を折ってもらい本当にありがとうございます。そう願ってこんな賭けをしたものの、本当にそれが・・・。」
 そこまで言って感極まって言葉を詰まらせるサーヤ。
「まだよ。まだ終わっていない。」
「ええ、わかっています。でも・・・。」
 文字通り命を賭けた母の想い。彼女の魂の死を無駄にしないためにも、魔理沙救済は絶対に成功させなければならいと、改めて心に誓う妹紅。そして・・・。
「運命を紐解けば、私の完全な死を見つける事ができるかもしれない・・・。」
 もちろん、今すぐでなくていい。最期が訪れない人生の虚しさは吸血鬼達に教えられた。それを熱望する思いも妹紅には理解出来た。
 吸血鬼救済はもはや魅魔や紫の関係する他人事ではなく、自分自身の大きな問題に繋がる案件となった。
「誰の為でもない。自分自身の為に・・・。」
東方不死死 第35章 「紅魔館のメイド」


 幻想郷東部中央に東西に伸びる魔法の森の北に、『霧の湖』と呼ばれる大きな湖がある。
 この湖はかつての大戦で散った無数の亡骸を湖底に残したままで、その死者の残滓が不浄な魂の淀みを生んだ。湖はやがて、それそのものが一つの霊となり強い霊気を帯びて冷気を放つようになった。
 一年を通して発生するこの冷気は、まるで生き物の様に脈動し一定周期で水面に放たれる。
 冷気の出ていない僅かな時間に太陽光で湖面が温められると水蒸気が発生する。そこへ周期的に発する強い冷気が湖面付近の水蒸気を凝結させ霧を発生させる。
 これが湖の名前の由来となった特有の現象『晴天の濃霧』を生み出す仕組みである。


 幻想郷の夜は月のない日も様々な光に満ち溢れ、完全な闇夜は存在しない。もし視界に光が無くなればそれは妖精や妖怪の仕業だろう。
 霧の湖はそれそのものが冷気を出すタイミングに合わせて淡く斑光を放つが、今夜は何故か黒い闇を湛えたままで、湖面に浮かぶ幽霊や妖精の放つ光をだた反射させているだけであった。
「今夜も湖が静かに眠っている・・・。」
 館の主、レミリア・スカーレットの就寝に付き添い、その役目を終えた十六夜咲夜は連夜の「湖の眠り」という現象を紅魔館の廊下の窓から眺めていた。
 年に数度しか起こらない「湖の眠り」現象が二日続けて起こっている。
 幻想郷入りしてからまだ10年経っていない咲夜であったが、こんなこんなことは初めてである。以前にもこの様な事があったのだろうか。主の親友であり紅魔館のナンバー2、図書館知識の塊パチュリー・ノーレッジに尋ねてみようかと思うが、彼女はあまり外に出ないので、湖が夜発光する事自体知らないかもしれない。

 窓から目を離し歩き始める咲夜。
「あら?」
 美しく磨かれた大理石の長い廊下には、人が二人ほど並んで歩ける幅の薄い深紅の絨毯が敷かれている。咲夜は先日掃除したばかりで汚れ一つ無い絨毯を歩くのを躊躇い、それを避けて窓際に寄った時、外から館へ入ってくる何者かの影を確認する。
 いつもやってくる黒い魔法使いだろうと思う咲夜だが、念のためそれを確かめる為外へ飛び出し、時間を止めてその影に迫った。
「あれは・・・。」
 その影の正体はパチュリーのファミリアだった。
「パチュリー様にお使いでも頼まれたのかしら・・・。」
 時間を止めている間はセピア色のモノトーンの世界になる。その為、容姿が同じである複数のファミリアのうちの誰かを特定するのが困難である。
 単一色で濃淡だけの世界は、暗い色は濃く、明るい色は淡く再現されるので、髪の毛の濃度である程度個人を絞る事は出来る。髪が濃く見える事から、紅髪のルビーか、黒髪のアレクだろう。あるいはエメロードの可能性もある。
 そういえば黒髪のアレクは今日は非番なのでパチュリーのそばにいるはずだ。お使いを頼まれるとしたら彼女になるだろう。
 手には一枚のカードを持っていたが、恐らく用件が書かれたメモだと思われる。
 パチュリーは何か外に用事がある場合、自分が行かなければならないような案件でもなければ大抵使い魔達にそれをやらせるのである。
 紅魔館ナンバー2でありレミリア以外で唯一傅く立場であるパチュリー・ノーレッジの命で動く使い魔の行動を詮索する立場にない咲夜は、そのまま見なかった事にして紅魔館に引き返す。


 紅魔館に戻った十六夜咲夜はメイドの控え室に戻った。
 この控え室は厨房や更衣室、休憩室と隣接している紅魔館で働く者共通の詰め所である。
 咲夜の入室で、詰めて待機しているメイド達がおしゃべりを止め一様にかしこまって頭を下げる。
 紅魔館のメイド構成は、メイド長の十六夜咲夜の下に直属の七曜魔がおり、その下に雑用の下級メイドがいる。
 七曜魔とはルビーを元にパチュリー・ノーレッジが造った7人のファミリアの事で、夜魔リリムをベースにルビーの遺伝子情報を組み込んで強化した悪魔達である。
 パチュリーの独自理論属性『七曜』を司り、その属性のイメージカラーが与えられ、それがそのまま髪の毛や瞳の色に対応しており個体が判別出来るようになっている。
 火属性のジャスパーは朱。水属性のサファイヤは碧。木属性のエメロードは翠。金属性のダイアは金。土属性のトッパーは黄。日属性のペリーは白。月属性のアレクは黒となっている。
 名前の由来はルビー同様、全て貴石から取られているが、必ずしもイメージカラーと貴石の色は同じというわけではない。これは、ファミリア達がフランドールを相手にかなりの数が失われており、最初は律儀に対応させていたのだが、次第に対応しきれず、名前もニックネームのように略すようになった。ペリーは元々はペリドット、アレクはアレキサンドライトと呼ばれていたが代替えを行っていく内に省略されたのである。ただ、貴石から用いるルールだけはそのままずっと続けられている。
 ルビーの遺伝子でかなり強化されている七曜魔達だが、ベースが夜魔リリムで、元々の性格と強さを引き継いでいる。明るい性格のジャスパー、根暗なアレク、気難しいトッパー、乱暴なダイアなど同じ姿をしているがかなり性格が違う。
 七曜魔のオリジナルであるルビーはパチュリー専属で、咲夜の管理するメイド体系とは完全に独立していた。

 メイドは24時間の3交代制で、咲夜が勤務していない時間は七曜魔が持ち回りでメイド長代理となって下級メイドを管理している。
 3交代制だが、必要な人員は館の主であるレミリア・スカーレットのスケジュールと連動し、勤務時間と必要人員は変則的である。
 レミリアは、活動時間を夜間だけにしているわけではなく、例えば昼行性の博麗神社の巫女に時間を合わせて行動する時は昼型の、制約なしに自由に外に出歩く時は夜型と臨機応変にしている。
 メイド達のスケジュールはレミリアが活動する時間に合わせて人員を多く使い、その段取りは全てメイド長が行っているのである。
 下級メイドは有能とは言えないが、七曜魔はとても優秀で咲夜は彼女達を自在に操り、数の多い下級メイドを間接的に操り広い紅魔館を完全に制御しているのである。
 下級メイドは、下級悪魔、夜魔、フェアリーが主で少数だが里から働きに来る人間や妖怪もいる。ちなみにフェアリーは幻想郷のいたるところにる妖精とは別物で、フェアリーという種族である。
 館の維持だけなら現状のメイドの人数は過剰気味であるが、最近、フランドールが大人しくなってからは頻繁にパーティーを開催するようになったので、その時に必要な人数を基準に総人員を決め確保している。これらの仕組みは全て現在のメイド長が一人で決めて運営しているのである。

「私はこれで上がります。後はお願いね、ジャスパー。」
 咲夜の前に一歩進み出たルビーと間違われやすい朱色のジャスパーに事後を委ねる。今日は彼女がメイド長代理として夜勤に入る。
 壁にズラッと並んだ勤務状況を示す名札の列から自分の名札をひっくり返して掛けなおす咲夜。白地に黒で名前が書かれた面が非番を意味する。
「あら?美鈴はまだ上がってないの?」
 門番の紅美鈴の札が黒地に白抜きの勤務中を意味する札になっているのに気付く咲夜。
「そう・・・。」
 困った顔で頷く表情豊かなジャスパーを見て咲夜は眉をしかめて玄関へ向かう。
「まったく・・・上の者が働き過ぎたら下の者の立場が無くなるでしょうに・・・。何度言ったらわかるのかしら。」
 プンプンと肩を怒らせ、エプロンを外しながら大股で玄関を開き庭を突っ切って正門に向かう咲夜。美鈴は紅魔館の警備責任者という肩書きで咲夜の下、ナンバー2の偉い立場にいる。
「あ、こんばんわ、咲夜さん、夜の散歩ですか?」
 咲夜の接近に気付いた美鈴は、あっけらかんと挨拶をする。
 紅美鈴は咲夜に対して目上扱いで腰が低いが、数年前、咲夜がメイド長に抜擢される以前は立場が全く逆だった。美鈴は咲夜と呼び捨てにし、咲夜は美鈴さんとさんづけしていたのである。
 その美鈴は咲夜のメイド長就任を誰よりも喜び、紅魔館の従業員制度変える際の反発も美鈴が率先して従ったことで不満分子に反抗の隙を与えなかった。自分を呼び捨てにして長としての威厳を確かなものにするよう提案したのも美鈴で、咲夜がメイド長就任後さんづけで呼んで従い咲夜を盛りたてた。
「美鈴、何度言えばわかるの?」
 働き過ぎを注意する咲夜。これは一度や二度の事ではない。
「あ、いや、さっき、パチュリー様とルビーさんが外に出て行かれたので・・・。」
「パチュリー様が?(ルビーも?)」
 先程、廊下でファミリアが外から来るのを目撃している。髪の濃度からルビーかアレクだと予想し、勤務状況からアレクだと目星をつけていたが、あれはルビーだったのだろうか?
「それはいつ?」
「つい、さっきですけど。」
「どこへ行ったかわかる?」
「特に何も言ってませんでしたけど・・・湖に出ましたから方角からすると神社か森ってところですかね。」
「・・・最近、神社がきな臭いから、調査にでも行ったのかしら・・・。」
「ボヤでもあったんですか?」
 言葉どおりに受け取る美鈴に脱力する咲夜。
「はぁ~・・・パチュリー様も出るなら出るで・・・。」
 美鈴の言葉を無視して咲夜は大きなため息と共に右手の掌をそのまま顔にあてて覆う仕草をする。
 紅魔館の防衛システムは美鈴が非番の時侵入防止用の強力な結界が自動的に張られる仕組みになっているので、勝手に外に出られると美鈴は出た者が戻るまで残業になってしまうのである。
「まーまー、もしかしたら魔理沙さんの家に夜這い、いえ遊びに行っただけかもしれませんし、いいじゃないですか少しくらい。」
「め・い・り・ん!」
「じょ、冗談ですよ。」
 両手を振って迫り来る咲夜のプレッシャーを回避する美鈴。
「ったく・・・美鈴はもう休んでいいわ。」
「え?でも・・・。」
「ルビーが一緒なら自力で中に入れるでしょう。」
「大丈夫ですよ私は。湖が寝てますし、珍しいからこのまま見てますよ。」
「・・・そういえば、これで2日目だけど、こんな事今まであったかしら?」
「え、昨日もそうだったんですか?」
 驚いて咲夜に問い返す美鈴。
「あなた、昨日何してたの?まさかまた・・・。」
「え?昨日は非番でしたよ。」
「・・・ああ、そういえばそうね・・・。」
 サボってると思われて口をとがらせてブーたれる美鈴。
「でも、2日連続は私も見たことないですね・・・何か異変が起きる前触れでしょうかね?」
 だからさっき神社がきな臭いと言ったのに、と脛を蹴飛ばしてやりたい衝動を押さえ、これ以上会話が間抜けにならないように無視する咲夜。
「きっとパチュリー様達は湖の調査に行ったのね。」
 そう納得して館に戻る咲夜だった。

 館に戻った咲夜は、先日起こった神社での爆発的な妖気の発生と、最近の湖の異変が無関係ではないだろうと漠然と思い至る。しかし、それを確証に結びつける具体的な論拠や予備知識がない。ただ、なんとなく神社やその周辺にいる妖怪が妖しいとしか言えないのである。
 紅美鈴ほどの武芸の達人になると、周囲の変調にあまり動揺しなくなり気付いていても気にしなくなるだろうが、咲夜の立場としては、主を守る為にあらゆる事象に対応出来る様に常に気を配っていなければならない。
 紅魔館の防御に関しては全てを紅美鈴に任せて問題ないだろう。咲夜としては妖怪の中でも、例えば風見幽香にも美鈴は負けないと思っている。
 咲夜は、まだ正式に十六夜咲夜と命名される以前から美鈴は自分を咲夜と呼び稽古を付けられていた事を思います。


 紅美鈴は大陸から来た前人妖怪で、前人妖怪とは文字通り元々は人間で後に妖怪化した者を言う。
 妖怪化する仕組みは土地柄、風習、術系統など様々で、薬を飲むとか妖怪に術をかけられるとか、泉に落ちるなど、その方法は千差万別である。例えば天狗などはその典型例で、人間が修業して神通力を身につけた前人妖怪の代表といえる。
 前人妖怪はそこに至る経緯の組み合わせは無数に存在するが、その全てに共通する理が存在する。それは妖怪として特徴付ける能力を得る代償として必ず何かを失うということである。
 それは得る力と対極にベクトルが働きやすく、例えば個人的な純粋な力を得た場合は、社会性にとって重要な容姿風貌が乱れ嫌われやすく、社会の中で弁舌を駆使し狡猾に人の心を操作できる力を身につければ、体力は極端に落ち常に身の安全を気にしなければならなくなるなど、生まれながらの妖怪と違い強い力を得れば得るほどにリスクが大きくなる、つまり弱点が顕著になるという特徴を持つようになるのである。
 前述の天狗は、天狗道に堕ちるリスクを常に背負っており、本来人間を超越し人間を制する力を持っていながら、彼らは天狗道に堕ちないよう人間との関係を保ち続けなければならないのである。

 人間だった頃の紅美鈴は幼少から武芸に秀でていたが、その力を悪用されマフィアの戦闘員として悪の限りを尽くしていた。
 裏切りと買収、力と金が物を言う世界。だからこそ信頼出来る仲間は重要だったが、信頼し愛した男に裏切られる。
 追われる身となった美鈴は、復讐を誓い必死で逃げ、当時まだ未開地が多かった大陸内陸部の秘境にまで逃れた。
 そこで、いわゆる仙人と呼ばれる者と出会い、挑んだ戦い敗れ、無理矢理弟子にさせられて、心と身体の修業の日々を送る事になった。
 純粋故にどの色にも染まり易く、運悪く悪に染まった美鈴は、その後の精神修養と肉体鍛錬で純粋な心を取り戻し、修業は目覚ましい成果をあげる。
 その素晴らしい修業の成果に満足した仙人は、美鈴に妖怪化の秘薬を授ける。
 美鈴はその秘薬を有り難く頂戴したものの、このまま永遠に霞を食べて生きていくつもりはなかった。美鈴は過去の過ち、そして未だにはびこる悪の存在が許せなかったのである。
 純粋な正義感は美鈴を再び戦場へと向かわせた。しかしその思いも半ば、当時すでに普及していた銃という近代的な武器の前に体術だけでは抗しきれず、遂に凶弾に倒れた。
 薄れ行く意識の中で、誰かが自分の名前を呼ぶ。
「今お前が一番欲しいものは何だ?」
「・・・力が欲しい・・・。」
「どんな力だ?」
「・・・誰にも負けない力が・・・。」
「バカかお前は、誰にも負けない力とは、存在しない事を意味するんだよ。」
「どうして?」
「存在しなければ、負ける事もないだろう?」
「・・・確かにそうね・・・私は、あの銃とか爆弾とか、ああいうのが効かない身体が欲しい。」
「無敵の肉体ってか?それはお勧めできないな。」
「何で?」
「無敵の身体ってのは、ただ攻撃が効かないだけで、こっちからは何もできなくなるぞ。歩くこともな。」
「それは駄目・・・。」
「なら、自ら望んでリスクをつけな。」
「リスク?」
「そうだ。リスクだ。何でもかんでも只で貰えるわけじゃない。」
「・・・私はバカだから思いつかないわ・・・。」
「うーむ・・・銃が効かない身体が欲しいんだろ?なら、替わりに素手の攻撃は10倍効くってのはどうだ?」
「・・・それでいいわ。」
「おいおい、冗談だよ。もっと考えろよ。肩叩かれただけで骨折するかもしれねーんだぞ?」
「大丈夫、こう見えても身体だけは丈夫だから・・・。」
「・・・まー、お前がイイってんならそれでいいが・・・じゃ、これで契約成立だな。」
「契約?」
「お前、既に薬を飲んだだろ?お前はもうすぐ妖怪として生まれかわる。人間としての最期が妖怪としての始まりだ。」
「そっか・・・私、死ぬのか・・・。」
「なーに、死とは命の状態の側面にすぎん。安心して死にな。そして妖怪になったらせいぜいがんばりな。」
 銃で撃たれて運河に落ち、ヘドロに沈み行く美鈴は、頭の中に直接響いてくる声と対話し、やがて途絶えた。それと同時に美鈴の人としての時は止まったのである。


 美鈴が意識を取り戻し目を開いた時は、下半身が水に浸かって上半身が陸にある状態だった。
 その異常な冷たさに思わず水から飛び出した美鈴は、伸ばした両手の先も見えない濃い霧の中にいる事に気付く。
 しばらくそうしていると、突然霧が晴れて目の前に大きな館が現れる。
 死後の世界なのだろうかと死んだ時の記憶を辿ってみるが、確か自分は妖怪に生まれ変わっているはずだと、死ぬ直前に聞いたあの会話を思い出す。
 試しに軽く頬を叩いてみる。
「?△☆ッ!」
 悶絶してその場にうずくまる美鈴。とんでもない契約をしてしまったと後悔する。
 
 前向きな美鈴は直ぐに気を取り直し目の前の館に一旦背を向け、霧の晴れた湖に目を向ける。
 記憶にあるあばら屋の建ち並ぶ汚く臭い町並みとは違い、何かの本で見たような異国を思わせる美しい景色がそこにあった。
 自分の名前も記憶も全て残っている。ただ、ここがどこなのか分からないし見当もつかない。どうしたものかと思案した結果、背後にある館の人に聞いてみるのが早いだろうと言う当たり前の結論に達する。

 館の周囲は塀で囲われており、正門の両開きの鉄格子は錆びて片方が地面に転がっている。遠目には綺麗に見えた館であるが、建物はともかく庭周辺は荒れ放題で、下手をすると100年以上ほったらかしかもしれない。
 片方が開いた門もくぐろうとした時、正面の空間が歪んでいる様に見えた。手を伸ばしてその歪みを確かめようとしたが特に何も感じず、そのまま身体を門の内側に入れる。耳鳴りが一瞬したがすぐに馴れる。
 おじゃましますと小声で存在しない誰かに断りを入れ、キョロキョロしながら何が飛び出してくるかわからない異様な庭を忍び足でゆっくりと進み、やがて館の玄関と思しき大きな扉の前に辿り着く。
 庭は荒れているが建物は傷んでおらず、強い家力を感じる。人の住まない家はどんなに丈夫に作られていても直ぐに廃墟と化すものだが、この館には館内にいくつもの気を感じ、中に住人がいるのは確かである。
 玄関を数回ノックしたものの、返事がないので独り言の様にお詫びを言いながら扉を開けてとりあえず上半身だけ館の中に入れる。
 玄関ホールの天井は高く、丸い採光窓は赤いガラスが使われている為ホール内は薄紅色に染まっている。
 正面に広い階段があり、突き当たりで左右に分岐して上に続いている。ボスの別荘が確かこんな感じだったと不意に昔の記憶が甦る。しかし、この玄関ホールの様子を見るだけでも、当時のボスの洋館がおもちゃに見えるほど格式の差を感じる。
 完全にホール内に入った美鈴は、天井から吊り下げられている大きなシャンデリアに見とれる。ホール内の赤い光を反射してキラキラと幻想的な美しさを醸し出している。
 扉が静かに閉り、振り向く美鈴は、一度玄関に戻って扉を引いて開くことを確かめ、閉じこめられているわけじゃない事を確認し再び前を向く。
 正面の階段の両脇に奥に伸びる通路、左右の壁にも通路、計4つの通路がホールと繋がっている。2階は左右がバルコニーのようになっており、恐らく1階と同じ場所に通路があるのだろう。
 美鈴はしばらく周囲を伺っていたが、誰も来る気配がないので大声を上げて誰か呼ぼうかと考えている時だった。上から声をかけられその方向に振り向く。
「ここに来ては駄目と言っているでしょう?早く戻りなさい。」
 紫色の服を纏った少女の様な姿の女性がこちらに諭す様な声を掛ける。その言動からこの館の偉い人で、玄関ホールに迷い込んだ下働きの使用人を咎める、そんな感じだと冷静に分析する。昔ボスの館で使用人をこんな風に叱った記憶が蘇る。
 どう応えればいいのか咄嗟に思いつかず、昔の記憶と混同し、しどろもどろになっていた美鈴は、紫色の女性の腕にからみついている赤い服の女の子がいる事に気付き、平静を取り戻す。
 その女の子と目が会い、すぐに視線を紫色の女性に戻した美鈴は、正直に外から来た事を告げる。
 それを聞いた紫色の女性は驚愕して、先程とは立場が逆になったようにあたふたとし始める。
「ふ、フラン、ちょっとここで待ってて、今レミィを呼んでくるから。あ、そこの人、そのままそこにいて。」
 階段を途中まで降りていたその女性はすぐに来た道を、連れていた女の子をおいたまま戻って行ってしまう。
「あ・・・。」
 取り残された赤い服の少女がこちらをじっと見つめている。美鈴はにっこりと微笑んで見せると、その少女の身体から力が抜けて張り詰めていた緊張の糸が緩むのを感じた。
 美鈴は笑顔のまま、膝に手を置いて背を丸め、右手で手招きをする。少女はそれに応じてゆっくりと階段から下りてくる。美鈴はそこである事に気付く。
 手摺りが邪魔でよく見えなかったが、その少女は大きなぬいぐるみを引きずっており、しかし、そのぬいぐるみはボロボロで、耳と思しき部分が引きちぎられ、目と思われる部分も片方がえぐりとられ、手足も片方ずつなかった。胴体も一部切り裂かれ中から綿が飛び出している。
 美鈴はこの少女が普通ではない事をすぐ理解した。しかし、美鈴は笑顔を絶やさず、少女がそばにくるのを待った。
 目の前に立った少女は、つまらなそうな顔のままじっとこちらを見上げる。
 美鈴は思わず少女の頭に手を置いて撫でる。その時、門をくぐった時と同じような耳鳴りがした。
「(なんだろう・・・今の。)」
「おい!お前。」
 突然、ドスの効いた声が聞こえた。
「え?は?」
「お前、その手をどけろ。って、何で壊れないんだ?今手を吹き飛ばしたはずなのに・・・。」
 不機嫌そうな少女は、頭を撫でる美鈴の手を払いのける。その時また耳鳴りがした。
 そのイライラした感情が前面に出た汚い言葉遣いは、最初この少女から発せられたものだとは思わなかったが、手を払いのけられた時、確かにこの声はこの少女からのものだと確認できた。
 美鈴はまた記憶が蘇った。マフィアのボスの娘もこんな感じだったと・・・。しかし、そう強がって見せているだけで、本当はとても心が優しい娘だった。この少女もきっと・・・。
 この時美鈴は、ある決心をして少女の予想になかった行動に出た。
「う、ううう・・・く、苦しい・・・。」
「?」
 美鈴は突然心臓を抑え、苦しみもだえるようにその場で膝から崩れ落ち仰向けに倒れる。
「た、助けて・・・誰か・・・。」
 そのまま、ガクッと首を傾け死んだフリをする。あからさまなその美鈴の行動に一瞬驚いた少女だが、すぐに悪態をつきはじめる。
「・・・ばっかじゃないの?」
 少女はそれがウソだとすぐに見抜き、少女は足で頭を少し小突いて起こそうとするが、全く反応がない。
「・・・。」
 呼吸する時の胸の上下もなく、全くピクリとも動かない。
「・・・ホントに死んだのかな・・・。」
 少女は急に悪戯っぽい笑みをこぼすと、しゃがみ込んで美鈴の腋の下を思い切りくすぐる。しかし、それでもピクリとも動かない。
「・・・おい、起きろよお前!お姉さまが来ちゃうだろ。怒られるのは私なんだぞ!おい、起きろってば!」
 もみ上げの三つ編みを掴んでそのまま持ち上げる少女。
「っち、ホントに死にやがった。つまんねーの。」
 そう言ってもみ上げを掴んだまま立ち上がり、玄関の外に捨てようとした時である。
「わあああああああああああぁぁぁぁ!」
 と大きな声を上げて、その少女に覆いかぶさる様に抱きつく美鈴。
「きゃああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!」
 完全に死んだと思い込んだその少女は、突然大声を上げて起き上がる美鈴に抱きつかれて心底驚いて悲鳴を上げる。
 美鈴は驚きの表情と悲鳴に、その少女のありのままを見た。やはりこの娘は、素直な良い子なのだ。
「やーい、引っかかったー!」
 美鈴は、抱きついてそのまま両脇を抱えたまま高い高いをするように高く持ち上げ3回ほど回って下に下ろす。
 素で悲鳴を上げて放心気味の少女は、我に返って怒りが込み上げてくる。しかし、その怒気はすぐにどこかに消えた。
 目の前で床を叩いてゲラゲラ笑っているおかしな女のその姿に怒る気が失せのだ。その代わりある感情が込み上げる。
「・・・ぷ、ぷはははははは、あはははは・・・。」
 心臓が口から飛び出しそうなほど驚いたのは初めてだった。自分自身がこんな風に驚ける事が驚きで、それが嬉しくて楽しくてしかたがなかった。
「やっと、笑ってくれましたね。」
 したり顔の女性に言い訳しようにも笑いを止める事ができず腹筋が痛い。本気で笑うと文字通り腹を抱えるのだと初めて体験する。
 その様子を見て美鈴もおかしくなってまた笑い出す。
 2人は一緒に転がって笑い続けた。


「何あれ・・・。」
 妹の悲鳴を聞き、親友のパチュリー・ノーレッジを置き去りにして慌ててホールまで走って来たレミリア・スカーレットは、1階の玄関ホールで腹を抱え足をばたつかせて笑っている見知らぬ女性と、妹のフランドール・スカーレットを見る。
「フランが笑ってる・・・。」
 追いついた紫色の少女は息を整えながら答える。
「信じられない・・・フランがあんな風に笑ってるなんて・・・。」
 何者かの視線を感じた美鈴は、笑うのを止め、上半身を起こしながら二階のバルコニーから顔を出し下の様子を伺う少女と目が合う。
 後ろに控える先程の紫色の女性と明らかに違うオーラを持っている。それは、生まれながらにしてたくさんのものを背負っている者の持つ高貴なオーラだった。
 紅美鈴は、これが運命の出会いである事を悟り、この場所が自分の未来だと確信していた。


 『亡き王女のための七重奏』のタイトルを持つ予言書の中に次の文がある。

 彼の者、閉ざされた門を開く王女の守護者なり。彼の者、やがて現れる王女の忠実なる僕を導く架け橋なり。

 西暦1960年当時の幻想郷は、吸血鬼戦争の影響を未だに残しており闇に属する勢力は無害であっても虐げられる存在でしかなかった。
 魅魔は紅魔館を接収し長い間館の主をしており、闇に属しても決して邪悪な存在ではない魔物達を紅魔館に招き入れ保護していた。
 刑期を終えて幻想郷に復帰したレミリア・スカーレットに紅魔館を譲り渡した時に、それら闇の住人も引き継がせたのである。
 闇の勢力が外に出ないように強力な結界で封印されていた紅魔館は、預言書にある、『彼の者、閉ざされた門を開く王女の守護者なり。』に該当する人物が紅魔館を訪れるまで結界を維持する事になった。

 レミリア・スカーレットに譲り渡された紅魔館は、地下に監獄図書館を移設した状態であり、その後パチュリー・ノーレッジが自分を図書館に縛る呪いの結界を拡張させて紅魔館を内包させた。これによって魅魔が先に施した結界と合わせて二重の強力な結界で紅魔館は完全に封鎖されている状態になったのである。
 妖怪化した美鈴は、素手以外の攻撃に対する絶対防御を得た。この能力は、致命的ともいえる弱点を持っていたが、紅魔館を覆う強力な結界も、フランドール・スカーレットの破壊の力も無効化するほど強力な力だった。
 ちなみに魅魔の最初に施した結界は今でも有効で、紅美鈴が門に立っていない時は紅魔館に入る事も出る事もできないのである。それ故に美鈴が紅魔館入りするまで、誰も外に出たことがなかったのである。
 例外としては、パチュリーとルビーの特殊な合体魔法で無理矢理突破する事は可能であるが、当時まだパチュリーの呪いは有効であったため、当時外に出る事は事実上不可能な事だった。


 自室に戻り寝間着に着替えた咲夜は、ふと紅魔館に来た当時の事を思い出す。
 幻想郷入りした当時は自分のいる場所がどこかもわからず、生きていく為に人や妖怪を襲って金品食料を盗む追いはぎ行為をしていた。
 わざとぶつかって落とした品々を時間を止めて盗むだけなので人殺しまではしなかったが、必要とあれば躊躇わなかった。元々、そういう組織に拾われて訓練され様々な悪事をやらされていたので、人を殺すなど何とも思っていなかったのである。
 9才で幻想郷入りした咲夜は、当然この時その名前ではなかった。外界では任務の度に名前を与えられていたし、孤児なので本当の名前すら知らない状態である。
 幻想郷入りして、そうした組織の手先にならずに済んだにも関わらず、そうした悪事から足を洗う事が出来ず、荒んだ心は癒えないままただ時だけが過ぎるだけだった。
 10才まで自身の才覚だけでなんとか生き延び、紅美鈴と出会うまでずっと山賊、追いはぎ、強盗をする生活をしていた。
 ある日、両手に大きな袋を抱えた買い物帰りと思しき女を見つけて、荷物を奪い取って時間を止めて逃げた。しかし、その女はどんなに遠くに逃げてもすぐに居場所を嗅ぎ付けて執拗に追いかけてくる。半日逃げ回った末、体力の限界が来て止むを得ず降参した。
 その女は紅美鈴と名乗り、自分を『十六夜咲夜』と呼んだ。
 勝手に名前を付けられ紅魔館とやらに来るように誘うが断った。当たり前だ。
 だが、その日からこの女が毎日の様に自分の前に現れた。紅魔館に来いとはもう言わなかったが、その代わり毎日のように無理やり修業をさせられた。
 逃げても追ってくる。自慢のナイフも受け付けない。そんな化け物に気に入られ最初は嫌だったが、いつしか彼女が来ない時がとても寂しく感じるようになっていた。
 11歳になったとき、美鈴さんが紅魔館で働かないかと言って来た。専属のメイドを募集しているとのことで魔物ではなくおとなしい人間がいいという希望らしい。
 私はそこで働けば美鈴さんと毎日話が出来ると思い紅魔館に入った。
 美鈴さんは時間を止める力は一切使うなと私に約束させた。私は大好きな美鈴さんとの約束を守ると決意し、以後その力を封印した。
 紅魔館の主は10歳程度の生意気な小娘で、目つきが気に入らない、服装がだらしない、紅茶がまずいと何かといちゃもんをつけてくるむかつく奴だった。
 どうしてこんな奴の下でペコペコしなければならないのかと何度もこの仕事を止めそうになった。でも、そんな時いつも美鈴さんが私を支えてくれた。
 美鈴さんに紅茶の淹れ方を学び、掃除洗濯も完璧に出来るようになった。
 1年が過ぎた頃私はこの仕事にやりがいを感じるようになっていた。むかつくレミリアの小娘もこちらが仕事を完璧にこなせばそれをちゃんと評価し褒めてくれた。
 正しく評価される喜びをこの時初めて感じ、以後充実した毎日を送った。主人とも次第に打ち解け色々な話をするようになった。自分の事を一切言わない美鈴の生い立ちなども教えてくれた。自分だけが不幸だと思っていた事をはずかしく思うようになっていた。
 主人の友人パチュリー・ノーレッジ様からスカーレット姉妹や自身の生い立ちを教えてもらった。
 私はいつの間にかレミリア・スカーレットを主と認め、彼女の為に尽くそうと思った。
 13歳になった時、いつものようにお茶の相手をしていると、レミリアお嬢様が手をすべらせティーカップを落とした。大切なティーカップだと教えられていた私は思わず封じていたあの力を使ってしまった。それを見たレミリア様はこう言った。
「あなただったのね・・・。」
 あの時、お嬢様の言葉を今でも鮮明に覚えている。
 この時自分が誰であるのか何の為に存在しているのかを知ったのだ。


 昔の事を思い出していた咲夜は、何故か少し不安になってもう一度レミリアの様子を見に行くため部屋を出た。
「な!」
 その時異変を感じた。
 何故か視界が紅い薄靄に覆われ、耳を手で塞いでいるような圧迫感に襲われる。全身に鳥肌が立ち、瞬時に戦闘体勢に入る。
 右手にナイフを構え周囲を警戒する。
 闇の住民を多く住まわせている紅魔館では心霊現象は日常茶飯事である。しかし、今回はそれとは違う。根拠はないが何か強い力が働いている様に思える。
 背後から強烈な殺気を感じた咲夜は振り向いてナイフを構えその対象を捕捉したが、そこに居たのは見慣れた人物だったので攻撃しようとした手を止める。
「ふ、フランドールお嬢様?」
 構えたナイフを降ろす咲夜だが、その異様な雰囲気を警戒してナイフは仕舞わずに手に持ったままである。
「眠れないのですか?レミリアお嬢様はもうお休みになられましたよ。」
 寝惚けて徘徊していると思った咲夜は、フランドールに優しく声を掛ける。
 先程からずっと頭にノイズが走っている。何者かが外部から干渉している。そんな違和感を常に感じつつ、目の前のフランドールを寝かしつけようと手を引いて地下室に導こうとする。
「(おかしい・・・さっき、寝間着に着替えさせたはずなのに・・・。)」
 大人しくついてくるフランドールの手を引きながら、着ている服がパジャマではなく普段着であることに気付く咲夜。
 フランドールの顔を見下ろすと無表情のままただ正面を向いて歩いているだけである。
 視界の紅い薄靄と断続的に頭に割り込んでくるかすかなノイズは未だに続いている。
 何が起こっているのか全く理解出来ない。湖で起こっている異変、神社で起こっている異常、それと関係する事なのだろうか・・・。
 地下へ続く長い階段をゆっくりと降りる咲夜とフランドール。階段を降りきると今度は真っ直ぐ伸びた長い廊下を歩く。地下なので窓一つなく自然光は一切差し込まない所だが、パチュリーが施した魔法の照明灯が数メートルおきに設置されているので歩くのに困らない。吸血鬼であるフランドールならそもそも夜目が利くので照明は無くても平気である。
 階段を下りる時は気付かなかったが、廊下に出て咲夜は直ぐに気付いた。
 フランドールの影がないのである。
 吸血鬼は影が無いとか鏡に映らないといった逸話があるが、これは全て純血種の事で、ヴェントルーとトレアドールという始祖を両親に持つレミリアとフランドールにはそれは当てはまらない。
 魔法の照明灯の下を過ぎると次の照明に近付くまで咲夜の影は前に伸び続ける。正面の光が強くなるにつれ前方の影は消えて後ろに影が伸びる。それを数度繰り返すとフランドールの部屋に辿り着く。
 現在のフランドール・スカーレットの精神状態は非常に安定しており、ある時期から誰も殺していない。隔離病棟の様なこの部屋ももはや必要なく、フランドール自身も姉やパチュリー、美鈴や自分の部屋にお泊りし、この部屋の使用頻度は減っている。

 手をつないでいるフランドールは本当に自分の知るフランドールなのだろうか?
 外見上は完全に彼女であるが、漠然とした違和感が消えない。そして目に見えてわかる影が無いという異常が更に不安を募らせる。
 鳥肌が止まらず背中に冷たい汗が走る。
 その心意を見透かしたかのようにフランドールがこちらを見上げ立ち止まる。
「ど、どうしました?フランドールお嬢様・・・。」
 心臓が高鳴り思わず引きつった声を上げる咲夜。
「ねぇ、咲夜・・・あなたはここで時間を止めた事がある?」
 2人手をつないで立ったまま、フランドールは視線を目の前の自室のドアに向けて問いかける。
「!?・・・そういえば、一度も止めた事はありませんね・・・。」
 質問の意味をどうとらえていいか分からず一瞬言葉が詰まったが、落ちついてすぐに答えを出す。確かにその答え通りここで時間を止めた事は一度も無い。
 その答えを聞いたフランドールは、咲夜の手を離し独りでドアに向かって歩き出す。咲夜はすぐに後を追おうとしたが足が床に張り付いたようになり動かない。
 フランドールはドアの前に立つと静かにドアを開ける。しかし、ただ開けただけで中に入らずドアの横に立って、何かを教えようとしているかのように、こちらを見つめるだけである。
「!」
 咲夜はその行動の意味が分からなかったが、すぐに信じられないものをそこに見る。開け放たれたドアの向こうに見えるベッドに、少女が一人眠っていたのである。その少女は間違いなくフランドール・スカーレットだ。
 では、目の前のフランドールは誰だ?
「(これは・・・違う・・・妹様はからかって遊んでいるだけだ・・・。)」
 咲夜はすぐに冷静になる。フランドールは4人に分身出来る。これは驚かせてようとしている悪戯だ。
「ねぇ、咲夜・・・時間を止めてみて・・・。」
「・・・時間を止めるとどうなるのですか?」
「どうなるかは見てのお楽しみよ。」
 心臓の鼓動が小動物の様に早くなり、それはどんどん加速する。
 目の前にいるフランドールの形をしている何者かの言う通り、時間を止めたらとんでもない事が起こりそうで怖い。
「さぁ、やってみて・・・。でも、気を付けてね。危ないと思ったらすぐに戻るのよ。」
 このフランドールは、時間を止めるとどうなるか知っているような口振りである。やはりこの少女はフランドールではない。別の何かだ。
 咲夜はそう結論すると、恐怖は消えて戦う者の目になる。望む所といわんばかりに目の前のフランドールをした形の者を睨みつけ時間を止める。
「・・・!・・・あ・・・あああ・・・あ、有り得ない!」
 セピア色に変わった世界。目の前のフランドールの形もベッドで寝ているフランドール本人も全て一様に時が止まる。しかし、咲夜はそこで有り得ないものを見た。
 部屋の突き当たりの壁に別の通路が見えているのである。
 時間を止めると世界の色がモノトーンになる以外、造形が変わる事はなかった。当たり前である。時間を止めるだけで世界をどうこうしているわけではないのだから。
 しかし、今、フランドールの部屋の中にあってはならい別の通路が見えている。
 足は動かせるようになっていた。咲夜はその足を一歩一歩動かして部屋に入る。その通路は自分の後ろにある今歩いてきた通路と同じである。しかし、その通路の先に何か見える。いや、誰かがいる!
 壁にもたれ掛かる様に腕を組んで考え事をしているような姿。しかし、その姿には見覚えがある。
「あ、あれは・・・私!」
 咲夜は思わず叫ぶ。するとその自分と同じ姿の者が顔を上げこちらに向き直る。
 寝間着姿の咲夜に、黒を基調としたメイド服に身を包んだ別の自分が静かに歩み寄る。その足は初めはゆっくりと、しかし、段々と歩調を早め、最期には走り始める。
 明らかに敵意を持った真っ赤二つの瞳は純粋な殺意に満ちていた。
 咲夜は咄嗟に時間を止めようとして、既に今止めている事に気付く。止まった世界の中で自分以外に動く存在を見るのは初めてで、気が動転して身体が全く動かせなくなった。
 いつも自分がそうしているように、無数のナイフを召喚して逃げ場のない包囲網を形成するその自分ではない自分の行動に為す術がない咲夜。
「(殺られる!)」
 死を覚悟した瞬間、周囲の状況が硬化するように止まり、ガラスが割れる様に映像が砕け散る。
「駄目じゃない咲夜、ちゃんと戻らないと・・・。」
 気付けばフランドールの姿をした者に右腕を掴まれていた。
「あ、あなたは、いったい・・・誰なの?」
 横のベッドにはパジャマに着替えて寝ているフランドールがいる。いくら分身できるとはいえ、寝ている状態では無理だろう。
 では、この自分の腕を掴んでいる者は一体誰なのだろうか?
「私が誰かはいずれわかる。」
 咲夜の問いかけにフランドールの姿をした者は口調を変え面白そうな表情を浮かべる。
「既に運命は動き始めている。ドッペルゲンガーに気を付けろ!」
「ドッペル・・・ゲンガー・・・?」
 強い警告とも助言とも取れる言葉を受けたその時である。
「咲夜!ここにいたの・・・探したわ。」
 突然後ろから声をかけられ跳び上がる程驚く咲夜。
「ぱ、パチュリー様・・・、丁度いいところに・・・あ・・・。」
 腕を掴んでいるフランドールの姿をした者をパチュリーに教えようとした咲夜だったが、振り向くとそこにそれらしい者はいなかった。
「どうしたの?」
 誰かがいたような咲夜の仕草を見てフランドールの部屋に入り周囲を見渡すパチュリー。しかし、ベッドで寝ているフランドールの姿しか見えない。
「い、いえ・・・。」
 こういうのをキツネにつままれるというのだろうか。咲夜は通路が見えた壁に歩み寄りそっと触れる。固い壁の確かな感触。軽く拳を握って壁をコンコンと叩く。その感触と音から向う側に空洞らしきものは存在しないことがわかる。
「あれは・・・夢だったのかしら・・・。」
「咲夜・・・一体どうしたの?」
「いえ、何でもありません・・・。」
「何でもないという顔ではないけど・・・。」
 呼ばれて振り向いた咲夜の顔には生気が無く真っ青である。パチュリーの後ろにいるルビーも心配そうに様子を窺う。
「まるで、ドッペルゲンガーを見た顔ね・・・。」
 ドッペルゲンガーを見た者は一様に皆生気を失ったようになるという報告がなされている。
 冗談で言ったつもりのパチュリーだが、それを聞いた咲夜の表情が変わる。
「・・・まさか、本当に見たの?」
 パチュリーは思わずルビーの顔を見る。
 魔理沙の家からの帰りの道中、渡されたメモリーカードをルビーにコピーし記憶を共有してメモリー上の情報を得ていたパチュリーは、咲夜に関しての情報も既に取得済みだった。
 重要な案件であったため、帰館後すぐに咲夜にしらせようと館内を探し回って、ようやく今見つけたところだった。
「もうすぐ夜が明けるけど・・・一緒に図書館に来て咲夜。」
 咲夜は、止めた時間の中で動く存在がいた事、それが自分を殺そうとした事、そして、為す統べなく死にかけた事、全てがショックだった。
 頭が真っ白になった咲夜はパチュリーの会話の内容も何をしようとしているのかも全く理解できなかった。
「痛ッ!」
 パチュリーの後を追おうと身体を動かした時、右腕に強烈な痛みを感じた。
 寝巻きの袖をまくって見ると、先程フランドールをした別の何か握られた場所が大きな痣になって跡が残っている事に気付く。
「これは・・・。」
 小さな女の子の手の大きさではなかった。大人のそれも男性の手の大きさだ。
「夢じゃなかった・・・。」
 何かが既に始まる、いや、既に始まっている。
 それだけしか今の咲夜には理解することが出来なかった。
東方不死死 第34章 「涙に誓う」


 早朝、まだ開店前の香霖堂の前で風見幽香と別れた妹紅は、そのまま南へ飛び迷いの竹林にある隠れ家に向かう。因幡てゐと会う必要を感じた為である。
 先日、永遠亭との戦闘で勝利した妹紅は八意永琳に八雲紫に会うよう指示をしたが、居場所が全く分からない紫と会う事は至難の業といえる。恐らく永遠亭側は八雲紫と会う為様々な策を労しているところと思われる。
 藤原妹紅は、その神出鬼没の八雲紫と確実に会える日時と時間と場所を知っている。それをてゐを経由して永遠亭に報せようとしたわけである。

 今日のスケジュールは、このままてゐと会って、その後香霖堂に行く予定である。香霖堂に関しては魔理沙の件でいくつか聞きたい事があったためで、魔理沙が死亡後何故数日間蘇生可能な状態を維持できたのか、その謎に対する自分なりの答えの成否を確かめるためである。
 夜は再び魅魔を呼び出し、パチュリー・ノーレッジと会う予定である。ここで十六夜咲夜と会見出来る可能性がある。彼女が来るか来ないかで今後のこちらの動きに一定のベクトルが働くだろうと予測できる。
 そして明日は、白玉楼で行われる三賢者会議である。この会合に関しては出席を見合わせるよう八雲藍から要請を受けており、妹紅はこれに応じている。この選択は今後の妹紅に大きな影響を与える事になるが、今はそれを知る由はない。
 この三賢者会議を境に紫の異変は具体性を帯びると帯びると思われる。
 異変が具体的に進み始めれば、妹紅としてやることは一つ。ただ、その前に色々とやっておかなければならないことがある。
 まずクリアしておかなければならないのが永遠亭の問題である。これは、八雲紫と八意永琳の相互不理解で起こる事故で幻想郷滅亡という最悪の事態を招く恐れがあり、真っ先に解決しておかなければならない案件である。
 昨日の戦闘で八意永琳を打ち破った妹紅は、八雲紫に引き合わせて互いに協力するよう要請した。それが上手くいっていればいいだろう。しかし、まだ八雲紫に会っていないとするなら助け船を出さなければならない。


 隠れ家に着いた妹紅は周囲を見回し変化がないか確認する。
 視線を巡らすと、上体を起こし耳を立てこちらを見ている一匹の兎と目が合う。その兎は妹紅と視線が合うと文字通り脱兎の如く永遠亭の方向に走って逃げる。
「てゐに発見されたな・・・。」
 てゐに発見してもらうために隠れ家に来た妹紅としては計画通りである。時機に来ると思うので、妹紅は下草の上に寝転がって考え事を始める。
 今朝方幽香に吸血鬼に関わりすぎるなと警告に近い助言を受けた事が頭から離れない。
 魅魔との協力関係はあくまで魔理沙に関してのみで、吸血鬼に肩入れするということは当初全く考えていなかった。しかし、吸血鬼戦争が今回の異変と無関係でない事を知り妹紅はそこに首を突っ込もうとしていた。
 吸血鬼に肩入れするということは、幽香が言うように八雲紫と敵対する事と同義である。
 妹紅はこの異変に際して八雲紫に全面的に協力することを約束しており、このまま魅魔に偏ってレミリア・スカーレットの王家復活に手を貸せば紫を裏切る事になる。

 紫と敵対しない。しかし、魅魔の協力もしたい。
 ジレンマである。

 この件に関しては、幽香の意見が正しいと妹紅は思う。レミリアに関しては中立的な立場でいるべきだろう。
「しかし・・・。」
 だが妹紅には一つ気になる所があった。十六夜咲夜である。
 咲夜の本当の能力は、思念という世界にアクセス出来る力で、自分の中に思念として存在する八雲藍と交信出来る可能性を持っている。
 会って話がしたいというわけではない。思念体となった事で生前のように話せる状態ではない事も分かっている。問題は彼女の持つ膨大な歴史と知識である。何か困難な問題にぶつかった時、十六夜咲夜の力を借りて藍の知識を利用出来ないだろうか?
「・・・十六夜咲夜か・・・。」
 不死人狩りで戦った事はあっても、普通に会話をしたことはない。吸血鬼の件はおいておくとしても、十六夜咲夜とは個人的に交友を持ちたいと思い始める妹紅である。
「咲夜がどうかしたの?」
 突然声を掛けられ思考の世界から引き戻される妹紅。気付けば誰かに顔を覗き込まれている状態で、迂闊な自分に驚いて飛び起きる。
「て、てゐか・・・びっくりさせないでよ・・・。」
 声をかけたのは因幡てゐだった。
「何回も呼んだのに・・・で、咲夜がどうかしたの?」
「あ、いや、私も時間を止めてみたいなー・・・なんてね。」
 咄嗟に誤魔化す妹紅。
「ほんと、人間の欲は尽きないねー。」
 敵対者に対してはともかく、知人・友人に対しては嘘が下手な妹紅だったが、その咄嗟の嘘も友と呼べる者の言うことは疑わないてゐは真に受けてしまい、人間の業の深さを嘆く。なんとなく罪悪感を覚える妹紅。
「それにしても・・・まさか師匠に勝つとは思わなかったよ。」
 昨日の戦いをしみじみ語るてゐ。
「そんなことを言いに来たわけじゃないでしょ?永琳から紫捜索を任されてるんでしょ?」
 寝ころんだ状態から上体だけ上げてあぐらをかく妹紅。昨日の戦闘の話はあまりしたくないので最初から確信を突く。
「そうそう!ズバリ聞こう!八雲紫はどこ?」
 今現在最も重要な事を思い出し、びしっと人差し指を真っ直ぐ妹紅に向けるてゐ。

 因幡てゐは、妖怪の間では、悪戯うさぎ、性悪うさぎ、腹黒うさぎなどと呼ばれ評判はすこぶる悪い。しかし、人間の里では幸運のうさぎなどと評判は正反対である。 
 幻想郷では人外の存在であっても、例えば上白沢慧音のように好んで人間に荷担する者も少なくなく、因幡てゐもその一人といえる。
 因幡てゐは永遠亭に属し敵対的立場であっても人間である妹紅に陰で便宜を図り親切にしている。特に妹紅に対して良くしているのだが、それは妹紅がてゐに対して一定の敬意を示しているからでもある。
 神話にも登場するてゐをそれなりに敬う姿勢を見せるのは幻想郷では妹紅だけである。何故なら神話と地続きともいえる幻想郷では、時代を経て外界では敬われるようになった様々な存在と隣り合わせで暮らしているためか、その偉大さや有難味に気付いていない者が多く、幻想郷に後から来た妹紅は、外の世界の常識を持ち客観的に幻想郷を見ることが出来たため、そういった恐れ多い存在に対して敬意を示す行動を自然に取るからである。
 因幡てゐはそんな妹紅が気に入っているのである。

 他の妖怪や人間と情報交換をする場合、少しでも優位に事を運ぶように考えながら交渉するところだが、妹紅はてゐに対してはそうした駆け引き無しで慧音と会話するように素直に応じる。てゐも普段のような狡さは見せない。
「明日の正午、白玉楼で紫ら数名と会見することになっているわ。」
 妹紅は質問に答えながら、てゐの格好を見て、それがおかしいと気付くがそれについて聞くのはあとまわしにすることにする。
「ほう!白玉楼とな!ってことは西行寺幽々子も一緒か・・・。」
「会見のホストらしい。」
「ふーん・・・。」
 ホストかどうかなどはてゐには興味がないらしい。
「明日の正午あたりにキツネが家に迎えに来るから、周囲に兎を配置させておけばいいわ。」
「もう既に配置してる。」
「白玉楼ってキーワードは会話の中で向こうから出してくると思うし、出なければ私が出すように仕向けるから。」
 妹紅からてゐを経由して直接永琳にその情報を知らせると、情報源がどこかを追及され密かに会っている事がばれてしまう。ここは妹紅と藍の会話を配置した兎を経由して永琳に伝えるようにするのが安全である。
 妹紅の家に既に兎が配置されているとの事なので、今ここでてゐに報せなくとも良かったのだが、無駄に動き回って苦労させることもないだろう。
「わかった!ありがとう妹紅。」
 話が済んだところで、妹紅はてゐの変な格好を指摘する。
「ところで、その格好は?」
 見れば唐草模様の風呂敷を首の前で結んでそのまま背負い、右手には何故か紙の束を持っている。何をしているのか、何をしようとしているのか分からない格好をしているのである。
「ああ、そうだ、忘れてた。」
 何かを思いだしたかの様に、手に持っていた紙束を足元に無造作に置き、風呂敷を首から外すと中から『文々。新聞』で包んだ何かの塊を取り出す。膝を曲げてしゃがんだてゐは地面においた風呂敷の上の新聞の包みを取り、中から数個の竹の子の皮につつまれたおにぎりを取り出す。
「ちゃんと食べてないんでしょ?」
 普段ろくに食べてない妹紅を心配しておにぎりを握って来てくれたてゐ。
 その気持ちは涙が出るほどありがたいが、昨晩屋台でたらふく飲んで食った手前、食べたくないとは言えないので黙って頂戴する。
 てゐの小さな手で握ったおにぎりは上手く三角にならずほぼ真ん丸だが、手に塩をふって握っているので程良い塩気でとても美味しく、中にある梅干しの酸味が食欲のなかった妹紅の胃を刺激する。
「ほれは?」
 口の中がいっぱいでちゃんと発音できない妹紅はてゐが無造作に地面に置いた紙の束を「それ」と顎で指す。それは白い薬紙で便所で使うにはもったいない紙である。
「ああ、これ?師匠がいらないから外に捨ててきてって・・・。」
「いらないなら便所で使えばいいんじゃないの?」
「まー普通はそうなんだけどさ・・・。」
「・・・。」
 てゐはそれ以上何も言わずに紙の束を妹紅に渡す。
「・・・私に見せる為に・・・かな?」
「たぶん・・・。」
 永琳からの贈り物と捉えた2人は微妙な顔をする。見たら三日以内に死ぬ「呪」という文字をびっしりと・・・など、主に悪い方にばかり考えてしまう。
 外に出ようとするてゐを呼び止めてわざわざこれを捨てるように言うのは、どう考えても不自然である。言葉通りではない別の意味を考えるのが普通で、てゐは、妹紅にこれを渡せという事なのだろうと判断して捨てずにそのまま持ってきたわけである。
「永琳はこの事知ってるのかな?」
 この事とは、ここで敵同士である2人が密かに会っている事である。
「知らないんじゃない?」
「何でそう思う?」
「ダンゴ虫が2匹、石の下で何かを企もうが感心ないでしょ?」
 永琳にとって人間とはその程度の存在なのである。
「・・・それもそうか・・・でも。」
「これが妹紅へのプレゼントだとするなら・・・。」
「てゐが私に会いに来ることを分かってて・・・。」
「ま、考えるのはやめよう。私達の行動に関心を示すとするならそれはそれで大きな進歩だし。」
「・・・それもそうね。」
 気を取り直してその紙の束を1枚めくる妹紅。
「・・・何だこれ?」
「私も来る途中見たけどさっぱりわからなかったよ。」
 妹紅はてゐにも見えるように地面に紙束を置いて一枚一枚めくる。
 図面の様にも見えるが、その図形はどうやら丸いもののようで、図のまわりに読めない文字がびっしりと書き込まれている。
 設計図、図面、資料といったものだということは分かるが、いまいちの図の円形という以外に完成品のイメージがつかめない。平べったい円か球体なのか円筒の断面か。
「てゐ、この字読める?」
「これは師匠達の世界の文字だね。レイセンなら読めるかも、だけど、私は読めない。すまん。」
「いや、別に謝らなくていいけど・・・何の為にこれを・・・これほんとにゴミなんじゃ・・・。」
 おにぎりを食べながら妹紅は必死にこの意味を考える。やがて食べ終え手についたご飯粒も残さず舐め取る。
 てゐはそれを見て、残りのおにぎりを竹の子の皮の包みをとって妹紅の前にさりげなく差し出す。妹紅は無意識にそれを掴んでほおばりだす。
 役目を終えた竹の子の皮の包みを自分の前に置いたてゐは、そのまま妹紅が考え事をしているのを尻目に、自分のおにぎりをゆっくり味わう。
 用意した6個のおにぎりはたちまち無くなり、てゐが1個、妹紅が5個平らげたが、皮は3枚ずつそれぞれの回りに散らかっている状態にてゐは細工する。
「ん、あ?」
 妹紅は何かに気付いて一度てゐに向き直って周囲をキョロキョロし自分だけ多く食べていないか確認し、ゴミの量を見て安心しまた思考に戻る。てゐは何事もなかったかのように、だらだら食べていた1個目のおにぎりをようやく平らげる。
 そうしたてゐの心配りに気付かず、図面とにらめっこしていた妹紅であるが、あるページに興味を示し、めくる手を止める。
 それにはてゐも興味を示し、身体を乗り出して顔を近づけた。
 そのページに書かれているのは、今まで単純な線だけで書かれていた図とは違い、かなり多くの線を使ったリアルな完成品のイメージを現していた。
「球か・・・。」
 妹紅は片手に持てるくらいの大きさの玉をイメージして、それをジェスチャーでてゐに見せる。
「もっと大きいんじゃない?」
「大きいか・・・あ、そうか、こいつがもしかしたら幻想郷を滅ぼすモノじゃないか?」
 輝夜が見た未来のビジョンに出てきた幻想郷を滅ぼす存在ではないかと妹紅は気付く。それなら永琳が妹紅に見せようとする理由がつく。
「そういえば、昨日帰ってから色々説明してもらったけど、師匠が昔作ったモノが空から降ってくるみたいなこと言ってた。」
「こいつがソレってことか・・・。」
 これが紫の異変を台無しにして輝夜に幻想郷の滅びのビジョンを見せた原因と断定する妹紅。
「ただの球っぽいけど、一応兵器みたいだね。」
「兵器・・・なるほど、爆弾ってことか・・・。」
「恐らくね。」
 しばし、押し黙る2人。
「もっと、もっと、こーーーんくら大きい爆弾なんじゃない?」
 紙に書かれているのはあくまで形であって実際はもっと大きいものではないかと、先程掌に乗せる動作を見せた妹紅に、それを否定するように両手を広げて大きな円を描いてみせるてゐ。
「永琳の作るものなら、そんなに大きくならないんじゃないかな?」
 科学の力とやらで扱いやすい様に小さくするのではないだろうかと予測する妹紅。
「いや、案外大きいのが好きなんだよ師匠は。うな丼も具の大きいのを先に選ぶし。」
 それはただガメツイだけだろうと思いつつ、妹紅は大きさの指標となるような情報がないか紙に目をやる。
 そしてすぐに完成品のイメージ像の下に尺度を現す目盛りを発見する。
「ん?ここだけ洋数字だな・・・。」
「書き直してるね。あきらかに・・・。」
「やっぱり、私に見せるためか・・・。」
 目盛りの右端に「0」、五等分された目盛りの左端に「5」と書いてある。そして「0」の下に「k」「m」と小さく書かれている。
「けー、えむ・・・って何のこと?」
「恐らく、長さの単位でしょ。」
 アルファベットは既に幻想郷に普及して読み方は知れ渡っている。しかし、それを言葉として読み書き出来る者は幻想郷ではまだ少ない。
 妹紅とてゐも当然アルファベットは知っているし読む事が出来るが、単語や文章としての意味を理解する事は出来ない。
「寸?」
「尺じゃない?」
「いや、けーえむ、だから間(けん)だな。」
「お、それだ!妹紅あたまいいー!」
「えーと、これが五間で、この五間が1こ、2こと・・・。」
 人差し指と親指で0から5までの目盛の長さをおおよそ測る。その指定規1本分が約8本でその図の直径になることが分かった。
「40間か・・・。」
 40間はメートルに直すと約72メートルになる。
「長いね。」
 2人は同時に空を見上げて、それが空から降ってくる様子を思い浮かべる。
「でかいな・・・。」
「でかいね!」
「でかいよな・・・。」
「でかい!でかすぎ!」
 想像すればするほどその大きさに驚く2人である。
 ふりかかる禍として幻想郷の住人に認識してもらうにはこのくらい大きくて目立たないと駄目だとも思う妹紅。吸血鬼を悪者にしようとする紫の企みは幽香から聞いていたが、それとは別の謎の物体が現れればレミリアらが直ぐに悪者扱いされることはないだろう。勿論後で難癖はつけられるだろうが・・・。
 妹紅は再び考え始め、てゐはその様子をこれといって特に不思議がる様子もなく黙って見ている。この思考に埋没して周囲を無視する行動は永琳がよくやることなのでてゐとしては見慣れたものだった。不死身になると周囲を気にする必要がなくなるのだろうと・・・。
 誰の仕業とも分からない謎の物体が幻想郷を襲う・・・というシナリオで異変を構築していけば、特定の誰かが罪を負う事はないだろう。むしろ幻想郷の住人が結束するチャンスで、吸血鬼もそれに含まれれば魅魔と連携しなくても自然な形で良い方向へ導けるかもしれない。

 妹紅は一定の結論に達し、ふと顔をあげると退屈そうにゴロゴロ転がっているてゐを見つけて慌てて謝罪する。
「妹紅ってば、師匠に似てきたなー。」
「は?どこが?」
 永琳と一緒にされて露骨に嫌がり眉を吊り上げる妹紅。
「そうそう、師匠ってば妹紅に負けてからとんでもない事になってるんだよ。」
 話をそらすてゐだが、そのそれた話も興味深い。
「・・・何がどうとんでもないことになってるの?まさか荒れまくってレイセンが半殺しになってるとか?」
「逆、逆。昨日からずっと機嫌が良くてニコニコしてるんだよ。」
「はぁ?ウソつくにしても、もっとマシなウソつきなさいよ。」
 あきれ顔で肩をすくめて両手を広げる動作をする妹紅。
「妹紅にウソはつかないってば。本当にそうなんだよ。」
 聞けば、昨日の敗戦直後から何故か機嫌が良く永遠亭に帰還してからも同じで、特にレイセンに付きまとっては戦い振りを褒めてみたり、ねぎらいの言葉をかけて肩を揉んでやったりなど、今まで見せたこともない行動をし始めたのである。
「いやー、涙目になって、怯えているレイセンは面白かった。」
「普段どんだけなのよ・・・。」
 そんな事は慧音がよく妹紅にすることで珍しくもなんともない。
「よく、半殺しって言うだろ?それって少し大げさな表現でしょ?でもうちは違うんだよ。半殺しどころか、ほぼ殺しさ。薬で一発で直せるから、お仕置きといえば死ぬ直前までやるよ。心臓が止まっても無理矢理動かして戻しちゃうし。」
「鬼だな・・・。」
 永遠亭の実態を知った妹紅は、改めて連中とは相容れない存在だと認識する。
「その鬼が改心した・・・って信じる?」
「信じられないな・・・。」
「妹紅に負けた事で何か変なスイッチが入っちゃったみたいでさ。」
「昨日の戦いで、途中から様子が変わったからな・・・やっと血が通いはじめたってことか・・・。」
「正にそんな感じ。表情も違うし。」
 ちょっと見てみたくなる妹紅。
「でも、そんな一瞬で変わるものかな・・・内面はそう簡単に変わるとも思えないけど。」
「そうでもないよ。ミスチーなんか幻想郷にすごく適応して変化したし。あいつ、最初めっちゃ凶暴で、人喰いばっかしてたんだから。」
 思いがけず昨日知り合った屋台の店主の過去を聞く。元々商売をするような妖怪ではなく純粋に人を襲う妖怪だったが、幻想郷に来てからすぐに変化し適応してしまったのである。
 妹紅は自分もそうだったと気づく。岩老郷に入ってから最初はただの穀潰しでしかなかった。ある事件がきっかけで世界観が代わり、そこから一気に成長がはじまったのである。
 永琳もそうなのだろうか。
「ほんと良かったよ。」
「良かったのはレイセンだろ?」
「うん、これでレイセンも少し楽になれるだろう。」
「てゐはずっとレイセンを気に掛けてたからな・・・。」
 てゐの本質を知らない者は、普段のレイセンに対するてゐの行動を見て単に苛めているだけとしか見ないだろう。しかし、てゐを知る妹紅としての感想は全く逆で、てゐの行動はレイセンの保護である。
「あんなポンコツうさぎ、見てたら誰だって気にかけたくなるさ。」
「あいつは、てゐに救われているってこと気付いているかな。」
「そんなこと気付かなくていいよ。」
 因幡てゐは幻想郷中に情報網を持っているため、八意永琳から有為な存在と認められ、敵対しない限り何をしても自由という特別な権限を情報網と引き換えに与えられている。
 てゐの悪戯に巻き込まれた時のレイセンのミスは、てゐの顔に免じて罰を軽減される。これがもしレイセン一人のミスなら文字通り半殺しにされ、新薬などの実験台にさせられてしまうのだ。
 てゐは同じミスを繰り返す一つ抜けているレイセンがこれ以上ミスを重ねないように適度に悪戯という形で迷惑をかけ、責任を分散させていたのである。だいたいそうでもしてやらないと、毎日のようにキツイ体罰を見るハメになり、レイセンにはそうした事に関する耐性があっても、見ているてゐとしては精神的に耐えられないのである。


 妹紅はてゐと話をしながら苦しくなってその場で寝転ぶ。精神的に苦しいわけではなく、物理的に胃が苦しいからである。
「おかしいな・・・そんなに食べたかしら・・・。」
 まんまとてゐにおにぎりを5個食わされた事に気付かない妹紅。てゐとしても別に悪気があってそうしたわけじゃない。ただ、3個食べきったあたりから、ちょっと悪戯してみたくなっただけである。石ころとか食べられない物を食わせたわけでもないし、このくらいの悪戯は許してもらえるだろう。
 それにしても、まさか5個も平らげるとは完全に予想外だった。次は6個に挑戦しようと目論むてゐだった。
「そ、そういえば輝夜は?」
 永琳やレイセンについては話したが、輝夜の話が出てこない妹紅は、つい彼女の名前を口にしてしまう。
「気になる?」
 微妙な声のトーンの変化を感じ、ニヤニヤして妹紅を覗き込むてゐ。
「いや、別に・・・。」
 身体を横にしててゐに背を向ける妹紅は、何故か無性に敗北感を覚え、聞かなければよかったと後悔する。
「姫は、この件にはもう関わらないって。全部師匠に任せて部屋に篭城してるよ。」
「・・・そう。」
「墨と筆、大量の紙を持ち込んで部屋中書き散らかしてるよ。」
「ふーん。」
 妹紅は関心なさそうに聞く。昨日の戦闘去り際に昔の輝夜の事を少し話したが、負けず嫌いの輝夜の事、戦いには負けても歌(短歌)では負けないと意気込んだのだろう。
「全然書けなくなって自分でも驚いてたよ。」
「・・・そりゃー性根が腐ってるからよ。」
「昔は腐ってなかったってこと?」
「地上には時間の概念があるんだ。時が経てば忘れもするし劣化もする。あいつは自分が劣化していることに気付いてないのよ。」
 劣化と言っても能力が落ちているという意味ではない。あくまで人間として身につけた素養の事である。月の世界には劣化という概念がないので、輝夜は地上で身につけた歌や芸事の素養が今もそのまま自分の身に備わっていると思い込んでいるのである。
 永琳はずっと輝夜のそばにいるため、その劣化を感じる事はむずかしいだろう。昔の輝夜と、今現在の輝夜を完全に分けて比較出来る妹紅には、今の輝夜の劣化がよく分かるのである。
「ふ~ん、昔の姫ってどんなんだったのか、見てみたかったね。」
 妹紅は輝夜の話などはやく止めにしたかったので別の話題を出す。
「そう言えば、この竹林っていつからあるの?里では津波によって運ばれた・・・とか伝説になってるけど。」
 実は前から聞きたかった事である。
「竹林が現れたのは、吸血鬼戦争の時だなー。妹紅はこの戦争の事知ってる?」
 妹紅は思わぬ場所で思わぬ言葉を聞く。狐、いやここでは兎か?何かにつままれている気分になる。やはり、この吸血鬼戦争の問題からは無関係ではいられないのだろうか。
 てゐは妹紅の微妙な変化に気付いたが、それには触れず話し始めた。

 約500年前に幻想郷が隔離された当時、迷いの竹林のあった場所は広い平原で、その南側に大きな湖があった。この湖は境界の外まで飛び出しており全体が分からないほど大きい。泳いで対岸に渡ることが物理的に出来ず、何よりその対岸が遠く霞んで見えなかった。それだけ広い湖だったのである。
 幻想郷がまだ外の世界と地続きだった頃、因幡てゐは幻想郷事業の運営には関わってはいなかったが初期の頃から事業に賛同していたため、幻想郷入りの予約と一等地の確保はかなり前からなされていた。
 当時の因幡てゐは、自分以外にも妖怪化した兎の軍団を率い、一つの勢力として博麗の里南部にあてがわれていた平原に陣取っていた。
 吸血鬼戦争開戦後間もなく、湖の対岸から大きな塊が津波のようになだれ込みあっという間に平原を呑み込む。一夜にして湖と平原が広大な竹林に取って代わり、この津波の難を逃れた因幡てゐと生き残った妖怪兎達は目の前の信じがたい光景に途方に暮れるしかなかった。
 てゐは、手勢を率いて謎の竹林を調査、そこで人間と思しき2人の女性と遭遇。降伏勧告を無視して失った部下の仇と、土地の奪還を目論んだが歯が立たず一人生き残ったてゐは敗走。
 特に面識はなかったが有名人で名前はよく知っている風見幽香を頼ろうと竹林脱出を目論むが道に迷い、追いつめられたてゐは降伏し拘束される。
 ここで蓬莱山輝夜、八意永琳、そして永遠亭という存在を知ったてゐは、他の兎達と同じように実験の検体にされそうになったが、他の兎と明らかに違うてゐに興味を持った永琳は、配下になるように説得する。
 神話時代から生にしがみつき、どんな困難にも狡猾に生き延びてきたてゐは、死ぬ事よりも生きる事を選び永遠亭に下ったのである。
 その後てゐは、永遠亭には入らずその周囲で彼らと距離を置いて過ごす。
 200年が過ぎた時、永遠亭に戦いを挑む無謀な人間が現れる。藤原妹紅である。
 てゐは妹紅と敵対する立場にあったが時間を掛けて打ち解けていき、戦い以外の場所ではよく話をするようになった。
 西暦1969年に外の世界で起こったアポロ計画によって人類は初めて月に到達する。この時、月の防衛軍が緊急配備され、その際レイセンが敵前逃亡という形で地上に降り永遠亭入りする。
 レイセンは比較的最近幻想郷入りしたもので、竹林に迷い込んだレイセンを妹紅が発見し、それを報されたてゐが永遠亭に導いたのである。これがてゐとレイセンの出会いである。

 生還を前提としない永琳への連絡役として綿月家から捨て駒にされたレイセンを、捨て置くことも出来ない永琳はこのまま永遠亭に置くことを決め、現状、実験のモルモットにしか使えないレイセンに何か仕込ませて助手に使えるよう弟子にする。
 当時のレイセンは、精神不安定な鬱病の様な状態で月の兎としての体を為しておらず、てゐが言うようにまさに「ポンコツ」状態だった。言われないとやらない、身が入らないので同じ失敗をするなど、とにかく使えない存在だった。
 ミスをすれば永琳のキツイお仕置きが待っている。元々僕として使われるよう作り出された月の兎は肉体的なストレスに対して強い耐性があり、精神面が壊れているレイセンであっても体罰などの苦痛には強く、むしろそうした刺激を与える方がレイセンの脳に好影響を与え回復するのではないかと永琳は考え容赦しなかった。
 そうした事情はあったものの、てゐはそれを見ている事が出来ず、水をかける、穴に落とす、転ばせる、滑らせる、うどんを頭からぶっかけるといった可愛らしい悪戯でレイセンの壊れた脳を刺激し、恥ずかしい、みっともないという社会的感覚に繋がる新しい感情を芽生えさせる事に成功し、その後少しずつ感情を取り戻していった。
 レイセンに興味を持ち、放っておけなくなったてゐは、レイセンを見守る口実として永琳に自ら弟子入りを志願し永遠亭入りすることになる。そして、この時、今現在の永遠亭の構成が完成したわけである。


 因幡てゐとかなり長い時間話し込んだ妹紅は、胃が落ち着いたところで暇を請う。
 下で手を振るてゐの姿が見えなくなり、正面に向き直った妹紅の表情はいつも通りの厳しさに戻る。
 既に陽は高く、遠く前方に見える里の家並みから炊煙が立つのが見える。
 からっと晴れて湿度も低いせいか無意識に高度を上げてしまうが、里の先の魔法の森のさらに先に湖を見る事が出来た。あの辺は年中霧に覆われているため、遠くから湖面が見えるのは珍しい。
 その湖の向こうに小さく豆粒のような建物が見える。あれが紅魔館だろう。吸血鬼戦争当時は、城塞があったそうだが、それが今残っていたらどんな景色になっていたのだろうとふと考える。
 永遠亭が幻想郷隔離初期に移動してきた事は初めて知ったが、そこで因幡てゐが吸血鬼戦争とは別の場所で、存亡をかけた戦いを行っていたのである。
 それなりの勢力であった妖怪兎の軍団は津波に呑み込まれ一夜にして消える。当時風見幽香らはこの謎の竹林の出現を認識しており、その調査前に吸血鬼戦争の転機となる吸血鬼の一部投降があったため、竹林の調査は行われなかった。もしこのタイミングが変わっていれば永遠亭と幽香の間で激しい闘争が行われ、幻想郷東部の北と南で戦争は泥沼となっていただろう。
 もしそうなっていたら、今幻想郷は存在していないだろうと妹紅は思う。歴史に「もし」は禁物だが、ここで幻想郷事業が頓挫していれば、当然妹紅も幻想郷入りしていないわけで、その時自分はどこで何をしているのだろうか・・・。
 妹紅は高度を徐々に落としながら里の東側を緩い弧を描くように迂回しながら飛び、魔法の森入口付近の香霖堂を目指す。


 香霖堂の前に着いた妹紅は、しばし店を眺める。
「さて、どんな方法で攻めるか・・・。」
 向こうの出方次第でどんな状況にも対応できるよう頭の中でプランを練る。
 魔理沙の第一発見者といってもよい森近霖之助はある重要な情報を知っている。魔理沙が死亡後、長時間蘇生出来る状態を維持した謎を知っていると妹紅は睨んでいる。
 妹紅はその謎について粗方目星はついているのだが確証が欲しい。これは、妖術使い、問題の解決家としての意地の様なものである。
 森近霖之助は頭が回る。のらりくらりとこちらの追求をかわしてくるだろう。
 簡単に尻尾は見せないと思うが、逆にこういうタイプは攻略方法が確立されているのでやりやすい相手でもある。一番難しいのは何を考えているのか思考に一定のベクトルが働かないバカである。例えば妖精とか・・・。

 永琳からの贈り物と思われる謎の設計図の束は丸めてポケットにぎゅっと押し込んでいる。身体のサイズに合っていない大きめのモンペなので、ポケットがいっぱいに膨らんでもそれほど窮屈にはならない。見た目的には見苦しくなるが・・・。
「・・・こんなものでも、注意を引くのに役に立つか・・・。」
 意外と重要なアイテムになるかもしれないと思う妹紅である。
「・・・よし、行くか。」
 険しい表情を緩め、客らしい顔になる妹紅。
 香霖堂の扉を開けると、直ぐに「いらっしゃい」という男の声が聞こえる。
 薄暗い店内の更に影の中にいてこちらから目視できなかった店主は、客の顔を確認し慌て気味に席を立って影の中から姿を現し近付いてくる。
「いらっしゃいませ、妹紅さん。」
 妹紅の前に歩み寄った香霖堂店主森近霖之助は、店の扉が開いた時の挨拶とは明らかに態度がかわり、とても丁寧な応対をする。
 妹紅はそんな店主の態度が少し大袈裟に見え、露骨に訝しげな表情を見せる。
 その妹紅の態度に気付いた店主は、その理由を話し始める。
「今朝、風見幽香さんが来ましてね。」
 店主は頭を掻きながら、客を出迎えにわざわざ席を立つ自分自身に戸惑っている様子だった。意識してそうしたわけではなく、魔理沙の恩人を見て身体がそう自然に動いてしまったという事である。
「全部聞いたのね?」
「何をもって全部かどうかはわかりませんが・・・。」
 その場に居合わせていない妹紅は幽香がどのまでしゃべったのかは分からない。頭を掻きながらあははと愛想笑いする、つかみ所がない店主。
「ちょうど良かった。その事で一つ聞きたい事があって来たのよ。」
 霖之助が妹紅のポケットの中身に興味を示している様子を感じながら、容疑者を取り調べる様な面持ちで大柄な店主を見上げる。その妹紅のただならぬ雰囲気を感じギクリとして気を引き締める霖之助。
「ど、どういった用件でしょう?」
 カウンターの前の幽香がいつもくつろいでお茶を飲む席に妹紅を案内しながら、前を歩く妹紅に声はおどけてながらも鋭い視線をなげかけ妹紅の真意を探ろうとする店主。
 店主が眼鏡を直す動作をする瞬間を見計らって妹紅は口を開く。
「霖之助さん、あなたは重要な事を隠しているでしょう?もちろん、魔理沙の件で。」
 顔を傾けて長い髪の毛の間から霖之助の表情を伺う妹紅。その霖之助は右手の中指で眼鏡を直そうとする動作のまま一瞬固まってしまい、その様子を妹紅に見られてしまう。
 思わず動きを止めてしまった事で心を見透かされたと理解した霖之助はしまったと後悔する。店主として客の態度や雰囲気などから様々な情報を読みとる事は得意だと自負していたが、今正にそれを自分がされてしまったのである。このまま言いなりになって何でもペラペラしゃべるか、とぼけるか、色々な選択肢が脳裏を過ぎる。
「座ったら?」
 不意に妹紅に袖を引かれて、されるがままに幽香が座る椅子に座らされる霖之助。完全に妹紅に主導権を握られる。
 椅子に座った、というより座らされた霖之助は、相対的な頭の高さが逆転し妹紅から見下ろされる形になる。
 妹紅は霖之助に顔を近づける。霖之助は思わず妹紅の目を見るが、妹紅はなぜか自分ではなく自分の少し後ろに目の焦点を合わせているように見え、後ろに何があるのかと一瞬そちらに気が向く。
 その瞬間妹紅は右手を霖之助の左肩に置いて重心を前にし身体を右手一本で支える様にする。
 妹紅が完全に身を預けてきたことは、肩にかかる重さから理解できる。ここで変に動いたら倒れて危険だと、生物としての本能が働きバランスを取ろうとする。
「霖之助さん、これから私は独り言を言うわね。あなたは何もしゃべらなくていいわ。その代わり私から顔を反らさないでね。」
 口元に妖しい笑みを浮かべる妹紅。
 霖之助はここで身体を動かすと、腕一本で体重を支えている妹紅がバランスを崩して自分に覆い被さってくるということを容易に想像することが出来、自然と意識がそうならないようにしようと動く。
 この妹紅の態度は、無数にある尋問術の一つで、頭が良く機転の利く者に対するやり方である。
 能力の高い者は同時にいくつもの思考処理が出来る。尋問してもとぼけ、ウソの答えをはき、さらにこちらを混乱させようと情報操作を目論むのである。
 身体をあづける行為は、こうする事で意識の一端を体のバランスを取る事に向けさるためである。視線を敢えて外すのも気にする者には非常に効果がある。
 妹紅は相手に余計な思考をさせない為に今宣言した通り独り言を始める。
「あなたに『ある事』を依頼したのは、魔理沙のお父さん、マルキの主人ね?」
 突然の真実に心臓が大きく鼓動する霖之助。その音が耳に聞こえそうな錯覚を覚える。
「い、いや、それは・・・。」
 否定しようとした霖之助の唇に左手の人指し指をそっと添え、自分は独り言を言っているだけだと思い出させる。妹紅のそのしなやかな体の動きに少女ではなく女性という意識を強く感じ、したくもない想像をしてしまう。
「独り言の邪魔はしないの。」
 否定や言い訳が出来ない事は弁の立つ者としてはストレスになる。
 視線は相変わらず自分ではなく、後ろ、又は自分の中身を見ているようで、これが霖之助の意識に絶妙なノイズを与え、思考を分散させる。
「マルキの主人の亡くなった奥さん、霧雨サーヤは・・・霧雨家のお墓には『いなかった。』」
 妹紅は確信に迫る言葉を子供にお話を聞かせる様に自然に言い放つ。当然霖之助はそれに反応する。しかし、この時の霖之助の反応は困惑や否定という態度ではなく、明確な怒りだった。そう、意図的に過去形で言い、あたかも見てきた様に言う妹紅が、やってはいけない墓荒らしをしたと思ったからである。その反応を見た妹紅はすぐさま次の言葉に繋げる。
「冗談よ。大丈夫、私は霧雨家の墓の場所なんてしらないから。」
 その言葉にはっとなってカマをかけられた事と、それを咄嗟に見抜けなかった事に愕然とし力が抜ける霖之助。怒りが収まる、というよりどこか別の場所に一瞬で飛ばされたような印象を受ける。
 怒りが消えた瞬間、自分の中が空っぽになっていることに気付くが、思考範囲を限界まで狭められてたった一つの感情を引き出された事を理解する。
 普段怒らない霖之助が一瞬で沸点に達したのは、妹紅の仕掛けた様々なノイズによって霖之助の思考能力が極限まで削ぎ落とされ、直情的な感情しか出せない状況に追い詰められていたからである。
 凄まじい敗北感が押し寄せ放心し、全く思考が働かなくなった。初めての経験である。

 この霖之助のリアクションは妹紅が霧雨家の墓をあばいて確かめたと思った事による義憤であり、それこそが「魔理沙の母親サーヤが、霧雨家の墓に居ない」ということを裏付けるものとなった。サーヤの遺骨がどこにあるかなど普通の人は考えもしないはず。もし霖之助が何も知らなければ怒りを示す前にその言葉の意味を考えるはずである。
 霖之助は完全にしてやられたとショックを受けた。風見幽香の脅しも八雲藍の挑発も八雲紫の手癖の悪さも全て自分の才覚で乗り越えて来た。しかし、藤原妹紅には完全にしてやられた。
「(プロの仕事だ・・・。)」
 カマをかけるのは誰でも出来る。しかし、カマをかけられている事を気付かせない技術は誰もが持っているわけではない。
 妹紅はスッと霖之助から離れ、体を横に向けて壁に掛かっている魔法の森の地図を眺めながら、さらに独り言を続ける。
「魔理沙を勘当するにあたって、大事な一人娘とご先祖様と縁が切れる事を憂いたマルキの主人は、無き妻に愛娘の守護霊になってもらおうと霧雨家の一門から魔理沙同様追い出し縁を切った。」
 霧雨魔理沙とサーヤは霧雨家とは無縁になって、ただの母と子という関係になったのである。
 霖之助は背中を丸め、両肘を膝に置いて組んだ手の上に頭を乗せうな垂れた。誰にも言うなと親父さんと慕うマルキの主人に口止めされた秘密が知られてしまったのだ。
「マルキの主人は、独立を世話した信頼できる森近霖之助にサーヤの遺骨や位牌を預けた。遺骨を預かった森近霖之助は西洋墓地にそれを隠した。西洋墓地に現れた魔理沙はそこで静かに眠っていた怨霊達を怒らせ殺されたが、霧雨家から離れて魔理沙の守護霊となったサーヤによって完全なる死から免れた・・・。と、まーそんなところかしらね。」
 風見幽香の口から藤原妹紅の凄さは聞いていた。しかし、全くと言っていいほどその実感がなかった。いくら風見幽香の言葉だとしても自分で直接確かめていない人物を信じるほどお人よしではない。しかし、この藤原妹紅の能力を知った森近霖之助は幽香の言葉が正しかった事を痛感した。
「ただひとつ解せないのが・・・。」
 妹紅が何か言いかけた時、霖之助の言葉がそれを遮った。
「サーヤさんが自分を離縁するように親父さんの枕元に立ったそうなんです。サーヤさんの遺骨も持って来た親父さんがそうぼくに言って、このことは他言無用だと・・・。」
 霖之助は全てを話す気になっていた。この人なら信頼出来ると・・・。
「・・・なるほど・・・サーヤが全部預言して先回りしていたのね。」
「親父さん自身は魔理沙が死んだ事は知りません。私のところにサーヤさんがいると思っていますし、魔理沙はそのサーヤさんに守られていると今も思っています。」
「・・・。」
「西洋墓地に魔理沙が来る事を予見して、そこに自分を隠すようにと、サーヤさんが枕元に立って、それで言われた通りにしたんです。」
 妹紅は霖之助に一度向き直った後、また壁の地図に目をやる。
「西洋墓地ってどこ?」
「里と紅魔館を線で結んだ丁度中間あたりです。」
「ここ?」
 地図には何箇所か×印がついており、そこに何かがある事を示している。霖之助が教えた場所にも印がついており、妹紅は指をさして確認した。
「ええ、そこです。行くんですか?」
「・・・機会があったら言ってみようかしら・・・。」
 この時点で行くかどうか決まってない妹紅。
「気をつけてください。かなり危険ですからね。」
 妹紅は右手の手の平で右の目を覆い、見えている左目で『転写眼』を発動する。
 転写眼とは、目に映っている物を網膜に焼き付けて記録する妖術の一つで、普通の人間がやると確実に失明する。
 この術は妖術使いや陰陽師などの自分では使えない相手の技を盗む時に使い、片目を失う代わりに上手くいけば相手の奥義などを盗み取ってしまう強力な忌術である。
 以前の妹紅では自動的に傷が治るので、焼かれた網膜は回復してしまいこの術は使えなかった。しかし、身体の治癒機能が変化した今の妹紅は、この状態を維持することが出来る。
 妹紅は左目に焼き写した魔法の地図を、白い空呪符に映して携帯用の魔法の森を地図を作りもんぺに戻す。焼き写した映像は必要ないので傷ついた網膜は修復して治す。
「地図、借りるわね。」
「え?ええ、どうぞ。」
 妹紅の動作の意味が理解できなかった霖之助だが、その言葉でようやくその意味を理解する。
 妹紅は用事が済んだので帰ろうと、店主に声を掛けようとしたが、椅子に深く腰を落としすっかり意気消沈している霖之助を見る。
 これは、妹紅との勝負に負けたというより、心の中に封じ込めていた魔理沙に対する想いが前面に出てきてしまった為だろうと妹紅は感づいた。
「(霖之助さんの中では魔理沙は生きてもいないし死んでいないのね・・・。)」
 妹紅はそんな霖之助を見かねて歩み寄って肩に手を置く。
「全て知っていて、魔理沙と普通に会話するのは、とても辛かったでしょう。」
「・・・。」
「今までよくがんばったわね。後の事はすべて私に任せて。必ず魔理沙を返すから。」
 その言葉を聞いた霖之助は、我慢していたものが全て崩れ落ち、その場で声を出して泣き出す。幽香に魔理沙に甘いとよく言われる霖之助だが、それはしようがないのだ。
「・・・必ず元に戻すから・・・。」
 込み上げる感情に声が出ない霖之助は、その妹紅の言葉にただただ頷くだけだった。
東方不死死における作業用の幻想郷の地図は以前にアップしておりますが、今回は今現在お話の中心になっている幻想郷東部の地図をアップします。
文章では分かりずらい各場所の位置関係の把握に使ってください。
※あくまで東方不死死における地図です。
Atelier Milly 書きモノ倉庫-東方不死死東部地図